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2012/02/29
2012年2月、フランス発のトルコ旅行ツアーに参加しました。

8日間の旅で、以前から行きたかったカッパドスに3泊。その他にも色々な観光ができて満足。

とはいえ、日本円にしたら2万円もしない料金で売り出されたこの超格安ツアーは、今まで見たこともない特殊な面も持っていました。

トルコ旅行記の目次です。

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2012/02/28

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その4


ブルー王立修道院Monastère royal de Brou)に初めて行ったのは、はるか昔。フランスにある名所旧跡などは、誰でも行く有名なところくらいしか見たことがないときでした。

そのせいだろうとも思いますが、この修道院に連れて行ってもらったときの印象は強烈でした。

回廊に囲まれた修道院が3つもある大きな修道院なのですが(全景の図)、記憶しているのは教会の部分だけです。


後期ゴシックのフランボワイヤン様式

ブルー王立修道院の教会は、ゴシック様式の最後に生まれたフランボワイアン様式が見事です。



フランス語では「gothique flamboyantゴシック・フランボワイヤン)」と呼ぶ様式ですが、それが何であるか説明してもらわなくても分かります。flamboyantと言われれば、燃え上がった炎のイメージが思い浮かぶからです。

この教会が建設されたのは16世紀前半。同じゴシック様式でも、パリのノートルダム大聖堂(13世紀前半に完成)などとは比較にならないほど美しい建築だと感じます。建築技術が向上して、こんなレースのような彫刻を施した石で建築物がつくれたのでしょうね。

建築様式としてはゴシックの前のロマネスク様式の教会が一番好きになったのですが、今でもゴシック・フランボワイヤンは美しいと思います。これだけ石材を自由自在に扱えてしまうものなのか、という驚きからですが。

フランボワイヤン様式の教会の代表として挙げるなら、ルーアンのサン・マクルー聖堂など数々ありますが、私にとってはフランボワイヤン様式と初めて出会ったブルー王立修道院です。

ブルー王立修道院の教会に見られるフランボワイヤン様式は、大きな町にある大聖堂のように仰々しくはなくて、しみじみとさせられる雰囲気があるので好きです。


悲しいまでの美しさ...

初めて連れて行ってもらったときには、前々回の日記で書いたマルグリット・ドートリッシュ(Marguerite d'Autriche)のストーリーなどは何も知らなかったのですが、知らなくても伝わってくるものがありました。

マルグリット・ドートリッシュの夫、サヴォイア公フィリベール2世の棺です:



前回の日記に書いたサヴォア家の紋章を天使が支えていますね。

その向こう、ステンドグラスの前にあるのがマルグリット・ドートリッシュの棺も見える写真も入れておきます。



当然ながら後からつくったので、空いている場所にマルグリットの場所を確保したのでしょうか? でも、レースのような石の彫刻で飾られていて見事です。


聖職者席の彫刻

上に入れた写真の左手に写っているのが、オーク材の彫刻が見事な聖職者席。なぜか私は聖職者席stalles)の彫刻を眺めるのが好きです。この日も、一つひとつ眺めました。



エスカルゴというのが気に入りました。今でこそ、珍重される本物のエスカルゴの品種は「ブルゴーニュのエスカルゴ」と呼ばれるのですが、昔からいたので親しみがあったのかな?... ブルゴーニュでは時々、古い建築物にエスカルゴの彫刻が見られます。

聖職者席の彫刻が好きなのは、ユーモラスなものがあるからです。聖書からとっている場面なのかも知れませんが、私には全く意味不明。それで、どうして、こんな彫刻があるの? と思ってしまうわけです。



これは、座席を閉じた状態のときに見える部分です。僧侶たちには決まった席があったはずですが、私なら好きな彫刻があるイスを選びたいですね。

例えば、こちらなど。



カメで飲んでいる姿ですが、ワインではないかと思うからです!

この画像を縦長にしたのは、上の部分が気になったからです。

立ったときに、ここにお尻をのせて、長時間ミサで立っていても疲れないというシステムなわけですが、後ろにももたれるので背の部分に年期が入っています。

でも、こすれた跡がある左側の部分、女性の顔に見えませんか?
修道院を建てたマルグリット・ドートリッシュが現れた! とか言う人はいないのかな?... 


撮った写真を入れるのは大変なので、横着して、インターネットにあったブルー王立修道院のスライドショーを入れておきます。



ついでに、もう一つ。
フランス語の説明付きで、広い修道院の中がどうなっているかの図も見れます。




内部リンク
★ このシリーズ記事の目次: ブルー王立修道院の訪問記
目次: 教会など宗教建築物に関する記事ピックアップ
目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ

情報リンク
☆ MMF(フランス美術館・博物館情報): ブル王立修道院付属美術館
☆ Centre des monuments nationaux: ブルー王立修道院
☆ 世界遺産資料館: ブルーのサン・ニコラ・ド・トレンタン大修道院
☆ Encyclopédie: L'art gothique
フランボワイアン・ゴシック
☆ Wikipedia: フランボワイアン・ゴシック


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2012/02/27

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その3


先日から書き出して、なかなか本題には入れないでいるブルー王立修道院はブールカン・ブレス(Bourg-en-Bresse)という町にあります。町の名前を見ると、ブレスにあるBourgとなります。


ブレス地方とは?

ブールカン・ブレス町はブルゴーニュ地方の南部にある大きな町マコン(Mâcon)から40キロくらいのところにあるので、私にとってはブルゴーニュ地方の中にあるような気がします。そもそも、ブレス(Bresse)と呼ばれる地域がブルゴーニュにあるので、そういう気分になるのです。

ところが、このブレス地方、ややっこしい!

