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2011/08/31

アレジア周辺の観光】 その7
フラヴィニー・シュール・オズラン村 (1)


8月中旬にした旅行のことを書いているシリーズです。

フランスがローマ帝国に屈服することになったアレシアの戦いがあったとされるアリーズ・サント・レーヌ村(目次の(2)から(6)に入れた日記)を訪れたあと、近くにあるフラヴィニー・シュール・オズラン村に行ってみました。


カエサルが陣を構えたフラヴィニー村

アレシアの戦場がアリーズ村だったなら、カエサルが率いるローマ軍はフラヴィニー村に陣を構えていたと言われます。

敵の襲撃が多かった時代には、自然の要塞となる丘の上に城や集落が築かれることが多かったようです。アリーズ村もフラヴィニー村も集落は丘の上にあります。

この2つの村の間での移動は車でしかしたことがないのですが、Googleマップで調べてみたら、歩いても1時間くらいで到着できる距離なのでした。


大きな地図で見る
Bがカエサルが陣を構えたフラヴィニー村、Aが襲撃したアレシアです。


フラヴィニー・シュール・オズラン村

丘の上にある村はフランスの美しい村の典型的な姿なのですが、いつも行く道からは村の全貌が見えないので、ものたりなく思っていました。

この度の旅行では、フラヴィニー村の観光を終えてから次の目的地に向かったので、観光写真にありそうなアングルでフラヴィニー村を遠くに望むことができました。



丘の下には、左が畑や牧場。もっと右に視線を向けるとブドウ畑、という風景。


フラヴィニー村は「フランスの最も美しい村」協会に入っています。

この協会には入っていない村々も含めた「フランスの美しい村」という私のイメージの中では、フラヴィニーは少し魅力に欠けると感じています。

関係者以外は中に入れない宗教関係の大きな建築物の壁がかなりのスペースを占めているので、なんとなく圧迫感があるのです。

とはいえ、村を包囲していた要塞の立派な門は見事に残っているし、村の中を歩いていると美しい建築物や彫刻がたくさん目に飛び込んできます。



古代から栄えた村の重みはあります。

宗教戦争が勃発したときには、ブルゴーニュの首都ディジョンに対抗して、この村に議会を作ったという歴史もあったのだそうです。1590年のこと。数か月だけしか続かなかったそうですが。

ブルゴーニュには拠点になるのにふさわしい町もあったと思うのですが、フラヴィニーはそれだけ宗教的に堅固な存在だったということなのでしょうね。


下は、民家の外壁にある彫刻。



何にか意味があってはめ込んだのかな?…
あるいは、どこかの廃墟に転がっていた彫刻を利用しただけのことなのか?…


美しい村の散策を楽しむ

フランス人は美しい村を散策するのが好きです。

村の中を歩いて昔の雰囲気に浸るとか、古い建築物を眺めるとか…。つまり、入場料を払わない観光するので、フランス人は長期休暇を過ごせるのだろうとも思います。

もっとも、観光客が非常に多く訪れる南仏の美しい村では、お金を落とさないツーリストがたくさん訪れてはたまらないと思うのか、あるいは、それを利用して儲けようと思うのか、いくらでもスペースがある村でも駐車料金をとっていることが多いです。

ブルゴーニュは観光客が押し寄せるわけでもないので、本来の田舎の良さを味わえるので好き。

フラヴィニー村も長閑♪ この日は暑くて喉が渇いたので村の入り口にあるカフェで冷たいビールを飲んだのですが、静かなひと時を過ごしました。木立の日陰も、眺めも、すばらしく気持ち良かったです。

フランス風に美しい村の散策を楽しむ日本人は、そう多くはないのではないでしょうか?

いつだったか、日本人をブルゴーニュの田舎に案内してショックを受けたことがありました。「想像していたフランスと違う」と言われたのです。

「フランスの建物の壁は白いと思っていた」とのこと。申し訳ありません! でも、それって、ディズニーランドのイメージではないですか?...

それから、「フランス人のファッションが違う」とも言われました。でも、パリを歩いていたって、ファッション雑誌から抜け出してきたようなパリジェンヌを見つけるのは至難の業ですよ~!

ファッショナブルな美しい女性たちが闊歩しているのを楽しみたいなら、イタリアのミラノに行った方が良い、と私は思います...。


映画「ショコラ」の舞台

フラヴィニー村も、古びた石壁の民家が多い村です。
日本人は汚いと思うかもしれない…。

アメリカ映画『ショコラ(Chocolat)』(2000年)では、フラヴィニー村でもロケが行われたそうです。

現在でも、こんな片田舎があるのかというような小さな村だし、美しい昔の建造物が残っているので最適だったのでしょう。

ただし、映画でば全く違う場所をはめ込んでいました。村に川が流れているところはフラヴィニー村の姿とは異なります。

フラヴィニー村と書いてしまっていますが、正式な村の名前はフラヴィニー・シュール・オズラン。これを見るとオズラン川の畔のフラヴィニーとなるのですが、どこに行けばオズラン川が見えるのか?...

映画は、チョコレート(仏語でショコラ)の味を知ることと女性解放に目覚める時期とをかけ合わせた優れた作品なのだと友人に言われたのですが、私はまだ見たことがありません。

映画の予告編:



昔にフラヴィニー村を訪れてみたかった

30年前のフラヴィニー村の様子を見せるビデオを見たら、こんな風に忘れ去られたような村だった時代に訪れてみたかったと思いました。

1979年に収録されたビデオでした。フラヴィニー村の84歳のお婆さんが、子ども時代の生活を村の子どもたちに語っています。

Florence MEUGNOT, la mémoire du village de Flavigny sur Ozerain

お婆さんの名はFlorence MEUGNOT。「ot」で終わる苗字はブルゴーニュの典型的な名前です。お婆さんのブルゴーニュ訛りが感動的! Rを転がすように発音するのがブルゴーニュの方言なのですが、こういう話し方をする人に出会うのは今日ではとても少ないのです。

30年前にフラヴィニー村を訪れてみたかった...。観光客なんか来ない美しい村を発見したときの感動は、とても大きいものなので。

― フラヴィニー村の続きへ ―


ブログ内の関連記事:
フラヴィニー村について書いた日記:
教会の聖職者席にあった彫刻: フランス的なユーモア? 2010/06/06

★ 目次: フランスの美しい村々について書いた記事
★ 目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ

