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2017/07/13
お天気が良い日が続くと、フランスのお年寄りは「支払いをすることになる」とよく言います。良いことがあれば、その後には悪いことが来る。このツケは払うことになる、という意味だろうと思う。

今年もそうかもしれない。6月後半に真夏のような暑い日が続いていたのですが、7月に入ってからは、晴天のときもある、という程度で、だいたいにおいて冷たい雨が降っていて、寒い!


雨に降られたヴィッド・グルニエ

夏になったら、ヴィッド・グルニエ(Vide grenier)があちこちで開かれます。物置として使っていることが多いのがグルニエ(屋根裏部屋)。それを空にする、というような意味で、住民の人たちがいらないものを売るというイベントです。

Carte postale ancienne (circa 1910) - Amiens, le Marché à Rèderies
Carte postale ancienne - Réderie à Amiens dans les années 1910

フランスで最も早く登場したヴィッド・グルニエは、北フランスのアミアンで1909年に開かれたものだと書いてありました。

私が田舎でよく開かれるようになったなと感じたのは、10年前くらい前のことでした。一時的な流行かと思ったのですが、相変わらず盛んにおこなわれています。これをやらない村は無いのではないかと思ってしまうほど。

行こうとよく誘われるのですが、私は余り好きではないのです。そもそも、売っているのはガラクタばかり。タダでくれると言われたって断りたくなるものに値段を付けているのですから、眺めていてもちっとも楽しくない。

おそらく、マンション住まいの人たちが多い大きな町だったら、家の中のガラクタを処分しようという気持ちが強いので、けっこう良いものも出ているのではないかとは思います。でも、田舎の場合、家は広いので、ちょっとしたものは処分する必要がないのですよね。ほんとうに、こんなものをよく売る、と言いたくなるものが陳列されています。たまには、掘り出し物を見つけている人たちもいますけれど。

ヴィッド・グルニエに行きたくないと断っているわけにもいかないので、出かけてみました。結局のところ、友人たちが出かけるのは、何か見つけたいというよりは、仲間と会っておしゃべりする機会になるかららしい。

人口は400人にも満たない村なのですが、毎年かなりたくさんの出展者があるヴィッド・グルニエなのです。

朝に天気が良かったので行く気になったわけなのですが、現地に到着したら、みるみるうちに天気が悪くなって、寒くなってきました。

村の中の道路を歩いて出展者が並べているものを見て回ってから、飲み物や軽食を出す場所に落ち着きました。雨が降って来そうなので、屋根がある部分のテーブルに陣取る。



シャンパンを飲みました。暑いときならシャンパンは嬉しいのですが、凍えそうなときに飲むのは嬉しくない...。

昼ご飯前にお酒を飲んでいると酔いが回ってしまうので、おつまみを調達することにしました。

夏に人の家に招待されるとバーベキューが多いので、バーベキューはもううんざり、という人がいました。それで、おつまみはフライドポテトをどっさり。

仲間は10人くらいいて、おしゃべりは尽きない。2時間以上シャンパンを飲んでいました。フランス人は割り勘にはしないので、男性たちが順番にボトルを買ってくる。結局、1人あたりボトル1本くらい飲んだのではないかな。

私はどんどん寒くなってきました。厚手のコットンでできた夏用のハーフコートを着て行ったのですが、真冬のコートにしておけばよかった。

寒い、寒いと言うので、友達が自分のウールのジャケットを脱いで貸してくれました。それを脱いだ彼女は半そでのTシャツ姿。それでは風邪をひいてしまうからと、私のコットンのコートを代わりに渡そうとしたのですが、酔っぱらっているから暑いのだ、と言うので、お言葉に甘えて着させていただきました。

さすがに、引き揚げるときには返しましたけれど、

駐車場に向かって歩き出したのですが、路上の会場は哀れ。雨に濡れてしまうので、ビニールシートをかぶせている。もう午後は中止でしょうね。




インゲン豆とチョリゾのバスク風煮込み

こういう友人たちとの外出のとき、気のきいたレストランがあれば皆で食事できて楽しいのですが、田舎にはそんなものはない。

それで、私にジャケットを貸してくれた友達があり合わせ料理を作るからということになって、お家にお邪魔しました。

前菜の後に食べるために作ってくれたのは、白インゲンとチョリゾーを使ったバスクの料理でした。写真は撮らなかったので、似た料理のレシピにリンクさせてもらいます。


Haricots blancs à la basque


辛い料理が私は苦手なのでたくさんは食べられなかったものの、かなり上手にできていました。この友達は、いつも味付けが上手だと思う。少し前には、やはり急に皆で食事をしようということになって、冷凍していた牛肉の挽肉でボロネーゼ・ソースのパスタを作ってくれたのですが、こんなに美味しいボロネーゼは食べたことがないと思ってしまいました。

この日は料理を準備しているときにキッチンを見たら、大きな豆の缶詰が2個あったので、なあんだ缶詰かと思ったのですが、その豆が柔らかくて美味しかった。

スペインで買えるインゲン豆の缶詰の中で、このメーカーのが最も美味しいのだとスペイン人から教えてもらったのだそう。ご主人の故郷がバスク地方なので、行くと買ってくるのだそう。

日本では何でも売っているので、探してみようかと思って、缶詰の写真を撮らせてもらうことにしました。もうキッチンの横にある納屋のゴミ箱に捨ててしまっていたのですが、拾い出してくれました。



JAEというメーカーで、サイトにある商品はこちらでした:
Alubia blanca pocha

Pochaと呼ぶ種類の白インゲン豆らしい。


クレマン・ド・ブルゴーニュ

イベント会場でシャンパンを飲んでいたので、食事のときもクレマン・ド・ブルゴーニュと呼ぶスパークリングワインにしました。

クレマンは、シャンパーニュ地方に繋がるブルゴーニュ北部でも作られていますが、私が好きなのは、マコネという白ワインが生産されるブルゴーニュ南部で作っているクレマン。南部では気候が温暖なためにブドウが完熟するせいか、酸っぱくなくて飲み心地が良いのです。

手間をかけて作る発泡酒なのに、クレマンはシャンパンのようなステータスはないので、シャンパンに比べるとかなり安く売られています。

でも、変なシャンパンよりクレマン・ド・ブルゴーニュの方が美味しかったりすることも多いのです。専門家の目隠しテストでも、シャンパンよりクレマンの方が高く評価されてしまうことは珍しくありません。

この日にイベント会場で飲んだシャンパンは質の良いものではなかったので、友達の家で飲んだクレマンの方が遥かに美味しいと思いました。少し前にマコネの地方に一緒に旅行したとき、お気に入りのワイン農家で仕入れたクレマンだったのでした。




ヴィット・グルニエの続き

イベント会場でシャンパンを飲み始めたのが午前11時頃。それから友人の家で飲み続けながら昼食をとったので、したたか飲んでしまった。

それで、少し酔っぱらっていた友達が、「タッパーウェア、いらない?」と聞いて、戸棚から出してきました。小さな容器2個が便利そうなので、それをもらおうとしたら、他のも全部持って行くようにと言う。

気がついたのですが、フランス人向けのタッパーはサイズが大きい! 日本で見かけるものの2倍や3倍の大きさがあるのではないかな。保存用のタッパーは、どれも40センチは長さがあります。

それを幾つも出してきました。「使わないから、あげる」と言う。なんでそんなに持っているのかと驚いたら、以前に伯母さんがタッパーの販売パーティーをしていて、その縁でたくさん買ってしまったのだそう。

それで、たくさんいただくことにしました。しばらく使っていなかったので埃だらけ。食器洗い機に入れれば洗えてしまうからと思ったのですが、容器は大きなものばかりなので、1回分では収まりきれなさそう。

傍で見ていたご主人が「恥ずかしい」を連発する。プレゼントするなら、ちゃんと洗ってからにしろよ、という訳。でも、洗ったのをもらったって、家に持ち帰ったらまた洗うから同じことだ、と私は言いました。

ヴィッド・グルニエでは何も買わなかった私ですが、車のトランクにはたくさん収穫物が入ってしまった。しかも、タダ♪ こういうのをガラクタ市で売っていて、1個500円とかだったら、買ってしまうのだけれど、そういう欲しくなるものというのは売っていないのですよ~。

フランスのタッパーのサイトに入っている商品カタログ


城の堀にいた白鳥一家

食事の後、近所を散歩しました。

村の中心にある城の堀に白鳥がいました。



母親と子どもたちが餌を探している様子。『みにくいアヒルの子』のお話しがありますが、白鳥が子どもの時には本当に灰色なんだと眺めました。



少し離れたところには、父親らしき大きな白鳥がいました。



雄と雌で、こんなに大きさが違うものかと驚きます。スマートフォンで写真を撮ったのでピンボケなのが残念。雄の白鳥は本当に見事な姿だったのです。

ヴィッド・グルニエで出会ったお爺さん。知り合いのブースの後ろにある椅子に座っていたのですが、こう言っていました。

「アルツハイマーなので、頭の訓練のために通りかかる人がハトかキジかを見分けているんだ」

何のことかと思ったら、カップルの女性の方が美しかったら鳩で、その逆だったら雉なのだそう。そんな冗談を言っているくらいだったら、頭はまだもうろくしていませんよ!

人間以外の動物は、たいてい雄の方が派手で、色も鮮やかなのですよね。キジの雄は派手なのは知っていますが、鳩は雌の方が美しかったでしたっけ?

調べてしまいました:
☆ 日本鳩対策センター: 鳩のオスとメスの見分け方

特にメスの方が美しいというわけではなくて、普通はオスの方が目立って美しいのに、鳩には余り差がない、ということのようでした。メスの方が美しいという鳥はいないのかな...。


老人ホーム

白鳥を見た後は、さらに歩いて、Kermesseをしている老人ホームまで行きました。ケルメスというのは学校などでよくやっている慈善バザーのこと。何か売って、その収益で何かしているのだろうと思います。

イベントをやっているなら村営の老人ホームを見学できるわけなので、行ってみたのでした。

田舎らしく広々とした敷地。平屋建ての家がつながっている、というスタイルでした。

ホールに入っていったら、椅子に座っていた年配のマダムが挨拶してきました。嬉しそうな顔で「お元気?」と言ってくるので、知っている人だったかな... と思いながら挨拶を返す。人と話したいから私に声をかけてきた様子なのでした。

少しおしゃべりしました。県庁所在地の大きな町に住んでいたのだそうで、ここに来たのは4年前。家族が住んでいる村だったから来たのかと思ったら、親戚は全部、彼女が住んでいた町にいるのだそう。としたら、100キロも離れた村の老人ホームに入ったのだろう?

ここに来る前にはどうしていたのかと聞くと、Chartreuseにいたとのこと。ブルゴーニュ公国時代の修道院なのですが、今では精神病院として使われているのです。「ああ、美しい所ですね」と言うと、やはり頷いている。でも、広い庭園を散歩したとき、緑が多いし、昔の見事な彫刻もあるし、私はこういうところで生活したいと思ってしまうほど環境が素晴らしいと思ったのでした。

17世紀後半の修道院は、こんな風でした。



後で友人に、マダムが精神を患っているようには見えなかったけれど、というと、うつ病のような病気でも入院するのだそう。

「田舎の方が住みやすいでしょう?」というとマダムは頷いていたので、まんざら不孝ではなさそうでした。でも、私たちに話しかけてきたということは、やはり寂しいのだろうな...。


もう夕方の5時を回っていたので、イベント会場は片づけ始めていました。飲み物や食べ物を出す場所にも、何も残っていない。来る途中で出会った人が、美味しいケーキを売っていると言って買ったものを見せてくれていたのですが、もう売り切れでした。

とはいえ、村に住む人が調理場の奥からシャンパンを探し出して出してくれました。私は寒いから飲みたくないと断ったので、ちょうど良かったみたい。半分くらいしかシャンパンが残っていないボトルだったのです。

ブログ内リンク:
最近のフランスはガラクタ市で村おこし? 2006/07/12
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事
お城だけれど、普通の老人ホーム 2006/09/03

外部リンク:
☆ Wikipedia: Vide-greniers Garage sale
チョリソとインゲン豆の煮込み:スペイン料理簡単レシピ集


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2017/07/02
春先の寒さで、伸び欠けていた木々の葉が黒くなって、お化けのような姿になっていたのですが、暖かくなったら元気を取り戻し、緑の世界になりました。でも、クルミも菩提樹も花は全く付けない。ベリー系の果実はいたって元気。

6月になってから猛暑になるというニュースが入ってきたら、友人たちは堪らないという顔をしていました。喜んでいたのは私だけ。真夏の服装でいられるような暑い日は年に何日もないので、私にはフランスの暑さは歓迎なのです。

でも、例年より少し早く来た今年の猛暑はかなり気温が上がっていました。

気温が上がって耐え難いのは、都会独特の暑さがあるパリ、それから近代的なコンクリート造りの家屋に住んでいる人たちだと思います。室内の温度は、日中には外と同じくらいになってしまうし、夜になっても温度は低くならないので。そういう所で生活する人たちは、フランスといってもクーラーが欲しいと思うかもしれないけれど、1年に何日くらい使うかな?...

私がいる所では、猛暑といっても、朝晩は寒いくらいに涼しいし、昔に建てられた石造りの家の中にいる限り過ごしやすいです。

私の家の石壁の厚さは1メートル足らず。外の温度が30度も過ぎると、さすがに家の中の温度も上がります。こういうとき、フランスでは窓の鎧戸を閉めて温度を遮断します。温度計で確認したら、鎧戸を閉めると室内の温度が4度下がっていました。

鎧戸を閉めれば涼しくなるのは良いのですが、家の中は真っ暗! 昼間から電気を付けて生活したくはない...。


過ぎ去ってしまえば、大した暑さではなかった

フランスでは記録的な猛暑が2003年にあり、大量の死者を出していました。2万人くらい?