歴史的に「ブレス」と呼ばれた地域が存在するのですが、現在の行政区分では3つの地域圏(州のようなもの)にまたがっていています。ブルゴーニュ地域圏、ローヌ・アルプ地域圏、フランシュ・コンテ地域圏。県でいえば、ソーヌ・エ・ロワール県(ブルゴーニュ)、アン県(ローヌ・アルプ)、ジュラ県(フランシュ・コンテ)。

ブレス地方では世界一美味しいといわれるAOC(原産地統制呼称)の品質保証付きのブレスの若鶏が生産されているのですが、その生産地も、この3つにまたがっています。

ブレスの若鶏はブルゴーニュ特産と私は感じているのですが、ローヌ・アルプの人たちは本場は自分たちの地域だと思っているのでしょうね。

普通の地図を見たって、Bresse(ブレス)という地域の堺が書いてあるわけではありません。Wikipediaでは線を引いているかなと思ってみたら、こんないい加減な位置表示でした

歴史的に同じ文化を持っている地域なら、行政区分でも同じにしてあげた方が郷土文化の保存運動などには便利だと思うのですが、一度作ってしまった行政区分を壊すのは困難なようです。

ブレスのように歴史的に文化を同じくする地方を「Pay(ペイ)」と呼んで区分しようという動きがあったのですが、行政区分が違ってしまうと各自治体の出資金配分の問題などで計画が進みにくいらしくて、最近ではほとんどペイという言葉が聞かれなくなりました。


ブールカン・ブレス町はブルゴーニュ公国に入っていなかった

修道院を見学するために久しぶりに行ったブールカン・ブレス町。現在はローヌ・アルプ地域圏アン県に位置するといっても、中世にはブルゴーニュ公国の中に入っていたのだろうと思っていたのですが、調べてみたら、ブルゴーニュ公国だった時代はなかったのでした。

Wikipediaに1477年のフランス地図があったので見てみると、ブルゴーニュ公国の領土は、なぜかブールカン・ブレスのところでくびれていて、サヴォア公国の領土だったのでした。
※東部にある黄色の部分がブルゴーニュ公国の領土。1477年は、シャルル突進公が亡くなり、ブルゴーニュ公国の解体が始まった年です。

この日記を書きながらの発見でした。


サヴォワ公国

サヴォワ(Savoie)という名前は、フランスのローヌ=アルプ地域圏の県の名前でもあるので馴染みはあります。でも、こころのとろ、サヴォワ公国Duché de Savoie)が気になってきました。

まず、昨年秋の旅行で行ったイタリアのピエモンテ州。ここはサヴォア公国だった、と知りました。

地元のツーリストオフィスの人は、イタリア人にはフランスなんだかイタリアなんだか分からない地方なのだと冗談を言っていました。建物や街の様子は完全にイタリアに見えたのですが、料理が私がイメージしているイタリアとは少し違う...。

そして、前回の日記を書いていたら、またサヴォア公国が登場しました。今回の旅行シリーズで書こうと思っているブルー王立修道院は、マルグリット・ドートリッシュが亡き夫であるサヴォイア公フィリベール2世のために建てたのでした。つまり、ここはサヴォア公国だったから修道院を建てた...。

サヴォア公国について調べてみたら、サヴォワ公国の領土(16~18世紀)の地図がありました。

サヴォア公国というのは、フランスよりもイタリアに広がっていた国なのですね。フランス語ではサヴォア公国(Duché de Savoie)と呼ぶのですが、イタリア語ではサヴォイア公国(Ducato di Savoia)。日本語の記述でも、この2つの呼び名が使われているようです。

思い出せば、2008年の秋に、ブルゴーニュ公国のシャルル突進公が大敗したグランソンの戦いがあったところに行ったのですが、この戦いもサヴォア公を助ける応援の戦いだったのでした。

そのときの日記:
スイス旅行: モラ or ムルテン 2008/09/03


イタリア王国の国旗には、サヴォアの紋章が入っていた

歴史に詳しい友達に、ここのところ書いていることに間違いがないかを確認しながら、サヴォア公国のことを聞いてみました。

すると、こう言われました。

ブルゴーニュ公国よりサヴォア公国の方が成功したと言えるだろうね。
だって、現在のイタリアの前身であるイタリア王国の旗にはサヴォワのマークが入っているから。

へえ、知らなかった!
イタリア王国の旗の画像を探してみたら、本当に、変な(と私には思える)国旗がありました。



「知らないの?」とバカにされてしまったけれど、私が生まれる前に存在していたイタリアだもの。こんな国旗を見たことがなくて当然ですよ~(いい訳!)。

それにしても、なぜサヴォアがイタリアを統治してしまったかのような旗になっているの?...

イタリア統一運動で中核となったのがサルデーニャ王国(仏語でRoyaume de Sardaigne)で、この王国はサヴォワ公(サヴォイア公)の家系なのでした。

サルデーニャ(私はサルディニアと呼んでいたのですが、こちらの表記が一般的らしい)とは、コルシカ島の南にある島でしょう? ピエモンテからかなり離れていますよ...。

18世紀のサルデーニャ王国の地図

なぜ、そうなっていたの? と思ってしまうのですが、フランスの歴史だって把握できないでいるのだから、イタリアのことまで気にするのは止めておきます!