外部リンク:
フランスの最も美しい村協会サイトのフラヴィニー村紹介
☆ 映画「ショコラ」のあらすじ 解説: ショコラ - goo 映画


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カテゴリー: 建築物 | Comment (2) | Top
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2011/08/30
最近、私のホームドクターが引っ越していき、代わりに新しいお医者さんが入りました。「入りました」というのは、小さな村では医師に来てもらうために便宜を図っていて、ここも村がお医者さんのクリニック兼自宅を無料で提供しているからです。

前のお医者さんが出て行ったあと、こんな田舎にいついてくれるお医者さんが見つかるはずはないと思っていたのですが、村長さんが何とか見つけたようです。


やって来たお医者さん

初めて行ってみると、お医者さんは上機嫌で、たくさんおしゃべりしていました。

ここに来る1週間前、家に帰ると、奥さんが銀行通帳などいっさいを持って出て行ってしまっていたことを知った、などと、初対面に言うべきでないことを言っていました。

外国旅行の話しもはずみ、ここで儲かったら、今年は中国を旅行して、それから家をヴェニス風の邸宅に改造するんだ、などともおっしゃる。こんな田舎で開業していたって儲かるはずはないので、大いに笑ってしまいました。

ところが、しばらくして行ったときは、ひどく無愛想。花粉症につける薬はないなどと言って、診断もしないし、薬もくれない。

それでいて、医師の診察料はここ数年ほとんど値上がりしていない、などとぼやいていました。

診察料は1回23ユーロ(約3,000円)。確かに安いかもしれない。でも、私が仕事するときには、「私には何もできません」と言ったら、お客さんは一銭も払ってくれないですよ!

その前の前の私のホームドクターは優秀でした。薬をもらうとピタリと効いたし、仕事熱心でもありました。近所の人が血液検査をする必要があったときには、その時間しかあいていないからと、朝6時に家にやって来て採血したのだそう。

その次のお医者さんは何だか頼りなくて、もらう薬もちっとも効かなかったのですが、親切ではありました。少なくとも、せっかく行ったのに何もしてくれないということはありませんでした。

新しくやって来たお医者さんには初対面で好感を持ったのですが、その後に耳にする近所の評判は良くなかったのでした。評判なんてあてにならないと思っていたのでが、何もしてくれないことがあったら、以前に聞いた話しも本当だったのかという気になりました。

もう80を超しているはずのお婆さんが行ったら、「あなたの年で、あと何年生きるつもりでいるのか」と言われて、お婆さんはすっかり怒ってしまったのだそう。

言って良いことと悪いことがありますが、奥さんに逃げられた話しまでするような人なので、きつい冗談を言っただけなのだろうと思っていたのですが...。

結局、この先生は躁鬱症の傾向があるのではないかと思いました。前に開業していたときに何かトラブルをおこしたので引っ越して来たのではないかな?…

追記 (2015年9月)】
ここで話したお婆さんは、ご主人の1回目の命日の日に自殺しました。:
お婆さんは尊厳死を選んだ... 2011/11/27
とても気丈な人だったので、お医者さんの言葉に傷ついたのが理由だったとは思えません。
罰当たりなことを言ったお医者さんも、それから2年後だったかに亡くなりました。

ホームドクターにしたお医者さん

近所の人が勧めてくれたお医者さんの方に代えることにしました。車で30分くらいかかるのですが、かなり評判が良いらしいのです。

行ってみるとびっくり。こういう昔にいたお医者さんはもういなくなったと思っていたのに、存在していたのでした。

朝早くから夜遅くまで、昼休みもろくにとらないで診察にあたっているのです。近所の人は、待合室でお年寄りに順番を譲ってあげたりしたら、夜の10時ころになったとも言っていました。

しかも、とても感じが良い。

初めて行ったときのアポイントは午後8時と言われました。診察が終わってから薬局に行って薬を買うわけにいかないので困った、と思いました。

すると、薬局に行けるまで飲む薬をくれたのです(もちろん無料)。

信頼感を与えるお医者さんでした。
「この薬を飲んでください。ぴったりと止まりますよ♪」と、いつもおっしゃる。

私がクリニックに行くときなんかは、たいした病気ではないのです。「この薬は効きますよ」と言われると、その気になって直ってしまいます。


重曹で歯磨きをする

胃の調子が悪いので、先日ドクターに会いに行きました。本当に具合が悪いときに冷たくされたくないので、時々は大したことがなくても顔を出すようにしているのです。

食べ過ぎの傾向にあるので、胃腸はよく調子悪くなります。

1カ月分の薬を処方してもらったのですが、そのとき、「胃酸が多い傾向にあるなら良い方法があります」と、少し照れ笑いをしながら言われました。先生もそうしているのだそう。

重曹で歯磨きを朝と夜にするという方法でした。

重曹を小皿に入れて洗面所に置いておき、歯ブラシをそれにつけて歯磨きをする。歯磨きが終わったら、口をすすがないで、飲んでしまう!

歯も白くなし、重曹は安いので経済的という長所もあるのだと言われました。

トマトの酸味が耐えられない私なのですが、重曹を少し入れたサラダにすると胃にやさしくなって食べて大丈夫なのだそう。

スーパーで塩を売っているコーナーに大きなパッケージの重曹が売られていて、それが1ユーロちょっとだ、とも教えてくれました。


歯磨きで胃の調子を整えるというのはどうでも良いけれど、歯が白くなるというのには興味を惹かれました。

歯が白くなる歯磨きというのが売られていますが、本当に効くのかどうかわからないのに、やたらに高いのです。

歯を白くする歯磨き粉を楽天市場で検索


重曹を買う

とりあえず薬局で重曹を買ってみました。薬剤師さんも歯が白くなって良いとおっしゃる。ちょっと高め。その後、スーパーでも探してみたら、先生が言っていたのはこれだろうと思うものが見つかりました。

結局、3種類買ってしまいました。



真ん中のがスーパーで買ったもの。両端のが薬局で買ったものです。右のは箱の中に大きな袋につまった重曹が入っていました。左のは小さな口から少しづつ出せるタイプなので、旅行のときに便利だと思って買いました。

スーパーで塩と一緒に売っているなんて変だと思ったのですが、ふくらし粉になるし、野菜を煮るときに水に入れると青々した色が残るので使うという利用方法があったからでした。

重曹歯磨きを実行してみると、まっさきに歯磨きのようには味が良くないと感じたのですが、2日目くらいからは慣れてしまいました。飲むというのは、意識しないと忘れてしまいますが、これも慣れるでしょう。歯をみがいてから飲みこむというのは何となく抵抗があるので、軽くうがいをしてから実行しています。