その時、枯れ野原になってしまった牧場です ↓

2003年8月撮影

2003年の猛暑に比べたら、この6月のはそれほどには気温が上がらなかったように感じました。

でも、十数年たったおかげで、私の体力が落ちたかも知れない。暑さはどうということは無かったのですが、体が乾燥してくるのに参りました。

政府は1日に水を1.5リットル飲むようにというキャンペーンをしています。日本の蒸し暑さのようなものではないので、汗はかかないのです。それで、水を飲みたいとは思わないでいると、体が脱水症状になってくるというのが怖いところ。

冷蔵庫にたくさんオシボリをストックして顔を拭いたり、頭に乗せたりしていたのですが、そんなのでは脱水症状は抑えられないだろうと思って、1日に何回もシャワーを浴びることにしました。

本格的な夏になる前の猛暑のピークは、全国的に6月20日の前後1週間くらいだったようです。



このグラフは、気温ではなく、30度以上(赤)と35度以上(黒)になった地域のパーセンテージを示しています。つまり、35度を越えた地域はそんなに多くはない、ということですね。ただし、6月20日にはフランス全土の85%が30度以上になっていました。


私の自慢のミズナが枯れてしまった

私の記憶で最も暑かったのは、友人たちを昼食に招待した6月22日でした。

庭の北側にある納屋だった建物にある夏用のダイニングルームで食事したので、暑さはしのげました。日本にはうち水というのがあるのを思い出して、庭に水を撒くのに使っているホースを引っ張って来て、入り口のところの床に水を撒きました。

打ち水で、少し温度は下がった感じ。でも、体が乾燥していくのは感じる。

この日の食事の間に6回おしぼりを出しました。普通の時だと、おしぼりなんか必要ないという顔をするフランス人も多いのですが、こういう時には喜ばれます。大きなスープ鍋に保冷材を入れて、それにオシボリを入れて置いたので、いちいちキッチンの冷蔵庫まで取りに行かなくて便利でした。


友人たちを食事に招待したのは、庭で元気に育っている野菜や果物をおすそ分けするのが目的でした。



レタス、ミントなどを籠に入れて用意しました。それから、朝のうちに収穫しておいたフランボワーズ、果物で作った自家製のアイスクリームも保冷材を入れたバックに入れました。

この日、驚いたことを発見。庭で元気に育っていたミズナが全部枯れてしまっていたのでした。

種から育てたのですが、見事に葉を伸ばしていたのです。パセリ代わりに使えるし、変わった日本の野菜なので友人たちにも評判が良く、それもレタスと一緒にあげようと思っていたのに、哀れな姿になっていたのでがっかりしました。



水をあげていたのですが、この猛暑では足りなかったのかもしれない。あるいは、水菜というのはレタスのようにいつまでも生えているものではないのかな?...

枯れてしまうのが分かっていたら、全部収穫して、湯がいてから冷凍しておけば良かった...。


7月に入ったら、さむ~い!

暑さが去った翌日くらいはほっとしますが、どんどん気温が下がってきて、雨も降ったりして暗い。そうなると、また暑さが恋しくなる。最高気温が25度くらいは欲しいのです。数日したら、夏の天気に戻るという天気予報なので期待。

ニュースでは、政治家のSimone Veilシモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil)が亡くなったという報道が目立ちました。享年89歳。

ユダヤ人なので、戦時中には家族と共にアウシュビッツ収容所に送り込まれましたが、奇跡的に生還。

保健相時代に、猛反対を押し切って妊娠中絶を合法化(1975年)させるなど、女性の権利向上に取り組んだ功績で知られている女性です。平和構築が原点となった欧州連合(EU)の統合深化に尽力し、1979年には女性として初めて欧州議会議長に就いています。

お顔立ちからして、強い女性という感じ。

パリにフランスの偉人を葬るパンテオンがあるのですが、シモーヌ・ヴェイユを入れようという運動が起こっているそうです。遺族の反対があれば強制はできないので、入らないで済んだ人たちもいたのですが、彼女の場合は政治家だから入るかな...。

ブログ内リンク:
2003年の猛暑 2003/07/20
フランスの猛暑を乗り切る方法 2006/07/03
猛暑のとき、パリで涼しく過ごせる場所は? 2013/08/03
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
「日本のパセリ」という名で売られていた野菜 2009/09/20

外部リンク:
Bilan de la canicule de Juin
Fortes chaleurs Pompiers.fr
Plan national canicule 2017 - Vague de chaleur : des questions ?
Canicule Gouvernement.fr
フランスの象徴的存在、シモーヌ・ヴェイユ死す
シモーヌ・ベイユさんが死去 アウシュビッツの生存者


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カテゴリー: 四季、自然 | Comment (0) | Top
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2017/06/11
昼食の後、私が行ったことがないはずの城がマリニー・ル・カウエットという名前の村にあるので行ってみよう、と誘われました。

「マリニー・ル・カカウエット?」と私。

カカウエットというのは、フランス語でピーナツのことです。cacahuète、あるいはcacahouèteと綴ります。

村の方はMarigny-le-Cahouëtがスペルでした。

cahouëtはカウエと発音するのが正しいのかもしれません。ブルターニュ地方の言葉だそうなので、どうしてブルゴーニュ地方の地名になっているのか不思議。

調べてみたら、ブルトン(ブルターニュ語)で「森林で覆われた城(château boisé)」という意味があるのだそうです。昔、城主がブルターニュの人だったことがあったから、というのが謂れのようです。


人に声をかけて聞くのが一番♪

城は個人の所有で、一般公開はしていないらしい。それで村に到着しても、「城はこちら」のような標識は見えません。大きな城らしいので、風景から飛び出して屋根が見えても良さそうなのに。

村を抜けてしまったので聞き返したら、道路に人がいました。城はどちらの方向か聞いたら教えてくれました。ついでに、見学できるかも聞いてみました。

城の外観は見れるけれど、内部は見学できないと言われました。城の正門の左に小さな入り口があって、そこから城を眺められるらしい。

教えられた方向に城の門がありました。城は全く見えない。しかも、左側に小さな入り口なんかはない! でも、「城を眺めるためには、かなり歩くけれど」と言われていたので、城の外壁の左側に沿ってできている舗装もされていない細い道を進んでみました。

すると、門を発見。でも、城の建物は全く見えない...。



右に見えるパネルに、入っても良いけれど、ここは私有地なのを意識してください、というようなことが書いてありました。普通は「私有地につき立ち入り禁止」と書いてあるのですけれど、ここは入って良いらしい。驚きました。

地元の人には声をかけて聞いてみるものなのですね。先ほど出会った男性から言われていなかったら、城を見つけたとしても門と木々しか見ないで立ち去るところでした。

来る途中にスマートフォンで眺めたサイトにあった立派な城が見えました。



ここが昔は城に入る跳ね橋だったところでしょうね。上から侵入してくる敵を攻める場所が出来ています。

堀に沿った外側には道ができているので、行けるところまで進むことにしました。

非常に大きなお城です。四方は完全に石垣か建物で囲われていました。その周りは堀がめぐっているので、これでは泥棒も入りにくいでしょうね。



外敵を寄せ付けない、典型的な中世の城の作り。上空から映した画像は、こちらに入っています。中庭だけでも広いのでした。

私の目にとまったのは、こちら ↓



中世の城にあるポットン・トイレ。それが4つも付いているのでした。私はなぜか、このラトリンヌと呼ぶトイレが好きなので、あると眺めてしまうのです。

ラトリンヌについては、こちらで書きました:
フランスの城で、これを見たことがありますか? ★クイズの解答 2005/07/20


お堀の回りをぐるりと歩きながら、城を外側から全部眺めることができてしまいました。こんな親切な城を見たのは初めて。建物の中には入れなくても、見学客から入場料を取る城もあるのです。




映画のロケに使われた城

城に入って撮影した画像や映像があるのではないかとインターネットで探したのですが、これしか見つかりませんでした。私たちと同じように外側から見学しただけの動画ですが、冬景色が見れるので埋め込んでおきます。


Château de Marigny Le Cahouët


この城は、幾つかの映画のロケで使われたそうです。特に有名なのは、1964年に公開された『Angélique, Marquise des anges(アンジェリク、天使たちの侯爵夫人』だと書いてありました。

 アンジェリク 完全版 1 天使たちの侯爵夫人

インターネットに入っている映画の予告編を眺めると、少しだけ遠くから臨めたギャラリーが映っている場面がありました。



外側からは、戦いのための中世の城にしか見えなかったのですが、城の敷地の中にいたら、堀の向こうに見学者が歩いているなんて全く気にならないでしょうね。

『アンジェリク』は小説を映画化したもので、何本か映画が作られていました。私は聞いたことがない映画だったのですが、フランス人にはよく知られているお話しのようです。

予告編を見ると、セクシーな女性の冒険物語のようで、拡張が高い文学作品には見えなかったのですけれど...。


bande annonce angelique marquise des anges

この映画のロケはあちこちの城でしたようなので、私が見たかった城の敷地内が映し出されたのは一部にすぎないようです。

ロシア語版なので何を言っているのか私にはさっぱり分かりませんが、城の中庭がもっとよく見える動画もありました:
Анжелика, маркиза ангелов Часть 1/ 3

ギャラリーを支えている柱には彫刻もあって、立派なのですね。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: サニタリーに関して (トイレ、浴室、洗濯、衛生)
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビ番組

外部リンク:
Le château - Commune de Marigny-le-Cahouët
☆ Wikipédia: Angélique, Marquise des anges
☆ Wikipedia: Angélique (série littéraire) » アンジェリク (小説)
☆ Dictionnaire Visuel: Château fort


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カテゴリー: 建築物 | Comment (2) | Top
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2017/05/12
少し前から書いている、ディジョン市(ブルゴーニュ地方)にあるノートルダム教会の外壁にある彫刻の続きです。

シリーズ記事目次 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン?目次へ
その4


願いごとをしながら左手でフクロウの彫刻を撫でたとき、すぐそばに変なものが待ち構えているというお話し。下の写真で、赤い矢印を付けた部分にある小さな彫刻です。



この小さなモンスターに願いごとを食べられてしまわないように気を付けるというものなのですが、ステンドグラスの窓枠に彫られている小さな動物は何か?...


サラマンダーではなくて、ドラゴン?



私は、ずっとサラマンダー(salamandre)と呼んでいました。サラマンダーなどというのは私には無縁の動物でしたから、自分で連想したはずはありません。日本人にディジョンの町を案内してもらったことはないので、誰かディジョンに住む友達か、ブルゴーニュ大学がオーガナイズした見学のときか何かで教えてくれたのだろうと思います。サラマンドルというフランス語も、そのときに覚えたはず。


伝説上のサラマンダー(salamandra)とは何か?

Wikipediaでは、次のように説明していました:

四大精霊のうち、火を司る精霊・妖精(elementals)。 手に乗る位の小さなトカゲもしくはドラゴンのような姿をしており、燃える炎の中や溶岩の中に住んでいる。
サラマンダー (妖精)


でも、これを書きながら友人に話したら、あれがサラマンダーのはずはない、と断言されたのです。ドラゴン(dragon)だと言うのです。

インターネットでフランス情報を調べていたら、ドラゴンとしている人もいたのですが、サラマンダーとしている人の方が多いように感じたのですけれど...。


実在のサラマンダー

両生類有尾目のサラマンダーは、フランスにも生息しているので、それとは違うということ?

気持ち悪いので小さな画像で入れますが、こういう4つ足の動物。平気な方は画像をクリックして拡大画像をご覧ください。

Salamandra salamandra 

確かに、ノートルダム教会の壁に彫られている小さなモンスターとはかなり違う...。

伝説のサラマンダーならまだしも、本物に似ていたら気持ち悪いと思うのですけれど、好きな方もいらっしゃるのかな?...





フランソワ1世のサラマンダー

サラマンダーと聞いたら、フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーを私は思い浮かべます。ノートルダム教会の壁に潜んでいるのとは向いている方向が逆なだけで、よく似ているではありませんか?




耳のようなものが付いているのまで同じですよ~。

でも、鼻のところが違う、と言う友達がいました。



サラマンダーの鼻ずらは、ノッペリしているものだと言うのです。

フランソワ1世のサラマンダーの左右を逆転させた画像で検証してみると、違うかな?... 鼻の部分に注目すると、ノートルダム教会のモンスターは竜に見えてくる...。



口から火を噴いているように見えるところが同じでは?... と言ったら、サラマンダーの場合は、口から出ているのは舌で、火は体の回りに描かれている、とのこと。


だんだん、ドラゴンと呼ぶべきかな、と思えてきました。

ノートルダム教会の彫刻はサラマンダーではない、というのには理があるかなと思えたのは、時代的な問題です。

ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半でした。モンスターがいる外壁の部分は、14世紀か15世紀に増築された礼拝堂の部分で、そのときに彫られたのだとしても、サラマンダーをエンブレムにしたフランソワ1世より前の時代なのです。

フランソワ1世(François Ier de France 1494~1547)がフランス国王だったのは、1515年から47年まででした。


ドラゴンとは、なに?

小さなモンスターはドラゴン(dragon)だったとして、はて、ドラゴンってどんな動物だったっけ?

フランス国立図書館で行われた中世の動物に関する展示会「Bestiaire du Moyen Âge」のサイトに入っているドラゴンの絵のコーナーを眺めてみました。絵をクリックすると拡大画像と説明が出ます。


聖ゲオルギオスは竜の退治で名高いので、この聖人の絵にはドラゴンが一緒に描かれます。

Paolo Uccello 047b.jpg
Vouivre représentée dans Saint Georges et le dragon de Paolo Ucello, 1450


ドラゴンには背中に羽を付けた形のイメージなのではないか、としつこく思うのだけれど...。


そっくりの動物を見つけた

ディジョンのノートルダム教会が建てられた時代のモンスターの画像を探していたら、目を引くものが見つかりました。

ノルマン・コンクエストを描いた「バイユーのタペストリー」に入っている画面です。



ヘイスティングズの戦い(1066年)でのハロルド2世の死を描いた画面。イングランド軍の軍旗なのですが、アップすると、こちら:


A dragon (known later in heraldry as a wyvern) which appears twice in the death scene of King Harold II on the Bayeux Tapestry depicting the Battle of Hastings in 1066.


よく見ると、背中には羽のようなものが付いているようにも見えますね。イギリスの紋章に「ワイバーン」と呼ばれるドラゴンがあるのですが、それの前身らしい。つまり、この軍旗はサラマンダーのようにも見えますが、ドラゴンなわけなのでした。

ワイバーン
Héraldique meuble Dragon (wyvern)
Dragon héraldique (ou Wyvern)
ウェールズの旗
ウェールズの旗


「ワイバーン」というのは、フランス語ではvouivre。中世にはブルゴーニュでは好んで使われたモチーフのようなのでした。インターネットで出てきた情報の中には、ディジョンのフクロウの傍にいる動物に「vouivre」という単語を使っている人もいました。私も知ったかぶりでそうフランス人に言うことにしようかと思ったのですが、ヴーイヴルなんていう発音はすぐに忘れてしまいそう...。

どっちみち、伝説上の動物。ディジョンのノートルダム教会に潜んでいる小さなモンスターは、サラマンダーでも、ドラゴンでも、どちらでも良いのですが、今後はドラゴンと呼ぼうかと思います。何人かのフランス人の友達に画像を見せて聞いてみたら、みんなドラゴンと呼んでいたので。


シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次


ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの古都ディジョンの観光スポットや特産品など
やっと見ることができた「バイユーのタペストリー」 2009/11/06
★ 目次: 縁起物や迷信について書いた記事 (フランスを中心に)
★ 目次: ブルゴーニュの歴史

外部リンク:
Wikipedia: サラマンダー | ファイアサラマンダー | サラマンダー (妖精)
Wikipédia(仏語): Salamandre (amphibien)| Salamandre (animal légendaire)
Dijon, capitale de la Bourgogne
☆ BnF: La tempérante salamandre aux origines de la devise de François Ier
☆ Wikipedia: ドラゴン » Dragon européen
☆ Wikipedia: ワイバーン »  Wyvern »  Vouivre
la tapisserie de Bayeux, naissance de l’héraldique
L'étrange mort du Roi Harold II
Wikipedia: List of English flags Historical flags / National flags and ensigns
知っておきたい伝説の英雄とモンスター (閲覧回数制限あり)


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2017/05/04
ブルゴーニュ公国の都だったディジョンの町に来た人なら、必ず訪れるはずの観光スポットがあります。


シリーズ記事目次 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン?目次へ
その3



ディジョンのノートルダム教会とフクロウ」に書いたように、旧市街の中心部にあるフクロウの彫刻を見に行くのが観光コース。

これを左手で触りながら願いごとをすると、その願いが叶うと言われているのです。

頭に耳のように見える羽があるので、これは本当はフクロウではなくてミミズクだ、と最近になって発見されたのですが、それは重要ではありません。

ともかく、このすり減った彫刻を、左手で触るというのが重要なのです!


