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2017/09/18
ブルゴーニュにあるのに見学したことがなかったの城に行ってみました。

高級なシャトーホテルになっているので入れないと思っていたのですが、城の近くに住んでいる人が、テラスで食前酒を飲むのが気に入っていのだると話していたので、気楽に敷地に入ってみたのです。


コート・ドール県にある Château de Gilly(ジリー城)



Château de Gilly(ジリー城)、あるいは村の名前を付けてChâteau de Gilly-lès-Cîteaux(ジリー・レ・シトー城)と呼ばれ、14世紀から17世紀に建築された建物です。

11世紀にブルゴーニュでシトー修道会が誕生したのですが、その本山とも言えるシトー修道院がこの近くにあります。そこの院長館として使われていました。そのため、ジリー城はPrieuré des abbés de Cîteaux(シトー会の大修道院長たちの修道分院)とも呼ばれます。

地図で確認してみると、シトー修道院から約10キロのところにジリー城があり、さらに3キロ行くと、ブルゴーニュの観光写真でよく登場するクロ・ド・ヴジョ城があります。こちらの城があるのはブルゴーニュワインの特級ランクのクロ・ド・ブジョ(Clos de Vougeot)が生産される地域ですが、そこもシトー修道院のブドウ畑だったのです。


シトー修道院(16世紀当時)

Abbaye de Cîteaux
クロ・ド・ヴジョ城



同じくブルゴーニュで誕生したクリュニー会が壮麗で華麗すぎるということで、質実なシトー会ができたわけですが、シトー修道院の院長の館だったジリー城を見ると、そんなに地味にも見えない...。シトー修道院はフランス革命で破壊されているので往事の姿は連想できませんが、クロ・ド・ブジョ城も立派ですし。

ジリー城の地下にあった食糧やワインを保存した貯蔵室は、現在ではレストランとして使われています。柱頭彫刻はシトー派独特にシンプルになっていますけれど、豪華。

Château de Gilly-lès-Cîteaux
Restaurant « Le Clos Prieur », dans l'ancien cellier du prieuré

5つ星を持つジリー城のホテル・レストランの様子は、旅行サイトでたくさん写真を入れています:
シャトー ド ジリ(Château de Gilly


ジリー城に行ってみたら、建物は立派ですが、いかにも高級ホテル・レストランになった城という感じがしました。人が住んでいる城とは違って、昔を彷彿とさせたりする雰囲気に欠けるのです。

しかも、現代芸術の展示がなされていて、広い庭のあちこちに私が嫌いなタイプのオブジェがある。一緒に行った友人も好きではないので、庭園を一回りした後で帰ろうかということになりました。

でも、二度とは来ないところでしょうから、シャトーホテルのテラスで食前酒のワインを飲むことにしました。この日は昼に素晴らしい料理を食べていたので、夜は食前酒とおつまみ程度でちょうど良い腹具合だったのです。


サービスしてくれた食前酒のおつまみ

なかなか気持ちの良いテラス。広々とした庭園にのぞんでいます。所せましと置いてあるオブジェがなかったら、もっと気に入ったのに...。どこを見てもある。怖くなるようなのもある...。テラスには昔風の泉もあったのですが、その横に色々な顔を串刺しにして差してある。

テラスでグラスワインを飲むのが楽しいと教えてくれたマダムは、カナペなどを出してくれるのだと話していました。それでグラスワインを注文した時、お給仕の人に何かつまむものがあるかと聞いてみました。

すると彼は、ピーナツとかポットチップとかを出すけれど、何かおつまみになるものがレストランにあるかどうか聞いてみると言ってくれました。

ポテトチップは紫色のジャガイモで作っていました。その他に、ピーナツや日本のおかきのようなものが出てきたのですが、そういうのでは味気ない。

しばらくすると、お通しのようなものが出てきました。



お給仕の人が調理場で見つけたもので盛り付けてくれたのだそう。

さすがに、「シトー」と呼ぶ、今でもシトー修道院で作っているチーズものっていました。大好きなブルゴーニュのチーズですが、小さい...。

出してくださったものを食べ終わり、グラスワインも飲み終わったこと、また違うおつまみを出してくれました。感激するほど美味しくはないのですが、サービスで出してくれるのは嬉しい。



ここのレストランではブルゴーニュ色を出しているのでしょうね。ジャンボン・ペルシエやグージェールがあります。

これまた、お給仕の人が自分で調達してきたのだと強調する。つまり、お勘定はいらないということだと思うのですが、そういう場合にはフランスではチップをはずむのですよね。

せっかく出してくれたのですが、もうグラスワインは飲み終わってしまっていた。それで、ワインを追加注文することにしました。グラスワインの白は2種類しかないので、また同じものを飲むのはつまらない。

それで、お給仕の人にボトルで持って来てもらうことにしました。ワインリストを見ると、ワイン選びには余りこだわっていないレストランなのか、ネゴシアンのワインが多くて、魅力的に見えるドメーヌのワインがないのでした。しかも、高級ホテルのレストランなので、かなりお高いワインしかない。

オーセイ・デュレスの白ワインの2015年を選びました。ドメーヌはDomaine Lafouge, Auxey。1本50ユーロ。

飲み残したらもったいないので、お給仕の人にもしも残ったら持ち帰っても良いかと聞いてみました。最近のフランスでは、レストランがワインの消費を促すために、残したら持ち帰って良いのだと言うようになったのです。

そうなったことに気がついて書いた記事:
シャブリの町で昼食 2005/03/11

もう10年余り前からでしたか。

この時のお給仕の人も、気持ちよく飲み残しのボトルはお持ち帰りください、と言ってくれました。

かなり美味しいワインだったので満足。なかなか感じの良いお給仕の人なので、選んだワインがとても美味しいということからおしゃべりが弾みました。

それで、持ち帰りができないワインもあるのだと話してくれました。


レストランでロマネ・コンティを飲んだとき、記念にボトルを持ち帰れない?

持ち帰れらせないというのは、ロマネ・コンティなのだそう。

この日の昼に入ったレストランでは、ワイン・リストにロマネ・コンティ 1997年が入っていて、9,900ユーロでした。



換算すると、ロマネ・コンティを飲みたいと思ったら140万円くらい払うことになります。

ジリー城のレストランでは、もう少し安くて、90万円か100万円という感じのお値段だと言っていました。

それだけ出したら、普通の人は記念に空になったボトルを持ち帰りたくなりませんか?

でも、ロマネ・コンティのドメーヌから、客がボトルをレストランから持ち帰らないように言っているのですって。アジアの人が空のボトルを使って偽物を作って売ることがあるのを防止するためなのだそう。

空き瓶はドメーヌに返すのが本来なのだけど、このレストランでは割っているのだそうです。ロマネ・コンティのボトルを仕入れるのはかなり困難だし、高いものなのでいつも1本しかストックしていないのだと話していました。

確かに高級ワインの偽物が出回っているのはニュースで時々でてきます。そういうのが無かった時代は大らかだったのですけれどね。ブルゴーニュに来た日本人がレストランで飲んだ高級ワインを喜んでいるのを見ると、お給仕の人にラベルを剥がして記念に持ち帰らせてあげてくださいと頼んだりしていました。ある高級レストランでは、そういうお客さんが多いのか、専用の厚紙に貼って記念アルバムのようにしてくれたりしたことがありました。

でも、そのうち、ラベルは水につけたくらいでは剥がれなくなったので、もう久しくそんなことを頼んだりはしていないな...。

ロマネ・コンティをレストランで飲んだことなどはないので、ボトルを持ち帰りたいと言って断られるのかどうか知りませんでした。

本当の話しなのだろうかと思ってフランスのサイトで調べてみたら、ドメーヌではそう言っていると書いてあったので本当らしい。日本ではどうなのかと調べてみたのですが、情報は出てきませんでした。

レストランでロマネ・コンティを注文した人に、ボトルのお持ち帰りはできませんが良いですか? と聞いているのかな?... お金のことなんか気にしないような裕福な人が注文するでしょうから、そんなけち臭いことを言ったら失礼になりそう。かと言って、お客さんの方からボトルを持ち帰りたいと言った時に断られたら、怒ってしまうではないですか? 百万円も払っているのに、ボトルもくれないなんて許せないですよ。

ところで、お給仕の人とロマネ・コンティのボトルの話したとき、偽物を作られてしまうからと言いながら、彼は3回くらい「アジア」と言っていました。お給仕の人が姿を消した後、私の目の前でアジアと繰り返すのは失礼だ、と友人の方が指摘していました。「中国」と言うべきだった、と私。

こんな高級ホテルおお給仕の人はプロの教育を受けているはずなので、確かに変。友人は、私がアジア人に見えなかったのではないかと言っていました。そんなことないと思うけどな...。


ロマネ・コンティのボトルをコレクションしたかったら、店で買うしかない?

フランスでロマネ・コンティを1本買おうとしたら、かなり苦労します。日本だと、ワインショップに行ったらどこででも売っている感じがするのですけれど。

地元ブルゴーニュでも、ドメーヌから直接買うとしたら、DRCブランドのワイン12本入りをケースで買って、その中にロマネ・コンティが1本入っているという形です。それも順番待ちで手に入る。あるいはコネがないと入手できないのかもしれません。順番待ちのリストに入れてもらったブルゴーニュの友人がいるのですが、その後何年たってもお知らせは来なかったと言っていました。DRCのワインはどれも高いので、それを12本も買ったら幾らだったのかな。順番が来なくて良かったではないの、と言ってしまいました。

ブルゴーニュワインのメッカ、ボーヌにある観光客用の店ではロマネ・コンティのボトル売りをしているのを見ましたけれど、地元の人は行かないから知らないのでしょうね。


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20年前くらい前の時代には、ブルゴーニュの特級ランクは今のようには高価ではありませんでした。頻繁に飲むことはできないけれど、何かあると特級ランクのワインでも比較的気楽に飲めていました。今では、よほどのことがない限り、私のような庶民は飲めなくなっています。

私が飲んだロマネ・コンティは、1973年のミレジムでした。飲んだのは、30年近く寝かせてあったボトル。割ってしまうかもしれないと思い付いたとき、空き瓶を庭に出して記念撮影していました。



ロマネ・コンティのドメーヌが、偽物づくりをさせないために空き瓶の管理にも厳しくなったということは、このボトルは高値で売れるのかな?...

空き瓶を売っているかと調べてみました:
ヤフオク! - 「ロマネコンティ 空き瓶」の検索結果

日本では売っているではないですか。そうだったら、ドメーヌがレストランに空き瓶を割らせても意味がないですよ~。


古城と現代芸術の関係

お給仕の人にはチップをはずみましたが、こういうホテルだと、まともにおつまみの料金を払ったら、かなりのお支払いになっただろうと思う。それでも、簡単に食事できるくらいの金額になったけど、ボトルで注文したワインが美味しかったので満足。テラス席にはほとんど人がいなかったので、お城を独占した気分を味わえたし。

ジリー城を立ち去るときにはすっかり暗くなっていました。

突拍子もないと思った現代彫刻の写真も撮っておこうと、カメラのシャッターをきりました。



奇怪な人物のほか、キリンまでいる! ホテルに泊まったとして、こんな庭を散歩したくないですけれど、こういう芸術を評価する方もいらっしゃるのでしょうね。

地元ブルゴーニュのテレビ局が報道していました。


Le château de Gilly, entre patrimoine et expositions contemporaines


立ち去る時に城を振り返ると、暗いから芸術作品が余り見えなくて、城はなかなか美しいと思いました。



よほど、金属を丸くしてエスカルゴに見せるのがお好きらしくて、ライトアップで大きなのが見えてしまっている。

こういう現代美術の作品が城の中や外に展示されているのはあちこちで見ていますが、ヴェルサイユ宮殿でのことをブログで書いていました。



 【楽天市場】人気の銘醸ワインが勢揃い!ブルゴーニュ特集

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
世界で一番高いワインはロマネ・コンティじゃないの? 2016/03/23
★ 目次: ロマネ・コンティのブドウ畑ウオッチング
★ 目次: 宗教建築物に関する記事

外部リンク:
La Romanée-Conti, ce vin que vous n'acheterez probablement jamais
偽物ワインの氾濫
☆ Wikipédia: Château de Gilly-lès-Cîteaux
Exposition de sculptures au Château à Gilly-les-Cîteaux
☆ Wikipedia: シトー会 » Ordre cistercien » Abbaye de Cîteaux


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2017/09/03
フランスで夏の観光シーズンには、各地で「光と音の祭典」が開かれます。もうシーズンは過ぎてしまったので来年の話題にすべきだと思ったのですが、そうすると、また時季外れの時にしか思い出さないのが常なので書いておきます。


ソン・エ・リュミエール光と音の祭典

フランス語で「Son et lumièreソン・エ・リュミエール)」と呼ばれるイベント。son(音)とlumière(光)が織りなすショー。

歴史的建造物や遺跡をライトアップして行うので、日没後に行われます。夏のフランスでは暗くなるのが午後11時頃なので、日帰り旅行では行きにくいイベントです。

ただライトアップするだけではなくて、その土地に関連した歴史を見せるストーリーになっていてナレーションが語られますが、大勢の人が出演して歴史絵巻を繰り広げるというパターンが一般的なスペクタクルになっています。

夏に旅行したときは、歴史的建造物が残る有名な観光地では、必ず光と音の祭典が開催されているのに出くわす感じがします。その土地の歴史を感じることもできるので、見つけた時にはできるだけ行くことにしています。


ソン・エ・リュミエールは、英語圏でもフランス語のままで呼ばれるとのことですが、直訳で「sound-and-light show」とも呼ばれるようです。

英語圏でもフランス語の綴りのままで言われるということは、フランス発祥のコンセプト?