ブログを書いていると、色々と調べる機会になって、それをメモできるので良いのですが、脱線しているきりがない...。

次回こそは、本来書こうとしているブルー王立修道院を見学したときのことを書きます。

― 続く ―


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2012/02/26

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その2


前回の日記で書いたレストランから、窓の向こうに見えるブルー王立修道院(Monastère royal de Brou)の建物をしげしげと眺めたのですが、そのとき気がついたことがありました。


ブルゴーニュ公国のマーク「聖アンデレの十字架」

修道院の教会の部分。美しい入口の部分にある彫刻に目が行ったのです。

ブルゴーニュ公国の旗のマークがあるではありませんか。しかも、見えただけでも2カ所もあります!

ブルー王立修道院の正面 

ブルー王立修道院の正面から見て、中央にあるのは聖アンデレ像ですが、屋根の左上にもX型の十字架を持ったライオンの彫刻がありました。

アンデレはキリストに選ばれた12人の使徒の1人。X字型の十字架で処刑されて殉教したために、このバツ印のような十字がシンボルになっています。

アンデレというのが日本語表記らしいので、そう書きましたが、フランス語ではアンドレという名前。少し年配のフランス男性にはアンドレという名前が多いです。私は耳障りが良くて好きな名前なのですが、そう言ったら友人から「??」と反応されました。アンドレ(André)は良いのだけれど、あだ名のデデ(Dédé)で呼ばれるので美しくないのだそう。
Croix de saint André
Croix de Saint André(聖アンデレの十字架)は、ブルゴーニュ公国のシンボルです。

ブルゴーニュ公国の旗のマークは右のもので、Croix de Bourgogne(ブルゴーニュの十字)と呼ばれます。ただのⅩ型ではなく、バツ印にギザギザがついています。

聖アンデレの像が正面に掲げられている教会堂なのですが、この教会の名前はÉglise Saint-Nicolas-de-Tolentin de Brou。つまり、別の聖人であるSaint Nicolas de Tolentino(トレンティーノの聖ニコラス)の名前がついていました。

教会の正面は最近修復が行われた様子で、きれいになっていました。入口の木のドアが白く塗られていることが気になりました。でも、歴史的建造物に指定されている建物ですから、気まぐれにしたはずはない。以前の状態はどうなっていたのか調べてみたら、やはり普通のドアのように茶色でした(修復前の写真はこちら)。


マルグリット・ドートリッシュ

ブルー王立修道院(Monastère royal de Brou)は、ブールカン・ブレス町(Bourg-en-Bresse)にあります。

マルグリット・ドートリッシュが、亡き夫サヴォイア公フィリベール2世を葬るために、16世紀全般に建築されました。

マルグリット・ドートリッシュMarguerite d'Autriche)は、ブルゴーニュ公国最後の後継者マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne)と神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の間に生まれた第2子です。

つまり、ブルゴーニュ公国のプリンセスだったのです。教会の正面にブルゴーニュ公国のシンボルだった聖アンデレの十字を付けたのも、それを強調したかったからではないでしょうか?

もちろん、上に入れた写真に見えるように、屋根は「toit bourguignon(ブルゴーニュの屋根)」と呼ばれる色タイルの屋根です。
 
追記:
聖アンデレの十字が気になるのでさらに調べていたら、この十字マークはマルグリット・ドートリッシュの家系が統治したネーデルラント17州のマークでもありました。ブルゴーニュ公国から引き継いだ領地なのでマークも同じにしたのでしょう。ただし、十字に付けているギザギザの数がブルゴーニュの十字と同じなのかどうかは分かりませんでした。


マルグリット・ドートリッシュは、小説や映画になる価値があるくらいに波乱な人生を送った人でしょうね。


マルグリット・ドートリッシュの肖像画
※左はブルー王立修道院のステンドグラス。右はJean Heyの作品(1490年)。


Marguerite d'Autricheの「Autriche」はオーストリアのこと。従って、彼女の名前は「オーストリアのマルグリット」となります。

今まで気に留めたこともなかったのですが、マルグリット・ドートリッシュ(1480-1530年)がどんな人だったのかを少し調べてみました。

この時代の歴史は複雑で、理解するのが難しい! まず、国の区分で混乱します。国というよりは、支配者の家系が所有する領土で区分すべきなのですが、政略結婚によってさらに複雑になる...。さらに、人の名前も複雑。同じ人でも、色々変わるし、領主であることを示す名前を幾つも持っている。さらに、言語が違う諸国が統治されているので、同じ人に色々な言語で名前がついています。こうなると、日本語情報で調べるのはお手上げ状態になります。

マルグリットの悲劇は、絶世の美女だった母親マリー・ド・ブルゴーニュの突然の死(1482年)から始まります。この時、彼女は2歳。

ブルゴーニュ公国はベルギーやオランダまでを領土としていたのですが、唯一の直系だったマリー・ド・ブルゴーニュの死が利用されて、ブルゴーニュ公国は解体され、ブルゴーニュ地方をはじめとするフランスの領土はフランス王国に横取りされてしまいます。

それでも、フランス王国はブルゴーニュ公国を完全に飲み込むために、血縁関係を作ろうとしたのでしょう。マルグリットはベルギーに住んでいたのですが、3歳のときにフランスに連れ出され、フランス王妃となるべく教育をほどこされます。

マルグリット10歳のとき、婚約者とされていたフランス王シャルル8世(1470年~1498年)の妻にされます。

マルグリットより10歳年上のシャルル。女性に愛でる文化があるフランス王朝ですから、優しく扱ってくれるシャルルに、マルグリットは優しいお兄さんという感情を抱いたのではないでしょうか?...

