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2017/06/08
リキュールを作っている農家に行っておいとまするとき、近くにあるお勧めレストランを聞いてみました。教えてもらった中に、運河の港にある店があったので、そこで昼食をとることにしました。

お天気が良かったので、水辺で食事をするのが気持ちよさそうに感じたからです。


運河を眺めながら食事できるレストラン

行ってみると、運河の港にピクニックスペースができていて、そこに隣接したレストランがありました。

料理は簡単なものしかないのですが、材料には凝っているらしい。なにしろ場所が静かで美しいので、迷わずそこで食事することにしました。正午を回ったばかりという時間に行ってよかった。もう少し遅れたら、予約客で小さなレストランはいっぱいになってしまったようです。

窓からの眺めです。



この日はピクニックをするつもりだったのですが、前日にお弁当を用意する時間はなかったし、つまらないものを買って食べるのは避けたいのでレストランに行くことにしたのです。それでも、やはり軽食で済ませようということにしていたので、理想的なレストラン。

私は、なんとなく食べたくなったエスカルゴを6個だけの前菜にして、メイン料理はフランシュ・コンテ地方の料理の盛り合わせにしました。



この料理にしたのは、食べるモルトーというソーセージ(Saucisse de Morteau)が入っているのに惹かれたからでした。グレーの四角い器に輪切りで入っているソーセージです。

Saucisse de Morteau

このソーセージは冬の鍋料理で、野菜と一緒に煮て食べるのですが、こんな風に焼いてしまっても良いのですね。

その手前の器に入っているのは、Cancoillotte(カンコワイヨット)というクリーミーなチーズです。それが温めてあって、モルトー・ソーセージや新じゃがのフライに付けて食べると、とても美味しいのでした。

このチーズは、普通のチーズ作りでは捨てられてしまうホエー(乳清)から作っているのだそう。さっぱりし過ぎていて私はそれほど好きではなかったのですが、こうやって温めるととても美味しいと思いました。たぶんオーブンに入れて少し加熱しただけではないでしょうか。簡単に出来てしまうラクレットという感じでした。

カンコワイヨットは、しつこくないチーズを好む人が多い日本で受けているのではないかと思って検索してみたら、ほとんど売られていない感じなので意外でした。その代わりに、日本で製造しているので余計に不思議...。




新じゃがのフライのようなものが大変おいしいのでした。grenailleと呼ぶ種類で、小さくて味が凝縮されているジャガイモです。

これが気に入ったときにブログで書いていました:


久しぶりに行ったレストラン 2013/07/04


このレストランでは、凝った料理は作らない代わりに、材料の仕入れには非常に熱心な様子でした。メニューには生産者の名前や、有機栽培を意味するABマークが付いているものが多かったです。仕入れ先はブルゴーニュ地方とフランシュ・コンテ地方を中心に、近郊の生産者がほとんどでした。

ブルゴーニュ地方の食材は、よく知っているところが生産しているのも幾つかありました。美味しいのは分かっているけれど、家でも食べられるものをレストランで食べるのはつまらないと思って、旅行しないと行けないフランシュ・コンテ地方の特産品を入れた料理を選んだのでした。エスカルゴは、ここで売っているのは美味しいと知っている店のものだったのですが、久しく食べていなかったので選びました。

ところで、この日レストランで撮った写真を眺めていたら、驚いたことがありました。メニューの写真に、付け合わせのジャガイモにはアステリックが付いていて、それは冷凍食品だと書いてある。うそ~。あんなに美味しかったジャガイモが冷凍だったなんて信じられない。ありうるのかな?...

この後はアイスクリームだけにしました。かなりのボリュームになったのですが、良い食材を使っているせいか、ちっとも胃にはもたれない。

それでも、せっかく運河があるし、お天気も清々しい暑さなのが嬉しいので、少し散歩をすることにしました。


運河の畔を散歩

まず驚いたのは、ここの運河の下に川が流れていることでした。



以前にロワール川を横切って運河が通っている所に行ったときにブログで書いていたのですが、そういうのはそれほど珍しくはないのかな?...

クイズの答え: ロワール河にかかる橋の上に流れている川 2007/05/0


運河のほとりをサイクリングしている人たちが何人もいました。平らな道なので楽かもしれない。



電気自転車でサイクリングしていた年配の夫婦からレストランの場所を聞かれたので、少しおしゃべりしました。スイスから来て、近くにあるB&B民宿に滞在しているのだそう。

レストランでは軽い食事をしたいのだそう。私たちはすっかり満足していたので、彼らにお勧めできると話しました。小さな皿だけで軽い食事をするのも自由だし、ボリュームがありそうに見える料理も胃にもたれないし、お給仕の人はとても感じが良い、と私。

ご主人が、旅行をしているときには人に聞くのが一番ですよね、と言う。奥さんは知らない人に話しかけるのを嫌がるのだそう。それで、パリを旅行していると意地悪な人に出会うことが多いと言葉を返し、「なぜパリっ子は嫌われるのか?」を書いた時に見つけた動画の話しをしました。

日本人ツーリストがパリっ子に意地悪される話し:
☆ YouTube: Le Parisien - Touristes

パリジャンという新聞のコマーシャルなのですが、本当にありそうな話しなのです。スイス人の方も、パリは最悪で、こうしてフランスの田舎でバカンスを過ごすのが好きだと話します。

気がつけば、私たちがおしゃべりしている間に、奥さんの方は自転車で立ち去っていました。軽い食事がしたいのだと言っていたけれど、本当はお腹がすいていたのでは? もう2時を回っていたのです。


スギナ

以前から気になっていた植物が運河のほとりの道にありました。



スギナに見える植物。ブドウ畑になるような石灰質の土ではないところに生えているので、たまにしか目にしません。ツクシの状態を見たことはあったか思い出しません。

この際、調べてみたら、スギナはフランスにも生えるらしい。 Prêle des champsという名前になっていました。別名では動物の尻尾に例えていて、ネズミ、キツネ、馬のしっぽ。そんなものには見えないけれどな...。


スイス人が、旅先では地元の人に聞くのが一番だと言っていたので実行したわけではなかったのですが、この後に行こうとした城が見つからないので出会った人に聞いてきたら、思わぬ発見をすることができました。

続く

ブログ内リンク:
簡単に食事したいときのお勧め、アシエット・グルマンドという料理 2006/06/30
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外部リンク:
夏向きチーズ、カンコワイヨットを知っているか?
☆ プレジデント チーズ: カンコイヨット
☆ Wikipedia: Prêle des champs


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カテゴリー: レストラン | Comment (2) | Top
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2017/04/18
フランスの友人から初めてプレゼントされた本は、フランスの美食の歴史について書いたものだったのを思い出しました。フランス語が片言しかできなかった私でも楽しめるようにと、写真がたくさん入った本でした。

親しくなった人たちが食べ物の話しばかりするので、食いしんぼう病とかいう病気があるのではないかと思いました。私が初めに出会ったフランスはブルゴーニュ。後になって分かったのですが、フランスの中でも美食へのこだわりが強い地方なのでした。

ブルゴーニュほどではないにしても、本当にフランス人は食べ物に興味が強いらしい。今回のシリーズを書きながら調べていると、読み切れないほどたくさんの情報が出てきました。

書いた記事に関係する情報へのリンクは付けておきましたが、シリーズ記事の最後に全体に関係する情報リンクを書き出しておきます。

シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】目次へ
その12



博物館の特別展

中世のガストロノミー
 Gastronomie médiévale


バーチャル・ヴィジット:
☆ BnF: Gastronomie médiévale - Expositions virtuelles

資料:
LA TABLE AU MOYEN-ÂGE



Tour Jean sans Peurの展示会

La cuisine au Moyen Âge à la tour Jean sans Peur
La Cuisine au Moyen Âge - exposition (PDF)



ルネサンス期の饗宴をテーマにした展示会(ブロワ城 2012年)
 Festins de la Renaissance

Festins de la Renaissance - exposition sur la table au XVIe à Blois
Les Festins de la Renaissance, objets et peintures au château de Blois
Festins de la Renaissance
Festins de la Renaissance - DMA Galerie
Blois Exposition « Festins de la Renaissance »


展示会のカタログ:



Les festins à la Renaissance : luxe, ordre et volupté



Exposition les Festins de la Renaissance au Château de Blois



BLOIS - Festins de la Renaissance Parts 1 and 2



ルネサンス期のご馳走と農民の食事について:

 

Festins et cuisine de la Renaissance



テーブルアート


Les arts de la table, l'excellence française !


Arts de la table : L’art de dresser la table
Histoire des arts de la table
L’art de la table du Moyen Age à nos jours

Objets ménagers(Le couteau, La cuillère, Le service, Le couvert, La fourchette, La serviette) » Compléments
La Serviette De Table : Histoire D'une Invention
L'assiette : Histoire D'une Invention
Boire et Manger, quelle histoire!: Les couverts

☆ Le couteau au restaurant : parcours d’un combattant: (1/2) » (2/2)
Histoire, formes et usages du couteau
☆ Petite Histoire de la Coutellerie: (1) » (2)
☆ Couteaux Laguiole: Connaître l’histoire de la fourchette de table

Pourquoi une fourchette a quatre dents ?
Pourquoi les fourchettes à poisson n'ont-elles que trois dents ?


中世の食文化

Boire et Manger, quelle histoire!/ Le Repas médiéval: 1ère partie » 2ème partie » 3ème partie
☆ Wikipedia: Cuisine médiévale » 中世料理
Se nourrir au Moyen-Âge
A la table du Moyen Âge
Cuisine médiévale histoire de repas de menus au moyen âge
仏文化省サイト: La peinture médiévale dans le Midi de la France » Les repas
Deroulement du banquet au Moyen Age - La Cour des Saveurs
Comment dresser la table d'un repas, banquet, festin avec recettes de cuisine moyen age medieval
☆ Histoire médiévale: Banquet


16世紀~フランス革命前

WODKA: À Table ! (16~19世紀の食事風景の絵画)
Au XVIIe siècle - Cuisine française
Cuisine française: Au XVIIe siècle
Le souper aux XVIIe et XVIIIe siècles s'expose aux Arts Décoratifs de Bordeaux
Château de Versailles:Les tables royales
Centre de recherche du château de Versailles: Voyages du roi au château de Choisy (1753)
Un festin de roi

L'étiquette sous le règne du roi Louis XIV
Frace pittoresque: Repas sous le règne de Louis XIV.
Francetv Éducation: Le repas du roi Louis XIV
Versailles Le chef Jean-François Piège ressuscite le repas royal de Louis XIV


その他

Une histoire des plaisirs du lit et de la table. Entretien avec Jean-Louis Flandrin
Internaut: Histoire de l'Alimentation
Wikipedia: Portail Cuisine française | Histoire de la cuisine française


日本語情報

幻想万象資料館:: 中世ヨーロッパの食卓 | フォーク | スプーン | ナイフ
食事作法の変遷 : 中世からルネサンスへ
フランス料理の発展と「臣民意識」や「市民意識」への影響




シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次

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★ 目次:レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ



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2017/04/17

シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】目次へ
その11


フランスの食事の歴史を調べていたら、食卓でのマナーが出てきたので、このシリーズ記事とは関係がないけれどメモしておきます。

だいたいは何となく覚えたものでしたが、そんなことを言うのかな...、というのもありました。


1.招待した家の奥さんが場所を示す前にテーブルに座ってはいけない。

これはそうだな、と自然に覚えました。大勢のときなどは、席を決めている場合もあります。隣に座りたくない人を割り当てられたときは気に入りませんが、我慢するしかない!

レストランでも同じですよね。勝手に座ってはいけない。でも、私はトイレのドアのすぐそばというのは絶対に座りたくない。ここは嫌だと言うと、たいていは別の席にしてくれますが、中には頑固に席を変えてくれないお給仕の人もいます。そういうときは、さっさと店から出てしまうことにしました。席だけの問題ではなくて、食事を楽しめない店だろうと思うので。
2.全員にお給仕が終わってから食べ始める。

これは大事なマナーだろうと感じています。特に、食事を作ってくれた人が席につくのを待たずに食べ始めてしまうのは、非常に礼儀知らずになる。

でも、日本の男性たちは、料理を出されると、奥さんのことなどは気にせずに食べ始める人がいると感じます。自分がそれをやられると、非常に腹がたつ.!
3.口に食べ物がいっぱい入っている状態ではしゃべらない。

お行儀の悪い典型でしょうね。これは子どものときに厳しく躾けられているのだろうと感じます。
4.テーブルに肘をつかない。

食事が延々と、何時間も続iいて、おしゃべりしているときは、ついやりたくなってしまいますけれど...。

手をテーブルの上に置いておかなければいけない、というのもあると思います。食事を待つ間に、お行儀よく膝の上に手を置いておくというのは避けるべきことのようなのです。なぜなのかな?...


