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2013/05/31
フランスにたくさんの和食レストランができて来たのは、いつの頃だったかな? そう思って、このブログで初めてフランスに和食レストランについて書いた日記を探してみたら、2003年末のものでした。

竹の子のように生えてくるパリの日本食レストラン 2003/12/12

「ここ数年、パリに行くと、日本食レストランが竹の子のように生まれてきているのに驚きます」と書いている。つまり、フランスで和食ブームがおきてから、もう10年以上たっていたらしい。

このときすでに、「8割は中国人が経営している」と書いています。


本物の和食であることを証明するマークができたのだけれど...

パリのJETROが本物のの日本食を出すと判定したレストランに与えるマーク上にリンクした日記を書いてから間もなく、おかしな和食がはびこっては困ると日本側が動き出し、日本食レストラン推奨制度というのができて、本物の和食レストランにはマークが付けられるようになりました。

そのことを書いた日記:
農林水産省が海外日本食レストラン認証に動き出した 2006/12/01

その後も、安く日本料理を食べられるレストランは増え続けました。現在では、中国系が経営している店は9割を占めているのではないか、とさえ感じています。

本物の日本料理だと示す推薦マークは、それほど長く続かなかったように思います。インターネットで推薦マークをもらった和食レストランの一覧を見れたので、レストラン選びには便利だったのですが、消え去りました。

推薦マークが無くなった経緯は知りません。でも、中国系の店も日本食の食材を大量に買ってくれるわけですから、日本の食品輸出企業からの反対もあったのではないか、という気もします。


フランスで和食が普及したのは中国系のおかげでもある

フランスで和食が流行ったのには、大きな2つの理由があると思います。

第一に、胃に負担がない日本食は健康に良い、という風潮。都市に住む人たちには特に人気があります。

第二に、それまでフランスにあった日本系の和食店は料金が高いのがネックだったのですが、中国系が経営する和食店は安いので気楽に利用できる。

中華料理は世界に誇る料理だと思っているのですが、フランスでの中国料理(ベトナム、タイもたいていごっちゃまぜにされている)は、ピザ屋さんと同じように、安く食べられるのが最大の特徴になっています。

日本では中華料理といったら、胃にもたれるというイメージが強いのではないかと思いますが、フランス人にとっては食べ終わった後もお腹がすいている、という料理だそうです。だから、中国系が日本料理をつくっていると分かっても、フランス人には大して抵抗はないのではないでしょうか?

最近は、第三の理由があるように思えてきました。つまり、フランス人のかたくなさが消えてきている。知らない食べ物に対しては抵抗があり、フランスが一番だと思う気持ちが薄れてきている。これは食べ物に限らず見られる傾向です。

例えば、昔はアメリカ文化なんか嫌いというのがフランス人の誇りだったのに、最近はかなりアメリカ的思考になってきている。異文化を認めるのは良いことですけれど、フランス人の批判精神旺盛な憎たらしさが面白くて好きな私としては、ちょっと残念。

食が乱れ、お金が全てを決めるみたいに思うフランス人が増えています。全世界がアメリカ的になってくるのかと思うと、ちょっと怖い...。


お気に入りにする和食レストランがない...

私は外国にいたら、その国の食べ物を食べたいと体が要求するという便利な体質をしています。それで、フランスにいても、全く和食が恋しくはなりません。でも、お世話になったフランス人をレストランに招待するとしたら、やはり和食レストランが一番かと思って、たまに利用しています。

パリのど真ん中に、安く日本食を食べられる店があったのですが、つぶれてしまったのか、そのあとには中華料理だか何だか分らない店ができました。 残念...。

それで、代わりをどの店にするかと、パリで探したことがありました。仕事の関係者を接待する必要があるのは、たいていパリなので。

パリはさすがに食材が豊富に手にはいるらしく、田舎にいる私が日本料理を作るときには手に入れられない食材を使っている「本物」と呼べる和食店があります。

でも、勘定するときには、かなりお高いのです...。事前に料金を探った段階で止めてしまうところも多々あり...。和食なら日本で食べられるのだし、刺身なんかは料理ではないので、自分がフランスで作れるのだから、それだけお金を出すならフランス料理を食べたい、と私は思ってしまう...。


真似されたら、真似返した日本人

数年前、「本物」マークの和食店リストから見つけて、お値段も手ごろそうなので、フランス人を招待したことがありました。 店の名前からして私たち日本人には中国系か日本系かが判断できるのですが、そこは日本系に見えるので合格。

お刺身は日本人が作っていて、申し分なし。



私が家でフランス人たちに刺身を食べさせるときには、この3倍の量を1人前として出すけれど、外食なんだから仕方ない。

私は、刺身は自分で作って食べているので、焼き鳥を注文しました。

これが、想像を絶するほど酷かった! 串に刺した冷凍の焼き鳥を焼いて、これまた出来合いのタレをたっぷりとかけたというもの。沼にはまっているような焼き鳥を皿の淵において汁けを抜いてから食べたのですが、とても食べられるものではありませんでした。

こんな料理を出す店に、本物だという推薦マークを日本人が付けるのか、と憤慨しました。

写真をとっておけば良かったな...。見るからにギョっとする焼き鳥だったのです。日本でも、焼き鳥には美味しいのと不味いのがありますが、あんなソースたっぷりの焼き鳥を出すところは見たことがありません。

でも、そんなに高くはないのがとりえのレストランでした。

つまり、本物の日本料理を出していたら料金の敷居が高くてやっていけないので、中国系がやっている和食を真似したのだろうな...。 本物の和食なんか知らないフランス人たちを相手にして、安く食べられる中国系の店に対抗していくためには、これしかないのだろうか?...

「本物」 という推薦マークは信頼するのは止めました。このときから、フランスで和食を食べさせる店には行っていませんでした。


久しぶりに和食店に行ったら...

友達の友達のフランス人が、「とても美味しい」と言っていた日本人が経営する店に行ってみました。招待したのは、私の日本料理を時々食べさせる友達。その人の反応でテストしようと思ったのです。

お品書きを見たところで、相手はがっかりしていました。メイン料理としては、寿司、天ぷら、トンカツしかなかったのです。

中国系の和食レストランで定番料理を出すなら納得します。でも、なぜ日本人がそれをするの?... 中国系に差をつけたいと思わないの?...

前菜は揚げ出し豆腐でした。私も作れる料理だけれど、久しくフランスでは作っていなかった。飛行機に乗るときには豆腐が危険物扱いになってしまってから、豆腐を持ち込むのが面倒になってしまったからです。



森のアスパラガスがのっていました。私はアレルギーがおきるので、食べない。それにしても、本来は野生植物なのに、やたらに太いので驚きました。栽培して売っているのがあるのかな?...