書きながら調べてみたら、重曹はお掃除にも使えるなど便利なもののようです。歯磨きに関しては、詳しい説明もあり、また反対意見もありました。

みんなが安い重曹で歯磨きしてしまったら、歯磨きが売れなくなって困るでしょうね...。
 
このお医者さんについて後に書いた日記:
日本は怖い国ではないかと思うとき 2013/03/10

内部リンク:
★ 目次: 薬として飲める酒、症状を回復する食べ物

外部リンク:
重曹歯磨き
重曹で歯磨き
重曹による歯磨きについて


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2011/08/29
近所に森のキノコのジロールをとるのを得意としている人がいるので、「とれたら売ってください」と頼んでいたのですが、今年は全く持ってきてくれませんでした。

それでも、温暖な地域ではとれるらしい。朝市にいったら、フランス産のジロールというキノコを売っている八百屋さんがありました。

夏からとれはじめるキノコなのですが、それまでは東欧から輸入されたものしか売っていなかったのです。「東欧でとれたキノコを買ったら絶対にダメ」という友人の忠告を守っているので買っていませんでした。

なぜダメかというと、キノコは放射能を極端に摂取してしまう植物なそうで、東欧はチェルノブイリ原発事故で汚染されているからです。

森に枯れた木があると、キノコが繁殖して森をきれいにしてしまうそうですから、放射能も貪り食ってしまうと聞いて驚きはしませんでした。

とはいっても、フランスで売っている森のキノコは、キノコがたくさんとれる地域でない限り、大半は東欧から来ているものです。ですから、気にしないで食べる人たちは多いのだと思います。

そもそも、レストランで出されたら、どこでとれたのかなんて気にしないで、「わぁ、貴重な野生のキノコだ~!」と喜んで食べますよ!


森のキノコ「ジロール」を買う

今年ほどんど目にしなかったのに朝市で売られていたジロール(アンズ茸)というキノコはソローニュ産でした。パリから西の方に行った地域です。

買おうかなと思って眺めると、かなりくたびれているのでやめました。

ところが、次の店に並んでいたのは、いかにも採れたてという姿。しかも、前の店で売っていたのの半額。

それで、迷わず買ってしまいました。



1キロ12ユーロ。2キロだと20ユーロ。くたびれたジロールを売っていた店では1キロで20ユーロだったのですから、そんなに買ってどうするの?! という心配もせずに2キロ買ってしまいました。

近所の人が持ってきてくれるジロールより、この方が安いのではないかと思って買ったのですが、ブログで書いていたので値段を確認できました。

やはり、八百屋さんの方が高かった。でも、今年はとれなかった年だから、やはり安く買ったと思います。


森のキノコ「トロンペット・ド・ラ・モール」も買う

ジロールのとなりには、「トロンペット・ド・ラ・モール(死者のトランペット)という森のキノコがありました。

このキノコはまだ早すぎると思ったのですが、今年は秋が1カ月くらい早いので、もう生えてきてるのかもしれない。

こちらは八百屋さんのご主人が森でとってきたのだそう。

ジロールと同じ値段。私は森のキノコとしては、こちらの方が好きなのです。



ご主人は、とってきたままが乾燥した状態なのだと自慢していました。店によっては、キノコを水で洗って(つまりは水を含ませて)、目方を重くして売るのだそう。なるほど…。

こちらは買ったのは1キロだけ。売りに出ていたのは、それより少し上回る程度の量だったので、残ったキノコをみんなオマケしてくれました。

トロンペット・ド・ラ・モールは乾燥できるので、大半は洗ってザルにのせて乾かしています。 くぼみに土が入り込んでいるので、洗うのは少し大変なキノコなのですけれど。


子牛のレバーにジロールのフリカッセを添える

なんとなく風邪気味だったので、元気がでるように好物のフォア・ド・ボー(子牛のレバー)のソテー。それに、ジロールのフリカッセを添えた料理を作って食べました。



使っているのは、前回の帰国で買ってきた鉄のステーキ皿です。料理が冷めないのが気に入ってしまって、何にでも使っています。

今回は子牛なので、親子丼?


ブログ内の関連記事:

ジロールのシーズン 2007/07/15
キノコ狩り: 死者のトランペット 2006/10/09
フォア・ド・ヴォー、大好き 2010/08/18
鉄製のステーキ皿はフランスでは珍しい 2011/05/23

目次: フランスで食べるキノコ


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2011/08/28
今年は春が夏のように暑くて、夏になったら春先のように寒いという天候でした。遅ればせながら夏が来たかと思ったら、やはりそうではなかった。

季節が1カ月くらいずれてしまっている年だと感じたので、枯葉もなんだか変に見えてしまいます。

窓から撮影してみた菩提樹の木です。



まだ夏のように青々とした中に、もう落ちるのを待っている枯葉が混じっています。すでに地面にはたくさん枯葉が落ちています。


遅ればせながら夏が来たと喜んでいたのに気温がまた下がってから1週間。

冷たい雨が1日中降る日、ブドウの収穫のアルバイトが始まった知人たちはさぞ辛い仕事をしているのだろうな… と同情してしまいます。

雨が降ると、ブドウを摘む仕事は大変なのだそうです。カッパから雨が入って来るし、靴も重くなるので。

それに、雨が降っている中での収穫というのは最悪です。ブドウが水で薄まってしまいますから。

テレビで農業学校のブドウ収穫風景が映っていましたが、シャルドネのブドウがまだ青いように見えてしまいました。いくら白ワイン用といっても、黄色味おびているはずなのですけれど。

今年のワインも良い年ではないだろうな…。

最近で覚えている寒くて天気の悪い夏は2007年なのですが、あのときより酷い。せめて収穫前にブドウが太陽に照りつけられて仕上がると良いのに、今年はそれさえもなかった。

いつもはブドウ収穫の賑やかさが好きなのですが、今年は見に行かないと思います。先週出かけたときに、ブドウ収穫の光景にでくわしたのですが、雨が降っているので車を降りてみる気にもなりませんでした。


夏服でいても良いだろうと気を許していたせいか、風邪気味になってしまいました。骨のあたりに熱がこもっているのに出てこれないような感覚。これは重症なのだろうと思いました。

まだ観光シーズンなので週末にあるイベントに行こうと思っていたのに中止。真冬用のボテボテのハイソックスを探し出してはいて、暖炉の前でじっとしていたりしました。

なんのことはない。2日で収まってしまいました。
それにしても、なぜ私は大した病気にはならないのだろう?…

母が言うには、私も小学生のときにプール熱で寝込んだことがあったそうです。でも、私は全く覚えていません。


ブルゴーニュの天気予報

1週間先まで見ましたが、時々晴れ間がでたり、最高気温が20度あったら喜べ、という感じでした。

ブログ内の関連記事:

毎年の天候をピックアップ
目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)


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カテゴリー: 四季、自然 | Comment (0) | Top
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2011/08/27

アレジア周辺の観光】 その6
アリーズ・サント・レーヌ村 (5)


歴史的建造物を見るのが好きです。見学するだけではなくて、何百年も前に建てられた城や修道院などに住んでいる人たちもいるので羨ましくなります。

歴史的な価値がある立派な建物が不動産でも売られているわけなのですが、そういうお金がない人はどうするか?

