| Login |
2013/04/30

シリーズ記事目次 【世界遺産ヴェズレーを中心とした旅行記】 目次へ


ブルゴーニュのヴェズレー村(Vézelay)に行ったら、前回の日記に書いた聖マリー・マドレーヌ聖堂に行くのは当然のこと。

でも、最近の私はヴェズレーに行ったときに必ず訪れる場所ができました。

世界遺産にも登録されているロマネスク様式の美しいマリー・マドレーヌ聖堂の正面から2歩のところにある民家です。2歩というのはフランス的表現! 100メートルくらい歩くかな?...


Maison de Jules Royメゾン・ド・ジュール・ロワ

特に美しさに見とれるほどの家ではないのですが、しっかりとした大きな家。素晴らしいのは広い庭園です。


Maison de Jules Roy - Clos du Couvent

ジュール・ロワJules Roy: 1907~2000年)という作家が住んでいた家です。彼の死が迫った時にヨーヌ県に寄贈され、2002年から一般に公開されています。

作家の家としてミュージアムになっているのですが、入場は無料♪ それで何度でも入れるわけです。

ヴェズレーは、ロマン・ロラン(Romain Rolland)が晩年を過ごしたことの方がよく知られています。

ロマン・ロランの家も美術館になっているのですが(Musée Zervos)、家が密集しているところにあります。しかも、現代美術の展示を見るのには興味がないので、1回入場したか、入ったことがないか、という程度(こちらは有料なので)。


ジュール・ロワというアルジェリア生まれの作家について、私は何も知りません。フランスでもそれほど知られていない作家なのですが、日本では何冊か翻訳がでていました

JosephLeRoy Chats MuséePiscineRoubaix初めて名前を聞いたときには、どこかで聞いたことがあると思いました。

猫の絵を多く描いたフランスの画家にJules Le Roy (1853~1922年)がいたので、それと勘違いしたのかもしれない。

ヴェズレーに住んだ作家はJules Royなので、ちょっと違うのですけれど。

でも、知り合いにいてもおかしくないような、ありそうな名前...。

彼は晩年の20年くらいを、この素晴らしい環境で生きたのでした。

生前に寄贈を決めて、文学のための活動を行うセンターとして使うように指示したのだそう。

彼が生活していた当時の姿を残すことも条件でした。なので、彼が書斎として使っていた部屋がそのまま残っています。飲みかけのボトルまである...。



この作家の作品を読んでいたら感慨を覚えてしまうところだろうと思います。作家や哲学者の家がミュージアムになっているところには何カ所も行っていますが、こんなに雰囲気を残しているところは珍しい。

亡くなったのがつい最近だからなのでしょうね。デカルト(René: 1596~1650年)の家などというのは酷かった...。昔の人と言っても、16世紀を生きたラブレー(François Rabelais)の生家は気に入ったのですが。



素晴らしい立地の家

ヴェズレー村が所有していたこの家を、1978年にジュール・ロワが入手しています。

どうしてこんな家を購入できる人がいるのかと思ってしまう...。

だって、すごい立地なのです!

広い庭があるのですが、あの美しい聖マリー・マドレーヌ聖堂もこんなに近くに見える。



庭の反対側からは、素晴らしく見晴らしの良い景色が見えます。丘の斜面なので、段差のある庭が続いています。



ジュール・ロワの奥様(ロシア人)は、夫の死後は家を明け渡して別のところに住んだのですが、昨年亡くなったのだそうです。私が妻だったら、最後まで住みたかったな...。

この家の様子が映されている1979年の映像がありました。ジュール・ロワが愛犬との関係について感動的な話しを語っているのですが、この家が今日見学するのと同じ姿だったことが分かります。
☆ INA: La passion tragique de Jules Roy

ブログ内リンク:
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビドラマに関する記事
★ 目次: フランスの美しい村々について書いた記事

外部リンク:
☆ INA: Jules Roy (1989年、ジュール・ロワ82歳のときのインタビュー)
☆ 記録映像: Jules Roy à Vézelay (1968)
☆ Wikipédia: Jules Roy
☆ La Maison des écrivains et de la littérature: Maison Jules-Roy
Maison Jules-Roy à Vézelay


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


カテゴリー: 文学、映画 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/29

シリーズ記事目次 【世界遺産ヴェズレーを中心とした旅行記】 目次へ


4月の初め、お天気が良いのでヴェズレー(Vézelay)に行くことにしました。「永遠の丘(colline éternelle)」と呼ばれる美しい村。

急勾配をあがった丘の頂きにあるロマスク様式のバジリカは大好きで、何回行ったか数えきれません。デジカメに切り替えてから作った写真アルバムでも、ヴェズレーで撮った写真は600枚くらい入っていました。

ヴェズレーの美しい教会は、フランスではBasilique Sainte-Marie-Madeleine(聖マリー・マドレーヌのバジリカ)と呼ばれるのですが、日本ではサント=マドレーヌ大聖堂と呼ぶのが定着しているのかも知れません。

教会のような建物の名前が複雑で理解しきれないでいるのですが、バジリカという呼び名は、巡礼の拠点になっているなどの理由でローマ教皇から与えられる名誉ある呼び名なのだそう。

ヴェズレーの聖堂と丘は世界遺産にも登録されているといえば、日本でも知名度が高いのでしょうか? 世界遺産に指定されているところに行くと、異常なくらいに日本人の団体さんが多いと感じるのですが、ヴェズレーではそれほど出会わないように思うので不思議...。

ヴェズレーの聖堂は、スペインの サンティアゴ・デ・コンポステーラまで行く巡礼路の重要な出発点の1つになっています。



地面にあるのが、その巡礼路である印の帆立貝のマーク。

私に巡礼するような気分になるのか、少し行っていないと行きたくなって訪れています。

でも、行っていつも思うのは、大聖堂の外観が悪すぎる、ということ。



この大聖堂を紹介する人が、この正面の門の上にある半円形のティンパヌムの写真を入れているのを見ると、待って、待って! と叫びたくなります。

フランスの歴史的建造物を保存しようという機運が高まった19世紀、修復するというよりは、自分が好きなように作り変えてしまったと悪名高い建築家ヴィオレ・ル・デュクがしてしまったものなのです。

Vezelay 0116写真を加工していれる気にもならない。

外から見えるティンパヌム(最後の審判)がどんな彫刻なのかにご興味がある方は、右に入れた写真をクリックして、Wikipediaに入っている画像をご覧ください。

この時代に修復運動が起こったから、現在に美しい建築物が残ったという点は評価しなければいけないのですが...。

もっとも、その後も老朽化は進み、ヴェズレーの村長は「補助金を出してくれなければ、大聖堂は落石の危険があるので立ち入り禁止にする」と脅したりしたことがありました。

ときどきフランスには、脅しをかける村長さんがいます。

それほど昔の話しではありません。ヴェズレーが世界遺産に指定されたのは1979年なので、その前の話しではないかと思います。


ロマネスク彫刻の宝庫

本物の美しいティンパヌムは、大聖堂に入ったところにあります。
こちらは 栄光のキリスト、復活した姿です。



ここから入ると美しい空間が広がっています。 何回行っても感動する...。

 

ヴェズレーの聖堂が特に好きなのは、ロマネスク教会にある柱頭彫刻が、ここには驚くほどたくさんあること。

 
Moulin Mystique

柱頭彫刻は、全部で118あるのだそう。角度によって見えるものが違うので、これをじっくり眺めていると日が暮れてしまいます。

彫刻の意味を解説した本を買ったのに、いつも持っていくのを忘れてしまいます。それと、上の方にある彫刻には望遠鏡も必要なのに...。

今回の旅行から帰ってから、この次は本を持って行くぞ、と思って探したら、ない! 2日かけて探し出したら、バージョンが違う2冊が出てきました。


ところで、夏至とのときには、正面の扉から祭壇までに太陽の光が道を作ったように見えるのだそうです。夏至のときの画像はこちら

いつかその瞬間を見に行きたいと思っているので、今回は太陽の光線を写真に写せるか試してみました。

 