このディジョン名物のフクロウは、ノートルダム教会の正面に立って左側にある道を入って少しのところで出会えます。



フクロウはフランス語で「シュエット(chouette)」なので、この通りの名前はRue de la Chouetteシュエット通り)。

教会の祭壇はメッカの方向、つまり東を向いています。ですから、このシュエット通りは教会の北側に回る道となります。


フクロウを左手で撫ぜなければいけない理由

幸運をもたらしてくれるとされるフクロウ。ただし、左手で撫でるということになっています。

右手でするとご利益がないと言われている理由の1つは、フクロウのすぐそばには、変なものが待ち構えているから、とも言われます。

下の写真で、赤い矢印を付けた部分にある小さな彫刻です。



フクロウは左手で撫ぜながら願いごとをしないと、そばに潜んでいる小さなモンスターが願いごとを食べられてしまう、ということなのです。フクロウを右手で触るとモンスターの方を向いてしまいますが、左手をあげれば背を向けることになるので安全、というわけ。


悪さをする小さなモンスターは、サラマンダー? ドラゴン?

願いごとを食べてしまうと言われる彫刻をアップで入れます。



何に見えますか?

ドラゴン(dragon)だと言う地元の人たちもいますが、私はずっとサラマンドル(salamandre)と呼んでいます。想像上の動物だから、どちらでも良いので、とりあえず、ここではサラマンダーとしておきます。

サラマンダーだとしたら、気になることがあるのです。


◆ フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーは逆を向いている

フランソワ1世のサラマンダーは、どちらを見ている?」で書いたように、火をつかさどるとされている伝説上の動物です。

フランソワ1世のシンボルとなっているサラマンダーは、これ。

Nutrisco et extinguo Salamandre de François I 


ディジョンのノートルダム教会の外壁に彫られているモンスターがサラマンダーだとしたら、フランソワ1世のシンボルのサラマンダーとは逆の方向を向いているのです。

紋章は言葉で全てを言い表せるように決まりがあるのですが、フランソワ1世の紋章にあるサラマンダーは「左を向いている」と表現されていました。紋章学では、盾を持った人から見た左右で表現する法則があるので逆になるわけです。

ディジョンのモンスターは紋章ではないのだから、これは左を向いていることになる?


右か左かを考えると、いつも頭が混乱してくる私...。

日本から来た友人を案内したとき、サラマンダーに願いごとを食べられないように気を付けてと言ったら、今まで私は気にしていなかったことを指摘されました。

「でも、サラマンダーは、そっぽを向いているよ」

確かに、その通りなのでした。サラマンダーだかドラゴンだかの体はフクロウの方を向いていますが、首をひねっていて、頭は全く逆の方を向いているのでした。

右手でフクロウを撫ぜると、サラマンダーと目が合ってしまうからダメだと聞いていたように思うのですが、そっぽを向いているのだから目が合うはずはない!

とすると、フクロウを撫ぜた後にサラマンダーの前を通りすぎると、その時に願い事を食べられてしまうというわけですね。後ろから狙われるというのは薄気味悪い...。

フランソワ1世のシンボルのサラマンダーと同じ方向を向かせておいたら、フクロウと、そこに立って願いごとをしている人を振り返っている姿なので自然なのですけど...。


ところで、ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半。フクロウの彫刻がある部分は、ディジョンの裕福な商人だったシャンベラン家の礼拝室の外壁で、それは15世紀に作られたとみられています。

ディジョンのモンスターは、フランソワ1世(在位 1515年~47年)より前の時代なのでしょうから、どちらを向いているかは気にしないことにしました。


◆ 左右どちらの手でフクロウに触るかより、歩く方向がポイントでは?

フクロウに願いごとをするときは、左側の手をあげて、サラマンダーだかドラゴンだか分からない小さなモンスターには世を向けるのがポイントです。

願いごとをするときに左手を使うというのも縁起担ぎなのでしょうが、意地悪なモンスターのことを考えると、シュエット通りを歩く方向の方が大事に思えてきました。

教会の裏側からシュエット通りを進めば、モンスターの前を通り過ぎ、フクロウを左手で撫ぜながら願いごとをし、それから歩みを進めて教会の正面に出ることになります。モンスターはそっぽを向いているわけですから、フクロウに手をかけている人も見ていないわけです。



つまり、教会の入り口がある西側からシュエット通りを歩くのではなくて、地図に入れた赤い矢印の方向から歩く。


ストリートヴューで確認。教会の左手の路地を入ります。



彫刻がどのあたりにあるか分かっていないと見つけにくいですが、フクロウとサラマンダーがいる地点は、こちらです


観光ガイドブックなどでは、たいていはフクロウを左手で撫ぜなければいけないということだけを強調しています。地元の人たちでも、隅っこに小さな彫刻があることを知っているのは少数ではないかという気もします。

ディジョン市では、地面にはフクロウの絵を描いたプレートを埋め込んでいて、それをたどっていけば主な観光スポットを見て回れるようにしています。でも、ノートルダム教会とフクロウを見るコースでは、願い事をした後に小さなモンスターの前を通るという矢印の方向にしていたのに気が付きました。



ディジョン市のツーリストオフィスでは「ふうろうの観光コース(Parcours de la Chouette)」という小冊子を作っていますが、教会の正面からシュエット通りに回り込むコースにしていたはず。

日本語が入っている地図があったので(こちら)見てみましたが、ディジョン駅の方から歩き始めるように番号が振ってあって、ストリートビューに入れたように、ノートルダム教会の左手からシュエット通りに入るようにしていますね。




悪戯をする小さなモンスターの話しをディジョンっ子の友達に話したら、ドラゴンに決まっている、と言われました。

インターネットで情報を検索すると、ドラゴンと呼んでいる人よりも、サラマンダーと呼んでいる人の方が多かったのですけれど...。

サラマンダーが右を向いているか、左を向いているかを気にしていたのですが、新たな疑問が生まれてしまました。

同じく幻獣のドラゴンとは何か?

中世に描かれたドラゴンの画像を眺めて、ノートルダム教会に潜んでいる小さなモンスターはどちらなのかを考えてみたいと思います。


続き:
この小さなモンスターは、サラマンダー? ドラゴン?

シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次


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2017/05/02
中世に栄えたブルゴーニュ公国時代に都だったディジョン市(Dijon)には、昔にタイムスリップした感覚になる美しい旧市街が残っています。

路地に入り込んだりして散策すると楽しいのですが、主な観光スポットだけ見ることにした場合に見るのは、ブルゴーニュ公国時代の宮殿(Palais des ducs de Bourgogne)と、そこに近いところにあるノートルダム教会(Église Notre-Dame de Dijon)のあたりでしょうね。

宮殿の塔の上からディジョン市の北側を見た眺め。中央に高くそびえているのはノートルダム教会の尖塔です。

Panorama du nord de Dijon vu depuis la Tour Philippe le Bon, avec en premier plan l'église Notre-Dame de Dijon.


ノートルダム教会に祭られているマリア像がおこした奇跡

昔のディジョンには、教会の鐘楼が百もあったと言われます。今ではそんなにたくさんは教会が残ってはいないのですが、見学する価値が最もあるのはノートルダム教会かもしれません。少なくとも、ガイドさんは話すことには事欠かない。

この教会の正面に立つと、本来は雨どいのはずのガーゴイルがたくさん付いているので目をひかれます。それについては、ブログですでに書いていました:
クイズ: なぜガーゴイルがたくさんあるのか? 2006/10/23


ノートルダムとは、我らの婦人の意味で、つまり聖母マリアを祭っている教会です。このノートルダム教会に祭られているのはマリア様なのですが、少し変わっています。

Notre-Dame Dijon Vierge noire
La statue de Notre-Dame de Bon-Espoir

11世紀か12世紀に作られた像で、フランスにあるマリア像の中でも最も古いものに数えられるそうです。

もともとは幼子のイエスを抱いたマリア像でした。18世紀にマリアの両腕は無くなってしまい、フランス革命のときにイエスも消えてしまいました。それで衣を着せたりもしているわけです。

マリアの顔は、ほぼ完全に昔のままで残っているのだそうです。もっとも、始めは普通の肌色だったのに、16世紀か17世紀に黒く塗られました。20世紀になってから顔色を元に戻しています。それでも少し色の黒い顔なのですが、「Vierge noire(黒い聖母)」とは呼べないのだそう。

ここの聖母マリアは「Notre-Dame de Bon-Espoir」と呼ばれます。良き希望のノートルダム、とでも訳しますか?

ディジョンに住む人たちは、このマリア像に思い入れがあると感じていました。ディジョンの町が敵から解放された奇跡が2度起こした、というお話しからなのかもしれません。

1回目は、1513年スイス軍に包囲されて絶望的な状態になったとき(Siège de Dijon)。9月11日、ディジョンの人々がマリア像を掲げた礼拝行進したら、その2日後にスイス軍たちは何だか分からないけれど引き上げて行ったそうです。

2回目は、第二次大戦中の1944年。ドイツ軍に占領されていたディジョンを守ってくれるようにと、9月10日のミサでディジョン司教がマリア様に祈ったら、その日の夜から翌日(つまり、1513年に礼拝行列をした日)にかけてドイツ軍が出て行った。

つまり、ディジョンにとって9月11日は縁起の良い日? なぜ2度とも9月だったのかな?... この時期はブドウの収穫の準備で大切な時期、という関連くらいしか私には思いつかない...。


こういう話しには興味をひかれない観光客も多いかもしれません。私も昔に聞いたことがあったのでしょうが、すっかり忘れていたので書き出してみました。

ここには誰もが喜ぶ観光スポットがあります!


ノートルダム教会の外壁にあるフクロウの彫刻

歴史的なことよりも、ちょっと面白い逸話があったりするとツーリストに喜んでもらえるので良いわけなのですが、ここにはそれがあるのです。

教会の祭壇はメッカの方向、つまり東を向いていますから、観光スポットは教会の北側に回る道にあります。そこにあるフクロウの彫刻に左手をかざして願いごとをすると叶う、と言われるのです。



ガイドさんつきのツアーでは、必ずここに行くでしょうね。でも、地元の人たちも昔からフクロウを撫ぜています。それで石壁に彫られているフクロウは、ツルツルになっています。


シュエット通り

フクロウはフランス語でシュエット。フクロウの彫刻がある通りだから、ここは「シュエット通り」という名前になっています。

Dijon - rue de la Chouette

でも、通りの名前は、ずっと同じだったわけではないのでした。

始めはフクロウにちなんで「Rue de la chouette(シュエット通り)」だったのですが、ノートルダム教会の横の道なのだからというので、「Rue Notre-Dame(ノートルダム通り)」になりました。

その後の通りの名前は、革命家のグラキュース・バブーフ(Gracchus Babeuf 1760~97年)の名前を付けられたり、パリ・コミューンに参加して革命歌『インターナショナル』を作詞した詩人ウジェーヌ・ポティエの名前が付けられたりしていました。

1957年から「シュエット通り」に戻ったのだそうです。

フクロウは、フランス語でシュエット(chouette)。この細い石畳の道が「シュエット通り(Rue de la Chouette)」と呼ばれるのは、これに由来しています。


21世紀になったら...

2001年1月5日に事件がおきました。

ディジョンっ子たちが愛しているフクロウが、何者かによってハンマーで傷つけられたのが発見されたのです。地元の新聞では1面に大きく取り上げて大騒ぎ。お正月気分が抜けていない静かな朝、ニュースに驚いた記憶がまだ生々しいのですが、もう10数年も前のことでした。

そのことを書いた記事:
ディジョンの名物フクロウ 2012/09/08

フクロウに願いごとをしたのに聞き届けられなかった人が腹いせにやったのでしょうか? 結局、犯人は見つからず。でも、フクロウの彫刻は忠実に復元されました。


つい最近、2014年のこと。またまた地元で騒がれたニュースが飛び出しました。

chouette(シュエット)、つまりフクロウとして昔から親しまれていたのですが、実はミミズクだった、というもの。

ハンマーで叩かれる前に撮影されていた絵葉書の画像を入れます。



耳があるように見えますよね? こんな風に耳のように見える羽が頭にあるフクロウは世界中に存在しないそうで、この特徴からミミズクの彫刻だと判定できるのだそうです。

その時のことを書いた記事:
ディジョン名物はフクロウだと思っていたら、ミミズクだった? 2014/08/18


このニュースは、地元の新聞社にとってはスクープだったのでしょうが、住民たちは無視した感じもあります。いまさらミミズクと言われたって、というところでしょうか?

ミミズクなら「hibou(イブー)」と呼ばなければいけないのですが、通りの名前も変わらないし、みんなも相変わらず「シュエット」と呼んでいます。

ミミズクやフクロウの絵は紋章にも使われるのですが、この2つは昔から混同されることが多かったようです。

それに、ブルゴーニュの人たちにとって、ミミズクでも良いではないか、という気持ちもあるのかもしれません。

ブルゴーニュ公たちのことをDucと呼ぶのですが、それにgrand(偉大な)と加えた名前がついたミミズクがいるのです。


Hibou grand-duc(学名 Bubo bubo)

ブルゴーニュでは絶滅の危機になっている貴重なミミズクの種類なのですが、日本語ではワシミミズクと呼ぶようです。とすると、「大公」ということで同じだ、という理屈にはなりませんね。


なぜ、そこにフクロウがいる?

フクロウの彫刻には地元の人たちの思い入れが強いので、なぜフクロウがいるのかには数々の推測がなされています。

フクロウは、愛される鳥ではなかったはずなのです。迷信深かった昔は、フクロウは凶兆のシンボルとされていて、悪運払いのために納屋のドアに釘打ちされていたそうです。

ところで、このノートルダム教会がある辺りは、中世には庶民たちの家が建っている地域でした。当時の庶民の家の壁は木で出来ていたので、頻繁に大火事がおこったようです。フクロウは屋根裏部屋に住んでいたので、夜に火がおこると危険を知らせた、とも言われます。

1137年6月には、ディジョンの町が全焼する大火が起こっていました。ノートルダム教会が建てられたのは、その百年後ですが、まだ大火の記憶は残っていたでしょうね。


ここにフクロウがいる理由には、こんなものがあります。

フクロウは夜の鳥。そして、この彫刻のフクロウは教会の北側の壁を支える柱にあります。北側、夜、ということで、このフクロウはキリスト教徒にとって闇の存在であるユダヤ人のシンボルだったとする説があります。

教会のあたりには市が立ったので、中世には金銭の商売をすることだけが許されていたユダヤ人たちがここに店を開いた?...