追記:

食卓で肘をついてはいけないというのは、フランス人たちは子ども時代にしつこく教育されるのだそう。とはいえ、それをやっている大人たちもいるのですけど!

友達が言うには、肘をついていると退屈しているようで、そのうち寝てしまうのではないかと思わせ、つまり他の人たちに失礼でお行儀が悪いからだと思っていたとのこと。

でも、それが理由かなという情報がありました。

中世からの伝統という説です。

このシリーズで書いてきましたが、中世のテーブルは足組に板を乗せて設置し、そこに大勢が座りました。そういう席で肘をついていると隣の人の邪魔になる。しかも、板を乗せただけのテーブルで肘をつくと、テーブルがひっくり返ってしまいかねない、というもの。

もう1つの説も中世からの伝統で、この時代は簡単に人を殺してしまったからというもの。

肘をついて手を隠していると、テーブルの下に武器を隠していて、気に入らない相手を傷つけてしまうので、そういうことはしていないことを示す。でも、中世には各自が持ち寄った短刀をナイフにして食事していたのですよね。殺し合いをするには、手をテーブルの上にのせていたってできるではないですか?...

私は1番目の説がもっともらしく感じました。中世の伝統と言っても、「 昔のフランスには、ダイニングルームがなかった」に書いたように、テーブルとイスを置いたダイニングルームが普及したのは19世紀なのですから、つい最近まで食卓で肘をつかれるとこまる生活をしていたわけですから。
5.飲物が欲しい場合は、自分ではお給仕せずに、欲しいと言う。

欲しいとは言えないですよ~! でも、自分でお酌するというのはできない。人にお酌して、ついてに自分のもという手があるのですが、女性の場合はそれができないのですよね。お酒のお給仕をするのは男性の役割ですので。

食事の招待者がお酌をしてくれるのを待つわけですが、大勢で食事するときには男性の誰かが給仕係をかって出ます。だから、男性の場合には自分のグラスが空になる可能性は少ない。

ノンベイの女性友達が、グラスが空になったとき、グラスをひっくり返して、わぁ~、と声をあげ、「ああ、グラスが空で良かった!」なんて言う方法を考えついていました。
6.食べ終わったら、カトラリーは皿に上に置く。

日本のマナーでは、フォークとナイフを揃えておくように、というのではないでしたっけ? フランス人たちを見ていると、置き方は気にはしていない感じがします。
7.ワインを飲む前には、グラスを汚さないためにナプキンで口を拭う。

ナプキンはそのために必要なのですか? 飲み続けていたら、飲むたびに口を拭うなんてやっていられないと思うけれど...。
8.パンはナイフで切らずに手でちぎる。

これは自然に覚えました。パンはちぎって食べるべきなのですよね。
9.パンで皿を拭わず、皿に残ったソースはそのままにしておく。

やってはいけないそうなのですが、それをするフランス人は多いです。私が料理を出した時には、ソースをきれいにパンで拭ってくれると、それだけ美味しいというジェスチャーなので嬉しいですけれど。それに、きれいに拭ってくれると、次の料理を出すときに皿を代えなくても良いので便利でもあります!

友達仲間で食事をするときには良いとしても、お上品に食事をするときにはすべきではない、というのは覚えておかないといけない...。
10.フォークは口に近づけるものであって、口をフォークに近づけてはいけない。

そうか...。意識していなかったな...。
11.皿は動かしてはいけない。スープ皿を傾けてもいけない。

お通しで出てくる小さな皿は、傾けて汁をすくおうとすることもあるけどな....。

でも、これはフランス人には基本らしい。日本に行くことになった友達が、日本でのマナーを勉強したらしくて、日本ではお椀を持ち上げたりして良いのですってね、と聞かれました。汁ものやご飯などは、お椀を持ち上げないと食べられないですが、フランス人には珍しい作法だと感じるらしいです。


マナーと言っても、大したものは並んでいないと思いました。食事は、気取らずに、楽しく、味わって食べるのが一番だと思います。


続く

シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次


ブログ内リンク:
フランスのレストランでのマナー 2008/04/12
フランス人から顰蹙をかうマナー違反 2009/03/05
フランス貴族は気取らない 2005/07/13
フランス貴族の見分け方 2007/09/25
スープの季節 (1) 日本の西洋料理を見て不思議に思ったこと 2007/12/12
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
Pourquoi ne doit-on pas mettre les coudes sur la table


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2017/04/14

シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】目次へ
その9


18世紀には調理法も洗練されてきましたが、今日の私たちがフランス料理と考えるものは、19世紀になってから整えられたもののようです。

19世紀にフランス料理は大きく姿を変えたと言われます。ロシア式サービス(Service à la russe)というものが入ったのです。

ナポレオンが失墜してから(在位: 1804~14年、1815年)、ロシア人たちがパリに大勢入ってきた影響で、ロシアで行われていた食事のサービス方法がフランスで取り入れられたようです。ロシア大使として1808年から1812年まで パリにいたアレクサンドル・クラーキンがもたらしたという説が有力ですが、正確なところは分からないようです。

それまでの中世から続くフランスで行われていた方法は、フランス式サービス(Service à la française)と呼ばれます。

何が違うのか?

フランス式
サービスは何回かに分けて出てくるが、食べきれないほど色々な料理を並べて、食客は好きなものを食べる。

ロシア式
肉などは調理場で切り、食べきれる分量の料理を別々に出すので、冷めない料理を食べられる。
ロースト料理に重点をおく。

つまり、フランス式サービスは、今でいうところのセルフサービスとか、ビュッフェスタイルのような感じがあります。食べきれないほど出すので残り物がたくさん出るわけで、それは貧しい人たちや召使いに与えていた。ロシア式では、おすそ分けは残らないでしょうね。

結局のところ、ブルジョワ革命の後にはケチになったとも言えるのでは?... 革命の後は、貴族に雇われていた料理人が職を求めたのでレストランがで発展しています。ロシア式はレストランでするには便利なので気に入られたのだろうと思います。


火を使う台所は火事の危険がある

フランスで古城の見学をすると、たいてい最後に調理場の見学があります。そこで料理を振る舞ってくれるわけでもないのに、フランス人たちは嬉しそうにガイドさんについて歩いて行きます。台所では火を使うので、大切なものがある部屋からは離れているのです。

中世には、火事を恐れて、台所は別棟だったりもしたようです。


Histoire de Renaud de Montauban 

これでは料理が冷めてしまいますよね。雨が降っていたらどうするのだろう?

近世になれば、建物の中で台所から移動して料理を運べるのが普通になります。それでも遠いので、食事をする部屋には料理を温めなおしたりする装置もありました。もちろん、ワインやグラスを氷で冷やすということもしていました。


中世の宴会では、3回から5回に分けて料理が出ることが多かったようです。そのたびに料理を1品出すのではなく、複数の料理が出されました。これがフランス式サービス。

始めには、果物や季節の食べ物。次はポタージュと呼ぶ液体状のソース。次は「rôt」と呼ばれるメインディッシュで、ジビエ、家禽類、魚などのロースト。料理と料理の間にはentremet(アントルメ)も出されましたが、これは見せるための派手なものが多かったようで、これが出るときには音楽や曲芸などのアトラクションがありました。その後は、甘い菓子やケーキや果物などのデザート。

この後に、長引く宴会では酒が振る舞われたそうです。さらに親しい人たちは、宴会を開いた主のプライベートの部屋に入って、食後の消化をよくするためにワインやドライフルーツなど振る舞われることもありました。これを「boute-hors」と呼んだそうです。

中世には、宗教上の拘束もあり(肉を食べない日があったり、美食や酒にうつつを抜かしてはいけないなど)、食事は楽しむというよりも体力を養うために食べると考えられていたようです。ルネサンス期になると、食事を楽しもうとする傾向が現れてきました。


16世紀の祝宴

ルネサンス期のご馳走をテーマにした展示会があり、そのときの館長さんが展示物を見せながら16世紀の食事について語っています。


Les festins à la Renaissance : luxe, ordre et volupté



17世紀の祝宴

フランス式サービスというのは、テーブルが埋まってしまうほど料理を並べるのですね。



これは、ルイ13世が1633年にフォンテーヌブロー城で開いた祝宴の版画(こちら)を絵画にしたもので、描かれているのはルイ14世のように見えるものの、食卓は同じです。

宴会は盛大だったはずなのに、1列に14人しか座っていないので、絵のためにテーブルの長さをカットしてしまったようです。

お皿がこんなに並んでしまうと、現在にイメージするような気取ったフランス料理には見えませんね...。


中央にいる棒を持った人は、滞りがなくサービスが出来ているかを監督している給仕長でしょうね。

給仕長として歴史に名を残している人に、フランソワ・ヴァテル(François Vatel 1631~71年)がいます。シャンティイー城でルイ14世を招待した大切な宴会を指揮していたのですが、届いた魚介類の量が少ないのを苦にして自殺してしまったという人。皮肉なことに、彼が死んだあとに魚介類がたくさん届いたのですけれど、電話もない時代だと、そうなってしまうのだろうな...。

ヴァテルが働いた城を見せる番組がYouTubeに入っていたので入れます。フランスの城の台所がいかに立派であるかが見えるので。日本で城の見学をするときには、台所の見学はハイライトになっていないように思うのですが...。


Vatel, l'excellence à la vie à la mort - Reportage - Visites privées


18世紀の食事のメニュー

18世紀には、斬新的なレシピも生まれ、フランスの美食文化は高いレベルに達しました。

ルイ15世の夕食のメニューです(1751年)。


クリックすると、大きな画像を入れているサイトが開きます。

ずらりと料理の名前が並んでいます。この中から好きなものを選ぶというレストランではないのですから、全部が食卓に出てきたのだろうと思います。大きく5回のサービスに分かれていますが、これだけたくさんの料理を各自の前に並べることは無理でしょうから、離れたところに気に入った料理があったら歩いていったのでしょうか?

1750年にルイ15世のために開かれた宴会では、午前9時に始まって、午後8時に終わったと書いてありました。これは、ブルゴーニュにいると驚きはしません。朝からは食べ始めないですが、昼ごはんに招待されて、真夜中過ぎまでテーブルについたままだったということは珍しくありませんので。

でも、その時に出されたのは、各自11皿を並べるサービスが6回あったとのこと。ということは66種類の料理が出たということ? 日本料理は一口しかのっていない皿をたくさん出しますから、皿の数では驚かないけれど、そんなのではないでしょうから、やはりスゴイ!


ロシア式サービスの到来


L'avènement du service à la russe - Visites privées

始めのところで、フランス式サービスだと全員に料理が出されるまで食べられないので、料理が冷たくなってしまうと言っていました。

でも、中世の宴会でもそうだったのですが、肉を切る係りの給仕が高い地位にあります。でも、肉を目の前で儀式のように切るのは主賓格のためだけで、その他の食客たちには既に調理場で切った肉が出て来たのだ、と専門家の方がおっしゃっていたのですけれど...。


現在のメニュー

フランスの3つ星レストランで食事をしたときに出されたものを並べてみます。




現在のフランス料理のコース料理といったら、次のようになるのではないかと思います。
  • お通し(何品か)
  • 前菜
  • メイン料理: 肉か魚、あるいは両方。魚の後にお口直しのアルコール飲料入りシャーベットなどが出てから肉料理になることがよくあります。
  • チーズ(普通は食べ放題なので、ここまででまだお腹がすいていたらチーズをたくさん食べる)
  • デザート
  • コーヒーとお菓子

もちろん、もっと皿の数が多いコース料理もありますが、18世紀までの料理のメニューを眺めた後では、大したことがなかったな... と思ってしまう。これがロシア式サービスなわけでした。


続く

シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
ホイップクリームは、フランス語ではクレーム・シャンティイ 2012/06/06

外部リンク:
☆ 紀元前から現代までのメニュー色々: Menus d'hier
L'histoire des menus

中世:
Exemple type de menu repas médiéval avec recettes et boissons de cuisine médiévale du moyen age
Banquet

16~19世紀の食事風景の絵画:
WODKA. À Table !

