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2008/01/29

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その8

クラムシー町で見た不思議【5】

クラムシーの町では色々と気になるものに出会ったのですが、
一番突拍子もないと思ったのは、
これでした ↓



不思議に思うのは私だけではないようです。

フランス人の友人も、この町に来るたびに「あれは何だ?!」と気になってしまう、と言っていました。

何の話をしているのか分からない?・・・
もう少し近づいてみましょうね。



奇妙でしょう?



念のために、もう一枚 ↓




そうなのです。教会の上にフランスの国旗がはためいているのです!
こんなことをしている教会が他にもあるのでしょうか?・・・

普通、教会に高々と掲げられているのは、十字架とか、マリア様とかなのです。雄鶏などというのもあるかも知れません。

でも、国旗なんかを高々とは掲げた教会は、見たことがありませんでした!


ここはサン・マルタン教会 (Eglise Saint-Martin)。

12世紀から14世紀にかけて建造された、とても美しい教会です。

この町で生まれたロマン・ロランが亡くなったときも、この教会で葬儀をしました。

*先日の日記(ロマン・ロランの生まれた町にある建物)でリンクしたビデオにも出てきます。


◆なぜ国旗が教会に掲げられているの?...

この教会の写真をブログに乗せることにしたら、よけいに気になってしまいました。

なぜ?... ???...

地元の人でさえも、いつから旗が立っているのか答えられないのだそうです。
でも、インターネットには調べた人の報告が載っていました:

★ Les pages Clamecycoises :
 Le drapeau tricolore de la tour de la Collégiale Saint-Martin

1795年、教会の塔にブリキの三色旗が取り付けられた、と、クラムシー町の古文書に残っているのを突き止めたのだそうです。

フランス革命では、教会は標的になりました。そこに革命のシンボルである旗を掲げたのは理解できます。

そのほか、1851年のナポレオン3世のクーデター(Coup d'État du 2 décembre 1851)のとき、抵抗したために処刑された2人の筏(いかだ)師に敬意を払うために立てたというのもありました。


◆コレジアルって、参事会って、なに?...

ところで、このサン・マルタン教会。教会はégliseなのですが、この教会は、昔はcollégial だったのだそうです。

この「collégial(コレジアル)」という言葉はよく耳にするのですが、私には全くピンときません。

辞書をひくと、コレジアルとは「参事会管理聖堂」と出てきます。

そんな長ったらしい日本語は不自然に感じてしまいます。「コレジアル」なら簡単に言えますけれど・・・。

コレジアルとは何なのかというと、司教(évêque)」ではなく、参事会(chapitre collégial de chanoines)が管理する教会である、という説明がありました。

参事会とは何なのか?...
こうなると、もう、お手上げです...。


◆キール市長

でも、ブルゴーニュにいると、「参事会」という言葉を無視できないのです。

ブルゴーニュで一番大きな町ディジョンの歴史に残るキール市長のことを、地元では Chanoine Kirと呼びます。

彼は Chanoine(教会参事会員)だったからです。

*ついでながら一言:
日本では、このキール市長が食前酒のキールを考案したように言われているようですが、実際には、その前から存在していた白ワインとカシスのリキュールのカクテルは存在していて、キール氏はそれを広めただけです。

政治家でありながら、聖職者の服装(スータン)で通した人でした。奇抜だったこと、今のディジョン市に残した業績にかけては大変なものがありました。

どんな服装だったのかは、こちらの古いビデオをご覧ください。
市役所に向うキール市長。1960年の映像です。

Le Chanoine Kir revient à Dijon après le départ de Monsieur Khrouchtchev

ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの古都ディジョンの観光スポットや特産品など


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2008/01/26

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その7


クラムシー町で見た不思議【4】

ほんの3時間くらいしかいなかったブルゴーニュの町クラムシーでは、「なんだ、これは~???!」と思うものが幾つもありました。

その中の一つが、↓




通りかかった店のショーウインドーです。

この町のスペシャリティーのチョコレートらしい。

Les chi… dans l'iau」という名前がついていました。

学校では習わないフランス語です。
でも、パッケージに描かれている絵を見ると、「そうか、そういう意味か・・・」と分かります。



おじさんが川端でしゃがみこんでいます。
何をしているのかは、お分かりになりますよね?

