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2003/07/20


大陸性気候の暑さ

ブルゴーニュは、冬の寒さが厳しく、夏の暑さも厳しい、という典型的な大陸性気候の地方です。冬には氷点下20度以下になることもありますし、夏の暑さにもすさまじいものがあります。

でも太陽が照りつける厳しい暑さの日は、そう長くは続きません。冷房などは、巨大スーパーマーケットやデパートなどにある程度。南仏でさえも、クーラーをつけているなどいう家は、よほどのお金持ちだと思います。

いくら暑い日でも、木陰や厚い石壁の建物の中に入ると、冷房が効いた部屋にいるようにひんやりとしているのです。曇りや雨になれば、とたんに寒いくらいになります。フランスの夏の暑さは、空気が温まるというのではなく、太陽から直接くるもののようです。

地球の温暖化といっても、ここ数年は、むしろ温度が下がっているのではないかと思うような夏でした。真夏の洋服を何回も着ないうちに夏が終わってしまった年もありました。

ところが今年(2003年)は、異常に暑い夏! まさに大陸性気候の典型を思い知らされる暑さです。

このような猛烈な暑さは1976年以来のことだとか。 [その後、百年ぶりとも言われました]

夏になってから雨らしい雨も降っていません。農家は作物がやられてしまったと嘆いています。

牧場は枯れ草の野原のようになってしまいました。
牛たちが小さな木陰に集まって暑さしのぎをしているのも可哀そう! ↓

2003年8月撮影

それでも、虐められた方が良いワインができるというブドウの畑だけには良いニュース。今年のワインは素晴らしいだろうとの期待が高まっています!

追記:
7月頃はそう言われていたのですが、余りの高温なので、2003年のワインはどうなってしまうかという不安の方が高くなりました。

翌年になってから試飲しだしたのですが、同じ畑からとれたブドウとは信じられないほどワインの風味は異なるものになっていたので驚きました。

2003年にはブドウの収穫も異例に早くなりました(ブルゴーニュでも9月を待たずに始めた)。ブドウ栽培農家に行くと、その後何年たっても2003年のブドウ収穫で苦労した話しがでます。



どのくらい暑いのか測ってみました

150年くらい前に建てた石造りの家の場合、壁の厚さは70センチくらいでしょうか。外の熱が遮断されますので、冷房なしでも涼しいのですが、暑い日が1週間くらい続くと、さすがに家の中の温度もあがってきます。

温度計を見たら、家の中でも25度くらいになっていました。日本では冷房なしだったら、どうということがない温度ですが、こちらでは異常な暑さです。

外の温度はどうなのかと思って、温度計を持ち出してみました。

気象庁が発表する気温は日陰の温度ですから、直射日光が当たる所の温度はどのくらいなのだろうか?... と、素朴な好奇心を持ったのです。

日向に温度計をおいて日陰で待っていると、度まであがっていきました! それ以上あがるのかも知れませんが、温度計を壊したら困るのでやめました。

ともかく、暑いと感じるときの温度は、そんなにあるのだ、と納得。
 
ついでにワインセラーの温度も測ってみようと地下に降りてみたのですが、こちらはひんやりとしていて、カーデガンを探してこないといたたまれないような涼しさ。温度測定は止めました。

後で友人に最高気温が52度だったと話したら、私のような愚かなことをしてみた人が他にもいたそうで、その人は60度を記録したそうです!


灼熱の中で行われたペタンク

7月14日の革命記念日(日本では「パリ祭」と呼ばれている日)、小さな村に住んでいる友人の家でお昼をご馳走になってから、ペタンク大会があるというので見学に行きました。

雲ひとつない晴天。日射病になるのが心配なので、参加しないで見学だけすることにしました。

でも、こんな場所で行われると分かっていたら来るのではなかったと反省することになりました。驚いたことに、村人たちが会場とした役場前広場には、ほとんど日陰がないのです!