調べてみたら、「ソン・エ・リュミエール」と呼ぶイベントが初めて開催されたのは、ロワールの古城めぐりで名高い地域にあるシャンボール城で、そこで1952年に行われたイベントに由来するようでした。


Château de Chambord


もっとも、建造物をライトアップするのはその前から行われていて、特に1937年のパリ万国博覧会では大々的に行われていました。

現在では花火を打ち上げたりもして華やかなアトラクションなのですが、そういうコンセプトは、もっと遡ることもできます。

例えば、オーストリア継承戦争終結のために開かれたアーヘンの和議を祝うために1749年に開かれた祝典。ルイ14世はイタリアから優れた花火師を呼び寄せ、音楽の演奏もさせる盛大なイベントをしていました。

ヘンデルは、ロンドンで行われた祝典のために組曲を作曲しています。


ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル『王宮の花火の音楽』


現代のソン・エ・リュミエールでは、広い場所で歴史絵巻を繰り広げるので、出演者がたくさん必要。それで、地域に住むボランティアの人たちが協力するイベントとなっていることが多いと感じています。


ピュイ・ドュ・フーのCinéscénieシネセニー

フランスで最高のテーマパークだと思う Puy du Fou」で書いたテーマパークPuy du Fou(ピュイ・ドュ・フー)には、世界最大規模と言われる光と音の祭典があります。このテーマパークについては、前回の日記で紹介しているので省略。


La Cinéscénie - Puy du Fou 2016

このスペクタクルに使われる敷地面積は23ヘクタール。東京ドームの約5倍。

観客席は1,400席あるのですが、大変な人気があり、バスで来るツアーもあるので、夏のイベントには春くらいには予約しておかないと席は確保できません。

ピュイ・ドュ・フーのテーマパークでボランティア活動をしている人は約3,800人いて、そのうち2,400人はこのスペクタクルを演じるボランティア。ボランティアになりたいと申し出る人は毎年500人くらいるそうですが、ウェイティングリストで順番待ちとなり、今年は150人しか受け入れてもらえないのだそう。


サン・ファルジョー城のスペクタクル

フランスでは、シネセニーのスペクタクルに次ぐ規模を誇る、という光と音の祭典がブルゴーニュ地方にあります。

規模が少し小さいだけに臨場感があるので、スペクタクルとしては、私はこちらの方が好き。舞台となる場所の前にある芝生に座ってしまえば、馬が走るときに埃をかぶってしまうかというほどに近いのです。

ここで舞台として使われるのは、ルネサンス様式の城、Château de Saint-Fargeau。

この城については、すでにブログで書いていました:
サン・ファルジョー城  2009/09/02 

三・ファルジョー城の建築が始まったのは980年なので、夜の光と音の祭典スペクタクルでは千年の城の歴史を見せます。毎年少しはストーリーを変えるようですが、たいていは同じ。何度も行っているのですが、繰り返し見ても飽きません。

私が一番好きな場面は、中世の田舎の生活を見せるシーン。ブリューゲルの絵画を彷彿とさせるのです。

Le combat de Carnaval et de Carême Pieter Brueghel l'Ancien
謝肉祭と四旬節の喧嘩、ピーテル・ブリューゲル

人がたくさんいるのは同じですが、この絵とは違うな。家畜の群れを追う人たちとか、川で洗濯している人たちとがいて、本当に美しい田園風景なのです。

スペクタクルの最後には、第二次大戦が終わってフランスがドイツから解放される場面が必ず出て来るのですが、これは私は好きではありません。でも、当時のジープのコレクションを持っているから作っているシーンのようです。

今年の開催は、7月8日(土)から8月19日(土)でした。ブルゴーニュに引っ越してきて、このイベントには行ったことがない友人夫婦と一緒に行こうと話していたのに、いつの間にかシーズンは終わってしまった...。


スペクタクルの舞台裏を見せているニュースの動画です:


Page été : dix siècles d'histoire avec le spectacle de Saint Fargeau

こちらのスペクタクルで出演するボランティアは700人くらいなのかな。この城の広報担当者にお話しを聞いたことがあります。ボランティアの人たちは、衣装作りをしたり、演劇の練習をしたりで、1年を通して準備しているのだそう。でも、無償で働くのに引き換えに、その人たちが結婚披露宴などをするときには城を使わせてもらったりするなどの配慮があるので、ボランティアになるのも楽しそうでした。

この城の現在のオーナーはギヨー兄弟。当時、レジャー指導員をしていて、お金持ちではなかったと聞きました。フランスでは、歴史的建造物を修復維持してくれることを条件に、持ち主がかなり安い値段で譲ることがあるのです。

兄弟がサン・ファルジョー城を買ったのは1979年でしたが、幾らで城を買ったかというのは卒倒するほどお安いお値段でした。話しを聞いた当時、ブルゴーニュの何でもない民家よりも安いお値段だ、と思った記憶があります。

廃墟同然だった城の修復費をねん出するために始めたのが、この光と音の祭典。城は地域に住む人たちにとっても大切な財産なので、ボランティアで手伝う人たちがいたわけです。城を手に入れた兄弟は、人望があって、人を動かす才能があったのだろうと思います。

城が現在の所有者になってから、40年以上たっているわけですね。見事に修復されて、観光スポットになっています。

サン・ファルジョー城を買った兄弟は古城がお好きなようです。上に入れた動画に登場しているミッシェル・ギヨーさんは、新しい企画も考え出して成功しています。現代技術は使わずに、中世の方法で城を建築してしまうというアイディア。

その城に行ったときに書いた日記:
建築中の中世の城を見学: ブルゴーニュのゲドゥロン城 2009/09/05

Guédelon
Château de Guédelon


古城が好きなギヨー兄弟とは対照的なスキャンダルがありました。

バブルの時期、日本人はヨーロッパの城を買いあさったのですが、フランスの城を買った富豪のお嬢様が、城を解体して売りさばいたのです。修復すると約束して買ったのだし、国から国宝級に指定されている建築物を修復しないで所持していたら、手放して売却しなければいけないという法律がフランスにはあるのですが、やっちゃった!

それを少し書いた日記:
売りに出てたブルゴーニュの観光名所: ラ・ロシュポ城 2012/08/24

歴史的建造物を解体して売れば、買ったときの値段なんかは軽く取り返せてしまうのです。もちろん法律違反なので、それをやった日本人は投獄されましたが、お金持ちなので上手く立ち回ったらしく、すぐに出てきました。その後、彼女が何をしているのかは知りません。



ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ

外部リンク:
☆ 英和辞典 Weblio辞書: son et lumièreの意味
☆ 英辞郎: sound-and-lights...の意味・用例
Premiers son et lumière (1952-1961) (論文PDF)
☆ 金沢21世紀美術館: ソンエリュミエール − 物質・移動・時間、そして叡智 (PDF)
フランス各地で行われる夏のライトアップ フランス観光 公式サイト
☆ Georges Delerue: Son et lumière
« Chambord, rêve de lumières ». Créateur du premier son et lumière au monde en 1952, le domaine national de Chambord présente son nouveau spectacle nocturne
L'invention du son et lumière
☆ Wikipedia: パリ万国博覧会 (1937年) » Exposition universelle de 1937
フランスで熱い歴史スペクタクル
La Cinéscénie:  Spectacle Nocturne Puy du Fou
Chateau de Saint Fargeau - Spectacle


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2017/08/30
毎年この時期になると、おびただしいほどのツバメがいるのが目につきます。大空を飛び回っているのを見ると羨ましくなりますが、あれは飛行を楽しんでいるわけではなくて、飛んでいる虫を食べるために旋回しているのでしょうね。

大旅行に出発する準備のために、電線に並んで点呼をとっているかのようなツバメたち。その数が日増しに増えてきています。ら飛び立って行くと、空が埋まってしまうほどの大群になってきました。

ツバメは小さいので良いですが、これがカラスなどだったら、ヒッチコックの映画『』のような光景になって怖いだろうな...。

巣から落とされた鷲と、孤独な少年の友情を描いた映画」を書いていたら、フランスで「rapace(ラパス)」という魅力的な名前で呼ばれるけれど、日本語では「猛禽類」という味気ない呼び方をする大きな鳥たちが飛び交うのを見るイベントを見たことがあったのを思い出しました。


テーマパークは原則として嫌い

テーマパークを私は好きではありません。東京で買い物しらディズニーランドのペア券をもらったことがあったのですが、子どもがいる知人に差し上げてしまったほど。つまり、ただでも行きたくない!

子どもの時には親に連れて行ってもらっていましたが、楽しんだという思い出は残っていません。子どもの時には親がすることに抵抗できないので行っていました。大人になってから思うには、父が勤めていた会社の福祉とか何とかで、招待券が出ていたのだろうと想像します。

フランスでは、友人が娘さんを連れて行くのに付き合って行ったことがあり、こういう所には二度と行かないぞ(!)と思いました。

その時のことを書いたブログ:


拷問を受けた気分になった日のこと 2005/08/19

写真アルバムで確認したら、その1カ月後に別のテーマパークに行っていたのでした。

でも、ジェットコースターなどに乗って酷い目にあったアミューズメントパークとは違って、こちらはフランスの歴史を再現するアトラクションを見せている所なのです。

歴史的建造物を見るのが好きな私。ここは色々な時代のフランスを再現しているテーマパークなので気に入りました。


ピュイ・ドュ・フーPuy du Fou

何もなかったところに作ったテーマパークなので、現代に作った建物ばかりなのですが、よくできています。「中世の村」などという一角は、知らなかったら本物かと思ってしまうほどの出来ばえでした。

Le Secret de la Lance
Le Secret de la Lance

Les Vikings


動画で見た方が雰囲気が分かるので、オフィシャルサイトのを入れます。


Le Grand Parc du Puy du Fou 2017

昔のフランスを味わいたかったら良くできているテーマパークだと思うのですが、日本ではほとんど知られてはいないのではないでしょうか? でも、フランスでは、パリのディズニーランドに次いで入場者数が多いテーマパークだそうです。

行政が始めた観光開発としては成功例だと思います。ここはフランス革命に反対してために、完全に破壊されてしたった地方なのです。ヴァンデの反乱の舞台。

歴史では、フランス革命は虐げられた農民が起こしたと言われていましたが、今では修正されて、あれは台頭したブルジョワ階級が起こした革命とされています。

それを強く感じたのは、このヴァンデ地方でした。貴族と農民が一緒になって、革命に抵抗運動をしたのです。革命軍には勝てず、悲惨な歴史を残しました。

フランス革命では、貴族や聖職者から財産を没収しました。貴族を抹殺しようという意図は分からなくもありませんが、信仰心があつかったはずの当時、宗教建築を破壊したというのは狂気の沙汰としか思えません。

ヴァンデ地方の宗教建築は見事に破壊されていした。今でも宗教心があついというのは、フランスでは余り感じることがない例外的な地域。

ともかく、観光客を呼び寄せる歴史的建造物が残っていないので、テーマパークを作ったわけですが、それが成功しました。

アイディアを持ったのは地元政治家で貴族のフィリップ・ド・ヴィリエ氏。最近はテレビで見かけることもないので、どうしていらっしゃるのかは知りません。

現在のピュイ・ドュ・フーは、NPOに運営を任せているようです。

楽しめるテーマパークです。レストランも、昔のフランスを味わえる趣向になっています。




ピュイ・ドュ・フー(Puy du Fou)は、日没後に行われる光と音の祭典「Cinéscénie」からスタートしました。1978年だったそうです。

それが大成功したので、昼間も楽しめるテーマパークができました(1989年)。それができたばかりの頃、近くを旅行したので行ってみて気に入りました。予算もなかったせいだと思いますが、質素なテーマパークの感じがしたのですが、ヴァンデ戦争の様子を再現した洞窟などは感動的でした。

テーマパークは事業の成功で得た収益で充実されていると聞いたので、それから何年かして、夜のスペクタクルも見て、パークも しっかり見ようということで二度目の訪問。見違えるようにテーマパークは見事になっていました。

一緒に行ったブルゴーニュの仲間と、近くに住んでいたら年間フリーパスを買うのにね、と話しました。でも、ブルゴーニュからは非常に遠いのです。二度目に行ったときは、遠くまで行ったのを利用して地域を観光する旅行だったので、8日間をかけました。

また行きたくなったけれど、フランスの東から西の果てまでは、おいそれとは行けません。近所の人たちがバスで行く団体旅行を企画して、夜にはバスで走り続けるという1泊2日の旅行をしていたけれど、無茶だと思いました。

毎年のようにアトラクションを増やしているのですが、現在のプログラムはこちら。大小60くらいのアトラクションがあるそうです。

今ではフリーパスの設定はなくなっているみたい。二度目に行ったときには2日間のチケットを買ったと思います。料金はこちら。そう安くはない...。


一番気に入ったのは、猛禽類の鳥たちのショー

本格的にピュイ・ドュ・フーで遊んだなか、最も気に入ったのは、猛禽類が登場する「Le Bal des Oiseaux Fantômes」というものでした。「亡霊鳥たちの舞踏会」という感じの命名かな。

気に入ったので、2度見てしまいました。


Le Bal des Oiseaux Fantômes - Puy du Fou


テーマパークが好きではないのに加えて、動物園も大嫌いな私です。動物たちが可愛そうではないかと思ってしまうから。テレビでイルカのショーなどが出てくると、動物虐待だと言いたくなる。

でも、ここでは猛禽類の大きな鳥たちが飛び交っていて、見ている人間だって危険を冒しているから対等という感じがあるので、違和感がなかったのでした。

語り手がいてストーリーになっているのですが、最後にたくさんの鳥たちが出て来るときには圧巻のシーンになります。


長い動画(27分)は、こちら:


Le Bal des Oiseaux Fantômes, Puy du Fou


このパークには鷹飼育のアカデミーがあって、ヨーロッパの品種を保護したり、鷹狩りの方法などを教えているようです。


le travail en coulisse du bal des oiseaux fantômes du Puy du Fou (Académie de Fauconnerie )


左手をあげる?

前回の日記を書いた後で、ピュイ・ドュ・フーのアトラクションの動画を見たくなったのは、鷹匠がグローブをはめた手をかざすのはどちらの手なのか確認したかったからです。

私が巣から落ちたカササギ兄弟が挨拶に来ないと話して、こうやって手を差し伸べていたら飛んできてとまるかな、とジェスチャーをやったら、「かざすのは左手だ」と言われてしまったのです。

なぜ左手?

調べてみたら、日本の鷹匠でも同様でした。右手は杖を持ったりするために空けておかなければならないからのよう。

友人は、どうして左手をかかげると知っていたのだろう? 私が注意散漫なだけなのだろうけど...。

ふと、また気になる。

学校で先生が何か言ったとき、片手をあげて「は~い」とやっていましたよね。あれは、どちらの手をあげるのが普通でしたっけ?

