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2016/10/12
友人仲間でブルゴーニュ南部の1泊旅行をしました。ワインと山羊のチーズを買って、ついでに観光もするというスケジュール。

宿泊することにしたのは中世のお城のB&B民宿でした。よく利用している人が電話で予約を入れてくれたのですが、民宿の経営者から、もしも自分がいなかったら、よく知っているのだから予約した部屋に入っていてください、と言われたのだそう。


中世の城が私好み

この城のB&B民宿を私が利用するのは3回目かな。写真アルバムで確認したら、前回に行ったのは、もう10年くらい前だったようです。

その時に撮っていた、城の全景写真です ↓



中世の要塞として建てられて、18世紀に大きな窓にしたりする改造をして住み心地を良くしたというタイプのお城です。

到着すると、誰もいない...。



入り口のドアは、どこも鍵がかかっていませんでした。この民宿をよく知っている友人が予約した部屋に案内して、どの部屋を選ぶかと添乗員役をしていました。

方向音痴の私などは、ずっと住んでいても迷子になりそうな広い建物。どこのドアから入ったら、その部屋に行ける階段があるかなど、複雑なのです。

泊まる部屋を割り当てて荷物を運び込んでから、城の中をみんなで見学しました。

民宿のキッチンを使わせてくれるということだったので、夕食は民宿ですることにしていました。お昼は素晴らしく美味しいレストランでとったので、私は食前酒とおつまみくらいでたくさんだと思っていたのですが、ここに来る前に観光した町で、友人たちは食べ物を調達していました。

城主はいないのだから、どこで食べて良いのか分からない。宿泊客がプライベートで使えるダイニングキッチンがあったのですが、狭い部屋なので、朝食のためのミニキッチン付きのダイニングキッチンで夕食をとることにしました。翌朝の朝食のためのテーブルがしつらえてありましたが、その横に大きなテーブルがあったので。

何時に集合ということに決めてから、それぞれの部屋に入り、ほんの少し休憩。


中世の帽子を友達にかぶせてしまう

少し前にいただいたコメントで、私は中世風の帽子を持っていたことを思い出したので、それを夕食のときにかぶろうかと思って持っていっていました。そんなものを持ち出す機会はめったにないので、中世のお城で夕食するなら相応しいかと思ったからです。

その帽子を買ったときに書いた日記は、こちら ↓

帽子
カーニバルで買った帽子 2010/03/17

この帽子は、本来は男性用なのです。私は変装するのは気恥ずかしいと思うタチなので、誰かにかぶせてしまおうと思っていました。

それでも、この帽子をかぶってもおかしくない色合いの服を着て、帽子をかぶってダイニングルームに登場♪

褒めてもらったら、ただちに帽子をぬいで、「ブルゴーニュ公になって」と言って一人の男性を選んで帽子を勧めました。

抵抗なく、かぶってくれました。よく似合っている。やっぱり男性用の帽子だったのだな...。

記念写真を撮ろうと言って窓際に立たせると、中世風のポーズまでしてくれました。



腕組みして、真面目な表情をするのが中世風なの? 全身の写真をとったのですが、下はジーンズだったので、上半身だけ切り出しました。

この目付きは、Philippe le Bon(善良公フィリップ)と呼ばれるブルゴーニュ公の真似だったのかな?...


Philippe le Bon et son fils Charles reçoivent l'hommage de l'auteur des Chroniques du Hainault


帽子をかぶってくれた彼がとった部屋は、下の写真で向かいに見える四角い塔の最上階。



だだっぴろい部屋で、寝室には大きな窓が3つあり、彼ら好みの18世紀風。宿泊料金は安いので、豪華なシャトーではありませんが、なかなか雰囲気がある。



それで、夜は夫婦でおふざけをするのではないかと思って、帽子は翌朝に返してくれれば良いからと言いました。気に入ったのか、夕食の間ずっとかぶっていました。私を喜ばせるためにかぶっていたのかもしれないけど。

似合っていると褒めたら、自分はメガネをかけていないから、と言う。「中世風に変装して、メガネをかけて、携帯電話を持っていたら最悪だよ」と笑う。

最近のフランスは中世祭りブームなので、中世の恰好をした人をよく見るのですが、彼が言ったように不釣り合いな人もいるのですよね。写真アルバムで「愉快」のカテゴリーに入れていたのに、こんな写真が入っていました。

アルザスの中世祭り

クリスマスシーズンにアルザス地方に行ったとき、美しい町で中世風の衣装を来た地元の人たちがいて盛大なお祭りで撮った写真です。メガネと携帯電話が雰囲気をだいなしにする、と感じるのは私だけではなかったのだ...。


お城を乗っ取って夕食

まずシャンパンで乾杯して、おつまみを食べる。食器洗い機はなかったので、お皿を洗う手間をはぶくために、肉屋さんが包んでくれた包装紙のままで並べてしまいました。




そのうち、民宿の経営者が挨拶に現れるだろうと思っていたのですが、全く来ない!

いてくれなくて困ることもないので、私たちは大いにリラックスして騒ぎました。これだけ広いスペースの建物なのに、他には誰もいないのですから楽しい♪

夜も9時ころだったか、中庭に車が入って来た気配。この民宿をよく知っている人が部屋を出ていって応対していました。

なかなか戻ってこない。シャンパンを飲んでいたと言ったら「あら、ま~!♪」という反応をされたのだけれど、「ちょうど飲み終えてしまたところだ」と言ったのだそう。その人たちが到着するのがもう少し早かったら、あがってきて乾杯になっていたのだろうな。とても感じが良い人たちで、おしゃべりが弾んでいたらしい。彼らは南フランスから来た常連で、行くべき部屋は知っていたとのこと。


城には私たちだけではなくなったわけですけれど、彼らはかなり離れた部屋に入ったので、気配は全く感じない。私たちはお城を占領している気分を続けました。

メインディッシュは、肉屋さんで買ったブッフ・ブルギニョンを温めました。牛肉の赤ワイン煮というブルゴーニュの郷土料理です。白ワインも飲み終えたので、赤ワインにチェンジ。



ブルゴーニュ公のポーズをとっていた彼も、鍋を持っている姿はしまらないな...。

こういうピクニック風の食事をするときは、張り切って色々持って行くのが普通な私なのですが、今回は横着。持っていったのは、残り物のチーズ、シャンパンとワインと食後酒、日本の百円ショップで買ったよく切れるナイフだけでした。

でも、買った3種類のパンも、お惣菜も美味しかったので、楽しい食事になりました。なにしろ、広い部屋で気兼ねなく食事できたのが嬉しい。夏だったら、中庭のテラスか最上階にあるテラスにあるテーブルで、野外の食事をするのも楽しかっただろうと思うけれど。


盗難にあわないのだろうか?

デザートが終わっておしゃべりしながら、部屋にあるものを眺めたりしました。シンプルだけれで趣味が良いし、掃除もいきとどいているということで全員の意見が一致。

ここの現在の城主は、よくあるパターンで、フランス革命の後に貴族から没収した城を買った一族の子孫です。それから200年くらい同じ家系なので、古いものがゴロゴロある。骨董品に詳しい友人が、色々と説明してくれました。

この家具はシンプルだけれど、田舎風の家具として価値があるのだというのを開けてみたら、手作りジャムがぎっしりとストックされていました。



1つ2ついただいたって、民宿の経営者は気がつかないだろうと思う。家具の方は、車にトレーラーを付けて来なかったから持ち帰りはできないね、なんて冗談を言う私たち。

結局、最後まで城主は現れませんでした。

こんな風に宿泊客に開放していて、何か持っていかれることはないのかな?... それに、私たちが夜明け前に出発してしまったら、無賃で泊まれたことになるではないですか?...


翌朝...

庭に出て散歩していたとき、自転車でやって来た男性が城主さま。城の敷地の外、ほんの少し離れたところにある家に住んでいらっしゃるのでした。

こんなお城を持っていたら、私なら普通の民家には住まないですけれど。でも、狭い家なら暖房もしやすいし、階段を登ったり下りたりしないで済むので、住むには快適なのかもしれない。

以前に来たときには肉牛を飼育している農家だったのですが、最近は、ブドウ栽培をしてワインをつくるのに切り替えたのだそう。肉牛飼育は収入が少ないし、ここはブルゴーニュワインのAOC/AOP(原産地呼称)を取れる産地でしょうから賢い選択だったと思う。でも、ワインを作っているという話しぶりでは、そんなに美味しいのができていないのだろうと感じました。たぶん、自分では醸造せずに、ワイン農協に任せているのではないかな...。

昨夜に夕食をしたのは、下の写真で手前に写っているテーブル。この部屋で朝食をとりました。



前日に到着したときには、宿泊客が自由に出入りして良い部屋を見学したのですが、夕方で薄暗くなっていたのでよく見えませんでした。それで、朝食の後に再び見学。



屋根裏部屋にはミニ博物館があったのを覚えていたのですが、がらんとした大きな部屋に出ました。その小さな部屋の方に先祖代々持っていたらしき農作業の道具などが並べられていました。




レセプションのために城を貸し切る料金は?

このお城では結婚披露宴などで使えるホールも持っています。宿泊料金が安いので、貸しホールも安いのだろうと思って調べてみたら、お城ごと週末に1晩借りると30万くらいのお値段でした。フランスの結婚披露宴といったら明け方まで続くので、2日間独占する感じになるのですが、質素なお城を借りるのにそんなに高いとは思っていなかった。

お金がない若い友人カップルがお城を借り切った披露宴に行ったとき、彼らが払った料金は10万円くらいなのだろうと思っていたのです。今回泊まったところよりも小さくて、もっと質素な城ではありましたが。

ブルゴーニュで、プレゼントしてくれると言われたら躊躇なく喜ぶお城が幾つかあります。「プレゼントしてくれたら」というのは、自分で買えるはずがないからの発想。なにしろ維持費が膨大なので、いくら安く売っていても買おうなんて思いません。

今回宿泊したところから遠くない場所に、理想的と思える城があります(ピエールクロ城)。こちらは歴史的建造物に認定されていて、国宝級のステータスがある城です。

Château de Pierreclos

丘の上にあって、見渡すかぎりブドウ畑。敷地内にはチャペルの建物の一部も残っています。

今回泊まった城は建物としては好きですが、大きな町に近いので、外に入れば騒音は聞こえてくるし、周りの風景は美しくはないのです。つまり、城としての価値には雲泥の差がある。

このピエールクロ城に初めて見学したとき、今は亡き女性のオーナーとおしゃべりしていたら売りたがっていて、日本で買い手がいないかなどと言われたのですけど、私が手を挙げるわけにはいかなかった!

遺産相続をする娘さんが事故で亡くなってしまったので城を手放したいという話しだったと思うのですが、譲り受けた人がいたらしくて、最近は観光に力を入れている様子。B&B民宿もできましたが、今回私たちが泊まった城のB&B料金の4倍近いお値段でした。二人で一部屋に泊まったとして、部屋代は朝食付きで3万円近い。いくら気に入った城でも、そんな宿泊料金は私は払いません。

先代のオーナーだった時代ですが、日本人のグループを受け入れて、この城で夕食をしたことがありました。ケータリングで料理を出してもらって、大広間で食事。レストランで食べるのと全く変わらない料金だったのでアレンジしたのでした。日本ではできないことだから喜ばれるだろうと思ってやったわけですが、日本人の方はだだっ広さに物怖じしてしまったのか、お城を占領したことに感激している様子は余り見えませんでした。変わったことをしたという思い出は残してくれていたら嬉しいけど...。

いまピエールクロ城でレセプションをするために貸切る料金はどのくらいなのかと調べたら、45万円くらいでした。私たちが泊まった素朴な城の料金との差が少なすぎるので奇妙。なんかかんかでプラス料金が加わるのかもしれませんけれど。私たちが泊まった城でその料金を付けているということは、それでも利用者はいるということなのでしょうね。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: ピクニック、飲食店での軽食
億万長者がフランスですること・・・ 2006/02/07 城での結婚披露宴
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事


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2016/05/28
メンバーになっている郷土史研究会では、別の地域で作っている同じようなサークルと交流会をすることがあります。自分の地域にある文化遺産の見学をオーガナイズして迎えるという企画。

参加した4月末のヴィジットは、オータン市に近い農村地域にある教会1つと、城を3つ見学するというスケジュール。ところが、雨が降って、非常に寒い日になってしまいました。


シャズー城にまつわる人々

村にあるロマネスク教会を見学した後、始めに見学する城はChâteau de Chazeu。個人の所有で、普通は入れないところなので、見学できることに期待しました。

15世紀には、ブルゴーニュの歴史の中では有名なブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ローラン(Nicolas Rolin)が、この城を手に入れていました。


ヤン・ファン・エイク『宰相ロランの聖母

拡大鏡で見るのにも耐えるほど精密に描かれた「最後の審判(ファン・デル・ウェイデンの絵画)」の祭壇画があり、ブルゴーニュ地方の観光スポットになっているオスピス・ド・ボーヌ(Hospices de Beaune)も、このニコラ・ローランが貧しい人々のために建てたものです。

でも、この日の見学のテーマは、それとは別の城主。

17世紀半ば、この城はロジェ・ド・ビュッシー=ラビュタン伯爵(Roger de Bussy-Rabutin)のものとなりました。彼がこの日のテーマ。

書簡作家として知られるセヴィニエ侯爵夫人(Madame de Sévigné)は伯爵の従妹だったので、彼女はこの城を訪れたことも書き残しています。

セヴィニエ公爵夫人の父親、シャンタル男爵は、聖フランシスコ・サレジオの弟子であり友であった聖ジャンヌ・ド・シャンタル(Jeanne de Chantal)の息子。それで、この日は、夫を亡くしたジャンヌ・ド・シャンタルが失意の生活をした義理の父親の城も訪問しました。


びしょぬれになって見学したシャズー城

地図で丸い森になっている部分がシャズー城。



森の中に少し城の建物が残っているだけで、完全な廃虚でした。



この日のヴィジットをオーガナイズして案内してくれたのは高齢の女性。雨も降っているし、寒いという最悪の天気。「こんな感じの城です」ということで外観を見るだけだろうと思って、傘も持たずに車を降りました。

ところが元気いっぱいの人で、どんどん藪の中にも入って行く。それで、私たちも後を追う!



残っている建物の外壁を見て、かなり広い城の跡地を歩けば、昔は立派な城だったのだろうとは分かりました。でも、もう少し形を残していて欲しかった。


城主だったロジェ・ド・ビュッシー・ラビュタン伯爵(1618~93年)は、軍隊で中将として活躍していました。ところが、ルイ14世(在位:1643~1715年)の反発をかってしまいます。宮廷に出向くことは許されず、彼の故郷であるブルゴーニュに留まって、人生最後の16年間を過ごすことになりました。

冬の間はビュッシー・ラビュタン城に住みましたが、気候が良い時期にはシャズー城に住むという生活だったようです。

ビュッシー・ラビュタン城の方は、現在でもかなり良い状態で残っています(下の写真)。

Château de Bussy-Rabutin


シャズー城はみごとに廃虚になっていましたが、もう2度とは来られないはず。隅々まで歩きました。



かなり広い敷地だったのに、全部まわってしまった!