そうかと思えば、このフクロウはキリストを象徴しているとする人もいます。神は暗闇にいる人間も愛したから、というわけ。

さらにキリスト教以前のパガニスムを持ち出して、ギリシア神話に登場する知恵の女神アテナのシンボルだという説もあります。ゴシック様式のこの教会が建設される間、女神様が守ってくれた、というわけ。

そういえば、アテナは梟(グラウクス)に関連づけられていましたね。


アテナ-フクロウとアテナ-ペガサス 2 の硬貨、ギリシャの神および女神コイン コレクション


地元ディジョンの歴史家Eugène Fyot(1866-1937年)は、この教会の設計監督者の一人がChouetとという名前だったから、自分のサイン代わりにフクロウ(chouette)を彫った、という仮説を出したのだそう。

中世に建てられた建物には、人物や動物など色々と不可解な彫刻が施されているので、それが何の意味を持つのかを考えていたらきりがありません。


シャンベラン家の礼拝堂の外壁にフクロウがいる?

ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半。フクロウの彫刻があるのは、ディジョンの裕福な商人だったシャンベラン家の礼拝室の外壁の部分で、その礼拝室は15世紀に作られたとみられています。

教会の中にあるチャペルの部分なのですが、礼拝堂と言えば良いでしょうか? 教会側廊に作られている個室のような空間です。おそらく、裕福な人たちがプライベートな礼拝空間として持てたのでしょうね。

シャンベラン家では、礼拝堂を作ったのと同じ時期に、ディジョンの中心地にフランボワイアン(火焔式)ゴシック様式の見事な館(Hôtel Chambellan)を住居として建てています。

その館にも面白い彫刻があるのです。



赤枠を入れた部分をご覧ください。螺旋階段になっている塔の入り口に、階段を登ろうとしているエスカルゴが3匹いるかのように彫刻されているのです。



螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます! 館を建てさせたアンリ・シャンベランは1490年から93年までディジョン市長を務めたそうですが、遊び心があったのかな?...

この階段を登りつめたところの天井には、あっと驚くほど見事な彫刻が施されています(Wikipediaに入っている画像)。庭師が背負った籠螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます!植物が伸びて天井一面に広がっているという図。


フクロウに左手をかざして願いごとをしなければいけない理由

それについて書きだしたのですが、前置きが長くなってしまいました。

フクロウの近くにある、目立たない小さな彫刻が願いごとを食べてしまわないように左手を使わなければならないと言われるのですが、そこにも謎があるのです。それについて、次回に書きます。


続き:
ディジョンの観光スポット「シュエット通り」の歩き方

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外部リンク:
Découvrez l'histoire urbaine de Dijon et son évolution
☆ Wikipédia: Ville aux cent clochers
☆ Wikipedia: Duché de Bourgogne » ブルゴーニュ公国
☆ Wikipédia: Église Notre-Dame de Dijon
Thèses et anti-thèses sur la chouette de Dijon
La chouette de Dijon : mythes et légendes
Héraldie: Le hibou et la chouette en héraldique
パリ・コミューンの詩人たち──ウジューヌ・ポティエ
『インタナショナル』日本語訳


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2017/04/27
サラマンダーと呼ぶ伝説の動物がいます。
イモリかトカゲかという薄気味悪い姿。大きく描けばドラゴンにも見える。


14世紀に描かれたサラマンダー 『Bestiaire(動物寓意譚)』より



日本ではサンショウウオとも呼ばれるそうです。

でも、山椒魚は、ヨーロッパ大陸に生息しているファイアサラマンダー(Salamandra salamandra)とは異なる動物でした。


フランス語ではsalamandre(サラマンドル)で、聞いたことがある動物の名前なのですが、本当にフランスに生息しているのだとは思っていなかった。

分布図からして、奇妙な姿に見えてしまう...。



実際のサラマンダーはもっと薄気味悪いのですが、地図をクリックすると画像が入ったWikipediaのページが開きます。


火の精とされるサラマンダー

地、水、風、火を自然の力として四大精霊あるいは四大元素とすると、サラマンダーは火の精とされていました。

不思議な動物のようなのです。危険が迫ればサマンダリン (Samandarin)という毒を出すことができる。それから、 野原が火事になったときには湿った地面に潜り、粘液で火傷を防ぐことができるようで、火が収まった時には地面から這い出てくるのを人間が見ると驚くらしい。


François Ier vers 1530 par Jean Clouetサラマンダーと言えば、フランソワ1世

この動物を知ったのは、16世紀全般のフランスを統治したフランソワ1世(François Ier de France 在位 1515年~47年)のエンブレムだからです。

彼の治世には美術や文芸が発展し、フランス・ルネサンス期を代表する国王とみなされています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は、1516年にフランソワ1世に招かれ、アンボワーズ城近くのクルーの館が邸宅として与えられて晩年を過ごしました。

歴代の国王の中で、フランス人には人気がある王様なのだと聞いたことがあります。


このフランソワ1世の紋章がサラマンダーなのです。

CoA François Ier de Valois Salamandre galerie françois premier chateau fontainebleau


サラマンダーは、古代ヨーロッパでは火の中で生きることができる生物だと考えられていたそうです。体温があまりに冷たいために火を寄せ付けず、火を消し去ってしまう。

そのサラマンダーをエンブレムにしているフランソワ1世の金言は、ラテン語でNutrisco et extinguo

フランス語にすると、こうなるのだそう:
Je nourris (le bon feu) et j'éteins le mauvais.

私は(良き火を)養い、悪を消す。

王様のモットーとしては正義の味方のようで良いですね。


フランソワ1世のサラマンダーは、どっちを向いている?

例によって、私はつまらないことが気になりました。

サラマンダーが振り返っているような姿なのは、自分の体に水なり粘液なりをかけているという姿なのでしょうか? それは調べないことにしたのですが、振り返っている方向が気になりました。

フランソワ1世が生きていた時代にまつわる城などにはサラマンダーの彫刻がたくさんあるのですが、だいたいにおいてサラマンダーの頭は左側にあり、右の方を振り返っています。

ロワール川の城めぐりで有名な地方に、彼の城だった美しいアゼ=ル=リドー城(Château d'Azay-le-Rideau 建築 1518年~)がありますが、そこの壁にもサラマンダーの彫刻が残っています。

Nutrisco et extinguo Salamandre de François I
La salamandre de François Ier et sa devise : « Nutrisco et extinguo » (Château d'Azay-le-Rideau)


同じ地域にあるシャンボール城(Château de Chambord)にも、天井には頭文字のFと、サラマンダーの彫刻がたくさん施されています。

Salamandre de François Ier

このシャンボール城の格天井にある彫刻をもっと多く写している画像がこちらにあるのですが、みな同じ方向に頭を向けています。つまり、向かって右側。


探してみたら、左側に顔を向けているサラマンダーがないわけではありませんでした。

下はパリ市に近いところにある教会Église Saint-Georges de Belloy-en-Franceの壁面にあるサラマンダーの彫刻。

Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandre
Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandre


これは西側にある扉口で、半円形のティンパヌムの右側にある三角小間の部分にサラマンダーの彫刻があります。


左側の部分にもサラマンダーがいて、対になっていたのだとしたら自然な構図。左側の部分の画像はこちらなのですが、彫刻が消えてしまっていて見えない...。たぶん「F」なのではないかと想像するのですけれど。


先ほどのフランソワ1世のラテン語の金言を入れた画像があるので眺めてみたら、こちらは逆の方向を見ていました。でも、フランソワ1世が亡くなってから出版された本のようなので、これは例外には数えられないかな...。


Paolo Giovio, Dialogo dell'imprese militari e amorose (1556)



ディジョンのサラマンダーは何をしようとしているのか?

サラマンダーはどちらを向くものなのかと気になったのは、ブルゴーニュ地方のディジョン市にある古い教会の外壁に彫られているサラマンダーは、向かって左側に顔を向けているからです。



この教会が建てられた頃のブルゴーニュはフランス王国にはなっていなかったので、これはフランソワ1世とは無関係なはず。

でも、この小さなサラマンダーが悪さをすると言い伝えられているので、首をどちらに向いているかが私は気になるのです。

ディジョンの観光スポットの中心地域にありながら、存在を知っている人が少ないこのサラマンダーについて続きで書きます。


シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次




追記:

サラマンダーがどちらを向いているのかが気になっているわけなのですが、後ろを振り返ってはいないものが描かれている紋章を見たことがあるのを思い出して探してみたら、市町村の紋章として出てきました。

トカゲも紋章になっていた

Blason Coaraze
Coaraze(コアラーズ)村
Blason de Flagey-lès-Auxonne

似ているのですけれど、これはトカゲなのでした!

右側の紋章のデザインでは、トカゲの尻尾が切れています。切れていないトカゲのデザインもあるのですけど。



紋章のサラマンダーは、実は左を向いている

サラマンダーはフランソワ1世の紋章だけではなくて、幾つもの市町村の紋章でも使われています。でも、サラマンダーなら、トカゲとは違って振り返っている姿でないといけないようです。

Blason ville fr Brûlon (Sarthe)
Brûlon
De gueules à la salamandre d'or dans sa patience du même, au chef d'argent chargé d'une crosse de sable mouvant du trait du chef.
Blason ville fr Vitry-le-François
Vitry-le-François
D’azur à une salamandre d’or, la tête contournée et couronnée de même, couchée dans un bûcher ardent de gueules ; au chef d’azur soutenu d’or et chargé de trois fleurs de lys de même.


紋章学では、紋章は言葉で表現できることになっています。サラマンダーの紋章の表現を見てみました。頭が右の方を見ているというのは「tête contournée」と表現しています。動物が左側(シニスター)を向いている場合にそういうのだそう。下弦の月の形にするのも同じ表現。

盾を持ったときのポジションで見てみて(つまり、裏側から見て)、紋章のどちら側に向いているかによるので、右と左が逆になる。左だったらsenestre(シニスター)で、右だったらdextre(デキシター)。

シニスターというのは、ヨーロッパ文化では不吉な方向とされますよね。紋章のサラマンダーは、悪い方向を見て毒を放っている?...



Belloy-en-France (95), église Saint-Georges, portail occidental, écoinçon de droite - salamandreとすると、上に入れた教会の入り口で逆を向いているフランソワ1世のサラマンダーの彫刻はどうしてくれる?

でも、教会に入ろうとするとき、右側にいるのですよね。それで反対側に顔を向けているということは、やはり左を威嚇していることになる。

あるいは、右と左をよく間違える私のような職人が作ってしまった? ... プロなのだから、そういうのはあり得ないだろうな...。

ブログ内リンク:
★ 目次: 右と左の違いが気になる
ロマネスク教会 (4) : 右は天国、左は地獄 2008/05/03

外部リンク:
【Wikipedia】
☆ ファイアサラマンダー > 人間との関係
四大精霊 | サラマンダー (妖精) 
Salamandre (animal légendaire) | Category:Salamanders in art

☆ BnF: La tempérante salamandre aux origines de la devise de François Ier
La marque de la Salamandre à la bibliothèque de droit d’Aix
☆ Wikipedia: category / Portail occidental de l'église Saint-Georges de Belloy-en-France
ルネサンスのセレブたち: トカゲと公爵
Top 10 des personnages français historiques préférés des Français
Le petit bout de la queue (du Diable) / Coaraze
☆ Au Blason des Armoiries: Contourné
中世ヨーロッパの風景 「紋章について」


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2017/04/24
大統領選挙が4月23日(日)に行われ、その日の夜8時からテレビでは結果の発表を始めました。

2017年大統領選挙の第1回投票結果

過半数の獲得者はいなかったので、5月7日(日)に決選投票が行われることになりました。上位の2人となった中道・無所属(En Marche !)のエマニュエル・マクロン氏と、極右政党の国民戦線(FN)の党首マリー・ル・ペン氏のいずれかが大統領になります。

いつ順番が入れ替わってもおかしくない接戦となった上位4位の候補者の名前は、全部「ン」で終わっています。
  1. マルロン (Macron)
  2. ル・ペン (Le Pen)
  3. フィヨン (Fillon)
  4. メランション (Mélenchon)
3人は「on」で終わっているれど、ル・ペンは「en」で終わっているので、フランス人の感覚では同列にはできないらしいのですけれど。

なんだが、「ン...」と首を傾げてしまう投票結果。

フランスの2大政党だった共和党(右派)と社会党(左派)は、いずれも決戦投票に候補者を出すことができなかったのです。これは、第五共和政の歴史上初めてのことなのだそう。

上位4人の得票率は19~24%という接戦だったのですが、その後とは大きな差が開いていました。社会党からの候補者だったアモン氏は、6%で第5位という惨敗。5年の任期を終える大統領のオランド氏は社会党らしからぬ政治をしたし、余りにも無能だったので、昔からいた社会党支持者たちは政党そのものに愛想をつかしてしまったようです。


第1回投票で、誰に投票した人が最も多かったかを県別に示した地図がありました。

Emmanuel Macron par Claude Truong-Ngoc avril 2015.jpgEmmanuel Macron
(EM)
24,01 %
Le Pen, Marine-9586 (cropped).jpgMarine Le Pen
(FN)
21,30 %
François Fillon 2010.jpgFrançois Fillon
(LR)
20,01 %
Jean-Luc Mélenchon 2017.jpgJean-Luc Mélenchon
(FI)
19,58 %
☆ 日本語バージョン:【図解】仏大統領選、県別の首位候補者 (AFP)


得票のパーセンテージではマクロン氏(黄色)がトップだったのですが、色分けした地図を眺めると、ル・ペン氏(灰色)の方が多そうに見えてしまいませんか?


誰に投票したかが見えるフランスの制度

大統領選挙になる度に、面白いと思うことがあります。上に入れた地図は県単位で分析したものですが、コミューン(市町村)ごとに、どの候補者に何人が投票したかを公表する政府のサイトがあるのです。

フランスには人口が50人にも満たないような村がたくさんあります。投票者が10人以下だったら、ほとんど名前を明かしてしまうような感じになってしまうではないですか?

人口が非常に少ない村として、マジャストルという山の中にある過疎村の場合を見てみます。
この村の今回の投票結果は、こちら

僻地では極右政党の支持者が多いのが普通なのですが、この村こは急進的な考え方をする人が多いらしい。メランションに投票した人が最も多くて、5人。フィヨンに4人、マクロンに3人と続いています。極右のル・ペンに投票した人が、たった1人いました。村の住民だったら、極右政党に投票したのはアイツだろう、なんて分かってしまうのでは?...


フランスはどうなるのか...