食客の友達は、豆腐が好きなので喜んでいました。

私は、美味しくないと思いました。豆腐は柔らかくて本物風。でも、出汁が、パックに入ったものを使っているようなのが堪らない。オーガニックとか自然食品とかには全くこだわらない私なのですが、添加物のソースには敏感に反応してしまうのです。

この後の料理は写真を撮る気にもなりませんでした。

致命的だったのは米! むかし日本から米を持ってこなかったころ、フランスで買っていた「サムライ」と書かれた、どこの国で生産されたのかも分らない米の味を思い出しました。

まずい米でも、酒かワインを少し入れ、コンブを入れて炊き、サラダオイルかバターを少し混ぜたりすると、まずい米もごまかせるのに、そんなことはしないらしい。

もろに、まずい!

寿司は形だけのもの。具も極端に小さい。 握り方も悪い。米が悪いから、ひどく不味い。

天ぷらは、衣を作るときに卵を入れないと、かなりの節約になるのかな?... と、思いながら食べました。 ボリュームが多いのは、フランス人の胃袋を考えていたのだろうと思いました。私は、ほんの少しでも、こういう天ぷらは私にはできないな... と思うものを食べたかったのだけれど...。

デザートは、フランスで作る中で、最高に簡単にできる料理。フランスで作るときの1人前を、4分の1くらいの量にしたところが日本的アレンジ!

ここも、安いのが取り柄のレストランなのでした。小さなレストランなので、完全に満席。フランス人たちには気に入られているらしい。

先ほど書いたパリで不味い焼き鳥を食べさせられた店も、今インターネットで確認してみると、なかなか評判が良いようです。リーズナブルプライスで日本料理が食べられる、などと褒められていました。

連れて行ったフランス人の友達は、豆腐を喜んで食べた後は不満顔。お給仕の日本女性も「感じ悪かった」と貶す。不愉快な人ではなかったのですが、客がユーモアを言っても、それに答えるような語学力がないのだから責めないで、と反論しました。それでいてフランスに馴染んでしまっている人らしく、わけもなく笑顔を見せたりする東洋系ではないので、気に入らなかったのだろうとも思う。


本物の日本食は作ると繁盛しない

結局のところ、フランスで和食レストランをやっていけるには、中国系がやっている方法を真似するしかないのだろうか? もちろん、高く評価されるほどの腕がある板前さんが、お金持ちが来る地域で開店したら、本物の和食を出す高級レストランとしてやっていけるはずだけれど。

中国系がいい加減な日本料理を作っているときは、そんなの日本料理じゃないよ、と批判できます。でも、それを日本人が真似しちゃったら、寂しくなってしまうではないですか?...

でも、フランスで本格的な日本料理を作ろうと思ったら、原価が高くつきすぎてしまうのです。だから、日本人が中国系がしているような料理を出しても責められません。

私が家で日本料理を食べさせた友人たちは、誰もが日本食レストランを開いたら繁盛するとのに、と言います。料理は下手なので、材料選びと飾りつけには凝ります。日本から食材もたくさん持ってきているし。 それと、和食器もたくさん使います。はりきって料理したとき、皿の数を数えている人がいて、一人あたり25枚と言っていました。

フランスで和食料理屋をやるなんて、間違っても考えません。私は料理の腕がない、というのは問題外。家に招待するフランス人たちは私の料理を褒めちぎって食べてくれますが、私が材料費と手間賃から計算した金額で料理を出すと告げたら、誰ひとり来ないのは試してみるまでもなく明らかですよ~!

ブログ内リンク:
★ 目次: フランスの日本食ブーム


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2013/05/30
歴史が好きな人たちの同好会で、テンプル騎士団の建物を見学しました。テンプル騎士団は、中世に大きな勢力を持ち、十字軍でも重要な役割を果たした修道会。膨大な資産を持ち、13世紀前半に壊滅されられた後もフリーメーソンとの関係を語られるなど、謎めいた存在です。

テンプル騎士団は、フランス語でOrdre du Temple、あるいはTempliers。その館や所領地をCommanderieと呼ぶ。

その程度は知っているのですが、テンプル騎士団について探究したことがありません。フランス国内を旅行していると、テンプル騎士団の建物だったというところによく出会うのですが...。

テンプル騎士団に関する大研究家がパリから来て講演もしたのですが、そちらは話しを聞いても理解できないだろうと思ってパス。個人が住んでいるテンプル騎士団の館を見学するツアーの方に参加しました。

場所は、ブルゴーニュ地方のコート・ドール県北部。見学させていただいたのは2カ所。

テンプル騎士団の館は、非常に美しいところもあるのですが、こちらは言われなければ気がつかないほど普通に見えてしまう建築物でした。でも、普通なら見学できないところなので貴重な機会。


Commanderie d'Épailly

始めに見学したのは、現在も広大な農地を持つ農家。ここにテンプル騎士団が拠点を構えていたときには、周辺の村々の広大な農地を所有していたのだそう。

参加者が集まる場所は、雨が降っていたので農場の納屋でした。みんなが集まるのを待っている間、納屋にあるトラクターを私は見学。



この巨大さは、戦車ですよ~! 後ろに映っているトラクターの車輪は、その横に私が立ったとき、背伸びして手をあげて、やっと上に届くという高さでした。両側に車輪が2つずつ付いているのは、雨でぬかるんだ畑でも土にタイヤがもぐりこんでしまわないためなのだそう。

でも、そんなのは、この日の見学の目的ではない!

農場の地主さんは、自ら農業をしているとは思えない、愛想の良いドイツ人女性でした。子どものときから休暇を過ごしていたこの地所と建物を遺産相続したそう。

テンプル騎士団の城郭は、塔などが残っている程度。当時の形を忍ばせる最大の見どころはチャペルでした。



チャペルと呼んでいますが、大変な大きさです。

どこにでもある例で、フランス革命の後には一般の人々が買える値段で売り出されました。ここも農家が買い取って、テンプル騎士団のチャペルという歴史的建造物であることは全く無視して納屋として使用されました。

右寄りに見える黒い部分は、教会のままでは農作業がしにくいので、出入りがしやすいように開けた大きな入口。こんなことをしてしまったら、建物の崩壊につながるのに...。

現在の所有者であるドイツ人女性は、財産をつぎこんで修復しています。チャペルの 屋根はしっかりと葺き替えられていましたが、内部は手がつけられないくらいに荒廃していました。

こちらが、チャペルの入り口。やはり、かなり破壊されてしまっています。



この入り口から入ったところを内部から見ると、この状態。



ある日の夜、地震がおこったかのと飛びおきてみたら、チャペルの一部の天井の骨組みが落下していたのだそう。残ったアーチを木材で固定していますが、また何時崩れ落ちるかもしれないという状態。

人を入れて見学させて落石事故でも起きたら、建物の所有者が責任をとらなければならないという危険があるのですから、私たちを招き入れて見学させてくださったのには感謝。

見学が終わると、ドイツから取り寄せたビールや、おつまみをふるまってくださいました。ちょっとひょうきんで、かなりの高齢だと思いますが、愛らしいドイツ人女性。フランス語もたっしゃ。フランスに溶け込んでいける人だな、と思いました。

チャペルで美味しいビールを眺めながら、彫刻を眺めました。

テンプル騎士団と関係があるのだろうか?... 樫の木の葉をモチーフにしたと思われる柱頭彫刻がたくさんあるのが私は気になりました。



ここから40キロくらいのところにある村が次の訪問地です。


Commanderie de Bure-les-Templiers



教会の左に隣接しているのが、見学したテンプル騎士団の館。

数年前、この建物を購入して修復する若い男性が現れた、というニュースを地元の新聞で見ていました。ここまで荒廃していたら手が付けられないのではないかと思う荒廃ぶりだったのですが、かなり修復は進んでいました。

館の中には大きな暖炉があるために、戦時中はアメリカ軍のパン焼き工房として利用されていたそうです。家の中は撮影禁止だったので写真はありません。

離れの建物の方は完全な廃墟でした!