追記:
このオジサンは何者だろうか、と思われた方はあったでしょうか?
私は単純に、歌の主人公の筏(いかだ)師なのだろうと思っていました。

フランスにいる私の仏語の先生(生き字引といわれているフランス人なので質問ばかりぶつけている人。月謝は払っておりません)が、またもや教えてくれました。

このオジサンはパリジャンだろうとのこと。確かに『筏師哀歌』の一番の歌詞には、クラムシーとパリを往復するのはブルジョワたちなんか(つまり田舎の人たちが馬鹿にするパリの人たち)を温めてあげるためなのだ、という一節があります。

考えてみればそうですよね。筏師が背広を着てネクタイをしているはずがない!



後ろに見えるのは、先日の日記「フランスの筏(いかだ)師」でご紹介した「筏(いかだ)師」。この町の経済を支えた人たちです。

ショーウインドーには「筏師哀歌」という曲の歌詞が書いてありました。この歌の中で繰り返されるのが「Chi dans l'iau」とか「Le Cul dans l'iau」いう言葉。そこから名前をとったらしい。

「dans l'iau」というのは、「dans l'eau(水の中)」を訛って発音したもの。

モルヴァン地区の訛りなのだ、とブルゴーニュの友達が言っていました。インターネットで調べたら、英仏海峡に面した北フランスの方でも使う言葉として出てきました。

「Chi dans l'iau」とは、船頭を意味することだそうです。つまり、水の中で用をたす人たち、ということでしょうか?

筏(いかだ)師も、いってみれば船頭さん。

これに対立する言葉は「陸で働く人(gens d’à terre)」。
Métiers de nos Ancêtres


このチョコレートは「筏師哀歌」の言葉をとって作ったスペシャリティーらしい。

でも、食べ物のパッケージにこんな絵を入れているなんて・・・。
気が知れませんよ~!

フランスの友達を笑わせるために買いたいなと思ったのですが、お店は閉まっていました。

せめて、どんなチョコが袋に入っているのか探したら・・・



これでは、川にしゃがみこんだオジサンが落としたものみたいではないですか?!

でも、観光ガイドブックには、ピスタチオとかオレンジとかヌガーとかアーモンドが入ったチョコレートで、おいしいのだと書いてありました・・・。



日本にもこんなふざけたチョコがあったら、嫌いだけどオフィスにいるからあげなければいけない義理チョコとして贈りたいな・・・。

日本人は下品な言葉をめったに使わないですが、フランスでは女性でも平気で使うのでありまして、chier(このオジサンがしている動作を意味する)も、フランスにいると覚えてしまう単語です。

「Tu me fais chier !(お前、うるさいな~。いい加減にしろ!)」というのがあって、そういうメッセージをチョコと一緒に送れるのであります!

ブログ内リンク:
★ 目次: サニタリーに関して (トイレ、浴室、洗濯、衛生)

外部リンク:
Les Chi dans l'iau ®
☆ Wiktionnaire: faire chier


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2008/01/25

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その6

もしも私がクリスチャンだったら、フランスを観光するときに色々なことが分かって良いのに・・・。フランスの文化は、キリスト教なしには理解できないのです。

幸いにも、フランスの友人たちが色々なことを教えてくれます。地球の裏側からやって来た私は何にも知らないはずだ、と思うからでしょう。

教えてくれるときは、知っていても「へえ~!」と驚いてみせています。私でも知っていることがあると思われてしまうと、知らないことを教えてもらえるチャンスを逃してしまうことになりますので!