大統領選挙で盛り上がっているフランス。国のトップを国民が選べるのは羨ましい気がします。世論調査が出す政治家の支持率などはいくらでも数字を操作できるでしょうが、国民投票数を大幅にごまかすのはかなり難しいはずなので。

決選となれば誰でも慎重になって極右政権に投票する人は少ないでしょうから、中道派のマクロン氏が圧勝するだろうとみられています。私は二人とも好きではないのですが、やはり極右政党が大統領になるのだけは裂けてもらいたい...。

もっとも、たとえル・ペン氏が大統領になったとしても、どこかの国のように「お国のために命を捧げるのが美徳だ」などとまでは言い出さないはずです。国民の権利をはく奪し、国の在り方を180度も変えてしまうようなことを言いだしたら、フランス人たちは黙っていないでしょうから。

決選投票に残った2人のいずれにも私は好感を感じません...。

世界中が狂っているのだとしたら、余りにも酷い状態にならないように祈るしかないのかな?... ともかく、フランスでは政治に関して、あ~だ、こ~だ、と国民が自由に批判したり、不正を行う政治家を断罪したりできる余地が残っているのだから、まだ救われるレベルなのかもしれない...。

外部リンク:
フランス大統領選、マクロンとルペンの決選投票へ 2017/04/24
フランス大統領選の第1回投票は、政界に激震をもたらした  2017/04/25
Présidentielle 2017  où les candidats du premier tour ont-ils fait leurs meilleurs scores
Wikipedia: 2017年フランス大統領選挙 » Élection présidentielle française de 2017
Election présidentielle 2017
Top 10 des communes les moins peuplées de France, celles où on connait tout le monde
マクロン夫妻の“やってはいけなかった”こと


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2016/12/27
セイヨウトチノキが何であるかを、こう記載していた日本の大百科事典があるそうです:

マロニエという名称はマロン(クリ)に由来し、
マロングラッセも古くはマロニエの実が使われたという。

フランスでは街路樹になっていたりするマロニエを見かけます。その樹木の命名が栗のマロンに由来する、というのはあり得そうな気がする。

でも、その実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは、信じがたい思いがします。フランスでは、有毒だから食べてはいけないとしか言われませんので!

シリーズ記事目次 【栗のマロンには不思議がいっぱい!目次へ
その11


ニワトリが先か、卵が先か、の続き

マロングラッセについて以下の記事を書いたのですが、今回はその続きです。


いつマロングラッセが誕生したたかには諸説あるのですが、16世紀であろうというのが、フランスやイタリアでは定説になっているようでした。発祥地としては、フランスのリヨンと、イタリアのクーネオが登場しているのですが、現在の国境線が引かれた18世紀までは同じ文化圏だった地域と言えると思います。

栗を砂糖菓子にするレシピは、1667年に刊行された料理の本で初めて紹介されました。マロングラッセが大衆化したのは、工場生産に成功したフランスの企業が創設された1882年

マロニエの木がヨーロッパに入ったのが、これらの時期の後であれば、マロングラッセをマロニエの実で作っていたというのは辻褄が合わないことになります。ヨーロッパでは、中世にはすでには大切な食料となっていましたので。

以下に拾った情報を書きますが、私がたどり着いた結論から先に言っておきます。

マロングラッセが生まれたのは16世紀とすると、セイヨウトチノキで作っていたという話しあり得ない。17世紀以降だとすると、あり得ないこともない...。

とは言え、で作っても非常に手間がかかるマロングラッセを、毒性があり、皮をはがすのも容易ではないマロンで作っていたとは信じられないという先入観で私は染まっています...。


Paradoxe de l'œuf et de la poule


マロニエの木は、いつヨーロッパに入ったのか?

マロニエが入る前から、イタリアやフランスでは栗をマロンと呼んでいたのは確かだと思います。

ここまでに書いたことも含めて、まとめてみます。

栗の木: シャテニエ(châtaignier)

ヨーロッパグリの学名はCastanea sativa。sativaは「栽培された」の意味。

栗の実はシャテーニュ(châtaigne)だが、品質が優れている栗の実はマロン(marron)、そのような実がなる栗の木をマロニエ(marronnier)とも呼ばれる。


マロン
と呼ぶ栗は、植物学的にはイガの中で1つだけ果実が成長したものを言う。

今日のフランスの栗業界では、栗の中の仕切り率が12%以下の実がなる品種の栗の木からとれるものをマロンとしているが、栗に関係する食品名の使い分けはかなりいい加減である。

野生の栗の木には良い栗が実らないが、木材としては優れている。

※ イタリアで栗はcastagnaだが、フランスと同じように品質の良い栗はmarrone(複数形はmarroni)と呼ばれる。


 
栗の実は、フランスでも太古から食されていた。ギリシャのテッサリアは、古代から質の良いとして定評があった。

栗の品質を良くするためにフランスで栽培が始まったのは中世。シャルルマーニュ(カール大帝)は、ワインを飲みながら焼きを食べていた、という伝説がある。

秋に収穫された栗はクリスマスまでも保存できない。そのまま調理しても美味しくない栗や、長期保存するためのは、乾燥して粉にして小麦粉の代わりに使われることが多かった。また、栗は家畜の餌にもされたりしていた。

小麦が育たない地域ではが小麦の代用となっており、栗の木は穀物の代わりになることから、シャテニエは「パンの木」、栗は「貧者のパン」などと呼ばれていた。家畜の餌になることから、「ソーセージの木」、「肉の木」とも呼ばれていた。

16世紀、大きくて風味もある上質の栗は「marron(マロン)」という"カテゴリー"で販売された。イタリアからも上質の栗はフランスに入ってきた。

17世紀には、リヨンの市場で扱われる栗が「marron de Lyon(リヨンのマロン)」として高い評価を受けていることが定着していた。

※ 栗と同様に食糧難から人間を救う食料となるジャガイモは、フランスには1770年に入った。

19世紀ではフランスには栗林が非常に多かったが、20世紀になってからの農村から都市への人口移動、栗の木の病気によって栽培される栗の生産量はかなり減少した。

2006年、アルデッシュ県で生産される栗が「アルデッシュのシャテーニュ(Châtaigne d'Ardèche)」として、高品質保証のAOC(原産地統制呼称)を獲得した。


セイヨウトチノキ: マロニエ(marronnier)
実はマロン(marron)と呼ばれ、食用にはならない。

栗でなくトチノキであることを強調するためには、樹木はマロニエ・ダンド(marronnier d'Inde)、果実はマロン・ダンド(marron d'Inde)と呼ぶ。「ダンド」は「インドの」の意味だが、東インド会社から入ったものや、珍しいものには「インドの」と付けることがよくあった。

マロニエの学名Aesculus hippocastanumAesculusは、食用になる殻斗果のコナラの意味。ippocastanumの方は、馬 (hippos) とシャテーニュ(châtaigne ギリシャ語で(kastanon)に関係している。馬が名前に入っているのは、馬には少量なら与えても大丈夫なことから。

※ 英語圏ではマロニエをhorse-chestnut、hippocastanumと、学名のままで呼ばれているようだ。イタリアでの名称はippocastanoないしcastagno d'Indiaで、マロニエはイタリア全土にある(特に多いのは中央北部)。

現在ではマロニエの葉や果実からは薬も作られている。マロンを馬に与えるにしても、薬にするにしても、毒性を抜く作業が必要である。


原産地は小アジア。氷河期の終わりころには生育していたとみられる。1557年に、バルカン半島にあったものがコンスタンチノープルに入ったと言われる。

1576年(あるいは1591年)、ウィーンにマロニエが入ったのがヨーロッパで初めてであると一般的に言われる。しかし最近では、考古学者と古生物学者が、もっとずっと前からヨーロッパに存在していたことを発見している。

フランスに入ったのは1615年というのが定説(ルイ13世の時代)。植えられたのは、パリのスービーズ館(Hôtel de Soubise)だと言われる。

マロニエが初めに植えられたのはパリの庭園であり、ヴェルサイユ宮殿でも庭園を飾ったことから、マロニエは緑陰樹として適していることからだったと思われる。

1718年、marronnier d'Inde(マロニエ・ダンド)という名称が文献に登場する。

18世紀になると、慢性気管支炎などを治療するために、マロニエの果実から薬を作るようになった。


フランスでは、いつから栗を「マロン」と呼んでいたのか?


 ラ・フォンテーヌの『寓話』に登場する「火中の栗を拾う」という表現

日本語で「火中のを拾う」という名訳ができている「tirer les marrons du feu」という表現がフランスにあります。

ラ・フォンテーヌ『寓話(Fables de La Fontaine)』の第9巻 第17話「猿と猫(Le Singe et le Chat)」に出ているために有名になった表現です。


ギュスターヴ・ドレの挿絵

この寓話が発表されたのは1678年

でも、「tirer les marrons du feu(火中の栗を拾う)」はラ・フォンテーヌが考え出した表現ではなくて、その前から使われていた表現なのだそうです。

古い文献に現れた栗としてのマロンを挙げてみます。
  • 1526年: Claude Grugetの『Les Diverses leçons de Pierre Messie』で、「fruit du marronnierマロニエの果実)」として(P. 888)。

  • 1640年: Antoine Oudinの『Curiosités françoises(フランス奇言集)』で、「tirer les Marrons du feu avec la patte du chat(猫の脚で火中のマロンを取り出す」として。

  • 1655年: モリエールの喜劇『L'Étourdi ou les Contretemps(粗忽者)』で、「tirer les marrons de la patte du chat(猫の脚でマロンを取り出す)」として(第5幕)。

少なくとも、17世紀にはマロンと呼ぶ栗が身近な存在だったと言えると思います。


 マロングラッセのレシピが初めて文献に登場したのも17世紀

マロングラッセとマロンの関係。鶏が先か? 卵が先か?(シリーズ記事 その9)」に書いたように、フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌが1667年に刊行した『Traité de confiture ou Le nouveau et parfait confiturier』にマロングラッセのレシピが紹介されていました。

このレシピでも、栗はマロン(marron)という単語を使っています。

17世紀には、「Marron de Lyon(リヨンのマロン)」という栗が美味しいという定評が出来上がっていたそうですので、それを使ったレシピなのかもしれません。

リヨンのマロンといっても、リヨン市で栗が取れたわけではなくて、大都市なので周辺から栗が集まったためです。フランスの栗の産地であるアルデッシュ県にも近いし、イタリアにも遠くはない。少なくとも、パリよりはずっと栗が集まりやすい場所でした。

マロングラッセは、16世紀にリヨンで誕生したという説は、それをもとにしていると思われます。

16世紀には、大きくて美味しい栗を「マロン」と呼んでいたそうなのですが、イタリアから入った栗も、アルデッシュ産のものも、販売する価値があるような美しい栗はマロンと呼んでいたのではないでしょうか。

栗は小麦の代わりになるために「貧者のパン」とも呼ばれていたし、家畜の飼料にもされていたのですから、ただ栗の実であることを示す「シャテーニュ」ではなくて、「マロン」と呼びたかった気持ちは理解できる気がします。


 マロンの語原はイタリア語

marron(マロン)には色々な意味があるので複雑です。

フランス語の「マロン(marron)」という単語は、ラテン語のmaroに語源があると言われています。リヨン周辺地域で昔にあった言葉では、そのラテン語を受けて「marr-」という接頭語が「小石」の意味で使われていたのだそう。

フランスの植物情報では、マロニエ(marronnier)という名前が付いたのは、この実が小石(マロン)のように丸かったからという説明もありましたが、仏仏辞典には記載がなかったので、真偽のほどは分かりませんでした。

ともかく、イタリア語から入ったマロン(古いフランス語ではmaronと綴った)という単語は、10世紀のフランスでは使われていたようです。



マロニエの実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは信じられないので、おかしいと言いたくて背景を調べて書いてしまいました。

同じように疑問を持たれた方が記事を書かれています。こちらの方がスッキリしていて良いですね:
マロングラッセはかつて本当にセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたのか

そこに書かれている情報によると、飢饉のときにマロニエの実を食べていたという記載があるそうなのですが、私が調べたフランス語情報では1つも出てきませんでした。マロンを食べるためのあく抜きをする方法も全くなし。

フランスは昔から食料には恵まれていたので、マロンまで食べなくても切り抜けられたのだろうと思いますけれど...。

飢饉も乗り越えられるジャガイモを普及させるために、フランス王家はかなり苦労していました(ジャガイモの花で書いています) 。日本のドイツ文学者とおしゃべりをしたとき、ドイツでは南米からジャガイモが入ったときには人々が簡単に飛びついていたと言われたので違いを感じて興味深かったのでした。


マロニエの実を食べていたはずはない、と少し違った角度からも立証してみたいと思って私も書いたわけなのですが、日本の百科事典に書かれていたことは本当なのだろうか? と調べる必要もなかった、と思っているのが正直な気持ちです...。


以下のことは分からなかったのですが、保留にしておきます:

栗の「マロン」は、植物学の定義ではイガの中に実が1つだけ大きく成長したものを指すのだそうですが、その定義がいつ出来たのかは分かりませんでした。

16世紀に「マロン」と呼んでフランスで販売されていた栗が、イガの中に実が1つだけの栗を指していたのかどうかの情報は見つけることができませんでした。植物学的定義がこの時代にはできていなかったとしたら、市場では栽培して大きな実になって美味しい栗を「マロン」と呼んでいた可能性は大きいと思います。


まだマロンには不思議が残っているので、もう少し(!)続けます。

続き:
 マロン・クリームはマロングラッセから生まれた


★ シリーズ記事目次: 栗のマロンには不思議がいっぱい!