その後は、私たちを受け入れてくれたサークルの事務所になっている昔の水車小屋でレクチャー。大きな暖炉2つで薪を燃してくださっていたのが嬉しかったです。



プレゼンを聞いている間に、雨に濡れたコートや靴を暖炉のそばに置いて乾かすことができました。

この後には、かなり美味しい食事ができたレストランで昼食。体があったまったと思ったのですが、まだ雨が降っている中、別の城2つの見学が待っていました。


ジャンヌ・ド・シャンタルの城

ジャンヌ・ド・シャンタル(Jeanne de Chantal 1572~1641年)は、28歳のときに夫Christophe de Rabutin de Chantalが狩猟の事故でなくなり、彼女は4人の子どもを連れて義理の父親の家に住むようになりました(1601年)。

その城が近くにあるので訪問しました。聖ジャンヌ・ド・シャンタル城(Château de Sainte Jeanne de Chantal)と呼ばれており、その家に住むご主人が私たちを迎えてくださいました。



ここに行けば通りから見えるので、眺めていたことはありました。でも敷地の中に入れてもらったのは初めて。

入り口の上にある彫刻が見事でした。サン・ミッシェルの首輪に飾られたラビュタン家の紋章です。




その義理の父親というのは性格が悪かった人のようで、ジャンヌ・ド・シャンタルはほとんど召使いのような生活をしたようなのですが、子どもたちの教育や、近所の貧しい人たちを助けることに専念したとのこと。

夫婦仲が良かったせいか、ジャンヌ・ド・シャンタルは再婚しないで済むことを願っていたそうです。この城で恵まれない生活をおくりながら、彼女は宗教の道を歩むようになったのかもしれません。

1604年、四旬節の説教をするためにディジョンに来たジュネーブ司教だったフランシスコ・サレジオ(François de Sales 1567–1622年)にジャンヌは出会います。ディジョンはジャンヌが生まれた町。
Jeanne de Chantal
Sainte Jeanne-Françoise Frémyot de Chantal
François de Sales
Saint François de Sales


この二人は、後に女子修道会の「聖母訪問会(Ordre de la Visitation)」を設立することになります(1610年)。

城の周りを歩いて、内部の見学は建物の横につくられたチャペルだけ。後世になって城の持ち主が作ったので、ジャンヌ・ド・シャンタルがここで祈りを捧げたということはない。文化財としての価値はないチャペルのようでした。




城の廃虚

もう1つ、雨の中で城の廃虚を見学しました。持ち主が公園のように整備して、説明パネルまで設置していましたが、なにしろ何も残っていない。


Château d'Alone-Toulongeon

城が始めに建てられたのは12世紀。17世紀までは改築をしたりしていたのですが、今は少し建物の一部が残っている程度。城があった土地は複数の所有者のものになっているので、城跡として全体の姿にすることができないのだとのこと。

堀のこちら側では、ガロ・ロマンの時代と思われる彫刻も出てくるのだそう。ユーモラスな顔の彫刻が気に入りました。




雨の中を歩き回ったので、やはり風邪をひいてしまった。防水加工のある冬のコートを着ていたので寒くはなかったのですが、足がビショビショになってしまったのです。車の中でソックスを3回変えたのですけれど、そんなくらいでは足りなかった...。




今年は本当に嫌な天気。

雨の中を歩き回って風邪をひいた日から、ずっと雨が降って寒い日が続いていました。ようやく風邪は治ったし、時々は日中に半袖でいられるような日もあるようになったのですが、今度は夏でもないのに雷がなって夕立のような雨が降ったりもします。

地域によっては、ひどい大雨と雹に見舞われていたようです。今日のニュースでは、ワイン産地のコニャックとシャブリが雹の被害を受けたと報道していました。


Les orages et la grêle détruisent les vignobles de Cognac et chablis - 28/5

お年寄りでも見たことがないような凄まじさだったのだそう。

我がブルゴーニュのシャブリでは、この2週間に雹が降ったのは2度目なのだそう。雹が雪のように積もってしまっている映像もありました:
☆ YouTube: Météo : la grêle a frappé l’Yonne pour la 2e fois en l’espace de 15 jours

今年のワインの出来は、地域によっては壊滅的なのかな?...

ブログ内リンク:
ビュッシー・ラビュタン城にある17世紀の風刺画 2013/06/01
聖フランシスコ・サレジオの子孫が住む城 2012/10/21
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)

外部リンク:
La vie de Sainte Jeanne de Chantal
Jeanne de Chantal est née à Dijon
Sur les pas de François de Sales et Jeanne de Chantal
Monthelon(saône-et-loire) - Le Pays d'Art et d'Histoire du Mont Beuvray
Château d'Alone-Toulongeon  Patrimoine du Morvan
Des orages de grêle ont endommagé les vignobles de cognac et de chablis 27/05/2016


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2016/05/24
土曜日に行った葬儀ミサでは、始まる前に皆が入り口でたむろしていたわけなのですが、誰かが言いました:
「今日はdiacreだから、ミサは早く終わるだろう」

本物の司祭がミサをあげるのではなくて、信者の中から選ばれた助祭さんがするので、お説教は長引かないだろうと言うのです。そういうものですかね。気にしたことがなかった。

最近のフランスは司祭さん不足。それで、葬儀のミサでは聖職者ではない人が司祭の代役をするケースが多くなっています。友達の中に、その助祭さん役をするようになった友達について書きながら、どうして結婚のミサをあげるのではなくて葬儀なんだと思ったのですが、この日は理由を見つけました。

フランスの正式な結婚式は役場があげてくれるものなので、教会で式をする人はそんなに多くはありません。赤ちゃんの洗礼も、敬虔な信者だけがするのではないかな。でも、お葬式となると、やはり教会でするのですよね...。つまり、司祭さんのお仕事としては、圧倒的に葬儀ミサが多いのだろうと思うのです。

この日の司祭さん役の人は、そんなにたくさんは聖書を読み上げたりはしませんでした。その代わりなのか、聖歌隊が歌う場面がとても多いと感じました。

本物の聖歌隊がいる教会というのは非常に少ないです。ここでも近郊に住む信者さんたちが聖歌隊を作っており、ほとんどは高齢の女性。年齢はどうでも良いのだけれど、ひどい音痴なのでした。しかも、高音になると声が出ない。高音が出ないなら、オクターブ下げるとかできたと思うのだけどな...。

また歌いだしちゃった、という感じで、音程が外れた歌を聞いているのはかなり辛かったです。

後で行った仲間と聖歌隊がひどかったという話題になったのですが、「結婚式のミサだったら笑っちゃうけど、葬式でそうするわけにはいかないからね」なんて言う人がいました。でも、助祭さんはちゃんと、まともに歌っていた、ということで意見は一致。彼はマイクを通して歌うために聖歌隊の声をかきけしてくれるので助かったのでした。

フランスの音楽家ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau)は、司祭に音程が狂っていると叱った逸話があるのだ、と教えてもらいました。ラモーは宗教音楽も作曲しているのです。自分が美しい曲だと思うものを変に歌われたら、聞いているのが辛いなどというものではなくて怒るだろうな...。

調べてみたら、このフレーズをラモーは言ったそうです:
Que diable me chantez-vous là, Monsieur le Curé, vous avez la voix fausse !

ひどい歌を聞かせると言っているわけですが、怒りを表す言葉に悪魔(diable)を持ち出しているのでした。司祭さんに言ったらあんまりですよ。それで名言として残ったのかもしれない。

音痴の歌声を聞いたら、つい最近行った教会でも飛んでもない讃美歌を聞いたのを思い出しました。古代からの遺跡も残る古都オータンでのことです。


オータンのサン・ラザール大聖堂

5月になったというのに恐ろしく寒い日でした。それでも、近くまで来たのだからとオータンの町に立ち寄って教会を見学することにしました。もう何度も行ったことがあるのですが、見るべきものがたくさんある教会は行くたびに新しい発見があるので。




12世紀に建てられたロマネスク教会の珠玉。Cathédrale Saint-Lazare d'Autunです。


La Cathédrale Saint Lazare d'Autun [HD]


ミサを見学させていただこうと思ったのだけれど...

日曜日の昼前だったので、ちょうどミサが始まるところらしい。中に入ってみると、パイプオルガンの音が響き渡っていました。

さすがに司教座のある大聖堂。ミサは本格的なもののようです。信者は余り集まっていなかったのですが、赤い衣装を着た人たちが祭壇にいて、子どもたちが燭台を持って祭壇の方に歩いて行こうとしています。司祭も厳かに登場。



美しい教会であげる厳粛なミサは大好き。何の話しをしているのか分からないながらも、音の響きと演出に感動して涙がこみあげてきてしまうのです。

こんな立派な教会のミサなので、少し居座らせていただこうと思いました。

すると、突然...

マイクにスイッチが入った音が聞こえたら、一人の女性が大きな声で歌いだしました。讃美歌とは思えないようなリズミカルな歌なので驚きました。

教会に来る信者が少なくなっている昨今なので、親しみを持ってもらうためにギターで歌う司祭さんがいる、という話しを聞いたのを思い出しました。

それにしても、この歴史ある荘厳な教会とポップスのような歌は不釣り合いすぎる!

「イエスが約束どうりに復活したよ~♪」という感じの歌でした。クリスチャンとして復活は嬉しいでしょうけど、イエスは人間の罪を背負って苦しんで死んだのですから、どうしてそんなに、あっけらかんと喜んで歌えるのだろう、と不快になりました。

「ressuscité(復活した)」という言葉が何度も繰り返されるので、この「レシュシテ~♪♪♪」という声が耳についてたまらない。

少し歌ったら止めて、普通の厳かなミサになるだろうと待ってみたのですが、いっこうに歌は終わらない! 音痴とは言わないけれど、上手でもない歌がダンガン聞こえてくるのは耐え難いので、教会を出ました。


でも、しばらくは、あの「レシュシテ~」という声が耳に残ってしまった...。ちっとも美しいとは思わない曲が頭の中で聞こえるのは本当に不愉快...。

インターネットで探してみたら、このとき聞いた曲が見つかりました。


Criez de joie, Christ est ressuscité

流行っている歌なのでしょうか? 楽譜までありました:
Criez de joie, Christ est ressuscité !

はっきりとは分かりませんでしたが、Cissy Suijkerbuijkという名のオランダ人女性が10年くらい前に作曲したようです。

ボーイスカウトの合宿などで歌うなら楽しくて良いでしょうけれど、なんでこんなに由緒ある厳かな大聖堂の日曜礼拝ミサで歌うのか... と思ってしまいました。私は信者ではないので、何も言う権利はありませんけど...。


ロマネスク教会に行ったら、おみくじを引いてみる?

ロマネスク教会に魅せられています。特に、素朴な彫刻が好き。ブルゴーニュ地方の南部にはロマネスク教会がたくさんあるので、頻繁に見る機会があります。

聖書をちゃんと読んでいたら、描かれている画面が何を意味するのか分かって面白いでしょうに...。たまに解説を読んだり聞いたりすることがあるのですが、ちっともお話しを覚えていません。

特に柱の上の方に彫られている柱頭彫刻が好きです。この日に訪れたオータンの大聖堂では、ミサの邪魔をしないように歩き回ったりしなかったので、柱頭彫刻は1枚だけ写真をとっていました。

これです:



右側は翼があるので天使でしょうね。その人の衣を引っ張っている人がいます。

何度も行く教会では、いつも必ず見る彫刻もありますが、そのときに目につく彫刻もあります。何となく目が行った彫刻を1つ決めて、それが何を意味するかを調べたら、おみくじのようなものになるかもしれない。

この日に目にとまった場面が何なのか調べてみました。

『創世記』に出てくる話しだそうで、「ヤコブの旅」と題されている彫刻でした:
Chapiteau : voyage de Jacob, centre

ヤコブが天使の衣をつかみ、天使は手を差し伸べているという図なのだそうです。

この柱頭彫刻は、柱の3面にお話しが表現されていました。

この彫刻の右にあるのは、これ
ヤコブは前かがみになって、重い石を持ち、地面にある石の上に置こうとしています。

左側にある彫刻は、これ
肩に長い棒を担ぎ、棒には布が下げられています。

私の写真の画面は、ヤコブが天使と格闘して祝福を受け、天使から「イスラエル(神が支配すという意味)」という新しい名をもらった、というお話しのようでした。

たまたま1つ選んだ彫刻を「おみくじ」として受け取るなら、大吉かな?...


オータンの素晴らしいサイトを発見

情報を探していたら、オータンの歴史について素晴らしい情報を入れたサイトがあるのを知りました。
Autun, Cathédrale Saint-Lazare  Révélations sur la cathédrale d'Autun

サン・ラザール大聖堂についても、見事な画像が入っています。高いところにある彫刻などは肉眼では見えにくいので、こういう風にして見れるのは嬉しい。しかも解説付き。

例えば、大聖堂入り口にあるティンパヌムは驚くほど見事なのですが、それを鮮明な画像で見ることができるページがあります:
Toucher le tympan

オータンの美術館で見れるらしい映像の一部を入れた動画もありました:
Film en relief HD à voir en exclusivité au Musée Rolin, à Autun

この美術館には2年前にも行っているのですが、そんな映像を見た記憶がありません。こういうものには興味がない人たちと一緒だったから遠慮して映像室にとどまったりはしなかったのか、そのときにはまだなかったからなのか?... 大画面で見たら感激したはずなので忘れていることはないと思う。

ネット上で見れる抜粋画像の1つです:



こういうプロジェクトは大好き。フランスでも日本でも、文化遺産がある町では予算をかけて立ち上げて欲しいです。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
☆ Wikipedia: Cathédrale Saint-Lazare d'Autun
オータンのサン・ラザール大聖堂
ヤコブ(イスラエル)の生涯:創世記 27-36章
口語訳聖書 - 創世記
創世記 ⇒ 創世記28-30章 「ヤコブの独り旅」
Histoires insolites des Chefs-d'œuvre


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2016/05/01
スイスの国境まで5キロ足らずという山の中にあるホテルに宿泊したとき、気が付くと携帯電話はスイスの回線を使っていました。フランス国内にいるのに、自動的に外国の回線を使うようになってしまったわけです。こういう場合、国際通話料金を払うのでしょうか? 念のためにインターネットを使うのはやめましたが、ホテルの人に聞いてみれば良かった。

ホテルのオーナーに、何処でこの地方特産のチーズと燻製ソーセージを買ったら良いかと聞いたら、モンブノワ村の店が良いと言われたので帰り道に立ち寄ることにしました。

一緒に旅行した仲間は、「ショージェのこと?」などと言って、そこに行くことにかなり気を惹かれたようす。


牛タンのソーセージ♪

モンブノワ村(Montbenoît)に到着した私たちは、まず目的だった買い物から始めました。見るからに美味しそうな自家製のハムやソーセージを作っているお店がありました。



日持ちするように真空パックにしtくれるというので、かなり色々なものを買いました。

矢印を入れたのは、初めて見た牛タンの燻製。素晴らしく美味しかったのでした。帰ってから真っ先に試食したのですが、少ししか買わなかったのを公開しました。他では見たことがないソーセージなのです。この地方にまた行ったときには探そうと思います。

もう1軒のチーズ屋さんでも買い物。でも、このフランシュ・コンテ地方では美味しいチーズを手に入れるのは全く珍しいことではない。


モンブノワ修道院

モンブノワは人口400人程度の小さな村なのですが、11世紀に建てられた修道院(Église et Abbaye de Montbenoît)がありました。隣接した建物にあるツーリストオフィスに行くと、有志の人たちが保存修復活動をしていて、その資金にする入場料として払って見学して欲しいとのこと。とても少ない金額なので、迷わず見学することにしました。



ツーリストオフィスの感じの良い男性が案内してくれました。外観はどうということがなかったのですが、内部は素晴らしい!

特に、オーク材でできた聖職者席(Stalles)が見事。一番気に入った彫刻です。


Le crêpage de chignon

Wikipediaに入っている大きな画像は、こちら女性2人が喧嘩をしている場面でしょうか?