ところが、政略結婚の時代でした。フランス王朝にとっては、ブルゴーニュ公国よりもブルターニュ公国を手中に収める方が将来性があると判断したようです。シャルル8世はマルグリットを離縁し、ブルターニュ公国の継承権を持つアンヌ・ド・ブルターニュと結婚してしまいます(1491年)。

実は、このとき、マルグリットの父親マクシミリアン1世はアンヌ・ド・ブルターニュと婚約していたのに、シャルル8世に横取りされたのです。マルグリットには2重の屈辱!

※私が訪問記を書こうとしているブルー王立修道院は、国王が建てさせたのではないのに「王立」の文字がついているのが不思議だったのですが、この修道院を建設したマルグリットは短い期間とはいえフランス王妃だったので「王立」と呼ばれるのでした。

1497年、マルグリットはスペインのアストゥリアス公フアン (1478~1497年)と結婚します。幸せな結婚になるかに見えたのですが、夫は半年後に急死してしまいます。そのときマルグリットは第1子を懐妊していたのですが、その男子を死産します。

1501年、マルグリットはサヴォイア公フィリベール2世(Philibert II de Savoie, dit le Beau: 1480~1504年)と結婚します。

フィリベール2世は「美男フィリベール」という俗称も付いていた人。ここでも夫婦仲は良かったようですが、結婚の3年後、夫は24歳の急死してしまいます。狩猟の際に飲んだ生水が原因でした。彼女の両親も仲が良かったのに、母親マリー・ド・ブルゴーニュが落馬事故で亡くなったのと、どこか似ています。


別の人生を歩んだマルグリット・ドートリッシュ

フィリベール2世との死別の後、マルグリットは生まれ故郷のベルギーに戻ります。後期ゴチック建築の傑作とされる教会堂の建設は1513年に開始。彼女の領土であるオランダから最高レベルの建築家を送り込んで建設させています。

3回の結婚でつまずいたマルグリットは、再婚を拒否し、死ぬまでの25年間を喪に服し、独身を貫いたそうです。

とはいえ、結婚運は悪いから、結婚は避けると考えた彼女は懸命だったのではないでしょうか? その後の彼女は自らの能力を発揮して、充実した生活を送ったように感じます。

マルグリットはベルギーに戻り、甥や姪の教育を熱心におこない、父親から受けた領土を統治して政治的手腕を見せました。

また、膨大な財産を受けたことを利用して、芸術や工芸のメセナとしても功績しています。

彼女が1530年に死んだときには、ヨーロッパは偉大な政治家の一人を失ったと言われます。彼女の統治力もさるものながら、何かで人間同士の衝突がおきたときに介在して解決する能力にも優れていたからでした。

3度の結婚は不幸な結果に終わっていますが、3人の夫には愛されたそうなので(それだけに別れは辛かったのだろうと想像しますが)、マルグリットは美貌と才気に恵まれていただけではなく、心の優しさもあった女性なのではないかと想像します。


話しが脱線してしまいました。
次回の日記は、マルグリットが最後の夫フィリベール2世を祭るために建てたブルー王立修道院の見学記を書きます。

― 続く ―


ブログ内の関連記事:
マリー・ド・ブルゴーニュとブルージュ 2009/05/20
★ 目次: ブルゴーニュの歴史
病院となったオスピス(施療院)を見学 2011/08/27  聖アンデレ十字

Wikipedia情報
アンデレ
Croix de saint André
Croix de Bourgogne
Nicolas de Tolentino
Marguerite d'Autriche (1480-1530)
Charles VIII de France


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2012/02/25

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その1


2月上旬、フランスの旅行代理店のツアーに参加しました。8日間のトルコ旅行。

フランス国内にある幾つかの空港から飛行機に乗る選択肢があったのですが、リヨンの空港を選びました。


サン=テグジュペリ空港

リヨン空港は好きなのです。第一に、とても小さいのが利点です。大きな空港では、中に入ってからの移動時間がかかってしまいますが、リヨン空港に着いてからウロウロする必要などないほど小さい!

パリの空港より駐車料金も安いはず。今回の旅行では55ユーロの支払いでした。

リヨン空港の名前は、以前は「Aéroport de Lyon-Satolas(リヨン・サトラス空港)」と呼ばれていたのですが、いつの頃からか「Aéroport Lyon-Saint-Exupéry(リヨン・サン=テグジュペリ国際空港)」と呼ばれるようになっています。

『星の王子さま』や『夜間飛行』の著者として知られるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはリヨン生まれだから。

飛行場の名前として、こんな良い名がついているのは珍しいのではないでしょうか?

パリのシャルル・ドゴール空港なんていうのは、つまらないことこの上ありません。

同じように良い名を付けたと私に思い浮かぶのは、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港くらいです。


リヨン空港の近くで観光と昼食

飛行機に乗るときのデメリットは、よけいな時間がかかること。空港までは車で行かなければならないのですが、早めに近くまで行っておかないと心配。

ついでに観光もしようや、ということになって、リヨン空港に近いところで観光して昼食をとることにしました。

リヨン空港の近くで行きたいと思うところは、ぺルージュという美しい村なのですが、ここは何度も行ったことがあるのでつまらない。

それで、久しぶりにブルー王立修道院に行きたい、と提案してみたら了解されました。最近も何回か近くまで行っているのですが、見学の時間に合わなくては入れないでいたのです。