お城や修道院が好きで住んでみたいなと思ったら、障碍者になるか、高齢になるのが一番かな、と思います。

個人がもてあますような大きな歴史的建造物は自治体が所有して修復維持するケースが多いのですが、せっかくの建物だから福祉目的で使っていることが多いのです(障碍者センターや老人ホームなど)。

今回見学したオスピス(施療院)も、その典型でした。


サント・レーヌ病院

アレシアの戦いの場だったとされるアリーズの村には立派な病院がありました。こんな小さな村にしては立派すぎる病院。普通、フランスの田舎では郡庁所在地に老人ホームを作るのですが、アリーズ村は郡庁所在地でもない。

結局、大きなオスピス(施療院)があったので近代的な病院を併設したのだろうと思います。

こちらが17世紀に建てられたオスピスの部分。



道を歩いていて出会った村人が、このオスピスは庭園からの眺めも良いので見学する価値があると言うので、ガイドツアーの時間を待って見学することにしました。

オスピスの裏手には、広大な庭園があったのを利用して作られた現代の病院。かなり大きいです。写真に写っている横幅の3倍くらいありました。



近代的な建物なのですが、母屋のオスピス部分と調和がとれる建築になっています。大半は医療ケアつきの公立老人ホームとして利用されているようです。

フランス式庭園独特の生垣の中に男性が二人座っていて、上機嫌でこちらに声をかけてきました。工事をしている人たちがピクニックをしているのかと思ったのですが、なんだか変。病院に長期入院している痴呆老人たちの昼休みのようでした。

いいな…。病院生活をすると言っても、こんな眺めの良い広大な庭園を散歩できるなんて…。


オスピスの中にある昔の薬局

大学で美術史を勉強しているという若い女性が案内してくれました。

見学のハイライトであるチャペルは、入居者たちのミサで使われているので、ほかの部分から見学を始めました。


昔の薬局です。



近くの職人が作った棚ですが、みごと!

こういう薬局ではとんでもないものを薬品として使っているので、壺に書かれている文字を見ると面白いです。

このような昔の薬局のことをフランス語ではapothicairerieと呼びます。何度聞いても覚えられない単語。ここで書いておいたら覚えるかな?...

そういうところで働く薬剤師がapothicaire。ラテン語のapothecariusに語源があるのだそう。もっとさかのぼると、ギリシャ語でapothêkê (離れて+置く+倉庫 = ブティック)。


聖レーヌの殉教

高齢者たちがドヤドヤと出てきたので、ミサが終わったらしい。チャペルに入りました。



チャペルと呼ばれていましたが、教会と呼びたくなるくらい広いところでした。

祭壇を背にして立ってみると、こんな風 ↓



チャペルの壁面には、いっぱいに聖レーヌ(Sainte Reine)の一生が描かれていました

3世紀、村はローマ軍に占領されていていた時代のこと。羊飼いだったレーヌという女性の美しさに、ローマ人の支配者オリブリウスがほれました。

ところが、結婚を申し込んでも、レーヌは拒絶。レーヌはクリスチャンで、キリスト教を迫害しているローマ人などとは一緒になれないということだったのでしょう。

腹がたったオリブリウスはレーヌをとらえ、拷問し、首を切るという、殉教者がよくされた残虐行為がなされました。当時のローマ帝国は、まだキリスト教を認めていなかったのですね。

ちらりと気になった絵画:



レーヌは、クロワ・サンタンドレ(聖アンデレ十字)と呼ぶバツ印の十字架で貼り付けられていました。中世に栄えたブルゴーニュ公国の紋章が、Croix de Bourgogneと呼ばれてこの形なのです。

ここはブルゴーニュにある村です。何か関係があったのかな?…


聖レーヌの奇跡

レーヌが処刑された場所からは泉がわいたために、多くの巡礼者が訪れるようになりました。そうして17世紀、やってきたパリのお金持ちがお金を出してこのオスピス(施療院)を作ったのだそうです。

そういえば、この急こう配の小高い山の村、あちこちに噴水があって、しかも「飲料水として大丈夫」と書いてあったので気になっていました。暑い日だったので、あちこちで腕に水をかけていたのですが、飲んでみればよかった。

フランスにある噴水や泉の蛇口には、たいてい「Non potable(飲料不可)」と書いてあるので、この村はことごとく飲めると書いてあったのが印象的でした。ぽっこりと土が隆起したような丘だったのですから、なおさら意外。

聖レーヌの伝説は根拠があるのでしょうね。でも、アレシアの戦いに勝って村を占領したローマ人たちが、ローマにあるような水を供給する工事をしたのではないかな… という気もしました。

それにしても、公立病院に入っていた高齢者たち。由緒あるチャペルのミサに簡単に参加できるのは幸せではないでしょうか? でも、信仰心が薄くなった今の若い世代の人たちが老人ホームを利用する時代になったら、ミサなんかあげても喜ぶ人はいないかな?…

― アリーズ・サント・レーヌ村の観光を終えてから、
近くにあるフラヴィニー村にいきました ―


内部リンク:
【ブルゴーニュ十字について】
ブルー王立修道院を建設したマルグリット・ドートリッシュ 2012/02/26

外部リンク:
Entre légende et histoire


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2011/08/26

アレジア周辺の観光】 その5
アリーズ・サント・レーヌ村 (4)


先日レストランで知り合った人から、ブルゴーニュ地方でどこのレストランが一番おいしいかという話しが弾みました。

地域ごとにお勧めを聞かせてくれたのですが、今回の旅行で試してみたいというレストランがあったので電話して予約を入れようとしました。すると「夏休みにつき休業中」との録音。どうして観光客が多い時期にレストランが長期休暇をとるの?! 経営者が人並みにヴァカンス旅行をしたいからなのか、従業員たちに休みを与えたいからなのか?…

仕方がないので、かなり前に行ったことがあるレストランで昼食をとることにしました。シェフが息子さんに代を譲ったそうなので、もしかしたら私好みの胃にもたれない料理になっているかも知れないのを期待して行ったのです。