【追記】
夏至のときの聖マリー・マドレーヌ聖堂におこることを見に行ったときのことを書きました:
夏至日にヴェズレーの大聖堂にできる光の道を見る 2013/06/22


バジリカには、地下のクリプトもあります。 巡礼する信者さんたちには重要な場所。マグダラのマリアの遺骨が祭られているのです。

これがヴェズレーの繁栄に多く影響することになります。ヴェズレーへの巡礼者で賑わった時代を経ると、マグダラのマリアの遺骨はプロヴァンス地方の教会にあるのであって、ここのは偽物だということにされ、ヴェズレーはすたれてしまうのでした(13世紀末)。

このあたりのことを長々と調べてブログに書いたつもりだったのに見つかりません。あれは夢だったのか、書きかけで止めてしまったのか?... でも、ブルゴーニュにいると馴染みのある聖ベルナ―ルの十字軍の話しとか、はっきり覚えているのだけどな...。

もう一度調べなおす勇気はないな... と思っていたら、非常に詳しく書いてくださっているサイトを見つけたので、最後にリンクを入れることで済ませてしまいます。

ブログは覚えたことをメモしておくことを最大の目的として書いているのですが、記事の数が多くなったら昔に書いたことを探し出すのが難しくなってしまいました。それで最近は、せっせと目次を作っています。


ヴェズレーの正面が美しくないと書いたのですが、裏側はロマネスク様式らしい美しさがあるので好きです。



この広場には地球は丸いのだと実感できる眺めもあります。こんな見晴らしの良い丘には、中世には要塞の役割を果たす城があったはずだと思うのですが、実際にあったのですね。今は壁しか残っていませんが。

「フランスの最も美しい村」に加盟しているのに相応しい魅力ある村を散策するのも楽しいです。観光地化してしまっている表通りから離れて歩くのが好き。


バジリカの様子を見せる画質の良い動画があったので入れておきます(画質を高く設定できます)。



カトリックのテレビ番組が提供しているようです。神様の話しをしているより、もっと美しい彫刻を映し出して欲しかったけれど...。


ヴェズレーのiPhoneアプリ

夏になったら、ヴェズレーに1週間滞在することにしました。観光客が少ない早朝や夕方に聖堂に行くのが魅力なのです。

いつもヴェズレーには日帰りで行っていて、滞在したことがあったのも2泊か3泊だったと思います。それで、楽しみ。

この日記を書きながらヴェズレーの情報をチェックしていたら、ヨーヌ県の観光サイト(Yonne Tourisme)に、ヴェズレーを観光するときに役立つiPhone/iPadアプリ(無料)があると出てきました。

さっそく入れてみました。

ダウンロード画面はこちら:
L'Yonne en balades - Yonne Tourisme

フランス語版と英語版がありました。ミュージアムでオーディオガイドを借りたりしますよね。あれと同じ方式で、ガイドがしゃべってくれるのです。地図や昔の写真も見れるのでなかなか良いです。

ただし、「ヴェズレーの昨日と今日」と「知られざるヴェズレー」の2つだけ。それに、シャブリのブドウ畑についてがあるので、合計3つがダウンロードできました。

フランス各地にあるツーリストオフィスは、こういう持ち歩くガイドとして便利なアプリを作って欲しいな。もっともっと内容を充実させてくれたら本当に嬉しい。

今まで見つけたアプリは(ルーブル美術館とか)ただ眺めるだけで、それならパソコンで見た方が画面が大きくて見やすいというものばかりでした。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路に関する日記
★ 目次: フランスの美しい村々について書いた記事
ヴィオレ・ル・デュクが修復したピエールフォン城 2010/05/12

外部リンク:
☆ Wikipédia: Basilique Sainte-Marie-Madeleine de Vézelay
Basilique Sainte Madeleine de Vézelay
La basilique de Vézelay, les chapiteaux
ヴェズレーの村と修道院付属 聖マリー・マドレーヌ大聖堂


にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ
にほんブログ村

カテゴリー: 建築物 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/28

シリーズ記事目次 【世界遺産ヴェズレーを中心とした旅行記】 目次へ


アヴァロンの町は通り過ぎることはよくあるものの、観光してみたのは何年ぶりかな?... 久しぶりに立ち寄ってみたら、旧市街が魅力的なのを新鮮に感じました。

記憶の中にはアヴァロンは美しい街だと刻み込まれていたのですが、ここまでとは思っていなかった。あるいは、年月がたった間に歴史的建造物の修復が進んだり、アスファルトの道路が石畳になったりしたのかもしれない...。

アヴァロンと言ったら、「あのアヴァロン?」と思われる方があるかも知れません。でも、アーサー王伝説に登場する伝説の島とは関係がありません。
☆ Wikipedia: アヴァロン (映画)

ブルゴーニュ地方のヨーヌ県にあるアヴァロン(Avallon)という町です。

Panorama-Avallon-3

アヴァロン市の人口は約7,000人で、都市圏人口にしたら16,000人くらい。それっぽっちの人口と思われるかも知れませんが、市町村区分が小さいフランスでは立派な規模の町です。

町の入口を通りながら素通りしていたのは、町が大きすぎるから旧市街に入り込む気にならなかったからかな?... と言って、そんなに広いわけではない! ちょっと立ち寄ってみようということになった今回も、あっさり旧市街に行きついてしまいました。


アヴァロンの旧市街

既にフランスがローマ帝国に占領されていた時代から存在していた町なのですが、中世にも栄えた歴史があります。

町の周りを要塞で囲んでいた姿が、今でもかなり残っているのも魅力。


La Tour de l'Horloge

旧市街の中心に入り込むこころで遭遇します。15世紀半ばに建てられた塔ですが、市内では最も高い建物です。

老朽化したし、町の関門としての用途はないので19世紀に取り壊されてしまいそうになったのを、住民たちの反対で計画は中止されたのだそう。

この門から入ると、美しい歴史保存地区が残っていました。



でも、気になったのは、このカエル。

なんで、こんなところに蛙の彫刻物があるの?!
でも、気にしない。


La maison des sires de Domecy

可愛らしい建物。15世紀の建築物だそうです。これが町の道路に面して建っていないで、庭付きの邸宅だったら、こんなお家を持ちたいと思うような建物。

市の所有物になってから修復が進み、2007年から見学できるようになったのだそう。

今回は、近くにあるヴェズレー(Vézelay)に向かう途中でちょっと立ち寄ってみただけなので、長くはいられません。時間があるときにゆっくり観光しなおしたいと思いました。アヴァロンの町は有名な観光地にはなっていないと思うのですが、かなり見どころがある町なのです。

この建物の右手に、観光スポットの教会があります。


Eglise Saint-Lazare

フランス各地の宗教建築物によくある例ですが、フランス革命のときにかなり破壊されてしいまっています。でも、よく眺めればロマネスク様式の部分が残る美しい教会...。




目がおかしいのではないかと思ってしまった...

アヴァロンの町は中世の要塞都市の典型で、周囲を見渡せる山の上にあります。と言っても、標高400メートルにも満たないですが。

青空が広がっていたのですが、恐ろしく寒い日でした! それでも、下界(?)を見下ろしたくて、町を取り囲む塁壁に出てみました。



この写真をご覧になって、なんだか変なものがあるのに気付かれますか?

道端に、目が見える!

石が色々に見えてしまうというのは良くあることで、それを観光地では観光スポットにしていることはよくあります。

でも、よくよく見ると、これは「○○に見える」というより出来すぎていたのでした。

アップにしてみますね。



なんじゃ、これは?

少し先に行ったら、同じようなものがありました!



ストリートアートかな?...