まず、博物館になっている修道院に行って見学時間を確認。

ついでに、受付の人に近くで昼食をとるのに何処が良いか聞いてみました。トルコでは美味しい料理が食べられるのか不安なので、このときは特に良い食事がしたかったのです。

ジョルジュ・ブランと比較できるほど素晴らしいレストランがある、と言われました。この当たりでは最高と言われる3つ星シェフの名前まで出してくるほどなら、よほど美味しいのでしょう。平日のランチなら安いのもあるかもしれない。そこに行ってみることにしました。

ところが、お休み。

それで、2番目にお勧めだったレストランにしました。


大満足のランチ

ここにして正解。トップレベルというレストランは、店の前に出ているお品書きを見たら、やたらに高かったし...。

いくら美味しいものを食べたいと言っても、博物館の見学と、飛行機に乗り遅れないようにというプレッシャーがあったら食事を堪能することができませんから。

2番目といっても、かなり良いレストランでした。この地方の特産品を食べたいと思って、ブレスの若鶏か、カエルの料理を期待していたのですが、ちゃんと両方あったのです。

しかも、カエルは冷凍ではなく、フレッシュのものしか使わない、とのこと。3番目と言われたレストランの方はカエル食べ放題というメニューがあったのですが、それは冷凍に決まっています。博物館の人は、ちゃんとレストランのランクを教えてくれたのだと思いました。


 
前菜

 
ブレス鶏のメイン料理
本物のAOCブレス鶏であることを示すために、売るときに漬けている品質保証マークをのせていました。



ここで美味しい料理を食べておいて良かった。トルコの8日間では、「おいしい」と喜ぶ料理には1回もであわなかったからです!

お値段からも申し分なしの食事になりました。こんなに良いレストランなのに、ほとんど客はいません。最近のフランスは不況なんだな、と感じる瞬間です。かなり良いレストランは、大きな町でもないかぎり閑古鳥が鳴いていることが余りにも多すぎる...。


恐ろしく寒い日だった

好きな席を選べたので、見学することにしていたブルー王立修道院がよく見える席にしました。



恐ろしく寒い日だったのですが、レストランの中は暖か。修道院の前に立つと凍えてしまいそうでろくに建物を眺めることもできなかったので、こうして修道院を眺められたのにも大満足。

アルプスに近いから、雪の上を通った風が吹いているのだろうな、と思ったのですが、これはシベリアから吹いて来る風だと友人に返事されてしまいました。風が吹いて来る方向から分かるのだそう。方向音痴の私です...。

最近のフランスの天気予報では体感温度というのが出てくるようになったのですが、この日はまさに、そういう測定が必要だなと思いました。この日の、この町での気温も体感温度も知りませんが、マイナス20度くらいはあげたかったです。


チーズは抜きにしましたが、デザートまで食べた食事は、ちょうど博物館の昼休みが終わる時間ころに終わりました。

でも、あと15分くらいあったのですから、レストランにいれば良かった。開門を待ちながら立っているのも辛いほどの寒さだったのです!

ー 続く ―




ブログ内の関連記事:
★ 目次: ブレス産の鶏肉
★ 目次: フランスで食べる郷土料理、地方特産食品、外国料理
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ


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2012/02/24
ブルー王立修道院の教会トルコ旅行の出発点はリヨン空港でした。

飛行機に乗り遅れるのが心配なので早めに現地に行くことにし、ついでに空港に近いところにあるブルー王立修道院を見学することにしました。

その修道院を訪問したことを書くだけのつもりだったのに、話しが脱線して日記を複数書いてしまったので、目次をつくっておきます。


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2012/02/17
厳しい寒さがやってくると、フランスのテレビでは、こぞってホームレスの人たちの救済のニュースが連日流れます。

日本のニュースでは、こんな風な恵まれない人たちに思いをはせることがないように思います。フランスは、やはり博愛精神がある国なのでしょうか?


ハート・レストランというボランティア活動

年中行事のようにニュースになるものには、Les Restos du CœurLes Restaurants du cœur)というボランティア活動の話題が多いです。そのまま訳せば「ハート・レストラン」。

貧しい人々に食事を提供することを主にしたNPO活動です。コメディアンColuche(コリューシュ: 1944~1986年)によって1985年に始められたのですが、大きな全国的な活動となっています。

フランス人なら知らない人はないはずの大規模なボランティア活動です。オフィシャルサイトを見ると、ボランティア6万人、寄付者数は54万人、受け入れた人86万人、というデータが出てきました。

食べ物に事欠く人々のために食事提供の場が作られているのですが、パリのセーヌ河に浮かぶ船の食堂もあります。



パリのノートルダム寺院からセーヌ河畔を歩いて植物公園まで行こうとしたら出会う当たりにあります。

何も知らない観光客がみたら、こんな風にセーヌ河に浮かぶ船でお食事ができることに憧れてしまいそう。「レストラン」と書いてあるので、間違って入ろうとしたら、どうなるのだろう?...



今年の春にはフランス大統領選挙が行われます。5年前に大統領になったサルコジ氏は、選挙演説で「私が大統領になったらホームレスは全くいなくなります」と言っていたのを思い出します。ホームレスの数が激増しただろうと思う。

ホームレスのいない社会なんて、いかに有能な政治家でも実現するのは難しいと思うのですが、彼は何でも言ってしまう政治家なのでした。同じように「私が大統領になったら、会社が倒産して職を失う人はいなくなる」と言っていたけれど、失業者は増大しましたね...。


大臣の優しい思いやり?