17世紀:
Cuisine française: Au XVIIe siècle
Le Festin des chevaliers du Saint-Esprit, 1633-1634

17~18世紀:
Le souper aux XVIIe et XVIIIe siècles s'expose aux Arts Décoratifs de Bordeaux
☆ Interdisciplin'art: Menu d'un livre de cuisine au XVIIIe siècle
La gastronomie, un nouvel art de vivre du XVIIIème siècle en Lorraine

ヴェルサイユ宮殿:
Château de Versailles: Les tables royales
Francetv Éducation: Le repas du roi Louis XIV
Versailles Le chef Jean-François Piège ressuscite le repas royal de Louis XIV
France pittoresque: Repas sous le règne de Louis XIV
☆ Wikipedia: Étiquette à la cour de France: L'étiquette sous le règne du roi Louis XIV
Voyages du roi au château de Choisy (1753)
Un festin de roi

Wikipédia: Service (cuisine) / Service à la française / Service à la russe
メートル・ド・セルヴィスの会: サービスの歴史と給仕方法
日本エスコフィエ協会: 料理が語る歴史のひとこま



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2017/04/12
むかし、フランスに行くたびに泊めてもらっている友人を日本に招待したとき、私の小さなアパートに滞在してもらいました。

茶の間にしている畳の部屋で食事をして、それを片づけて、夜は彼女の布団を敷いて寝てもらいました。フランスでは来客用のベッドルームがあることが普通なのに、私のアパートは狭いので申し訳ないと謝ったら、とても合理的な部屋の使い方だと褒めてくれたのでした。まんざらお世辞で言っているわけでもないらしくて、部屋をダイニングと寝室に使ってしまうということに感心していたようなのです。

ずっと後になって、フランスだって、昔は、寝室で食事をすることが多かったのだ、と知りました。

ただし、何事も文句を言うのがフランス人。私のアパートの茶の間は6畳間と狭いし、天井は低いのが問題だったようです。泊めた彼女は、布団に入ったときに食べ物の臭いがこもっているのは難点だ、と文句はつけていたのです。

その後に自分で実験してみたら、鍋物などをした後の部屋は耐え難いほど臭いのでした。私たち日本人は意識しない傾向にあるのでしょうが、醤油や魚を使った日本料理は、たまらなく嫌な臭いがするのです。これについては、いつか書きたいと思っています。

シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】目次へ
その8


フランスの家庭で、ダイニングルームがあるのが普通になったのは19世紀になってからだそうです。庶民はもちろん、貴族や裕福な階層が住む広い城や館でも、寝室や居間のような部屋に食卓が整えられて食事をしていました。


テーブルは食事の度に設える

昔のフランスには、ダイニングルームというものが存在していませんでした。

食事の時には、組み立て式のテーブルを設えました。足組をセットして、そこに板を乗せてテーブルにし、その上にテーブルクロスをかけて食卓にしていたわけです。

中世についてはすでに書いています:
★ 中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置


いかにも設えたテーブルだと分かる絵があったので入れます。15世紀後半の作品です。


Syphax recevant Scipion l'Africain et Hasdrubal à sa table, vers 1485-1490

宴会のときには、人数に合わせて大きな部屋に場所を設えますので便利ではあります。

現代のフランスでも、田舎に住む人が100人も招待するようなホームパーティーを開くときには、公民館からテーブルを借りてくるのですが、足組を立てて、そこに板をのせてテーブルにするという形式があります。




寝室で食事する

普段は、寝室で食事することも多かったようです。暖炉があって、広間のようには大きくないので、寝室は暖かいから、ということも大きな理由だったでしょう。

17世紀、18世紀になっても、城主様の寝室が食堂になることも多かったようです。城を見学すると、ガイドさんがよく「dresser la table(食卓を整える)」というのは、そこから来ている表現なのだと説明します。

今では食卓に食器などを並べて食事の支度をすることを意味する表現なのですが、もともとは本当にテーブルを設置したわけなのです。城の見学をするのが趣味の私は何度も聞いているので珍しくもないのですが、フランス人たちは「なるほど...」と感心して聞いています。


ルイ14世在位: 1643~1715年の場合

ヴェルサイユ宮殿で暮らしたルイ14世は、規則正しい生活をして、それを儀式のように公開していました。食事に関しては、朝食は寝室でとり、昼食と夕食は別々の部屋を使う、という具合。

下の絵画は、ルイ14世がモリエールを朝食の席に招いたという逸話(1670年)を題材にしたものです。

Molière et le roi attablé. Le roi parle aux courtisans, Molière regarde le roi.
Louis XIV et Molière déjeunant à Versailles, par Ingres. Esquisse pour le tableau le Déjeuner de Molière, qui fut détruit en 1871 au palais des Tuileries. (Bibliothèque-musée de la Comédie-Française, Paris.)

右側に、緑色の天蓋があるベッドが見えます。

新古典主義の画家ドミニク・アングルが1857年に描いた作品なので、当時の様子を伝えているだけですが、寝室での食事はこんな感じだったはずです。

城の寝室は、私が友人を寝かせた6畳間の何倍もの広さがありますし、天井も高いですから、寝ていて食べ物の臭いがするということはなかっただろうと思います。

ルイ14世が1人でする食事は「Petit Couvert(プティ・クーベール)」。公開して見せる食事は「Grand Couvert(グラン・クーベール)」と呼ばれ、妻や子どもたちと共に食事をしました。

大勢の人がいるグラン・クーベールの様子を描いた絵があります(1710年):
Le souper au Grand Couvert.


午後10時、Grand Couvertで行われるsouperと呼ばれるヴェルサイユ宮殿での夕食は、時代によって、国王か王妃の控えの間(antichambre)をダイニングルームとしていました。部屋は決めていたわけですが、食事の時にはテーブルを設置していたのでした。国王は立派な椅子に座りますが、その他の人は折り畳み式の椅子に座り、通りかかった人たちは立ったままで見学します。

ヴェルサイユ宮殿にある王妃の控えの間の様子を見せる動画があったので入れます。始めに出てくる棒は、長さが1メートル30センチある給仕長の指揮棒です。


Versailles, l'autre visite : #02 - LE SCEPTRE DU GOÛT


フランス革命で断頭台の露と消えたルイ16世は、ルイ14世のように儀式張って派手なことをするのは嫌う人でした。「Grand Couvert」で食事するのは、祭日と日曜日だけとされていたそうです。


ダイニングルームが初めて作られたのは18世紀

このシリーズでも何回も画像を使いましたが、ヴェルサイユ宮殿につくるダイニングルームの壁に飾るために描かれた絵があります。

Le Déjeuner d'huîtres, Jean-François de Troy (1735)

Le Déjeuner de jambon(1735年), Nicolas Lancret

18世紀前半に描かれた絵画です。部屋が幾つあるのか分からないほど広いヴェルサイユ宮殿。食事をするためにしか使わないテーブルとイスを設置した部屋を作っても良いのに、この時代まで食事のためにテーブルを設えていたというのは不思議な気がします。


◆ 卓袱台(ちゃぶだい)の発想?

食事のときにテーブルを作る「dresser la table」という言い方は、日本で言う「膳立て」と同じ感じでしょうか?

日本にも、ちゃぶ台がありました。

Setsuko Hara in Meshi.jpg
映画『めし』(昭和26年)

折り畳み式ですよね? とすると、便利。

ちゃぶ台が庶民の家庭で使われていたのは、いつまでだったのか?

1887年(明治20年)ごろより使用されるようになり、1920年代後半に全国的な普及したが、1960年(昭和35年)ごろより椅子式のダイニングテーブルが普及し始めて、ちゃぶ台を使う家庭は減少していった、という記述がありました。

ちゃぶ台というのは、こんなに小さくて、きゃしゃなものでしたっけ? だから、「ちゃぶ台をひっくり返す」などという言い方ができたのでしょうけれど。


ちゃぶ台に似ていると思わせる絵画がありました。オランダの画家が18世紀半ばに描いた作品です。


Couple dînant devant la cheminée, 1650, Quiringh van Brekelenkam

寒いから暖炉の前で食事している庶民の生活を描いているようです。

文化の違いというのはあるけれど、共通した発想に行きあたると面白いと思います。


テーブルとイスが必要な食事の文化は不便

現代のフランスでは、食事をする場所が少なくとも2カ所ある家庭が普通だと感じます。家族だけの簡単に食事ができるテーブルは台所にあります。それから、家族でもちゃんと食事するとき、来客があったときに食事するための大きなテーブルがあるダイニングルーム。

フランスの家庭を見ていると、大勢で食事をするときには、大きなテーブルと人数分の椅子が必要なのは不便だと思います。

日本だと、座布団をたくさん持っていて、テーブルが小さければ座布団をぎっちり並べたりできますが、テーブルだと、足が邪魔で椅子をぎっちり並べることができなかったりもするのです。

10人以上が座って食事できる大きなテーブルを置いておけば良いわけですが、夫婦二人だけで住んでいると、いつもはその隅っこで食べるというのも楽しくありません。

フランスの家庭の多くは、必要なときには引き延ばすことができるテーブルを使っていることが多いと感じます。

下は、朝市で売っていた伸縮性のテーブルです。真ん中にある2本の足は、広げたときに下せるようになっています。


伸長式ダイニングテーブル 2013/01/02



続く

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★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: ホームパーティー いろいろ
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
Comment dresser la table d'un repas, banquet, festin avec recettes de cuisine moyen age medieval
☆ Wikipedia: Renaud de Montauban » ルノー・ド・モントーバン
☆ Château de Versailles: Les tables royales
Versailles - Extraits - Extrait la cérémonie du grand couvert
Petite histoire de la table à manger
☆ Wikipedia: Salle à manger » 食堂
☆ Wikipedia: ちゃぶ台




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2017/04/10
フランスにいて、どうしてこれがないと食事できないのかな、と思うことがあります。


Serviette de table pliée artistiquement

人を招待したときにはナプキンを出して恰好をつけるというのではなくて、家庭での食事でもナプキンはなければならないものになっているのです。手で食べる料理には必要ですが、そうでなかったらいらないのではないか、と私は思ってしまうのですけど...。

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その7



古代ローマのナプキン

古代ローマ時代でも、mappa と呼ぶナプキンが使われていたのだそうです。

ただし、テーブルに置かれるのではなくて、各人が自前のものを持って行くものでした。白い布というシンブルなもので、時には金糸で縁取りがある程度。顔を拭いたりもしていたらしい。

としたら、日本人の感覚ではハンカチみたいなものではないですか?

フランス人にとってのハンカチは、ちょっと違うので、食事の席で出してきて使うわけにはいきません。

フランス語でハンカチはmouchoirで、命名からして鼻をかむときに使うのが大きな目的のようなのです。後は涙を拭く? 私はハンカチで鼻をかんだりすることがないので、ハンカチは清潔なものだと思っているのですけれど、フランス人に貸してあげるなどとは言わないようにしています。

ともかく、西洋ではナプキンとハンカチは別ものらしい!