画像検索すれば出て来るので検索してみました。日本では、明治時代に右手をあげろという方針があったらしい。ヨーロッパ諸国では、どちらでも良いという感じがしました。




このテーマパークに観光客が多く訪れるのは、夜に行われる「Cinéscénie(シネセニー)」に絶大な人気があるからではないかと思います。

Son et lumière(光と音の祭典)は、夏の観光シーズンにフランスを旅していたら、何処かで必ずぶつかるはずのアトラクションですが、このピュイ・ドュ・フーのは世界最大規模と言われています。

フランスでは珍しくないアトラクションなわけですが、いつから始まったのだろうかと書きながら気になってきたので、調べてみたことを次回に書きます。

続きへ:
ソン・エ・リュミエールと呼ぶスペクタクル



ブログ内リンク:
フランス革命がもたらしたもの・・・ 2008/02/03
★ 目次: 右と左の違いが気になる
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
Puy du Fou (オフィシャルサイト)
Puy du Fou - YouTube(オフィシャル動画)
Puy du Fou / la Cinéscénie, nouvelle version 2017
フランス中世の大テーマパーク「ピュイ・デュ・フー(Puy-du-Fou)
☆ Wikipédia: Puy du Fou
☆ Wikipedia: Rapace » 猛禽類
最後の鷹匠3
☆ 日本鷹匠協会: 道具について
教室での挙手は右手?それとも左手?
挙手の研究、誰かやりませんか。


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2017/08/26
8月初め、友人たちと食前酒を飲んでいたら電話がかかってきました。近所に住む友人が「野菜いる?」と聞いてきたのです。

いくら庭が広いからといって、どうして、そんなに野菜を作ってしまうの?! と言いたくなるほどの野菜畑を作っている人です。温室も大きなのを2つ持っているので、野菜も早くから収穫できます。

いただけるものなら、いただきますと答えたら、すぐに持ってきてくれたのが、このカゴ。



下にはトマトが10キロ入っていると言われました。

もちあげてみたら、すごい重さ。飛行機によく乗る関係で、スーツケースを持ち上げて20キロか30キロかを見分けられる私なのですが、このカゴは20キロという感じでした。

その前に野菜をもらったときのパセリが素晴らしく美味しかったので、電話がかかってきたときにリクエストしていたのだけれど、忘れちゃったらしい。

私たちは食前酒を飲んでいたところだったので、当然ながら誘ったのですが、軽く一杯飲んで引き上げると言う。彼らの家には来客があって、もうかなり飲んで酔っていたのだそう。野菜を持って来てくれるなら、野菜を作っているご主人だけ来れば良いのに、奥さんもついてきたのは、彼女が運転するからだったのでした。


ブドウの収穫が始まる

庭の木の葉が落ち始めて、地面が枯れ葉で覆われています。ブルゴーニュでは、8月中旬になると夏は終わりだ... と思って寂しくなります。

今年、猛暑という感じの日は、6月下旬に1週間くらいあっただけでした。

暑さが2週間以上続くと、さすがに涼しさが保たれる石造りの家の中も暑くなるのですが、家の中にいても暑いと感じる日は、今年は1日もありませんでした。フランスにいると、冷房の必要性などは全く感じません。コンクリート造りの家に住んでいる人たちは暑くてたまらない日があるそうですが。

数日前、朝起きたときに庭にある温度計は5度となっていました。しばらく真冬のセーターを着て過ごしていたのですが、昨日から、日中は真夏の服装でいられる気温になりました。数日は最高気温30度にとどくような日が続く様子。その後は、20度まで上がれば嬉しいという感じの天気のようです。




暑かったり、寒かったりで、今年は変な天気の年でした。特に、春先にあたたかかったのに、途端に寒くなったのがいけなかった。私の家の庭では、ベリー系を除いて、果実は全然なりませんでした。いつもは採れ過ぎてしまうクルミも実がなっていない。菩提樹の木も、1つも花を付けなかった。

7月中旬にボージョレーに行ったとき、ワイン農家の人はブドウの実が膨らむように雨が降って欲しいと言っていました。あの後、かなり雨が降り、寒い日が続きました。望みどおりに雨が降ったことをそれほど喜んではいなかったのではないかな...。

地球の温暖化と言われますが、そんなに暑くなっているとはブルゴーニュにいる限りでは私は感じません。昔には今ほどたくさん強風が吹かなかった、と年配の人たちが言うので、異常気象になっているのは確なのでしょうけれど。

みんなで食事をしていたら、昼間なのに突然暗くなって、激しい嵐がおこり、各地で木々が押し倒されたのが1999年のクリスマスシーズンでした。あの頃から異常気象が始まったかな?...

ブルゴーニュでは、ワイン用のブドウの収穫といえば伝統的に9月末でしたが、最近は収穫が早まっていて、これも地球温暖化の影響だと言われます。


今年は暑さが早く来たので、ブルゴーニュで行われるブドウの収穫は例年より少し早いようです。南部の産地では、例年より2週間早く始まったところらしい。コート・ドール県では9月初めに開始と聞きました。

フランス全体としては、今年のブドウの収穫量は例年より少ないようですが、ブルゴーニュでは雹や霜の被害を受けた一部の地域を除けば、昨年よりは収穫量は多くなるようです。

こういう天候のときのワインはどうなるのだろうと毎年思ってきたのですが、こんな年に美味しいワインができるはずはないと思っても、全く悪くないミレジムだったりする。今では技術が発達しているので、ワインの出来はそれほど天候には左右されないのだろう、と思うようになりました。

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猛暑が去った 2017/07/02
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)


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2017/08/05
普通のフランス人は、老齢年金をもらって働かずに生活できるようになるのを心待ちにしています。でも、1人だけ、会社から辞めてくれと言われるまで退職はしないだろう、と思える友人がいます。

彼は営業マンなのですが、会社の待遇がとても良いのです。出張があって残業があるので、振替休日をもらうこともあり、年休は8週間くらいになっています。それ以外にも、家で仕事をしても良いらしく、ねんじゅう家にいる感じ。でも、今週は数千キロを車で移動したので疲れているけれど、来週はお休みだから一緒に食事しようと誘われたところです。

彼の会社では、競合会社に比べると高い値段で商品を売っているのだそうですが、サービスが良いので売り上げは好調なのだそう。お客さんから欠陥品だったというクレームの連絡があると、すぐに新品と取り換えるのだ、と自慢していました。日本ではごく普通のサービスですが、フランスでは例外的な対応ですから信頼を確保できるだろうと思います。

彼が得意にしているのは、クライアントを喜ばせることらしい。高級レストランに招待したり、特別に喜ばせる企画をしているのです。彼が働いている会社の顧客は公共機関なので、つまりは賄賂じゃないかと思ってしまうけれど、友達がしていることだから何も言いません!


食事に招待するのがフランス式の接待

Internationaux de France de tennisテニスの試合ローラン・ギャロス(全仏オープン)には、毎年お得意さんたちを招待しているのだそう。少人数ずつ招待するらしくて、シーズンに彼は何回も行っています。

ボックス席を確保して、座席が余ったときは彼の個人的な友人を招待してしまうのも会社は容認しているらしい。

少し前、テニスには全く興味がないけれど、そういう余った席をもらって行ってきた友人が、それがどんなだったかを話していました。

試合の休憩時間には食事が出てきたのが気に入った、と話していました。試合が終わってからもお酒を楽しんだらしく、シャンパンやコニャックなども飲み放題だったとのこと。桟敷席の1人当たりの料金は1,500ユーロ(約20万円)だそうなので、それは豪勢な食事だったのでしょうね。


フランス人を喜ばせるのは食事に招待すること。商談の大半はレストランで契約されている、と書いてある記事を読んだことがあります。

公認会計士をしている友人も、会うと「最近は忙しかった...」とか言うのですが、何が大変だったかというとレストランに頻繁に行って疲れたのでした。何を食べたかを話す。

彼らは、かなりそういう時の食事を楽しんでいるようです。

私も仕事で、自腹では間違っても入れないような料亭で食事をしたことがありますが、料理は全く堪能できませんでした。気が合った友人たちと、質素な食事をする方が美味しいと感じると思ってしまう。

でも、フランスでは食事の時間が長いし、食事の席では仕事の話しはしないマナーがあったりするので楽しめるのかな...。


オリエントエクスプレス

お得意さんを接待するのが主な仕事に見える営業マンの友人の家で食事をしたら、少し前にオリエントエクスプレスを貸し切った旅行をしたと話しをしていました。

食事が素晴らしく美味しかったのだそう。この人たち、何をしても、食べたもののことしか話さないの?!



10両くらいある列車全体をチャーターしたのだそう。お得意さんを招待したのだろうと思ったら、勤めている会社の社長をはじめとするスタッフ39人で利用したのだとのこと。よほど景気が良い会社なのでしょうね。

パリからドーヴィルまでの乗車だったと言っていました。

ドーヴィル(Deauville)というのは高級リゾート地です。ノルマンディー地方を旅行したときに立ち寄っているはずですが、想い出は残っていません。私にとっては、パリに住む裕福な知人が別荘を持っている町というところ。

オリエントエクスプレスと言えば、パリからイスタンブールがある東に移動する電車だと思っていたので、そんな路線があるのかと不思議に思いました。偽物に乗ったのではないか、と疑ったわけではないけれど...。

調べてみたら、ロンドン方向、つまりパリから北にも路線は伸びているのですね。知らなかった...。




乗り物の中でする食事って、楽しめるのかな?...

長距離を移動する旅行をするとき、飛行機では風景がよく見えないので、車や電車で移動するのが好きです。日本で会社勤めしていた頃は、よく海外旅行のツアーを利用したのですが、好きなのはバスで国を縦断するプログラムでした。

電車での移動で貴重な経験だったなと思ったのは、ペルーでチチカカ湖まで行ったときのこと。10時間くらいかかる行程だったと思います。私は低血圧なので、世界で最も標高が高いところを走る電車には耐えられないのではないかと思ったのに、なぜか元気。みんなは唇が青くなって電車の座席でへたばっていたのに、私は平気だったのでした。

途中で何度も、理由が分からないけれど電車が止まるので、外に出たりもできました。気圧が低いと頭の中は空っぽで、見える景色もこの世のものとは思えない感覚で眺めるので不思議な気分でした。列車の中には、私と同じくらい元気な人が数人いました。カリブ海の何処かの島でボランティア活動をしたというドイツの若者たち。清々しい彼らとのおしゃべりも楽しめて、楽しい思い出です。

景色ではなくて、料理を堪能するなら、私は動かない場所でしたいですけどね。

ギリシャ旅行でしたクルージングでの食事は最悪。船酔いで、食べるどころではなかった記憶が残っています。何日も海原を眺めているのは単調だし、ギリシャ料理は美味しいわけではないので、エーゲ海のクルーズは二度としたくないと思いました。

エジプト3週間の旅行でした1週間のナイル川のクルーズは気に入りました。デッキから景色を眺める楽しみがあったし、海のように揺れるわけではないので、食事も楽しめたからです。

電車だと、川下りよりは揺れそう。それで料理を堪能できるでしょうか? 外気に触れられないで、水槽の中にいるような空間では、いくら優れた料理を出されても、感激するほどの食事はできないように思うのだけれど...。

鉄道マニアという人たちがいますよね。私は電車そのものには全く興味がないので、豪華な電車に乗るというには魅力を感じません。でも、オリエントエクスプレスには少し興味を持っていたのです。

日本の友だちがヴェネツィアまでの旅行をして、その時に電車の中で出された食事が素晴らしく美味しかったと話していたので。


オリエントエクスプレスのランチ

お天気が良い日、友人の家の庭で昼食をしたとき、貸し切ったオリエント急行で出されたランチのメニューを見せてもらいました。見せてと私が頼んだわけではないのですが、ご自慢で見せたかったらしい。



メイン料理のchou de homardが美味しかった、と話していました。一緒にいた友人が「キャベツ?」などと言うので、「いや、オマールのボリュームもあったのだ」と食べた友人は答えていました。

メニューを写真に撮ったので、じっくり眺めてみます。



率直なところ、このメニューで高めの値段を付けているレストランだったら、私は入る気はしませんけど...。

アトラクティブな高級食材を使っていますけれど、他の安い材料で固めている感じ。

前菜は、半熟卵で、こんな感じだったのかな。



高級キノコのトリュフを少し散らして、野菜を色々付け合わせている料理? ハーブと花弁の「雨」なんて言い方をしているのが面白いけど、単なる飾りでしょう?


メインは、キャベツに高級海老のオマールを詰めて、野菜を付け合わせたもの?

この料理は、社長さんがリクエストしたのだそうです。このオリエントエクスプレスとローラン・ギャロスは同じシェフのレシピなのだそうで、ローラン・ギャロスで出されたこの料理が素晴らしく美味しかったから注文したとのこと。

前菜にもメインにも、ニンジンが入っている。どうして?...

デザートは、大衆的なレストランでないと出てこないイル・フロッタントというのは酷くない?

こんな風なデザートだったはず。



前菜が卵だったのに、デザートもフワフワ卵? カスタード・クリームではなくて、日本でも流行っているスムージーを桃で作ってソースにしたらしいので、そこでオリジナリティを出していたのかもしれないけれど。

その後にお菓子がありますが、こんなに軽そうな料理なのに、チーズはなかったの? 列車で旅行するときに胃にもたれる料理は良くないという配慮なのかな。

お土産にはオリエントエクスプレスの分厚い写真集があったと見せてくれたので、それも撮影しておきました。電車には興味がないのですが、歴史が詰まった列車なのでしょうね。



この食事に満足した友人は食通というわけではなく、デラックスな雰囲気が好きな人なので、彼が「美味しかった」と言っても私は評価はしません。

トリュフとオマールのメニューだったら凡人は喜ぶだろう、という根性が見える献立は私には不愉快。余り工夫がないコース・メニューに見える。

でも、豪華列車だからということ、サービスの良さなどの雰囲気でカバーされて、他では味わえないほど美味しいと感激するような演出があるのでしょうね。

オリエント急行とはどんな列車なのか、動画を眺めてみました。


Venice Simplon Orient Express: Video guide

ほんとうに、豪華...。
でも、やはり、少し揺れながら食事するみたいですよね...。

追記(2017年8月):
後日、オリエントエクスプレスでの食事が美味しかったと話していた友人に会ったので、確認したかったことを聞いて、記事の内容を少し変えました。
その時の写真が携帯電話に入っていたので、料理の写真も見せてもらいました。オマール海老の料理は、丸ごとのキャベツの中に入っているような形に仕上がっていて、なるほど見事でした。


ブログ内リンク:
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
☆ Wikipedia: Orient-Express » オリエント急行
豪華列車 ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス


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2017/08/04
友達の家で飼われている猫が赤ちゃんを産んだというので見にいきました。

去年だったかに猫をもらったのでお嫁さんをもらったらオスの方が死んでしまった。それで、また雄猫を買ったのですが、待望の赤ちゃんが生まれたというわけ。



3番目のダイニングルームの壁面にあるクローゼットの中でお産をしたがっているように見えたので、入っているものを片付けて場所を作ったのだそう。いつもは使わない部屋で、ドアを閉めておけば静かなのが気に入ったのでしょう。

お母さん猫は片方の目が開かないという欠陥があるのですが、子どもを産むには問題なかったようです。生まれたばかりの子猫たちも、まだ目が開いていませんでした。


メインクーン(Maine coon)という大型のネコなのですが、赤ちゃんは普通に小さい。




メスで6キロ、大きな猫になると10キロなどという大きな猫なのですが、大型猫の中では最も人気があるようです。血統書付きだと1匹1,500ユーロくらいするのだとか。20万円?

それで、この家では、いなくなったり、盗まれたりするのを恐れて、庭には出さずに家の中だけで飼っています。1階部分だけでも広い家なので、猫の運動には事欠かないはず。

欲しかったら1匹くれると言ってくれたのですが、断りました。子犬くらいの大きさがある猫など、私は飼いたくないです。


1週間後にまた行ったときには、赤ちゃんたちも少しウロウロできるくらいになっていました。6匹生まれたのですが、残ったのは5匹でした。

親子は、相変わらずドアを閉めた来客用のダイニングルームで生活していました。



1匹だけお母さんと同じに白猫で、他はお父さんと同じに黒と白。ブチの感じが良くて、美しい猫になりそうな子が1匹いました。みんなで乳首をあさるときも、その子はしっかり場所を確保していたので、賢い子なのではないかな。


アンチークの鏡

パパは、部屋には入れてもらえないでいます。悪さをする危険があるから?