最近、健康問題担当大臣がバカな発言をしたのが話題になりました。正式なタイトルは、在日フランス大使館によれば「労働・雇用・厚生大臣付特命担当大臣」という肩書のノラ・ベラ女史

サルコジ大統領の内閣には、政治家としては素人の大臣たちで固められているので、また大臣が変な発言をしていると思って驚きません。でも、どうして、そんなことを発言してしまうの? と笑ってしまうものでしたのでご紹介しておきます。

立場上、この厳しい寒さのときには大臣として何か言わなければならない、という発言だったのでしょう。

「厳しい寒さなので、傷つきやすい人たちは外出を控えましょう」と言って、どういう人たちが家を出るべきではないかと具体例を示しながら、幼児、高齢者、病人... と挙げたのは良いのですが、それにホームレスの人々というのを付けてしまった。

当然ながら、ホームレスの人たちというのは暖をとれる家なない人たちを指すのですから、おかしな発言。フランス語にもホームレスを表す言葉は幾つかあるのですが、彼女が使った言葉は「sans-abri」。訳せば、身を寄せる場所がない、という意味の単語なのです。よく使われるSDF(Sans domicile fixe)、つまり「定まった住所がない」だったら、発言を弁明する余裕があったでしょうに...。

ホームレスの人たちが凍死するのを救済しようと、社会福祉の関係者たちやボランティアたちが努力しているのに、そういう活動のトップに立たなければならない人がそんなノンキな発言をしている!

つい口走ってしまったのだろうと思って、その問題発言を出している動画を探してみたら、これは彼女のブログで書いていたことだったのでした。騒がれたので、すぐにブログからはホームレスの文字が消されたそうですが、書いてあった画面はあちこちで載せられています。


日本とフランスは違うと感じること

政治家がヘマをするのは、日本もフランスも同じですが、両国では大きな違いがあると思います。フランスの政治家のヘマはインターネットの動画にいつまでも残るのですが、日本はすぐに消える。

東日本大震災のときも、こんなことを言ってしまって良いの?! という発言があったので、その場面のYouTubeのリンクを取ったのですが、2日か3日もすると完全に消えてしまっていたのでした。日本の行政機関には、問題になる動画を探し出して削除させる専門職員がいるのではないかな?...

サルコジ大統領も、インターネットを駆け巡った問題動画が多々あります。ご本人はそんなのは消し去りたいと思ったはずですが、しっかり、おそらく全て、残っています。

サルコジ大統領のへま、トップ10:


これを作った人の感覚でつくったランキングでしょうが、私は次の5つをトップにしますね...。

1. 握手を拒んだ人に「バカめ、とっとと消え失せろ」と言った。これは大変な流行語になりました!
2. G8の記者会見の席で、酒を飲めない人なのに、ロシアの大統領ににウオッカを飲まされてしまったのか、酔っぱらったような姿で登場した。
4. ブランドもの大好きのサルコジ氏は、ルーマニアでの調印式で出された万年筆をちょうだいしてしまった。
5. アメリカの女性アナウンサーの質問に怒って、彼女を馬鹿者呼ばわりして侮辱した。
7. 漁業者たちの抗議にヤクザのような態度でのぞんだ。

石原慎太郎都知事が発した数々の暴言などというのは動画で見たいと思うのですが、どんなことを言ったかを書き出しているサイトしか見つかりませんでした。いくらなんでも政治家がこういうことを言ってはいけないというような場面の動画などは、1つも見つからないのではないかな?...

ブログ内の関連記事:
目次: フランスのホームレス、貧困者について書いた日記

情報リンク:
ハートレストランのオフィシャルサイト: Les Restaurants du cœur
Wikipedia: Les Restos du Cœur
Wikipedia: Coluche
Insolite : Nora Berra conseille aux SDF "d'éviter de sortir"


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カテゴリー: 時の話題 | Comment (0) | Top
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2012/02/15
今年のフランスは暖冬だったのですが、突然、寒波がやってきました。それでも、厳しい寒さはそろそろ終わりかなという感じにはなっています。


氷がはったソーヌ川

ブルゴーニュ南部にあるマコン市を流れるソーヌ川も、半分くらい凍っていました。



こんな広い川の水面が凍ってしまうのは異常に見えるのですが、大陸性気候のブルゴーニュではマイナス20度以下にもなってしまうことがあるので、特別な異常気象ではないようです。

この町に住んでいた人の話しによると、30年くらい前には川が完全に凍ったとのこと。乳母車を押しながら川の上を歩いている女性を見て、なんと無謀なことをするのかと仰天した、と語っていました。

このあたりを流れるソーヌ川の川幅がどのくらいなのか分からないので、こんなに広いというのが分かる写真を入れてみますね。


ソーヌ川で、不思議なもの発見! 2007/06/28

こんな川がアイススケート場のようになってしまうなんて、想像できますか?


寒いときには美味しいものを食べるという習慣

寒い冬にできることは何か?
フランスでは、「食べる!」というのがあります。

日本で冬らしい料理は鍋物だろうと思います。でも、寒さを乗りきるために、脂っこいとか、お腹がいっぱいになる料理だということはないですよね?