教えてもらって面白かったことの一つに、どうやって本物の教会を見分けるか、というのがありました。

* 今日の日記は、
前回の日記(チャペルがレストランになっていた)の続きで書いています。


◆教会には、本物と偽物がある

「本物」と「偽物」と書いてしまいましたが、宗教のための施設としての教会かどうかで区別する、という意味です。

ミサが行われる教会では、必ず祭壇のところに赤い灯がともっているのだそうです。

こんな具合 ↓



赤い光のところに黄色い矢印を付けました。




↑ 世界遺産に登録されているヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂

祭壇の足元にありました。必ずしも祭壇の上ではないようです。

赤い灯りが祭壇の上にあるか、下にあるかによって何か意味があるのでしょうか? ご存じの方があったら教えてくださると嬉しいです。


◆宗教的な役目を持たない教会には赤い光がない

赤い光は「神様がいる」という証なのだ、と教えられました。

確かに、ミサが行われない教会には赤い光がないです。



↑ 藤田嗣治が壁画を描いたチャペル (Chapelle Notre-Dame-de-la-Paix), ランス

私が数年前に行ったとき、藤田の遺言を今頃になって守るとこにして、墓をここに移すという工事をしていたのですが、その後どうなったのかな?・・・

下は、お城のB&B民宿に行ったとき、庭にあった教会を見学して撮影した写真。チャペルと呼ぶべきなのかも知れませんが、そう呼ぶには大きすぎる建物でした。



聖像をコレクションするのがご趣味のようで、教会には所狭しと聖像が並んでいました。
余りにもたくさんあって、それも見とれるほどに見事な聖像ではないので、悪趣味というのを絵にかいたような雰囲気でした・・・。

ここにも赤い灯はないです。

他にも、個人が所有しているチャペルや教会に行ったときの写真を眺めてみたのですが、赤い光は置いていません。

私が教会の持ち主だったら、雰囲気を出すために赤い火を灯したくなると思いますが、そういうのは余りにも不謹慎な行為なのでしょうね。


◆赤い灯が消えたら、どうするのだろう?・・・

赤い灯がとだえたら神様がいないことになってしまうのだとしたら、そんなことを心配してしまいました。

伝統的には、赤いガラスの容器にロウソクを入れて火を灯していたのでしょうね。燃えつきないような大きなロウソクを立てるわけにはいかなかったでしょうから、ロウソクがなくなっていないかどうかを常にチェックしている必要があったのでしょうか?

大変な仕事ですよ~!

今は、面倒がないように電球のランプにしているのではないか、と私は疑っています。



これなど、明らかに電球ですよね?

こういう敬虔な場で、後ろを覗き込んでコードが伸びているかどうかを確かめるのは、さすがに気がひけてできません!

電気で灯をともすなら、ロウソクよりは便利です。
でも、停電があったらどうするのだろう?!・・・・

慌ててロウソクを灯すのでしょうか?


◆なぜ赤い光を灯しておくのか?

赤い灯があれば、そこは宗教上で使われている教会なのだ、というのは分かりました。

たぶん、キリスト教にとっての赤は、キリストの血 = 受難の証し のシンボルなのでしょう。

でも、いつから灯すようになったのでしょうか?・・・

何かしら経緯があったはずだと思って少し調べてみたのですが、私の疑問の答えは見つかりませんでした。


◆神様がいなくなった教会なら、何に使っても良いの?・・・

赤い光で見分けることができると教えてもらったのは、フランスの教会で式をあげる日本人がいると聞いたときだったように思います。

私は飛んでもないことだ! と思いました。で、フランス人に聞いてみました。

「そんなことを許可してくれる教会があるはずないわよね?」

友達は意外な返事をくれました。

「そんなことをしたい気が知れないけど、式をあげられる教会はあるだろうよ」

教会の建物だけ使うというのなら、宗教上で使わなくなった教会でやれる、というのでした。

建物だけキリスト教というのだったら、教会で式をあげるのは意味ないではないですか?!

でも、考えたら、日本人は気にしないでしょうね。結婚式場やホテルに神社でもチャペルでもできてしまっている国なのですから!