古代ローマ時代には使われていた小さなナプキンは、中世には消えました。


中世

テーブルには大きなテーブルクロスがかけられるので、その端で手や口を拭い、ナイフも同様に拭っていたそうです。

当時のテーブルは、食事の時に脚台に板を乗せて作られ、2つ折りにしたテーブルクロス(doublierと呼ぶ)をかけました。このダブルクロス(doublier)は、そのうちテーブルの淵に長い布を置くことによってとって変えられます(longuièreと呼ぶ)。


La Dernière Cène, de Dirk Bouts, panneau appartenant au retable du Saint Sacrement (1468)
ディルク・ボウツ『最後の晩餐』



13世紀には、中世のテーブルナプキンと呼べるものが登場します(touailleと呼ぶ)。これは4メートルの長さがあるものを2つ折りにして縫い合わせたものを棒に付けたもので、壁に布巾(torchon)のようにかけておいて使いました。

それって、トイレにある手拭きにあるシステム? 当時の食卓にはフォークはなく、手づかみで食べていたので、手拭きは必要でした。touailleという言葉は、ナプキンというか手ぬぐいという感じで17世紀くらいまで使われたとのこと。貧しい家庭では、そういうものを手ぬぐいとして使っていたのでしょうね。

もっとも、宴会では「中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分」に書いたように、手を洗わせてくれるサービスもありました。




16世紀ルネサンス期

今日のテーブルナプキンが登場する。四角か長方形で、かなり大きいナプキンでした(長さ1メートルのものもあった)。

大きなナプキンが必要だったのは、当時に流行したコルレット(Collerette)と呼ぶギャザーがついたレースなどの飾り襟を保護するためでした。形が似ていることから果物のイチゴを意味するfraise(フレーズ)とも呼ばれた襟です。

マルグリット・ド・ヴァロワ
William I, Prince of Orange by Adriaen Thomasz. Key Rijksmuseum Amsterdam SK-A-3148.jpg
ウィレム1世 (オラニエ公) 
マリー・ド・メディシス
MargaretevonValois.jpg
マルグリット・ド・ヴァロワ
アンリ3世 (フランス王)

フランソワ・ダランソン
  

こういう突拍子もない(と、私には思える!)襟が、ルネサンス期、16世紀半ばから17世紀前半に王侯貴族や富裕な市民の間で流行しました。

日本にポルトガル人たちが来たときも、これが流行していた時期でしたね。学校の教科書でにあった南蛮貿易の挿絵を見て、不釣り合いに大きな襟に目が行ってしまったのを思い出します。

この時代には、裕福さを誇示するために大きな襟を付けることを競い合っていました。取り外しはできるのに、食事のときも付けたまま。

この服装がフランスでフォークを使うことを定着したさせたのですが、フォークで食べ物を口に持っていくだけでは、手間をかけてつくるレースの貴重品であるご自慢の襟を汚してしまうこともあります。

そこで、大きなナプキン(風呂敷のような感じでしょうか?)を首の回りに巻くようになりました。つまり、それまでは、赤ちゃんのよだれかけのようにナプキンを首の回りに巻くなどということはしていなかったのです。それ以前は、ナプキンは肩にかけるか、左腕に付けていたのだそう。

もちろん、こんな襟をカバーできるように上手くナプキンを撒くのは一人ではできないので、隣に座った人同士が首の後ろでナプキンを結ぶのを手伝うという礼儀作法までできたのでした。

そこから、今日でも使われている「joindre les deux bouts」という表現ができたのだそう。文字通りにいえば「両端を結ぶ」という意味なのですが、「帳じりを合わせる」とか「なんとかやり繰りする」という意味で使われるのです。たいていは否定文で使われて、今月はお金のやりくりがつかない、などという時に使われます。

つまり、こんな大きな襟をしているから、ナプキンでうまく隠して、それが落ちてこないようにしっかり結ぶのは大変だった、ということでしょうか。

ともかく、フランス人たちが嫌っていたフォークを使い、ナプキンもして、お上品に食べるようになったのは、こんな不便なファッションのおかげだったようです。

コルレットの流行は1630年代で下火になり、それ以降は控えめな襟になりました。

この時代、ダマスク風麻布のナプキンも普及しました。行儀作法として、グラスに口を付ける前にはナプキンで口や手を拭います。

ナプキンにはバラの香りを付けたり、鳥、動物、果物などの形に折ってテーブルに置くことも行われるようになりました。


ルイ14世の時代

ルイ14世(在位 在位: 1643~1715年)の食卓では、一人ひとりにフォークやスプーンが置かれるようになりました。とはいえ、王様は彼はフォークを使いたがらず、相変わらず手で食べていたそうです。

料理の間には濡れたナプキンが出されたと書いてあったのですが、それがどんなものだったのかは突き止めることができませんでした。


18世紀

ナプキンで覆わなければならないような大きな襟はなくなっていますが、18世紀に描かれた食事の絵画を眺めると、相変わらず大きなナプキンを使っていたのではないかと思わせます。大きな風呂敷のサイズくらい?

18世紀半ばの作品で、狩猟のときに野外で食事をとっている風景です。

Déjeuner de jambon - Nicolas Lancret - musée Condé
Le Déjeuner de jambon(1735年), Nicolas Lancret, Musée Condé

今でも、フランスの奥深くの田舎に行ったら、首にナプキンを挟んで食事するお爺さんがいそうな気がしますけど...。

18世紀、食卓は豪華になり、食器も凝ったものになってきます。カトラリーも現在と同じようになり、ナプキンは、食事の最初から最後まで使われるようになりました。

ナプキンはテーブルアートで重要な位置を占めるようになり、刺繍を施したり姓名の頭文字を入れたりする豪華なナプキンや、奇をてらった折り方も登場します。


19世紀

ナプキンは小さくなり、ナプキンリングも登場しました。

Napkin ring


20世紀以降

ナプキンは、どんどん小さくなります。

花嫁道具として、テーブルクロスやナプキンに姓名の頭文字を刺繍したりもする風習ができました。




今日では、大勢で集まるホームパーティーでは使い捨ての紙ナプキンを使うことも多いですね。


続き:
★ 昔のフランスには、ダイニングルームがなかった

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外部リンク:
La Serviette De Table : Histoire D'une Invention
☆ Wikipedia: ナプキン » 仏語 Serviette de table » 伊語 Tovagliolo
Etiquette and Napkin History
ナプキン(napkin)
Histoire de l’art de la table  la serviette de l’Antiquité à aujourd’hui
Si vous mangez avec une fourchette et que vous n’arrivez pas à « joindre les deux bouts », c’est parce qu’il y a eu la Saint-Barthélémy !
L’origine de ces fameuses expressions : « Joindre les deux bouts »
☆ Wikipedia: Collerette (costume) | Fraise (costume) » 襞襟(ひだえり)
☆ Wikipedia: おしぼり
☆ Wikipedia: ハンカチ » Mouchoir


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2017/04/08
食卓で使うナイフの先はなぜ丸くなっているのか、というフランスの記事がありました。
あれ、あれ。ナイフの先は尖っていなかったでしたっけ?...

  

フランス製のナイフを並べてみたのですが、右端のは折り畳み式のアウトドア用ナイフ。確かに、それに比べると、テーブルナイフの先は丸くなっていますね。

納得したところで続きを読みました。

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その6



テーブルナイフの先を丸くしたのはリシュリュー枢機卿

フランスでナイフの先が丸くなったのは、1610年の5月13日だった、なんていうことまで書いてあるのでした。

ルイ13世の宰相を務めたリシュリュー枢機卿(1585~1642年)が、食卓で使うナイフの先を丸くすることを思いついたのだそう。

Armand Jean du Plessis de Richelieu
Cardinal de Richelieu

なぜ、そんなことを考えたのか、想像がつきますか?

[続きを読む  Lire la suite...]


2017/04/07

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その5

中世のフランスでは、食卓でフォークを使わなかったと書きました:
中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分 2017/04/06


フォークがなくて手づかみで食べていたというのは食卓でのことで、調理場で使うフォークのようなものは古代から存在していました。

現代のフランス家庭では必ずあるだろうと思われるのは、こういう肉を刺すフォーク。


 Fourchette à viande




下はスーサ(現在はイラン)で発見されて、ルーブル美術館の所蔵となっているブロンズのフォークです。8世紀から9世紀のものと見られています。

Forks Susa Louvre MAO421-422-431.jpg
Fourchettes retrouvées à Suse, bronze moulé, VIIIe-IXe siècles, musée du Louvre

ただし、何に使っていたのかははっきりしていません。祭祀用だったのかもしれません。



フォークはイタリアからフランスに伝わった

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では食事の時に使うフォークが存在していて、この国のお姫様がヴェネツィアのドージュと結婚したために、フォークは11世紀にイタリアに伝わりました。

フランスでも、14世紀後半、シャルル5世の財産目録には宝石が付いた金のフォークが何本か入っていたのだそうですが、チーズを焼くとか何か特別な料理に使っていたのかなどと想像されるものの、何に使っていたのかは分かっていないようです。

一般的には、フランスにフォークを持ち込んだのはカトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589年)だと言われています。彼女がアンリ・ド・ヴァロワ(後のアンリ2世)と結婚するために、1533年にイタリアからフランスに来たとき、嫁入り道具の中にフォークがあったからです。

もっとも、彼女が特にフォークを使うのが好きだったというわけでもなく、フォークを使ったのは加熱した西洋梨を食べるためだけだったと言われていました。

「火を通したナシ」と書いてあるので、ナシを煮たのか、焼いたのか分かりません。でも、デザートだったのでしょうね。

私が食べたナシのデザートの写真を入れてみます。カシスのソースがあるのですが、確かに、こういうツルンツルンとした梨だったら、手づかみでは食べたくない...。

 



始めに登場したフォークの先は2つだった

16世紀のフランスで使われたという旅行用のセットの写真がありました。


French travelling set of cutlery, 1550–1600, Victoria and Albert Museum

この当時のフォークの歯は、イタリアでもフランスでも2本だったようです。ほとんど突っつく食べ方しかできないように見えますから、フォークを使って食べるのは便利だと歓迎されはしなかったのは理解できますね。


コルレットがフォークを普及させた?

フォークが実用的にフランスで使われるようになったきっかけは、カトリーヌ・ド・メディシスの息子のアンリ3世が1574年にヴェネツィアを旅行したときのことでした。

イタリアでは、フォークが入ったのが早かったせいと、パスタを食べるのには便利だったか、かなりフォークが普及していたようなのです。

そこでアンリ3世は、フォークを使って食べると便利だし、何よりもエレガントだと気がついたのでした。

当時は、コルレット(collerette)というギャザーのついたレースなどの飾り襟が流行していました。フォークを使えば、襟にシミを付けないで食べられるというのは大きなメリットでした。

アンリ3世
(1570年頃)
ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン
(アンリ3世の王妃 1580年頃)
Description de cette image, également commentée ci-après

確かに、こんな服を着ていたら、フォークで食べ物を口に持って行くのが便利かもしれない...。

とはいえ、フォークを使いたがらない人も多かったようです。右手にナイフを持って、左手にフォークを持つというのは使いにくい。まして、フォークの歯が2つだと、現在の私たちが使うフォークとは違って、食べ物を乗せたりはできないので、突っつくくらいしかできません。

フォークを使って食べるのは女性がすることだ、とも見做されていたようです。それに、何となくフォークを嫌うという背景もあったのでした。


フォークの語源

フォークは、フランス語ではfourchetteと呼びます。これは、fourche(ピッチフォーク)から来ています。

昔のfourcheは形が違ったのかもしれませんが、Wikipediaにはこんな写真が入っていました。つまり、土を掘ったり、干し草をかいたりする道具ですね。それの小さいのがfourchetteでフォークというわけです。



もともとは、木の枝で作った道具で、ミズキ属の樹木で作ったものが最高とされていたとのことです。

fourcheという道具では、歯の数は決まっていないようです(こちら)。


フォークには悪魔のイメージがある?