15世紀の作品のようですが、教会の中にこんな場面があるのは奇妙。でも、どんな意味があるのかと考え込んでしまうような教会とは不釣り合いな彫刻というのはそう珍しくもないのです。このブログでも、お酒を酌み交わしている場面とか、トイレで用をたしている場面の彫刻の写真を入れていました。


ソージェ共和国

フランスには、地名があると、そこに住んでいる人に対する呼び名もあります。フランスに住んでいる人はフランセ、パリに住んでいる人はパリジャンという具合です。

普通は地名の語尾を少し変化させているだけなのですが、時々、全く関係がない単語が住民を表していたりしまう。モンブノワ村(Montbenoît)も例外の一つで、住民が男性ならソージェ(Sauget)、女性ならソージェット(Saugette)なのだそうです。

スイスとの国境にごく近い山の中のモンブノワ(Montbenoît)は修道院を中心にして勢力があったのですが、この地にやって来た僧侶の名前がBenoît。montは山なので、モンブノワになったのかなと想像するのですが、ソージェの方が何から来ているのか分かりませんでした。

山の中だし、大修道院があるので、フランス革命の前まではコミュニティを形成しているような特別な地域だったようです。そういう歴史があったためでしょう。ひょんなことからソージェ自由共和国République libre du Saugeais)というミクロネーションが20世紀半ばに出来てしまいました。

1947年のこと。この村が入っているドゥー県の知事がやって来て、昼食をとるために入ったホテル・レストランに入っていった。すると、そのホテルの経営者ジョルジュ・プールシェ (Georges Pourchet) が、冗談ぽくソジェー共和国には通行許可証が必要なのだと知事に言う。プーシェ氏から共和国が何なのかを聞いた知事は、自分もジョークが分かる人間だと見せたかったのでしょう。知事は共和国には大統領が必要だと言い、プーシェ氏をソージェ共和国の大統領に任命したのでした。

その後、住民たちも楽しんだらしく、ソージェ共和国は本当の国のようにを盛り立てたようです。

紋章や旗や国家もできているし、貨幣も切手もある。アマチュアテレビ局もあるそうです。

Armoiries  Drapeau

モンブノワ郡にある16のコミューン(市町村)のうち、11のコミューンがソージェ共和国に入っていて、その総面積は128㎢。住民は全部で5,000人くらいなのだそうです。

Carte de la République du Saugeais.
Carte de la République du Saugeais

川を挟んだ地域を「ソージェの谷」と呼んでいるので、この川の名前がソージェなのかと思ったら、そうではありませんでした。ドゥー川なのです。


1980年の映像です。


L'abbaye de Montbenoît - Vidéo Ina.fr


下は最近の収録。ジャーナリストを育てる学校がルポルタージュを作ったようです(2014年?)。


La République du Saugeais


オーム真理教も大臣など作っていたことを思い出してしまったのですけど、この地域では、大人たちが子どもになったように遊んでいる感じがしました。ここで出会った人たちは皆、とてもご機嫌が良くて楽しそうにしているという印象を私は残したのです。

教会を見学し終えたとき、立ち入り禁止のような部屋があったので、傍にいた人に聞いたら、特別に見せてくださると言われました。ソージェ共和国の人間だから許可してしまう権利があるのだと笑う。大きな暖炉がある立派な部屋でした。許可してくれた人に大統領なのかと聞いたら、大統領の運転手だと言われました。

警察役などをして楽しまれるのはたまらないけれど、わきまえてやっているのでしょうね。2番目の動画では、村長さんと共和国大統領の権限をどう分けているのかと質問していました。もちろん、事を決めるのは村長の方。ソージェ共和国の方は観光的な面で役割が大きいのだと答えていました。

山の中で寒さも厳しい地域のはず。皆で仲良くお遊びしたら楽しい毎日になるのから良いではないでしょうか。
※ これは旅行してから半年たってから書いたので、聞いたことをかなり忘れています。でも、面白かったので、行ったことだけはメモしておきたいと思いました。


ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランス人のジョークについて書いた記事

外部リンク:
☆ Wikipédia: Abbaye de Montbenoît
☆ Wikipedia: ソジェー共和国 » République libre du Saugeais
☆ Bfcomte.fr: République du Saugeais
☆ VICE  France: La République libre du Saugeais n’est toujours pas indépendante – et elle le vit plutôt bien 
☆ Mairie de MONTBENOIT: République du saugeais
☆ Wikipédia: Montbenoît


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2016/03/24
シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その32

フランスのお役所のことを言うときには、なぜか館の名前や場所で言うことが多いと感じます。フランス大統領の公邸は「Palais de l'Élysée(エリゼ宮)」。

エリゼ宮は17世紀前半に建てられた豪華な館です。

Hôtel d'Évreuxと呼ばれていた1737年の地図 ↓

Hôtel d'Évreux 1737


各国から来た要人にフランスの食文化はすごいのだと見せる意味もあって、エリゼ宮では素晴らしいのワインのストックがあると聞いています。

それを取り仕切るソムリエは、2007年からVirginie Routisという30代の女性。女性が大統領官邸のソムリエになったのは彼女が初めて。女性だから、ソムリエではなくてソムリエール(sommelière)ですね。

エリゼ宮殿の地下にあるワインセラーには、12,000本のワインが眠っているそうです。

シャンパンが約1,000本、白ワインが約5,000本で、残りは赤ワインとのこと。ワインの半分はボルドーのもの。ブルゴーニュの白ワインが全体の4分の1。

レストランとは違って、エリゼ宮のソムリエはそれなりの苦労があるようです。招待客が百人単位のレセプションでは、同じドメーヌの同じミレジムが、少なくとも48本あるものしか選べないのだとか。

現在の大統領はワインの好みがはっきりしていないので、ワインを選びにくいのだとソムリエールさんは話していました。でも、その前の大統領のサルコジ氏はお酒が一滴も飲めない人だったのですが、その時代はどうしていたのだろう?...


例えば、2014年のノルマンディー上陸作戦70周年記念のレセプションに出されたワインは、シャトー・ディケム 1997年、シャトー・オーブリヨン 1990年などを選んだのだそう。

このときのオープニングに出されたシャンパンは、出席していたエリザベス女王に敬意を表して、ポル・ロジェの「サー・ウイストン・チャーチル」というキュヴェだったとのこと。

チャーチル首相がポル・ロジェのシャンパンをいたくお気に召していたので、ドメーヌでは名前を入れたキュヴェを作った。

エリザベス女王はあちこちで出されるでしょうから、もしもこのシャンパンをお好きでなかったらお気の毒。

でも、大統領官邸のようなところでは、要人の好みも把握しているでしょうから問題はないのでしょうね。

キュヴェ・エリザベスというようなのは作っていないのかな...。


エリゼ宮のワインセラーはどんななのかと動画を探してみたら出てきたので入れます。レセプションを準備しているところが紹介されていて、もちろんワインの準備というのもあるのでした。

ワインセラーを案内するソムリエールさんが出てくる場面は、こちらから


Au coeur de l'Elysée 公開: 2012年6月


エリゼ宮のワイン・オークション

2013年には、エリゼ宮のワインの一部を売るオークションが行われ話題になっていました。保存状態の良い掘り出し物があるので大きく報道されていました。


Vente aux enchères de vins de l'Elysée

オークションは予定していたよりも多い収入をもたらしたのだぞう。1,200本をさばき、72万ユーロ近くの収入を得たそうです。買ったときの値段から計算すると、1年で25%の利益を生んだことになったワインもあったとのこと。

このオークションに出たワインとしては、ペトリュス、シャトー・シュヴァル・ブラン、シャトー・オーソンヌ、シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオンの名前が並んでいました。

ここのところボルドーワインについて書いてきたので、名前を見ると「知ってる♪」と思えるようになったので嬉しいな。飲んでなければ意味がないのだけれど、それは容赦して笑ってください。


エリゼ宮とは、どんなところ?

フランスでは情報公開されているのですね。エリゼ宮のサイトでは、大統領官邸の建物について、出来事を見せる動画など、たくさん入っていました。日本の首相官邸も同じかなと思ったのですが、サイトにはほとんど何も入っていないような。

ニュースでは大統領に手紙をだした人の話しが登場するのですが、このサイトからメッセージを送ることもできるのでした。

フランスでは秋に歴史的建造物の一般公開があるのですが、一番の人気は大統領官邸の見学だと聞いていました。大勢の人が行くそうなので、そんなときに行ってみる気はしていなかったのですが、インターネットでかなり見れてしまいます。

拾った動画を入れておきます。


Les pièces du Palais



Zone interdite Secrets et coulisses du Palais de l'Élysée 2015 公開: 2015年4月


エリゼ宮の庭園だけは簡単に見学できるようです。オープンしているのは、毎月、第一日曜日らしい。今はテロ騒ぎのときですから見学はできないのではないかな...。


エリゼ宮のソムリエが女性という情報が出てきたのでブログに書いておこうと思ったのは何がきっかけだったか...。たぶん、去年の秋にフランスの親衛隊について書いたとき、大統領官邸ではどんな風に衛兵交代の儀式をしているのかと調べてみたときに出てきたのではないかと思います。

★ フランス共和国親衛隊の一般公開を見学 2015/10/29


シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その32



ブログ内リンク:
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
☆ Le Monde: Virginie Routis, la première sommelière de l’Elysée 27.10.2015

【エリゼ宮殿サイト】
オフィシャルサイト: Présidence de la République ⇒ 写真と動画
「Les coulisses(舞台裏)」タブ ⇒ Élysée In&Off Le protocole
Les pièces du Palais
Le Palais de L'Élysée et son histoire
Ouverture des jardins du palais
大統領にメールを送る: Ecrire au Président de la République

フランス観光開発機構: エリゼ宮
Wikipédia: Palais de l'Élysée =  エリゼ宮殿
首相官邸ホームページ


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2015/11/02
犬もあるけば棒にあたる。パリで珍しい教会に出会いました。

人と会う約束の時間に少し早かったので、友人と二人で時間つぶしのために散歩していたら、立派そうな教会が見えたのです。なんだか入りたくなりました。

一緒にいた友人を誘うと、「そんなところに入りたくない」と言う。いわくのある教会だったのです。付き合って一緒に教会に入ってくれたのですが、私がミサに見とれていると、いつの間にか外に出ていた...。

2015年秋 パリ首都圏旅行シリーズ
その8  
目次


サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会(Église Saint-Nicolas-du-Chardonnet)

パリ5区にある教会です。場所はこちら

Église Saint-Nicolas-du-Chardonnet
Église Saint-Nicolas-du-Chardonnet

入り口にパリ市の観光案内がでています。こういうのが立っているところは見る価値があるのです。



チャペルがあった場所に、17世紀半ばから18世紀初頭にかけて建設された教会で、入り口のところだけが20世紀前半に作られたのだそう。としたら、中は外観以上に見る価値がありそうではないですか? 内部には見る価値がある芸術作品もあるとのこと。

教会の名前が「Saint-Nicolas-du-Chardonnet(サン・ニコラ・デュ・シャルドネ)」と覚えやすいのが気に入りました。サン・ニコラはサンタクロース。「シャルドネ」と言われると、ブルゴーニュワインのブドウ品種のシャルドネを連想します。でも、綴りは違う。ブドウの方は「Chardonnay」です。それでも親しみを持ってしまいました。

入りたくないと言った友人が、パリ市の観光標識には書いていないことを教えてくれました。

ここは、非常に特殊な教会なので有名なのだそうです。intégriste(伝統完全保存主義者、非妥協的保守主義者)、catholique traditionaliste(伝統的カトリック)という言葉を使っていました。ヴァチカンのローマ教皇庁から認められていない宗派なのだそう。

アンテグリスト(intégriste)と聞くと、過激なイスラム教徒を連想してしまうので、ちょっと怖くなる...。

でも、昔ながらにラテン語のミサをしていると言うので興味を持ちました。昔はどこでもラテン語でミサをしていたのに、その国の言葉でするようにというローマ法王のお達しがあってから無くなっていたと聞いていました。昔ながらのミサは、映画の中でくらいしか見れないと思っていたのに、ここではやっているのだそう。


中に入ってみると、ちょうどミサをしている♪!

すぐに、ミサをしているところに入ってしまったことで気が咎めました。異様に緊張した雰囲気に包まれていたのです。

絵画や建築などを眺めて歩いたりしたら叱られそうなので、目立たないように一番後ろの席に座りました。

敬虔なミサが行われているときにカメラを出したら、間違いなく叱られるだろうと思って、内部の写真は1枚も採りませんでした。なかなか立派な教会だったのをお見せしたいので、Wikipediaに入っている写真のリンクを入れます。

 Saint Nicolas du Chardonnet - nef et choeur

見たことがないミサの仕方でした。

司祭さんは、参列者に背を向けて、ラテン語でミサをあげている。小さな声で祈りをささげているので、よく聞こえない。私が座った横にはスピーカーがあったのですが、それでもよく聞こえない。つまり、囁くように祈りの言葉を発しているのでした。

ものすごく厳粛な雰囲気。聖職者になる覚悟をしている修道院の僧侶たちならいざ知らず、ここは世俗の信者が集まる教会なのですから、なんだかすごい...。

しかも、無言の時間が長く流れる。参列者たちは、それぞれが自分の思いにひたっている様子。無言でいるとフラストレーションがたまるのだろうと思っていたフランス人なのに、こういう時間も過ごせる人たちがいるのか、と感心しました。

時々、誰が鳴らしているのか、小さな鐘の音が聞こえました。途中で、アンジェラスの鐘が聞こえてくる。それに合わせて夕方のミサをしていたのかも知れない。ミサの最中に聞こえてくるアンジェラスの鐘は格別に良かったです。

ラテン語の響きも良かった。私には、時々発せられる「アヴェ・マリア」くらいしか聞き取れませんでしたけれど。

デジカメで教会に入る前と出たときの写真を撮っていたので、時間を確認してみました。私は30分くらい居座ってしまったようです。


教会を出たとき、掲示が目に飛び込んできました。本来は、入る前に見なければいけなかったようです。



この教会に入るには、服装の制限があったのでした。

肩を出していたらダメ。ミニスカート、ショートパンツ、バーニューダーもダメ。しかも、ミサに参列する女性は頭を覆ってください、と書いてある。

軽い服装で教会に入ってはいけないというのは、信仰が厚いイタリアでは注意しなければならない点で、こういう注意書きはイタリアではよく見かけていました。

ヴェールをかぶらなければいけないというのはイスラム教のモスクに入るときの注意だと思っていました。エジプトに行ったときには、イスラム寺院に入るときにレンタルのヴェールを借りるためにお金を払わされましたので。さらに、見学を終えて出ようとしたら、チップも払えと恐喝された...。そこまではいかなくて、ヴェール着用を促しているだけだったので気にしません。

カトリックも、本来はヴェールを被るものでしたか...。でも、なぜ女性だけがそうなるの? 女性は不浄だから?...

でも、普段とは違った服装をすると心の中にも変化が現れるものですから、悪くはないとは思います。むしろ、フランスがライシテの国だから宗教色を表す服装を公共の場でしてはいけないということになっていることに私は違和感を感じます。例えば、日本の家屋に入るときには履物を脱ぐのが常識です。それを宗教色からだ止めろと非難されるのと同じ感覚を覚えるのではないでしょうか? さらに、体を覆いさえすれば入って良いと認めるのはおかしいと思う...。

確かに、ミサを見学していたとき、頭に被り物をしている女性がチラホラいたのが目についていました。でも、女性の全員ではなかったですね。むしろ、ヴェールを被っている人の方が少ないとさえ感じました。伝統は失われているのだと気がつきました。


トリエント・ミサrite tridentin

教会を出てから、ラテン語のミサを見れて感激したと友人に話しました。みんなは何を言っているのか分かっていないのだ、と冷たい返事。でも、司祭さんが祈りを唱えていたとき、一緒にラテン語を言っている信者の人たちもいましたよ...。

同じように、司祭は参列者の方を向いてミサをあげなければならないということになっているのに、ここでは司祭は祭壇に向かってミサをあげていました。そうすると、聖職者も信者も神様に向かって同等という立場に見えるので、その方が良いと私は思ったのですけれど...。

サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会で行われていたのは、トリエント・ミサ(rite tridentin)と呼ぶものでした。

これはトリエント公会議(Concile de Trente、Concilium Tridentinum 1545~63年)に定められた典礼に従うものなのだそう。トリエントというのは、現在ではイタリアのトレントという地名。

カトリック教会では、第1ニカイア公会議(325年)から第2バチカン公会議(1962~-65年)まで、21回の公会議(Concile œcuménique)が現在のところ認めているとのこと。

現在のカトリック教会で行われるミサは、パウロ6世が1969年に発布した典礼方式に従っている、と理解すれば良いようでした。

私が見た「messe basse」と呼ばれるミサで、歌を伴わないで、司祭が祈りを捧げるだけの形式のようでした。それで静寂さばかりのミサだと感じたらしい。

それに対立するのは「grand-messe」。この教会でも華やかなミサをあげているのでした。

サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会で行われたミサの様子を見せる動画がたくさんありました。私は遠くの席にいたので、司祭が何をしているのか見えなかったのですが、動画ではよく見えます。


Tridentine Mass, Saint-Nicolas-du-Chardonnet part 6

続きのようです ↓


Part 7

この教会でのミサを見せる動画には、1時間以上のもあります:
Grand-messe à Saint-Nicolas du Chardonnet
Monseigneur Lefebvre - Messe pour la fête du Christ Roi


ふと、気になりました。司祭が参列者に背を向けて祭壇に向かって祈りをささげているのですが、今の普通の教会では、テーブルのようなものがあって、その向うに立っているのを眺めるというスタイルではないですか?