案内して歩くときには、建物に近づかないようにと何度も注意されました。確かに、いつ落石してもおかしくない状態。長い歴史の中で、色々と利用されて、メチャメチャにされたらしい。

母屋とした建物の方は崩れた石をもとの状態に戻す工事をしていたのですが、こちらの廃墟は手がつけられない。でも、購入したときには灌木や瓦礫で埋まっていたのを、建物の周りを歩けるくらいの状態にしたのだそうです。



いつも思うのですが、廃墟になった歴史的建造物に財産を投げ込んで修復している人たちに脱帽してしまいます。


見学の最後のころに見たもの

上の家があった村では、お隣にある教会と、幾つもある共同洗濯場の見学もしました。案内してくれた村人は、歴史に興味がないらしくて、興味深い話しは聞けませんでした。

村の中を歩きながら私たちの注目を集めたのは、こちらのお家の庭。

ガーデンチェアーが並んでいるのが奇妙...。



雨ばかり降っているので、畑に植えたトマトの雨避けを作っていたのでした。トマトは雨ばかり降っているとダメになってしまうのだそう。それで、トマトの苗の上にイスを置いて、座席のところにビニールシートを張ってミニ温室。

こんな工夫がある家庭菜園は初めて。なるほどね... こんなやり方もできるのだ~!

ブログ内リンク:
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱

外部リンク:
La chapelle Templière d'Epailly...
Les possessions templières dans la Grand Prieuré de Champagne
☆ Wikipédia: Portail: Ordre du Temple
☆ Wikipédia: Liste des commanderies templières
☆ Wikipédia: Liste des commanderies templières en Bourgogne
テンプル騎士団(TheKnights Templar)
テンプル騎士団-聖杯伝説
☆ Wikipedia: テンプル騎士団


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カテゴリー: 建築物 | Comment (0) | Top
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2013/05/28
庭に植えていながら使ったことがなかったlivèche(ラベージ)というハーブに目覚めているこの頃。

きっかけは、これを練りこんだバターがレストランで出たとき、一緒にいたうちの一人がいたく感激していたことでした。

庭のラベージが葉を伸ばしてきたのを見たとき、それを思い出して使ってみることにしたのです。

ラベージ入りバターは前菜の付け合せで出たので、前菜の皿を下げるときにバターも引き上げられそうになったのに、彼はストップをかけていました。

フランス人は普通の料理ではパンにバターを付けないものなのに、その後もラベージ入りバターを食べ続ける。確かに、このハーブの風味は、麻薬になるのではないかと思うほど特徴があるのです。

バターに練りこんだだけなのだから簡単にできるはずだと思って、ラディシュの付け合せのためにラベージ・バターを作ってみました。

フランス人たちは、ラディッシュを無塩バターと塩で食べます。ラディッシュを何度も食べていたので、私は変わった食べ方がしたくなったのでした。

私のラベージ・バターは、レシピを探すこともせずに、こんな風に作りました。

ラベージを細かく刻み、すり鉢に入れてする。それにバター、ゲランドの塩の花を少し加えて練る。

せっかくなので形にしようと思って、マドレーヌ型に詰めてからラップをして冷蔵庫にいれました。

バターが冷蔵庫で固まると、するりと型から抜けます。友人たちにラディッシュと一緒に出したら、珍しいバターなので、かなり好評。

これに出会ったのはミシュランの星付きレストランなんですよ、なんて、自分からもPRしましたが。

ラベージ・バターは、すぐに食べたときよりも、1晩おいた方が香りが浸み込んで、なかなか良い感じになりました。

それでラベージが気に入り、蟹を茹でるときや、鶏肉でスープを作るときにも使ってみました。すごい香りがするハーブなのですね。葉を1枚入れているだけなのに、台所中に良い香りが漂ってしまいます!

レシピも探さずに適当に使っていたので、ラベージの正しい使い方を調べようと思ったら、全然関係ないものに出会ってしまって脱線。


パリが詰まったバター

ハーブなどを練りこむバターを探していたら、こんなのに出合いました。

日本での評判はなかなか良さそう。いかにもフランス直輸入という感じがしたので買って、とても美味しいフランス料理ができた、と報告しているブログもありました。

う~ん、パッケージを見ると、フランスの商品だろうと思いますよね。国旗まで付いているし。

こんな風な商品説明を書いているショップもありました:

バター風味豊かなソフトタイプマーガリンに、エシャロット・ガーリック・アンチョビ・エストラゴン・パセリを練り込んでフランスを代表するソース「ブールコンポーゼ・ド・パリ」の味を再現しました。

「フランスを代表する」と書いてあるのだけど、本当にそういうバターがフランスにあるの? 私は知らなかった...。エスカルゴを殻につめて焼くときのエスカルゴ・バター(ニンニクやパセリを練りこんだバター)はあるし、料理の上にのせる合せバターはあるけれど、アンチョビまで入れたバターというのは、かなりフランスでは特殊ではないかな?...

フランスのサイトで検索すると、何も出てこない。商品も存在しないし、そういう名前のバターの作り方のレシピも出てこない。それもそのはず、マリンフードという日本の会社が命名して作っている商品なのでした。

Beurre composé de Paris(パリの合わせバター)」というフランス語が大きく書いてあるこの商品を日本のスーパーで見かけたフランス人が、ブログで取り上げていました。

書いている人の言いたいことを察して意訳すると、こうなります。

「パリのコンパウンド・バター」と聞いたら、どんなものを想像しますか?
パリっ子たちの不機嫌さの予感、1トンの犬の糞、それから、もちろん少なからぬ大気汚染など...。
食べてみましょうよ。パリには農薬をまく農場がないから、間違いなくオーガニック食品のはずですよ。


笑っちゃうでしょう? 以前にも書いたけれど、フランス人にとってのパリのイメージはこうなのです。

フランスでこの手の食品を宣伝するには、実際には大きな工場で大量生産しているのに、あたかも田舎で小規模に作っている食品のイメージにするコマーシャルが今のフランスでは流行っています。田舎の風景とか、お百姓さんの姿を入れたりして。

香水、ファッション、車の宣伝なら良いけれど、パリのバターというのはフランスでは売れないでしょうね。日本人はパリが好き、それから都会=美食という感覚があるのだろうな...。


こういう風に色々なものが入ったマーガリンなのだそう。


原材料は次の通り:
食用植物油脂、食用精製加工油脂、エシャロット、乳脂肪、香辛料、ガーリック、食塩、生クリーム、アンチョビ、魚介エキス、酸味料、乳化剤、着色料(カロテン)、(原材料の一部に大豆を含む)

完全にバターではないですね。beurre(バター)というフランス語を商品名にしていますが、実際はマーガリン。日本語名ではバターという言葉が入った商品名にしたら許可されないと思うのですが、フランス語にしちゃったら問題ないのでしょうね。賢~い!