抵抗はありますが、日本人がフランスの教会やお城で式をあげるというのも、批判はできないです。

古い建物を維持するには膨大なお金がかかります。そういう商売をやって歴史的建築物の保存をしているなら良いではないですか。


◆家畜小屋にされた教会もある

前回の日記(チャペルがレストランになっていた)に書いたレストランを見たときは、それほど違和感はありませんでした。

というのも、もっとすごい使われ方をしている教会を見たことがあるからです。

一番ショックを受けたのは、農家の納屋となっていた教会でした。

牛小屋:

かなり保存状態の良い教会でした。こんな立派なところにお住みになっているなんて、なんと贅沢な牛たちだろう! と思いました。

ニワトリ小屋:

こちらは、もうどうしようもないくらいに崩れているチャペルでした。完全に壊れたら鶏小屋を別に作ろうと思って使っていた感じです。フランス人の友人たちと、「こんな風に歴史的建造物を放置しておくなんて、とんでもないことだ!」と憤慨しました。

キリストは家畜小屋でお生まれになったそうなので、フランスのクリスマスに欠かせないクレッシュのイメージになっているのかも知れないですが・・・。

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2008/01/22

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その5

クラムシー町で見た不思議【3】

壁にアーチ型が見えるのが奇妙なホテル・レストランがありました。



Chapelle des évêques de Bethléem

レストランの前に出ていた説明書きを見て、少なからず驚きました。

チャペルだった建物がレストランになっているのですって!
しかも12世紀の建造物。

入り口にあったメニューを見ると、おいしそうなレストランに思えました。
「ここで昼食をとろう!」と即決したのですが、まだ早すぎる。

昼になるまで待っていたら旅行の予定は遅れてしまうので、諦めざるをえません。

せめて、中を覗かせてもらおうと思いました。
入口から入ってみたのですが、誰もいない・・・。

利用客でもないので、声をあげて誰かに来てもらうわけにもいかない・・・。

仕方ないので、勝手に奥に進ませていただきました。



ほんとうにチャペルなのでした。
しかも、保存状態はよくて美しい食堂になっていました。

*紋章が気になった方へ:
この紋章は、ブルゴーニュ公国の君主、「勇胆公」のあだ名で知られるシャルルのものです。
紋章はこちらで確かめることができます: Charles le Téméraire



教会がミサをあげる場ではなくなっているのは珍しくないのですが(大きな家には教会やチャペルがあったりしますから)、やはりレストランのようなものになっているのを見ると驚きます。

ブルゴーニュのブドウ畑が広がる地域にあった小さな教会が、ワインを飲むためのカフェになっていたのにも驚いたことがあるのですが、そのことを日記で書いたのかどうか思い出しません。

ところで、このチャペルは先日の日記でご紹介したベツレヘム教会と同じ広場にあります。こちらも、パレスチナから逃れて住んでいたベツレヘムの司教さんたちが所有していた病院のチャペルだとのこと。

フランス革命のときに民間の手に渡ったのでしょうね。このチャペルがホテル・レストランになったのは19世紀初頭だったそうです。

その頃って、まだ人々の信仰心があつかったころでしょうに・・・。不思議です。

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2008/01/21

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その4

前回の日記(クイズ: この人は誰でしょう?)の解答です。

ブルゴーニュ地方のクラムシー町にあった彫像をお見せし、その人の職業を当てていただくクイズを出させていただきました。



コメントを下さった方々、コメントは残さなかったけれど考えてくださった方々、どうもありがとうございます!

難しいというお声が入ってきたので、もう少しヒントを増やさないといけない、と思ったところで、みごとな解答が出ました。

トラ猫さんのお答: 山で伐採した木を筏にして、川でパリまで運ぶ仕事
トラさんのお答:  筏師

このお二人で完璧な解答になります!
すごいです。おみごと~!!!