教会と祭壇をフランス語でキーワードにして画像検索した結果

背を向けるとしたら、祭壇は壁になければならないはず。昔に建てられた教会の祭壇は奥の壁に設置されていて、参列者の方を見なければならなくなってからテーブルのようなものを設置することにしたのかな?...


ヴァチカンが認めなかった教会...

古式豊かなミサがとても気に入ったのですが、情報ではサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会は不法に占領している、と書いてある。どうことなのかを調べてみました。

1977年2月27日(日)に共済組合のホールでラテン語によるミサが行われる、という知らせが新聞に入っていたそうです。

新聞の名はL'Aurore。エミール・ゾラがドレフュス事件に対して「私は弾劾する!(J'accuse…!)」と題した大統領あての手紙を載せた新聞ですね。

その翌日、会場に集まったのはほんの一握りの人たち。彼らはそっと隣にあるサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会に向かう。礼拝を終えた司祭は、これからバスティーユの攻撃のようなことをされるとは全く気がついていなかった。

そして、Ducaud-Bourget司祭(当時80歳)が祭壇にあがり、ラテン語でミサをあげた。

このDucaud-Bourgetという人は、華々しい経歴を持った人のようです。詩人、戦時中にはレジスタンス運動をしていて(ユダヤ人を逃がした功績が大きい)。高位聖職者で、ラテン語でミサをあげることを主張していた。

しばらく、サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会のもともとの信者たちと乗っ取り組の間で、「ラグビーのような」戦いのような根競べが続いたけれど、Ducaud-Bourgetを司祭とする乗っ取り組が勝った。

1984年、Philippe Laguérieという人が2代目の司祭になりました。このあたりから、サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会は政治色を帯びてきた感じがします。

この人は、スイスのエコンに本部を置く聖ピオ十世会(Fraternité sacerdotale Saint-Pie-X)の国際神学校の出身者。

サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会は聖ピオ十世会が組織して占領したわけではないようなのですが、Philippe Laguérieの代から聖ピオ十世会の出身者たちが指導者になっていますね。

聖ピオ十世会は、フランス人のマルセル・ルフェーブル(Marcel Lefebvre)が1970年に設立していました。

ルフェーブル大司教はローマ教皇庁から破門されましたが、2009年に破門を取り消されています。とはいえ、は未だにヴァチカンからは公式に認めてもらっていません。

Héraldique meuble Coeur vendéen.svg右にピオ十世会のロゴを入れました。ヴァンデ県(古いロゴが入っているWikipediaのページ)のによく似ているのですよね。ハートが2つ。それに王冠、その上に十字架。

フランス革命に反発してヴァンデの反乱をおこしたくらいカトリック信仰に厚い地域で、今でも旅行すると宗教心が根強く残っていると感じます。こんな県マークでは政教分離のフランスに相応しくないと非難されて、今のヴァンデ県議会ではマークをデザイン化したもの(こちら)を使っています。

このマークが車に張ってあるのを見たことがあったような...。それは郷土愛から来ているのではないかも知れないので、覚えておこうと思いました。

右に入れたのはWikipediaに入っていたピオ十世会のロゴなのですが、実際、この画像はヴァンデ県のロゴとして作成したらしいものを流用しているようです(画像のファイル名がそうなっているので)。

実際のピオ十世会のロゴはどうなのかと調べてみたら、ほとんど同じですね(こちらの画像)。少し前の日本では、東京オリンピック2020のエンブレムが盗作だったと騒がれましたが、デザインをする人は意外に独創性がないのかもしれない...。


スイスにある聖ピオ十世会の神学校の様子を見せる古い映像がありました。Marcel LefebvreとDucaud-Bourgetも登場してインタビューに答えています。1976年の映像。サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会の占拠の前年に放送されたニュースのようです。


Messe integriste - INA 1976年


サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会が占拠されて追い出された「公式の」司祭は裁判を起こし、教会を返すようにという判決が下されました。でも、教会は未だに占拠されたまま。

フランスの法律では、カテドラルは国の所有、1905年以前に建てられたエグリーズ(教会)は市町村の所有となっています。従って、このサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会はパリ市が所有しています。でも、歴代のパリ市長は伝統的カトリック信者たちに出て行けとはやっていません。パリ大司教も、ローマ教皇庁に逆らう彼らを認めないものの、強硬手段はとらない。

大きな問題は、サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会には右翼的な政治色があることでした。ホロコーストの否定、フランス領アルジェリアの肯定、王政主義の肯定、極右政党の指導者たちに好かれていることなど...。つまり、ローマ教会にも逆らうし、フランス国家にも逆らっている、ということらしい。

この教会に入りたくないと言った友人は、そこらあたりに嫌悪感を感じていたのだろうと思いました。

ラテン語でミサをするのは良いと思いましたが、「地理上の発見」と呼ばれる時代にしていたカトリック教徒たちの残虐性は持って欲しくないな...。


信仰心も、恋愛感情も、障害があった方が燃え上がるものではないでしょうか?

サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会は、教会の外でも礼拝行進をしているようです。信仰心が強いイタリアやスペインでは珍しくないけれど、フランスではめったに出会いません。ましてやパリの町中で行われているとは驚き...。

この教会が「Fête-Dieu(聖体の祝日)」の祭りでパリの中を歩いている映像です。


Procession de la Fête-Dieu - Eglise saint Nicolas du Chardonnet (Paris)


サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会は、芸術作品の宝庫らしい

ミサが終わって参列者が立ち上がるときまでいたのですが、みなさんはなかなか帰っていかない。座ったままでお祈りを続けている人も多かったです。

見る価値がある作品を見たいと思って歩きだしたのですが、お邪魔をしては悪いという気持ちがして、内陣の方にまでは行けません。ほんの少し絵画を眺めただけで教会をでました。

見たかった作品をインターネットで探してみました。本当に価値があるなら、またパリに行ったときにはミサが行われていない時間を見計らって行こうと思ったので。

そもそも、フランスの教会にあった芸術作品のほとんどは美術館に移されています。ちゃんと教会に残っているイタリアなどとは対照的。フランスは信仰心が薄れて信者が出入りしないので、泥棒に狙われるからだと思います。こんな過激な信仰心を持っている人たちが集まるところだったら、作品が残っていても不思議はありません。


まず、この教会で見たかったコロー(Jean-Baptiste Camille 1796~1875年)の作品。

Bapteme du Christ
Le Baptême du Christ (1845-1847),, Jean-Baptiste Corot

キリストの洗礼。風景が美しいのはコローらしいですが、宗教画なので若いときの作品なのかと思ったら、50歳くらいのときに描いていますね。


ここにある作品で有名なのは、ルイ14世の第一画家だったCharles Le Brun(シャルル・ルブラン 1619~90年)の作品のようでした。

ルブランはヴェルサイユ宮殿やルーヴル宮殿等の内装を担当した画家として知られ、Académie royale de peinture et de sculpture(王立絵画彫刻アカデミー)と Manufacture des Gobelinsゴブラン織工場)の責任者を務めています。どんな絵があったのか、画像を探してみました。

使徒ヨハネの受難の絵でした。


Martyre de saint Jean l'Évangéliste à la porte Latine, Charles Le Brun


日本でいえば国宝級の作品がたくさんあるようです。実物が見たいと思ったのですが、見る機会があるかな...。教会を出るときにミサの時間が書いてあるのを見たら、1日に何回もミサが行われているらしいと分かったのです...。コンサートも行われるらしいので、そのときを狙うか...。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って

外部リンク:
☆ Wikipédia: Église Saint-Nicolas-du-Chardonnet
☆ Nelso: Église Saint-Nicolas-du-Chardonnet
☆ L'art de croire 竹下節子ブログ: l'église Saint-Nicolas-du-Chardonnet
L'église Saint Nicolas du Chardonnet
☆ Libération: Saint-Nicolas-du-Chardonnet avec foi mais sans loi 2012年5月
☆ Le Point: Saint-Nicolas-du-Chardonnet  un bastion en résistance
Saint-Nicolas-du-Chardonnet  des traditionalistes grand cru
Une affaire d'Eglise : les debuts de l'occupation de Saint-Nicolas-du-Chardonnet (27 fevrier-4 juillet 1977)
☆ Wikipédia: Occupation de Saint-Nicolas-du-Chardonnet
☆ Athéisme: Infériorité des femmes et hidjab chrétien pour toutes à Saint-Nicolas-du-Chardonnet
☆ Wikipedia: Liste des œuvres classées à Saint-Nicolas-du-Chardonnet
Recherches sur l'église de Saint-Nicolas-du-Chardonnet (XVIIE ET XVIIIE SIÈCLES - PDF)
EGLISE SAINT-NICOLAS-DU-CHARDONNET (Paris)
☆ Wikipédia: Église Saint-Séverin
Taubira-Banania l'abbé Beauvais relaxé Le Figaro 19/05/2015

☆ Wikipédia: Catholicisme traditionaliste
☆ Wikipedia: 聖ピオ十世会 » Fraternité sacerdotale Saint-Pie-X (FSSPX)
☆ Wikipedia: マルセル・ルフェーブル » Marcel Lefebvre
聖ピオ10世司祭兄弟会とローマ教皇庁

☆ Wikipédia: Catholicisme traditionaliste
☆ Wikipédia: Intégrisme | Fondamentalisme(同じではない)
☆ Wikipedia: キリスト教原理主義 / キリスト教根本主義(英語: Christian fundamentalism)

☆ Wikipedia: トリエント・ミサ » Rite tridentin
☆ Wikipedia: Histoire de la messe tridentine
☆ Wikipedia: Rite romain » 英語: Roman Rite(3種類ある)
☆ Wikipedia: 新しいミサ » 英語: Mass of Paul VI
☆ dictionnaire des expressions françaises: Dire des messes basses
La célébration de la Messe basses dans le rite romain traditionnel
トリエントミサ式次第 Latin-Japanese 1/6 潅水式から入祭文まで
☆ Wikipedia: 公会議 » Concile œcuménique
☆ Wikipedia: トリエント公会議 Concile de Trente 1545~63年
☆ Wikipedia: 第2次ヴァティカン公会議 » IIe concile œcuménique du Vatican

Je ne crois pas, parce-que c'est la vérité.  (日本語ブログ パリ9区のサントゥヂェヌ教会)
☆  Wikipédia: Abbaye Saint-Joseph de Clairval (Flavigny-sur-Ozerain)
☆ 仏文化省: L’autel : fonctions et formes. Typologie des autels avec description

Du blason de la Vendée à son logo
Origine et signification du blason de la Vendée
Il y a quinze ans, le logo vendéen faisait polémique


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2015/07/07
シャブリでブドウ畑を見た後は、そこから20キロくらいのところにあるポンティニー村に向かいました。そこにある修道院が集合場所だったのです。

その途中でピンクニックするに適した場所を見つけようという予定でした。川沿いの涼しげなところと思ったのに、適当な場所がありません。暑い日だったので、木陰でないと食事などはできないので条件が厳しくなるのでした。

仕方がないので、ポンティニー修道院の前にある駐車場のピクニックスペースで簡単に食事をしてしまうことにしました。


どんなに空腹でも、食べ物の選り好みをするの?

ピクニックを済ませて修道院の前にある駐車場に行くと、メンバーの人たちの姿が見えました。一人の女性が、村議会の集まりがあった足で来たのでお昼を食べそこなったと言います。修道院がある村に唯一あるカフェで食事しようと思っていたのに、その日は閉店日だったのだそう。

かなり太った女性なので、お腹がすいているのは気の毒だと思って、ピクニックの残りの食べ物があるからと提案してみました。

すると、「何を持っているの?」と、お聞きになる。

豚飼育農家が作った美味しいフロマージュ・ド・テット、シャブリ町で一番美味しいパン屋さんで買ったパン、コンテチーズ、サクランボが残っていると告げました。

コンテ
特にコンテチーズに惹かれた様子。
食べる、食べる、とおっしゃる。

駐車場のはずれにピクニックテーブルがあるので、そこに行くように薦めたのですが、座っている石垣の上で食べると返事。集合時間も迫っていましたから。

それで、冷たいおしぼりを差し上げて、木のお盆を石垣の上に置いて、食器と食べ物を並べる。

その場にいた数人が、私のピクニックの準備の良さに感心していました。本格的にピクニックをするときは重箱に食べ物を入れて行くので、この時もそれをやっていたら、もっと驚かれただろうな...。

よほどお腹がすいていらしたみたい。「美味しい」を繰り返しながら、もりもりとお食べになりました。それなのに、ちゃんと何を食べさせられるかを確認していたのだから愉快♪ 有名な文学者の娘さんなのですけれど、気さくな方...。

コンテチーズは、よほどお好きなようでした。固い皮を捨てないでコンテを食べてしまうフランス人を見たのは初めて! 残っていたチーズの塊を平らげてしまったわけではなかったので、足りないから皮も食べたわけでもないのです。


ポンティニー修道院

ポンティニー修道院(Abbaye de Pontigny)は1114年に創設されたシトー会の修道院。ここもフランス革命で破壊されましたが、大きな教会部分は見事に残っています。現存するシトー会の教会としては最大規模なのだそう。

今回の訪問で、なぜか気に入ったのは、庭にあった一枚岩の受水盤でした。猛暑のときに訪れたからかな?...



直径3.4メートル。もともとは、修道院に水を供給する水源がある回廊の近くにあったようです。水盤には31の穴があり、僧侶たちがミサに行く前に手を洗うことができたのだそう。今は水はなくて、ただのテーブルに見えてしまう...。


現在では、ポンティニー修道院にあった教会はポンティニー村の所有物となっています。その他の部分はブルゴーニュ地域圏が購入したのですが(2003年)、お金がかかって仕方ないと判断したせいか売りにだされました。でも、買い手はいなかった...。

こういう、どうしようもなく大きな文化財は行政が維持して欲しいです。

ポンティニー村の人口は800人足らず。こんなに大きな教会を維持するのは大変でしょうね...。住民のボランティアたちがコンサートを開いたりしています。音響効果が良すぎるくらいに素晴らしい教会です。私も何回かコンサートに行ったことがありました。

ポンティニー修道院の写真はたくさん撮ったのですが、動画があったので入れておきます。


Tous unis pour les 900 ans de notre Abbaye !