合わせバター作りに凝ってみる?

「Beurre composé」というフランス語は存在します。どんなバターがあるのか検索してみたら、こんなのが出てきました。

Beurres composés (sardines-wasabi, mangue-touron, roquette-parmesan) – Paris des Chefs

「Beurre à la sardine, wasabi et algues japonaises」というのは、サーディン、ワサビ、海苔を混ぜたバター。国を問わず、みんな珍しさを求めるのでしょうね。

簡単なので試してみようかな...。

材料は以下の通り:
バター 125 g
オイル漬けサーディン 1箱 ... 油を除いてバターに混ぜる
海苔 1枚(10 x 15cm) ... 1 x 0.5 cmに切る
ワサビ 小さじ1杯

パンに塗って食前酒のおつまみにしたり、白身魚の料理に使うのだそう。
おいしいのかな...。



追記 (2012年2月):

フランス語で書いてあっても不法表示になるはずだというコメントをいただきました。この記事を書いてから2年半くらいたっているので、まだ商品があるのかと思って、入れたリンクをクリックしたら、びっくり!

パッケージが変わっているのですが、商品名も全く違うのです。

メーカーは同じだし、以前と同じ写真も使っているので同じ商品だと思います。やはり問題にされて、「パリが詰まったバター」では売れなくなったのでしょうか?

フランス国旗は残っていますが、「バター」も「パリ」の文字も消えて、「私のフランス料理」という、マーガリンだとも思えない商品名になっていました。

1つの方は、バターをブレンドしていると書いてあるけれど、もう一つのショップの紹介では、原材料の中にバターの文字は見えません。やっぱり不思議...。

ブログ内リンク:
総目次: テーマおよび連続記事ピックアップ » 都市と農村
★ 目次: 乳製品(チーズ、バター、生クリーム)に関して書いた日記
★ 目次: 商品にフランスのイメージを持たせた命名

外部リンク:
Beurre parisien…
フランポネ franponais


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2013/05/26
雨ばかり降るので、天気予報が気になってきた」で、フランスのおふざけ天気予報の動画を入れながら、そこに映っているフランス語圏ベルギーの作家Amelie Nothombの存在を思い出しました。

彼女が東京の新宿にある大手企業で1年間働いた体験をもとにして書いた小説『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』の映画化されたものを、テレビで見たことがあるのですが、その後は全く無視していたのです。

日本との関係が深い人気作家の作品だから、と勧められて映画を見たのですが、日本の会社にある体質を茶化している、と不快感を持ったくらいしか覚えていません。

フランスにいると、時々会うのです。日本にほんの少し滞在しただけで、「日本は、こうなんだ」と日本人の私がいる前で演説する人たち。

友人たちから後で、「なんで、あんな高飛車な人にしゃべらせていたのか」と責められるのですが、あんなに確信を持って言われるとバカバカしくて反論する気にもならない...。

フランスのことを読みかじったとか、団体旅行で回ったとかの経験がある日本人からも「フランスは、こうなんだ」と言われるのも聞き流している私だし...。


Amelie Nothomb 14 mars 2009そもそも黒い服と大きな帽子という彼女のいでたちと、楽しくない顔を見ると、私は好きになれない。

それでも、久しぶりに彼女の姿を見たら、彼女と日本の関係がどういうものなのかを知りたくなりました。

本を買って読む気にはならないので、インターネットに動画として入っているたくさんの彼女のインタビューの中から、日本について語っているものを見ました。

それから、映画『畏れ慄いて』の動画をつなぎ合わせて鑑賞。さらに、また彼女が語っていることを聞く... を繰り返しをしました。

日本社会の歪みを面白おかしく描いているだけと思っていた『畏れ慄いて』が、全く別のものに見えてきました。

もっと奥深いものがある。根無し草のような育ち方をさせられた彼女の苦しみ、そこから生まれた自分の母国は日本にあると信じたい思い、その葛藤が形成した彼女の個性...。

共感さえ覚えてきました。


Amelie Nothomb

 
本名は Fabienne Nothomb 。

1967年8月13日、神戸に生まれる。
※Wikipediaの記載とは異なるのですが、こちらの方が正しいように思う。

ペンネームにしたAmelie Nothombは、彼女の作品が日本語に翻訳されたときの表記で、アメリー・ノートンとされるのが日本では一般化されていました。

フランス語の発音規則によればアメリー・ノトンになります。

でも、語尾の子音を発音するか否かは、地名や人名には例外もある。本人が自分の名前を言うときはアメリー・ノトンブと言っており、それを尊重しているためか、フランス人でもそう発音する人たちがいました。

彼女が日本語でサインするときには、「雨里」と書いていました。

17歳のときから小説を書始め、20代半ばで『Hygiene de l'assassin(殺人者の健康法)』で文壇にデビュー(1992年)。

小説を年に平均3.7本書くのが彼女のリズムで、そのうち1冊を公開する計算になる、と本人が語っていました。

フランスでも大変な人気作家で、文学賞も数々受けています。ただし、作品を絶賛する人と、変わった主張をするのは売名行為だと批判する人とに大きく分かれている作家のようです。

日本での評判は、日本企業で働いた経験を描いた『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』が日本を貶すものだ、として批判する人が多いようでした。

この小説を映画にした作品の方は、日本では映画祭などでは上映されたものの、一般公開もされていないし、日本語版のDVDも作られていません。

とはいえ、インターネット上ではかなり話題になっていました。

好きか嫌いかは別にして、個性が強いために騒がれる作家のようです。

若くして『悲しみよこんにちは』でデビューしたフランソワーズ・サガン、奇抜さが話題を呼ぶ点からはサルバドール・ダリを私は連想しました。

でも、彼女の発言を聞いていると、ゴーストライターを10人も雇って小説を書いているような人気作家とは全く違う。彼女は、根無し草の苦しみをを乗り越えるために小説を書いている、としか思えない...。


アメリー・ノートンと日本との関係

ベルギー人の外交官の娘として神戸に生まれ、5歳まで日本で育ちました。

西尾さんという名の日本人の乳母に育てられています。

幼いアメリーは、西尾さんとおしゃべりできるようになっていたのに、両親の方はまだ娘は話しができないと思っていたのだそう。この日記の最後に入れる動画に、別れた後に初めてアメリーが再会した西尾さんが映っているのですが、美しくて穏やかな人柄を思わせる女性でした。