作品を置いているというのはないはず。 さきほどのも、これも、馬車の車輪が壁にぶつかって壁を壊さないように置いてある、昔からあった石に絵を描いたのだと分るのです。

先に進むと、「また、ある!」と気付く石がありました。誰かが悪戯で落書きしたにしては、数が多すぎます。

さらに先に行くと、こんなのもありました。



古い石や壁に溶け込んでしまっている絵。
気になるではありませんか? 調べてみました。


Joackim Stampe

2011年前の夏、アヴァロン市では「道路で現代アート」というフェスティバルが開かれていて、私が見たのはそのときの作品だったのでした。

カエルの彫像も、そのときの作品として残されていたのかも知れません。
でも、そちらには興味なし。

石に顔を描いたのは、Joackim Stampeというストリートアーティストでした。

1959年生まれのスウェーデン人で、ポーランド、フィンランド、フランス、イタリアの現代アートのイベントに参加した経歴を持つのだそうです。

作家の名前を探し出せたので「Joackim Stampe」で画像検索したら、たくさん出てきました。でも、Wikipediaには記述がないところを見ると、有名なストリートアーティストではないという感じを受けました。

古い石や壁の角や形を活かして、人の顔を描くのだそうです。作品は3年から5年で消えてしまうとのこと。 見えるうちに見ておきましょう、ということで、彼の作品はアヴァロンの新名所になっている感じもありました。

ブルゴーニュ地方では、アヴァロン市のほか、中世の姿を残す美しい街スミュール・アン・オーソワ(Semur-en-Auxois)、それからチーズと城で知られているエポワス村(Époisses)、モンヴァール市(Montbard)にも作品を残しているのだそう。

すべてブルゴーニュ北部の地域で、歴史があって、古い石がある町々ばかりですね。

エポワスに残された作品はこちらのサイトで紹介しています:
Des nouvelles têtes au village à Époisses (21)
小さな郷土資産を紹介する良いサイトなのですが、ストリートアートも入れてしまいましたか。

現代アートは嫌いな私なのですが、彼の作品は周りと溶け合っていて、嫌いとは思えませんでした。ロマネスク教会に宗教画を描かせたら、中世にあったものではないかと思ってしませるようなものでも描ける人なのではないかな?...

少なくとも、以前に書いたパリのストリートアーティストの作品よりは気に入りました。
Miss.Tic(ミスティック): パリで人気の落書きアーティスト 2011/11/07


この日記は、「日本とフランスの姉妹都市が誕生するとき」でアヴァロン市に触れたので、続きとして書きました。

ブログ内リンク:
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って
★ 目次: 宗教建築物に関する記事

外部リンク:
【Joakim Stampeについて】
☆ Le Bien Public: L'art contemporain dans la rue
☆ Le Bien Public: L'art s'affiche dans la rue
l'ÉTÉ DES ARTS en Auxois-Morvan 2011
☆ Joakim Stampeの紹介: フランス語 | 英語

【アヴァロン市について】
Avallon市サイト
☆ Wikipédia: Avallon


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


2013/04/27

シリーズ記事目次 【ディジョンからニュイのブドウ畑に行った1日】 目次へ


ニュイ・サン・ジョルジュ市(Nuits-Saint-Georges)について、前回の日記「ニュイ・サン・ジョルジュという町の名前」で町の名前が気になったことを書いたのですが、この町を通ると、いつも気になるものがあります。

町に入るところに町の名前を書いた標識があるのですが、そこに日本のIchinomiyaと姉妹都市になっている、と表示されているのです。

愛知県の一宮市のことだというのは突き止めたのですが、この2つの都市のどこに共通点があって姉妹都市になったのだろう?...

ニュイ・サン・ジョルジュ市はコート・ドール県にあって、ブルゴーニュワインの産地です。といって、一宮市がワイン産地ということもないですよね?

フランスで日本の姉妹都市を持っている場合、その2つの町が関係を結んだ理由を聞かなくても分るものがあります。

例えば、自動車の24時間レースで有名なル・マン市(Le Mans)と、サーキットで有名な鈴鹿市。互いに美しい城があることで有名なシャンティイ市(Chantilly)と姫路市、など。

ニュイ・サン・ジョルジュ市と一宮市の共通点とは何なのかな、と考えてしまったわけなのですが、分かりませんでした。

でも、私が知っている関係でも、姉妹都市というのはひょんなことからまとまったりするので、気にすることもないのでしょう。


「姉妹都市」という言葉

「姉妹都市」という表現は不思議だな... とも気になります。

フランス語では「jumelage」で、2都市が姉妹都市になるという動詞はjumeler。「○○市の姉妹都市は...」と列挙するときは「les villes jumelées avec ○○市」となります。

jumeau/elleが双子なので、市が双子関係になったイメージだと思うのです。 もっとも、これらは姉妹都市に特定した単語ではなくて、2つのものを対にするという意味なのですが。

姉妹といったら、どちらがお姉さんで、どちらが妹なのかと思ってしまって、上下関係か、歴史の長さで差がついているのかと感じてしまうではないですか?

なぜ姉妹で、兄弟ではないの? という疑問もわくのですが、フランス語で市(ville)は女性系なので、抵抗は感じない。

日本語の姉妹都市ということばは、町が女性系の言語圏の言葉から来たのかなと思ったのですが、アメリカ英語の "sister city" に由来するのだそうです。

イギリス英語では「twin town」ありは「twin city」と呼ぶらしい。これだとフランス語と同じ感覚で作った言葉ですね。

姉妹都市がアメリカ英語から作られたという言葉なら、なぜ姉妹なんだと疑問に思う必要はないでしょうね。でも、私のように気になる人もいるのか、姉妹都市の代わりに友好都市ないし親善都市という言葉も使われています。

厳島神社がある宮島と、美しい修道院があるル・モン=サン=ミシェル(Le Mont-Saint-Michel)もツインになるのにぴったりだなと思う。2009年に提携したそうなのですが、広島県廿日市(はつかいち)市として姉妹都市になっていました。

人口11万を超す日本の都市と、人口が50人にもならないフランスの村が姉妹都市というのも変だけど、行政区分の違いだから仕方ないのでしょうね。

もっとも、Wikipediaの記載では、姉妹都市ではなくて、観光友好提携都市。フランスの情報だとjumelageを使っているのですけど。


アヴァロン市と佐久市が姉妹都市

アヴァロンの町つい最近、ブルゴーニュの北の方にあるアヴァロン市(Avallon)を通ったら、日本のSakuと姉妹都市という表示が出ていました。

Sakuって、私が去年の夏に行った長野県の佐久市のこと?

それで正しいのでした。

姉妹都市の提携をしたのは1976年。かなり昔なのですね。町の看板に気がついたのは先日が初めてなのですが。

となると、この2つの都市の似ているところって何なのだろう、と気になりました。佐久市の中を観光したわけではないので、アヴァロン市ほどには知らないのですが、共通点は思い浮かばない。

こちらはすぐに情報が見つかりました。佐久市が詳しいことを書いているので、非常に興味があります。

☆ 佐久市: アバロン市 姉妹都市提携の歩み

自然環境の類似、というのが理由と書いてありました。自然環境の類似といったら、もっと似たような町がフランスにはあると思うけれど...。


フランスで海から最も遠いのは何処?

Wikipediaの情報を見たら、長野県佐久市は、日本で一番海から遠い地点(旧臼田町)があるという特徴があると書いてありました。

日本列島の姿を思い浮かべると、長野県のあたりが一番太っていて、海から最も遠いといったらそのあたりだろうな、と想像がつきます。

とすると、海まではかなり遠いところが多いフランスの場合、どこが海から最も遠いのだろう?