ポンティニー修道院でのレクチャー

この日の目的は修道院の中で行われたレクチャーを聞くことでした。

テーマは3つありました:
  1. シャブリのワインとポンティニー修道院の関係
  2. ポンティニー修道院について
  3. ポンティニー修道院を購入したポール・デジャルダン: 文化人が集まって開かれた「ポンティニー旬日懇話会」、大きな修道院を維持するための経済的な苦労話など
3番目のレクチャーが最も興味深かった。

ポンティニー修道院のような文化財を個人が持ってしまおうと思うのには驚きます。

教師の収入しかなかったポール・デジャルダン(Paul Desjardins: 1859~1940年)が購入してしまったわけですが、1年でほとんど破産状態に陥ったのだそう。

それでも、そこを拠点にして、歴史に功績を残す文化活動を行ったわけなのでした。

文化人が集まる「ポンティニー旬日懇話会(Décades de Pontigny)」は、毎年、10日間(décades)、開かれました。1910年から1914年、それから戦争を挟んで1922年に再会し、第二次世界大戦が勃発する1939年まで続いています。

この時代のフランスには優れた文学者たちがいたのですね。ポンティニーに集まった人々の中には、アンドレ・ジッド、サン=テグジュペリ、アンドレ・マルロー、サルトルなど、良く知られた文学者の名が並んでいました。

大きな修道院を維持するのは経済的に大変だったとはいえ、デジャルダンの奥さんはノルマンティー地方の城を相続したりしていたくらいなので、財産はあったのだろうとは思います。

彼女はノルマンディー出身なので、ブルゴーニュにあるこの修道院でノルマンディーで盛んな農業をして収入を得ようとしたのだそう。ノルマンディー地方の品種の牛を飼って、リンゴも栽培する。ところが、リンゴやイチイの実を食べてしまった牛が死んでしまった、などという失敗があったとのこと。

ノルマンディー地方のイメージは酪農とリンゴ酒なのですが、どうやって共存させているのかな?...

デジャルダンもガーデニングが好きだったとのこと。講師は冗談で言ったわけではなかったようなのですが、Paul Desjardinsという名前を聞くと、Paul des jardins(ガーデンのポール)と聞こえてしまうのです。ここでも、聞いていた私たちは笑ってしまいました。

敷地内で栽培したリンゴは成功したもよう。それを売ったりしているので、近所の人たちはブルジョワの女性がそんなことをして働かなければならないことに驚いていたそうです。でも、おかげでデジャルダンは死ぬまでポンティニーで生活できていました。

1940年にデジャルダンが亡くなった後、妻と娘(Anne Heurgon-Desjardins)はポンティニー修道院を売却して、ノルマンディーの城を修復することにしました。やはり北フランスのノルマンディー地方への思いが強かったのかな...。そのスリジー・ラ・サル城は、1952年から「スリジー・ラ・サル国際文化センター(Centre culturel international de Cerisy-la-Salle)」となり、ポンティニー旬日懇話会の活動を継承しています。

ポール・デジャルダンはフランスでも殆ど知られていない人だと思うのですが、検索してみたら日本語情報が出てきました。日本にも研究者がいらしたとは驚きです。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱、建築技術
フランス人って、どうしてこんなに食べられるのだろう?...【2】2006/05/28

外部リンク:
☆ Wikipédia: Décades de Pontigny
100 年に及ぶポンティニーからスリジーまでの歴史
1922年のポンティニー旬日懇話会 : ジッドのポール・デジャルダン宛未刊書簡
ポンティニー修道院バーチェル・ヴィジット: Abbaye de Pontigny II.


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2015/06/14
ヴェズレー村(Vézelay)にあるサント・マリー・マドレーヌ大聖堂(Basilique Sainte-Marie-Madeleine)が大好き。ブルゴーニュ地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の大事な起点なので、私も巡礼に行くような気分でよく通っています。

12世紀に建てられた美しいバシリカは、ロマネスク建築の至宝と呼ばれます。世界遺産にも登録されているため、観光客が多いのが難点。午前10時になると団体を乗せたバスが次々に到着してくるので、その前か、夕方みんなが帰った時間に行くことにしています。

ヴェズレーに行くことにした先日も、朝6時前に起きだして、午前10時少し前に到着。聖堂で静寂を味わいながらロマネスク建築と彫刻の美しさに浸ろうという魂胆でした。

ところが、車を止めてみると...。


大聖堂は修復工事中だった



大工事ですね。建造物を修復するときに一番お金がかかるのは足場を組むことだ、と言っていたフランス人がいたのを思い出しました。確かに、これは費用がかかりそう。この状態が続くと、その期間の足場のレンタル料がかさむのだとのこと。

この大聖堂の老朽化は問題になっていて、石が崩れ落ちないように応急処置をしている箇所があるのも気になっていたので、修復が始まったのは良かった。でも、はるばる見学に来た私としては、残念...。

外側だけの工事なら問題はありません。私が好きなのは大聖堂の内部なのですから。

でも、中に入ったらギャフン。祭壇の後ろにある聖職者の座席を取り外そうとしているらしくて、ハンマーの音が響き渡っているのでした。教会の中は音響が良いので、工事の音も響き渡るのだ、と気がついた次第!

入れなかったのは祭壇から先で、下の図で右側にある灰色の部分でした。



内陣、その後ろの周歩廊には入れないし、おまけにマグダラのマリアの聖遺物を祭ったクリプト(地下聖堂)にも入れない。

ハンマーの音がうるさいので、いつものように柱にある彫刻を眺めて歩く気にもならない...。

ざっと見学してから外に出ました。午前中からすでに暑さがあったので、大聖堂前にあるカフェのテラスでシャブリを食前酒代わりに飲む。10時を過ぎると、続々と団体が大聖堂前に姿を現しました。

ずいぶん前に、ブルゴーニュ南部でロマネスク教会を案内してもらったドイツ人も団体さんを連れて坂を登ってきました。世の中は狭いですね。彼はロマネスク教会の専門家なので驚くには値しないか...。お仕事中なので、軽くご挨拶。


村全体を整備するプロジェクト?!

村のツーリストオフィスでは、6月15日からクリプトに入れるようになると書いてあったのですが、何事も期限を守らないフランスのことなので、どうなるのかな?...

どんな修復工事をしていたのか調べてみました。

工事は1月に始まっていたらしい。この4月までは内陣部分には足場ができて完全に隠されていたようでした。2月14日から3月1日までは、夜に3Dのアートグラフィック映像で大聖堂の様子を見せていたとのこと。


www.lyonne.fr - Des images inédites dans la basilique de Vézelay


クリプトの壁画を修復して色が出てきたらしいので、それを見るのは楽しみですね。


Vézelay : Les travaux pour devenir Grand Site se poursuivent

このバシリカ式教会堂は、19世紀に多くの歴史的建造物を修復して名を残したヴィオレ=ル=デュク(Eugène Viollet-le-Duc)が行った工事によって救われています。1840年のこと。その後は全く修復がなされていなくて、ようやく修復に着手することになったのだそうです。

喜ばしいことなのだけれど、それを言い出したのはサルコジ前大統領だったそうなので、嫌な予感...。サルコジ氏が大統領だった2010年9月にヴェズレーを訪れて、大聖堂と村を美しくするようにと動いたらしい。でも、文化などには造詣はなくて、お金儲けと派手なことをするのが好きな人なのです。あの美しい聖堂を変に現代風にしたりしないで欲しはないけどな...。

フランスには美しくなっている小さな村はたくさんあるのに、ここは世界的に有名な観光地であるにも関わらず、道路も大聖堂前の広場も味気なさすぎるな、とは私も来るたびに思っていたのです。

工事費の推定は4,500万~6,000万ユーロで、少なくとも10年はかかるだろうというプロジェクトだそうです。周辺住民の中にも、村を清潔にして観光客たちを受け入れるというプロジェクトによってコンクリート化されてしまうのではないか、などと反対もあるらしい。

ヴェズレーは古びた小さな村なのですが、路地を歩いたり、丘の上からの眺めを楽しんだりと、今のままでも魅力があるのですけれどね...。今までにたくさん通っておいて良かった。もっとも、何事も期限は守らないフランスのことなので、10年なんていったら、村の改修工事は永遠に続くか、途中で放棄される可能性が十分ある。

ヴェズレーの村を訪れる観光客と巡礼者は、毎年100万人もいるという有名な観光地。それをもっと増やしたいらしい。そのテコにするのは、ヴェズレー村を「Grand Site(グラン・シット)」に入れるということなのですって。

どんな分野でも全国的な認証マークを作って知名度をあげる、というのがフランスは好きなのですよね。

フランス国内にある景観や自然や文化が優れている地域の政府認定「Grand Site de France」は、2000年に17カ所からスタートして、現在ではフランス国内の41カ所が選ばれているのだそう。そこを訪れる観光客は年間に3,200万人。

ブルゴーニュ地方でグラン・シットになっているのは、 Bibracte au Mont Beuvray(ブーヴレ山のビブラクト)とSolutré(ソリュートレ)だけで、それにヴェズレーも加えたいということらしい。

「グラン・シット」はそれほど有名ではないと思います。観光スポットが色々あるブルゴーニュ地方で何処かを観光しようとしたとき、グラン・シットに入っているからとか、ガリア時代の遺跡を復元しようとしているビブラクトとか、故ミッテラン大統領が崖を毎年登ることで有名になったソリュートレとかを選ぶかな?...

ヴェズレーは世界遺産になっているのですから、それだけで観光客を呼ぶには十分ではないですか?...

でも、ヴェズレー周辺の村々が供給した800万ユーロに加えて必要な工事費は、このグラン・シットの予算から出るらしい。


夏至にできる光の道は見ることができた

この聖堂は、夏至(6月21日)の正午に、祭壇に続く中央の通路に「光の道」ができるように設計されています。

それを初めて見に行ったときの日記:
夏至日にヴェズレーの大聖堂にできる光の道を見る 2013/06/22

去年は夏至の1週間前に行ってみて、光の道を見れました。今年は10日前に行くことになったのですが、道の真ん中ではないにしても、窓から入る光が点々とできるのが見えるだろうと期待していました。

どっちみち、これが建てられた時代にはグリニッジ標準時とかサマータイムとかがなかったので、正午ということになるわけです。今は午後2時が太陽時間の正午になる。

少し中央からはずれていましたが、光の道ができていました♪



2015年6月11日、午後2時に撮影しています。太陽時間では正午にあたりますね。その1時間後くらいにもう1度入ってみたのですが、今度は右にずれていました。

ということは、夏至の10日前なら、午後2時半というのが最適なのかな?... あるいは、夏至でないと真ん中にはできないのか?... 科学的な計算はできないので分かりません。

でも、見れたので満足♪ 太陽が出なかったら、これはできないわけですから。

地元で見学ツアーを提供しているところのサイト(Maison du Visiteur)を見たら、夏至の光の道を見る見学ツアーは6月12日から27日に行われていました。ということは、その時期ならOKということでしょうね。冬至のときに柱頭彫刻に日が当たるのを見るツアーは、12月22日と23日、それから12月28日から1月3日(1月1日は除く)となっていました。冬至のときには行ったことがないのでメモ。


今の時期は、観光客も増えていることに気がつきました。フランスの学校は夏休みの前に学年が終わるので、6月には遠足が多いのです。

カトリック系の学校の生徒たちと思われる団体がたくさんいました。修道僧たちが案内したり、お話しをしたりしていました。





Vézelay - Un rayon de sa lumière



ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路に関する日記

外部リンク:
☆ Wikipedia: サント=マドレーヌ大聖堂 (ヴェズレー)
Vézelay : Où en est le projet de Grand Site ? ニュース 2015/01/03/01
Vézelay : Les travaux pour devenir Grand Site se poursuivent ニュース 2015/01/06
La restauration du chœur et de la crypte de la basilique de Vézelay débutera en septembre ニュース 2014/07/08
Vers la bétonisation de la colline de Vézelay ? 2013/05/22
Basilique de Vézelay
Réseau des Grands Sites de France
☆ Wikipédia: Réseau des Grands Sites de France
☆ Wikipédia: Label Grand Site de France


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2015/04/14
Gy(ジー)という短すぎる名前の村に、ブザンソン大司教の所有となっていて、歴代の大司教が別荘のように使っていた城が残っています。近くを通るので、見学できるかどうかは分からないけれど立ち寄ってみることにしました。

ブザンソンはフランシュ・コンテ地方の行政中心地。そこの大司教の館となればさぞかし立派なのだろうと想像したからです。

シリーズ記事目次 【フランシュ・コンテへの小旅行(2015年4月)】 目次へ
その3



Château de Gy

フランス革命が勃発するまでの700年間、ここはブザンソン大司教の館として使われていました。門に掲げられている大司教の紋章が、それを示しています。



大きな門は閉ざされている。入り口にある案内を見ると、復活祭が過ぎるとオープンしているけれど、夏になるまでは週末と祭日だけ見学できる、と書いてあります。

やっぱりね、と思って、写真だけとって帰ろうとしました。すると、そこにいた男性が、「1人5ユーロ払えば見学できますよ。写真も好きなだけとれます」などとおっしゃる。

有名な観光スポットではないし、観光シーズンが始まったばかりなので、見学客が来たのが嬉しかったのだろうか? のっけから見学料のことを言うのは変だと思いましたが、迷うことなく見学させていただくことにしました。


シャトー・ド・ジーの見学

中庭に入ると、立派な建物。見学できるのはラッキー、と嬉しくなりました。



城はソーヌ川を見下ろす小高い丘の上にあります。現在残る建物は、15世紀から18世紀の建築。そこにあった2つの古城を壊して建てたようです。中央のフラマン様式の立派な8角形の塔は16世紀の建築。

18世紀半ばにブザンソン大司教となったシュワズール枢機卿(Antoine-Clériade de Choiseul-Beaupré)が豪華な館に改修しました。

Antoine-Clériade de Choiseul-Beaupré  

門に掲げられていた紋章は、この人の紋章でしょうね。運が良い人だったのかもしれない。フランス革命が勃発するわずか数年前に他界していました。

城の中は、その時代を再現しているようです。寝室、立派なダイニングルームなど...。

城はフランス革命のときに没収されて売りにでました。19世紀半ばに学校として使われるようになり、1974年まで中学校として使われていたのだそう。

見学できると言った男性が、この城のオーナーなのか、城の管理人なのか分からなかったのですが、話しているうちに後者だと分かりました。

城の中はどこでも見学して良いのだそう。オーナーはここを夏の別荘に使っているというわけではないようです。個人が所有している建物では、その一部、極端なところになると庭しか歩けないということもあるので、あちこち見学できるのは嬉しい。

管理人さんは「ガイドはしない」と言って出ていきました。案内されずに自由に歩き回るのも良いものです。



どのくらい忠実に18世紀を再現したのか分かりませんが、ここは大司教の寝室でしょうね。放置されていた時代も長かったでしょうが、みごとに修復されています。

現在のオーナーはディジョン市にある大きな館を所有しているお金持ちだそうですが、この城をいつ入手して修復を始めたのか、聞くのを忘れていました。



コレクションの量がすごい。これだけ買い集めてしまうと、それを入れる城も買う必要があるでしょうね...。



コレクションを眺めているうちに、ここは大司教が別荘のように使っていた館だということを忘れてしまっていたのですが、このダイニングルームに続く小さな部屋には、聖職者に関するコレクションが陳列されていました。

たくさんの衣装のうち、私が気に入ったのは、下の写真の中央に写っている濃い緑色のマント。... と言ってみても、プレゼントしてもらえるわけではないのですが!