キリスト教文化では、こういう形を見ると悪魔を連想するようです。fourche du Malin(悪魔のピッチフォーク)あるいは悪魔のqueue fourchue(先が2つに分かれた尻尾)に似すぎたからだと書いてありました。

悪魔が鍬のようなものを持っているのは思い浮かびます。しっぽが分かれていましたっけ? 現代では仮装するときのために、こんなのが売られていました。


尻尾は矢印に見えるのですけれど...。


ちゃんとした絵を見ないと悪魔らしさがないですね。地獄にいる悪魔たちです。

 

やはり、悪魔には尻尾があって、棒を持っているのですね。


少し前のことですが、「悪魔のフォーク」と呼ばれる雑草があるのを見つけました。

正式の名前はGéranium Herbe à Robert (ヒメフウロ)。私の庭にはいくらでも生えてくる草で、ドクダミのような匂いがします。薬草なのでした。

 

この草には、マリア様の針、マリア様のピンなどと色々な名前が付いていたのですが、その中に「悪魔のフォーク(fourchette du diable)」というのもあったのです。

なぜそう呼ばれるのかは、花が咲いた後にできる実にありました。



2つが対になって、2股のフォークのような形になるわけです。2股のフォークが嫌われたのは、同じような発想からなのかもしれません。


現在のようなカテラリーがそろったのは18世紀

カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフォークを持ち込んだのは16世紀半ば。フランスで本格的にフォークを使うようになったのは17世紀末から。

その間に、フォークの歯は2つから4つになって、使いやすくなってきました。歯が2本でなくなったのは悪魔のイメージから遠ざかるためだったという説もあるそうですが、歴史家は否定しているそうです。

もっとも、太陽王と呼ばれたルイ14世(在位 1643~1715年)の時代の食卓にはフォークが出ていましたが、誰も使わなかったようです。

王様が手づかみで食べるのを好んだので、一緒に食事する人たちは... 最近の流行りの言葉でいうなら忖度(そんたく)して、王様の真似をしてフォークを使わなかったのでした。

フォークが完全に定着したのは18世紀になってからのようです。スプーンの方も、18世紀には金銀細工師たちが色々な形のを作るようになりました。デザート用、コーヒー用、紅茶用、アイスクリーム用、そしてスープ用。赤ん坊のためにフルーツジュース用のスプーンなどまでできたのだそう(先がつまっていて、穴が開いている)。

18世紀には、少なくとも裕福な階層の食卓には、色々な種類のナイフが登場しています。チーズ用、魚用、バター用など。

色々な陶器が登場するようになったので、それに合わせてカテラリーが作られました。

金持ちは銀のナイフを作らせ、その下の階層では銀メッキ、貧しければ鉄製という具合。貧しい親にはナイフは結婚祝いでした。ナイフは縁を切るという縁起の悪いものともされたのも、この時期だったようです。ナイフの生産者は、凝っていたり、斬新だったりするナイフを作って成功を収めます。

でも、当時は、フォークとナイフは片方に置いたそうです。




フォークいろいろ

気にしていなかったのですが、現代のフォークは歯の数が4つなのが普通。そして、魚料理を食べるときのフォークは3つが普通。エスカルゴを食べるときは歯が2つでないとダメ。

フォンデュで使う串のようなものもフォークと呼ぶのでしたね。






続き:
その6 1610年5月13日、テーブルナイフの先は丸くなった


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★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
フランス人から包丁をプレゼントされたら、お金を払う 2014/07/25

外部リンク:
☆ Wikipédia: Fourche » ピッチフォーク
☆ Le costume historique: Collerette (pour femme)   | Collerette (pour homme)
☆ Wikipédia: Collerette (costume)
Pourquoi une fourchette a quatre dents ?
Pourquoi les fourchettes à poisson n'ont-elles que trois dents ?
Les Images du Diable (1000 - 1500) » Les Images du Diable (1500-2000)
Alimentarium : La fourchette
☆ Musée Gourmandise: Fourchette (ベルギーのサイト)
CATHERINE DE MEDICIS De la fourchette aux lames sanglantes
☆ 
イタリアのパスタがフォークの歯を4本にさせた【書籍】「フォークの歯はなぜ4本になったか」ヘンリー・ペトロスキー


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2017/04/06

これだけ並べられたら圧倒されてしまいます。ナイフとフォークとスプーンは、外側から使っていけば良いようになれべられているそうですけど。

中世の食卓では、もっとシンプルでした!

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その4


カテラリーの中で、ナイフだけは無ければならぬ!

下は、フランス王シャルル5世(青い服)が、カール4世(王様の左)と息子のヴェンツェルのために開いた饗宴の絵。料理が運ばれ、それを告げるトランペットが吹かれています。

Banquet de Charles V le Sage.jpg
Corner l'assiette
Jean Fouquet, Les grandes chroniques de France, vers 1460


テーブルの上に置かれているのは、それぞれがナイフ2本、四角い塩入れ、ナプキン、パン、皿、と説明されていました。

この時代には、今のようにグラスを各人の前に置いていませんでした。飲みたかったら、飲み物係りを呼ぶことになります。


カテラリーとしてあるのは、ナイフだけです。

中世の食事で使われたナイフは、今のテーブルナイフのような「安全な」ものではなく、武器にもなるエッジの鋭い短刀でした。

普通は、自前のナイフを取り出して使ったようです。

フォークがないので、ナイフで突き刺して食べるか、手づかみで食べていたことになります。

中世にもスプーンは使われていましたが、スープは日本式にボールを持って飲むことが多かったようです。現代のフランスでは、スープはスプーンを使うので「食べる」と言い、「スープを飲む」とは言わないのですけれど。

この時代にはフォークがないので、スープを飲んで底に残ったものはナイフで突っついて食べたようです。


15世紀に作られた装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Très Riches Heures du duc de Berry)』の1月の暦に、当時の宴会風景が描かれています。私がブログのプロフィール写真として使わせていただいている絵なのですが、改めて、どんな食卓なのか眺めてみました。

Les Très Riches Heures du duc de Berry (janvier)
Très riches Heures - Janvier


左奥で青い服を着ているのがベリー公ジャン1世。この装飾写本の分析者によると、これは1414年の公現祭(1月6日)、あるいは1415年の新年の祝いとして、パリの館で開かれた食事風景だとのこと。百年戦争がようやく終わりになろうとしている時期ですね。

中世の食事場面では、犬がよく描かれています。この絵では、グレーハウンド犬が床にいますが、テーブルの上にさえ子犬の姿が見えます。狩猟が大切だったので、犬にも愛着があったのか? 散らばってしまった食べ物をお掃除してくれるから重宝だったのか? あるいは、犬は忠誠のシンボルなので、いることを好んだのか...。

中世も末期になると、テーブルマナーも形づくられてきたし、衛生面も気にするようになったので、食事をするときには、そこらへんにいる犬や猫を撫でた手で食べないとか、犬のよだれを手に付けないようにするとかになったそうです。


上に入れたのはWikipediaに入っている画像なので、クリックすれば大きな画像が開くようにリンクを入れていますが、食卓の部分を切り出してみます。



ナイフを持ってお給仕している男性が2人いますが、これは前回の「中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置」に書いたécuyer tranchantと呼ばれる、切るサービスをすることが役割の若い騎士です。

この豪勢な宴会では、切ってくれる役割の人がいるので、各人は自分でナイフを持つ必要がないのでしょうか? 各人の前にはナイフが見えません。


下は別の装飾写本(1430年頃)で、女性が1人で食事しています。


Livre d'heures de Marguerite d'Orléans, vers 1430, BnF

やはり大きなナイフが目立っていますね。

左に見えるのは、塩を入れた壺。食卓には塩が欠かせないものだったようです。中世の料理ではハーブもたくさん使っていたので、その後に続く時代よりも味付けが濃かったのではないかという気がします。


パンは皿の代わりになる

各人が使う皿は「tranchoir」と呼ばれていました。trancher(切る)から出来ている言葉で、今日「トランシュワール」と言われたら、まな板のことだと思ってしまうのですけれど。

このトランシュワールという皿は、スライスしたパンか、木の板か、スズで作られた皿でした。薄く切ったパンに料理を乗せ、ソースをパンに吸い取らせてしまうという食べ方はよくしたようです。皿があっても、その上にパンのスライスを置いたりもしていました。

裕福な階層では、皿にするのは堅くなってきたパンで、食べるためのパンは別にあったのだそう。皿として使ったパンは、貧しい人々やペットや家畜に与えられていました。

ともかく、中世の食事では、カテラリーや食器には余りこだわりがなかったようです。皿も、グラスも、2人以上で使う場合が多かったという記述がありました。


手で食べるとなったら、手を洗う必要がある

フォークがフランスで使われるようになったのは、17世紀になってからでした。ナイフの先に突き刺して食べるので、フォークがないのは不便ではなかったようです。それに、手で食べれば良いわけなので。

手で食べるといっても、貴族たちはお上品に(?)3本の指(親指、人差し指、中指)を使っていたそうです。

ともかく、手は清潔にしておかねばならない。食卓につく前には必ず手を洗う風習になっていました。


Chroniques de Jean Froissart, XVe siècle

水差し、受け皿、手ぬぐいを持った係りの人がいて、手を洗わせてくれます。

食事の最中でも、手を洗いたければ係りの人を呼ぶことができたようです。もちろん、食事の後にも手を洗うサービスがありました。

フォークは17世紀から使われるようになりましたが、ルイ14世は手づかみで食べるのを好んだそうです。それで、彼のためには濡れたナプキンがあったという記述がありました。

つまり、おしぼり? その方が手を拭いながら食事するには便利ですよね?

今日のフランス料理では、カエルのもも肉料理や、丸ごと茹でたアーティチョークのように、手を使ってでないと食べられないものがあります。私は日本で買ったオシボリを出すことにしています。フランスでは、小さなタオルといったら、高級レストランのトイレに置いてある白くて小さな四角いタオルくらいくらいしか売っていないので味気ないので。すると、みな、とても便利だと言うのです。

どうしてフランスではオシボリが発達しなかったのか分からない。日本では、すでに『古事記』にオシボリは登場しているし、オシボリを出すサービスは室町時代か、江戸時代には定着したようなのですが。

手づかみで食べるとなると、拭うものが必要です。テーブルナプキンの歴史も面白いので、それはまた別に書くことにします。


続き:
その5 フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった


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Définition d'un tranchoir
Wikipédia: Les Très Riches Heures du duc de Berry » ベリー公のいとも豪華なる時祷書

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2017/04/05

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その3



宴会の席では食卓の片方に座る

中世も終わりの頃になると、料理も凝ってきたし、儀式としての形式も整い、かなりのご馳走が宴会で出されたようです。

Banquet du paon
Vœux du paon(14世紀前半)

テーブルの片側だけに座るのが中世の食事だと知らなかったら、絵に描きやすいようにしたように見えてしまう。でも、お給仕をする人たちにはやりやすいでしょうね。

下は、15世紀の装飾写本に描かれた結婚披露宴の様子です。


Histoire d'Olivier de Castille et d'Artus d'Algarbe

中央には主催者と大切な招待客が座ることになっています。この絵では、中央が花嫁で、その左手に花婿がいます。その座席に近い席は身分の高い者が座り、遠ざかるにしたがって身分が下がって行く。こういう設定は、今日でも時々はすることがありますね。全員の顔が見えるので便利。


お給仕をする人たちは、貴族出身の人々で、それぞれに役割が定まっていました。

主賓席の左手にいる青い服を着た人は最も高い地位の役割。今日でいう給仕長のmaître d'hôtel(メートル・ドテル)というところでしょうか。給仕が滞りなく行われているかを見張り、最も偉い人の横に待機して、何をお望みかに気を配ります。

この係りは、宴会の間中ずっと動かずにいなければならないのだそう。彼の手前にある舟形の容器はnef de tableと呼ばれ、最も大切なオブジェなので、これの見張りをしているということにもなります。

主賓席の前に立っているのは、écuyer tranchantと呼び、肉やパンを切り分ける係りの侍臣。écuyerというのは、貴族に叙せられる以前の貴族の子弟、chevalierの下に位置する爵位を持たない平貴族。tranchantというのはtrancher(切る)から来た言葉。

Écuyer tranchantのオーナメントは、これ。



Ornements extérieurs de l'écu du Grand écuyer tranchant



左に描かれている給仕の人たちの中で、先頭に入って来ているのはpanetierと呼ぶパンを運ぶ係りです。

ワイン担当、つまり今日のソムリエ役はéchanson。

fruitierという果物担当もいます。

ブルゴーニュ公国の宮廷では、給仕係りは50人は下らなかったとのこと。


ところで、今日の宴会やレストランでは、ワインを飲むグラスがテーブルに置かれていて、それがなくなるとお給仕の人がつぎ足してくれますが、中世にはテーブルにグラスが置かれることはなかったのでした。欲しいときには給仕係りに声をかけたそうです。この絵画では、右側の床の上にワインを入れた壺が見えます。


中世の宴会では、ただ食べることを楽しむだけではなく、音楽などのアトラクションもありました。

食事が始まる合図はホルン、料理が入れ替わるときにはトランペットで知らせました。上に入れた絵では、右上で3人のménestrelと呼ばれるミュージシャンがトランペットを吹いています。


ベンチに座るからバンケット

祝宴のように大勢が集まるときは、テーブルはU字型に設置されることが多かったそうです。



この時代、ちゃんとした椅子に座るのは主催者が大切な招待客と共に座るテーブルだけで、その他の人たちはベンチに腰掛けていました。

ベンチはフランス語でban(バン)。そこから、個人的な食事とは違う「宴会」を意味するbanquet(バンケ)という言葉ができたそうです。英語でも綴りは同じで、発音はバンケット。

でも、ベンチだと座り心地が悪そう。近世になると、全員がちゃんとした椅子に座るようになりました。


中世の食事の特徴はまだ他にもありますので、続けます。次に書こうとしていることは、ここに入れた3枚の絵でも証明されているのですが、今日にフランス料理が出てくるときには欠かせないものが無いことに気づかれたでしょうか?