この家の人に後日会ったとき、先日のコメントで、サン・ゴバンの鏡は実物に近い色で映ると聞いたという話しをしました。ご主人がアンティークに詳しい人なのです。

鏡はガラスの反面に金属を蒸着させて反射させるのですが、昔の優れた鏡はガラスの裏に金を使っているのだそう。それで非常に高価なのだそう。

この写真でお父さん猫の後ろにある鏡が、そういう作り方をしていると言われました。この次にお邪魔したときは、猫だけではなく、この鏡も眺めてみようと思います。玄関ホールの窓際にある鏡。


ヴェルサイユ宮殿の鏡の間の鏡を作ったサン・ゴバン(Saint-Gobain)は現在でも続いているフランス企業なので、売っている鏡を探したら、こういう現代的なのが出てきました。


Miroir design Dijon 800 mmx600 mm de Saint Gobain

80 cm x 60 cmの鏡で、ライト付き。定価が328ユーロ(約4,3000円)。私には高いのか、そうでもないのか分からない。


外部リンク:
☆ Wikipedia: メインクーン
Fabrication miroir


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2017/07/13
お天気が良い日が続くと、フランスのお年寄りは「支払いをすることになる」とよく言います。良いことがあれば、その後には悪いことが来る。このツケは払うことになる、という意味だろうと思う。

今年もそうかもしれない。6月後半に真夏のような暑い日が続いていたのですが、7月に入ってからは、晴天のときもある、という程度で、だいたいにおいて冷たい雨が降っていて、寒い!


雨に降られたヴィッド・グルニエ

夏になったら、ヴィッド・グルニエ(Vide grenier)があちこちで開かれます。物置として使っていることが多いのがグルニエ(屋根裏部屋)。それを空にする、というような意味で、住民の人たちがいらないものを売るというイベントです。

Carte postale ancienne (circa 1910) - Amiens, le Marché à Rèderies
Carte postale ancienne - Réderie à Amiens dans les années 1910

フランスで最も早く登場したヴィッド・グルニエは、北フランスのアミアンで1909年に開かれたものだと書いてありました。

私が田舎でよく開かれるようになったなと感じたのは、10年前くらい前のことでした。一時的な流行かと思ったのですが、相変わらず盛んにおこなわれています。これをやらない村は無いのではないかと思ってしまうほど。

行こうとよく誘われるのですが、私は余り好きではないのです。そもそも、売っているのはガラクタばかり。タダでくれると言われたって断りたくなるものに値段を付けているのですから、眺めていてもちっとも楽しくない。

おそらく、マンション住まいの人たちが多い大きな町だったら、家の中のガラクタを処分しようという気持ちが強いので、けっこう良いものも出ているのではないかとは思います。でも、田舎の場合、家は広いので、ちょっとしたものは処分する必要がないのですよね。ほんとうに、こんなものをよく売る、と言いたくなるものが陳列されています。たまには、掘り出し物を見つけている人たちもいますけれど。

ヴィッド・グルニエに行きたくないと断っているわけにもいかないので、出かけてみました。結局のところ、友人たちが出かけるのは、何か見つけたいというよりは、仲間と会っておしゃべりする機会になるかららしい。

人口は400人にも満たない村なのですが、毎年かなりたくさんの出展者があるヴィッド・グルニエなのです。

朝に天気が良かったので行く気になったわけなのですが、現地に到着したら、みるみるうちに天気が悪くなって、寒くなってきました。

村の中の道路を歩いて出展者が並べているものを見て回ってから、飲み物や軽食を出す場所に落ち着きました。雨が降って来そうなので、屋根がある部分のテーブルに陣取る。



シャンパンを飲みました。暑いときならシャンパンは嬉しいのですが、凍えそうなときに飲むのは嬉しくない...。

昼ご飯前にお酒を飲んでいると酔いが回ってしまうので、おつまみを調達することにしました。

夏に人の家に招待されるとバーベキューが多いので、バーベキューはもううんざり、という人がいました。それで、おつまみはフライドポテトをどっさり。

仲間は10人くらいいて、おしゃべりは尽きない。2時間以上シャンパンを飲んでいました。フランス人は割り勘にはしないので、男性たちが順番にボトルを買ってくる。結局、1人あたりボトル1本くらい飲んだのではないかな。

私はどんどん寒くなってきました。厚手のコットンでできた夏用のハーフコートを着て行ったのですが、真冬のコートにしておけばよかった。

寒い、寒いと言うので、友達が自分のウールのジャケットを脱いで貸してくれました。それを脱いだ彼女は半そでのTシャツ姿。それでは風邪をひいてしまうからと、私のコットンのコートを代わりに渡そうとしたのですが、酔っぱらっているから暑いのだ、と言うので、お言葉に甘えて着させていただきました。

さすがに、引き揚げるときには返しましたけれど、

駐車場に向かって歩き出したのですが、路上の会場は哀れ。雨に濡れてしまうので、ビニールシートをかぶせている。もう午後は中止でしょうね。




インゲン豆とチョリゾのバスク風煮込み

こういう友人たちとの外出のとき、気のきいたレストランがあれば皆で食事できて楽しいのですが、田舎にはそんなものはない。

それで、私にジャケットを貸してくれた友達があり合わせ料理を作るからということになって、お家にお邪魔しました。

前菜の後に食べるために作ってくれたのは、白インゲンとチョリゾーを使ったバスクの料理でした。写真は撮らなかったので、似た料理のレシピにリンクさせてもらいます。


Haricots blancs à la basque


辛い料理が私は苦手なのでたくさんは食べられなかったものの、かなり上手にできていました。この友達は、いつも味付けが上手だと思う。少し前には、やはり急に皆で食事をしようということになって、冷凍していた牛肉の挽肉でボロネーゼ・ソースのパスタを作ってくれたのですが、こんなに美味しいボロネーゼは食べたことがないと思ってしまいました。

この日は料理を準備しているときにキッチンを見たら、大きな豆の缶詰が2個あったので、なあんだ缶詰かと思ったのですが、その豆が柔らかくて美味しかった。

スペインで買えるインゲン豆の缶詰の中で、このメーカーのが最も美味しいのだとスペイン人から教えてもらったのだそう。ご主人の故郷がバスク地方なので、行くと買ってくるのだそう。

日本では何でも売っているので、探してみようかと思って、缶詰の写真を撮らせてもらうことにしました。もうキッチンの横にある納屋のゴミ箱に捨ててしまっていたのですが、拾い出してくれました。



JAEというメーカーで、サイトにある商品はこちらでした:
Alubia blanca pocha

Pochaと呼ぶ種類の白インゲン豆らしい。


クレマン・ド・ブルゴーニュ

イベント会場でシャンパンを飲んでいたので、食事のときもクレマン・ド・ブルゴーニュと呼ぶスパークリングワインにしました。

クレマンは、シャンパーニュ地方に繋がるブルゴーニュ北部でも作られていますが、私が好きなのは、マコネという白ワインが生産されるブルゴーニュ南部で作っているクレマン。南部では気候が温暖なためにブドウが完熟するせいか、酸っぱくなくて飲み心地が良いのです。

手間をかけて作る発泡酒なのに、クレマンはシャンパンのようなステータスはないので、シャンパンに比べるとかなり安く売られています。

でも、変なシャンパンよりクレマン・ド・ブルゴーニュの方が美味しかったりすることも多いのです。専門家の目隠しテストでも、シャンパンよりクレマンの方が高く評価されてしまうことは珍しくありません。

この日にイベント会場で飲んだシャンパンは質の良いものではなかったので、友達の家で飲んだクレマンの方が遥かに美味しいと思いました。少し前にマコネの地方に一緒に旅行したとき、お気に入りのワイン農家で仕入れたクレマンだったのでした。




ヴィット・グルニエの続き

イベント会場でシャンパンを飲み始めたのが午前11時頃。それから友人の家で飲み続けながら昼食をとったので、したたか飲んでしまった。

それで、少し酔っぱらっていた友達が、「タッパーウェア、いらない?」と聞いて、戸棚から出してきました。小さな容器2個が便利そうなので、それをもらおうとしたら、他のも全部持って行くようにと言う。

気がついたのですが、フランス人向けのタッパーはサイズが大きい! 日本で見かけるものの2倍や3倍の大きさがあるのではないかな。保存用のタッパーは、どれも40センチは長さがあります。

それを幾つも出してきました。「使わないから、あげる」と言う。なんでそんなに持っているのかと驚いたら、以前に伯母さんがタッパーの販売パーティーをしていて、その縁でたくさん買ってしまったのだそう。

それで、たくさんいただくことにしました。しばらく使っていなかったので埃だらけ。食器洗い機に入れれば洗えてしまうからと思ったのですが、容器は大きなものばかりなので、1回分では収まりきれなさそう。

傍で見ていたご主人が「恥ずかしい」を連発する。プレゼントするなら、ちゃんと洗ってからにしろよ、という訳。でも、洗ったのをもらったって、家に持ち帰ったらまた洗うから同じことだ、と私は言いました。

ヴィッド・グルニエでは何も買わなかった私ですが、車のトランクにはたくさん収穫物が入ってしまった。しかも、タダ♪ こういうのをガラクタ市で売っていて、1個500円とかだったら、買ってしまうのだけれど、そういう欲しくなるものというのは売っていないのですよ~。

フランスのタッパーのサイトに入っている商品カタログ


城の堀にいた白鳥一家

食事の後、近所を散歩しました。

村の中心にある城の堀に白鳥がいました。



母親と子どもたちが餌を探している様子。『みにくいアヒルの子』のお話しがありますが、白鳥が子どもの時には本当に灰色なんだと眺めました。



少し離れたところには、父親らしき大きな白鳥がいました。



雄と雌で、こんなに大きさが違うものかと驚きます。スマートフォンで写真を撮ったのでピンボケなのが残念。雄の白鳥は本当に見事な姿だったのです。

ヴィッド・グルニエで出会ったお爺さん。知り合いのブースの後ろにある椅子に座っていたのですが、こう言っていました。

「アルツハイマーなので、頭の訓練のために通りかかる人がハトかキジかを見分けているんだ」

何のことかと思ったら、カップルの女性の方が美しかったら鳩で、その逆だったら雉なのだそう。そんな冗談を言っているくらいだったら、頭はまだもうろくしていませんよ!

人間以外の動物は、たいてい雄の方が派手で、色も鮮やかなのですよね。キジの雄は派手なのは知っていますが、鳩は雌の方が美しかったでしたっけ?

調べてしまいました:
☆ 日本鳩対策センター: 鳩のオスとメスの見分け方

特にメスの方が美しいというわけではなくて、普通はオスの方が目立って美しいのに、鳩には余り差がない、ということのようでした。メスの方が美しいという鳥はいないのかな...。


老人ホーム

白鳥を見た後は、さらに歩いて、Kermesseをしている老人ホームまで行きました。ケルメスというのは学校などでよくやっている慈善バザーのこと。何か売って、その収益で何かしているのだろうと思います。

イベントをやっているなら村営の老人ホームを見学できるわけなので、行ってみたのでした。

田舎らしく広々とした敷地。平屋建ての家がつながっている、というスタイルでした。

ホールに入っていったら、椅子に座っていた年配のマダムが挨拶してきました。嬉しそうな顔で「お元気?」と言ってくるので、知っている人だったかな... と思いながら挨拶を返す。人と話したいから私に声をかけてきた様子なのでした。

少しおしゃべりしました。県庁所在地の大きな町に住んでいたのだそうで、ここに来たのは4年前。家族が住んでいる村だったから来たのかと思ったら、親戚は全部、彼女が住んでいた町にいるのだそう。としたら、100キロも離れた村の老人ホームに入ったのだろう?

ここに来る前にはどうしていたのかと聞くと、Chartreuseにいたとのこと。ブルゴーニュ公国時代の修道院なのですが、今では精神病院として使われているのです。「ああ、美しい所ですね」と言うと、やはり頷いている。でも、広い庭園を散歩したとき、緑が多いし、昔の見事な彫刻もあるし、私はこういうところで生活したいと思ってしまうほど環境が素晴らしいと思ったのでした。

17世紀後半の修道院は、こんな風でした。



後で友人に、マダムが精神を患っているようには見えなかったけれど、というと、うつ病のような病気でも入院するのだそう。

「田舎の方が住みやすいでしょう?」というとマダムは頷いていたので、まんざら不孝ではなさそうでした。でも、私たちに話しかけてきたということは、やはり寂しいのだろうな...。


もう夕方の5時を回っていたので、イベント会場は片づけ始めていました。飲み物や食べ物を出す場所にも、何も残っていない。来る途中で出会った人が、美味しいケーキを売っていると言って買ったものを見せてくれていたのですが、もう売り切れでした。

とはいえ、村に住む人が調理場の奥からシャンパンを探し出して出してくれました。私は寒いから飲みたくないと断ったので、ちょうど良かったみたい。半分くらいしかシャンパンが残っていないボトルだったのです。

ブログ内リンク:
最近のフランスはガラクタ市で村おこし? 2006/07/12
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事
お城だけれど、普通の老人ホーム 2006/09/03

外部リンク:
☆ Wikipedia: Vide-greniers Garage sale
チョリソとインゲン豆の煮込み:スペイン料理簡単レシピ集


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2017/07/02
春先の寒さで、伸び欠けていた木々の葉が黒くなって、お化けのような姿になっていたのですが、暖かくなったら元気を取り戻し、緑の世界になりました。でも、クルミも菩提樹も花は全く付けない。ベリー系の果実はいたって元気。

6月になってから猛暑になるというニュースが入ってきたら、友人たちは堪らないという顔をしていました。喜んでいたのは私だけ。真夏の服装でいられるような暑い日は年に何日もないので、私にはフランスの暑さは歓迎なのです。

でも、例年より少し早く来た今年の猛暑はかなり気温が上がっていました。

気温が上がって耐え難いのは、都会独特の暑さがあるパリ、それから近代的なコンクリート造りの家屋に住んでいる人たちだと思います。室内の温度は、日中には外と同じくらいになってしまうし、夜になっても温度は低くならないので。そういう所で生活する人たちは、フランスといってもクーラーが欲しいと思うかもしれないけれど、1年に何日くらい使うかな?...

私がいる所では、猛暑といっても、朝晩は寒いくらいに涼しいし、昔に建てられた石造りの家の中にいる限り過ごしやすいです。

私の家の石壁の厚さは1メートル足らず。外の温度が30度も過ぎると、さすがに家の中の温度も上がります。こういうとき、フランスでは窓の鎧戸を閉めて温度を遮断します。温度計で確認したら、鎧戸を閉めると室内の温度が4度下がっていました。

鎧戸を閉めれば涼しくなるのは良いのですが、家の中は真っ暗! 昼間から電気を付けて生活したくはない...。


過ぎ去ってしまえば、大した暑さではなかった

フランスでは記録的な猛暑が2003年にあり、大量の死者を出していました。2万人くらい?