◆パリの発展を支えたクラムシーの筏(いかだ)師たち

彫像の下には、こう書いてありました:
AUX FLOTTEURS DE CLAMECY
(クラムシーの筏(いかだ)師に捧げる)

クラムシーはモルヴァンの山地が終わって、平野部になったところに位置します。そういう土地柄から、パリに木材を届けるという筏(いかだ)師という職業が生まれたようです。

筏(いかだ)流しは、16世紀から400年近くの間、この地方の大切な産業だったようです。

パリでは近郊の森の木材は伐採していて、材木が不足して来たのが原因でした。実際には、パリの周辺には森がたくさんあります。でも、そこは貴族たちの狩猟の森として利用する王家が所有する森だったので、勝手に材木を切り出して売るわけにはいかない。

それで、モルヴァンの森がパリに材木を供給するようになった、という経緯があったそうです。


◆筏(いかだ)流しのシステム

モルヴァンの山で切り出した材木がクラムシー町などに集まり、筏(いかだ)を組んで川をくだる。ヨンヌ川からセーヌ河に入り、パリまで木材を運搬できる。

それをしていたのが、この銅像にあった筏(いかだ)師の仕事だったのです。

* 筏は、幅4.5m、長さ75mの大きさに組まれた。それで200ステール(つまり、直径200mの立方体)。最盛期には、200ステールの大きさの筏が3,500もパリに送られた(合計70万ステール)。

クラムシーを出る筏には、前に筏師、そして後にもう一人でかじをとります。後部は子どもが多かったそうです。

セーヌ河にまで行けばパリへの流れに乗ることができるので、子どもの方はそこで家に帰ります。

パリまで材木を運び終えた筏師は、そこから歩いて帰路につきました。その旅には10~15日かかったそうです。

こうした筏流しはクラムシーを中心に周辺で行われ、それらの地域がもたらす材木は、当時のパリで消費される木材の9割を占めていたのだそうです。

いかだ流しには危険がありました。木材の筏流しを容易にするために、ニヴェルネ運河が作られたのだそうです。でも、60年もかけた大工事が完成したのは1843年完成。この頃には、木材に代わって石炭が燃料として使われるようになっていました!

それでも、鉄道が発達するまでは、ニヴェルネ運河は重要な水路として活躍したそうです。今は運河下りの旅を楽しめる観光資源として利用されています。

ちなみに、クラムシーを出発した最後の筏は1923年でした。

Les ports de Clamecy au secours de Paris !
Les Flotteurs de Clamecy



◆なぜパリに材木を運ぶの?

調べてみたら、「筏(いかだ)師」の仕事は日本各地にもあったようです。考えてみたら、日本のような山国、木造建築の国では、当然のことでした。

でも、パリでは木材で家を建築しません。柱などに使うことがあったにしても、そんなにたくさんは必要ないではないですか?

ブルゴーニュからパリに送られた材木は、燃料用の薪だったのだそうです。

考えてみれば、この当時、パリでも暖房は暖炉だったはず。パンを焼くにも薪がいりました。薪の火力で動く工場もあったのでしょうね。


◆筏(いかだ)師魂?

川を筏で下るには危険が伴ったことは想像できます。筏(いかだ)師たちは気性が荒かったようで、喧嘩もするし、暴動もおこすし、ストライキなどもしたという記録がありました。

そんな筏師たちには、楽しみもあったようです。

筏流しのシーズンが終わったとき、腕を競って楽しむ水上槍競技(joute nautique)のトーナメントを行ったのです。ただし、始まったのは19世紀に入ってから。それまでは、そんな余裕はなかったのでしょうか?・・・

クラムシーには水上槍競技の保存会があって、毎年7月14日に試合が行われるそうです。

各チームには、船の後ろの舳先に大きな竿を持って裸足で立った人が一人います。相手を水に落とした方が勝ち、というゲーム。

その様子を見せる写真はこちら:
Joutes nautiques

2枚目の写真がクラムシー式ゲームのトーナメント。
白いシャツとパンタロン姿で、チームは赤と青で色分けされています。つまり、フランスの国旗の色?
3枚目の写真はパリ式のゲームの練習風景。


フランスの水上ゲームは、地方によってよってルールが多少違うようです。
★ Wikipédia: Joute nautique


クラムシーの水上槍競技の写真を見て、面白いな、と思いました。日本にも筏師がいて、やはり川の上で腕を競う伝統があったようなのですから。

木場の角乗(東京都指定無形民俗文化財)



Des Racines et Des Ailes : En terre de Bourgogne - Côté Nature


追記(2015年)
クラムシーからパリまでの筏流しを再現したイベント:
Événement 2015 Un Train de Bois pour Paris

イベント予告ビデオ:


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2008/01/19

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その3

クラムシー町で見た不思議【2】: 橋の上の彫像



前回の日記(ベツレヘム教会)でご紹介した奇妙な教会は、川の畔にありました。

上の写真は橋の上から撮影したもので、その教会は左手に映っています。


◆橋の上にあった彫像が気になった

橋の中央に立つこの銅像が、またまた目を引きました。



川がある町って好きです。のどかな景色でしょう?