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★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
【研究機関の情報、辞典】
☆ Cairn: Classer et nommer les fruits du châtaignier ou la construction d'un lien à la nature
☆ CNRTL: Définition de MARRON |  Etymologie de MARRON
☆ Bibliothèque municipale de Lyon: Marrons et châtaignes
☆ Larousse:  Définitions  marron
☆ Littré: marron (définition, citations, étymologie)
☆ Tela Botanica: Le chataîgnier l'arbre à pain, providence de nos ancêtres

【その他のソース】
☆ Doctissimo: Marronier d'Inde (Aesculus hippocastanum)
Introduction du marronnier en France
☆ Le Rendez-vous des Arts Culinaires: Histoire de la châtaigne
☆ Grand Paris: Caractéristiques du marronnier d'Inde
La Châtaigne  un peu de botanique
☆ L'atelier des Chefs: Tirer les marrons du feu… (avec la patte du chat)
☆ ルネサンスのセレブたち: 庶民の腹を満たした栗の話 イタリア情報

【火中の栗を拾う】
☆ 北鎌フランス語講座 - ことわざ編 成句 tirer les marrons du feu
☆ 故事ことわざ辞典: 火中の栗を拾う
☆ Wikipedia: The Monkey and the Cat
Fable Jean de La Fontaine  le singe et le chat
能楽さんぽ  火中の栗を拾う

【焼き売り屋(Marchand de marrons)】
☆ France pittoresque: Marchand de marrons d'autrefois
☆ Google Livres: Le Castoiement ou Instruction du perè à son fils
☆ Wikisource: Les rues de Paris-Les Vieilles Rues (Le Vieux Paris)


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2016/12/02

シリーズ記事目次 【栗のマロンには不思議がいっぱい! 目次へ
その2



マロニエの木がよく目につくのは、パリです。どうしてパリにはあれほどマロニエの並木があるのかと気になっていたのですが、19世紀後半に意図的に植えたのだそう。

春になると、他の木々に先駆けて葉をだしていきます。それに対して、プラタナスの並木は枯れてしまっているのかと思ってしまうほど遅い。

マロニエは、きれいな花も咲かせます。



パリに住む友人は、マロニエ並木のおかげで春先に花粉症で苦しむ人が出るのだと言っていましたけれど。

マロニエ(marronnier)は、「インドの」というのを付けて「marronnier d'Inde」とも言われます。この木がフランスに入った当時はエキゾチックなものに「インドの」という名前がよく付けられたそうです。フランスの園芸店に行くと、「日本の」と付けられた植物が非常に多いのが目に付いていました。

1790年に、イギリス人の地質学者がマロニエの原産地はギリシャのマケドニアとブルガリアだと特定したそうです。なお、フランスにマロニエが入ったのは1615年だった、というのが定説になっています。


マロニエの実「マロン」は食べることができない

マロニエの学名はAesculus hippocastanumで、日本ではセイヨウトチノキと呼ばれます。

マロニエの実は「マロン(marron)」と呼びます。

Aesculus hippocastanum

実を取り出せば栗に見えるのですが、毬(いが)が違います。

マロンと呼ばれる実ではありますが、これでマロングラッセ(Marron glacé)を作るわけではありません。マロングラッセは、栗の実を砂糖漬けにしたお菓子ですので。

マロニエの実は、食べることができないのです。

日本のトチノキの実は食用になりますが、これは学名がAesculus turbinata。同じトチノキ属とはいっても、フランスのマロニエとは品種が異なるのです。

日本では栃の実を食べるのだから、マロニエの実もあく抜きをすれば食べられるのではないか、とフランス人に言ったら、絶対に誰も食べないと断言されました。マロニエの実は不味いだけではなくて、多少の毒性もあるようなのです。



マロニエの根っこ

ひところ、マロニエの木の写真をたくさん撮っていた頃がありました。カメラを向けるのは根元の部分。



なぜマロニエの足元が気になったかと言えば、サルトルの『嘔吐(La Nausée)』で重要な役割を果たしていたからです。推理小説のように読み進んでいると、突如としてマロニエの根っこが登場しました。

この小説を読んだ頃は、実際のマロニエは見たことがありませんでした。それで、マロニエの根っこは吐き気を催すほど気持ち悪いものなのかと知りたかったわけです。

フランスでマロニエの前を通ると根っこの部分を眺めていたわけですが、別に普通の樹木と比べて変わっているようには思えませんでした。

サルトルは、蟹が大嫌いだったので、マロニエの根っこはそれを連想させるから嘔吐を催したのだという解説があったので、根が薄気味悪いほど這いまわっている木を私は探したのでした。

根っこが露出している木があると、これか~!♪ と喜んだりしたのですが、そういうのはめったにはありませんでした。



このくらいでは蟹を連想したりはしないですよね?

書きながら画像検索したら、下の写真がWikipediaに入っていたので驚きました。

Rouveroy AR1aJPG.jpg
Arbre remarquable par le marcottage de ses branches.

ベルギーのRouveroy村にあるマロニエで、日本でいえば天然記念物のような指定も受けているマロニエです。

枝が地面におりて、そこから根を張ってしまっているのです。サルトルがこんな木を見たのかもしれないけれど、ただパリにはマロニエがたくさんあるので登場させただけではないかな...。

『嘔吐』にあった問題の箇所を読み直してみました。

いましがた私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、深くつき刺さっていた。それが根であるということが、私にはもう思い出せなかった。ことばは消え失せ、ことばとともに事物の意味もその使用法も、また事物の上に人間が記した弱い符号もみな消え去った。いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひとりで私は、その黒い節くれだった、生地そのままの塊と向かいあって動かなかった。その塊は私に恐怖を与えた。それから、私はあの啓示を得たのである。 [ P.146 ]

Donc j’étais tout à l’heure au Jardin public. La racine du marronnier s’enfonçait dans la terre, juste audessous de mon banc. Je ne me rappelais plus que c’était une racine. Les mots s’étaient évanouis et, avec eux, la signification des choses, leurs modes d’emploi, les faibles repères que les hommes ont tracés à leur surface. J’étais assis, un peu voûté, la tête basse, seul en face de cette masse noire et noueuse, entièrement brute et qui me faisait peur. Et puis j’ai eu cette illumination.


根は「深くつき刺さっていた」というだけの表現だったのですね。しかも「根(racine)」は単数形。蟹に見えなくても良いのではないですか?! いい加減な記憶を持って無駄なことをしていた私...。


「マロン」には2通りある

マロニエ(marronnier)と呼ばれる木の実は「マロン(marron)」で、人間の食用にはなりません。

昔のフランスではマロニエの実の毒性が非常に強いと思われていたようです。でも、馬には少量なら与えても大丈夫らしく、マロニエの学名にあるhippocastanumは「馬の栗」という意味があるラテン語なのだそう。英語圏ではそういう呼び方もよくするようですが、フランスでもあるというchâtaignier des chevauxという呼び名を私は聞いたことがありません。

食べる栗はシャテニエ(châtaignier)という栗の木の実。この栗の木の実はシャテーニュ(châtaigne)なのですが、マロン(marron)と呼ばれます。

栗を取り出してみればそっくりに見えるのですが、この2つは、花も全く違うし、毬(いが)も違うので、取り出した実だけ見るのでなければ、2つを取り違えることはありません。

木の名前

(学名)
シャテニエ
Châtaignier

(Castanea)
ブナ科 クリ属
ヨーロッパグリ (Castanea_sativa)
マロニエ
Marronnier

Marronnier d'Inde
Aesculus hippocastanum
トチノキ科 トチノキ属
実の呼び名châtaigne / marronmarron


Castanea sativa
栗の実に独特なトーチ(たいまつ)を連想される部分を取ってしまうと、寄生虫が入ってくるので
保存時には注意する。
Marronnier-capsule ouverte




Différencier Châtaignier et Marronnier


日本で定着している「マロン」の説明が不思議...

道端に転がっているマロニエの実を見たら、フランス人は「マロンだ」と言います。栗の木の実を見たら、例外なく「シャテーニュ」。栗の実が落ちているのを見て「マロンだ」と言ったら、「違う、シャテーニュだ」と直してきます。

普通に「マロン」と言えばマロニエの実、つまり食べられない実のことなのです。それなのに、食べる栗に、綴りも同じ「マロン」という言葉を使うのは不自然ではないですか?

マロングラッセという名のお菓子があるから、栗を「マロン」と呼ぶこともあるのかな程度に私は思って、気にしないでいました。

ところが、下にリンクする記事に入ったコメントを読んで、再び栗の実をマロンと呼ぶこともある理由を知りたくなって調べました:
フランス人が栗を嫌う理由 2012/11/06

「ひとつのイガに、ひとつの栗が入っているものがマロンだ」と教えてくださったのです。

そのコメントをいただいたのは1年近く前でした。そのときに見たWikipediaの「マロングラッセ」の記事は現在の記述とは同じではなかったかもしれませんが、今でもこう記載されています:
  • フランス語でマロン(Marron)とは、イガの中に一つだけ入っている大きくて丸い栗のことである。

マロニエの実のマロンはそうですけれど、実が1つしか入っていない栗というのが存在するのでしょうか?

イガの中に1つしか入っていなかったら、イガはマロニエの実のように小さくなる。あるいは、普通の大きさの栗のイガの中に1つしか入っていなかったら、巨大な栗でなければいけないはず。

八百屋さんでマロンとして売っている栗は普通のより大粒ですけれど、そんなに特別に巨大なわけではありません。



この写真しか持っていなかったので入れましたが、これは普通のマロン。AOC/AOP(原産地呼称)を持っている栗は、高くても仕方ないなとは思うほど実がふっくらしていますけれど、これの2倍あるというほどではありません。

Wikipediaの説明を初めて読んだとき、イガに1つしか実が入っていない栗が存在しているのかも知れないけれど、そういうのがたくさんあるとは信じがたい思いがしました。

マロングラッセは高価なお菓子だから良いけれど、秋から冬にかけてのフランスでは、焼き栗を「マロン・ショー(marrons chauds)」として道端の屋台で売られるのです。ごく庶民的なおやつに、そんなに特別な栗は使えるはずはないでしょう?


Strasbourg, marchand de marrons chauds devant la Cathédrale


コメントでは簡単にお返事して、後で写真なども入れて記事にしようと思ったのですが、下書きを書きかけたまま、すっかり忘れていました。栗のシーズンになったら思い出して、再び調べながら栗シリーズを書き始めたわけです。

栗なのになぜ「マロン」と呼ばれるのか、ようやく明確に理解することができました。イガに実が1つしか入っていないのがマロンだとする他に、日本では奇妙なことが定説になっているのにも気がつきました。

もしかしたら、日本では全く語られることがない大発見をしたのかもしれない♪ 私のブログくらいで定説が覆されるはずはないけれど、書いておくことにします。

今回はイントロとしてマロニエの話しから始めました。フランスでは何を栗のマロンと呼ぶかなどについて書けるまでに、あと3つくらい記事を書く必要があるかな...。

⇒ 続き:  イガの中に実が1つだけの栗がマロンって、本当なの?

★ シリーズ記事目次:  栗のマロンには不思議がいっぱい!




ブログ内リンク:
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビ番組

外部リンク:
☆ Faculté de Biologie: Le Marron, fruit du marronnier
☆ ENS de Lyon: Châtaigne ou marron Le regard du botaniste
Quelle est la différence entre une châtaigne et un marron ?


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2016/11/29
前回の日記「クイズ: どんな意味がある漢字なのでしょう?」で、持っている書に書いてある文字の読み方をお聞きしてみたら、さっそく教えてくださるコメントをいただきました。

見るたびに何だろうかと首をかしげて何年も過ごしていたのですが、やっとすっきりしました♪ どうもありがとうございます!

問題の文字は、これです ↓



立て続けに入ったコメント3つのお答えは同じもの。つまり、書が分かる方がご覧になると、考えこむ必要もなく文字を特定できるようです。

この記事をアップロードするのと同時に、いただいかコメントすべてを公開しまう。唯一、私と同じようにお酒呑みの発想をなさった方もあったので、それも嬉しかったのですが、非公開コメントでした。

有徳
なのだそうです。

これなら額に入れて飾っておく価値がある言葉ですよね。

私には「肴」と「徳」に見えていました。「徳」は合っていました♪ 

「肴」と見えたので、オツマミを前にして徳利でお酌する場面を思い抱いていたのです。この額は、来客があったときに食前酒を飲む部屋にあるのが先入観を植え付けていた...。それと、「徳があったら何の感じが結びつくかという発想がなかった。つまり、私には徳なんかはないので、「有」は思い浮かばなかった。

私が「有」と読めなかったのは、上に大きく書かれている「又」に引っかかってしまったからでした。

「徳」の方は、目のように見える部分と、「心」の部分に特徴がありますね。

書体が何であるかまで教えてくださったコメントがあったので、Wikipediaに入っている文字を取りだすことができます。


目-bronze.svg

心-bronze.svg

 
「有徳」の意味は[何となく意味がとれたのですが、確認してみました。
「うとく」ないし「ゆうとく」と読むそうです。
  1. 徳行のすぐれていること。また、そのさま。
  2. 富み栄えること。また、そのさま。富裕。

ただし、「有徳人(うとくにん)」という裕福な人を意味する言葉は、鎌倉時代から江戸時代まで用いられた言葉だそうなので、この書の意味としては1番目の徳がそなわっていること、の方だろうと思いました。

ちなみに、この額を何年も飾っていますが、このうちの片方でも私が持つようになった、というご利益は、全く現れてはいません。意味が分かった今後も、徳を身につけようなんて務めることはないでしょう。何となく、「徳」という言葉は好きではないのです。


古代中国の文字

この文字は、甲骨文字に次いで古い「金文(きんぶん)」という書体なのだそうです。今から3,50 年前に亀の甲羅や動物の骨に刻まれた甲骨文字が登場し、その後に青銅器に記された文字が「金文」という書体ということのようです。

Wikipediaの「金文」に文字のサンプル画像が入っているので眺めてみたのですが、文字から元にされたものが連想できるものが多いし、どこかユーモラスな書体なので非常に面白い♪


「有徳」と書いてあること、さらに書体は「金文」だと分かると、インターネットで検索できました。私の額に入ったものとそっくりの書の画像もある。

全く同じ書き方で、同じ2文字を縦に書いてあるものは、こちらです


こちらの書には「有」と「徳」の文字が入っていて、同じ書体に見えます:
篆書孔子論語句:「徳不孤、必有隣」

「徳不孤 必有隣」は論語に入っているフレーズで、本当に徳があれば人が集まってくる、という意味なのだそうです:
☆ 禅語に親しむ: 徳不孤 必有隣(論語)  徳は孤ならず 必ず隣有り

有隣堂書店は知っていたのですが、この言葉から作っていたのですね。商売繁盛にも繋がるし、良い命名でしたね。

ところで、「徳不孤 必有隣」と筆で書かれたものを入れていたサイトでは、これが篆書体(てんしょたい)だと説明されていました。篆書体は「金文」から発生しているそうなので、似ていても当然なのでしょうね。


金文と篆書体を比べてみる

似たように見えた金文と篆書体の「有」と「徳」の文字。私が持っている文字はどっちなのだろう? Wikipediaの書体のサンプルが入っているので、この2つの文字を比べてみました。

では、あらためてお宝を拝見しましょう。テレビ番組「なんでも鑑定団」では、こんな台詞を言っているのではなかったでしたっけ?



金文(きんぶん)
Chinese bronze inscriptions
篆書体(てんしょたい)
Seal script
有-bronze.svg有-seal.svg
月-seal.svg
德-bronze.svg画像検索で見つかった文字
目-bronze.svgCharacter Eye Seal.svg
心-bronze.svg心-seal.svg

Inscription on the Song ding, c. 800 BC

Small seal script epigraph on the standard weight prototype of Qin dynasty.
金文(きんぶん):

青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと。この場合の「金」は青銅の意味。

中国の殷・周のものが有名。年代的には甲骨文字の後にあたる。

※ 現代日本には、和文フォントとして用いられる「金文体」がある。
篆書体(てんしょたい):

篆書、篆文ともいう。

広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。

公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。



「月」に「又」が乗っている「有」

コメントでいただいた説明は、こうでした:

有は 又 と 肉月 の組み合わせ
又は 右手の形で 祭肉を手にとって
神に供えるの 意味


何となくわかったような、分からないような...。それで情報を検索してみました。

絵が入っているので、こちらの説明が分かりやすかったです。


「有」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首
 ⇒ 「肉」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首
 ⇒ 「又」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首


まず、「又」は「ゆう」と読むのでした。

」右手の形だと言われれば、そうも見えますね。指が5本ではなくて3本なのが気になりますけれど。


その下にある「」は、お月さまではなくて、切り身の肉のイメージ。

漢字で月偏と言われますが、2通りあるわけですか。肝、肥、胸、肌などの月偏は、肉の意味を持っている「肉月」の方の意味で使われている・

☆ 象形字典: 肉族
☆ コトバンク: 肉月(ニクヅキ)とは

私は「有」を「肴(さかな)」と見てしまっていたのですが、この漢字の月も肉の方の意味。とすると、私が勘違いしたのも、そうは離れていなかった♪

「肴」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首


右手に肉を持っているのなら「俺には、あるぞ~!」という雰囲気が伝わってきます。でも...。

左手に肉を持ったら「有る」ことにならないの?