その時、枯れ野原になってしまった牧場です ↓

2003年8月撮影

2003年の猛暑に比べたら、この6月のはそれほどには気温が上がらなかったように感じました。

でも、十数年たったおかげで、私の体力が落ちたかも知れない。暑さはどうということは無かったのですが、体が乾燥してくるのに参りました。

政府は1日に水を1.5リットル飲むようにというキャンペーンをしています。日本の蒸し暑さのようなものではないので、汗はかかないのです。それで、水を飲みたいとは思わないでいると、体が脱水症状になってくるというのが怖いところ。

冷蔵庫にたくさんオシボリをストックして顔を拭いたり、頭に乗せたりしていたのですが、そんなのでは脱水症状は抑えられないだろうと思って、1日に何回もシャワーを浴びることにしました。

本格的な夏になる前の猛暑のピークは、全国的に6月20日の前後1週間くらいだったようです。



このグラフは、気温ではなく、30度以上(赤)と35度以上(黒)になった地域のパーセンテージを示しています。つまり、35度を越えた地域はそんなに多くはない、ということですね。ただし、6月20日にはフランス全土の85%が30度以上になっていました。


私の自慢のミズナが枯れてしまった

私の記憶で最も暑かったのは、友人たちを昼食に招待した6月22日でした。

庭の北側にある納屋だった建物にある夏用のダイニングルームで食事したので、暑さはしのげました。日本にはうち水というのがあるのを思い出して、庭に水を撒くのに使っているホースを引っ張って来て、入り口のところの床に水を撒きました。

打ち水で、少し温度は下がった感じ。でも、体が乾燥していくのは感じる。

この日の食事の間に6回おしぼりを出しました。普通の時だと、おしぼりなんか必要ないという顔をするフランス人も多いのですが、こういう時には喜ばれます。大きなスープ鍋に保冷材を入れて、それにオシボリを入れて置いたので、いちいちキッチンの冷蔵庫まで取りに行かなくて便利でした。


友人たちを食事に招待したのは、庭で元気に育っている野菜や果物をおすそ分けするのが目的でした。



レタス、ミントなどを籠に入れて用意しました。それから、朝のうちに収穫しておいたフランボワーズ、果物で作った自家製のアイスクリームも保冷材を入れたバックに入れました。

この日、驚いたことを発見。庭で元気に育っていたミズナが全部枯れてしまっていたのでした。

種から育てたのですが、見事に葉を伸ばしていたのです。パセリ代わりに使えるし、変わった日本の野菜なので友人たちにも評判が良く、それもレタスと一緒にあげようと思っていたのに、哀れな姿になっていたのでがっかりしました。



水をあげていたのですが、この猛暑では足りなかったのかもしれない。あるいは、水菜というのはレタスのようにいつまでも生えているものではないのかな?...

枯れてしまうのが分かっていたら、全部収穫して、湯がいてから冷凍しておけば良かった...。


7月に入ったら、さむ~い!

暑さが去った翌日くらいはほっとしますが、どんどん気温が下がってきて、雨も降ったりして暗い。そうなると、また暑さが恋しくなる。最高気温が25度くらいは欲しいのです。数日したら、夏の天気に戻るという天気予報なので期待。

ニュースでは、政治家のSimone Veilシモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil)が亡くなったという報道が目立ちました。享年89歳。

ユダヤ人なので、戦時中には家族と共にアウシュビッツ収容所に送り込まれましたが、奇跡的に生還。

保健相時代に、猛反対を押し切って妊娠中絶を合法化(1975年)させるなど、女性の権利向上に取り組んだ功績で知られている女性です。平和構築が原点となった欧州連合(EU)の統合深化に尽力し、1979年には女性として初めて欧州議会議長に就いています。

お顔立ちからして、強い女性という感じ。

パリにフランスの偉人を葬るパンテオンがあるのですが、シモーヌ・ヴェイユを入れようという運動が起こっているそうです。遺族の反対があれば強制はできないので、入らないで済んだ人たちもいたのですが、彼女の場合は政治家だから入るかな...。

ブログ内リンク:
2003年の猛暑 2003/07/20
フランスの猛暑を乗り切る方法 2006/07/03
猛暑のとき、パリで涼しく過ごせる場所は? 2013/08/03
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
「日本のパセリ」という名で売られていた野菜 2009/09/20

外部リンク:
Bilan de la canicule de Juin
Fortes chaleurs Pompiers.fr
Plan national canicule 2017 - Vague de chaleur : des questions ?
Canicule Gouvernement.fr
フランスの象徴的存在、シモーヌ・ヴェイユ死す
シモーヌ・ベイユさんが死去 アウシュビッツの生存者


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2017/06/11
昼食の後、私が行ったことがないはずの城がマリニー・ル・カウエットという名前の村にあるので行ってみよう、と誘われました。

「マリニー・ル・カカウエット?」と私。

カカウエットというのは、フランス語でピーナツのことです。cacahuète、あるいはcacahouèteと綴ります。

村の方はMarigny-le-Cahouëtがスペルでした。

cahouëtはカウエと発音するのが正しいのかもしれません。ブルターニュ地方の言葉だそうなので、どうしてブルゴーニュ地方の地名になっているのか不思議。

調べてみたら、ブルトン(ブルターニュ語)で「森林で覆われた城(château boisé)」という意味があるのだそうです。昔、城主がブルターニュの人だったことがあったから、というのが謂れのようです。


人に声をかけて聞くのが一番♪

城は個人の所有で、一般公開はしていないらしい。それで村に到着しても、「城はこちら」のような標識は見えません。大きな城らしいので、風景から飛び出して屋根が見えても良さそうなのに、城らしき建物や庭園らしきものは全く見えません。

村を抜けてしまったので聞き返したら、道路に地元の人らしき男性がいたので、車を運転していた友人は窓を開けて声をかけました。

普段は道に迷っても通りがかりの人に聞くことはない人なので、この時は意外に思って少し驚きました。その前にレストランで食事をした後に散歩をしていた時に出会ったスイス人が、地元の人に聞くのが一番だと話していたからかもしれません。

そのときのことを書いた日記:
★ 運河の港にあったレストランで昼食 2017/06/08


城はどちらの方向か聞いたら教えてくれました。ついでに、見学できるかも聞いてみました。

城の外観は見れるけれど、内部は見学できないと言われました。城の正門の左に小さな入り口があって、そこから城を眺められるらしい。

教えられた方向に城の門がありました。城は全く見えない。しかも、左側に小さな入り口なんかはない! でも、「城を眺めるためには、かなり歩くけれど」と言われていたので、城の外壁の左側に沿ってできている舗装もされていない細い道を進んでみました。

すると、門を発見。でも、城の建物は全く見えない...。



右に見えるパネルに、入っても良いけれど、ここは私有地なのを意識してください、というようなことが書いてありました。普通は「私有地につき立ち入り禁止」と書いてあるのですけれど、ここは入って良いらしい。驚きました。

地元の人には声をかけて聞いてみるものなのですね。先ほど出会った男性から言われていなかったら、城を見つけたとしても門と木々しか見ないで立ち去るところでした。

来る途中にスマートフォンで眺めたサイトにあった立派な城が見えました。



ここが昔は城に入る跳ね橋だったところでしょうね。上から侵入してくる敵を攻める場所が出来ています。

堀に沿った外側には道ができているので、行けるところまで進むことにしました。

非常に大きなお城です。四方は完全に石垣か建物で囲われていました。その周りは堀がめぐっているので、これでは泥棒も入りにくいでしょうね。



外敵を寄せ付けない、典型的な中世の城の作り。上空から映した画像は、こちらに入っています。中庭だけでも広いのでした。

私の目にとまったのは、こちら ↓



中世の城にあるポットン・トイレ。それが4つも付いているのでした。私はなぜか、このラトリンヌと呼ぶトイレが好きなので、あると眺めてしまうのです。

ラトリンヌについては、こちらで書きました:
フランスの城で、これを見たことがありますか? ★クイズの解答 2005/07/20


お堀の回りをぐるりと歩きながら、城を外側から全部眺めることができてしまいました。こんな親切な城を見たのは初めて。建物の中には入れなくても、見学客から入場料を取る城もあるのです。




映画のロケに使われた城

城に入って撮影した画像や映像があるのではないかとインターネットで探したのですが、これしか見つかりませんでした。私たちと同じように外側から見学しただけの動画ですが、冬景色が見れるので埋め込んでおきます。


Château de Marigny Le Cahouët


この城は、幾つかの映画のロケで使われたそうです。特に有名なのは、1964年に公開された『Angélique, Marquise des anges(アンジェリク、天使たちの侯爵夫人』だと書いてありました。

 アンジェリク 完全版 1 天使たちの侯爵夫人

インターネットに入っている映画の予告編を眺めると、少しだけ遠くから臨めたギャラリーが映っている場面がありました。



外側からは、戦いのための中世の城にしか見えなかったのですが、城の敷地の中にいたら、堀の向こうに見学者が歩いているなんて全く気にならないでしょうね。

『アンジェリク』は小説を映画化したもので、何本か映画が作られていました。私は聞いたことがない映画だったのですが、フランス人にはよく知られているお話しのようです。

予告編を見ると、セクシーな女性の冒険物語のようで、拡張が高い文学作品には見えなかったのですけれど...。


bande annonce angelique marquise des anges

この映画のロケはあちこちの城でしたようなので、私が見たかった城の敷地内が映し出されたのは一部にすぎないようです。

ロシア語版なので何を言っているのか私にはさっぱり分かりませんが、城の中庭がもっとよく見える動画もありました:
Анжелика, маркиза ангелов Часть 1/ 3

ギャラリーを支えている柱には彫刻もあって、立派なのですね。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: サニタリーに関して (トイレ、浴室、洗濯、衛生)
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビ番組

外部リンク:
Le château - Commune de Marigny-le-Cahouët
☆ Wikipédia: Angélique, Marquise des anges
☆ Wikipedia: Angélique (série littéraire) » アンジェリク (小説)
☆ Dictionnaire Visuel: Château fort


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2017/05/12
少し前から書いている、ディジョン市(ブルゴーニュ地方)にあるノートルダム教会の外壁にある彫刻の続きです。

シリーズ記事目次 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン?目次へ
その4


願いごとをしながら左手でフクロウの彫刻を撫でたとき、すぐそばに変なものが待ち構えているというお話し。下の写真で、赤い矢印を付けた部分にある小さな彫刻です。



この小さなモンスターに願いごとを食べられてしまわないように気を付けるというものなのですが、ステンドグラスの窓枠に彫られている小さな動物は何か?...


サラマンダーではなくて、ドラゴン?



私は、ずっとサラマンダー(salamandre)と呼んでいました。サラマンダーなどというのは私には無縁の動物でしたから、自分で連想したはずはありません。日本人にディジョンの町を案内してもらったことはないので、誰かディジョンに住む友達か、ブルゴーニュ大学がオーガナイズした見学のときか何かで教えてくれたのだろうと思います。サラマンドルというフランス語も、そのときに覚えたはず。


伝説上のサラマンダー(salamandra)とは何か?

Wikipediaでは、次のように説明していました:

四大精霊のうち、火を司る精霊・妖精(elementals)。 手に乗る位の小さなトカゲもしくはドラゴンのような姿をしており、燃える炎の中や溶岩の中に住んでいる。
サラマンダー (妖精)


でも、これを書きながら友人に話したら、あれがサラマンダーのはずはない、と断言されたのです。ドラゴン(dragon)だと言うのです。

インターネットでフランス情報を調べていたら、ドラゴンとしている人もいたのですが、サラマンダーとしている人の方が多いように感じたのですけれど...。


実在のサラマンダー

両生類有尾目のサラマンダーは、フランスにも生息しているので、それとは違うということ?

気持ち悪いので小さな画像で入れますが、こういう4つ足の動物。平気な方は画像をクリックして拡大画像をご覧ください。

Salamandra salamandra 

確かに、ノートルダム教会の壁に彫られている小さなモンスターとはかなり違う...。

伝説のサラマンダーならまだしも、本物に似ていたら気持ち悪いと思うのですけれど、好きな方もいらっしゃるのかな?...





フランソワ1世のサラマンダー

サラマンダーと聞いたら、フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーを私は思い浮かべます。ノートルダム教会の壁に潜んでいるのとは向いている方向が逆なだけで、よく似ているではありませんか?




耳のようなものが付いているのまで同じですよ~。

でも、鼻のところが違う、と言う友達がいました。



サラマンダーの鼻ずらは、ノッペリしているものだと言うのです。

フランソワ1世のサラマンダーの左右を逆転させた画像で検証してみると、違うかな?... 鼻の部分に注目すると、ノートルダム教会のモンスターは竜に見えてくる...。



口から火を噴いているように見えるところが同じでは?... と言ったら、サラマンダーの場合は、口から出ているのは舌で、火は体の回りに描かれている、とのこと。


だんだん、ドラゴンと呼ぶべきかな、と思えてきました。

ノートルダム教会の彫刻はサラマンダーではない、というのには理があるかなと思えたのは、時代的な問題です。

ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半でした。モンスターがいる外壁の部分は、14世紀か15世紀に増築された礼拝堂の部分で、そのときに彫られたのだとしても、サラマンダーをエンブレムにしたフランソワ1世より前の時代なのです。

フランソワ1世(François Ier de France 1494~1547)がフランス国王だったのは、1515年から47年まででした。


ドラゴンとは、なに?

小さなモンスターはドラゴン(dragon)だったとして、はて、ドラゴンってどんな動物だったっけ?

フランス国立図書館で行われた中世の動物に関する展示会「Bestiaire du Moyen Âge」のサイトに入っているドラゴンの絵のコーナーを眺めてみました。絵をクリックすると拡大画像と説明が出ます。


聖ゲオルギオスは竜の退治で名高いので、この聖人の絵にはドラゴンが一緒に描かれます。

Paolo Uccello 047b.jpg
Vouivre représentée dans Saint Georges et le dragon de Paolo Ucello, 1450


ドラゴンには背中に羽を付けた形のイメージなのではないか、としつこく思うのだけれど...。


そっくりの動物を見つけた

ディジョンのノートルダム教会が建てられた時代のモンスターの画像を探していたら、目を引くものが見つかりました。

ノルマン・コンクエストを描いた「バイユーのタペストリー」に入っている画面です。



ヘイスティングズの戦い(1066年)でのハロルド2世の死を描いた画面。イングランド軍の軍旗なのですが、アップすると、こちら:


A dragon (known later in heraldry as a wyvern) which appears twice in the death scene of King Harold II on the Bayeux Tapestry depicting the Battle of Hastings in 1066.