後ろに見えるのはヨンヌ川。ブルゴーニュに水源を持つ300キロ弱の川で、セーヌ河に流れ込みます。

ところで、川が合流したときには、水量が多い方が川の名前として残ることになっているのだそうです。

それから行くと、ヨンヌの水量はセーヌに勝っているので、本当ならパリを流れる川はヨンヌ川と呼ばれるべきだった、と地元の人が言っていました。

セーヌ河もブルゴーニュに水源を持つので、どちらでもブルゴーニュが勝っているので、どちらでも良いと思って聞きました。

そんなことを気にするのは、この川の名前をとった県名を持っているヨンヌ県の人たちだけでしょう。


◆クイズ: この人は誰でしょう?

橋の欄干に立っていた男性に話しを戻します。



この人、どう見えますか?

私は、ずいぶん疲れているみたいに見えました。
なんだか暗い表情・・・。

ブルゴーニュ地方の中央には、モルヴァンという山岳地帯があります。大して高い山ではありませんが、森林地帯では農業が困難なので、昔はとても貧しい地方でした。

女性たちがパリに乳母として働きに行ったことで有名です。乳母になるためには乳が出るのが条件。つまり、自分に赤ん坊がありながら、その子をおいてパリに働きに行くのですから、悲しすぎるお話しです・・・。

モルヴァン地域は、雨も多いので暗い雰囲気でもあります。・・・と言ったら、この土地に住む人たちに悪い! 美しい自然公園となっているので、モルヴァンが好きな人もたくさんいます。

でも、このクラムシーの町は、厳しい自然があるモルヴァンには入っていないはず。ヨンヌ川の流域で、土地はなだらかです。

それなのに、なぜこの銅像はこんなに暗い顔をしているのだろう?・・・
黒ずんでいるからなのか?・・・

こんな元気のない姿で立っていられるのは、通りかかるときに楽しくないではないですか?・・・

でも、これが何のためにあるのか知ったら、ブルゴーニュをもう少し深く知ることができました。

書きながらクイズにしたくなってしまいました。

この彫像のおじさんが誰なのか、お分かりになる方がありますか?
コメントでお答をお寄せくださいね♪

ヒント:

●おじさんは橋の上に立っている。

●この川の水はパリまで流れます。

●この町の歴史を支えていたある職業の人たちを忘れないための彫像です。


つまり、お答えいただきたいのは職業の名前です
日本にもあった職業なので、すぐに思いつかれる方があるかも知れませんね。


追記:
お答えを出していただいたので、解答の説明ページをつくりました。

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カテゴリー: クイズ | Comment (10) | Top
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2008/01/18

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その2

前回の日記(ロマン・ロランの生まれた町にある建物)でご紹介したクラムシー町の続きが書きたくなりました。


クラムシー町で見た不思議【1】:

この町には旅の途中で通りかかっただけ。恐らくツーリストがわざわざ行くような町ではないと思います。でも少し観光してみたら奇妙なものを幾つか見つけたので、なかなか気に入ってしまいました。

今日は、その1。あと3つ、すでに用意しています。


国道を通って町に入ったとき、奇妙な教会が目に飛び込んできました。



Eglise Notre Dame de Bethléem

教会のたたずまいが異国風なのは良いとしても、どうにも美しくない教会です。
こともあろうに、コンクリートでできているのですから、余りにも異様でした!

なんじゃ、これは?!
― それが私の第一印象でした。

フランスは美しい国なので、むしろ美しくないものを見たときの方が驚きは大きいのです!