明解な説明がありました:
第17回 人の形から生まれた文字〔4〕 体の部分~手と足(1)

右手は祝詞(のりと)を入れる器(さい)を持つ手で、左手は呪具の「工(神に仕える人が持つまじないの道具)」をもつ手とされているのだそう。

キリスト教でも右が良くて、左は良くないという区別がありましたけれど、中国でも同じだったのですね:
ロマネスク教会 (4) : 右は天国、左は地獄 2008/05/03

祝詞を入れる器を「口(さい)」とするのが、漢文学者 白川静の文字学の根底にあるようです。
祝詞を入れる器を表す「さい」は
右のような文字で、
これが「口」とう文字になった。
口-oracle.svg
第5回 口-oracle.svg(さい)(載書(さいしょ))について(1) 

「又(ゆう)」から変化した「ナ」のような文字に、祝詞を入れる容器の「口」を入れれば「右」。まじないの道具の「工(こう)」を入れれば「左」。

それで、「口」や「工」の代わりに「月(肉)」と組ませれば「有」になる。

いただいたコメントで引用されていた白川静の『常用字解』の説明では、「右手の形で祭肉をとって神に供える」のが「有」になる、となっていたそうです。つまり、「俺には食べ物があるぞ~♪」ではないらしい。


「口」を「さい」としていただけでは漢字の解釈で矛盾が生じる、という白川静氏の説に疑問を投げかける見解も出てきました。私自身も、ワトソンのS-R理論のように、何か1つのことで全てが解明されるという学説には懐疑心が先だってしまいます。でも、何かあるのではないかと探すのは楽しいだろうとは思うし、それではおかしいと反論するのも面白いはず。

漢字は奥深くて面白いのですね。子どもの頃、こういう風に漢字を眺めることができるのだと教えてもらえていたら、丸暗記しなければならないものだとしか受け取っていなかった漢字が好きになっていたかもしれないのに...。


「心」という文字が面白い

金文の書体の「徳」の中にある目に見える形は良いのですけれど、「心」の文字は鼻に見えてしまう...。

心臓はこんな形をしているというわけでもないですよね?

改めて心臓の形を眺めてみました。

心臓
Heart anterior exterior view.jpg
金文
心-bronze.svg
篆書体
心-seal.svg

 
似てないと思ったのですが、心臓の形から「心」の文字が出来たという記述がありました:
「心」という漢字


でも、象形文字が出来たのは紀元前何百年前という時代でしょう? そんな時代に解剖するはずがありませんから、人間には心臓があって、どんな形をしていいるかなんて把握していたのだろうか?

... と思ったのですが、狩猟民族なら、食べている動物を見て心臓が生命力の根源だと分かっていたそうです:
第16回 人の形から生まれた文字〔3〕 体の部分~顔を中心に(2)

そうか、牛肉にも「ハツ」という部位があった。ハツは漢字でどう書くのだろうかと思ったのですが、英語のheartsから作られているだけのことなのでした。


「徳」という文字を分解したものの説明もありました:
【文字】「徳」の心。


それにしても、篆書体の「心」には、金文にはなかったヒゲが付いたのは何を意味するのだろう? 心臓には血管がつながっていないと機能しないと分かったから、というわけでもないでしょう?

考えているときりがない。ここまでだけでも多くのことを学んだので、私の額縁に入っている文字は「有徳」だと分かったところで止めておきます。

でも、時間があるときに読んで勉強したいと思ったサイトと出会ったので、外部リンクに並べておきます。


 白川 静 『字通』  字通 [普及版]

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★ 目次: 右と左の違いが気になる
フランス人が顔を見たときに注目する部分 【シリーズ記事目次】 2005/03/02

)外部リンク:
OK辞典・漢和辞典 (漢字の意味-成り立ち-読み方-画数-部首を検索)
親子で学ぼう!漢字の成り立ち
禅語に親しむ
古啓念慮 ~文字・書のはなし~: 文字のはなし
Wikipedia: 中国の筆跡一覧
青銅器をはじめとする中国美術を解説~殷王朝から周王朝まで



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2016/11/27
いつ、どなたからいただいたのかも思い出しません。中国のお土産だったのではないかという気がします。自分で買ったはずはない、というのは確か。

たった2文字の漢字です。あるいは1文字なのかな?...



これが入った額縁のシンプルさが現代的だけれど悪くないし、ユーモラスな絵のようにも見える文字なので、まあ気に入っております。

だいぶ前に日本から持って来て、フランスで住む家の壁に額をかけているのですが、座る位置によって目に飛び込んでくるのです。見るたびに、何と書いてあるのかと考えてしまう...。


右半分は、酒の「」と見える。でも、上の部分が違う?...

そこから連想してしまうわけですが、左半分は「徳利」の「」。


そうなると、オツマミを前にして日本酒を飲むのを連想。

それで何か意味がありそうにもない。ただ漢字を並べただけなのかな?...

Googleで画像検索したら、こちらのページが出てきました。白黒で文字が出てくるのですが、同じような漢字は入っていない...。

写真をアップロードして画像検索すると、ピタリのものが出てきたリして驚くことがあるのですが、これはダメでした。ひょっとして、これは漢字ではないということもない、とは思うのだけれど...。


読める方があって教えてくださったら、長年のモヤモヤが解消するので嬉しいです。

ここのところ「書」にお詳しいお2人からコメントをいただいていて、だいぶ前にもブログでもヴェトナムのものらしい腕輪に書かれていた漢字を入れたら、みごとに解読をしてくださった方があったので、甘えた考えをしてしまった次第です。

期待してしまっているのですけれど、よろしくお願いします!

追記:

さっそく解答を教えていただきました。どうもありがとうございます!

教えていただいたことから少し調べてみました:
有徳: Youは右手だった




蛇足:

以前のクイズにした道具は部品が欠けていたのですが、それがある状態のものを見たので写真を追加しました:

クイズ: 城のダイニングルームにあったものは何でしょう? 2015/09/25

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2016/10/12
友人仲間でブルゴーニュ南部の1泊旅行をしました。ワインと山羊のチーズを買って、ついでに観光もするというスケジュール。

宿泊することにしたのは中世のお城のB&B民宿でした。よく利用している人が電話で予約を入れてくれたのですが、民宿の経営者から、もしも自分がいなかったら、よく知っているのだから予約した部屋に入っていてください、と言われたのだそう。


中世の城が私好み

この城のB&B民宿を私が利用するのは3回目かな。写真アルバムで確認したら、前回に行ったのは、もう10年くらい前だったようです。

その時に撮っていた、城の全景写真です ↓



中世の要塞として建てられて、18世紀に大きな窓にしたりする改造をして住み心地を良くしたというタイプのお城です。

到着すると、誰もいない...。



入り口のドアは、どこも鍵がかかっていませんでした。この民宿をよく知っている友人が予約した部屋に案内して、どの部屋を選ぶかと添乗員役をしていました。

方向音痴の私などは、ずっと住んでいても迷子になりそうな広い建物。どこのドアから入ったら、その部屋に行ける階段があるかなど、複雑なのです。

泊まる部屋を割り当てて荷物を運び込んでから、城の中をみんなで見学しました。

民宿のキッチンを使わせてくれるということだったので、夕食は民宿ですることにしていました。お昼は素晴らしく美味しいレストランでとったので、私は食前酒とおつまみくらいでたくさんだと思っていたのですが、ここに来る前に観光した町で、友人たちは食べ物を調達していました。

城主はいないのだから、どこで食べて良いのか分からない。宿泊客がプライベートで使えるダイニングキッチンがあったのですが、狭い部屋なので、朝食のためのミニキッチン付きのダイニングキッチンで夕食をとることにしました。翌朝の朝食のためのテーブルがしつらえてありましたが、その横に大きなテーブルがあったので。

何時に集合ということに決めてから、それぞれの部屋に入り、ほんの少し休憩。


中世の帽子を友達にかぶせてしまう

少し前にいただいたコメントで、私は中世風の帽子を持っていたことを思い出したので、それを夕食のときにかぶろうかと思って持っていっていました。そんなものを持ち出す機会はめったにないので、中世のお城で夕食するなら相応しいかと思ったからです。

その帽子を買ったときに書いた日記は、こちら ↓

帽子
カーニバルで買った帽子 2010/03/17

この帽子は、本来は男性用なのです。私は変装するのは気恥ずかしいと思うタチなので、誰かにかぶせてしまおうと思っていました。

それでも、この帽子をかぶってもおかしくない色合いの服を着て、帽子をかぶってダイニングルームに登場♪

褒めてもらったら、ただちに帽子をぬいで、「ブルゴーニュ公になって」と言って一人の男性を選んで帽子を勧めました。

抵抗なく、かぶってくれました。よく似合っている。やっぱり男性用の帽子だったのだな...。

記念写真を撮ろうと言って窓際に立たせると、中世風のポーズまでしてくれました。



腕組みして、真面目な表情をするのが中世風なの? 全身の写真をとったのですが、下はジーンズだったので、上半身だけ切り出しました。

この目付きは、Philippe le Bon(善良公フィリップ)と呼ばれるブルゴーニュ公の真似だったのかな?...


Philippe le Bon et son fils Charles reçoivent l'hommage de l'auteur des Chroniques du Hainault


帽子をかぶってくれた彼がとった部屋は、下の写真で向かいに見える四角い塔の最上階。



だだっぴろい部屋で、寝室には大きな窓が3つあり、彼ら好みの18世紀風。宿泊料金は安いので、豪華なシャトーではありませんが、なかなか雰囲気がある。



それで、夜は夫婦でおふざけをするのではないかと思って、帽子は翌朝に返してくれれば良いからと言いました。気に入ったのか、夕食の間ずっとかぶっていました。私を喜ばせるためにかぶっていたのかもしれないけど。

似合っていると褒めたら、自分はメガネをかけていないから、と言う。「中世風に変装して、メガネをかけて、携帯電話を持っていたら最悪だよ」と笑う。

最近のフランスは中世祭りブームなので、中世の恰好をした人をよく見るのですが、彼が言ったように不釣り合いな人もいるのですよね。写真アルバムで「愉快」のカテゴリーに入れていたのに、こんな写真が入っていました。

アルザスの中世祭り

クリスマスシーズンにアルザス地方に行ったとき、美しい町で中世風の衣装を来た地元の人たちがいて盛大なお祭りで撮った写真です。メガネと携帯電話が雰囲気をだいなしにする、と感じるのは私だけではなかったのだ...。


お城を乗っ取って夕食

まずシャンパンで乾杯して、おつまみを食べる。食器洗い機はなかったので、お皿を洗う手間をはぶくために、肉屋さんが包んでくれた包装紙のままで並べてしまいました。




そのうち、民宿の経営者が挨拶に現れるだろうと思っていたのですが、全く来ない!

いてくれなくて困ることもないので、私たちは大いにリラックスして騒ぎました。これだけ広いスペースの建物なのに、他には誰もいないのですから楽しい♪

夜も9時ころだったか、中庭に車が入って来た気配。この民宿をよく知っている人が部屋を出ていって応対していました。

なかなか戻ってこない。シャンパンを飲んでいたと言ったら「あら、ま~!♪」という反応をされたのだけれど、「ちょうど飲み終えてしまたところだ」と言ったのだそう。その人たちが到着するのがもう少し早かったら、あがってきて乾杯になっていたのだろうな。とても感じが良い人たちで、おしゃべりが弾んでいたらしい。彼らは南フランスから来た常連で、行くべき部屋は知っていたとのこと。


城には私たちだけではなくなったわけですけれど、彼らはかなり離れた部屋に入ったので、気配は全く感じない。私たちはお城を占領している気分を続けました。

メインディッシュは、肉屋さんで買ったブッフ・ブルギニョンを温めました。牛肉の赤ワイン煮というブルゴーニュの郷土料理です。白ワインも飲み終えたので、赤ワインにチェンジ。



ブルゴーニュ公のポーズをとっていた彼も、鍋を持っている姿はしまらないな...。

こういうピクニック風の食事をするときは、張り切って色々持って行くのが普通な私なのですが、今回は横着。持っていったのは、残り物のチーズ、シャンパンとワインと食後酒、日本の百円ショップで買ったよく切れるナイフだけでした。

でも、買った3種類のパンも、お惣菜も美味しかったので、楽しい食事になりました。なにしろ、広い部屋で気兼ねなく食事できたのが嬉しい。夏だったら、中庭のテラスか最上階にあるテラスにあるテーブルで、野外の食事をするのも楽しかっただろうと思うけれど。


盗難にあわないのだろうか?

デザートが終わっておしゃべりしながら、部屋にあるものを眺めたりしました。シンプルだけれで趣味が良いし、掃除もいきとどいているということで全員の意見が一致。

ここの現在の城主は、よくあるパターンで、フランス革命の後に貴族から没収した城を買った一族の子孫です。それから200年くらい同じ家系なので、古いものがゴロゴロある。骨董品に詳しい友人が、色々と説明してくれました。

この家具はシンプルだけれど、田舎風の家具として価値があるのだというのを開けてみたら、手作りジャムがぎっしりとストックされていました。



1つ2ついただいたって、民宿の経営者は気がつかないだろうと思う。家具の方は、車にトレーラーを付けて来なかったから持ち帰りはできないね、なんて冗談を言う私たち。

結局、最後まで城主は現れませんでした。

こんな風に宿泊客に開放していて、何か持っていかれることはないのかな?... それに、私たちが夜明け前に出発してしまったら、無賃で泊まれたことになるではないですか?...


翌朝...

庭に出て散歩していたとき、自転車でやって来た男性が城主さま。城の敷地の外、ほんの少し離れたところにある家に住んでいらっしゃるのでした。

こんなお城を持っていたら、私なら普通の民家には住まないですけれど。でも、狭い家なら暖房もしやすいし、階段を登ったり下りたりしないで済むので、住むには快適なのかもしれない。

以前に来たときには肉牛を飼育している農家だったのですが、最近は、ブドウ栽培をしてワインをつくるのに切り替えたのだそう。肉牛飼育は収入が少ないし、ここはブルゴーニュワインのAOC/AOP(原産地呼称)を取れる産地でしょうから賢い選択だったと思う。でも、ワインを作っているという話しぶりでは、そんなに美味しいのができていないのだろうと感じました。たぶん、自分では醸造せずに、ワイン農協に任せているのではないかな...。

昨夜に夕食をしたのは、下の写真で手前に写っているテーブル。この部屋で朝食をとりました。



前日に到着したときには、宿泊客が自由に出入りして良い部屋を見学したのですが、夕方で薄暗くなっていたのでよく見えませんでした。それで、朝食の後に再び見学。



屋根裏部屋にはミニ博物館があったのを覚えていたのですが、がらんとした大きな部屋に出ました。その小さな部屋の方に先祖代々持っていたらしき農作業の道具などが並べられていました。




レセプションのために城を貸し切る料金は?