よく見ると、背中には羽のようなものが付いているようにも見えますね。イギリスの紋章に「ワイバーン」と呼ばれるドラゴンがあるのですが、それの前身らしい。つまり、この軍旗はサラマンダーのようにも見えますが、ドラゴンなわけなのでした。

ワイバーン
Héraldique meuble Dragon (wyvern)
Dragon héraldique (ou Wyvern)
ウェールズの旗
ウェールズの旗


「ワイバーン」というのは、フランス語ではvouivre。中世にはブルゴーニュでは好んで使われたモチーフのようなのでした。インターネットで出てきた情報の中には、ディジョンのフクロウの傍にいる動物に「vouivre」という単語を使っている人もいました。私も知ったかぶりでそうフランス人に言うことにしようかと思ったのですが、ヴーイヴルなんていう発音はすぐに忘れてしまいそう...。

どっちみち、伝説上の動物。ディジョンのノートルダム教会に潜んでいる小さなモンスターは、サラマンダーでも、ドラゴンでも、どちらでも良いのですが、今後はドラゴンと呼ぼうかと思います。何人かのフランス人の友達に画像を見せて聞いてみたら、みんなドラゴンと呼んでいたので。


シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次


ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの古都ディジョンの観光スポットや特産品など
やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06
★ 目次: 縁起物や迷信について書いた記事 (フランスを中心に)
★ 目次: ブルゴーニュの歴史

外部リンク:
Wikipedia: サラマンダー | ファイアサラマンダー | サラマンダー (妖精)
Wikipédia(仏語): Salamandre (amphibien)| Salamandre (animal légendaire)
Dijon, capitale de la Bourgogne
☆ BnF: La tempérante salamandre aux origines de la devise de François Ier
☆ Wikipedia: ドラゴン » Dragon européen
☆ Wikipedia: ワイバーン »  Wyvern »  Vouivre
la tapisserie de Bayeux, naissance de l’héraldique
L'étrange mort du Roi Harold II
Wikipedia: List of English flags Historical flags / National flags and ensigns
知っておきたい伝説の英雄とモンスター (閲覧回数制限あり)


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2017/05/04
ブルゴーニュ公国の都だったディジョンの町に来た人なら、必ず訪れるはずの観光スポットがあります。


シリーズ記事目次 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン?目次へ
その3



ディジョンのノートルダム教会とフクロウ」に書いたように、旧市街の中心部にあるフクロウの彫刻を見に行くのが観光コース。

これを左手で触りながら願いごとをすると、その願いが叶うと言われているのです。

頭に耳のように見える羽があるので、これは本当はフクロウではなくてミミズクだ、と最近になって発見されたのですが、それは重要ではありません。

ともかく、このすり減った彫刻を、左手で触るというのが重要なのです!


このディジョン名物のフクロウは、ノートルダム教会の正面に立って左側にある道を入って少しのところで出会えます。



フクロウはフランス語で「シュエット(chouette)」なので、この通りの名前はRue de la Chouetteシュエット通り)。

教会の祭壇はメッカの方向、つまり東を向いています。ですから、このシュエット通りは教会の北側に回る道となります。


フクロウを左手で撫ぜなければいけない理由

幸運をもたらしてくれるとされるフクロウ。ただし、左手で撫でるということになっています。

右手でするとご利益がないと言われている理由の1つは、フクロウのすぐそばには、変なものが待ち構えているから、とも言われます。

下の写真で、赤い矢印を付けた部分にある小さな彫刻です。



フクロウは左手で撫ぜながら願いごとをしないと、そばに潜んでいる小さなモンスターが願いごとを食べられてしまう、ということなのです。フクロウを右手で触るとモンスターの方を向いてしまいますが、左手をあげれば背を向けることになるので安全、というわけ。


悪さをする小さなモンスターは、サラマンダー? ドラゴン?

願いごとを食べてしまうと言われる彫刻をアップで入れます。



何に見えますか?

ドラゴン(dragon)だと言う地元の人たちもいますが、私はずっとサラマンドル(salamandre)と呼んでいます。想像上の動物だから、どちらでも良いので、とりあえず、ここではサラマンダーとしておきます。

サラマンダーだとしたら、気になることがあるのです。


◆ フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーは逆を向いている

フランソワ1世のサラマンダーは、どちらを見ている?」で書いたように、火をつかさどるとされている伝説上の動物です。

フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーは、これ。

Nutrisco et extinguo Salamandre de François I 


ディジョンのノートルダム教会の外壁に彫られているモンスターがサラマンダーだとしたら、フランソワ1世のシンボルのサラマンダーとは逆の方向を向いているのです。

紋章は言葉で全てを言い表せるように決まりがあるのですが、フランソワ1世の紋章にあるサラマンダーは「左を向いている」と表現されていました。紋章学では、盾を持った人から見た左右で表現する法則があるので逆になるわけです。

ディジョンのモンスターは紋章ではないのだから、これは左を向いていることになる?


右か左かを考えると、いつも頭が混乱してくる私...。

日本から来た友人を案内したとき、サラマンダーに願いごとを食べられないように気を付けてと言ったら、今まで私は気にしていなかったことを指摘されました。

「でも、サラマンダーは、そっぽを向いているよ」

確かに、その通りなのでした。サラマンダーだかドラゴンだかの体はフクロウの方を向いていますが、首をひねっていて、頭は全く逆の方を向いているのでした。

右手でフクロウを撫ぜると、サラマンダーと目が合ってしまうからダメだと聞いていたように思うのですが、そっぽを向いているのだから目が合うはずはない!

とすると、フクロウを撫ぜた後にサラマンダーの前を通りすぎると、その時に願い事を食べられてしまうというわけですね。後ろから狙われるというのは薄気味悪い...。

フランソワ1世のシンボルのサラマンダーと同じ方向を向かせておいたら、フクロウと、そこに立って願いごとをしている人を振り返っている姿なので自然なのですけど...。


ところで、ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半。フクロウの彫刻がある部分は、ディジョンの裕福な商人だったシャンベラン家の礼拝室の外壁で、それは15世紀に作られたとみられています。

ディジョンのモンスターは、フランソワ1世(在位 1515年~47年)より前の時代なのでしょうから、どちらを向いているかは気にしないことにしました。


◆ 左右どちらの手でフクロウに触るかより、歩く方向がポイントでは?

フクロウに願いごとをするときは、左側の手をあげて、サラマンダーだかドラゴンだか分からない小さなモンスターには世を向けるのがポイントです。

願いごとをするときに左手を使うというのも縁起担ぎなのでしょうが、意地悪なモンスターのことを考えると、シュエット通りを歩く方向の方が大事に思えてきました。

教会の裏側からシュエット通りを進めば、モンスターの前を通り過ぎ、フクロウを左手で撫ぜながら願いごとをし、それから歩みを進めて教会の正面に出ることになります。モンスターはそっぽを向いているわけですから、フクロウに手をかけている人も見ていないわけです。



つまり、教会の入り口がある西側からシュエット通りを歩くのではなくて、地図に入れた赤い矢印の方向から歩く。


ストリートヴューで確認。教会の左手の路地を入ります。



彫刻がどのあたりにあるか分かっていないと見つけにくいですが、フクロウとサラマンダーがいる地点は、こちらです


観光ガイドブックなどでは、たいていはフクロウを左手で撫ぜなければいけないということだけを強調しています。地元の人たちでも、隅っこに小さな彫刻があることを知っているのは少数ではないかという気もします。

ディジョン市では、地面にはフクロウの絵を描いたプレートを埋め込んでいて、それをたどっていけば主な観光スポットを見て回れるようにしています。でも、ノートルダム教会とフクロウを見るコースでは、願い事をした後に小さなモンスターの前を通るという矢印の方向にしていたのに気が付きました。



ディジョン市のツーリストオフィスでは「ふうろうの観光コース(Parcours de la Chouette)」という小冊子を作っていますが、教会の正面からシュエット通りに回り込むコースにしていたはず。

日本語が入っている地図があったので(こちら)見てみましたが、ディジョン駅の方から歩き始めるように番号が振ってあって、ストリートビューに入れたように、ノートルダム教会の左手からシュエット通りに入るようにしていますね。




悪戯をする小さなモンスターの話しをディジョンっ子の友達に話したら、ドラゴンに決まっている、と言われました。

インターネットで情報を検索すると、ドラゴンと呼んでいる人よりも、サラマンダーと呼んでいる人の方が多かったのですけれど...。

サラマンダーが右を向いているか、左を向いているかを気にしていたのですが、新たな疑問が生まれてしまました。

同じく幻獣のドラゴンとは何か?

中世に描かれたドラゴンの画像を眺めて、ノートルダム教会に潜んでいる小さなモンスターはどちらなのかを考えてみたいと思います。


続き:
この小さなモンスターは、サラマンダー? ドラゴン?

シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次


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2017/05/02
中世に栄えたブルゴーニュ公国時代に都だったディジョン市(Dijon)には、昔にタイムスリップした感覚になる美しい旧市街が残っています。

路地に入り込んだりして散策すると楽しいのですが、主な観光スポットだけ見ることにした場合に見るのは、ブルゴーニュ公国時代の宮殿(Palais des ducs de Bourgogne)と、そこに近いところにあるノートルダム教会(Église Notre-Dame de Dijon)のあたりでしょうね。

宮殿の塔の上からディジョン市の北側を見た眺め。中央に高くそびえているのはノートルダム教会の尖塔です。

Panorama du nord de Dijon vu depuis la Tour Philippe le Bon, avec en premier plan l'église Notre-Dame de Dijon.


ノートルダム教会に祭られているマリア像がおこした奇跡

昔のディジョンには、教会の鐘楼が百もあったと言われます。今ではそんなにたくさんは教会が残ってはいないのですが、見学する価値が最もあるのはノートルダム教会かもしれません。少なくとも、ガイドさんは話すことには事欠かない。

この教会の正面に立つと、本来は雨どいのはずのガーゴイルがたくさん付いているので目をひかれます。それについては、ブログですでに書いていました:
クイズ: なぜガーゴイルがたくさんあるのか? 2006/10/23


ノートルダムとは、我らの婦人の意味で、つまり聖母マリアを祭っている教会です。このノートルダム教会に祭られているのはマリア様なのですが、少し変わっています。

Notre-Dame Dijon Vierge noire
La statue de Notre-Dame de Bon-Espoir

11世紀か12世紀に作られた像で、フランスにあるマリア像の中でも最も古いものに数えられるそうです。

もともとは幼子のイエスを抱いたマリア像でした。18世紀にマリアの両腕は無くなってしまい、フランス革命のときにイエスも消えてしまいました。それで衣を着せたりもしているわけです。

マリアの顔は、ほぼ完全に昔のままで残っているのだそうです。もっとも、始めは普通の肌色だったのに、16世紀か17世紀に黒く塗られました。20世紀になってから顔色を元に戻しています。それでも少し色の黒い顔なのですが、「Vierge noire(黒い聖母)」とは呼べないのだそう。

ここの聖母マリアは「Notre-Dame de Bon-Espoir」と呼ばれます。良き希望のノートルダム、とでも訳しますか?

ディジョンに住む人たちは、このマリア像に思い入れがあると感じていました。ディジョンの町が敵から解放された奇跡が2度起こした、というお話しからなのかもしれません。

1回目は、1513年スイス軍に包囲されて絶望的な状態になったとき(Siège de Dijon)。9月11日、ディジョンの人々がマリア像を掲げた礼拝行進したら、その2日後にスイス軍たちは何だか分からないけれど引き上げて行ったそうです。

2回目は、第二次大戦中の1944年。ドイツ軍に占領されていたディジョンを守ってくれるようにと、9月10日のミサでディジョン司教がマリア様に祈ったら、その日の夜から翌日(つまり、1513年に礼拝行列をした日)にかけてドイツ軍が出て行った。

つまり、ディジョンにとって9月11日は縁起の良い日? なぜ2度とも9月だったのかな?... この時期はブドウの収穫の準備で大切な時期、という関連くらいしか私には思いつかない...。


こういう話しには興味をひかれない観光客も多いかもしれません。私も昔に聞いたことがあったのでしょうが、すっかり忘れていたので書き出してみました。

ここには誰もが喜ぶ観光スポットがあります!


ノートルダム教会の外壁にあるフクロウの彫刻

歴史的なことよりも、ちょっと面白い逸話があったりするとツーリストに喜んでもらえるので良いわけなのですが、ここにはそれがあるのです。

教会の祭壇はメッカの方向、つまり東を向いていますから、観光スポットは教会の北側に回る道にあります。そこにあるフクロウの彫刻に左手をかざして願いごとをすると叶う、と言われるのです。



ガイドさんつきのツアーでは、必ずここに行くでしょうね。でも、地元の人たちも昔からフクロウを撫ぜています。それで石壁に彫られているフクロウは、ツルツルになっています。


シュエット通り

フクロウはフランス語でシュエット。フクロウの彫刻がある通りだから、ここは「シュエット通り」という名前になっています。

Dijon - rue de la Chouette

でも、通りの名前は、ずっと同じだったわけではないのでした。

始めはフクロウにちなんで「Rue de la chouette(シュエット通り)」だったのですが、ノートルダム教会の横の道なのだからというので、「Rue Notre-Dame(ノートルダム通り)」になりました。

その後の通りの名前は、革命家のグラキュース・バブーフ(Gracchus Babeuf 1760~97年)の名前を付けられたり、パリ・コミューンに参加して革命歌『インターナショナル』を作詞した詩人ウジェーヌ・ポティエの名前が付けられたりしていました。

1957年から「シュエット通り」に戻ったのだそうです。

フクロウは、フランス語でシュエット(chouette)。この細い石畳の道が「シュエット通り(Rue de la Chouette)」と呼ばれるのは、これに由来しています。


21世紀になったら...

2001年1月5日に事件がおきました。

ディジョンっ子たちが愛しているフクロウが、何者かによってハンマーで傷つけられたのが発見されたのです。地元の新聞では1面に大きく取り上げて大騒ぎ。お正月気分が抜けていない静かな朝、ニュースに驚いた記憶がまだ生々しいのですが、もう10数年も前のことでした。

そのことを書いた記事:
ディジョンの名物フクロウ 2012/09/08

フクロウに願いごとをしたのに聞き届けられなかった人が腹いせにやったのでしょうか? 結局、犯人は見つからず。でも、フクロウの彫刻は忠実に復元されました。


つい最近、2014年のこと。またまた地元で騒がれたニュースが飛び出しました。

chouette(シュエット)、つまりフクロウとして昔から親しまれていたのですが、実はミミズクだった、というもの。

ハンマーで叩かれる前に撮影されていた絵葉書の画像を入れます。



耳があるように見えますよね? こんな風に耳のように見える羽が頭にあるフクロウは世界中に存在しないそうで、この特徴からミミズクの彫刻だと判定できるのだそうです。

その時のことを書いた記事:
ディジョン名物はフクロウだと思っていたら、ミミズクだった? 2014/08/18


このニュースは、地元の新聞社にとってはスクープだったのでしょうが、住民たちは無視した感じもあります。いまさらミミズクと言われたって、というところでしょうか?

ミミズクなら「hibou(イブー)」と呼ばなければいけないのですが、通りの名前も変わらないし、みんなも相変わらず「シュエット」と呼んでいます。

ミミズクやフクロウの絵は紋章にも使われるのですが、この2つは昔から混同されることが多かったようです。

それに、ブルゴーニュの人たちにとって、ミミズクでも良いではないか、という気持ちもあるのかもしれません。

ブルゴーニュ公たちのことをDucと呼ぶのですが、それにgrand(偉大な)と加えた名前がついたミミズクがいるのです。


Hibou grand-duc(学名 Bubo bubo)

ブルゴーニュでは絶滅の危機になっている貴重なミミズクの種類なのですが、日本語ではワシミミズクと呼ぶようです。とすると、「大公」ということで同じだ、という理屈にはなりませんね。


なぜ、そこにフクロウがいる?