幼いアメリーは、自分の世話をしてくれる西尾さんを母親として慕って暮らしたのでしょう。アメリーが「ずっと自分は日本人だったと思っていた」と言うのも納得できます。

幼稚園時代、体の全部が白いのかを確かめるために公園で裸にされて身体検査されたこともあったそうですが、日本では幸せな子ども時代を過ごした、とアメリーは懐かしんでいます。

外交官だった父親の経歴を見ると、彼女が幼少期を過ごしたときには大阪の領事。

アメリー・ノートンは、こんなエピソードを語っていました。

能を鑑賞した感想を聞かれた父親は、能のことなど分からないのでトンチンカンは返事をする。通訳がそれでは返事にならないと言って、適当な答えを相手に伝えてくれた。すると、人間国宝の能役者は、言葉も分らないベルギー人が能の神髄をくみ取ったのは素晴らしいと感激して、弟子にしてくれてしまったのだそう。

彼女の表現によると、「美の国」日本から、「醜の国」中国に移り住みます。中国の文化大革命(1966~1977年)の時期ですね。日本でのびやかに過ごした子ども時代から、監視付きの窮屈な生活になったわけですから、カルチャーショックは大きかったはず。

その後も、父親の転勤によって、ニューヨーク、ラオス、バングラデシュ、ビルマを転々とします。

アメリーは、バングラデシュでの思い出を語っていました。

キリストが海の上を歩いたという話しが頭に焼き付いていたのは、海を見ると足を踏み入れたくなったのだそう。ある日、海で泳いでいたら、いつの間にか男性たちが近づいてきたらしい。12歳のときだったのですが、イスラム教徒の男性たちには水着でいる女性だった...。

男たちの姿は見えず、体に触ったり、水着を剥がそうとする無数の手の触覚があるだけ。これが、後に「自分の体内に宿る敵」という恐怖を形成した、と語っています。彼女がキリストの真似をして海に入るのは、このときが最後でした。

文化が違う国を転々とすることによって、どんな精神的ダメージを子どもが受けるかを考えてくれない親が多い...。幼少期に身に着けた日本の文化に憧れながらも、両親から植えつけられたキリスト教が染みついているアメリーが、エキセントリックになったのは理解できてきます。

アメリーが祖国ベルギーに住むようになったのは17歳の時(1984年)。初めて会った祖母(母方)から、こう言われたそうでうです。
「あなたは頭が良いといいわね。こんなに醜いんだから」

これは大変なショックだったけれど、小説家になってから様々な批判を受けても立ち向かえることに役立った、と語っています。祖母から言われたことに比べれば、なんでもないから。

大きな黒い帽子をトレードマークにして人前に現れるのは、怖れから逃れるため、とエミリーは語っています。美しい顔でもないのに作品の表紙に自分の写真を入れたり、やたらに赤い口紅をつけて美人でなくしているのも、貶されたことを逆手にとる抵抗と見えてきます。

祖国であるはずのベルギーで、エメリーはベルギー人とは違うことを痛感させられます。幼少期を過ごした日本へのノスタルジーと憧れは膨らんでいったはず。

ブリュッセルの大学を卒業してから、長年の夢だった日本へ行くことになります。日本の大手企業に、1年契約の通訳として採用されたのです。

東京で働いた体験をもとにして『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』を発表し(1999年)、権威あるアカデミー・フランセーズ文学大賞を獲得。この作品で彼女の作家としての地位は確立され、2003年に映画化されました。

 
翌2000年には、日本で過ごした幼少期のことを書いた『Metaphysique des tubes(チューブな形而上学)』を上梓。

内容紹介、書評:
「わたし、呑み込んではまた空になるチューブなの」。 ヨーロッパの人気No1の女性作家による、日本での0~3歳の自伝小説。日本で生まれ育った記憶を、抱腹絶倒、奇想天外に描いた傑作小説! 欧米で大ベストセラー!

「わたしは、パパが駐日ベルギー大使だったので、日本の神戸で生まれた。そして、自分は日本人だと固く信じていた……」。 現在、ヨーロッパで人気ナンバー1の作家アメリー・ノートンの原点は、日本にあった。自分を日本人だと信じていた彼女の幼い青い目に映った、日本の言葉、水、季節、時間、家政婦さん、庭での幸せな時間、池の鯉……。それは、どれも魅力的であり、面白おかしく、奇妙奇天烈なものばかりだった。そして……

アメリーは日本生まれ育ったが、3歳にして、その人生はすでに小説だった!(L'Express)

赤ん坊の脳内に焼き付けられた日本の記憶を、面白おかしく、しかも詩的に表現した、驚くべき小説。(New York Times)


私は、幼児期の記憶など、断片的なものしか残っていません。幼稚園でバカバカしい遊び(つまりは子どもじみた遊び)をさせられて不愉快だったとか...。でも、アメリーは驚くほどの記憶力がある人なのだそうです。パリの書籍展では、一度会っただけのファンのことを名前などもしっかり覚えているので、関係者を驚かせたことが話題になっていました。


Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)

 
Stupeur et tremblements
私が興味を持ったのは、日本企業で働いた体験を描いたくアメリーの作品です。

「Stupeur et tremblements」とは奇妙な題名...。

tremblement de terre(地震)は日本のイメージですから、それから取ったのかと思ってしまうではないですか?

日本語では「畏れ慄いて(おそれおののいて)」と訳されています。

天皇に謁見を許された者は「畏れ慄いて」地にひれ伏すことになっていることから付けられた題名だ、という説明を聞くと納得。

主人公アメリーは、日本の会社で上司たちにひれ伏す生活を送ることになったのでした。




アメリーは通訳として日本の商社に入ったのですが、母国語であるフランス語の他に、英語や日本語もできる能力を活かす仕事は与えられず、上司たちから叱られているばかりの無能なOLとなりました。

まともな仕事は与えてくれない。お茶くみ、コピーとりなどをやらされる。

これは、日本の会社を経験した私からみると、ごく自然。アメリーがやったように、お茶を配る人たちの好みを覚えるというのは、私もやったものでした。私が学生時代にアルバイトで入った会社では、あからさまに「仕事なんかしなくて良いから、みんなとおしゃべりしたりしなさい」と言われました。若い私が入ってきたことで、みんなは楽しくなることを期待していたのだそう。当時の私は内気で、男性たちを相手に芸者役なんかできないのに...。

会社で役にたちたいと燃えているアメリーは、カレンダーの日めくり、郵便配りなど、頼まれもしないことを始めますが、それで怒鳴られる。一生懸命努力しても、仕事のできが悪いと拒否される。

ベルギーはどうか知りませんが、フランスでは高度な教育を受けたエリートが会社に就職すると、いきなり管理職になります。実際のアメリーは大学でアグレジェ(教授資格者)をとっているのですから、プライドが傷つきそうなのに、めげる様子はなく、つまらない仕事もこなしていました。