フランスの冬の料理というと、ともかくこってりしたものが代表になっている感じがします。ブルゴーニュだと、赤ワインで雄鶏をコトコト煮込んだ料理「コッコヴァン」など。そういう料理には、こってりした赤ワインが合う...。

コッコヴァンとは、こんな料理:
土鍋でブルゴーニュ郷土料理「コッコヴァン」を作る 2007/12/14


友人仲間でも、食事会をよく開かれるので、ご招待されたり、したりが多くて忙しい季節。

でも、フランスで寒さが厳しくなると、決まってニュースになる話題があります。毎年冬になると書いているような気もしますが、今年は笑ってしまうようなことが話題になりました。

それについて次回の日記で書きます。

― 続く ―




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2012/02/14
先日、スペイン系の友達の家に行ったとき、食前酒ではスペインから取り寄せた生ハムがでました。


パタ・ネグラ豚の生ハム



スペインの生ハムには種類がありますが、これは最高級の「パタ・ネグラPata Negra)」と呼ばれる種類の豚から作られたハムなのだそう。

スペイン語はフランス語とかなり違うので、単語を聞いても同じルーツの仏語が思い浮かばないものなのですが、これは想像がつきます。

patte noir のことだろうな、と思うわけです。パタは仏語でパット(足)、ネグラはネーグルという単語があるので「黒」でしょう?

それで、白い体に黒い脚の豚を想像していたのですが、全体的に黒っぽい豚のようです。



パタ・ネグラはスペイン南西部で飼育されているイベリコ豚で、放牧されていること、ドングリをたくさん食べることによって質の高い豚肉となるようです。


生ハムは薄くスライスしたものが好き

友達の家で出された生ハムは非常においしかったです。

昨年の秋にイタリアを旅行したとき、サンダニエーレの生ハムを堪能し、私はこれが一番好きだと思ったのでしたが、スペインの生ハムも美味しかったことを思いだしました。

地元で食べるサンダニエーレの生ハムは最高! 2011/10/20

思えば、スペインを旅行した後には、私はスペインの生ハムが一番好きだと結論して、フランスに戻ってからもそれを買うことが多かったのでした。

でも、イタリアで食べたサンダニエーレの透き通るような薄さからいうと、友達のご主人が切ったパタ・ネグラの生ハムは厚かった...。

生ハムを出してきて見せてくれたのですが、もうほとんど終わりの状態。

骨に近づいてくると、薄く切るのは難しくなるのですよね。

生ハムを固定するカッタースタンドは持っていないのかな?

私は、フランスの朝市に出店しているスペイン食材の店で、生ハムを1本買えば、スタンドをオマケしてくれるというのにつられて買ったことがあるので持っています。

ふと気になって調べてみました。

フランスにあるイタリア食材を扱っている店では生ハムスタンドを見たことがないように思うのです。

でも、イタリア製の生ハムスタンドも存在しているようです。

スペイン製イタリア製

2つ並べたタイプがスペインとイタリアのカッタースタンドの形を表しているのかどうかは分からないのですが、固定の仕方に違いがあるのがおもしろい。

単純に見比べていると、スペイン型の方が使いやすそうに見えますが、どうなんだろう?...


生ハムを薄くきるナイフ

友達が出してくれたハムは、厚く切ってあるのが残念ではありました。でも、このパタ・ネグラの生ハムは味がしっかりしているので、こんな風に切ってしまっても美味しいのでありました。
でも、しつこく、サンダニエーレのように薄くきったら、どんなに美味しいだろうか?... とも思ってしまいました。

友達は、どんなナイフで切ったのかな?...

たぶん、右に入れたような、普通のナイフで切ったのだろうと思う...。

原木の生ハムを切るのは難しいです。


名人はどうやって原木の生ハムを切るのかと思って動画を探してみたら、こんなのナイフが出てきました。



調べてみたら、Couteau à jambon Michelangeloという名前のナイフでした。

スペイン製らしいのですが、なんで名前がミケランジェロなんだろう?...

2枚の歯でスライスするというシステムなんですね。それではナイフを研げないではないかと思ったら、ちゃんと外せるようになっている。優れものですね。

日本円にして15,000円くらいらしい。スペインの生ハムをいつもおいておくようにしているという友達にプレゼントしてあげたいけれど、プレゼントするには少し高すぎる...。


生ハム用の戸棚

生ハムの写真を撮っていたら、専用の戸棚もあるのだと言って見せてくれました。

キッチンにあったのが、この戸棚。



立てかけるようになっていて、扉は蠅帳のように網が貼ってありました。こだわりですね...。


日本では「パタ・ネグラ」という呼び方は余りしないらしい

パタ・ネグラ、私なら「黒脚」 などと訳してしまいそうな言葉を日本ではどう言うのだろうかと調べてみたら、ずばりとしたものが出てきませんでした。

スペインの生ハムを楽天市場で検索

「パタネグラ」 で検索してみたら、右に入れたものしか出てきません。

スペインの生ハムには「ハモンセラーノ」と呼ぶものもあって、パタ・ネグラは「ハモンイベリコ」と呼ぶのが日本では一般的らしい。

イベリコの生ハムを楽天市場で検索

「ハモン」はスペイン語で「ハム」のことだ、というくらいは私も知っています。ハモン・イベリコをフランス語にすると「Jamón ibérico」という単語になるのを知ったのですが、そういう言い方をフランスで聞いたことがあったかな?...