フクロウの彫刻には地元の人たちの思い入れが強いので、なぜフクロウがいるのかには数々の推測がなされています。

フクロウは、愛される鳥ではなかったはずなのです。迷信深かった昔は、フクロウは凶兆のシンボルとされていて、悪運払いのために納屋のドアに釘打ちされていたそうです。

ところで、このノートルダム教会がある辺りは、中世には庶民たちの家が建っている地域でした。当時の庶民の家の壁は木で出来ていたので、頻繁に大火事がおこったようです。フクロウは屋根裏部屋に住んでいたので、夜に火がおこると危険を知らせた、とも言われます。

1137年6月には、ディジョンの町が全焼する大火が起こっていました。ノートルダム教会が建てられたのは、その百年後ですが、まだ大火の記憶は残っていたでしょうね。


ここにフクロウがいる理由には、こんなものがあります。

フクロウは夜の鳥。そして、この彫刻のフクロウは教会の北側の壁を支える柱にあります。北側、夜、ということで、このフクロウはキリスト教徒にとって闇の存在であるユダヤ人のシンボルだったとする説があります。

教会のあたりには市が立ったので、中世には金銭の商売をすることだけが許されていたユダヤ人たちがここに店を開いた?...

そうかと思えば、このフクロウはキリストを象徴しているとする人もいます。神は暗闇にいる人間も愛したから、というわけ。

さらにキリスト教以前のパガニスムを持ち出して、ギリシア神話に登場する知恵の女神アテナのシンボルだという説もあります。ゴシック様式のこの教会が建設される間、女神様が守ってくれた、というわけ。

そういえば、アテナは梟(グラウクス)に関連づけられていましたね。


アテナ-フクロウとアテナ-ペガサス 2 の硬貨、ギリシャの神および女神コイン コレクション


地元ディジョンの歴史家Eugène Fyot(1866-1937年)は、この教会の設計監督者の一人がChouetとという名前だったから、自分のサイン代わりにフクロウ(chouette)を彫った、という仮説を出したのだそう。

中世に建てられた建物には、人物や動物など色々と不可解な彫刻が施されているので、それが何の意味を持つのかを考えていたらきりがありません。


シャンベラン家の礼拝堂の外壁にフクロウがいる?

ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半。フクロウの彫刻があるのは、ディジョンの裕福な商人だったシャンベラン家の礼拝室の外壁の部分で、その礼拝室は15世紀に作られたとみられています。

教会の中にあるチャペルの部分なのですが、礼拝堂と言えば良いでしょうか? 教会側廊に作られている個室のような空間です。おそらく、裕福な人たちがプライベートな礼拝空間として持てたのでしょうね。

シャンベラン家では、礼拝堂を作ったのと同じ時期に、ディジョンの中心地にフランボワイアン(火焔式)ゴシック様式の見事な館(Hôtel Chambellan)を住居として建てています。

その館にも面白い彫刻があるのです。



赤枠を入れた部分をご覧ください。螺旋階段になっている塔の入り口に、階段を登ろうとしているエスカルゴが3匹いるかのように彫刻されているのです。



螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます! 館を建てさせたアンリ・シャンベランは1490年から93年までディジョン市長を務めたそうですが、遊び心があったのかな?...

この階段を登りつめたところの天井には、あっと驚くほど見事な彫刻が施されています(Wikipediaに入っている画像)。庭師が背負った籠螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます!植物が伸びて天井一面に広がっているという図。


フクロウに左手をかざして願いごとをしなければいけない理由

それについて書きだしたのですが、前置きが長くなってしまいました。

フクロウの近くにある、目立たない小さな彫刻が願いごとを食べてしまわないように左手を使わなければならないと言われるのですが、そこにも謎があるのです。それについて、次回に書きます。


続き:
ディジョンの観光スポット「シュエット通り」の歩き方

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★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: エスカルゴについて書いた記事

外部リンク:
Découvrez l'histoire urbaine de Dijon et son évolution
☆ Wikipédia: Ville aux cent clochers
☆ Wikipedia: Duché de Bourgogne » ブルゴーニュ公国
☆ Wikipédia: Église Notre-Dame de Dijon
Thèses et anti-thèses sur la chouette de Dijon
La chouette de Dijon : mythes et légendes
Héraldie: Le hibou et la chouette en héraldique
パリ・コミューンの詩人たち──ウジューヌ・ポティエ
『インタナショナル』日本語訳


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2017/04/27
サラマンダーと呼ぶ伝説の動物がいます。
イモリかトカゲかという薄気味悪い姿。大きく描けばドラゴンにも見える。


14世紀に描かれたサラマンダー 『Bestiaire(動物寓意譚)』より



日本ではサンショウウオとも呼ばれるそうです。

でも、山椒魚は、ヨーロッパ大陸に生息しているファイアサラマンダー(Salamandra salamandra)とは異なる動物でした。


フランス語ではsalamandre(サラマンドル)で、聞いたことがある動物の名前なのですが、本当にフランスに生息しているのだとは思っていなかった。

分布図からして、奇妙な姿に見えてしまう...。



実際のサラマンダーはもっと薄気味悪いのですが、地図をクリックすると画像が入ったWikipediaのページが開きます。


火の精とされるサラマンダー

地、水、風、火を自然の力として四大精霊あるいは四大元素とすると、サラマンダーは火の精とされていました。

不思議な動物のようなのです。危険が迫ればサマンダリン (Samandarin)という毒を出すことができる。それから、 野原が火事になったときには湿った地面に潜り、粘液で火傷を防ぐことができるようで、火が収まった時には地面から這い出てくるのを人間が見ると驚くらしい。


François Ier vers 1530 par Jean Clouetサラマンダーと言えば、フランソワ1世

この動物を知ったのは、16世紀全般のフランスを統治したフランソワ1世(François Ier de France 在位 1515年~47年)のエンブレムだからです。

彼の治世には美術や文芸が発展し、フランス・ルネサンス期を代表する国王とみなされています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は、1516年にフランソワ1世に招かれ、アンボワーズ城近くのクルーの館が邸宅として与えられて晩年を過ごしました。

歴代の国王の中で、フランス人には人気がある王様なのだと聞いたことがあります。


このフランソワ1世の紋章がサラマンダーなのです。

CoA François Ier de Valois Salamandre galerie françois premier chateau fontainebleau


サラマンダーは、古代ヨーロッパでは火の中で生きることができる生物だと考えられていたそうです。体温があまりに冷たいために火を寄せ付けず、火を消し去ってしまう。

そのサラマンダーをエンブレムにしているフランソワ1世の金言は、ラテン語でNutrisco et extinguo

フランス語にすると、こうなるのだそう:
Je nourris (le bon feu) et j'éteins le mauvais.

私は(良き火を)養い、悪を消す。

王様のモットーとしては正義の味方のようで良いですね。


フランソワ1世のサラマンダーは、どっちを向いている?

例によって、私はつまらないことが気になりました。

サラマンダーが振り返っているような姿なのは、自分の体に水なり粘液なりをかけているという姿なのでしょうか? それは調べないことにしたのですが、振り返っている方向が気になりました。

フランソワ1世が生きていた時代にまつわる城などにはサラマンダーの彫刻がたくさんあるのですが、だいたいにおいてサラマンダーの頭は左側にあり、右の方を振り返っています。

ロワール川の城めぐりで有名な地方に、彼の城だった美しいアゼ=ル=リドー城(Château d'Azay-le-Rideau 建築 1518年~)がありますが、そこの壁にもサラマンダーの彫刻が残っています。

Nutrisco et extinguo Salamandre de François I
La salamandre de François Ier et sa devise : « Nutrisco et extinguo » (Château d'Azay-le-Rideau)


同じ地域にあるシャンボール城(Château de Chambord)にも、天井には頭文字のFと、サラマンダーの彫刻がたくさん施されています。

Salamandre de François Ier

このシャンボール城の格天井にある彫刻をもっと多く写している画像がこちらにあるのですが、みな同じ方向に頭を向けています。つまり、向かって右側。


探してみたら、左側に顔を向けているサラマンダーがないわけではありませんでした。

下はパリ市に近いところにある教会Église Saint-Georges de Belloy-en-Franceの壁面にあるサラマンダーの彫刻。

Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandre
Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandre


これは西側にある扉口で、半円形のティンパヌムの右側にある三角小間の部分にサラマンダーの彫刻があります。


左側の部分にもサラマンダーがいて、対になっていたのだとしたら自然な構図。左側の部分の画像はこちらなのですが、彫刻が消えてしまっていて見えない...。たぶん「F」なのではないかと想像するのですけれど。


先ほどのフランソワ1世のラテン語の金言を入れた画像があるので眺めてみたら、こちらは逆の方向を見ていました。でも、フランソワ1世が亡くなってから出版された本のようなので、これは例外には数えられないかな...。


Paolo Giovio, Dialogo dell'imprese militari e amorose (1556)



ディジョンのサラマンダーは何をしようとしているのか?

サラマンダーはどちらを向くものなのかと気になったのは、ブルゴーニュ地方のディジョン市にある古い教会の外壁に彫られているサラマンダーは、向かって左側に顔を向けているからです。



この教会が建てられた頃のブルゴーニュはフランス王国にはなっていなかったので、これはフランソワ1世とは無関係なはず。

でも、この小さなサラマンダーが悪さをすると言い伝えられているので、首をどちらに向いているかが私は気になるのです。

ディジョンの観光スポットの中心地域にありながら、存在を知っている人が少ないこのサラマンダーについて続きで書きます。


シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次




追記:

サラマンダーがどちらを向いているのかが気になっているわけなのですが、後ろを振り返ってはいないものが描かれている紋章を見たことがあるのを思い出して探してみたら、市町村の紋章として出てきました。

トカゲも紋章になっていた

Blason Coaraze
Coaraze(コアラーズ)村
Blason de Flagey-lès-Auxonne

似ているのですけれど、これはトカゲなのでした!

右側の紋章のデザインでは、トカゲの尻尾が切れています。切れていないトカゲのデザインもあるのですけど。



紋章のサラマンダーは、実は左を向いている

サラマンダーはフランソワ1世の紋章だけではなくて、幾つもの市町村の紋章でも使われています。でも、サラマンダーなら、トカゲとは違って振り返っている姿でないといけないようです。

Blason ville fr Brûlon (Sarthe)
Brûlon
De gueules à la salamandre d'or dans sa patience du même, au chef d'argent chargé d'une crosse de sable mouvant du trait du chef.
Blason ville fr Vitry-le-François
Vitry-le-François
D’azur à une salamandre d’or, la tête contournée et couronnée de même, couchée dans un bûcher ardent de gueules ; au chef d’azur soutenu d’or et chargé de trois fleurs de lys de même.


紋章学では、紋章は言葉で表現できることになっています。サラマンダーの紋章の表現を見てみました。頭が右の方を見ているというのは「tête contournée」と表現しています。動物が左側(シニスター)を向いている場合にそういうのだそう。下弦の月の形にするのも同じ表現。

盾を持ったときのポジションで見てみて(つまり、裏側から見て)、紋章のどちら側に向いているかによるので、右と左が逆になる。左だったらsenestre(シニスター)で、右だったらdextre(デキシター)。

シニスターというのは、ヨーロッパ文化では不吉な方向とされますよね。紋章のサラマンダーは、悪い方向を見て毒を放っている?...



Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandreとすると、上に入れた教会の入り口で逆を向いているフランソワ1世のサラマンダーの彫刻はどうしてくれる?

でも、教会に入ろうとするとき、右側にいるのですよね。それで反対側に顔を向けているということは、やはり左を威嚇していることになる。

あるいは、右と左をよく間違える私のような職人が作ってしまった? ... プロなのだから、そういうのはあり得ないだろうな...。

ブログ内リンク:
★ 目次: 右と左の違いが気になる
ロマネスク教会 (4) : 右は天国、左は地獄 2008/05/03

外部リンク:
【Wikipedia】
☆ ファイアサラマンダー > 人間との関係
四大精霊 | サラマンダー (妖精) 
Salamandre (animal légendaire) | Category:Salamanders in art

☆ BnF: La tempérante salamandre aux origines de la devise de François Ier
La marque de la Salamandre à la bibliothèque de droit d’Aix
☆ Wikipedia: category / Portail occidental de l'église Saint-Georges de Belloy-en-France
ルネサンスのセレブたち: トカゲと公爵
Top 10 des personnages français historiques préférés des Français
Le petit bout de la queue (du Diable) / Coaraze
☆ Au Blason des Armoiries: Contourné
中世ヨーロッパの風景 「紋章について」


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2017/04/24
大統領選挙が4月23日(日)に行われ、その日の夜8時からテレビでは結果の発表を始めました。

2017年大統領選挙の第1回投票結果

過半数の獲得者はいなかったので、5月7日(日)に決選投票が行われることになりました。上位の2人となった中道・無所属(En Marche !)のエマニュエル・マクロン氏と、極右政党の国民戦線(FN)の党首マリー・ル・ペン氏のいずれかが大統領になります。

いつ順番が入れ替わってもおかしくない接戦となった上位4位の候補者の名前は、全部「ン」で終わっています。
  1. マルロン (Macron)
  2. ル・ペン (Le Pen)
  3. フィヨン (Fillon)
  4. メランション (Mélenchon)
3人は「on」で終わっているれど、ル・ペンは「en」で終わっているので、フランス人の感覚では同列にはできないらしいのですけれど。

なんだが、「ン...」と首を傾げてしまう投票結果。

フランスの2大政党だった共和党(右派)と社会党(左派)は、いずれも決戦投票に候補者を出すことができなかったのです。これは、第五共和政の歴史上初めてのことなのだそう。

上位4人の得票率は19~24%という接戦だったのですが、その後とは大きな差が開いていました。社会党からの候補者だったアモン氏は、6%で第5位という惨敗。5年の任期を終える大統領のオランド氏は社会党らしからぬ政治をしたし、余りにも無能だったので、昔からいた社会党支持者たちは政党そのものに愛想をつかしてしまったようです。


第1回投票で、誰に投票した人が最も多かったかを県別に示した地図がありました。

Emmanuel Macron par Claude Truong-Ngoc avril 2015.jpgEmmanuel Macron
(EM)
24,01 %
Le Pen, Marine-9586 (cropped).jpgMarine Le Pen
(FN)
21,30 %
François Fillon 2010.jpgFrançois Fillon
(LR)
20,01 %
Jean-Luc Mélenchon 2017.jpgJean-Luc Mélenchon
(FI)
19,58 %
☆ 日本語バージョン:【図解】仏大統領選、県別の首位候補者 (AFP)


得票のパーセンテージではマクロン氏(黄色)がトップだったのですが、色分けした地図を眺めると、ル・ペン氏(灰色)の方が多そうに見えてしまいませんか?


誰に投票したかが見えるフランスの制度

大統領選挙になる度に、面白いと思うことがあります。上に入れた地図は県単位で分析したものですが、コミューン(市町村)ごとに、どの候補者に何人が投票したかを公表する政府のサイトがあるのです。

フランスには人口が50人にも満たないような村がたくさんあります。投票者が10人以下だったら、ほとんど名前を明かしてしまうような感じになってしまうではないですか?

人口が非常に少ない村として、マジャストルという山の中にある過疎村の場合を見てみます。
この村の今回の投票結果は、こちら

僻地では極右政党の支持者が多いのが普通なのですが、この村こは急進的な考え方をする人が多いらしい。メランションに投票した人が最も多くて、5人。フィヨンに4人、マクロンに3人と続いています。極右のル・ペンに投票した人が、たった1人いました。村の住民だったら、極右政党に投票したのはアイツだろう、なんて分かってしまうのでは?...


フランスはどうなるのか...