このお城では結婚披露宴などで使えるホールも持っています。宿泊料金が安いので、貸しホールも安いのだろうと思って調べてみたら、お城ごと週末に1晩借りると30万くらいのお値段でした。フランスの結婚披露宴といったら明け方まで続くので、2日間独占する感じになるのですが、質素なお城を借りるのにそんなに高いとは思っていなかった。

お金がない若い友人カップルがお城を借り切った披露宴に行ったとき、彼らが払った料金は10万円くらいなのだろうと思っていたのです。今回泊まったところよりも小さくて、もっと質素な城ではありましたが。

ブルゴーニュで、プレゼントしてくれると言われたら躊躇なく喜ぶお城が幾つかあります。「プレゼントしてくれたら」というのは、自分で買えるはずがないからの発想。なにしろ維持費が膨大なので、いくら安く売っていても買おうなんて思いません。

今回宿泊したところから遠くない場所に、理想的と思える城があります(ピエールクロ城)。こちらは歴史的建造物に認定されていて、国宝級のステータスがある城です。

Château de Pierreclos

丘の上にあって、見渡すかぎりブドウ畑。敷地内にはチャペルの建物の一部も残っています。

今回泊まった城は建物としては好きですが、大きな町に近いので、外に入れば騒音は聞こえてくるし、周りの風景は美しくはないのです。つまり、城としての価値には雲泥の差がある。

このピエールクロ城に初めて見学したとき、今は亡き女性のオーナーとおしゃべりしていたら売りたがっていて、日本で買い手がいないかなどと言われたのですけど、私が手を挙げるわけにはいかなかった!

遺産相続をする娘さんが事故で亡くなってしまったので城を手放したいという話しだったと思うのですが、譲り受けた人がいたらしくて、最近は観光に力を入れている様子。B&B民宿もできましたが、今回私たちが泊まった城のB&B料金の4倍近いお値段でした。二人で一部屋に泊まったとして、部屋代は朝食付きで3万円近い。いくら気に入った城でも、そんな宿泊料金は私は払いません。

先代のオーナーだった時代ですが、日本人のグループを受け入れて、この城で夕食をしたことがありました。ケータリングで料理を出してもらって、大広間で食事。レストランで食べるのと全く変わらない料金だったのでアレンジしたのでした。日本ではできないことだから喜ばれるだろうと思ってやったわけですが、日本人の方はだだっ広さに物怖じしてしまったのか、お城を占領したことに感激している様子は余り見えませんでした。変わったことをしたという思い出は残してくれていたら嬉しいけど...。

いまピエールクロ城でレセプションをするために貸切る料金はどのくらいなのかと調べたら、45万円くらいでした。私たちが泊まった素朴な城の料金との差が少なすぎるので奇妙。なんかかんかでプラス料金が加わるのかもしれませんけれど。私たちが泊まった城でその料金を付けているということは、それでも利用者はいるということなのでしょうね。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: ピクニック、飲食店での軽食
億万長者がフランスですること・・・ 2006/02/07 城での結婚披露宴
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事


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2016/09/09
ブルゴーニュの夏に雷がなると、神様が空の上で樽を転がしていると言われます。
C'est le Bon Dieu qui roule ses tonneaux.

雷が鳴ったとき、怖がる子どもに「あれは神様が樽を転がしているのよ」と、昔はなだめていたようです。

ブドウの収穫が近づくと新酒を入れる樽を洗うので、雷がなる時期と同じということなのでしょうね。

雷がなる夕立になりそうなときには、モデムのスイッチを切って対処します。モデムが壊れたら、なかなか修理してもらえなくてインターネットが使えなくなるからです。最近は、プロバイダーがSMSで雷に注意のメッセージを送ってくるようになりましたけれど、そんなことをするより雷で壊れないモデムを開発して欲しい。

でも、今年は雷をほとんど聞かなかったように思います。雷が鳴らないのは私には嬉しいのですが、ないと、また物足りない...。

伝統的にはブルゴーニュでのブドウ収穫は9月末なのですが、地球の温暖化で早くなってきています。今年のブドウ収穫は、ブルゴーニュでは9月15日から20日ころに始まるようです。

ここのところ良いお天気が続いているので、ブドウ栽培者は喜んでいるのかと思ったら、雨が足りないと嘆いているのだそう。

先日会ったシャブリのワイン農家の人は、ブドウの収穫は10月始めだと言うので驚きました。今年は悪天候だったので、ブドウの収穫量はかなり減ると見られています。それで、最大限にブドウを膨らませて収穫したいというわけでしょうか? 


点呼をとるツバメ

毎年、夏が終わりなる時期になると、ツバメが電線の上に整列しているのが目に付きます。出発前の点呼をとっているのかなと思って少し寂しくなる。つまり、もう寒くなってくるということですから。

8月25日に、ツバメがたくさん見えたので写真をとってました。



ものすごい数のツバメだったのです。



これが最高に集まった瞬間という写真ではありません。連続シャッターで写真をとっておくべきだった...。


EUでは、電線を全部地中の埋めようとしているそうで、私の村でも何年か前に工事がありました。でも、全体ではなかった。当時の村長だった農家から、村役場を結んで、その少し先まで電線が埋められたのですが、私の家の少し前で終わってしまった。

その先の工事は、また補助金が出たときにすると言われていたのですが、いっこうに工事は再開されていません。

ツバメが電線に止まっているのを見ると、電線がなくなってしまったら彼らはどうするのかと気になってくる。フランスでは電線が全くない町や村が多いのですが、そういうところにはツバメたちは行かないのだろうか? あるいは、何か変わりのものを見つけている?




フランスでは、3月中頃からツバメがやって来るようになり、9月にアフリカ大陸か東の温かい地方に向かうようです。とすると、もうそろそろご出発なのでしょうね。心なしか、9月に入ってから見かけるツバメの数が少し減ったような気がします。

いなくなったと思っても、数日後にはたくさん飛んでいたりするので、いつ去っていくのか分からない。しばらくいないな、と思うと、すっかりいなくなっていた、と後から分かるわけなので。


昨日、ツバメの巣が納屋に11個できていると言っていた近所の人に、ツバメたちの様子を聞いてみました。子どもも含めて、全員が飛び立っていって巣の中は空っぽなのだそう。

でも、まだツバメたちは旅立ってはいないと言っていました。そうかな...。私は大勢のツバメが電線に並んでいるところは見かけなくなっているのですけれど。


ブルゴーニュにいるのは、どの種類のツバメ?

フランスには5種類のツバメが来るようですが、ブルゴーニュで見られるのは、次の4種類だそうです:

ブルゴーニュで最も多いのはHirondelle de fenêtreのようです。そのまま訳せば「窓のツバメ」という名前なのですが、日本語で「イワツバメ」らしい。学名は Delichon urbica。



ツバメが止まっているところを間近で観察したことはないのですが、私のところに来るのは、こんな感じの鳥に見えます。



今年は滅多に家に来ることがなかったカササギが庭の木に巣を作ったほか、こんなところに来るはずはないと思っていたナイチンゲールコウノトリまでやって来て、なんだか不思議な年でした...。


今朝起きて机に向かうと、置いてある時計に「9/9」の文字。こういう風に奇数が並ぶ日付って、なんだか嫌い。9.11、3.11...。またテロでも起きるのではないかと思ってしまった。

昼前に、親しい友達が心臓が危険状態だと発覚したので緊急入院することになったという連絡が入りました。その人は、明日に予定されていた食事会は出席しないとのこと。

少し前から、寝ていると息ができなくて夜中に起きてテレビを見ているのだと聞いていました。寝ていないというのはこちらには分からないし、普通の生活をしているように見えていたので、肺の具合が少し悪いのかと思って大事には考えていませんでした。

もっと心配してあげれば良かったと反省。なんでも悪いことを先に考える私なので、また一人のお友達とお別れか... などと思って感傷的になりました。

まともに寝られないのがたまらなくなってホームドクターにかかったら、翌日に血液検査と心臓の専門医で検査するように言われ、その検査の翌日の朝、ただちに専門病院に入院せよ、という連絡があったのだそう。

指定された専門病院のうち近い方を選んだら、ただちに先方に予約してくれて、正午前に入れということになった。フランスの商売的なサービスは日本と比べて想像を絶するくらい悪いのですが、医療に関しては非常に真面目にやっているのです。

でも、病院までは片道100キロ余りある。もう車を運転するのはドクターストップ。誰かに車で連れていってもらうかどうか迷ったけれど、救急車の機能を持ったタクシーがあるので(その費用は健康保険が負担する)、それを利用して病院に向かったようです。

日本で辺鄙な田舎に住む人たちの場合、救急車や救急ヘリコプターで運ばれるほどの状態ではない場合にはどうするのでしょうね?...

フランスでは心臓病が多いと感じます。親しい友人の中には、発作をおこして救急車や救急ヘリコプターで運ばれて行った人が何人もいるので、そう思ってしまうだけなのではありますが。でも、癌と聞くのより多い。フランス人の食事が心臓に悪いのではないかな?...

夕方になって、また連絡が入りました。体に液体を流して血管が詰まっているかの検査をしたらしいのですが、大した問題はないので、血液の循環をよくするための薬を飲む程度で十分だと判断されたので、翌日には救急車兼タクシーで自宅に帰ることになったのだそう。

つまり、明日に予定されていた食事会には参加できるとのこと。美味しいものを食べることに生きがいがあるような人なので、食事制限されたら可哀想だと思ったのですが、大丈夫らしい。

フランスの友人たちから病気になったときの話しを聞くと、フランスの医療体制は整っていることを痛感します。特に、低所得の人たちが、お金の心配は全くしないで長期医療を受けた、受け続けているという話し。

心臓発作をおこしてドクターヘリで病院に搬送された経験がある近所に住む貧しい友達は、死ぬまで非常に高価な薬を飲み続けなければならないのだけれど、薬代は100%健康保険でカバーされているからできるのだ、と語っていました。

心臓病って、お金がかかる病気なのかな? 別の、心臓発作で死ななかったのが不思議なくらいの友達も、ドクターヘリが来たときに、自己負担したら何十万円もするとかいう注射をうってもらったので助かったのだ、と話していたのを思い出します。

フランスの社会保障制度で健康保険部門は大きな赤字を出していますが、それでも国がつぶれないのだから良いではないかと思ってしまう。

ブログ内リンク:
8月になったばかりなのに、もうツバメが旅立ってしまうの?... 2014/08/11
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
★ 目次: 空や天気に関する記事(虹、太陽、月、空、雪など)
空飛ぶ救急車 ドクターヘリ 2006/11/07

外部リンク:
EPOB - étude et protection des oiseaux en Bourgogne » Enquête Hirondelle 2011
Ma grand'mère disait...


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2016/09/07
朝焼けが見事だった日曜日、朝焼けだと雨になるというのが本当かどうかを一日中観察してみようと思ったのですが、この朝焼けの後、すぐに曇り空になってしまいました。


朝焼けが見えると雨になる? 2016/09/05

撮影した空の写真をパソコンに取り込んで眺めていると電話がなって、「みんな集まっているから出ておいでよ」と言われました。この日は、ガラクタ市とグルメ市が一緒になったイベントがあったのです。

今にも雨が降りそうな天気になったので外出したくないのだけど、断れない雰囲気。

「早く来ないと、飲み物も食べ物もなくなくなっちゃうよ」と言う。周りからは賑やかな声がしているので、友人たちは「できあがっている」らしい。

フランスではいつもタケノコ生活。何枚も重ねて、暑かったら脱ぐ、寒かったら全部着ているという手段です。半袖のTシャツに、長袖のコットンのセーター、それにコットンのコートを着ていく。

こんな雨が降りそうなときには人が来ないでしょうから、イベント会場で食事を提供する役割をしている人たちを応援もしないといけないとも思って出かけたのですが、さにあらず。たくさんの人が集まっていました。ブルゴーニュの人たち、飲んで食べられるイベントには集まるのですよね。


飲み物と食べ物があるイベントは賑わう

電話してきた友人たちを探したら、ワイン農家のところにあるベンチに座っていました。

ボトル売りの値段で冷たく冷えたシャブリのワインが買えるので便利な場所とのこと。他のところで売っている食べ物を持って来てお裾分けしてくれる人たちが次々に登場。




電話で「パンがない」と言われていたので、台所にあったパンと、日本の100円ショップで買ったよく切れるピクニック用のナイフと、グリッシーニを持って行っていました。

みんなは朝からだいぶ飲んでいたようで、そこ抜けに陽気。シャブリは昔に比べると値上がりしすぎている、シャブリをボトル1本 11ユーロで売るなんて高すぎる、などと文句まで付けている。

ワインを売っていたマダムは愛想良くお相手していました。次から次へとボトルを買って飲んでいるのだから、悪い冗談も耐えなきゃならない?


昼時、つまり食前酒タイムなので、みんなはグルメ市の会場に集まっていて、ガラクタ市の方では閑古鳥が鳴いていました。



最近の田舎では、どこでもやっているガレージセール。フランスでは、屋根裏部屋を空っぽにする市という言葉で呼ばれています。タダでくれると言われたって断りたいようなものを持ち出してきて売っています。


色々なものをつまみながらシャブリを飲んでいたので、お昼はいらなかったのだけれど、みんなと一緒に仮設レストランで食事をすることにしました。

村のボランティアたちが用意した食事。



食前酒付きで8ユーロのランチ。日本では1,000円くらいで食事を済ませてしまうというのは珍しくはないけれど、フランスでは格別に安いという感覚です。

でも、食前酒は甘ったるしくて美味しくないので、みんな飲まないでいました。ここでまた、別注文のクレマン・ド・ブルゴーニュ(発泡酒)やワインを飲む。


午後の2時を過ぎると雨がぱらつきだしたので、ガラクタ市の店を張っていた人たちは片付け始めていました。

やっぱり、朝焼けのときには天気が崩れるのだな...。

おしゃべりは楽しかったけれど、疲れてきたし、家でしなければならないこともあるので、午後5時ころに私は引き上げました。みんなはまだ飲み続けている。

家に帰ってからはアイスクリームづくり。朝市で酪農家が直売している殺菌していない生乳は日持ちしないので、買った2リットルを早く加工しなければならないのです。

この日に作る予定だったアイスクリームができあがって冷凍庫に入れてホッとしていると、イベント帰りの友人たちがやって来ました。

ちょっと挨拶するだけで長居はしないと断っていたのだけれど、飲み始めると長くなるはず。台所にあるものでオツマミを作る。飲み過ぎている人たちには食べさせないといけないと思うので。

いつも思います。フランス人って、飲んで、食べて、おしゃべりをしているだけで、12時間くらいは簡単に過ごしてしまう...。

みんなが引き上げるのを見送るために庭に出た真夜中ころ、外は土砂降りに近いような雨でした。

ブログ内リンク:
最近のフランスはガラクタ市で村おこし? 2006/07/12
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事
★ 目次: ピクニック、飲食店での軽食


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