レストランに到着してみると、入口のドアにミシュランのシールが張ってありました。星つきのはずはないので、ビブグルマン(Bib Gourmand)というリーズナブルプライスで美味しい料理が食べられるというご推薦マークのはず。

最近は、フランスのレストランガイドのなかで、これが一番気に入っています。私が好きなタイプの料理、つまり見た目が美しくて、洗練された味を出していて、胃にもたれない料理を評価しているようにみえるので。

以前は、「ゴー・ミヨ(Gault et Millau)」というガイドブックを信頼していました。長々とレストランの説明が書いてあるので、自分の好みかどうかを判断できるからです。でも、最近は私とは趣味が合わない料理に高い評価をつけているというのが気になってきたのです。


内装にも関心

息子さんがレストランを経営するようになってから内装も変えたのかな? 以前はこんな高級総なレストランだという印象は残っていませんでした。



立派な暖炉の左側にあるコーナーは昔の農家などにあったチーズ工房です。チーズは温めてはいけないはずなので、暖炉のすぐお隣にあるのが奇妙。暖炉はあとからとりつけたのかな?…

ともかく、チーズを並べる棚があるスペースが暖炉と並んでいるのはきれいで気に入りました。

私はランチメニューにしました。エスカルゴの前菜、牛肉のメイン料理、デザートという簡単コースで、18ユーロ。

一緒に行った友人はアラカルトで料理をとりました。前菜はオマールエビ。

オマール海老の前菜

ほんの少し前に私は魚屋さんでオマールを買ったのですが、それに比べるとレストランで出すオマールはサイズがずっと小さいなだな… と感心。私が買ったのは1匹1.3キロくらいありました。これは半分くらいではないか?…

レストランで連れの人が高い料理をとると、ランチメニューなんか注文した人にも突き出しを持ってきてくれるものです。そうしないと、何も食べるものがない人がテーブルに座っているのはかわいそうだからというレストラン側のサービス。

この日も、私は前菜が出る前に2種類の突き出しを一緒に賞味できました。こういう小さな料理が色々出てくるのが好き。


レストランの内装がしゃれているな… と眺めていたのですが、ついでに床の石畳も気に入りました。

石の質が悪いと100年も何百年も使っている間に石がボロボロにかけてきたりするのですが、ここの石は頑丈らしい。傷が全く見えないうえに、表面はピカピカ。タイルではないかと思ってしまうほど状態が良い。

フローリングの古い床もワックス加工のようなものをすると掃除も楽になってしまうのは知っていたのですが、石畳みにもそういう加工ができるのだそう。

ついでに、このレストランのチーズワゴンが気になりました。ワゴンに合わせて作らせたらしい籐のカゴが乗っています。下の写真で黄色い矢印を入れたもの。



一緒に行った人の方はそれに気を引かれてチーズも注文していました。

運ばれてきたチーズワゴンです。



いつも思ってしまいます。たくさん食べられる人って、いいな…。

このレストランのお料理?

とても良かったけれど、後々まで「あそこまで食べに行きたい!」と思うレベルではありませんでした。でも、観光客が訪れるとはいっても小さな村で、これだけのレベルのレストランがあるのは良いことです。

情報リンク(Wikipedia):

ミシュランガイド
ゴー・ミヨ

ブログ内の関連記事:
ミシュランのガイドブックは悪くない、と思ったのはイタリアだった 2008/03/13
レストランに絶対的なランク付けができるのか? 2008/03/12
目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ


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2011/08/25

アレジア周辺の観光】 その4
アリーズ・サント・レーヌ村 (3)


このブログでは、日々あったことを忘れないようにメモしておきたいという目的が大きいのですが、書きだすと止まらない。次々と疑問はわいてくるし、いい加減なことを書くのもいけないので調べる。すると、全く前に進めなくなります。この夏にあって書き留めておきたかったことも、大半は放棄しなければならないだろうな...。

ここ2回の日記で書いたローマ帝国に対抗したガリア人の英雄ウェルキンゲトリクスのことも、調べていると、次々と出てきて際限がなくなるのですが、あと1つだけ追加しておきます。


クールベの絵画

フランス人の画家ギュスターヴ・クールベの絵画に、「フラジェの樫の木(Le Chêne de Flagey)」というのがありました。


Gustave Courbet
Le Chêne de Flagey
Chêne de Vercingétorix
Camp de César près d'Alésia, Franche-Comté
- Murauchi art Museum (Tokyo)


この手の樫の大木は時々フランスで見るのではありますが、幹の力強さが印象的です。

気になったのは、この絵画は「ウェルキンゲトリクスの樫の木(Le Chêne de Vercingétorix)」とも呼ばれること。

しかも、この作品は東京の村内美術館に所蔵されているそうなので興味をひかれました。
村内美術館収蔵作品: バルビゾン派

こういう威圧感のある木はクールベには気に入るオブジェだっただろうな...。 彼はフランシュ・コンテ地方を故郷をする画家ですので、お隣にあるブルゴーニュ地方のコートドール県にある古戦場にアレジアに行って感銘を受けたかもしれない、とまず思いました。

でも、それ以外にも背景がありそう。

このクールベの作品は「Camp de César, près d'Alesia, Franche-Comté(フランシュ・コンテ地方、アレジア近く、シーザーの陣営)」と題して発表されたらしい(出展は未確認)。「フラジェの樫の木」が正式な題名だったとしても、フラジェはフランシュ・コンテ地方にある村の名前です。

ナポレオン3世が調査して、アレシアの古戦場はここだとして建立したウェルキンゲトリクスの銅像が完成したのは1865年。クールベの樫の木を描いた作品が発表されたのは、その前年の1864年。

古戦場はクールベの故郷であるフランシュ・コンテ地方にあったとする説もあるので、クールベらしい挑発的な意図があった作品だったのではないかという気もします。つまり、ブルゴーニュ地方にあるアリーズ・サント・レーヌ村としたナポレオン3世への反逆?

クールベは好きではない画家なのですが、少し前、彼が子供時代を過ごした家に泊まったので、少し好感を感じるようになっています。

でも、調べているときりがないのでやめました!