大統領選挙で盛り上がっているフランス。国のトップを国民が選べるのは羨ましい気がします。世論調査が出す政治家の支持率などはいくらでも数字を操作できるでしょうが、国民投票数を大幅にごまかすのはかなり難しいはずなので。

決選となれば誰でも慎重になって極右政権に投票する人は少ないでしょうから、中道派のマクロン氏が圧勝するだろうとみられています。私は二人とも好きではないのですが、やはり極右政党が大統領になるのだけは裂けてもらいたい...。

もっとも、たとえル・ペン氏が大統領になったとしても、どこかの国のように「お国のために命を捧げるのが美徳だ」などとまでは言い出さないはずです。国民の権利をはく奪し、国の在り方を180度も変えてしまうようなことを言いだしたら、フランス人たちは黙っていないでしょうから。

決選投票に残った2人のいずれにも私は好感を感じません...。

世界中が狂っているのだとしたら、余りにも酷い状態にならないように祈るしかないのかな?... ともかく、フランスでは政治に関して、あ~だ、こ~だ、と国民が自由に批判したり、不正を行う政治家を断罪したりできる余地が残っているのだから、まだ救われるレベルなのかもしれない...。

外部リンク:
フランス大統領選、マクロンとルペンの決選投票へ 2017/04/24
フランス大統領選の第1回投票は、政界に激震をもたらした  2017/04/25
Présidentielle 2017  où les candidats du premier tour ont-ils fait leurs meilleurs scores
Wikipedia: 2017年フランス大統領選挙 » Élection présidentielle française de 2017
Election présidentielle 2017
Top 10 des communes les moins peuplées de France, celles où on connait tout le monde
マクロン夫妻の“やってはいけなかった”こと


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2016/12/27
セイヨウトチノキが何であるかを、こう記載していた日本の大百科事典があるそうです:

マロニエという名称はマロン(クリ)に由来し、
マロングラッセも古くはマロニエの実が使われたという。

フランスでは街路樹になっていたりするマロニエを見かけます。その樹木の命名が栗のマロンに由来する、というのはあり得そうな気がする。

でも、その実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは、信じがたい思いがします。フランスでは、有毒だから食べてはいけないとしか言われませんので!

シリーズ記事目次 【栗のマロンには不思議がいっぱい!目次へ
その11


ニワトリが先か、卵が先か、の続き

マロングラッセについて以下の記事を書いたのですが、今回はその続きです。


いつマロングラッセが誕生したたかには諸説あるのですが、16世紀であろうというのが、フランスやイタリアでは定説になっているようでした。発祥地としては、フランスのリヨンと、イタリアのクーネオが登場しているのですが、現在の国境線が引かれた18世紀までは同じ文化圏だった地域と言えると思います。

栗を砂糖菓子にするレシピは、1667年に刊行された料理の本で初めて紹介されました。マロングラッセが大衆化したのは、工場生産に成功したフランスの企業が創設された1882年

マロニエの木がヨーロッパに入ったのが、これらの時期の後であれば、マロングラッセをマロニエの実で作っていたというのは辻褄が合わないことになります。ヨーロッパでは、中世にはすでには大切な食料となっていましたので。

以下に拾った情報を書きますが、私がたどり着いた結論から先に言っておきます。

マロングラッセが生まれたのは16世紀とすると、セイヨウトチノキで作っていたという話しあり得ない。17世紀以降だとすると、あり得ないこともない...。

とは言え、で作っても非常に手間がかかるマロングラッセを、毒性があり、皮をはがすのも容易ではないマロンで作っていたとは信じられないという先入観で私は染まっています...。


Paradoxe de l'œuf et de la poule


マロニエの木は、いつヨーロッパに入ったのか?

マロニエが入る前から、イタリアやフランスでは栗をマロンと呼んでいたのは確かだと思います。

ここまでに書いたことも含めて、まとめてみます。

栗の木: シャテニエ(châtaignier)

ヨーロッパグリの学名はCastanea sativa。sativaは「栽培された」の意味。

栗の実はシャテーニュ(châtaigne)だが、品質が優れている栗の実はマロン(marron)、そのような実がなる栗の木をマロニエ(marronnier)とも呼ばれる。


マロン
と呼ぶ栗は、植物学的にはイガの中で1つだけ果実が成長したものを言う。

今日のフランスの栗業界では、栗の中の仕切り率が12%以下の実がなる品種の栗の木からとれるものをマロンとしているが、栗に関係する食品名の使い分けはかなりいい加減である。

野生の栗の木には良い栗が実らないが、木材としては優れている。

※ イタリアで栗はcastagnaだが、フランスと同じように品質の良い栗はmarrone(複数形はmarroni)と呼ばれる。


 
栗の実は、フランスでも太古から食されていた。ギリシャのテッサリアは、古代から質の良いとして定評があった。

栗の品質を良くするためにフランスで栽培が始まったのは中世。シャルルマーニュ(カール大帝)は、ワインを飲みながら焼きを食べていた、という伝説がある。

秋に収穫された栗はクリスマスまでも保存できない。そのまま調理しても美味しくない栗や、長期保存するためのは、乾燥して粉にして小麦粉の代わりに使われることが多かった。また、栗は家畜の餌にもされたりしていた。

小麦が育たない地域ではが小麦の代用となっており、栗の木は穀物の代わりになることから、シャテニエは「パンの木」、栗は「貧者のパン」などと呼ばれていた。家畜の餌になることから、「ソーセージの木」、「肉の木」とも呼ばれていた。

16世紀、大きくて風味もある上質の栗は「marron(マロン)」という"カテゴリー"で販売された。イタリアからも上質の栗はフランスに入ってきた。

17世紀には、リヨンの市場で扱われる栗が「marron de Lyon(リヨンのマロン)」として高い評価を受けていることが定着していた。

※ 栗と同様に食糧難から人間を救う食料となるジャガイモは、フランスには1770年に入った。

19世紀ではフランスには栗林が非常に多かったが、20世紀になってからの農村から都市への人口移動、栗の木の病気によって栽培される栗の生産量はかなり減少した。

2006年、アルデッシュ県で生産される栗が「アルデッシュのシャテーニュ(Châtaigne d'Ardèche)」として、高品質保証のAOC(原産地統制呼称)を獲得した。


セイヨウトチノキ: マロニエ(marronnier)
実はマロン(marron)と呼ばれ、食用にはならない。

栗でなくトチノキであることを強調するためには、樹木はマロニエ・ダンド(marronnier d'Inde)、果実はマロン・ダンド(marron d'Inde)と呼ぶ。「ダンド」は「インドの」の意味だが、東インド会社から入ったものや、珍しいものには「インドの」と付けることがよくあった。

マロニエの学名Aesculus hippocastanumAesculusは、食用になる殻斗果のコナラの意味。ippocastanumの方は、馬 (hippos) とシャテーニュ(châtaigne ギリシャ語で(kastanon)に関係している。馬が名前に入っているのは、馬には少量なら与えても大丈夫なことから。

※ 英語圏ではマロニエをhorse-chestnut、hippocastanumと、学名のままで呼ばれているようだ。イタリアでの名称はippocastanoないしcastagno d'Indiaで、マロニエはイタリア全土にある(特に多いのは中央北部)。

現在ではマロニエの葉や果実からは薬も作られている。マロンを馬に与えるにしても、薬にするにしても、毒性を抜く作業が必要である。


原産地は小アジア。氷河期の終わりころには生育していたとみられる。1557年に、バルカン半島にあったものがコンスタンチノープルに入ったと言われる。

1576年(あるいは1591年)、ウィーンにマロニエが入ったのがヨーロッパで初めてであると一般的に言われる。しかし最近では、考古学者と古生物学者が、もっとずっと前からヨーロッパに存在していたことを発見している。

フランスに入ったのは1615年というのが定説(ルイ13世の時代)。植えられたのは、パリのスービーズ館(Hôtel de Soubise)だと言われる。

マロニエが初めに植えられたのはパリの庭園であり、ヴェルサイユ宮殿でも庭園を飾ったことから、マロニエは緑陰樹として適していることからだったと思われる。

1718年、marronnier d'Inde(マロニエ・ダンド)という名称が文献に登場する。

18世紀になると、慢性気管支炎などを治療するために、マロニエの果実から薬を作るようになった。


フランスでは、いつから栗を「マロン」と呼んでいたのか?


 ラ・フォンテーヌの『寓話』に登場する「火中の栗を拾う」という表現

日本語で「火中のを拾う」という名訳ができている「tirer les marrons du feu」という表現がフランスにあります。

ラ・フォンテーヌ『寓話(Fables de La Fontaine)』の第9巻 第17話「猿と猫(Le Singe et le Chat)」に出ているために有名になった表現です。


ギュスターヴ・ドレの挿絵

この寓話が発表されたのは1678年

でも、「tirer les marrons du feu(火中の栗を拾う)」はラ・フォンテーヌが考え出した表現ではなくて、その前から使われていた表現なのだそうです。

古い文献に現れた栗としてのマロンを挙げてみます。
  • 1526年: Claude Grugetの『Les Diverses leçons de Pierre Messie』で、「fruit du marronnierマロニエの果実)」として(P. 888)。

  • 1640年: Antoine Oudinの『Curiosités françoises(フランス奇言集)』で、「tirer les Marrons du feu avec la patte du chat(猫の脚で火中のマロンを取り出す」として。

  • 1655年: モリエールの喜劇『L'Étourdi ou les Contretemps(粗忽者)』で、「tirer les marrons de la patte du chat(猫の脚でマロンを取り出す)」として(第5幕)。

少なくとも、17世紀にはマロンと呼ぶ栗が身近な存在だったと言えると思います。


 マロングラッセのレシピが初めて文献に登場したのも17世紀

マロングラッセとマロンの関係。鶏が先か? 卵が先か?(シリーズ記事 その9)」に書いたように、フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌが1667年に刊行した『Traité de confiture ou Le nouveau et parfait confiturier』にマロングラッセのレシピが紹介されていました。

このレシピでも、栗はマロン(marron)という単語を使っています。

17世紀には、「Marron de Lyon(リヨンのマロン)」という栗が美味しいという定評が出来上がっていたそうですので、それを使ったレシピなのかもしれません。

リヨンのマロンといっても、リヨン市で栗が取れたわけではなくて、大都市なので周辺から栗が集まったためです。フランスの栗の産地であるアルデッシュ県にも近いし、イタリアにも遠くはない。少なくとも、パリよりはずっと栗が集まりやすい場所でした。

マロングラッセは、16世紀にリヨンで誕生したという説は、それをもとにしていると思われます。

16世紀には、大きくて美味しい栗を「マロン」と呼んでいたそうなのですが、イタリアから入った栗も、アルデッシュ産のものも、販売する価値があるような美しい栗はマロンと呼んでいたのではないでしょうか。

栗は小麦の代わりになるために「貧者のパン」とも呼ばれていたし、家畜の飼料にもされていたのですから、ただ栗の実であることを示す「シャテーニュ」ではなくて、「マロン」と呼びたかった気持ちは理解できる気がします。


 マロンの語原はイタリア語

marron(マロン)には色々な意味があるので複雑です。

フランス語の「マロン(marron)」という単語は、ラテン語のmaroに語源があると言われています。リヨン周辺地域で昔にあった言葉では、そのラテン語を受けて「marr-」という接頭語が「小石」の意味で使われていたのだそう。

フランスの植物情報では、マロニエ(marronnier)という名前が付いたのは、この実が小石(マロン)のように丸かったからという説明もありましたが、仏仏辞典には記載がなかったので、真偽のほどは分かりませんでした。

ともかく、イタリア語から入ったマロン(古いフランス語ではmaronと綴った)という単語は、10世紀のフランスでは使われていたようです。



マロニエの実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは信じられないので、おかしいと言いたくて背景を調べて書いてしまいました。

同じように疑問を持たれた方が記事を書かれています。こちらの方がスッキリしていて良いですね:
マロングラッセはかつて本当にセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたのか

そこに書かれている情報によると、飢饉のときにマロニエの実を食べていたという記載があるそうなのですが、私が調べたフランス語情報では1つも出てきませんでした。マロンを食べるためのあく抜きをする方法も全くなし。

フランスは昔から食料には恵まれていたので、マロンまで食べなくても切り抜けられたのだろうと思いますけれど...。

飢饉も乗り越えられるジャガイモを普及させるために、フランス王家はかなり苦労していました(ジャガイモの花で書いています) 。日本のドイツ文学者とおしゃべりをしたとき、ドイツでは南米からジャガイモが入ったときには人々が簡単に飛びついていたと言われたので違いを感じて興味深かったのでした。


マロニエの実を食べていたはずはない、と少し違った角度からも立証してみたいと思って私も書いたわけなのですが、日本の百科事典に書かれていたことは本当なのだろうか? と調べる必要もなかった、と思っているのが正直な気持ちです...。


以下のことは分からなかったのですが、保留にしておきます:

栗の「マロン」は、植物学の定義ではイガの中に実が1つだけ大きく成長したものを指すのだそうですが、その定義がいつ出来たのかは分かりませんでした。

16世紀に「マロン」と呼んでフランスで販売されていた栗が、イガの中に実が1つだけの栗を指していたのかどうかの情報は見つけることができませんでした。植物学的定義がこの時代にはできていなかったとしたら、市場では栽培して大きな実になって美味しい栗を「マロン」と呼んでいた可能性は大きいと思います。


まだマロンには不思議が残っているので、もう少し(!)続けます。

続き:
 マロン・クリームはマロングラッセから生まれた


★ シリーズ記事目次: 栗のマロンには不思議がいっぱい!




ブログ内リンク:
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
【研究機関の情報、辞典】
☆ Cairn: Classer et nommer les fruits du châtaignier ou la construction d'un lien à la nature
☆ CNRTL: Définition de MARRON |  Etymologie de MARRON
☆ Bibliothèque municipale de Lyon: Marrons et châtaignes
☆ Larousse:  Définitions  marron
☆ Littré: marron (définition, citations, étymologie)
☆ Tela Botanica: Le chataîgnier l'arbre à pain, providence de nos ancêtres

【その他のソース】
☆ Doctissimo: Marronier d'Inde (Aesculus hippocastanum)
Introduction du marronnier en France
☆ Le Rendez-vous des Arts Culinaires: Histoire de la châtaigne
☆ Grand Paris: Caractéristiques du marronnier d'Inde
La Châtaigne  un peu de botanique
☆ L'atelier des Chefs: Tirer les marrons du feu… (avec la patte du chat)
☆ ルネサンスのセレブたち: 庶民の腹を満たした栗の話 イタリア情報

【火中の栗を拾う】
☆ 北鎌フランス語講座 - ことわざ編 成句 tirer les marrons du feu
☆ 故事ことわざ辞典: 火中の栗を拾う
☆ Wikipedia: The Monkey and the Cat
Fable Jean de La Fontaine  le singe et le chat
能楽さんぽ  火中の栗を拾う

【焼き売り屋(Marchand de marrons)】
☆ France pittoresque: Marchand de marrons d'autrefois
☆ Google Livres: Le Castoiement ou Instruction du perè à son fils
☆ Wikisource: Les rues de Paris-Les Vieilles Rues (Le Vieux Paris)


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