調べてみたら、コンクリートを使って建てられた教会としては、フランスで3番目に古いものなのだそうです。建築完成は1927年。

こういうのは中近東の様式で、パレスチナの教会を思わせるとのこと。パレスチナには行ったことがない私には、似ているのかどうか分かりません・・・。

教会のたたずまいが異国風なのには理由があるのだそうです。

このクラムシーという町には、5世紀の間、ベツレヘムの司教が住んでいたことを忘れないために建てられた教会なのだそうです。

名前もベツレヘム教会となっています。

その昔、ヌベール公(伯爵)はクラムシーの土地をベツレヘムの司教に寄贈したそうで、1225年からフランス革命までの間、ベツレヘムの司教50人が住んでいたそうです。

つまり、東西教会の分裂があったために、ベツレヘムの司教がフランスにやって来ていた、ということでしょうか?

そんな歴史がブルゴーニュにあったとは知りませんでした。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
☆ Wikipédia: Église Notre-Dame-de-Bethléem de Clamecy
L’histoire de l’évêché de Bethléem


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2008/01/17

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その1


久し振りにクイズを出してみようかと思って、それに付ける写真を探してみました。

すぐに出てきたのは、少し前に行ったブルゴーニュ地方にあるクラムシー町で撮った写真でした。

これです ↓



通りの名前は「ロマン・ロラン通り」。クラムシーはロマン・ロランが生まれた町なのです。

これは何だった建物でしょう?」というのが、私が考えたクイズの質問でした。

でも、クイズにするのは止めました。

そもそも、私がどんな答えを期待しているのか、この写真だけでは分からないでしょう? 幾通りもの答えが可能なはずです・・・。


◆ロマン・ロランが生まれた町クラムシー

さらにヒントのようなものを考えたら、罠にかけるみたいなので、これをクイズにする気はなくなりました。

この建物はクラムシーという町にあって、そこはロマン・ロラン(1866-1944年)の生まれた町。

・・・としたら、ロマン・ロランの生家? と考えてしまう方もあるかも知れない!

この町にはロマン・ロラン博物館があって、そこは彼が生まれた家を使っています。もっとずっと立派なお家です。

★クラムシー町にあるロマン・ロラン博物館: Musée d'Art et d'Histoire Romain Rolland


私はクラムシーに行ったら、あちこちにロマン・ロランの名が見えたので、この町で彼が生まれたのだと知りました。

さらに気がつけば、彼が晩年を過ごした家があったヴェズレー(世界遺産に指定されている美しい村)は、このクラムシーから近いのでした。

書きながら調べてみたら、その距離は23キロ。県が違うので、もっと遠いように感じていました。

さらに気がつけば、ロマン・ロランはヴェズレーで息を引き取って、このクラムシーの教会で葬儀をしていたのでした。

★ロマン・ロランの死を報道したニュース・ビデオ:
DEUX HOMMES SONT MORTS : ROMAIN ROLLAND ET LE COLONEL FABIEN

*陸軍大佐と一緒の日に葬儀が行われたので、ニュースでは二人の業績を交差させてしまっています・・・。



ロマン・ロランの言葉



◆中世のお店

話しがそれてしまいました!

上に入れた写真は、「この家は、中世にはお店でした」という答えを期待していました。

フランスの古い建物が残っている旧市街を歩いていると、よくこの形の建物を見かけます。店だと教えてもらってから、バカの一つ覚えのように「わあ、お店だ!」などと喜んでしまっています。

例えば、下の写真は、同じブルゴーニュにあるディジョンの、旧市街の中でも一番観光客が通る道にある建物です。


Maison Millière

道路に面している窓にご注目ください。

写真では見えにくいかも知れませんが、道路に面したところがカウンターのように石が少し飛び出しています。

それから、木組みの家である点も重要です。こういう風に木組みに土など色々なものを詰めている建てかたの家は、石だけでできた家よりランクが低いので、典型的に商店だろうと推測できるのです。貴族などが、こういう家に住むということはまずなかったはず。