アメリーの直接の上司は、能面のような顔をしたモリ・フブキという名の女性。初めて会ったときから彼女はその美しさに見惚れています。男性の上司たち怒鳴られる毎日の中、吹雪だけは自分の味方だと思っていました。 ところが、アメリーが能力を発揮できる仕事をしてしまったために、彼女からも苛めを受けるようになりました。

電卓なんか使えないのに経理をやらされ、アメリーの無能ぶりは頂点へ押し上げられました。そして、知恵遅れの彼女に適した仕事だといって、トイレ掃除係りにされてしまいます。実際のアメリーは、働いた最後の7か月間をトイレ掃除人として過ごしたそうです。

日本の会社の体質を誇張してしまっているけれど、そういう話しはあり得るだろうな... とは思う。この映画をは初めて見たとき不愉快になったのは、ありえるな... と思いながら、日本の企業の体質を思い出したからでもあります。

作者アメリーは、このストーリーは名前などを変えているだけで、すべて実話だと言っています。でも、実際の彼女の体験をもとにして再構成している、としか思えない。奇妙に感じる点が多いのです。

映画を見ただけで、小説の方は読んでいないので、この作品について感想を書くのは間違っていますが、気になったことを書きだしてみます。


アメリーは、なぜ日本の会社で虐めにあったのか?

主人公アメリーは、出勤した初日から、上司のサイトウ氏(課長?)から嫌がらせを受けます。

ゴルフのコンペに参加するという返事を英語で書くように指示されたのですが、何度書き直してもOKはもらえません。そもそも、どんな関係の相手なのかによって手紙の書き方は異なるのですが、相手が誰であるかは教えてくれないのです。

ダメと拒否された彼女は、何度も手紙を書きなおして持っていきます。
私だったら、親しい関係にある人なら、この文章、大事なお得意さんなら、この文章、という風に一覧にして、その中から選んでください、というのを作りますけど...。

結局のところ、サイトウ氏は何を書いたって拒否しようと腹をくくっていたらしい。後には、アメリーは分厚い書類(私的な書類)のコピーをさせられるのですが、印刷が曲がっていると言われて何度もやりなおしさせられています。

つまりは、アメリーは始めから虐めの対象になっている。ストーリーの途中から、日本人には嫌われることをやってしまったために叱られ始められるのではありますが、出社した日からいびられるのは奇妙です。

作者が日本に来た時期を調べると、彼女の父親はベルギー大使を務めていたはず (1988~1997年) 。この小説『畏れ慄いて(1999年)』は日本の会社を批判しているので、父親の立場が悪くならないように任期が済んでから発表したそうです。

そういうコネでアメリーを押しつけられたことを、商社の人たちは不快だったから虐めたのだろうか?

でも、そういうお嬢さんだったら、気に入らなくても、うわべだけは丁重に扱うのが自然だと思うのです。ぞんざいに扱われたと告げ口されたら、自分の立場が危うくなりますから。日本の大手企業に勤める友人は、天皇の親族が会社に就職してくる風習があって、そういう人を部下に持たされると扱いにくくて困るのだ、と話していました。そうだろうと思う。

まして、アメリーが勤めたのは商社。ベルギーとの取引もあるでしょうから、大使のお嬢さんにトイレ掃除なんかさせたら大事件ではないですか? 奇妙...。


(1) 外国人らしからぬ外人だったから嫌われた?

実際のアメリーも、この小説を書いているからにはイジメにあったのだと思います。まず決定的に大きな問題があった、と私は思いました。不自然だと思うのは、初日から嫌がらせを受けているという点だけ。

映画の冒頭で、日本に来ることができたアメリーの喜びが語られます。「私は本当の日本人になる!」とはりきっています。これが日本で彼女が受け入れられなかった最大の原因ではないでしょうか? 

日本人は、外国人、特に白人には非常に親切です。でも、外国人らしくしているときは好かれるけれど、日本人になろうとすると認めてくれない、と、日本に住む外国人からよく聞かされます。

日本語を流暢に話して、私は日本人なんだなどと思っている態度をする白人がいたら、拒絶反応を示される確率の方が高いのではないでしょうか?

若い方がご存じかどうか知りませんが、フランス人のタレント、フランソワーズ・モレシャンはガイジンらしさを出す知恵がある人だったと思います。強い外国人訛りで日本語を流暢に話すのですが、あれはフランス人が日本語を話すときの訛りとは全く違うのです。

一度だけ、彼女が日本について書いた本を出版したとき、フランスのお堅い番組に出演してインタビューを受けているのをテレビで見たことがありました。日本語をしゃべるときと同じ抑揚でフランス語を話すので、とても奇妙。だから、あれは訛りというものではなくて、彼女が自分のために築いたキャラクターの表現なのだと思う。

日本はこうすべきなのだという例を挙げたとき、「あなた、ちょっとネクタイが曲がっておりますわよ~」などと言って、相手に触ったりしていました。そうしてもらえたら、日本人男性は鼻の下をのばすでしょうけど、フランスでそれを見ると、ぞっとしてしまいました。フランス人だって驚いたと思う。彼女は、フランス人であることの特権を最大限に活かせる人だと思いました。

作家アメリー・ノートンは、いくら日本人になりたいと思っても、自分のアイデンティティーを捨てることはできなかった...。

商社で働くアメリーは、数々の虐待を受けながら耐え、自分にできることがないかと見つけ出したりして、明るく振舞おうとします。仕事をくれないので、皆の日めくりカレンダーを直したり、郵便を配ったりすると、余計なことはするな、と叱られる。

会議室でお茶を出すときに「どうぞ」などと余計なことを言うので顰蹙をかう。日本語を話すな、と言われています。ここで彼女は、日本人にはなろうとしたら嫌われるということを悟ったのだろうか?...


(2) 実際のアメリーは可愛い女の子ではなかったから?

映画に出演しているアメリーは愛らしい女の子なのですが、現実のアメリーの方は、頭が良くて、個性もひと一倍強いし、美人ではない。オフィスにいて、皆から可愛がられるタイプではないと思うのです。

映画のアメリーによく似た感じのフランス人の友達が日本に長期滞在していたことがありました。片言の日本語を話し、美人ではないのですが、小柄で、ひょうきんなところがあるのが可愛くて、誰からも好かれていました。フランスだったら絶対にしないヒッチハイクまでして、東京から北海道まで行ってしまいました。車が止まって行先を告げると、Uターンしてまで連れていってくれたことが何度もあったのだそう。

しかし、ストーリーの中にはお茶くみやコピー焼きをやらされているアメリーに同情して、彼女の能力を与える男性が登場しています。それがアメリーの直接の上司であるモリ・フブキ女史の怒りをかうことになってしまったのですけれど。

映画のアメリーを見ていて不思議だったのは、会社の中だけの話しなこと。日本のフランス語圏の人たちのコミュニティーに入ることを拒否していた可能性はある。でも、父親の関係で、面倒をみてくれる日本人がいたと思うのですけど、そんなのは全く出てこない。

実際のアメリーは、この期間にルックスの良い日本人の青年と同棲していたのですけれど、小説の方では出てくるのでしょうか? あるいは、私は映画を途切れ途切れに見たので登場しないだけだったのか?