検索したら次の結果が出たので、地図に入れてみました。

A: 海から最も遠い地点があるのは、Artolsheim村 (アルザス地方)
B: 海から最も遠いのは、Croix村 (フランシュ・コンテ地方)


大きな地図で見る

ドイツ国境に近いあたりなのですね。私はフランスのど真ん中の山岳地帯にあるクレルモン・フェラン(Clermont-Ferrand)あたりではないかと思ったのですが。

でも、改めて地図を眺めると、地中海の海岸線がマルセイユ市の西で少しくびれているので、ブルゴーニュから地中海に出ようとするより近いのですね。


日本とフランスが姉妹都市になった場合におこる不都合

たまたま見つけたアヴァロン市と佐久市の姉妹都市関係について、佐久市のホームページに詳しい姉妹都市関係の経緯が書いてあったので興味深く眺めました。

というのは、以前に気になったことがあったのでした。

リーマンショック前の、まだ景気が良かったころだったと思います。日本からフランスに来た村長さんに、フランスの村長さんを紹介したことがありました。

和気藹々と食事をして気分を良くしたせいか、日本の村長さんが、相手に姉妹都市関係を結びたいと申し出たのです。

すると、フランス人の村長さんは困った顔をして、即座に姉妹都市関係にはなれないと答えたのでした。

理由は、こうでした。あなたがた日本人はフランスに来れるだろうけれど、私たちの方は日本に親善旅行をできるような人はいない。

双方が行ったり来たりできるのが姉妹都市なんだな... と気がついたのでした。私の故郷の東京には外国に姉妹都市がたくさんあったはずですが、そんなことで外国に行くなんていうことがあるのは想像もしていなかったのです。でも、フランスの場合、ドイツとよく姉妹都市関係を結んでいて、頻繁に住民が遊びに行ったり、向こうから来た団体をボランティアで歓待しているのですよね。

とすると、相手が来たのを接待するだけでは友好関係なんて言えるものではない、というわけなのでしょう。

フランスで、姉妹都市とはこんなものなのだと知ったときのことを書いた日記:
小さな村のドイツ人歓迎パーティー 2010/11/08

フランスの村長さんくらいは行くことができるだろうと思うのですが、こんな小さな村の、つまり予算が少ない村で、そんなことをやったらみんなから税金の無駄遣いだと吊し上げられてしまうはず。

ブルゴーニュ地方県議会が中国との姉妹都市関係で議員さんたちが不当にお金を使ったというのがスキャンダルになったことがあったのですが、それと同じころだったかもしれません。

だとすると、村長さん尻込みしてしまったのも当然だったと思います。フランス人たちは税金の無駄遣いに非常にシビアなのです。

佐久市の姉妹都市提携の歩みを眺めてみました。アヴァロン市くらいの大きな町だと予算があるらしく、日本に親善旅行をしていますが、やはり、圧倒的に日本からフランスに行っている人数の方が多いですね。

フランスは日本ほどには経済力がないうえに、一般の人たちは基本的な生活費を多く使うので、地球の裏側まで行ける人は極端に少ないと思います。

日本とフランスの姉妹都市を結ぶのは、大きな町同士でないと無理だろうな...。大きな町なら、親善の団体さんが来てくれるのは観光客が来てくれたという効果になりますが、ホテルもないような村だったら、全面的に面倒をみなければならないお客さんということになるでしょうから。

フランスの人口が少ない村でも住民たちの団体旅行を企画することもあるのですが、行くのはたいていはフランス国内、せいぜい近隣の国、遠くても物価が安い北アフリカくらいまでです。


ところで、ここに登場したアヴァロンの美しい旧市街を、少し前に久しぶりに観光したので次回に書きます:
美しいアヴァロン市の旧市街で見たストリートアート



ブログ内リンク:
フランスとドイツを仲直りさせたのは友好都市 2010/11/07
★ シリーズ記事目次: フランスの市町村について

外部リンク:
日仏姉妹都市交流


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


カテゴリー: 日仏の比較 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/26

シリーズ記事目次 【ディジョンからニュイのブドウ畑に行った1日】 目次へ


先日の日記「オート・コート・ド・ニュイのブドウ畑を眺める」で書いたように、この町を境界線にしてブドウ産地の名称が分かれています。

それを書きながら、しばしワインからは脱線して、ニュイ・サン・ジョルジュ町について調べていました。

Ville nuits-saint-georges

言っては悪いけれど、ニュイ・サン・ジョルジュは観光する町としてはあまり魅力がありません。

ブルゴーニュ公国の古都だったディジョン市と、ブルゴーニュワイン産業の中心地であるボーヌ市には観光するものがありすぎるので、その2つの町に挟まれたニュイは陰に隠れてしまうのかもしれません。

町の中を観光するとしたら、とってつけたみたいはミュージアムの他に何があったっけかなと調べてみたら、城がでてきました。

自分の写真アルバムを見たら、その城がニュイ・サン・ジョルジュで分類されていました。どうやらホテルになっている感じ。でも、こういう城は私が泊まるタイプではないので、城を見に行って写真を撮ったもよう。Château de la Berchère です。外国人がたくさん泊まる、と地元の人に紹介されていたのだっけかな?...

もちろん、集落からは離れていました。市といっても、かなり広がっている町なのですね。思い出せば、ブドウ畑が途切れる小高い上にある直売農家も住所はニュイ・サン・ジョルジュ市だった。

それは、どうでも良いのですが、気になることが2つあったのです。


ニュイ・サン・ジョルジュという町の名前

昔から知っている町の名前なのに、なぜか今回気になりました。

ニュイ・サン・ジョルジュ(Nuits-Saint-Georges)ですが、ニュイは夜(複数形)。それに続くサン・ジョルジュは聖人の名前。

描かれるときはドラゴンを退治しているのがシンボルの聖ジョルジュなのですが、日本語では聖ゲオルギオスですか。

Vittore carpaccio, san giorgio e il drago 01

とすると、ニュイ・サン・ジョルジュは「夜の聖ゲオルギオス」?

ブルゴーニュの物知りの友人に聞いてみたら、この町の名前は、もともとは「ニュイ(Nuits)」だったのだと教えてくれました。それが「Nuits-sous-Beaune」という名前になって、その名前を嫌ったニュイの住民たちが長い年月かけて今の名前にしたのだそうです。

サン・ジョルジュと聖人の名前を市町村につけたのには違和感がありません。以前に書いた記事を読み直してみたら、フランスの市町村の12%が聖人の名前を使っていたのでした。

つまり、ニュイにそれを付けただけなのでした。私が思ったのとは全く逆だった!

でも、単に村にまつわる聖人を選んだのではなくて、この地域の中で特に優れたワインができる畑の名前からとったのだそう。

調べてみたら、Les Saints-Georges(レ・サン・ジョルジュ)というプルミエ・クリュ(1級)のアペラシオンがありました。

でも、ニュイ・サン・ジョルジュという銘柄もあるのだから、サン・ジョルジュでは分りにくくなってしまったのではないかな?...

追記:
徒然わいんさんがコメントを下さったのを読んで気がつきました。
他にも、ニュイのようにワイン畑の名前がついた市町村名があるので、紛らわしいという問題ではないのでした。
ブルゴーニュのワインの銘柄は市町村の名前がついていると思っていたのですが、逆に今日ではアペラシオンになっている銘柄が市町村名になっている例が幾つもあるのでした!



この物知りの友人には、何か分らないことがあったらWikipediaで調べてはいけないと言われているのですが(でたらめばかり書いてあるから)、やはり便利なので、町の名前が変わったのかどうかを調べてみました。

ちゃんと書いてある!

1849年、鉄道の駅がニュイ町にできたのだが、同じ路線にNuits-sous-Ravière駅というのがあった(お隣のヨーヌ県)。それで、混乱を避けるために、ニュイ町はNuits-sous-Beauneと改名された。1892年、町はNuits-Saint-Georgesと改名された。

この部分の記述が正しいとすると、町の改名に要した年月は半世紀弱というわけですね。もっと、長くかかったのかと思ったのですけど。


なぜ、Nuits-sous-Beauneという町の名前が気に入らなかったのか?

これは、想像がつきます。

Nuits-sous-Beauneだと、ボーヌ市(Beaune)に近いニュイ町となるわけですが、「sous」というのは「下」の意味がある。

ボーヌの傘下とやられるのも気に入らなかったのでしょうが、ここはワインの町。まるでニュイのワインがボーヌのワインの下にランクされてしまったような感じにもなってしまうからでもあったのではないでしょうか?