でも、そのハモン・イベリコ、日本では大変高価なお値段で売っているのですね。

生ハムをご馳走してくれた友人も高いハムなのだと言って、知り合いがスペインに行ったときに買ってきてもらっているのだと話していました。

でも、日本の価格は目が飛び出るほどのものでした...。

思い出せば、日本でスペイン料理の店に行ったとき、スペインの生ハムを注文したら、ぎょっと驚くほど少ししか出てこなかった...。

フランスでハモン・イベリコを食前酒のおつまみに出したとしても、100グラムくらいは一人で軽く消費してしまうと思います。

追記:
パタ・ネグラのハムをご馳走してくれたスペイン系の友達も「高価な生ハムなんだ」と言っていたので、後日会ったときに「日本では1本2,000ユーロ近くで売っていたよ」と言って、幾らぐらいで買っているのと聞いてみました。スペインから直接取り寄せているので、200ユーロ代だとの返事でした。それはそうでしょうね。いくらスペインの生ハムは美味しいのだと言って友人たちに食べさせたいと思っても、1本10万円以上もしたら買わないと思う...。



ブログ内の関連記事:
目次: ハム・ソーセージ類
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情報リンク:
☆ Wikipedia: ハモン・イベリコ
スペイン産生ハム


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2012/02/13
私って、ゲテモノが好きなのかもしれない。でも、日本では食べられなかったものを食べてみるのが好きなのです。

先日、レストランで何を食べようかと迷ったとき、こんな料理を選びました。



フランス語では「l'os à moelle(ロス・ア・モワル)」と呼ぶのですが、日本語では骨髄とか髄骨かな?

日本で肉屋さんに行って「牛の骨髄をください」と言ったとき、冷蔵庫のドアを開いて、これを出してきてくれるとは思わない...。帰国したとき、肉屋さんに行くと、なんと種類が少ないのだろう... とため息がでます。魚屋さんに関しては、逆の思いをしますが!

ロス・ア・モアルをとると言ったら、一緒にいたフランス人は変な顔をしました。
「そんな料理を選ぶの?! 脂っこいよ」

ロス・ア・モアルという部分は、非常に庶民的な料理なのです。ビストロでは定番らしいのですが、私は余り出会うことがありません。

この日、薪でバーベキューをするのが特徴のレストランでだったのですが、お品書きにロス・ア・モワルというのが前菜にあったので、迷わず選びました。

このときの私は余りお腹がすいていなかったので、そういうときによくする料理の選び方をしました。前菜とメインの料理を選ぶかわりに、前菜を2つとるという方法。冷たい料理と暖かい料理で2つ選び、その後はデザートでしめるという食事です。


まず、大きなフォアグラがのったサラダを食べ、その後にこのロス・ア・モワルの料理が出てきたのですが、これは失敗。前菜の料理なので、骨が1つか2つかと思っていたのに、こんなにたくさん乗ってきた!

骨の中身をスプーンですくって食べるだけなので、ほとんど食べる部分はないはずなのに、この日のはぎっしり中身がつまった骨もあったのでした。

安い食材。肉屋さんで欲しいと言うとタダでくれるような部分ですから奮発してくれたのでしょうけど、そんなにたくさんいらなかった...。

確かに、非常に脂っこいのであります!
少なくとも、食欲がないときに選ぶ料理ではなかった...。

ロス・ア・モワルは水で煮た方が好きかな、とも思いました。すき焼きをつくったときに、牛肉を鍋で煮る料理なら、これを入れると良いと言ってオマケしてもらったとき、すき焼きが素晴らしく美味しくできたのが前回に食べた記憶だったのです。


ロス・ア・モワルの料理は簡単

めったに食べないので私には珍しい料理なのですが、料理の仕方はいたって簡単なようです。

Jean-Pierre Coffeという料理評論家のサイトに、ロス・ア・モワルを肉屋に行って切ってもらい料理するという動画が入ったページがありました:
L'os à moelle

伝統的な料理法は、オーブンで焼くだけという、いたって簡単なのですね。なにも、レストランで食べるほどのことはなかった!...

上にリンクしたページのレシピは、こんな具合でした:

(1) 肉屋でロス・ア・モワルを10センチの長さに切ってもらう。

(2) 血を除くために、冷水に2~3時間つける(水を1回かえる)。

(3) オーブンを180度に温める。

(4) 皿に骨を並べ、20分焼く。

(5) 骨を焼いている間に、パン・ド・カンパーニュをトーストする。

(6) ロス・ア・モワールに塩の花(fleur de sel)を少しかけ、パンと一緒に食べる。


ずっと前、3つ星を持つシェフがロス・ア・モワルの料理をレストランで出している場面をテレビで見て、非常においしそうに見えた記憶があります。

もっと違う料理法があるはずだと思って検索してみると、モリーユという高級キノコのクリーム煮を添えた料理の動画がありました。




こちらはおいしそう。

モリーユの生クリームソースは大好物なのです。

でもモリーユなどと組み合わせるのはもったいないかな?...


ディジョンではジビエに人気がない?

ところで、ロス・ア・モワールを食べたレストランでは、へぇ~っと思うことがありました。

冷たい前菜としてフォアグラを食べたのですが、本当は別の料理を注文しようと思ったのです。

キジのレリーヌ。今がシーズンのジビエの雉を使っているので、メニューの前菜のところには手書きで書きこまれていました。

ジビエの中では野鳥が一番好き。喜んで注文しようとしたのですが、ウエーターさんは「品切れです」とおっしゃる。

シェフが試しに作ってメニューにのせたのですが、全く人気がないのでこの料理を作るのはやめてしまったのだぞう。

少し前の日記で、このレストランがあるディジョンの町の朝市でジビエが全然ないことを書いていました。
ディジョンは食道楽の町なのに、なぜジビエを売っていないのだろう?... 2012/01/23

レストランでジビエのテリーヌに人気がなかったということは、やはりこの町でのジビエの需要は少ないのではないかという思いを深めました。



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