いずれにしても『畏れ慄いて』では、日本企業の話しをテーマにしているので、脱線はしなかったと思います。

ストーリーを追っていると、日本のことを全く知らないフランス人でも、日本の社会はこんな風になっていると分かるように描かれています。不自然だと思ったのは、登場する日本人が意思表示を言葉で出していることでした。日本人が意地悪をするとしたら、もっと陰険にやると思う。

叱ってなんかくれないですよ。現実のアメリーは、日本にいるフランス語圏の人たちや、紹介されて面倒をみてくれた日本人たちから、自分がどんなヘマをしたのかを教えてもらって理解したのではないでしょうか? でも、そうすると小説が長くなってしまうし、面白くもない。 ノンフィクションではないのですから、それはどうでも良いことではあります。

たぶん、イジメは陰湿なだけに心を傷つけられるものだったのではないかと想像します。おそらく、彼女がしたことがなぜ会社で咎められたのかを説明してくれた親しい人もいたはず。

ただし、舞台が商社(あるいは大企業の輸出入部門?)なので、そこにいる日本人たちは外国語ができて、そういう影響を受けた、つまり生粋の日本人ではない人も多かったかな、という気はします。 特に、アメリーが美しさに憧れた、直接の上司の女性。こんなに外国人と言い合いができるような日本人は珍しいと思うけれど、日本の外資系企業ではよくいるタイプではあります!




ところで、実際のアメリーが同棲していた日本人男性からは、結婚を申し込まれています。「結婚はしたくなかった」というアメリー。日本人にはなりきれないと悟っていたのか? その男性は夫にしたくなかったのか? ずるずると答えを引き延ばせなくなったとき、ベルギーに蒸発するという手段をとりました。「また来るから」と言って立ち去っりながら、二度と会っていないようです。

本当の日本人になりたいなら、会社勤めなんかをするより、日本人男性と結婚した方が簡単だったと思うのですが、彼女は強い意志の女性なのでしょうね。


(3) 殉教者になる欲求?

アメリーが数々の嫌がらせに耐えているのを見て、働かなければ食べていけないわけでもないのに、なんでそんなに頑張ってしまったのか不思議でした。

日本人には我慢強いという美徳があるので、彼女もそうしたのかもしれない。でも、学校のいじめも同じだと思うけれど、いじめられて耐えていたら、ますます虐められるものだと思うのです。

虐待はエスカレートしていくのですが、アメリーはがんぱっている...。

まず、彼女がベルギー人であることを感じさせられました。素朴で、お人よしで、優しいと感じるフランス語圏ベルギー人。そういうベルギー人気質を、フランス人たちは「私たちの友達、ベルギー人」と言いながら(同じようにフランス語を話すから)、ちゃかすのです。

でも、それだけではないらしい。

作家アメリーの対談では、宗教の話しがよく出てきます。カトリックの教育を受けたので、その思想は根強く持っている。でも、キリスト教に浸透しているわけではなくて、神が一人であることに抵抗を感じている。日本では、神は一人ではなく、人間のひとり一人が神、という思想なのが好きなのだと言っていました。

キリスト教と、幼少期に植えつけられた日本文化への憧れが葛藤しているのを感じます。

耐えることによって殉教者になると同時に、禅の修行だとも感じる...。

日本に憧れていて、本当の日本人になりたかったアメリーには可愛そうな結末でした...。 でも、祖母から醜い女の子だと言われたのを逆手にとったように、彼女が一段と強い人格を持てる結果にもなったと考えられます。


アメリーは日本社会の特殊性の中から何をくみ取ったのか?

(1) 階級制度

これは冒頭から語られます。

― ハネダ氏はオーモチ氏の上司で、オーモチ氏はサイトー氏の上司で、サイトー氏はモリさんの上司で、モリさんは私の上司だった。そして私は誰の上司でもなかった。

でも、これは日本独特の企業体質ではないと思います。私の経験から、トップダウンで決定するフランスに比べれば、日本は平社員でも重要な役割を担えます。

日本の企業では、末端が頑張って仕事をしていて、トップはゴルフのことなんかを考えている。フランスの場合は、平社員は時間になったらさっさと退社してしまうので、ちゃんと仕事をしようと思うトップが残業をして仕事をこなしています。

アメリーが勤めることになった会社の上下関係を冒頭で語られることから、これが大きな主張かと見えるのですが、そうではないと思う。
 
実際、日本を去ったアメリーは、作家になることを目指し始めました。彼女は、日本社会に馴染めないと悟っただけではなくて、企業のようなところでは働けない人間なのだと自覚したのだと思う。


(2) 日本社会の構造は、「出る釘は打たれる」にある

虐めがエスカレートしていく節目になったのは、いつも彼女が出すぎたことをしたからでした。

何とか会社の役に立ちたいと、アメリーは指示されない仕事を自分で考えだしてやってしまいます。カレンダーの日めくり、ゴミ収集、お愛想を言いながら会議室でコーヒーを出すなど。さらに、苦手な経理の仕事を任されたときには、徹夜までしてしまう。

働きすぎるのは、日本の企業では調和を乱すのでするべきではない、と私の会社勤め経験で痛感しました。アメリーに共感を覚えるのですが、私も働くのが好き。でも、浮いてしまうのはいけないのですよね。フリーで働くようになったのは、それが理由でした。フリーで働く限りは、いくら頑張っても、時給に換算して考えたら微々たるものだというだけで、それは自分の問題として満足できるのですから。

日本でフランス語を勉強していたころ、フランス人の先生から出された宿題を絶賛されたことがありました。

何かのテーマについて書けというものだったので、たまたま思いついた「出る釘は打たれる」という日本の諺について書いたのです。先生が、つたない私のフランス語の文章に高い評価をくれたのが不思議だったのですが、「ずっと疑問だったことが理解できた」と感謝されたのでした。

小柄で、控えめで、優しさがあふれた若いフランス人女性。大和撫子でも、こんなに愛らしい人はいないと思うような女性。日本人と結婚していました。日本社会に溶け込もうとしても、何かうまくいかないところがあったのだろうと想像しました。

そんな日本でも、突拍子もなく飛び出た釘になったら、カナヅチに変身できる社会だと思うのだけれど...。


(3) 日本の会社で女性が良い仕事につけるのは難しい

これは、作者が最も強調したかった点ではないでしょうか?