珍しいものがあったのでメモ。下の写真で赤い矢印をつけた道具です。



ミサの聖体拝受に使うホスチア(聖体)を焼く道具だそうです。暖炉にくべてゴーフルを焼く昔の道具に似ていると思いましたが。鋏のようになっている2枚の鉄に挟んで焼くというシステム。ただし、ゴーフルのような模様ではなくて、何か宗教的な柄が彫り込まれているようです。ガラス戸越しなので、よく見えなかったのが残念。

インターネットで探してみたら、これと同じようなホステアの道具が出てきました。カルメル会のリジューのテレーズの時代のものだそうです。

http://www.archives-carmel-lisieux.fr/carmel/index.php/au-carmel/le-style-de-vie/le-travail/le-pain-d-autel
Le pain d'autel

なかなか美しい模様ですね。それにしても、こんな道具で1つ1つ(2つずつでしょうが)ホステアを作っていたら、かなり時間がかかったでしょうね...。


見学の最後は、地下のセラー。これは完全に城のオーナーの趣味のコレクションだろうと思います。おびただしいほど色々なものが陳列されていました。






大きなブドウ圧縮機が幾つも入っていました。個人でこんなのをコレクションしてしまうのですか...。

下は、アルザス式のブドウ圧縮器なのだそう。




見学を終えてから、庭に出て城の周りを歩いてみました。昔はもっと広い土地があったのだろうと思います。庭園も美しかったのでしょうが、ほとんど放置状態。



管理人さんは、セラーに入る前に私たちが中庭に出たとき、奥さんを迎えにいかなければならないのだと声をかけてきました。追い出されてしまうかと思ったら、城を出るときはしっかり門の扉を閉めておいてくださいと言って、本当に出かけてしまっていた。

こんなに盗めるものがたくさんあるのに、初めて来た観光客だけ残して外出してしまうなんて、危険ではないですか?! しばしおしゃべりもした私たちを信じてくれたのでしょうけれど、泥棒とか詐欺師とかは人が好さそうに見える人である場合も多いのですけどね...。

管理人さんは南仏訛りがある話し方だったし、途中で顔を出した娘さんが使っていた単語から、マルセイユの人だと推測しました。南仏からやって来てフランシュ・コンテ地方に住み着いたのは、なんだか不思議...。

いかにも南仏の人らしく、庭園の芝刈りも適当にやっているらしい。草は生やしておいた方が地面の水分が蒸発しなくて良いなどと言って、見学客が歩ける道だけ芝刈り機をかけるのだそう。

こんな城の管理人の仕事って良いですね。城の管理人というと、普通は入り口のあたりにある小さな家に住むのに、ここではコの字形になっている城の1つの辺の部分らしく、かなり大きな家として使っているようでした。管理人さんは高齢なので近々引退するけれど、ここの仕事は娘さんが引き継ぐのですって。そうでしょうね。こんな良い仕事を逃すのはもったいないですよん。


◆ 見学を終えて

見学を始める前に、私たちは管理人さんに良いレストランを教えて欲しいと聞いていました。城がある村の中には2軒あり、美味しい料理を出すので、村の中で食事したら良いと勧められました。

人口1,000人くらいの村なのに、レストランが2つもあるなんて信じられない。でも、丘の上の城から降りて、集落がありそうな場所に行くと、びっくりするくらい立派な役場がありました。

村の役場は「Mairie」と書いてあるのが普通なのですが、ここは「Hôtel de ville」と壁に書かれていました。確かに、村(village)ではなくて「町(Ville)」と呼ばないと不釣り合いな建物ではあります。



日本の農村でやたらに立派な役場の建物を見ると、原発の補助金がたくさん入るところなのだろうなと想像するのですがここはそんなはずはない。

気になったので調べてみたら、この役場が建築された19世紀半ば。当時は人口が今の3倍で、3,000人くらいいたのだそう。ネオ・クラシックの建物は美しいとは思わなかったのですが、設計したのは地元では名を残した建築家Alphonse Delacroixでした。

管理人さんが推薦してくれた方のレストランで食事をしました。安いのに美味しい料理を堪能できたので満足。その話しも後で書こうと思います。

シリーズ記事: フランシュ・コンテ地方への小旅行 2015年4月  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
キリスト教にとってのパンとワイン 2013/09/30
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱、建築技術

外部リンク:
Site classé : château de Gy
Château de Gy
☆ Wikipédia: Liste des évêques et archevêques de Besançon
Je fabrique mes hosties
Patrimoine local - Site officiel de la Ville de GY (70700)


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2015/04/10
オーブ川の水源と書かれた標識が見えたので、立ち寄ってみることにしました。

オーブ川(Aube)は県の名前にはなったはいますが、それほど知られている川ではないと思います。でも、有名なセーヌ河に流れ込む4つの大きな川の1つなのだそう。全長250Km弱。

水源の石碑が立っているので、ここから水が湧き出て川になっているようです。

シリーズ記事目次 【フランシュ・コンテへの小旅行(2015年4月)】 目次へ
その2



Source de l'Aube

こういう水源はあちこちにあるのですが、ここは驚くほど良く整備されていました。

散歩道ができていて、水源の近くには橋やピクニック用テーブルが幾つも設置されています。道はアスファルトなどにはしていないし、設置されているのは全て木でできています。



そのくらいの整備なら、フランスのあちこちにあるのですが、ここある小屋が美しい空間を作っていました。



炭を焼く仕事をしいた人が住んでいた小屋を復元したのだそう。

中を覗いてみたら、びっくり。

小屋の丸い壁にそって、ベンチとして使える棚があり、その中央に囲炉裏ができているのでした。大きな囲炉裏にちょうど良い大きさのバーベキュー用の丸い網まで置いてあります。



黒板には「ご自由にお使いください」とのメッセージ。ただし、森に転がっている古木を拾っては燃さないで、置いてある薪を使うようにとのこと。見ると、本当に薪がおいてある!

小屋の近くには、バイオトイレの小屋までできていました。

ここまで徹底して親切なピクニックスペースはめったにありません。

説明パネルを見ると、この小屋はボランティアの若者25人が作ったのだそうです。



昔に炭焼きの仕事をする人たちは、あちこち移動して、こんな質素な小屋に住むという過酷な生活をしていたのだそう。19世紀の小説に、この地方の炭焼き職人の生活が紹介されていると書いてあります。調べてみたら、オンラインで読めてしまいますね:
☆ Open Library: Raymonde: Le Don Juan de Vireloup by André Theuriet

ベンチや橋の材木が真新しいので、今年の観光シーズンに間に合わせて作ったのではないかと思いました。周りにはハイキングコースもできています。このあたりを国立の自然公園にしようという計画があるので、そのプロジェクトの中で整備されたのかもしれません。

ここは、店があるようなところまで何十キロあるかという辺鄙なところです。観光客に来てもらったって、地域には1銭も落ちない。それでも、こういう観光開発をするのはフランス的だと思います。日本の農村開発だと、商売っ気がでますから...。

水源なので、川の水は透き通っていて美しい。ピクニックするには最高の場所ですね。フランス人はピクニックをするときには水場の近くが好きなのです。こんな辺鄙なところには殆ど人は来ないでしょうから、静かな森でピクニックをするなんて良いな...。10人とか20人とかのグループでハイキングを楽しんだあとにバーベキューをするのなんかは、もっと楽しそう。

でも、またしてもマーフィーの法則を感じました。

ピクニックをしようとして場所を探していると、こういうところには出会わないのに、必要がないときには行き当たるのですよね。車のトランクには食前酒とおつまみも入れていたのだけれど、まだ午前9時頃だったので1杯やる気にもならない...。美味しいコーヒーを魔法瓶に入れて持ってくるべきだった!

でも、せっかく来たので、川のほとりを少し散歩して、良い空気を吸いました。

シリーズ記事: フランシュ・コンテ地方への小旅行 2015年4月  目次



ブログ内リンク:
山間にある2つの水源を見学 2011/10/04
フランスで買える軟水を探してみる 2012/08/16
ムフタール通りに残る古い壁画や看板 2011/11/12
2棟になった共同洗濯場 2009/09/09

外部リンク:
LA SOURCE DE L'AUBE - N° 31


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2014/09/11
前回の日記「村人たちが使っていた共同パン焼きかまど」に写真を入れたパン焼き窯があった道路の向い側には、こんな井戸もありました。

屋根がやたらに立派なのが気になりました。



パン焼き窯の方はいつ建てられたのか分からないそうですが、井戸の建設は刻まれている文字から1897年とみられているとのこと。

ここは丘陵地帯にブドウ畑が広がるボージョレーの丘の上。こんな標高が高いところに水源があるとは驚きます。

でも、井戸は非常に深く掘っていたのでした。32メートルの深さがあるとのこと。さすがに綱を引いて水を汲み上げるのは大変なので、滑車がついていますね。

今でも水は絶えていないのだそう。石を投げ込むと、しばらくしてから水面に達した音がするのですが、覗き込んだくらいでは水が見えません。iPhoneのアプリでライトを照らしてみましたが、そんな弱い光では全く役にたたない!

それで、カメラのフラッシュをたいて写真を撮ってみました。



底の手前の方にカメラのフラッシュが白く写っていますね。


それにしても、こんなところにパン焼き窯と井戸があり、昔の村人たちが使っていたというのは不思議。この人口千人くらいの村では家屋は丘の下に集中していて、丘の上には数軒の家が点々とあるだけなのです。そんなところに施設があるのは贅沢すぎる。

でも、機械化していなかった昔の農業ではたくさんの人たちが働いていたでしょうから、ここはちゃんとした集落になっていたのかもしれない。あるいは、ここには大きな農家があって、その庭にパン焼き窯と井戸があったのかもしれない。

もちろん、パン焼き窯を村の郷土資産として修復しているくらいですから、歴史を調べてはいるものの、はっきりしたことは分かっていないようです。

 シリーズ記事: ボージョレー旅行 2014年秋


ブログ内の関連記事:
★ 目次: 昔の共同洗濯場と洗濯機、井戸


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2014/09/10
前回の日記「ボージョレーにワインの買い付けに行く」に書いたワイン農家に行くと、いつも気になる建物がありました。農家の敷地の横、道路沿いにある小さな建築物です。

それが今回行ったら、入口にあったドアがなくなっていて、中が覗き込めるようになっている♪  放置されているような建物だったのですが、最近になってボランティアの人たちが修復を始めたのだそうです。

 

紋章を掲げている入口が美しいので何の建物なのか気になっていました。1813年という年号が紋章に刻まれているのですが、この石は何処かから持ってきてはめ込んだだけらしいとのことでした。

中を覗き込むと、こんな風になっていました。



はあ、パンを焼くための建物だったのですか...。

ワイン農家のご主人は「ボランティアの仕事ってね...」と笑ってました。修復を始めたのは良いけれど、ちっともはかどらないのだそう。それはそうでしょう。畑仕事をしている農家の人たちから見たら、まだるっこしくなるくらい力仕事はできないでしょうから!

途中で挨拶に来た息子さんも、「ボランティアって...」と同じ言葉を発する。

ボランティアは色々な国籍の若者たちだったようです。修復のために必要な石を運んでくると言うのでトラクターを出してあげたら、持ち帰る石のうち大きなものは全て農家の親子に動かさせて、自分たちは小さな石だけを扱っていたのだそう。それでは、参った、参ったになっても仕方ないですね...。


フール・ア・パン

フランスの昔にあったパンを焼くための窯は「four à pain」と呼びます。パンを焼くかまど。

これを持っている民家にもあるのですが、旅行していて目につくのは、村人たちが共同で使っていたカマドです。

面白い呼び名としては「four banal 」があります。封建時代、領主が支配している土地の人々がパンを焼くために設置したパン焼き小屋をこう呼びます。それを使う料金を税金のように領主に収めさせる、というシステム。

「four」はオーブンのこと。「banal」は、「平凡な、何の変哲もない」という意味で普通に使われる単語なのですが、特殊な意味として、「(領主の)罰令権、使用強制権の及ぶ」という意味もある形容詞なのです。

※ (droit de) banalité: (領主による)使用強制権。領主所有の粉ひき用水車、パン焼きかまどなどの使用を領民に強制し、使用料をおさめさせる権利 。

フランス革命の後には、共同パン焼きかまどの使用料を払う必要はなくなっています。その後にできたものは「four banal 」ではないわけですね。住民たちが共同で使っていたという意味で「four communal」と呼べば問題ないのでしょう。

どこの村でも昔はあったはずの共同で使うパン焼き窯と洗濯場の建物が好きです。使う必要がなくなってから取り壊されたケースも多いですが、文化財として美しく修復・保存されているものが残っています。

昔の生活をほうふつとさせてくれるのが好き。

パンを焼いて冷めかけてきたかまどは、コトコトと煮る料理に適していたのだそう。共同洗濯場に洗濯物を持って行くときに、煮物料理を入れた鍋も持っていってパン焼き窯に入れ、洗濯が終わると鍋を取り出して家に持ち帰ったという話しも聞きました。


パン焼き小屋の形

ボージョレー地域で見た小屋は、中を見ることができたのでパン焼き窯だったと分かったのですが、ただの四角い建物なのが気になりました。共同洗濯場かと思ってしまう建物の形だと思っていたからです。

私にとって、パン焼き窯の小屋は、すぐにそうだとわかる形をしているイメージがありました。

例えば、こんな形。

 
ブルゴーニュ地方Blanot 村

パンを焼くオーブンの部分が、こんな風にドーム型になっています。煙突もついているので、すぐにパン焼き窯だとわかるわけです。 この写真では、左手のところから人が入ってカマドを使うわけです。カマドの入口の上に煙突がついていますね。


もう1つ写真を入れます。そっくりでしょう?

 
ブルゴーニュ地方Fixin村

パン焼き窯の建物がなぜか好きなので、見かけると写真を撮っています。

写真アルバムを眺めていたら、ボージョレーで見たのと同じような四角い建物もありました。

 
ブルゴーニュ地方Saint-Maurice-de-Satonnay村

かまどの形が見えない四角い建物は珍しいと思って撮影していたのを思い出しました。色々見ても、すぐに忘れてしまう私...。

かまどの部分は丸くして作るとしても、その上に屋根をのせてしまえば四角い建物にもなるわけなのですね。


伝統的なパンを焼く方法

昔の大きなパン焼き窯は私が住んでいる家にも残っているので、たまに昔ながらのやり方でパンを焼くことがあります。

パンを1つだけ焼くにしては大きすぎるカマドなので、暖めるだけでも大変です。たまに使うからと、いっぺんに火を燃すと石が破損してしまうので、何日も前から少しずつ暖めていく必要があります。

個人の家にあるものはめったに使われませんが、村に共同パン焼き窯があるところでは、有志の人たちが協力してパンを焼くイベントをすることがあります。

この形のかまどというと、ピザを焼く装置に似ているというとイメージがわくかもしれません。どんな風にパンを焼くのか見たことがない方のために動画を入れておきます。


Ces passionnés du bon vieux four a pain

頻繁に窯を使っていない場合は、数日前から少しずつ窯を暖めるために火を入れて準備します。いきなり強い温度にしてしまったら窯の石が割れてしまいますので。

現代の装置からしたら、かなり大変な作業ですが、石の窯で薪を燃して焼くパンは味が全く違います。現代のフランスのパン屋さんでも、薪で燃した窯でパンを焼いているというのは、そう珍しくはありません。

この動画を見始めて、民家にあるパン焼き窯なのだろうと思いながら見ていたら、パンをこねる本格的な電動器具が出てきたので、本職のパン屋さんなのかな、という気もしました。

Pétrin Gravure de Victor 昔のパン作りにこだわるなら、パン生地を手でこねる木製のpétrin(こね桶)を使って欲しかった...。

人力でパンをこねるのは力がいるので大変な作業なのではありますが。

昔にパンをこねるために使われていたpétrinは、今ではアンティーク家具として再利用されていることが多いので、よく見かけます。
オーク材のpétrinを画像検索

ちゃんと手でこねているパン作りの動画もあったので入れます。


PAIN de Campagne sur COMIAC

米を釜で炊くのと違って、パンを焼くのは大変ですね。それが主食なので、パン屋が登場するまでのフランスでは日常の仕事としてやっていたのだ...。

昔は、フランス人たちも働きものだったのですよね。50代の友人は、子どものころ、母親は朝食の片づけが終わると、もう昼食の準備を始めていたと話していました。


◆ フランスパンは薪で焼くのが一番!

日本人から、フランスでは毎日パンを家で焼くのと聞かれることがあります。

「昔の農家では、日曜日に1週間分のパンを焼いていたけれど、今ではやりませんよ」と答えていたのですが、最近のフランスでもパン焼き器が登場して、自宅でパンを焼く人もでてきました。

でも、はっきり言って美味しくないです。
もっとはっきり言えば、不味いと思う。

日本で、そういう電気器具で作ったイギリスパンを食べたときは、下手なパン屋のより美味しいと思ったのですけど。

フランスで売っているホームベーカリーの性能が悪いからかもしれませんが、こういう装置はフランスパンを焼くのには無理があるのではないかという気もします。フランスパンは表面がカリカリに固く焼きあがっているのが美味しいのですから。

フランスパンの出来は小麦粉の質にもよりますが、やはり薪で燃すオーブンで焼いたものが美味しいのは明らかだと思います。

パン屋の製造技術が近代化したのは1970年代だったそうです。それまでは、伝統的な窯で焼いていたのでしょうね。

でも、現在のフランスでも、薪を燃すオーブンを使っているパン屋は、そう珍しくはありません。 パン屋の店先には、薪で焼いていると強調して宣伝してあります。


下に入れる動画は、無農薬で小麦を栽培し、それをパンにしている農家兼パン屋さんのようです。これが最近はやり。「Paysan-Boulanger(百姓・パン屋)」という名称までできています。


Nicolas Supiot : Meilleur artisan du pain au monde


薪でパンを焼くオーブンは危険...