地名が下に置かれるみたいな単語が入っていると改名したいというのは今でもあります。

有名なのは、ノルマンディー地方。行政区分ではHaute-NormandieとBasse-Normandieの2つの地域圏に分かれています。Hauteとは「高い」という意味で、Basseは「低い」。低いという文字を付けられた方は、やはり気に入らないようです。ここなどは、1つにして「ノルマンディー」とすれば良いのに...。


ボーヌの下にされたというだけではなくて、ボーヌとニュイが仲が悪かったのかもしれない。

近くにある町同士が、歴史の中で犬猿の仲になっているというのはよくある例なのです。

地元にいると聞けるだけの話しですが、こんなのがあります。

● ボーヌとディジョン。
ディジョンの住民は、ボーヌの住民を「ロバ」と呼んでいた。

ディジョン生まれの詩人・劇作家アレクシス・ピロン(Alexis Piron: 1689~1773年)が「les ânes de Beaune」という言い方を始めた張本人なのか、すでに言われていたのか知りませんが、ボーヌの人たちをロバ呼ばわりする有名な言葉を幾つも残しています。

[注] フランス語でロバは、間抜けという意味があります。
過去に書いた記事:
昔のフランス: 劣等生には「ロバの耳」の罰則 2008/05/07


同じブルゴーニュ地方で、マコネ地域(マコン市中心地域)の人々は、ソーヌ川の向こうにあるブレス地域の住民のことを「黄色いお腹」と呼ぶ。

[注]
ブレス地方はトウモロコシがよく育つ地域で、昔はトウモロコシからパンを作ったりして主食としてので、黄色いお腹になってしまう。単純にそれが理由かと思うと、この謂れには色々な説があります。

私がもっともらしく感じたのは次の説:
大量の若者が戦死した第一次世界大戦のとき、ワインを作るマコネ地域にブレスの若者が来てお嫁さんにしてしまった。つまり、ブドウ畑をとられた)という恨みから。



思い出せば、半年ほど滞在したエクス・アン・プロヴァンスも、近くにあるマルセーユと犬猿の仲だと地元で教えられました。これは未だ根強く残っているようで、地元の人にマルセーユが好きだなんて言わないように気をつけたのを覚えています。

[注]
ブルジョワの町エクス・アン・プロヴァンスと、庶民的なマルセイユという対立。このパターンは悪口を言いあうには格好の材料のようで、あちこちに例があります。



変な呼び名...

ともかく、Nuits-Saint-Georges(ニュイ・サン・ジョルジュ)の町の名は、ニュイにサン・ジョルジュが付いたのだと学びました。

ついでに覚えたのは、ニュイ・サン・ジョルジュの住民の呼び名。パリの住民をパリジャンあるいはパリジェンヌと呼ぶように、全ての市町村に呼び名があるわけなのですが、フランスの市町村は36,000以上もあるのです。

全部覚えきることはできませんが、関係するところは覚えておいた方が良い。最近はインターネットで簡単に探すことができますが。

ディジョンとボーヌは知っていたのですが、ニュイ・サン・ジョルジュは知らなかった。

男性はNuiton、女性はNuitonneなのだそうです。ニュイトンなんて、なんだか変なの...。

でも、もっと変なのもあります。
例えば、ブルゴーニュにあるPoilという村。

住民が「J'habite à Poil.」なんて言うことがあるのだろうか? 「私は裸で生活しています」みたいに聞こえてしまうのです。

さらに、この村の住民の呼び名はPoilu(女性はPoilue)なのです。これだと、綴りも発音も「毛むくじゃら」と同じ単語。さすがに、使いたくないからでしょうが、Pixien / Pixienneも存在しています。いつか、この村に住んでいる人にあったら、どうしているのか聞いてみたい。

変な名前と言えば、Ciel(空の意味)という名の村もブルゴーニュにあって、そこであった悲しい話を書いたこともありました:
天国に送った手紙は・・・ 2008/03/09


ニュイ・サン・ジョルジュ町について気になることが2つあると書いたのですが、もう1つの方のことも書きました:
日本とフランスの姉妹都市が誕生するとき

ブログ内リンク:
★ シリーズ記事目次: フランスの市町村について

外部リンク:
Comment s'appellent les habitants de... ?


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


カテゴリー: 歴史 | Comment (2) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/25
ふと窓の外を見ると、薄暗くなった木々の間に大きなオレンジ色の円盤が見えます。

庭に飛び出して眺めてみました。



街灯の明かりもオレンジ色なのですが、こんな位置にはなかった。
写真の左の方には街灯の明かりが小さな点になって写っています。

月?... 満月の月なのだろうと確信するまでに少し時間がかかりました。月とは思えないくらい巨大な大きさ、しかも濃いオレンジ色だったからです。

21時を過ぎたばかりのとき。まだ日は長くなりきっていなくて、この時間くらいに日没の時期ですね。



月を眺めるときには、対象物がある地平線に近いときに大きく見えるのだそう。思い出してみると、びっくりするくらいの大きさの月を見るのは、いつも地平線から登るときですね。

時々出くわすので写真に撮ってみるのですが、写真だとびっくりするほど大きいようには全く見えない!

地平線近くにある月を見たときの記憶をたどると、いつも黄色かオレンジ色。白いということはあったかな?...

ギリシャでクルージングをしたときに見た、水平線に近いところに見えた大きな月も印象に残っているのですが、あれも、鮮やかな黄色かオレンジ色でした。

でも、今日の月は、太陽かと思ってしまうほど濃いオレンジ色でした。


調べてみたら、この4月25日は満月でした。


ところで、毎年イースター(復活祭)の日が変わるのは、3月21日(春分の日)の後、満月の日の後の 日曜日と決められているから、と聞いていました。

今年のイースターは3月31日(日)でした。

その直前の満月(3月27日)には全く気がつかなかった...。

その日に何をしていたかと写真アルバムを見たら、黄水仙を森に摘みに行った日。その後に見た見事な十字架の写真は曇り空がバックになっているので、その夜には月が見えなかったのだろうと思います。

ブログ内リンク:
★ 目次: 空や天気に関する記事(虹、太陽、月、空、雪など)
★ 目次: フランスの祭日・年中行事について書いた日記

【満月について書いた過去の日記】
太陽と月のランデブー 2009/01/09
 ⇒ 月に興味を持って調べてみました 2009/01/11

外部リンク:
Phases de la lune


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


カテゴリー: 四季、自然 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/25

シリーズ記事目次 【世界遺産ヴェズレーを中心とした旅行記】 目次へ


4月の初め、お天気が良い祭日があったので、ブルゴーニュ北部にあるアヴァロンという町(Avallon: Wikipediaではアヴァヨンと記載されていた)を中心としたアヴァロネ地域に行くことにしました。

行ってみたら、青空が広がっていても、寒い~! 思い出せば、ここはブルゴーニュ地方の中央にあるモルヴァン(Morvan)という山岳地帯の入口だったのでした。



世界遺産にも登録されている美しい村ヴェズレー(Vézelay)を目的地にしたのですが、ここはもう数えきれないほど訪れているので、観光をもう1つ予定していました。

上に入れた動画で最後の方に登場するChâteau de Chastelluxシャトゥリュ城)です。

その日は見学ができない日のようでした。でも、祭日なのでオープンしているのではないかな?... というわけで、ヴェズレーに到着したときに友人が電話しました。

留守番電話だったので、何もメッセージを残さなかったのですが、少したったら先方から電話してきてくれました。かかってきた電話の番号が分かるので、「何のご用でしょうか?」というもの。

ヴィジットはできるとのこと♪ 友人は、「伯爵から電話をもらっちゃった♪」などと喜んでいる。

ヴェズレーで昼食をとってから、城に向かいました。


シャトゥリュ城の見学

城のある村に近づくと、堂々とした城が見えました。



ここからが、ちょっと大変。
どの道を入ったら城に近づけるのか分からないからです。

グルグル丘の周りを走って、やっと城の入口の門に続く道を発見。

ガイド付きで見学できるので、その時間になるまで待ちました。



庭の中の集合場所で待つこと、しばし。
時間になると、昔は城の使用人が住んでいたと思われる建物から男性が出てきました。

城主のシャトゥリュー伯爵みずから案内してくれるらしい♪

フランスには見学できる城が数えきれないほどあるのですが、やはり住んでいる人の話しを聞きながら見学できるのが最高です。

しかも、ここは1000年も前から現在に至るまで、同じ家系が城を維持しているという、フランスでは珍しい城なのです。 その城主様が案内してくれるのは嬉しいではないですか?