続く
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2017/04/04
中世と呼ばれる時代がいつだったか曖昧なので、フランスの歴史区分を確認しました。



ヨーロッパの中世は、どこに線を引くかには議論があるものの、西ローマ帝国滅亡(476年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)まで、あるいはコロンブスのアメリカ大陸発見(1492年)までとするのが一般的のようです。

上に入れたのはフランスの歴史家が区切った時代の4区分で、フランスではこれが一般的らしく、中世の終わりは1492年の方にしてありました。


ブルゴーニュ公国
が4人のブルゴーニュ公(ヴァロワ家)によって栄えた時期が、14世紀半ばから1477年までなので、私の頭の中にあるフランスの中世は14~15世紀なのですけれど、5世紀に中世が始まっていると捉えるとすると長い期間ですね。


中世の後に続くのは、フランス革命が勃発する1789年までが「近代」。その中で、ルイ14世の時代(在位 1643~1715年)はフランス絶対王政の全盛期。

フランス革命の後はかなりの変化があって、それが今日まで続いている「現代」。

図で眺めてみると、青の「古代」の部分が長いし、中世も意外に長いので、近世から現代はやたらに短く見えました。

ここのところフランスの食文化の変化を眺めているのですが、今日の姿になったのは、長い歴史の中では本当にごく最近なのだと感じます。

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その2


中世の装飾写本(フランス語でEnluminure)が大好きです。手で描かれた美しいカラーの絵が入っているからです。食事の風景も多く描かれているので色々と眺めながら、中世の食事の仕方の特徴を眺めてみました。中世の食事については幾つかの記事とする予定なので、そこに入れていきます。


パンが大事なカロリー源


Livre du roi Modus et de la reine Ratio, XIVe siècle

この絵画に描かれているのは旅人で、食事はパンとワインだけ、という説明がWikipediaではなされていました。でも、これを所蔵しているフランス国立図書館では「Le casse-croûte paysan(農民の軽食)」としています。畑仕事の合間にする腹ごしらえとして受け取っているようです。

ところで、中世でも巡礼者や商人たちのために、Auberge(オーベルジュ)、taverne(タベルヌ)と呼ばれる旅館がありましたが、そこで出す料理によって評判の良しあしがあったようです。ただし、タベルヌの方は、アルコール飲料の飲み過ぎやギャンブルなどが付きものなために悪名高いところもあったようす。


中世のフランス人たちは、1人あたり、1日にパンを500gから1Kg食べていた、とみられているのだそう。

肉、魚、野菜、果物、油脂、チーズも食べられたけれど、パンに添えられる食べ物であって、つまり、現代の食べ方と逆転した立場だった、という説明でした。

バゲットを食べるようになったのは比較的最近なので、フランスから輸入して販売している昔風のパンを右に入れてみました。

パン・ド・カンパーニュを2等分したものですが、直径約30cm X 高さ約10cm。重さは約900gとあります。

つまり、これを一人で1日に食べてしまうとは驚き...。

何を食べていたかは、社会の上層部と下層部ではかなり異なっていました。

肉体労働をする農民や職人は、食べることによって得る力の7割はパンに頼っていたのに対して、貴族たちの宴会では1日で1人当たり1キロの肉を用意していた、という記述がありました。


宗教上の拘束

信仰心があつかった中世には、キリスト教の定める戒律に厳格に従っていました。動物から得られる食材(食肉の他に、バターやチーズ、脂、卵も)は、1年のうち150日も禁止されて(毎週水・金・土曜日、祭日の前日、四旬節の40日間)、魚か野菜か果物しか食べられませんでした。

中世には何度も飢饉に見舞われています。こういう決まりがある時期には非常に困るわけで、王様はニシンを貧しい人々に配ったそうです。

裕福な階層では魚も色々な種類を食べていたのですが、貧しい人たちにとっての魚とはニシンだったようです。そういえば、未だにフランスではサーモンはご馳走というイメージがありますね。

断食の終わったらご馳走を食べるわけで、今日ある季節ごとの食べ物も、言われてみれば禁止されているものを食べる、というパターンなのでした。クリスマスのご馳走、復活祭の卵、揚げ菓子、クレープ、公現祭のケーキなど...。


中世のブルゴーニュ

中世フランスの中で、ブルゴーニュ公国の食文化は高いレベルにあったと言われます。盛大な宴会も開かれるので、調理を担当するスタッフは総勢515人いたとのこと。


Vœu du faisan

公国の首都だったディジョン市には、14世紀から15世紀にかけて建築されたブルゴーニュ公国時代の宮殿Palais des ducs de Bourgogneが残っているのですが(市役所と美術館として使われている)、15世紀につくられた台所の部分もあるのですが、薪をくべて調理に使う巨大な6つの暖炉があり、実に見事です。





中世のガストロノミー

中世のガストロノミーに関するテレビ番組があったので入れておきます。


Moyen Age ~~ histoire de la gastronomie

再現して見せてくれるのは分かりやすくて良いのですが、何となくその通りだったのか疑ってしまう...。

パリにあるフランス国立図書館(Bnf)が開いた中世の美食をテーマにした展示会は充実したものだったようです。それをバーチャル・ヴィジットができる素晴らしいサイトが出来ていました。中世の絵画をふんだんに見せながら説明をしてくれます:
☆ BnF:Gastronomie médiévale - Expositions virtuelles


中世の食事は今日とはかなり異なる興味深い特徴が幾つかあるので、それについて続きで書きます。

続き:
その3 中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置

シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次


ブログ内リンク:
★ 目次: フランスの祭日・年中行事について書いた日記
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
☆ BnF: Gastronomie médiévale - Expositions virtuelles
☆ Bibliothèque municipale de Dijon: Les cuisines du palais ducal
☆ Encyclopédie Larousse: Moyen Âge


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2017/04/03

シリーズ記事 【フランスの食事の歴史】目次へ
その1


フランスも、1日の食事は3回:
朝食が Petit-déjeuner
昼食が Déjeuner
夕食が Dîner

それから、夜にコンサートなどを見た後にする夜食のことをSouperと言う人もいるようです。

フランスでは夕食の時間は日本より遅めということくらいで(レストランで予約するなら午後7時以降でないと無理)、後は日本と変わりがありません。


dejéunerというのは、絶食(jeûne)を破るということから来ている言葉なので、朝起きてから始めて食べる食事を指す言葉でした。今日では昼食を意味する言葉なのですけれど、昔は朝食が「déjéuner(デジュネ)」だったわけです。

そこでずれるわけで、今日の夕食のdînerが昔は昼食で、夜の食事はsouperでした。

小さなデジュネとして「プチ」を付けて朝食を意味する「petit-déjeuner(プチ・デジュネ)」という言葉が使われるようになったのは、20世紀初頭からなのだそうです。

昔のフランスで、贅をつくした食事をしていたとして有名なのはルイ14世です。ヴェルサイユ宮殿での生活は時間刻みで儀式のように全て時間で決めていて、家族の食事も招待されていない人々が見学できるようにしていました。

農民や職人のように朝から働く人たちは、昔から今日のような3回の食事をしていたそうなのですが、昔の貴族たちは1日に2回の食事にしているケースが多かったようです。王様によって、好みで決めるのか、食事の時間は違ったようです。

フランスの時代別に何時に食事をしていたかを示した情報があったので、メモしてみます。


13~15世紀農民は、夜明けにdéjeunerをとり、農作業によって食事時間を調整。

déjeuner : 6~10時
dîner: 13時頃
souper: 19~20時


ただし上流階級では、
1日に2度の食事で満足していた:
午前10時~11時にdîner、
16時~19時にsouper。

シャルル5世(14世紀)も、
朝の10時にdîner、19時頃のsouperだけ。
Entrée de Charles V à Paris
16世紀フランソワ1世は、
5時に起き、
9時頃にdîner、
17時頃にsouper、
21時に寝ることにしていた。
François Ier vers 1530 par Jean Clouet
17世紀dîner : 13時
souper: 20時

ルイ14世は、8時に起き、食事は1日に3回:
8時半頃にdéjeuner、13時にdîner、22時頃にsouper。
Louis XIV 1666 Charles le Brun
フランス革命
まで:
dînerは15時となり、主な食事となるsouperを22時にとる。

右に入れた絵画は、ルイ15世が注文して描かせた「Le Déjeuner d'huîtres(1735年)。牡蠣を食べながらシャンパンを飲んでいるdéjeunerの風景。 何時に食事している様子なのかは分かりませんでした。
19世紀1日の食事は3回となる。
起きたときにとる食事を「déjeuner(à la tasse)」、
午前10時~正午の間にとる食事を「déjeuner à la fourchette(déjeuner dînatoire)」と呼ぶ。
17~18時にとる食事がdîner。
観劇などに行った人は、その後にsouperをとることもあった。
19世紀末昼にdéjeuner、dînerは19時半というのが普通になる。
20世紀朝食は、今日のようにPetit-déjeunerと呼ばれるようになる。


日本の食事の歴史をみたら、フランスとかなり似ていました。つまり、肉体労働する人たちは今日のように1日3回の食事をしていたようですが、平安時代の貴族たちは1日に2回だったのだそう。

フランスの貴族は戦争で戦うことが仕事なわけだっただし(商売などをしたら貴族権をはく奪された)、ハンティングをすることを多かったので、そんな時は肉体労働をしているのと同じだったはず。ですから、朝から腹ごしらえしなければならなかったのではないかと思うのですが、そういうときの朝ごはんは、食事という感じでは受け取らなかったのかな?...


フランス革命前の貴族たちは、dîner、souperの2回の食事をするのが一般的だったようなのですが、「フランス革命まで」のところに入れた絵画のようにdéjeunerの様子も登場しています。といっても、朝食というのは本格的すぎる食事に見えます。

下も18世紀に描かれた狩猟での食事風景ですが、déjeunerという言葉が付いています。 

Troy - Un déjeuner de chasse (1737)
Le déjeuner de chasse (1737), Jean-François de Troy, Musée du Louvre

厳格なスケジュールで生活していたルイ14世のような王様でない限り、食事の時間はかなりフレキシブルだったし、朝食だろうと何だろうと、食べたいものを食べていたのではないかという気もしました。もちろん、信仰心が強かった昔には、肉は食べない時期など、宗教上で定められている食べ物に対する規制には忠実に従っていたのでしょうけれど。

ともかく、誰もが、ほとんど同じ時間に、1日3回の食事をするようになったのは、19世紀も末になったからということのようです。


続き:
その2 中世の食事 (1) パンをたくさん食べる

シリーズ記事【フランスの食事の歴史】目次
 



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クイズにした絵の背景: 18世紀の貴族たちの食事 2010/02/10
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:

Quand déjeuner, c’est dîner
Fondation Nestlé France: Kit pédagogique - Passez à table
日本における食事の回数の歴史!意外な事実とは?