薪で燃す本格的な窯で焼いたパンが美味しいと書いたのですが、少し前、パン屋に就職した知り合いの女の子が大やけどをしたと聞いてショックを受けていました。

彼女は店でパンの販売をする仕事のほかに、毎朝5時に出勤してオーブンに火を入れる役割を持っていたのですが、その日、パン焼き窯の扉を開けたら炎が噴きだしてきたのでした。

薪を燃す方式の窯なのだそうで、何かの加減でそういう事故がおこるらしい。 確かに、電気のオーブンとは違って危険があるのですね。

顔から上半身にかけての大やけど。フランスには重傷の火傷専門の病院が2つあるそうで、彼女はその一つの病院に入りました。 焼けなかった部分の皮膚をとって移植をしたとか、聞いているだけでも鳥肌がたつお話しでした。

フランスは労働者の保護が徹底していると思っていたのに、彼女が勤めていた大手パン屋はいい加減にやっていたらしい。窯の火入れのような危険な作業をする場合には2人ですさせなければいけないという決まりがあるのに、彼女は一人でさせられていた。さらに、火傷をした場合のためにシャワーの設置が義務付けられているのに、それもなかった。

やけどをした彼女が社長の自宅に電話すると、「人を差し向けるから」と言われたのに、しばらくしても誰も来ない。それで彼女は自分で救急車を呼んだそうです。洗面所で水を体にかけたり、皮膚にこびりついた衣服をはがして脱いだりしながら助けを待ったのだそう。

酷い話し。法律違反をしていた経営者を告発すべきなのだけれど、本人は解雇されることを心配して、何もしないで欲しいとお父さんに言ったのだそうです。その前にも一度やけどはしていて、そのときも文句は言わずに仕事を続けていたとのこと。

小さなときには近所に住んでいたので、よく一緒に遊んでいました。少しぽっちゃりして可愛くて、気立てもよく、頭も良い。彼女の家では母親は働かず、父親の安月給だけで一家4人が暮らす貧しい家庭だったので、こんな女の子だったら、しっかり教育を受けさせたら良い仕事ができるようになるのに... と思ったりしていたのです。

彼女の両親は離婚して、母親に連れられて家を出てからは会っていませんでした。久しぶりに聞いた彼女の消息が大やけどの話し...。

20歳になったばかりで顔が大やけどの痕になってしまうなんて、あまりにもかわいそう。でも、幸いにも、彼女の伴侶はしっかりと面倒を見ているそうです。あんなに気立てが良い子なのだもの。良い男の子に好かれていて当然だと思う。

 シリーズ記事: ボージョレー旅行 2014年秋




ブログ内リンク:
★ 目次: パン、パン屋、昔のパン焼き窯など
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱、建築技術
★ 目次: 昔の共同洗濯場と洗濯機

外部リンク:
☆ Wikipédia: Four à pain
Nos ancêtres et le four banal à pain du seigneur
☆ Wikipédia: Banalité (droit seigneurial)
DES FOURS ET DU PAIN
Auvergne d'autrefois: Le pain et le four
S'installer Paysan Boulanger - Agriculture paysanne
Histoire de la boulangerie


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2014/09/06
ブルゴーニュ地方の行政中心地ディジョンの町(Dijon)は、 百の鐘楼がある町(Ville aux cent clochers)と呼ばれていました。それだけ町の中には教会がたくさんあって、鐘楼がそそり立っている町の風景だったということなのでしょう。

現在のディジョンの町には、宗教的な役割を果たす必要がないために使われている教会の建物もありますが(劇場、図書館など)、鐘楼が百もあるほどには教会は残ってはいません。

跡形もなく消えてしまった教会の1つに、サント・シャペル(Sainte-Chapelle de Dijon)があります。その姿を復元した3D映像が見れると聞いて、特別展が行われているディジョン美術館に行ってみました。

サント・シャペル(パリ) Wikipediaサント・シャペルと聞くと、パリにあるステンドグラスが美しい教会Sainte-Chapelle du Palaisを思い浮かべてしまいます。

美しいチャペルでのピアノリサイタル (サント・シャペル) 2011/11/02


でも、「サント・シャペル(聖なる礼拝堂)」という名前がついた教会はフランス各地にあり、ディジョン市にも昔はあったのでした...。

ディジョンのサント・シャペルは、パリのサント・シャペルよりも70年も前に建設が始まった教会。

でも、貴族と聖職者が社会を牛耳っているのをブルジョワが覆したフランス革命期に、ここも権力の象徴として破壊の対象となりました。

今日のフランスが観光国として経済的な効果を期待していることを思うと、フランス革命があったことは大きな痛手だったと思ってしまう...。歴史的建造物を破壊する革命がなかったイタリアでは、見事に歴史的建造物が残っています!


ブルゴーニュ公国の宮殿とサント・シャペル

現在ではディジョン市役所と美術館として使われているブルゴーニュ公国時代の宮殿は、今はこんな風になっています。

Palais duc de Bourgogne
Palais des ducs de Bourgogne

左右対称で美しいのですが、その右手の方に、教会の尖頭がそびえるサント・シャペルがあったのでした。

1688年


1780年


ブルゴーニュ公国時代の宮殿前の広場は、中央にあったルイ14世の騎馬像もなくなっています。

この広場は、私が初めてディジョンに行ったときには駐車場だったのですが、今では石を敷き詰めた広場になり、そこを通る大通りも歩行者天国になって美しくなりました。

でも、サント・シャペルの教会も残っていた方が美しかったでしょうね...。

「シャペル(チャペルのこと)」と呼ばれても、ディジョンのサント・シャペルはかなり大きな教会だったようです。

ブルゴーニュ公国の隆盛期には、サント・シャペルは重要な役割を果たしていたようです。

ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公が作った金羊毛騎士団(Ordre de la Toison d'or)の本部も、シャルル突進公の死までは、このサント・シャペルにあったのだそう。



Sainte Hostie1434年、ローマ教皇のエウゲニウス4世が善良公(Philippe le Bon: 1396~1467年)に贈ったhostie miraculeuse(奇跡のホスチア)は、このサント・シャペルに収められたとのこと。

ブルゴーニュ公がバーゼル公会議に関して教皇に示した支援へのご褒美。

数々の奇跡をおこしたと言われるホスチアは、Sainte Hostieとも呼ばれていました。

Egerton hours - Sainte hostie de Dijon - BL Eg1070 f110.jpg
La Sainte hostie de Dijon dans le livre d'Heures Egerton, vers 1440, attribué à Barthélémy d'Eyck

キリストが描かれたホスチアに、ナイフで刺した傷があり、そこから血が出ているというもの。何か謂われがあるのでしょうが、キリスト教文化について知ろうとすると奥が深すぎるので、この奇跡のホスチアが何なのかを探すのは放棄...。


ディジョンのサント・シャペルを紹介する動画がありました:


Dailymotion: Sainte-Chapelle de Dijon


ミュージアムに行って映像だけ見るのは...

最近の展示は映像で見せるものが多くなりました。ディジョンのサント・シャペルの建物は何も残っていないのだから、映像で見せるしかないわけですけど...。でも、わざわざ出かけなくても、テレビかで簡単に見られるものではないですか?

3D画像で復元したサント・シャペルの内部の様子を見たのはも良かったのではあります。大きなスクリーンに映し出されるのは圧巻でした。でも、それが現実にどのくらいマッチしているのかはわからない。それに、想像で作った画像を眺めていてもつまらない。

その他には、パソコンのような装置で昔の写真と解説があったので見ました。クリックしながら解説を見るのはゲーム感覚で楽しい?...

極端に映像だけしかない美術館に行ったときの記憶が新しいので、映像しかない展示を見るのもな... と思ってしまったわけなのでした:
印象派の時代を体感するマルチメディア・ミュージアム 2013/10/25

でも、ディジョン美術館の場合は、特別展も常設展と同様に入場無料だったので文句はありません。でも、サント・シャペルにあったものは少しは現存しているらしいので、そういう実物も展示して欲しかった...。

 シリーズ記事: ディジョンの観光


ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの古都ディジョンの観光スポットや特産品など
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: ブルゴーニュの歴史

外部リンク:
☆ Wikipédia: Sainte-Chapelle de Dijon
LA SAINTE-CHAPELLE DE DIJON ET LES RÉSIDENCES DES DUCS DE BOURGOGNE Musée des beaux-arts dijon
Exposition "La Sainte-Chapelle de Dijon et les résidences des ducs de Bourgogne
La Sainte Chapelle de Dijon en 3D On dit médiéval, pas moyenâgeux !
☆ Wikipédia:
Saintes chapelles
☆ Wikipédia:
Ville aux cent clochers


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2014/04/26
トロワ市に行く途中、目的地から10キロのところで道路に出ている観光スポットの看板が目につきました。

Eglise aux trois sanctuaires

3つの内陣がある教会。ミサを行う祭壇がある部分が「sanctuaire(内陣)」なのですが、それが3つあるという意味? どんな教会なのか、気になるではないですか?

フランスは観光国なので、ガイドブックなしにドライブしていても、立ち寄ってみたくなる観光標識があちこちに立てられています。観光スポットが目白押しの地方では選ばれた本当の観光スポットの表示なのですが、そういうものが余りないところでは、わざわざ寄り道したら損というのも多いのです。

ここシャンパーニュ地方は、それほど目立つ歴史的建造物がない地方です。それで、これも大したことがないのにPRしているのだろうと思いました。

でも急いでいたわけではないので、行ってみることにしました。

Isle-Aumont(イル・オーモン村)です。シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏のオーブ県の県庁所在地トロワ市(Troyes)からは10キロという距離なのですが、田舎の真っただ中です。


3つの内陣がある教会?

2棟になった教会は珍しい姿でした。


Eglise aux trois sanctuaires dédiée à Saint Pierre, Isle-Aumont

でも、やはり教会には鍵がかかっていて、中には入れません。仕方ないので、教会の周りをぐるっと歩いてみました。

別にどうという風にも見えない。やはり誇大広告ではないかと思いました。看板も手作りのように粗末なものだったし...。でも、1カ所、鉄格子を付けた小さな窓があって、そこから覗き込んでみると、昔の石棺が並んでいて、なんだか見学する価値があるように見える...。

教会の敷地に入る門のところには、見学したい人は役場から2軒目の家のブザーを鳴らして来てくださいというような張り紙が出ていました。でも、お邪魔してはね... と遠慮。

教会の前の道路の向こうには、このあたりの観光地図が出ていました。そこに、この絵がある。



どうやら、この小高い丘(butte)の上にはシャンパーニュ公の城があって、そこにあった修道院の教会らしいのです。としたら、価値ある教会なのでは?...

再び「教会を観光したい方は...」という張り紙を見ると、「どうぞご遠慮なく」と始まっていて、電話番号まで書いてあって、最後は「メルシー(ありがとう)」と結ばれています。教会の鍵を預かっている人は、見学者が来るのを歓待しているように見えます。こういう張り紙がある教会も時々あるのですが、ただ鍵は誰それが預かっています程度しか書いてありませんから。

でも、信者でもないのだから鍵をあずかっている人のお邪魔をするのを遠慮しようと思ったところ、すぐそこに役場の建物が見えました。それなら、そこから2軒のお家に行ってみて、お邪魔そうだったら見学するのはやめようということにしました。

かなり高齢の女性が出てきて、鍵を開けてくださるとおっしゃてくださいました。


教会を案内していただく

教会まで歩いて行く道で、「ご説明しましょうか?」と聞いてきました。もちろん、お願いします♪ そう答えたのだけれど、ここまで見事な説明をしてくださるとは全く予期していませんでした。教会の鍵を預かっているのは、その教会の敬虔な信者のお婆さんというのが普通ですから。

この丘には、すでに9世紀からヴァイキングたちが城塞が築かれていた。カロリング朝の時代、10世紀に、この丘にあった石棺を使って教会が築かれた。11世紀に、シャンパーニュ伯が城を築く。現在残っているのは、城の一部と教会のみ。

その城の残りを使った建物が教会の隣にあって、その家の息子さんが考古学者、。そこで、ここを徹底的に調査・修復して今日の姿がとどめられているとのこと。Jean Scapula(1943~1961年)という人で、教会の見学ガイドもその人がしていて、この日案内してくださったマダムは彼から教会の歴史を学び、ガイドの後継者となったとのこと。

教会の入り口で説明してくださいました。先ほど見たときには全く気づかなかった彫刻を示してくれました


Le mauvais escargot

右の赤い矢印を入れたところに、キャベツを貪り食っているエスカルゴ。左の黄色い矢印のところに、エスカルゴの殻があります。エスカルゴはブルゴーニュが本場なので、ブルゴーニュではエスカルゴの彫刻を時々見るのですが、ここもブルゴーニュの影響があったのでした。シャンパーニュとブルゴーニュはお隣同士なので、交流があったのは不思議ではありません。

貪欲なエスカルゴと、死んで殻になってしまったエスカルゴの対立。生と死、死と再生、に見えるとのこと。なるほど...。

こんな見落とすものを示してもらえるのが、ガイドさんがいるときの喜びです。


◆ 驚くほどリアルな聖像

教会の中に入ると、先ほど小さな窓から垣間見た石棺が並んでいます。考古学者は、この丘に千も墓所(うち600はメロヴィング朝の石棺)を発掘したのだそうです。その幾つかが教会の中に置かれていたのでした。



入り口を入ったところにある聖像が素晴らしすぎる...。非常にリアルなのです。


Le Christ de pitié
Isle-Aumont, Église paroissiale, Statue Christ de Pitié

十字架にかけられる前のキリストの姿。写真ではよく見えませんが、あばら骨や静脈が浮き出ているところなど、非常にリアルに彫られています。

このポーズは、友人の父親が住んでいた家の屋根裏部屋にあったのが何の姿なのかで調べたりしたことがありました。

そのときの日記:
屋根裏部屋にあった古めかしい彫刻の解読を試みる 2013/06/12


美しい聖母子像

私の目が釘付けになったのは、その左手にあった聖母子像。こちらも同じく、16世紀の石灰岩の彫刻でした。



高さ150センチの聖像です。
左手に座っているのは、この像を寄進した人なのだそう。

衣服の柄は非常に繊細。そこかしこに意味のある人物なども彫りこまれているので、説明を聞きながらしげしげと眺めました。ブログでは大きな写真は入れないことにしているのですが、これは入れましょうね。


Isle-Aumont, Église paroissiale, Statue  Vierge à l'Enfant

抱かれたキリストの首にかかっている十字架が正しい位置になっていない理由は分からないのだそうです。

この日、ちゃんとしたカメラを持って行かなかったのが残念...。このほかにも、素晴らしい聖像の数々があったのですが、どれも耐える画像にはなっていません。また行かないと...。


◆ なぜ3つの内陣がある教会なのか?

さて、なぜ内陣が3つもあるのかは単純でした。

昔からある教会は、たいてい古いものの上に重ねて増築していくのですが、ここは2棟の身廊があり、内陣が2つ残されていたのでした。さらにカロリング朝の祭壇もあった教会なので、3つの祭壇がある、というわけなのでした。



カロリング朝の祭壇(10世紀)
これはクリプトとして残っていなかったので、考古学者が見つけ出した祭壇の石で再現されたもの
ベネディクト会の内陣(12世紀末)
赤い矢印のところに帆立貝の彫刻があり、ここがサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路にあったことがわかります
16世紀の内陣

案内していただいた方と別れてから疑問がわきました。昔にあった内陣が地下のクリプトとなっている教会もあるではないですか? そこに祭壇が置かれていることもあります。そういう教会なら「内陣が2つある教会」と言わそうなものなのに、聞いたことがないような気がするのです...。イル・オーモン村の教会の場合は、地上に残った内陣が2つ、さらにクリプトも復元したということに特徴を出すために「3つの内陣がある」という呼び方を作ったのかな?...