追記(2012年3月):
「フラジェの樫の木」の絵画は、地元には特別の思い入れがある作品のようです。1898にアメリカに渡り、1987年に日本のコレクターの手に移っていたのですが、何とか金策をして地元に戻ることになったと聞きました。売値は400万ユーロとのこと。2012年秋から、オルナン市営クールベ美術館に展示されるようになるそうです。

追記(2014年3月)
オルナンに戻った「フラジェの樫の木」を見に行って書いた日記:
日本から故郷に帰ったギュスターヴ・クールベの木 2014/03/27


変わったものを教会で見つけた

アリーズ・サント・レーヌ村の観光スポットには、ディジョンの市長をつとめたキール氏の生家と墓地があることにもあります。

食前酒として日本でも知られているキールは、この人の名からとったものです。 非常に個性的な人で、ディジョン市長も死ぬまで20年以上つとめたので、いまだに地元では話題にのぼる人物です。

キール氏の生家のある通りで出会った年配の女性に「生家の中は見学できないのですよね?」と聞いてみたら、色々楽しいおしゃべりをしてくれました。

この村に住んでいた彼女のお婆さんはキール氏のお友達だったのだそう。後に市長になる人にガールフレンドがいてもどうということはないのですが、キール氏は聖職者で(司教座聖堂参事員)、市長の座にあった間もずっと聖職者の衣装で通している人ただったのです。

キール氏がこの村で生まれたと書いた文字と彫像が壁にあった教会に入ってみたら、おもしろいものを見つけました。



司祭さんがお説教するところに、ローマ時代の彫像の胴体部分が埋め込まれていたのです。

アレシアの戦いはここで行われたと推測されるような村なので、こんな遺跡がたくさん転がっていたから飾りに使ったのでしょうね…。 でも、なんだか違和感がありました!

― アリーズ・サント・レーヌ村についての続きへ ―


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ブルゴーニュ白ワイン「アリゴテ」と食前酒キールの関係 2009/03/03

情報情報:
アレシアの戦いの場所はどこか論争:
☆ Wikipédia : Historiographie du débat sur la localisation d'Alésia

『フラジェの樫の木』について:
☆ LeJournaldesArts.fr: « Le Chêne de Flagey » pourrait bientôt rejoindre le Musée Gustave Courbet d’Ornans


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2011/08/25

アレジア周辺の観光】 その3
アリーズ・サント・レーヌ村 (2)


ローマ帝国の侵略に対抗したガリアの英雄として知られるVercingétorix。フランス語ではヴェルサンジェトリックスと発音するのに日本語ではウェルキンゲトリクスと表記されているのが気になって調べてみたら(前回の日記)、この人を扱ったフランス映画があったことを知りました。

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映画の題名は「Vercingétorix : La légende du druide roi(ヴェルサンジェトリックス、ドルイド王の伝説)」ですが、邦題は「グレート・ウォーリアーズ」というアメリカ映画のような題名になっていました。

フランスがガリアと呼ばれた時代の英雄の名をあげても、日本人にはピンとこないからでしょうね。

日本の学校でならう歴史は世界史に傾きすぎていたと不満を持っているのですが(「地理上の発見」などという言葉は使って欲しくない!)、さすが古代フランスのことなんかは無視されていたのではないでしょうか? (授業で出来てたのに、私が覚えげいないだけかな?...

ともかく、フランス人なら小学校くらいで学ぶはずのヴェルサンジェトリックについて何も知らないので、映画がテレビで放映されたときには見てみたいと思いました。

映画の予告編:

Bande-annonce du film Vercingétorix par -Foxys-

この映画を見たという友達に聞いてみたら、「悪くない映画だった」との返事。最後にヴェルサンジェトリッスがローマ軍につかまって殺される場面は非常に残酷だったけれど、この時代はそんなものだろう、とのこと。


Vercingétorixの像

アレシアの戦いはフランス側にとっては敗北の地なわけです。でも、フランス人たちにとっては、ローマ軍を相手にして勇敢に戦ったということで誇りに思い、さらにローマの傘下に入ることによってフランスが文明化できたという境界線を引く意味で大きな意義を持っていた戦いのようです。

アレシアの戦いがあったとされる丘の頂には、ウェルキンゲトリクスの立派な銅像が立っています。



このとき、フランス人の子どもグループが来ていました。一緒に行った友達が、肌の黒い男の子が銅像の足元にいったときの写真をとっていました。

何がシャッターチャンスなの? と聞いたら、 説明してくれました。
子どものころ、学校では「我々の祖先はガリア人」というフレーズを繰り返されたのだそう。 でも、フランス人の子どものすべてがガリア人の子孫なわけではないので、変な教育だった、と言うのです。

確かにね。アフリカ系の子どもたちに「祖先はガリア人」と教えるのは身勝手な学校教育ではないですか?!  日本人も「単一民族」と言ったらいけない。でも、やはり大多数が占めるからって、大和民族と言ってしまうのと同じかな?...


銅像は誰かに似ている?

ガリア時代の男性(仏語でゴロワ)のイメージは彼のような髭にあります。 フランス人には「ゴロワの髭」と言えば通じるでしょうが、日本語だと何と言えば良いのかな?...

ひところ建設中のマクドナルドを襲撃したりして人気者だったジョゼ・ボヴェ氏も、この形の髭をつけています。



この銅像をたてさせたのはナポレオン3世でした。1865年のこと。建立の費用は彼のポケットマネーから支払ったのだそう。そのためもあってか、彫刻家は、ご機嫌をとってウェルキンゲトリクスをナポレオン3世に似せてつくったと言われています。

比べてみますね。

ウェルキンゲトリクスナポレオン3世

どことなく弱さが見える顔の表情、広い額が、似ているといえば似ている。似ていないといえば、似ていない?...

ナポレオン3世は普仏戦争の敗北で失脚を余儀なくされた皇帝です。こんなに大きなウェルキンゲトリクスの銅像をたてることによってガリア人の誇りをフランス人に植え付けて国家を統一したかったのでしょうけれど、ローマ軍に敗れた英雄なんかを讃えるのは縁起が悪かったのでは?…


フランス人たちが大好きな漫画「アステリックス」

私がローマ軍に侵略されていた時代のことを知っているのは、『アステリックス』という人気漫画シリーズを読んだ知識くらいです。

シーザーがしつこく攻めてきていた時代のフランスが舞台になっていて、ローマ軍に対抗しているのはブルゴーニュではなくて、北の方にあるブルターニュの外れにある小さな村という設定になっています。

アステリックス(Astérix)というのは、小柄で賢い主人公の名前。その相棒の、大食いで、デブで、間抜けたキャラクターの名前はオベリックス(Obélix)。

日本でフランス語を勉強していたときには、「何が面白いの?!」と憤慨したくなるくらい理解に苦しむ漫画でした。でも、フランス人の子どもに解説しながら読んでもらって、フランス人の特質(抜け目ない+大食い+冗談好き)が現実社会で見えてきたら、フランス人たちが大好きな漫画だというのが理解できるようになりました。