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2017/04/02



日本でのフランス料理には非常に気取ったイメージがありますが、フランスでは食べることを楽しむことを最も大切にしていると感じています。さらに、フランスの昔は、もっと大らかだったようです。

貴族たちの食卓は、中世でもかなり豪華でしたが、洗練されてきたのは16世紀から17世紀にかけての時期でした。皿を使うことを普及させたのは、16世紀前半に国王だったフランソワ1世。フォークを使うことを普及させたのは、17世紀後半の国王アンリ3世と言われます。

今日の私たちがイメージするフランス料理というのは19世紀過ぎに登場してきた姿で、昔はどんなだったかを知ると面白いものがありました。

フランス料理の歴史については日本でも色々と紹介されているのですが、ここのところフランス情報を調べてみて、私自身が面白いと思ったことをメモしました。
 

目次:

昔のフランスでは、何時に食事をしていたのか?
Troy - Un déjeuner de chasse (1737)2017/04/03

貴族は1日に2回の食事が多かった。
今日の昼食は朝食、夕食は昼食。

誰もが朝、昼、夜と1日に3回の食事をするようになったのは19世紀末。

中世の食事 (1) パンをたくさん食べる
2017/04/04

中世には、1人あたり1日500グラムから1キロのパンを食べていた。
宗教的な規律で肉を食べられない日は、1年に150日もあった。
ブルゴーニュ公国の台所。
中世の美食をテーマにしたテレビ番組、展示会のバーチャル・ヴィジットができるサイト。

中世の食事 (2) 宴会でのテーブルの配置
2017/04/05

主賓席を囲んで、身分によって席順がある。
テーブルは、コの字形にテーブルを配置することが多かった。
給仕しているのは若い貴族が中心で、それぞれに役割があった。

主賓席では椅子で食事するが、その他の人たちはベンチに腰掛けている。そこからバンケットという呼び方ができた。

中世の食事 (3) 食べる道具としては、ナイフとパンがあれば十分
2017/04/06

まだフォークは使われない時代で、ナイフは必需品であった。
スライスしたパンに食べ物を乗せて汁を吸いこませ、手づかみで食べる。あるいは、ナイフで突っついて口に持っていく。
食事の前には手を洗う習慣があった。
中世の食事風景を描いた絵画では、犬の姿が目立つ。

フォークを使って食べることが定着するには、百年以上もかかった
2017/04/07

16世紀、フォークがイタリアからフランスの宮廷に入る。
当時の襟の大きい服装にはフォークで食事するのが便利だった。
しかし、フォークがすぐには受け入れられない理由もあった。
18世紀、食卓にはナイフ、フォーク、スプーンが並ぶのが普通になった。

1610年5月13日、テーブルナイフの先は丸くなったRichelieu
2017/04/08

ナイフの先を丸くした意外な理由。
爪楊枝の歴史。

テーブルナプキンの歴史
2017/04/10

中世には、テーブルクロスをナプキン代わりに使っていた。
当時流行したコルレットが、フォークや、大きなテーブルナプキンを必要とした。
19世紀から、テーブルナプキンは小さくなった。

昔のフランスには、ダイニングルームがなかった
2017/04/12

フランスの家庭で、普通にダイニングルームを設置するようになったのは19世紀。
寝室も食事をする部屋として使われたが、食事をするときにテーブルが設置された。
日本の卓袱台(ちゃぶだい)と同じ発想?

19世紀、フランスの食事提供ではロシア式サービスを始める
2017/04/14

たくさんの料理を一度に並べるフランス式サービスと、現在のフランス料理のイメージになっているロシア式サービス。
ロシア式は、料理が冷めないで食卓に出るメリットがあるのだが...。

ワインのコルク栓抜きの発明
2017/04/16

ワインオープナーを発明したのはフランス人ではない。
シャルル・ド・ゴールと呼ばれるコルク抜き。
ワインオープナーなしにコルクを抜く方法。

フランスで言われる食卓でのマナーとは?
2017/04/17

シリーズ記事には関係ありませんが、調べていたら出てきことをメモしておきました。

フランスの食の歴史に関する情報
2017/04/18

シリーズ記事全体に関する情報リンク集






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★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ


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2017/03/15
日本にいるときは、たまには牛肉も食べる、という程度の私です。牛肉は高いから買えないというだけではなくて、やたらに脂が多くて気持ち悪いというのも理由です。

日本には整形肉があると知ったことと、飛行機の中で退屈しのぎに見たビデオで、日本の乳牛は運動もできなくて四六時中食べているから霜降りになる、というドキュメンタリーの影響かもしれません。私が買える程度のお値段の牛肉だと、脂を食べているみたいで、牛肉本来の味がない...。

だいぶ前に、地元にある直売所で買ったという松坂牛をプレゼントされたときには、なんと美味しいのだろうと感激していたのですけれど...。

右に入れた松坂肉をフランス人に食べさせるために用意するとしたら、材料費は一人あたり2万円近くなってしまう。

フランスでは牛肉は贅沢品ではありません。私がフランスにいるときに食べる肉としては、牛肉が一番多いのは間違いないと思う。庶民的なレストランで簡単な食事をしようとするときも、不味くはないだろうと思える無難な料理は牛肉のステーキだと感じています。

それでも、食材として最も安い肉は、フランスでも豚肉なのかもしれない。安いランチメニューでは豚肉がメイン料理になっていることがよくあるし、B&B民宿での夕飯でも出してくることが多いからです。

豚も健康的に飼育されているとかなり美味しい肉になるのですが、どうしようもなく不味い豚肉もある。しかも、牛肉のようにただ焼いただけの豚のステーキというのは、硬くておいしくないことが多いように思います。


◆ 豚肉のコンフィ

レストランの平日ランチメニューのメイン料理が豚肉だったので、魚料理の方を選ぼうかなと迷ったことがありました。でも、豚にしておいて正解 ♪

こんなに美味しい豚肉料理をフランスで食べたことがない、と思ったものが出てきたのでした。



料理の名前は、こうなっていました:
Poitrine de porc confite, mirabelles rôties, lait de verveine

Poitrine de porcというのは、豚のバラ肉のこと。つまり、豚肉の中でも安い部位だったわけですが、柔らかくて、表面はパリっとしていて、ともかく美味しかった。

そう給仕長さんに言って、どういう風に調理したのか聞いてみたら、長い時間をかけて加熱したのだと答えられました。特別な調理器具があるとのこと。つまり、家では作れないという言い方で、「召し上がりたかったら、また来てください」と言われたのだけれど、このレストランはもうなくなってしまったのです。


ミラベル

豚のバラ肉のコンフィに添えてあったのは、ミラベル(mirabelle)と呼ぶプラムの一種でした。



この料理について書きかけて下書きフォルダに入っていたのを取り出したのですが、もう半年前に行ったレストランでした。秋だったので、そのシーズンの旬の果物が付け合わせになっていたわけです。

ミラベルは、ケーキで使うことがあるし、蒸留酒でも馴染みがあります。


ミラベルを料理でも使うのは思いついたことがありませんでした。フランスでは、豚肉料理にリンゴを付け合わせにすることがよくあるのですが、こういう果実の方がしゃれていますね。


食べた豚肉の柔らかさで、角煮や酢豚を思い出した

レストランで豚バラ肉のコンフィを食べたフランスの友人も美味しいと言っていたので、角煮も気に入ってもらえそうに思いました。いつか作ってみたいと思います。

フランス人のために日本料理を作ろうとするときには、どんな料理なのかを説明をして、食べてみたいかと聞くことにしています。食べてから不味かったとは言われたくないので。

でも、私が説明すると、みんな美味しそうには感じないみたい。オイルで揚げたとか、牛肉を煮たとかいうのは、それだけで不味そうなイメージを与えてしまうようなのです。相手が言うことを無視して作ってしまうと、意外性があって美味しかった、と言われることが多いのですけれど。

質の良いレストランにあるお品書きは、読んだだけで食欲をそそられます。コピーライターを雇っているわけでもないのでしょうが、お上手だなと感心します。

それで、私が日本料理を作るときも、説明を上手にする必要があるのだ、と思うようになりました。

レストランで美味しいと感激した豚肉のコンフィを食べた翌日、あの柔らかさは豚の角煮と同じではないかと思ったのでした。さもなければ、酢豚に入っている豚肉の感じ。


最近のフランスでは日本食ブームなので、豚の角煮などはレシピを紹介している人がいるはず。この料理をどういう風にフランス語で名前を付けているのか調べてみました。

「豚バラ肉のコンフィ、醤油風味」とか言っていたら、美味しそうではないですか?...

コンフィという美味しそうなイメージになるのですが、これは、肉の場合は油脂、果物の場合は砂糖を使って、低温で調理したものを指すようなのでした。

豚の角煮は、誰もが「ブレゼ(braisé)」という言葉を使っていました。フランス料理でブレゼという単語を使うときには、オーブンで時間をかけて加熱するのが一般的だと思いますが、角煮でも使って良いわけなのですね。

「醤油や砂糖を入れた水でコトコト煮た料理だ」というよりは、「豚肉のブレゼ」と言った方が食欲を誘うはず。豚の角煮を作るというときには、「poitrine de porc braisée à la japonaise」と言おうと思いました。

酢豚の方は「Porc sauce-aigre douce」という名前が出てきました。なるほどね。甘いというのを出さなければいけなにのだ。


レストランで出された料理のレシピを探す

レストランで出されたトロトロの豚バラ肉料理は、日本の豚肉料理にある触感がありました。フランス式にすると、どうやって作るのかなと思って、似たような料理のレシピを探してみました。

料理名にはなかったのですが、肉の表面にハチミツで照りを出していると感じたので、豚のバラ肉をハチミツを使って料理していることを条件に選びました。


その: La rien de moins que sublime poitrine de porc confite aux épices

私が食べた料理に近いと思ったのが、これでした。



800グラムのバラ肉をマリネするソースは、醤油 5cl、白ワイン 5cl、ハチミツ 大さじ3、生姜5センチの絞り汁、グリーン・カルダモン 小さじ1、ニンニク 2片(おろし汁)、バルサミコ酢 大さじ1で作り、70度で煮てから冷ます。

ソースをバラ肉にからめて、冷蔵庫で12時間寝かせる。

1回目の焼き: 鴨の脂、チキンかヴォーのフォン50cl、ニンニク3片、生姜 5センチ(薄い輪切り)、シトロネル1本(粗く刻む)に肉を入れ、オーブン160度で3時間焼く。30分ごとに、肉にソースをかける。

汁を取り出し、それに醤油 大さじ1、ハチミツ 大さじ1、ゴマ油 小さじ1、ピーナッツバター 大さじ1を加える。それを弱火にかけて煮つめる。肉にからめて、200度のオーブン10分焼く。

醤油や生姜を使って、なんだか日本料理風の味付けですね。


その: Cochon de 8 heures basse température, purée fine aux carottes, thym et orange

大変そうなレシピなので、作ってみようとは思いません。醤油、ハチミツ、ハーブなどを入れたソースに肉を染み込ませ、真空パックにして68度で8時間煮る。あるいは、オーブンを使って70度で8時間焼く(途中で何度もソースをかける)。

出来上がったら輪切りにして、フライパンで焦げ目をつける。


その: Poitrine de porc grillé au four

ソースをバラ肉にからめて、200度のオーブンで1時間焼いていました。

ソースに入れたのは、Viandoxという、私は聞いたことがない商品名。


ヴィアンドックスは、醤油や砂糖が入っているソースだそうです。豚かつソースのようなものなのかな。


その: Poitrine de porcelet confite et laquée au miel pimenté, poivrons grillés et crème fraîche

鴨脂で3時間の低温調理をしています。私が食べた料理と同じように「コンフィ」という料理名。

動画が付いたレシピなので分かりやすい。

ぎこちなく話しているように聞こえるので外国人かと思ったら、カナダのサイトなのでした。カナダのフランス語圏で話されるフランス語は、昔のフランスで使われている言葉が残っているのだそうですが、私にはいつも英語訛りに聞こえてしまう...。

つまり、英語が母国語の人が上手にフランス語を話している感じ。「お上手ですね」なんて言ってしまったら大変な失礼になるのだそうですが、それを私はカナダ人に言ってしまったことがありました。

美味しそうだなと眺めていたのですが、最後にハチミツ入りのソースを作るところで、コカ・コーラを入れているのでびっくり。

フランスのシェフでコーラを使う人がいるだろうか?... やはりカナダのフランス料理らしさがあるな、と感じました..。

そのコカ・コーラを入れたソースのことは「sauce BBQ」と書いてある。バーベキュー・ソースのことなのでした。

WikipediaにはSauce barbecueの項目ができていて、アメリカ南部で生まれて、フランスには1999年に入った、と書いてあります。

記事に書かれているの材料にはコカ・コーラは入っていないのですが、トマトベースで、ハチミツを使っているところでは共通していました。

商品化したものは、Hunt's(ハンツ)のバーベキューソースらしい。

このボトルは、日本の何処かで見たことがあったかもしれないという気もします。

アメリカ産の食品といったら、なんとなく私は食指が伸びませんけど...。

ハチミツを使っているところでレシピを選んだのですが、結局のところ、どのレシピでも醤油などエキゾチックなものをソースに使っていました。

トロりとしていて、甘辛い味にした豚肉。これは日本料理から得た発想ではないのかな?...