現在ミサに使われているのは③の新しい内陣部分だそうです。



こちらの内陣は普通のよくある教会に見えるのですが、信徒席の部分には素晴らしい数々の聖像がありました。

教会を見学しようとしたときにドアが閉ざされていると不愉快に思うのですが、ここは宝物だらけなので、盗難にあわないようにしっかり鍵をかけておいて欲しいと思いました。
 
教会に置いてあるもの1つ1つ説明してくださって、教会の外まで案内してくださいました。こういう名も知られていないところで傑作を見出すのは感激です。どんな見学かは、最後に入れる動画のリンクをご覧ください(始めにコマーシャルが長々出てきますが)。

案内してくださった方にどのくらいの人が訪れるか聞いてみたら、1日に数人来ることもあるし、1週間誰も来ないこともあるとの返事。2人で交代してガイドをしているようでしたが、そのくらいの訪問客ならボランティア・ガイドを楽しんでやれるでしょうね。この教会が有名にならないように祈ります!


ところで、ここにあった彫像はトロア派の作品で、実に繊細な彫刻をするのが特徴なのだそう。もっと知りたくなりました。思い出せば、素晴らしい彫像がたくさんあるので驚いたシャウルス町の教会は、ここからさほど遠くないところにあったのでした。

そのときのことを書いた日記:
彫像の宝庫だったシャウルスの教会 2011/08/21

フランスの教会は、イタリアとは違って、めぼしい芸術作品は博物館に保存されてしまうのですが、シャンパーニュ地方は違うのかな?... 最近はめっきり遠くに行く長期旅行はしなくなっているので、近場としてシャンパーニュ地方の教会めぐりをしようかと思いました。


教会の用語はややっこしい

3つのSanctuaireがある教会と書いてあるのを見たときには、このSanctuaireという言葉の意味がピンとはきませんでした。教会関係では余り使わないように思うのですが、どうなのだろう?...

Sanctuaireと聞くと、私はすぐにサンクチュアリを思い、続いて神社に使うSanctuaireを連想して奇妙な気がしました。でも、ミサを行う祭壇があるために聖なる場所、という意味なのでした。日本語にすると「内陣」で良いのだと思うのですが、それを言うのならChœurの方が聞きなれています。

おさらい。
仏語英語日本語
Sanctuaire shintoShinto shrine神社
SanctuaireShrine【カトリック】内陣:聖堂内で中央祭壇が置いてある聖なる部分
ChœurChancel
presbytery
【キリスト教】(聖堂)の内陣、聖歌隊席:典礼で聖職者、聖歌隊が占有する部分で、一般的に主祭壇の前方に左右向い合せの形で設けられている座席。
※Wikipédia仏語では、祭壇があるSanctuaireを含む部分となっていることもあると説明。Chœurから日本語ページへのリンクは
クワイヤになっているが、それは仏語のStallesではないかと思う。
Stalles du chœurChoir stalls(教会内陣の)聖職者席、共唱祈祷席
Wikipediaでは日本語ページへのリンクはない。
MiséricordeMisericord【家具】(聖堂内聖職者席の)起立姿勢維持の支え
※Stallesの椅子にある美しい彫刻にはこの用語を使う。
ChœurChoir聖歌隊
AutelAltar祭壇
CrypteCrypt地下聖堂

フランス語には良い辞書がないので、英語で何というのかも確認しておかなければなりません。でも、英語はビジネスでしか使ったことがないし、イギリスに行ったときも教会を熱心に見学しなかったように思うので、教会関係の用語の知識はほぼ皆無。並べた中で知っているのはShrineだけでした。

ひっかかったのは、Chœurの訳語に「聖歌隊席」という訳語でした。聖歌隊というと、私は讃美歌を歌うコーラスを思い浮かべてしまうので。聖歌隊席というのはStalleのことを指しているのかという気もするのですが、それなら僧侶たちの「共唱祈祷席」と呼んでもらいたいけど...。でも、聖歌隊も祭壇のそばに立つから良いのかな?...

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路に関する日記
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
Association Jean Scapula, Isle-Aumont
L’Eglise aux trois sanctuaires dédiée à Saint Pierre
☆ 動画: L'église d'Isle-Aumont - 14 Février 2013
Isle-Aumont, Église paroissiale, Sommaire objets mobiliers
Fouilles de la Butte d'Isle-Aumont (Aube)
☆ Wikipédia: Isle-Aumont
Basilique Saint-Urbain à Troyes - L'école troyenne de sculpture
Wikipédia: Plan type d'église (Eglise classique en forme de croix latine)
Wikipédia: Architecture chrétienne du Moyen Âge > Plan d'une église


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2014/03/21
今回の旅行ではモンベリアールの町(Montbéliard)に行ってみたのですが、有名な観光地ではないので大したものはないだろうと思っていました。それで、ガイドブックも読まずに出発。


ガロ・ロマン時代の遺跡

モンベリアール市の近くに古代の劇場が残っているとのことでした。Epomanduodurumという古代都市があったところで、現在はMandeure市。

訪れる人は少ないらしく、観光案内の標識は近くまで行かないと出ていませんでした。探し出すのに苦労しましたが、ようやく発見♪


Théâtre gallo-romain de Mandeure

古代ローマ帝国に支配されていたフランスが、ガリアと呼ばれていた時代の遺跡は、フランス各地に点在しています。この劇場が建設されたのは1世紀のこと。

立派な大きさの野外劇場なのですが、ここにあった石は後世に再利用されてしまったので、観客席があったことが分かる程度にしか残っていません。ここからの出土品はモンベリアールの博物館に少し陳列されていました。


モンベリアール町にあるフランス最古のタンプル

モンベリアールの町には、フランスで最も古い「temple(テンプル)」がある、と聞いていましたので、それを見学するのを楽しみにしていました。

そのTemple Saint Martinは、モンベリアール市のど真ん中にありました。


Temple Saint-Martin de Montbéliard

「タンプル(英語式に発音したらテンプル」と聞いたら、ギリシャ神殿や仏教の寺院、つまりキリスト教ではない宗教建築物を私は思い浮かます。

それで、モンベリアールにあるタンプルも、古代ローマ時代の神殿か、それを改造して教会にした建物なのだろうと想像していました。

近くに古代劇場があるのですから、古代の神殿が残っていてもおかしくないではないですか?

古代ローマ時代の神殿はフランスにも残っています。 例えば、南仏のニーム市には、La Maison Carréeと呼ばれる神殿があります(右の写真)。


モンベリアールのタンプルはドアは閉ざされていて中に入れません。
仕方なないので、建物の周りをぐるりと歩いてみました。



あまり神殿らしくないけどな... と思いながら、建物を眺めてみる。
窓の上に三角の飾りが神殿風かな?...

でも、私は大きな勘違いをしていたのでした!


プロテスタントの教会は「テンプル」と呼ぶ

フランスでは、一般的な教会(つまり、カテドラルやバシリカなどではない普通の教会)は、「église(エグリーズ)」と呼びます。でも、それはカトリック教会にだけ与えられる名称であり、プロテスタント教会は「templeタンプル)」と呼ぶのでした。

この聖マルタンの名を掲げたタンプルであるTemple Saint-Martinは、始めからキリスト教の教会として建てられていたのです。

宗教改革がドイツでおこり、フランスでもプロテスタントが勢いを持った時代には、たくさんプロテスタントの教会が建てられたそうですが、ほとんど破壊されてしまったとのこと。

このモンベリアールのサン・マルタン教会は、フランスに現存する最も古く、最も大きなプロテスタントの教会で、1601年に建設が始まって、1607年に完成したのだそうです。

このプロテスタント教会の名前は、ただTempleとなっていたのですが、この教会の説明では、宗派はProtestant luthérien、教会のタイプとしてはÉglise évangélique luthérienne、となっていました。

つまり、マルティン・ルター(Martin Luther)の教えに従ったルター派の教会ということですよね。それで、日本では「ルーテル教会」と呼べるものなのだろうと推測します。

日本語だったら、このタンプルはサン・マルタン教会としておけば良いのではないですか? 詳しく言うなら、サン・マルタン・ルーテル教会とか...。


英語だったら、カトリックでもプロテスタントでも「Church(チャーチ)」で、「Temple(テンプル)」といったら日本と同じようにギリシャの神殿や仏教の寺を指すときに使うのではないかと思います。 モルモン教では、ChurchではなくTempleを使うようですが。

フランスのプロテスタントは、教会を「タンプル」と呼ぶのに抵抗がないのでしょうか? カトリックと同じ呼び名を使いたくなかったのは分る。でも、ギリシャの神殿や仏教寺院などと混同されない全く別の単語を作り出さなかった理由が分かりません...。

フランスのプロテスタント関係のサイトの説明をみたら、「タンプル」と呼ぶ理由がつけられていました。

タンプル(temple)の語源は、ラテン語のtemplum。これには「神の家」という意味があるのだそう。キリスト教のルーツに戻ろうとした宗教改革では、新約聖書にもある 「temple de Dieu(神の家)」という表現を使ったのだそうです。となれば、タンプルでも違和感はないのでしょうね。

同じキリスト教の建築物なのですから、外から見ただけでは大きな違いが見えません。カトリックかプロテスタントかの見分けがつかなかったら、一般的な単語になっている「église(エグリーズ)」を使って呼んでしまうのではないかな?...  正教会の教会堂は、フランスでも「église orthodoxe」と呼ぶのが普通だと思います。


Wikipediaにフランスにあるプロテスタント教会のリストが入っていたので眺めてみました:
CatégorieTemple protestant en France

名称は色々なのですね。教会堂の名前は、Templeだけではなくて、Temple protestantという名称になっているところもありました。観光ガイドなどではそう表記してくれれば、私は混乱しなくて助かるのですけれど...。

ところが、リストの中には、Églises(エグリーズ)となっているプロテスタント教会もありました。

カトリック教会がプロテスタント教会になったのか、あるいはその逆なのかと思いながら確認してみると、Église réformée(改革派教会)から来ているようです。

このréforméeの文字がついているのは、カルヴァン派ではないかと勝手に推測。ところが、さらにフランスのプロテスタント教会のリストを眺めると、Temple réforméという名称の教会もある。

ややっこしいのでお手上げ...。気にするのは止めることにしました!


日本語になった呼び名も色々...

フランスで見かけるカトリックの宗教建築物には色々な名があります。

カテドラル(Cathédraleというのは司教座がある教会。巡礼地の重要な教会であるなどの理由でランクが教会より上のものは、バシリカ(Basilique)として教会(Églises)より上のランクにされる。そのほか、参事会教会と訳すべきCollégialeもあります。修道院関係は、また別にあるので複雑...。

プロテスタントやロシア正教の方では独自の決まりに従った呼び名が異なるものの、カトリックの場合と同じようなランク付けがあるように見えます。

ブログに訪問した宗教建築物の日本語を書くときには、日本での呼び名がどうなっているのかを調べなければならないのですが、日本語の定番になっている名称で見ると、そういうランク付けの区分は無視している訳語があります。

日本にあるキリスト教の施設には「寺院」という語は用いないのではないかと思うのですが、ヨーロッパの建築物には与えているのですが、何を寺院にするかは決まっていないようです。

日本語で定訳ができているような有名な宗教建築物を拾ってみました。

種類仏語名称/日本での通称/場所建物外観
カテドラル
(旧教)
Cathédrale Notre-Dame

ノートルダム大聖堂
ノートルダム寺院


場所: パリ
カテドラル
(ロシア正教)
Cathédrale Saint-Basile-le-Bienheureux
英語: Saint Basil's Cathedral

聖ワシリイ大聖堂


場所: モスクワ(ロシア)
バシリカ
(旧教)
Basilique du Sacré-Cœur

サクレ・クール寺院

場所: モンマルトル(パリ)
バシリカ
(旧教)
Basilique Sainte-Marie-Madeleine

サント=マドレーヌ大聖堂

場所: ヴェズレー(フランス)
バシリカ
(旧教)
Basilique Saint-Pierre
伊語: Basilica di San Pietro


サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ寺院


場所: ローマ(バチカン)
大修道院
(イングランド
国教会)
Abbaye de Westminster
英語: Westminster Abbey

※教会部分は仏語でéglise、英語でchurch。

ウェストミンスター寺院

場所: ロンドン(イギリス)
カテドラル
(旧教)
Cathédrale de Westminster
英語: Westminster Cathedral

ウェストミンスター大聖堂


場所: ロンドン(イギリス)
大修道院
(旧教)
Abbaye du Mont-Saint-Michel

モン・サン=ミシェル修道院


場所: モン・サン=ミシェル
教会
(旧教)
Église de la Madeleine

マドレーヌ寺院


場所: パリ
教会
(旧教)
Église Saint-Sulpice

サン=シュルピス教会


場所: パリ
教会
(新教)
Temple du Marais

パリ・プロテスタント日本語キリスト教会
※日本語でも礼拝が行われる

場所: パリ
神殿Temple de Jérusalem
英語: Temple in Jerusalem、Holy Temple

エルサレム神殿


場所: イスラエル

(仏教)
Temple de la Mahabodhi
英語: Mahabodhi Temple

ブッダガヤの大菩提
マハーボーディ


場所: インド


何か見えてくるかなと思って並べてみたのですが、眺めてみても法則は見つけられませんでした。

一番初めに使った日本語の名称が残るのかもしれない。でも、建物の外観の雰囲気から大聖堂とするか寺院とするかを決めたのではないか、という気がしてしまう命名もありました。


フランスには、カトリック教会ばかりがあるのではない

ともかく、フランスで「タンプルがある」と言われたら、プロテスタント教会のことなのだろうというのを1番始めに考えてみるべきなのでしょうね。

歩いていてプロテスタントの教会だと言われたときがあったのを思い出すので、前にもタンプルという単語の1つの意味を覚えたのかも知れない。でも、フランス語が母国語ではない私に「タンプル」と言っても通じないだろうと思って、「プロテスタントの教会だ」と言ってくれたような気もします。

フランスには45,000くらいのカトリック教会があるのに対して、プロテスタントの施設は3,000くらいしかない、という記述がありました。 ちなみに、フランスにあるイスラム教の礼拝堂は2,400、ユダヤ教のは280、仏教関係の施設は150とありました(2011年現在)。

教会めぐりをするとして、カトリック教会が15に対して、プロテスタント教会が1つという割合ですか。

観光していて、そんなに頻繁にプロテスタント教会には出会わないので、なんとなく腑に落ちません。でも、教会を見学すると、装飾を鑑賞するにはカトリック教会の方なので、プロテスタントの教会があっても観光ガイドブックなどには出てこないからだろうとも思います。


フランス最古のプロテスタント教会の中は?

地元で出会った人の誰もが、サン・マルタン教会の中に入ることができると答えます。でも、私が教会の前を何回通ってみても、入口の門は閉ざされたまま...。

プロテスタント教会は装飾が簡素でしょうから、見られなかったのはそれほど残念ではありませんでした。それでも、フランスで観光する価値があるプロテスタント教会は少ないので、入れなかったのは心残りではあります。それで、インターネットで内部の様子を見せる画像や動画を探してみました。

Wikipediaに入っている「Temple Saint-Martin de Montbéliard」には写真が何枚も入っていました。

Temple SaintMartin Montbliard 02 

確かに質素ですが、おごそかですね。さすがに17世紀初頭の建築物だけに趣があります。パイプオルガンは18世紀半ばのもので、歴史的建造物に指定されているのだそう。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


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外部リンク:
☆ 動画: TEMPLE ST-MARTIN MONTBELIARD - 400e anniversaire de son élévation
Paroisse Protestante Montbéliard
Valeurs des temples protestants en France - Observatoire du Patrimoine Religieux
Temple : définition (Les temples protestants de France)


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