フランスの貴族といっても、いろいろ。ナポレオンが出した貴族の称号なんていい加減だし、アンシャンレジームでも、戦争の功績をたたえるためなどの理由で称号を与えていますから。

シャトゥリュ伯爵は、全く気取らない人でした。案内を始めたのっけから、私たち観光客を笑わせます。

「私はブルゴーニュ人で、フランス人ではありません」と、おっしゃる。
私の友人の中にも、そういう風に言う人たちがいるな...。

ここは、要塞としての立地が良いから選ばれた場所に立つ城なのだそうです。

城の周りを流れるキュール川の向こうはニエーヴル県なのだそう。その県もブルゴーニュ地方なのですが、大昔には敵国だったのですよね。今でもそう思っているらしいのが面白い。

確かに、ニエーヴル県というのは、ブルゴーニュ的な雰囲気が薄いとは私も感じていました。故ミッテラン大統領の根拠地なのですが、昔から左派の支持者が多い、というのもあまり伝統的なブルゴーニュではない。

ともかく、愉快な伯爵でした。ご先祖様の城を守るという仕事を担うようになる前は映画界で仕事をしていて、ハリウッドでまで働いた人なので、そういうキャラクターなのかも知れませんが。


19世紀に建てられた、おぞましい塔?

中世に要塞として城が建てられてから、19世紀に至るまで改造が続けられていました。非常に大きな城なのですが、保存状態はかなり悪いようでした。

伯爵はとてもユーモアがあって、しかも言いたいことを言ってしまうので痛快。

城に近づいて眺めたとき、なんじゃ、これは?! と思った四角い塔がありました。



明らかに19世紀に建てたと思われる、おどろおどろしい塔。これを見て、せっかく見学に来たこの城は、昔の姿を残していないのではないかと、不安を感じてしまいました。



伯爵は、 そんな見学者の気持ちも分るらしい。この塔はヴィオレ・ル・デュクの一派の建築家が、「こんな化け物みたいな塔を建ててしまいました」、と説明。

ヴィオレ・ル・デュクについて書いた過去の記事:
ヴィオレ・ル・デュクが修復したピエールフォン城 2010/05/12

そこに立って反対側に見えた建物の屋根に、雨避けらしいトタンがかぶっていたのも私たちはマークしていたのですが、そちらも、修復費が足りなくてそのままになっていると素直に言います。

「19世紀の建物も歴史的建造物としてリストされるのだから、これも20世紀の文化遺産になるかもしれません」などと冗談をおっしゃる。

千年にわたる長い歴史の中で、最も厳しい目にあったのは、つい最近です、と話す。何年だったか忘れてしまいましたが(1990年代末?)、この伯爵が叔父から城を継いだ年です。

生前に遺産分けの処理をしていたり、一般の人に見学させたりしていたら、遺産相続の額が少なくなったのに、それをしていなかったので、まともに膨大な相続税をしょってしまったのだそう。

城に付属している1,600ヘクタールの森の木を売るお金は、全て城の修復維持に使っているのだそう。こんな大きな城の買い手はいないのだから、不動産としての価値は全くない。税務署に城の価格は幾らかと聞かれたので、正直な気持ちから「ゼロ」と答えたら、「気に入られなかったようです」などとおどけておっしゃる。

城の内部の見学は写真撮影は遠慮したのでありません。

比較的最近に、火災にもあっていたのでした。

消防車がまいた膨大な水で壊れて修復した部屋、天井の健在が良かったので助かった部屋の比較は面白かったです。

正直言って、内部を見学して感激するようなものはほとんどありませんでした。この城の見学は、城の修復保存の役割を担った伯爵の話しを聞くのがおもしろいのであって、普通の学生アルバイトのようなガイドさんから話しを聞いたら、ちっとも面白くなかったと思います。

一族のことを「私たちは」と言うのですが、何百年も前のことをそう表現するのだから、登場する数々のご先祖様の話しは、私には混乱してきました。由緒ある貴族なので、それぞれがフランスの歴史の節目に活躍した人たちと関係していて、その裏話がとても面白かったのですけど。

どんなことを言って私たちを笑わせたのか書くべきなのですが、面白い話しが多すぎました。なにしろ千年にわたる城の歴史を聞いたので、間違ったことを書いてしまいそうなので止めておきます。

見学の最後に出たのは、この中庭。



城に快適性を求めるようになってから、外の通路を作ったという、よくある構造ですが、奥が狭まっていて面白いつくり。

フランスではマンションの大きさを表すのに、Fの後に部屋数を付けて、F4とかF5とかと表現します。この城はF143なのだそう(F134だったかな?)。

毎年、部屋を2つか3つ修復しているのだそう。「どの部屋に住んでいるのですか?」と聞く人があったら、「あそこに食堂があって、あそこに寝室があって、あそこに書斎」などと気さくに答えていました。

これで見学は終わりなので、出口まで送っていく途中、伯爵は完成まじかなアパルトマンをお見せしましょう、と言いました。出口の横の塔の部分に入れてくれました。

城の修復費を得るために民宿を作っているので、そのお披露目をしたいのかと思ったら、伯爵が住むアパルトマンなのだそう。こんなに大きな城を持っていながら、小さなスペースに住むの? と言いたくなりますが、そちらは暖かくて快適に住めるのでしょうね。

もともと、森に囲まれた寒い地域にある城なので、歴代の妻たちは、誰もここには住まないで、自分が所有している城に止まっていたのだそう。

見学したとき、ラジエーターがある部屋があったのですが、それは20世紀初めに作った暖房装置でした。森があるので薪はタダ。それを使って集中暖房する設備だったのですが、薪の係りが4人も必要なので、半年くらいで暖房は止めてしまったと語っていました。

城の観光をよくするので貴族に会う機会が多いのですが、家系が良い人は全く気取らない。

そんな話しは何度も書いていたので少しピックアップしておきます:
フランス貴族の見分け方 2007/09/25
フランス貴族は気取らない 2005/07/13
フランスの古城をプレゼントされるのは不幸? 2009/12/06
「850年前からここにいる」と言ったマダム 2010/02/05


庭園は自由に散歩

城を出てから、広大な庭園の散歩を楽しみました。



こちらは、私がなぜか好きで、ブログでも度々書いている昔の鳩小屋:
★ 目次: 鳩小屋について書いた記事

それから、最近になって気になりだした氷室もありました。



昔の冷蔵庫です。
覗き込んでみたら、底には水はけの部分もあって、今でも使えそうなくらい状態が良いように見えました。

すぐそばに池があって、そこで氷をとって氷室に入れ、藁をかぶせておくと、少しずつ溶けてはいくものの、1年中食べ物を保管できたのだそうです。

それを説明している伯爵の動画があったのですが、お酒によってふざけている様子なので、リンクは入れないでおきます。私だったら、そんな動画は削除してくれるように頼むところですから。

伯爵は、人口200人たらずの村にあるカフェを存続させるため、1日に2回キールを飲みに行っていると書いてある記事もありました。

氷室について書いた過去の記事:
クイズの答え: 城にあったのは氷室 2012/05/03


春が来ていた

森のような庭園には、春の花々が咲き始めていました。



手前に見えるのは「ククー(coucou)」と呼ばれるセイヨウサクラソウ。

相続税も払えなくて気苦労が絶えないであろう城主様ですが、こんな森の散歩もできる城に住むのも悪くないではないですか?