ペタンク大会は午後4時から始まることになっていました。でもカンカン照りの中では無理だと、開始時間が遅らされました。

午後5時になってからコンテストが始まりましたが、日差しは少しもやわらいでいません。

フランスはイギリスのグリニッジ標準時間から1時間ずれており、さらに夏時間でさらに1時間ずれているので、午後5時は実際には午後3時なのです。

こんな暑さの中で、しかも木陰がない場所でペタンクをするなんて... と、私は呆れました。

乾燥しているので、暑くて汗が出てくるというものではありません。ジリジリと焼かれているという感覚の暑さなのです。

この日のお昼に食べたローストチキンは、こんな風に焼かれたのだろうと思いをはせました!...




ツール・ド・フランスの季節

この暑い時期、「ツール・ド・フランス(Tour de France)という自転車レースも行われています。

  

テレビに釘付けになっている人も多いのですが、現地に見に行く人たちもたくさんいます。この暑さの中、大変なことだと思います。

私も1度だけ見に行ったことがあります。延々と待ったのに、やってきた選手たちがあっと言う間に走り抜けてしまったので拍子抜けしたのを覚えています。

それ以来、ツール・ド・フランスはテレビで見るのが一番だと結論しました。

コースはフランスを一周するので、テレビ中継を見ていると各地の色々な景色も楽しめます。

追記:
2003年の夏は、フランスでは高齢者を中心に大量の死者を出すなど、異常な事態になりました。 猛暑による死者の数は色々に報道されたのですが、のちに例年の夏より15,000人が多く亡くなったという推定数値で落ち着いたようです。


この日記は、途中でやめたサイトから転記しました。何日に書いたのか記録がありませんが、7月14日の後ということで、20日の日記としました。 2009年12月記

ブログ内リンク:
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
春たけなわ 2004/05/03 寒い2004年


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2003/07/14
革命記念日

7月14日は、フランス革命でバスティーユ襲撃が行われたことにちなんだ休日です。クリスマスやお正月と同じくらいに祭日であることを意識させる日となっています。夏のさかりにあって、イベントに適しているからでしょうか?

フランス語では「7月14日」と呼ばれる祭日が、なぜ日本では「パリ祭」と言われるのか不思議に思ったことがありました。

調べてみると、昔フランス映画が全盛だった時代に『7月14日(Quatorze Juillet) 』という題名の映画があり、それが邦題で『パリ祭』と訳されたからのようです。

7月14日という祭日は、日本人の私には特異なものに感じます。

第一に、パリ祭などというロマンニックなものではなく、国の力を誇示する祭日なのです。パリのシャンゼリゼ通りでは、騎馬隊の華麗な行進だけではなく、戦車まで繰り出しての大規模なパレードが行われます。

地方でも、小さな村に至るまで、議員さん、旧軍人、消防隊などが戦争犠牲者碑までパレードをしたりする行事が行われます。


小さな町で行われた7月14日の行事(戦争犠牲者慰霊碑の前)

日本では、こんな風にあっけらかんと戦争を思い出させる行事を見たことがありませんでした。それで奇妙な気持ちになってしまうのです…。

7月14日はこんな風に軍事力を誇示したり戦争を思い出させたりするような行事が行われながら、一般の人々には、そんなこととは全く関係ない祭日でもあります。

花火を上げたり、ダンスパーティを催したりして、お祭り騒ぎとなる日なのです。


あちこちで見る戦争の傷跡

フランスは第1次世界大戦で大量の死傷者を出しました。何処の町や村でも、その土地出身者の犠牲者碑が立っています。

下の写真のように、町にある犠牲者碑は花などを飾って美しい空間がつくられています。



3,600以上もある市町村の中で、犠牲者が出なかったのは数えるほどだったそうです。

戦争犠牲碑を売った会社は膨大な利益をあげ、碑を立てられなかった村は肩身の狭い思いをしたとか聞きました。

この何処でも見かける戦争犠牲者碑を見ると、半世紀以上も前にあった戦争のことを思い出さずにはいられません。

フランスにいると、戦争を忘れていないと感じます。テレビでも、ナチがしたことはしつこいくらいに報道されていますし(ジャーナリストにはユダヤ系が多いのでそうなるのだとも言われましたが)、もちろん日本がしたことも出てきます。

日本のテレビはゴシップに時間を割きますが、フランスでは世界の国々でおこっている動乱や政情不安が毎日のように報道されます。ただ「戦争は良くない」と言うだけでは済まされない世界を感じます。