この漫画に登場するガリア人たちの名前は、ことごとく「イックス(ix)」で終わっています。普通の言葉をもじって「イックス」を最後につけているので、名前自体からして面白いのです。

例えば、オベリックスの愛犬の名前はIdéfixは、耳で聞けばidée fixeに聞こえるのですが、これは考えがフィックスしている、つまり頑固者みたいな意味になる。

この時代の名前は「イックス」で終わるのが流行っていたのだろうと思っていたのですが、「rix」はラテン語の「rex(王)」と同じ意味を持っていて、ガリアの貴族によくある名前なのだそうです。なるほど…。Vercingétorixも「rix」で終わる名前でした。


― アリーズ・サント・レーヌ村についての続きへ ―



情報サイト:
漫画「アステリックス」のオフィシャルサイト


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2011/08/24

アレジア周辺の観光】 その2
アリーズ・サント・レーヌ村 (1)


フランスで好きな景色は、起伏に富む丘陵地帯に穏やかな牧草地かブドウ畑が広がっている景色です。しかも、城や教会など歴史的建造物がたくさんあれば百点満点。

そういう風景が広がっていて好きな地域の一つに、ブルゴーニュのオーセロワ地域(オーセール市周辺)があります。

腐るような天気が好転すると聞いて、終わりに近づいている夏を堪能しておこうと思ってオーセロワ地域に出かけました。


アレシアの戦い

まず立ち寄ったのは、Alise-Sainte-Reineアリーズ・サント・レーヌ)という村。長ったらしい名前なのですが、私はAlésiaアレジア)と呼んでしまっています。 日本語では「アレシア」と表記するのが定着しているようですが。

カエサルが率いるローマ軍と、ガリア人と呼ばれたフランスが戦ったアレシアの戦い(紀元前52年ころ)があった場所とされる地。この戦い負けたガリアはローマ帝国の支配のもとに入ることになったのでした。

カエサルの『ガリア戦記』にも登場する、ガリア戦争を終焉させた大きな戦いです。

アレシアがどこにあるかは、日本の邪馬台国起源と同様に「こちらだ」という主張がありますが、今のところはブルゴーニュのオーソワ地域にある丘の上の村アリーズ・サント・レーヌだったという説が有力になっています。

ガリアを屈服させた戦いがあった場所は、ラテン語ではAlisiiaと綴るそう。この村の名前になっているアリーズ(Alise)はそれに似ている。急こう配の丘の上にあるこの村がローマ軍に包囲されたという姿も想像できるし、それらしき遺跡も見つかっているのだそうです。

アリーズ・サント・レーヌ村からの眺めです。
 

矢印を入れたのは新しい博物館(この夏オープンの予定だったけれど開館は遅れています)。その左側には、ローマ軍の包囲線で使われた矢倉のある要塞を再現したものが見えます。

追記:
博物館はMuséoParcという名前で、2012年3月にオープンしています。

この道から博物館の方に向かう道は、冬に道が凍ったら怖いと心配させるくらいの急こう配(25%)でした!

まだオープンしていないので入れないとは分かっていましたが、古戦場を再現しているところに行ってみました。



カエサルが指揮をとったローマ軍は、こういう砦を2重に築いてアレシアの丘を包囲したのだそうです。

カエサルたちは、この近くにある丘の上の村フラヴィニーに陣を構えていたということになっています。 そちらは美しい村として知られているので時々行くのですが、ついでに後で行ってみました。


発音が…

このガリア人の最後の攻防戦となった戦いがあった場所「Alésia」は、フランス語では「アレア」なのですが、日本語では「アレア」と表記するのが一般化してようです。

日本の地名はたいてい現地の発音に忠実にするのに、なぜ「アレア」なのかな?…

もっと分からないのは、このアレシアの戦いでガリア軍を指揮したVercingétorixの発音。フランス語では「ヴェルサンジェトリックス」と発音しますが、日本語では「ウェルキンゲトリクス」とされているようです。

イタリア語ではVercingetorigeらしいのですが、これでも「ウェルキンゲトリクス」という発音にはならないと思うのです。

Googleで、フランス語とイタリア語の発音させてみました。 こうなります

Vercingetorixをイタリア語やラテン語で発音させても、英語に切り替えてみても、「ウェルキンゲトリクス」とは聞こえない。自動発音は間違っている場合もあるので判断はできないのですが。

アレシアの戦いはカエサルの『ガリア戦記』に出てくるので、これを日本で初めて訳した人がそういう風にカタカナで書いたのに由来しているのではないでしょうか?

ラテン語の発音だとそうなるのかな?…
でも、古戦場の地名であるラテン語表記Alisiiaでも「アレシア」とは読みませんよね?


ラテン語をしっかり勉強したかった...

大学でラテン語の授業を受けたのですが、ものの見事に何も覚えませんでした。

唯一、記憶に残っているのは、先生が言っていたこと。
「みなさん、もの好きですね~。今の時代にラテン語を話す人はいないんですよ」
「ラテン語を教えているだけでは食べていけないので、英語も教えています」

でも、です。
フランスに来たら、ラテン語は役に立たない学問ではないと感じました。

フランスで知り合った人が、「父親は友達が食事に来るとラテン語で会話していた」と言っていたのです。彼のお父さんは古文書図書館の館長だったそうなので、お友達もラテン語ができる人たちだったのだと思う。

そのレベルにいかないまでも、フランスの教養が高いレベルの友人の中にはラテン語をよく出してくる人たちがいます。中学、高校と、古典語の授業が選択できるフランスなので当然ではあります。

知り合いでラテン語をすらすらと出してくる人がいるので、学校で勉強したのだろうと思っていたら、その機会は全くなかったと聞いて驚きました。中学のときは田舎の学校だったのでラテン語の先生がいなかった。高校に言ったら授業があったのだけれど、初級クラスはないので入れてもらえなかったのだそう。

特にラテン語を勉強したわけではなくて、歴史や文学に興味があるので自然にラテン語を覚えてしまったらしい。フランス語の単語は語源がラテン語にあるので覚えやすいだろうし、ラテン語が分かっていないと理解できないことも多いからなのでしょうね。それに、ラテン語そのもののがフランス語になっている表現も多いので、自然に覚える言葉も多いはずです。

ラテン語もギリシャ語も、私は日本の大学でAの評価をもらったのですが、そうでもしないと学生がこなくて授業がつぶれてしまうという先生の配慮だったと思います。ギリシャ語の先生も、生徒を全員お家に招待して食事をふるまってくれたっけ…。