◆ 以前にも、驚くほどおいしい豚肉料理を食べていた

こんなに美味しい豚肉料理はフランスでは初めてではないかと思ったのですが、素晴らしい豚肉に出合ったことをブログに書いていたのを思い出しました。思い出してみると、こちらの方がすごかった。


★ イベリコ豚のプルマが、豚肉とは思えないほど美味しかった 2013/10/28

こちらの料理名では、醤油で味付けをしていて、ハチミツで照りを出していることが分かる書き方になっています。付け合わせはやはり果物で、メロンでした。

やはり豚肉は角煮風が美味しいのかな...。

ブログに書いておきながら、このレストランのことをすっかり忘れていました。初めて行った店だったのですが、料理も素晴らしかったうえにコストパフォーマンスも良いので気に入ったのです。

去年はまた近くまで行ったので、どこで食事をしようかとレストランを探したのですが、このレストランがあったのを思い出さなかったのは残念...。

でも、レストランの経営者が変わっておいしくなくなったとか、料金が高くなっていることもありうる。それで、調べてみたら、相変わらずミシュランのお勧めレストランになっているし、平日ランチメニューは私が行ったときより下がっていて、30ユーロになっているのでした。また近くまで行く機会があるかもしれないので、その時は思い出すことにします。




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カテゴリー: 食材: 肉類 | Comment (2) | Top
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2017/03/10
フランスには、ニンジン色というのがあります。

日本では人参色などとは言わないのだろうと思ったのですが、存在するのでした。フランスの色と似ていますが、微妙に違いますね...。

日本の伝統色 フランス
人参色
#ec6800
carotte
F4661B
F5671B

カロチン(カロテン)というのは、人参の橙色から来た言葉なのだそう。日本語として聞くと2つの関連は連想できないのですが、フランス語や英語だと、なるほどと思います。ニンジンはフランス語ではcarotte、カロテンはcarotèneなので、始めの部分は同じなのでした。



ニンジン色の髪の毛

フランスの作家ジュール・ルナールの小説『にんじん(1894年)』の原題は『Poil de carotte』でした。

Poil de carotte(人参の毛)というあだ名で呼ばれていた男の子のお話しです。しばらく前に「亜麻色の髪とは、淡い栗色ではなかった」を書きながら、改めてニンジンに例えられる髪の毛はどんな色なのか気になりました。

Wikipediaに入っていた画像は、これでした ↓

 
Reflets de cheveux roux

オレンジ色がかっていますが、この色をニンジンに例えますか...。

こういう赤褐色というか、赤茶色の髪の毛は、フランスではrouxあるいはrousseurと言われます。特に光を放っている場合にニンジンに例えられたようです。

rouxと言えば、小麦粉をバターで炒めて作る「ルー」がありますが、綴りは同じ。こういう色にするからなのでしょうね。

フランスには「renard roux」と呼ばれる狐もいます。日本ではアカギツネですね。



さきほど入れた髪の毛とよく似た色...。


髪の毛の色は幾つに分類する?

肌の色は大きく分けたら幾つになるかを「肌色って、どんな色?」で書いたので、髪の毛の分類方法も探してみました。Wikipediaにあった項目を並べてみます。

日本語 フランス語 英語 中国語
黒髪 noir black hair 黑髮色
栗毛 brun
châtain
brown hair 褐髮色(ブルーネット)
栗髮色
auburn auburn hair 赤褐髮色
赤毛 roux red hair 紅髮色
金髪 blond blond hair 金髮色
銀髪・白髪 blanc(白) gray & white hair 灰白髮色


フランスでrouxと呼ばれる赤毛の髪を持つ人は、フランス人の5%に過ぎないのだそう。世界的にも稀な色で、1~2%しかいないと書いてありました。それなのに、ちゃんと赤毛は大きな分類に入っているのですね。


ニンジンといっても、色々な色がある

人参と言えば鮮やかな橙色を思い浮かべるけれど、原産地のアフガニスタンには、赤や紫、黒や白など、様々な色の人参がある、と書いてありました。

色素の割合で色が変わってくるそうで、βカロテンが多ければ橙色、トマトに多いリコピンが多いなら赤、トウモロコシを黄色くするキサントフィルが多いと黄色、ブルーベリーや赤ジソに含まれるアントシアニンがあると紫色になるのだそうです。

フランスでも、最近は変わった野菜に人気があるので、人参にバリエーションがあるのは見ていました。



マルシェに出店していてパリっ子たちに人気がある直売農家だったのですが、彼は引退すると書いた記事が1年前にありました。農場はどうなったのかな?...


ニンジンは、大昔には葉を食べていた

どの色がニンジンの元祖なのかと思って、少し調べてみました。

原産地はアフガニスタンとみられる。そこから中国に渡ったのが東洋種、ヨーロッパに渡ったのが西洋種。

ヨーロッパでは、原始時代の遺跡からもニンジンの種が発見されていました。でも、大昔にはパースニップと区別されていなかったらしい。

そういえば、ニンジンに似た野菜がありましたね。人参と同じくセリ科の植物でした。

PastinakePflanzegeerntet.jpg  

ヨーロッパで食べられていたニンジンは、中世までは根の部分が細くて、スジも多いので、食べても余り美味しくなかったようです。人参は、むしろ葉を香草として使っていた、という記述がありました。

京野菜に人参の葉があるので、家庭菜園なら若いニンジンを臭覚できるので、その葉で天ぷらを作ってフランス人に出すと、ニンジンの葉を食べるのかと驚かれます。でも、美味しいと言われているのです。今はニンジンの葉を食べなくなった、というだけではありませんか?

パリで生まれ育った友達が、子どものときに夏休みを過ごしていた田舎の家での話しに、こんなエピソードがありました。

パセリを取ってくるようにと言われて、張り切って野菜畑に行った彼女。

持っていった野菜を見た大人たちは、これはニンジンの葉と言って大笑いしたのだそう。

高齢になっても覚えているくらいなので、彼女はかなり傷ついたらしい。

でも、摘んだばかりのニンジンの葉だったら、パセリの代用になるような気がするけれどな...。


さて、ヨーロッパでニンジンがどう進化したのか? フランスの情報を読んでみました。


◆ オレンジの色をしたニンジンが登場したのは16世紀のオランダ

15世紀になって、フランス、ドイツ、オランダではニンジンの栽培を始めた。

薄紫色のニンジンは、ヨーロッパの土壌では風味が失われるために、次第に栽培されなくなり、その代わりに黄色い品種は成長が良いので人気がでた。

白っぽかったり、黄色、赤、緑色、紫色、黒などの品種が登場したが、だいだい色のはない。オレンジ色のニンジンは、人間が意図的に作り出した。

16世紀、果肉が多くてオレンジ色のニンジンが品種改良から生まれ、Longue Orange種と呼ばれた。これが他の品種に取って代わり、色々な品種を生み出していった。

16世紀の絵画では、現代に見る色のニンジンが登場していました。

フランドルの画家ヨアヒム・ブーケラール(Joachim Beuckelaer 1534年頃~1574年頃)の作品です。彼は、当時の食べ物をたくさん描いているのですが、ニンジンらしきものが何枚もの絵に見えます。

ロンドンのナショナル・ギャラリーのサイトに入っている、こちらの1569年の作品では、画像を拡大してみると、左下にはっきりと橙色の人参が見えます。フランスの美術館にある作品では、こちらの絵画でも同じ位置にニンジンが描かれています。


オランダのシンボルカラー

16世紀のオランダで、オレンジ色のニンジンが登場した理由が説明されていました:

フランスのプロテスタント公国であるオランダ王家(オラニエ=ナッサウ家)に忠誠であることを示すために、ニンジンの赤と白の品種を交配して鮮やかなオレンジ色を作り上げた。


この時代には、ウィレム1世 (オラニエ公)がネーデルラント連邦共和国としてオランダ独立国家を築いています。

オラニエ」というオランダ語は、オレンジの意味がある。

つまり、オラニエ公のために、オレンジ色をしたニンジンを作ったということ?!


プリンスの旗
現在の国旗



オラニエ公という名前には、フランスが関係していたのでした。

オランダとフランスの関係で私が知っているのは、中世に栄華を極めたブルゴーニュ公国がオランダにまで領土を広げていたこと。でも、他にもあったのですね。

南フランスに、古代ローマ時代の遺跡が残るオランジュ(Orange)という世界遺産にも登録されている町があります。音楽祭が開かれるので何度も行っていながら、オランダと関係していたとは知りませんでした。

オレンジは、フランス語ではオランジュ。オランダ語でオラニエ。

オランジュ公国(Principauté d'Orange)があって、それを相続したナッサウ家の出のウィリアム1世はオラニエ公と呼ばれるようになったのでした。

オランジュ市の紋章は、オランジュ公国の紋章と同じ。



上の部分がオランジュ公国プリンスの紋章で、下の部分はオレンジの木。

でも、オレンジの果実はオレンジ色ではなくて、黄色か金色ではないですか? 丸いのでレモンではないのだろうとは分かりますが、グレープフルーツに見えてしまう...。
Blason Lamorlaye
オレンジ色は紋章で使わないような気がする。でも、使われることは少ないものの、紋章学ではorangéと呼ばれる色として存在していました。

右にいれたのは、フランス中部にあるLamorlayeという町の紋章です。なぜオレンジ色なのかは調べませんでした。


果実のオレンジは、どんな色だったか混乱してきました。


オレンジは黄色がかっていて、ニンジンは赤っぽいですよね。オラニエ公に因んだ色にするなら、もっと黄色っぽいニンジンにすれば良かったのに...。

でも、当時のニンジンは、黄色っぽい橙色だったり、今の普通のニンジンの色だったりしたのかもしれない。
17世紀の絵画です ↓

Gerard Dou - Woman Peeling Carrot - WGA06634.jpg
Maid at the Window (1660), Gerrit Dou

オランダの画家ヘラルト・ドウの作品ですが、ルーブル美術館に所蔵されているこちらにもニンジンが描かれています。


日本では、こういう細長いニンジンは無くて、寸つまりのが多いような気がします。でも、フランスで葉のついた人参を束にして売っているときは、こういう風に細くて長いニンジンが多いような気がする。

13-08-31-wien-redaktionstreffen-EuT-by-Bi-frie-037.jpg


ともかく、オランダのシンボルカラーはオレンジ色なのですね。



オランダのサッカー・チームです。選手たちのユニホームはニンジン色に見える...。


オレンジ色と言っても色々あるわけですね...。
キャロット・オレンジ
#ED6d35
オレンジ
#EE7800
マンダリンオレンジ
#F3981d
人参色
#EC6800
オレンジ
#FFA500
carotte
F4661B


人参を品種改良してオランダ王家の色にしたというのは、単なる言い伝えというか、こじつけのような気がしてしまいます。でも、美味しい人参を作るために品種改良が進んだのはルネサンス期で、オレンジ色の美味しいニンジンを登場させたのはオランダ、というのは間違いなさそうなのでした。


ニンジンのサラダ

carotte(キャロット)という色のフランス語での説明では、ニンジンの皮をむいたときの色とか、千切りにしたとき(これも皮をむいてからのこと)の色と表現されていました。人参は、皮を剥かない状態でも橙色だと思うのですけど...。

 Carottes râpées

でも、フランスでニンジンの代表的な料理は、carottes râpéesと呼ぶ千切りサラダかもしれない。

フランス料理ではサラダが欲しいですが、レタスなどと違って、ニンジンは必ずストックがある。それで、いつでもニンジン千切りサラダは作れるので便利なわけなのでしょう。

ピクニックをするときの食べ物を探しに肉屋さんに入ると、惣菜コーナーに人参サラダだけはあることが多いです。ありふれた惣菜なので、買う気にはならないのですけど。

母親はこんな風に作っていたと言って、人参サラダの作り方を見せている動画がありました。ボールで作って、そのまま食卓に出されていたけれど、このシェフは最後の飾りつけに工夫を加えたのだそう。


carottes râpées

マスタードをかなり入れていますが、シンプルな作り方ですね。この人参サラダのレシピでは、オレンジの絞り汁を加えると美味しくなるのだと言う人がいたのを思い出しました。あぁ、ニンジンとオレンジでしたか!

ブログ内のリンク:
『にんじん』の作者ルナールの家。そして、赤毛とは? 2008/02/08
亜麻色の髪とは、淡い栗色ではなかった 2017/01/08
肌色って、どんな色? 2017/03/03
★ 目次: 色について書いた記事
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
Petite histoire de la carotte
Pourquoi les carottes ne seraient pas oranges sans l’homme
De l'Histoire de la carotte
☆ 人参の種類: Carottes
☆ Wikipedia: オランダの国旗
オランダ人にとって特別なオレンジ色
なぜオレンジがメインカラー? 対戦前に知っておきたいオランダ代表とお国事情
オランダ国旗を徹底分析!国旗が持つ6つの秘密とは?
オレンジ色が消えたオランダ国旗
にんじんは何故オレンジ色か
我が国ニンジンの歴史
☆ Wikipedia: オレンジ色
☆ Valenciennes.fr: La Pourvoyeuse de légumes


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