小さな村に残っていた戦争の傷跡

7月14日の祭日、小さな村の人々が主催したペタンク大会を見学に行きましたが、耐え難い暑さなので、途中で私は少し役場の集会室の中に避難しました。

昔は小学校として使われていた建物。講堂だったらしい場所が村人たちの食事会などに使われる部屋になっていました。

きれいな集会所を持っている村も多いのに、ここは壁の塗装もはげていて、昔の小学校の雰囲気そのまま。

今ではなくなった本当の石でつくった見事な黒板も残っていました。

昔の校舎の中で涼んでいると、演壇の上に掲げられたプレートが目に入ってきました。第一次世界大戦のときの戦争犠牲者の名を書いたプレートです。

 プレートがあったのは演壇の上の壁、普通なら校旗でも飾るような大事な場所です。行事などで集まったときには、参列者にはいやおうなしに見える位置。

犠牲者は小学校教師だった男性。教師という肩書きとともに、その人の名前、亡くなった日、年齢が書いてありました。最後に「フランスのために死んだ者に栄光あれ」と結ばれています。

30歳という文字が重みとして伝わってきました。

若い教師を忘れないために掲げられたプレート。その当時の村人たちの悲しみが蘇ってくるように感じました。


思いつめた狂気を生みだすもの

それぞれに個性があり、意見もまとまらないフランス人たち。大統領選挙でも、世論調査結果が発表されると「みんなと同じにしたくない」と支持者を変えてしまう人も多いので、選挙前の予想には何の意味もありません。前回の選挙でも、出馬に必要な支持を集めるのにさえ苦労した極右候補者が一次選挙で残ってしまうという、とんでもない結果を出してしまった人たち・・・。

一丸となって戦争を行った時代があったということは、今の彼らを見ていると信じられない気持ちがします。

自殺にしても、戦争に行って戦うにしても、思いつめた狂気がなければできないことだと思います。

戦争中の日本では、天皇という存在が国民の気持ちを結集しました。最もフランス語として定着した日本語は「カミカーズ」という言葉ではないかと感じます。特攻隊「神風」のフランス語式発音。自爆テロを意味します。少なくとも最近のフランスで、最も頻繁に聞かれる日本語です。


フランスでも、戦時中にはジャンヌ・ダルクが祭り上げられたようです。当時の絵葉書などにはジャンヌ・ダルクの絵がよく描かれています。教会や町の広場などにも、戦時中に立てられたジャンヌ・ダルクの像を見かけます。

ジャンヌ・ダルクは、19世紀末まで殆ど忘れられていたのだそうです。彼女は利用ばかりされて、本当に運の悪い女性だったと気の毒になります…。

今ではジャンヌ・ダルクを持ち出したりするのは極右政党だけですが、7月14日の祭日もあるし、国歌にもフランス革命時代の残酷な歌詞が残っています。

しかしフランスでは、そこまでしなければ一つの国だということを国民に意識させることができない国なのではないでしょうか?…

そう思ってしまうのは、いつも日本に帰ると、なんと意見が統一しやすい国なのだろうかと驚くからです。流行も顕著に現れるし、何か問題がとりあげられると、みんながそれを話題にしています。意見や好みも様々なフランスでは起こりえないことです。

日本はアメリカに経済を頼っているのだから、戦争をするアメリカを支持するのも「仕方ない」と考える人もいると聞いて驚きました。日本はフランスに比べれば大変なお金持ちです。でもそのお金は、人々の生活の豊かさを生み出しているようには見えません。日本の経済力は何処に活かされているのか、いつも不思議に思っています。

日本では、特に最近は、何かの世論ができあがるが怖いくらいに早いと感じます。良いことにしても悪いことにしても、思いつめたように染まってしまう空気が感じられます。戦争がおこる前の雰囲気というのは、こんなだったのではないかと思って怖くなってしまうほどです。

戦争を知っている父に聞いたら、戦争が始まる前の雰囲気というのは、そんなものではなく、もっと暗くて重苦しいものだったのだと言われました。

私が極端なことを考えてしまうのは、一人一人に個性があるフランスの空気に馴染みすぎてしまったせいなのかも知れません。いづれにしても、日本で「戦争をしなければならない」などという風潮が形成されないように祈っています。

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★ 目次: 戦争に触れて書いた日記


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