「森のアネモネ(Anémone des bois)」と呼ぶ白い花が、みごとに花畑を作っていました。



この数日前、森で黄水仙を摘んだときには全く見つけられなかった花なのですが、あのときは、たまたま森のアネモネが好まない土だったのかな?...


Quarré les tombes nord eglise sarcophages帰り道ではQuarré-les-Tombes(キャレ・レ・ドンブ村)に立ち寄ってみました。

教会の建物の横に、おびただしい数の石棺があるという奇妙な教会があるからです。

教会の中に入ってみたら、シャトゥリュ伯爵のご先祖様の立派な墓碑がありました。

今までは気にしたことがなかったけれど、このあたりを旅行していると、シャトゥリュ家にまつわるものがたくさんあるのでしょうね。

有名な修道院Abbaye Sainte-Marie de la Pierre-Qui-Vireも、土地はシャトゥリュ家が寄進したのだと知ったところでした。

私たちを案内してくれた伯爵は、最近、シャトゥリュ城愛好会のメンバーたちと一緒に、シャトゥリュ家の千年の歴史調べた書籍を出版したそうです。道理で、案内は詳しかった。

歴史を研究するにしても、自分のルーツを探るというのは面白いだろうな...。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱
★ 目次: 旅行したときに書いたシリーズ日記のピックアップ

外部リンク:
☆ オフィシャルサイト:
Château de Chastellux
Chastellux : une famille, un château à travers mille ans d'histoire
Les vies du comte de Chastellux
Famille de Chastellux
Reportage sur le château de Chastellux
☆ Wikipédia:
Château de Chastellux
☆ Wikipédia:
Liste des seigneurs et comtes de Chastellux
Chastellux-sur-Cure : une souscription est lancée pour un ouvrage sur l’histoire des Chastellux
Monuments historiques : les avantages fiscaux


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

カテゴリー: 建築物 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
2013/04/24
4月初め、復活祭の休日に、ブルゴーニュ北部のヨーヌ県を旅行しました。

アヴァロン市(Avallon)を中心としたアヴァロネと呼ばれる地域です。

この地域にある有名な観光スポットであり、世界遺産にも登録されているヴェズレーは、数えきれないほど行っているのにブログでまともに書いたことがなかったので、ヴェズレーのページを作りました。

 

幾つか記事を書いたので、この旅行について書いたページを一覧にしておきます。

[続きを読む  Lire la suite...]


2013/04/23

シリーズ記事目次 【ディジョンからニュイのブドウ畑に行った1日】 目次へ


先日の日記(「レマン湖のフェラ」という名の魚)に書いた美味しい料理を出すレストランで選んだのは、このワインでした。



オート・コート・ド・ニュイの白ワイン、2009年もの。

簡単に昼食をとるときだったので、ワインは安い白ワイン、でも、やはりブルゴーニュのシャルドネにしたいと候補にしたら、ミレジムが2009年。最近のミレジムとしては、気候が良かったこの年が好きなのです。

だから、迷うことなくワインリストから選びました。

食前酒かわりに飲み始めたら、腰のあるしっかりしたワインなので驚きました。

もう少し寝かせておきたいワイン。

なので、クレ・デュ・ヴァンを使ってみました。

これに出会ったときの日記:
すごいワイングッズを見つけました! 2005/12/23

この道具で人工的に3年熟成させてしまったら、非常に飲み心地が良くなりました。

高級ワインでもないのですから、もう飲み頃になっていても良いのに、まだ熟成できそうなのが不思議...。

かなり本格的にワインを作っているドメーヌなのではないかな?

こういうワインをセラーに置いておきたくなりました。

前回の日記(オート・コート・ド・ニュイのブドウ畑を眺める)で書いた地域、コート・ドールの中では少し山がちの地域で生産されるワインです。

それで「オート・コート」とついたワインには、安いワインのイメージがあるのですが、中にはとてもおいしいものがあるのです。 掘り出し物を見つけるのは楽しい。というわけで、このドメーヌに行ってみようと思いました。

レストランで25ユーロということは、直売価格はその3分の1と踏みました。オート・コート・ド・ニュイだったら、そのくらいだろうな、とも思って。

レストランで飲んだあと、そのワインを作ったドメーヌに直行というのは何度も経験しています。良いレストランだと、良いワインを選んでいる。だから、知らなかったドメーヌを発見する良いチャンスなのです。

時代は変わった!

そんなときは、ソムリエさんに、どんなドメーヌかと聞いて、フラッと行っても感じよく応対してくれるだろうかということも探り出します。でも、この日はソムリエさんなどはいないレストランで食事していたのでした。

ボトルに書いてあるドメーヌの名前を見て、iPhoneでサイトを検索。サイトの内容を少し読んでみると、感じが良さそうだという印象を受けました。


味わったワインを作っているドメーヌに行ってみる

ワイン村では、ドメーヌの名前を表示した道路標識がでているので、普通なら簡単に見つかります。

門の前で、ちょっとギクリとしました。

「sur rendez-vous」と書いてあったのです。アポイントをとってから訪問してください、というような意味。

ワイン農家の入口で、そんなの見たことがあったかな? ずっと昔のブルゴーニュのワイン農家では閉鎖的だったのですが、最近は、たいていのところは「試飲・販売」などと門戸を開いているのです。飛び込みのツーリストなんかには来て欲しくないところでは、何も表示しないだけです。

アポイントをとらないと訪問できない? でも、一緒に行ったブルゴーニュで生まれ育ったフランス人はおじけない。「誰もいなかったら帰れば良いだけだから」と言います。

門は開いていたので、車ごと入る。

家族経営でやっている良いドメーヌだろうという印象を受けました。



初めていったワイン農家が、やたらに豪華だと、ぼろ儲けしているのだろうと勘ぐってしまうのですが、ここはそうではない。

入ってきた車の音を聞きつけたらしく、女性が家の中から出てきました。

「レストランで飲んだワインが美味しかったので買いに来ました」、と挨拶。

こう言われると、悪い気はしないのではないかな。迷惑そうな顔もみせずに、どうぞ、と即座にセラーに案内してくれました。

試飲用のワインが樽の上に何本も並んでいます。

レストランで飲んだワイン以外も試飲するかと聞いてくれました。エシェゾーやラドドワなど、気を引かれるワインも作っていたのです。

でも、高いランクのワインは全て品切れ、という感じ。良いサインです。売れ残りが多いというのは、何か問題があるのではないかと思ってしまうので。

幸い、レストランで飲んだオート・コート・ド・ニュイの白ワイン2009は在庫がありました。

想像していたより、少し価格は高め。フランスのレストランでは仕入れ値の約3倍の価格をワインにつけていると踏んでいるのですが、あのレストランは2倍くらいだったわけです。

それも、このレストランがいつも満席の理由かもしれない。最近のフランスは不況で、これほど良い料理を出しているのに営業を続けられるのだろうかと心配してしまうような閑古鳥がないているレストランが多いのです。

ワインの買い付けに行くときは、昼食を食べたばかりというのは最悪ではないかな? 普通は、昼食間近というときにワイナリーに行きます。

せっかくワインの試飲をさせていただきましたが、品定めなんかできません! それに、飛び込みで行ったので、長居しては申し訳ないという遠慮もあります。

というわけで、また別の機会に来ることにして、レストランで飲んだ白ワインだけ買って帰りました。


アンリ・ノーダン・フェラン 

行ったドメーヌの名前はDomaine Naudin Ferrand。

日本にも輸出していると言っていたので、検索してみたら、かなり出てきました。

アンリ・ノーダン・フェランのワインを楽天市場で検索

ショップの説明があるので読んだら、「そんなに凄いワインだなんて知らないで行ってしまって失礼いたしました~!」と謝りたくなるほど褒めちぎられていました。

私はレストランで飲んで、なんだか普通のワインと違う、という漠然な印象を持っただけなのですけど、直観に間違いはなかったらしい。

同時に、私が出会う前から注目されていたドメーヌだと分かると、ちょっとがっかり...。

完結に説明しているのは、こちらのショップかな...。

私たちを応対してくださったのはワイン醸造をしているご本人だったようです。旦那様がワインづくりをしていて、奥様は会計係りのようなドメーヌが多いので、そう思っていたのですけれど。確かに、彼女の言葉の端々に感じる発言は、ワインに詳しすぎる方だった!