中世の商店は、窓のところに商品を並べて、外からお買いものする形式になっていたそうです。

ちなみに、このディジョンの中世の店はとても美しい建物なのに、長いこと放置されていました。数年前、やっと持ち主が売る気になったのか、お土産屋さんがオープンしました。それを知ったときは、中にも入れるようになったので喜んだのでした。

まだ放置されていた状態だったときも、映画のロケで使われたりしていました。



ジェラール・ドパルデュー主演『シラノ・ド・ベルジュラック』 (1990)
お土産屋さんもロケで使われた建物であることが自慢らしく、映画の写真を窓ガラスに貼っています。これは、それを撮影したものです。

ブログ内リンク:
ブルゴーニュの作家ロマン・ロランの足跡をたどって 2013/06/26
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビドラマに関する記事


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カテゴリー: 文学、映画 | Comment (2) | Top
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2008/01/16
ブルゴーニュ地方にあるクラムシー(Clamecy)という町には、奇妙なものが幾つかあります。

それを幾つか書いた日記の一覧です。


[続きを読む  Lire la suite...]


2008/01/15
フランスワインは、地方によって色々な形をしています。全部並べてみるのは面倒なので、とりあえず有名なボルドー型とブルゴーニュ型をご紹介します。


◆ボトルの形: ボルドー型とブルゴーニュ型

フランスワインで肩を並べているのは、我がブルゴーニュと、ボルドー。

ボトルを遠くから見ただけで、どちらなのか分かります。
形が違うのは何か意味があるのでしょうか?
あるいは、ただ伝統的にそうなのか?・・・

ボルドーのボトルは、こんな形をしています。


シャトー・ムートン・ロートシルト [1899]


いっぽう、ブルゴーニュ・ワインのボトルは「なで肩」です。
こんな形 ↓

          
ヴォーヌ・ロマネ[2000]赤        コルトン・シャルルマーニュ [2005] 白


ブルゴーニュの形を見慣れているせいもあるのでしょうが、私はこのなで肩の方がボルドー型より美しいシェープだと思うのですけれど、どう思われますか?


◆ブルゴーニュ・ワインの昔のボトルの形

前回の日記(ブドウ剪定道具の進化)で、昔のブドウ畑で使っていたナイフやハサミをご紹介したのですが、その道具の下にあったボトルに気がつかれたでしょうか?

この写真です ↓



ブルゴーニュ・ワインのボトルなのですが、少し形が違いますでしょう? ずんぐりしています。

当時のボトルを作る技術がそうせざるを得なかったのではないかと思うのですが、ガラスも厚くて、どっしりしたボトルになっています。

なかなか素敵だと思います。

このボトルでワインをお給仕するときは、普通と違ったやり方ができます。

底にある窪みが深いので、そこに親指を突っ込み、残った4本の指をボトルの上の方向に向けた形でボトルを持ちます。

そういう風にデモンストレーションしてくれたブルゴーニュの友達がありました。普通に持つと、ボトルが太り過ぎていて持ちにくいので、その方が便利だとも思いました。


◆今でも、昔スタイルのブルゴーニュ型ボトルは使われている

こういう形のボトルは博物館で見れるだけのものではなく、今でもこだわりのワインでは使っています。

例えば、こちら ↓


シャトー・ド・ポマール [1991]

このシャトー・ド・ポマールはトップクラスのドメーヌですが、ここの美しいセラーは、一般観光客でも入場料させえ払えば見学できます。


他のドメーヌでも、時々こういう昔のボトル形のワインに出会います。
結局、高いワインだと、コストをかけられるので、ボトルにも凝ることができるらしい・・・。


ちなみに、ロマネ・コンティのボトルは、これです ↓


ロマネ・コンティ [1978]

どっしりしたボトルで、少しずんぐりしていますが、昔のボトルほどには肥っていません。

もっとズングリしていた方が、私は美しいと思うのですけれど・・・。あるいは、普通のブルゴーニュ型のようにほっそりしていた方がスマートに見えます。

ロマネ・コンティは、もう2度と飲む機会はないと思うので、ケチをつけて気を晴らしました!

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