ラテン語やギリシャ語はフランス人から授業を受けるべきだったと後悔しています。だって、日本語とは何の関係もないので全く面白くなかった! 今となっては、若いときでも歯がたたなかった外国語なんて勉強する気になりません...。


DOC - Cesar le conquerant de la Gaule



Jules Cesar Conquerant De La Gaule (film entier en version française)



シリーズ記事目次: アレジア周辺の観光

続き:
ゴロワの英雄ヴェルサンジェトリックス


外部リンク:
☆ アレシアの史跡オフィシャルサイト: 
MuséoParc
☆ YouTube: MuséoParc Alésia
☆ Wikipedia: 
MuséoParc Alésia | アレシアの戦い
☆ 戦術の世界史: 紀元前52年9月 アレシアの戦い
☆ 『ガリア戦記』をラテン語で読む: 
らくらくガリア戦記
 
ブログ内の関連記事
ラテン語の知識はフランスで役に立つ 2009/08/26
画家ギュスターヴ・クールベとアレシアの戦いの関係 2011/08/25
ゴロワの英雄ヴェルサンジェトリックス 2011/08/25
目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ


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2011/08/23
「洗濯船」と聞いて、何か思い浮かびますか?

フランスが芸術の国として花開いていたころ、画家たちが集まったパリの建物の名前というのが日本で最も知られている洗濯船ではないでしょうか? でも、半世紀前くらいのフランスには洗濯船と呼ばれた洗濯をする場が存在していたのです。


モンマルトルの洗濯船

私が初めて「洗濯船(Bateau-Lavoir)」という名を聞いたのは、パリのモンマルトルにある安アパートの名前でした。

20世紀初頭、ピカソ、モディリアーニなど貧乏な画家たちがアトリエを構え、アポリネールやコクトーも出入りしたという、フランスの芸術が花咲いていた時期の遺産的存在。

彼らのアパートは洗濯船のように質素なアパートだったのだろうと思いました。モンマルトルは丘の上にあるのに「船」とつけられているのは奇妙。でも、当時のセーヌ河には洗濯船なるものがあったのだろうと思いました。

洗濯船がどんなものであるかは調べなかったと思いますが、セーヌ河に洗濯船があったのには違和感がありませんでした。日本でも、江戸時代には河川に風呂屋があり、それがお風呂に入ることを「湯船につかる」という表現の語源だと聞きましたので。

モンマルトルで洗濯船を見に行ったことがあったのですが、今は立派な建物なので当時の雰囲気を味わないのでがっかりしたのを覚えています。




洗濯船とは?

終戦直後くらいまでは、フランスの各地に洗濯船はたくさんあったようです。川辺に船を浮かべて洗濯場を作る商売があったらしい。田舎には小さな共同洗濯場がありましたので、洗濯船があったのは人口の多い町だったのだろうと思います。

田舎の共同洗濯場は郷土資産として美しく修復して残されているものが多いです。川に浮かぶ洗濯船の方は邪魔なので取り去られましたが、最近は復元したところも出てきたようです。

洗濯船が姿を消す時期に、最後の洗濯船を撮影された貴重な映像がありました。
☆ モンマルトルの紹介サイト: Les derniers bateaux-lavoirs de Laval

お城めぐりで有名なペイ・ド・ラ・ロワール地方にある町ラバルのマイエンヌ川に残っていた洗濯船を、1969年にルポルタージュしています。

当時はもう洗濯機が登場していたので、洗濯する女性たちにアナウンサーが「洗濯機は使わないのですか?」と聞いていますが、特に年配の女性たちからは洗濯船が一番なんだという表情が伝わってきます。

ここを経営している男性は、そろそろ退職して年金生活に入るのだと言っています。 女性たちの井戸端会議のような場として好まれていたでしょうから、洗濯船がなくなるのは寂しいことだったでしょう。


洗濯鍋のシステム

上にリンクした映像では大きな鍋でお湯が沸かされています。お湯を使って洗濯し、川でじゃぶじゃぶ洗えたので、登場したばかりの洗濯機などよりはきれいに洗えたのではないでしょうか?

映像を見たあと、年配のフランス人たちと話していたときに聞いてみました。
「むかし洗濯をするとき、暖炉で燃した薪の灰を使ったんだって? 」

インタビューしたのは(おおげさ!)、田舎で育った50代と60代の人。

50代前半の人が、お婆さんが灰をためて使っていた、と即座に返事してきました。

もう一人は、洗濯ものを草の上に広げておくと漂白効果があった、と言いました。これは、むかしフィリピンで少し生活したときに私も見たシステムです。

二人とも昔の洗濯鍋は非常によくできていたのだ、と口をそろえて言いました。

洗濯をする鍋はただの鍋ではなくて、中央に煙突のようなものがある。それでお湯が煮立つときには水が循環するので、洗濯物がきれいに洗えるのだそうです。

「知らないの?!」と言われましたが、日本でもそのシステムを採用して洗濯していたのかな?...

今の洗濯機でも電気でタンブラーを回すわけですから、同じ原理なわけですね。

結局のところ、昔から人間が思いつくことって同じなんだな...。ポンペイの遺跡を見学したときも、この時代にすでに現代社会と河変わらない発想があったのだとショックを受けました。

現代になって発達したものといったら、コンピュータ、電気、放射能かな?...なければないで何とかなっていたか、ない方が良かったものばかり?...

原発反対をとなえる
小出裕章先生は、電気の発電はお湯を沸かして電気をつくるという単純なものなのだから、なにも原子力などという危険なものを使う必要などないのだ、と主張されていたのを思い出しました。

ところで、フランスの年配の友人たちに昔のことを聞くと、色々教えてくれるので驚きます。私には、子どもたちに「昔はこうだったのよ」と話せることが何もないです。せいぜい、昔は東京のど真ん中でも広い空き地があって遊べた、東京もはずれなら田圃があってカエルも捕まえられた、などと言えるくらい。

なぜなんだろう?...


この日記で書いたことに関する情報リンク:
☆ モンマルトルの紹介サイト: 
Bateau-Lavoir ⇒ 英語ページ
☆ 夏至異聞: 
パリの「洗濯船」
☆ 洗濯船がある風景の絵葉書アルバム: 
Les bateaux lavoirs - 1/2  | 2/2
☆ 洗濯鍋の写真があるページ: 
Le bateau-lavoir Saint-Julien (PDF)

ブログ内の関連記事:
目次: 昔の共同洗濯場と洗濯機
目次: サニタリーに関して (トイレ、浴室、洗濯、衛生)
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って


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