ドメーヌのサイトもあるので開いたのですが、全部読んでいたら日が暮れてしまいそうなほど書いてありました。つまり、かなりこだわりを持ってワインを作っているドメーヌらしい。


さっさとワインを買うだけのつもりで入った私たちですが、フランス人たちのおしゃべりは止まりがない。フランス人が「ちょっと1秒だけ」と言うときには、5分と10分かかると覚悟すべきだろう、と私は換算しています。

おしゃべりの中で、この方は? と思うところがありました。

レストランで飲んだとき、上に書いたクレ・デュ・ヴァンを使ったことを話したら、興味を示されたのです。

クレ・デュ・ヴァンは、フランスでは、少なくともブルゴーニュでは、余り知られていません。ワインを作っている人やソムリエさんに見せたりすると、たいていは嫌悪感を示されます。不自然にワインを熟成させてしまうなんて許せない! という反応なのだろうと思います。

それで、このときも、日本では民家の地下にワインセラーがあるわけではないので、こういう道具で何年後にはどうなるというのが分かるのは興味深いのです、などと言い訳をしました。

ところが、興味を示されたのでした。ボルドーで開発されたアイディア商品だと言っても、偏見は出てこない。買いたいとまでおっしゃるので、ボーヌのワイングッズを売っている大きな土産店Athenaeumには置いてある、などと教えてあげました。

偏見で固まっていはいないで、常に研究とチャレンジをして質の高いワインを作っている人なのだろうとかんじました。そういうタイプ、フランス人には珍しいのです。

日本企業の強みは、改善していくことにあると思っています。例えば吹奏楽器は、フランス産が優れているとに定評があったのですが、日本のメーカーの方が上をいってしまったのだそう。ヨーロッパの楽器メーカーは、古い歴史の中で培われたノウハウをかたくなに守る。ところが、日本では、演奏者の意見を聞いて、使いやすい楽器にしていった、ということを書いてあったのを読んで、そうだろうな... と思いました。
 
ずっと昔、働くようになってコンサートに行けるようになったら、東京で開かれるオーケストラを片っ端から通った時代がありました。開幕して、ホルンがかなでられるとき、突拍子もない音が出てくるので度肝を抜かれることがしばしばあったのですが、こういうのは今では全くなくなっています!

伝統と、新しい技術の融合。それが現代で求められることなのだと思います。

このドメーヌのサイトにあるワインづくりのフィロゾフィーというページを読むと、そうなんだなと理解できました。

ともかく働き者のよう。ここのワインを飲んだレストランのランチメニューは創作料理で、しかも安いのだという話しをしていたら、平日にレストランなんかに行くことはできないのだと残念そうに言います。一緒に行ったフランス人が、どんな料理だったか詳しい説明をしだしたら、「やめて、やめて!」などとストップをかけてきました。

近くにあるレストランなのですから、ちょっと仕事の手を抜いたら簡単に行けると思うのだけれど、そんなことはできないらしい。ブルゴーニュのワイン農家に行くと、何時間もお相手をしてくれてしまって、こちらの方が「いつ仕事をするの?」などと思ってしまうことがあるのに!

アポイントをとってという文字を入口に掲げていたのも、やりかけの仕事を中断したくないからなのだろうと思いました。

ブログ内リンク:
★ 目次: ワインのグッズや道具などについて書いた記事
★ 目次: ドメーヌ訪問記
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
Domaine Naudin-Ferrand


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へにほんブログ村にほんブログ村 トラコミュ フランスのお酒 (ワインなど)へ
フランスのお酒 (ワインなど)


2013/04/22

シリーズ記事目次 【ディジョンからニュイのブドウ畑に行った1日】 目次へ


ブルゴーニュワインの産地で「オート・コート・ド・ニュイ」と呼ばれる地域にワインを買いに行きました。

ブルゴーニュワインで最も有名なブドウ畑は、コート・ドールの県庁所在地のディジョン市(Dijon)と、ブルゴーニュワインのメッカともいえるボーヌ市(Beaune)を結ぶ線上にあります。

その中間にニュイ・サン・ジョルジュ(Nuits-Saint-Georges)の町があって、その町の周辺が「コート・ド・ニュイ」。ボーヌ市の周辺は「コート・ド・ボーヌ」というワインの区分。


コート・ド・ニュイと呼ばれる地域の中で、超高級ワインができるブドウ畑を眺めると、東を向いた斜面の上の方は森になっていて、ブドウ畑はなくなっています。

ところが、そこに上がって行くと、森があって、さらに進むと台地が開けて、ブドウ畑になっています。

コート・ド・ニュイの地域で、そういうところがオート・コード・ド・ニュイ(Hautes Côtes de Nuits)。そこにあるドメーヌを目指して行ったときの日のことを書いています。

こちらの地図の方が分かりやすいですね:
ブルゴーニュ地方のワイン地図


4月上旬のブドウ畑。まだ葉が出ていないのでブドウ畑の風景は寂しいのですが、裸なだけにブドウの木がよく見えます。

この辺りに来ると、少し背を高く育てたブドウの木があるので、面白いな... と思って眺めます。

でも、気がつくと、背を高くしている株ばかりではないのですね。

道路を挟んで、両方の育て方が見えたので写真をとってみました。でも、こういう写真は大きく入れないと見えない...。



左側が低い木で、右側が高い木です。
もっとくっついて植えてくれていたら、背比べがはっきりわかるのに...。

見事な古株も、かなり、ありました。



でも、高級ワインができる下の地域に比べると、このあたりは石ころが多いかな?...

そう思ったのは、この少し前に眺めていたのがロマネ・コンティの畑だったから(その日記)。


背が高いブドウの木

平地に近い高級ワインを作るところでは、背が低いだけではなくて、枝を1本伸ばして、それに来年用の短い枝を残しておく、という剪定方法を見慣れているのですが、ここでは長いのを2本残しているのだな、と観察しました。



これは、針金にとめて枝を横にはっているのですが、そうなっていないのもありました。これから横にはわせる作業をするのか、あるいは、このままなのか?...



足元に紫色の花がたくさん咲いているのが面白くて写真をとったのですが、写真を眺めていると別の見え方をしました。

なんだか、キスしているみたいに見えてしまいませんか?!


リールと呼ぶ育て方ではなかった

この地域で、こういう風に背を高くして育てる方法はtaille en lyreと呼ぶのだと聞いていました。この後、ワイン農家に行ったので聞いてみると、その方法は手間がかかりすぎるのでもうやっていないとのこと。

それでは何と呼ぶのかと聞いてみたら、背が高いというだけみたいでした。

ブドウの剪定方法は面白いので、ときどき思い立っては調べているのですが、ちっとも覚えていない!

en lyreと呼ばれる剪定はどんなのかと検索してみたら、アルザスでそれをやっているブドウ畑の動画が見つかりました。



lyreというのは、日本語ではライアーという古代ギリシャの竪琴。つまり、その形になっているからそう呼ぶのでしょう。

完全にY字型にする。しかも、支柱の立て方からして違うらしい。 こちらのページに入っている画像の方が分りやすいです。

1つ覚えました。


外部リンク「ワインの基礎知識」へ

ブログ内リンク:
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
☆ Œnologie : La taille de la vigne
La taille de la vigne
Taille (taille de la vigne)
Carte de la Côte de Nuits et Hautes Côtes de Nuits


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へにほんブログ村にほんブログ村 トラコミュ フランスのお酒 (ワインなど)へ
フランスのお酒 (ワインなど)