アメリーは、おそらく彼女に同情した男性から、彼女の能力を発揮できる仕事を任されて、はりきって仕事をして成果をあげたことを喜びます。

私はまともに日本の企業で働いたことがないので、立派に仕事をしている女性の友人たちを尊敬しています。

日本の大手企業で重要なポストについていた女性の友達が、能力や努力よりも、能力を見せるチャンスが到来するというのが、女性が成功できる かどうかの最も大きなポイントなのだ、と言っていたのを思い出しました。彼女の場合は、ラッキーにもその機会があったのだそう。


でも、アメリーが実力を発揮した仕事は、彼女の面倒を見ていた女性の上司の反感をかってしまいました。

彼女は、大変な努力をして今の地位についた女性。その立場をアメリーが奪ってしまうと嫉妬したわけです。アメリーは彼女の気持ちを理解して、和解を試みますがうまくいかない。徹底的ないじめを受けることになりました。

でも、アメリーは、日本でなくても同じ体験をしたかもしれないと思います。日本の会社の体制は確かに変なところがたくさんありますが、フランス人の上司だって陰湿ないじめをやりますから。

私が勤めていた在日フランスのグループ企業では、トップの秘書をしていた女性がフランス人社長から追い出し作戦をかけられていました。

名門の家柄の家庭で育ち、若いときには大勢の人の中でも目立つほどだったろうなと思う美人。まだ大学に行く女性は少なかった時代の人なのですが、有名なお嬢様学校の英文科を卒業していました。でも、彼女を先代の社長から引き継いだフランス人は、煙ったくて嫌だったらしい。優秀な人なのに、郵便係りにさせられてたのですが、独身の彼女は生活がかかっているので退職しません。そんな無理をしていると病気になってしまうと思っていたら、本当に癌になってしまった...。


『畏れ慄いて』は、私も嫌なタイプの男性上司を茶化して描いています。でも、アメリーが最も心を痛めたのは、会社における女性の地位ではないでしょうか?  バカな男性の上司は馬鹿にしていれば良いだけ。でも、最も酷いいじめをしたモリ・フブキ女史に対しては、彼女の立場が分かるのでそういう気持ちにはなれません。

少し前に知り合った日本のビジネスで成功した人に、話しを聞いたときに聞いた言葉が印象に残っています。
― 私たち世代は、男性の100倍頑張って、ようやく一人前として認められました。

美しい40代の女性なのですが、性格の良さが顔に現れていて愛らしく、初めて会った時から誰でも好感をもってしまうような人。なので、苦労なんかしていないと思ったので、意外な答えでした。
 


根無し草の辛さ

アメリー・ノートンは、生まれてから5歳までを過ごした日本を離れてから、ずっと日本文化への憧れをはぐくんできたのだろうと想像します。

『畏れ慄いて』の映画を改めて見てた後は、日本人社会への恨みを書いたのではないと思いました。映画では漫画のような上司たちが登場していますから。

そんな日本での辛い思いをした後でも、彼女の心の中では自分の考え方の根底には日本があると思い続けています。 アメリー・ノートンが、日本ではなくてフランスに生まれていたら、フランスで生まれたという理由だけでフランス国籍を取得できたのに、お気の毒...。ベルギーもフランスと同様に2重国籍を持てるのかは知らないのですが。

外交官の父を持ったおかげで世界の各地に住めたことは幸せそうにみえるけれど、感受性の強い子どもだったら辛いでしょうね。言葉も文化も全く違う国に次々と放り込まれるのですから。

17歳で母国ベルギーに初めて足を踏み入れて住むことになったけれど、彼女はベルギー人らしくないと周りから見られてしまう。日本で「帰国子女」と呼ばれる子どもたちも、同じような苦しみを味わっているのでしょうね。


パリ症候群も、逆手に取れば克服できる

アメリーは幼い時に別れた日本に憧れていて、成人してから日本社会に溶け込もうとしたのですが、そうはいかなかった。

日本人が陥るパリ症候群を想起させますが、全く違う。

フランスに憧れてやって来た日本人は、ろくにフランス語ができなくてフランス人から受け入れてもらえないのでパリ症候群になる。でも、アメリーは言葉ができても、というより日本語を話せてしまったために、日本では受け入れてもらえなかった...。

それでも、彼女は挫折したようには見えません。痛めつけられれば、ダルマのように起き上がる人なのでしょう。ただ起き上がるだけではなくて、さらに強くなっていく...。

アメリーが久しぶりに日本を訪問したときの映像を入れたドキュメンタリーがテレビで放映されていました。2012年、東北大震災の1年後の春のことです。

神戸の幼稚園、働いた会社があった新宿、被災地、母として慕った乳母の西尾さんとの再会などを映し出しながら、アメリーは日本への熱い思いを語っています。

※ 入れていた動画が削除されていたので、それと同じと思われる動画を入れなおします。


Reportage Amélie Nothomb, une vie entre deux eaux Saison 6

乳母の西尾さんとの出会いの場面は40分くらい経過したところで出てきます。

ドキュメンタリーの最後で、アメリーは語っています。
「書いていることは全部でっちあげだ!」という痛烈な批判をたくさんもらうので、自分の頭の中でも記憶が現実なのか分からなくなってきていた。日本を再び訪れて、自分の昔が確かに存在したことを確認できて嬉しかった。

彼女は朝4時に起床して、4時間は執筆するのを日課にしているそうです。空腹に苦いお茶を注ぎ込む。この習慣は、日本で働いていたときにできたと言います。出勤するために午前8時に家を出るので、4時に起きる。ということは、こんな苛めにあった会社に通っていた時代にも、出勤前に小説を書いていた、ということ?!

毎日おびただしい数の読者から手紙が届くのを、彼女は全部読み、全てに返事を書くことにしているのだそうです。ファンの嬉しい手紙もあるでしょうが、痛烈な批判もあるでしょうに...。

つくづく、強い意志を持った女性だと感じました。

インターネットで拾ったことを書いてしまいましたが、彼女の作品を読んでみたいと思います。日本への彼女の思いよりも、彼女の考え方について知りたいからです。



Amélie Nothomb - La nostalgie heureuse



Testimonial of Ayahuasca Retreat at Temple - Amélie Nothomb

外部リンク:
☆ Wikipedia: アメリー・ノートン
『畏れ慄いて 』アメリー・ノートン著、藤田真利子訳
Amelie Nothomb : Stupeur et Tremblements (日本人のブログ)
畏れ慄いて:フランス製国辱映画?
故アラン・コルノー監督の手によるフランス製国辱映画!?『畏れ慄いて』
【映画】外国人が見た日本 「畏れ慄いて」日本語字幕 (ほぼ全編が動画で見える)
☆ YouTube: Stupeur et tremblements
☆ YouTube : Ame?lie le tube !
Amelie Nothomb et la culture japonaise, le 28 janvier 2010 a paris 3eme
Interview Amelie Nothomb (Ardisson - 25/03/2000)
Who is talking about Amelie Nothomb on YOUTUBE
Amélie Nothomb Stupeur et tremblement
L’ironie de l’impuissance dans Stupeur et tremblements : une satire de l’entreprise japonaise
作家アメリー・ノートンの日本探訪
☆ 地球の反対側で愛をつぶやく: 畏れ慄いて
☆ YouTube: Travailler avec les Japonais

ブログ内リンク:
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビドラマに関する記事
夢と現実のギャップから「パリ症候群」は生まれる?  2005/05/09
異文化を感じるとき 2008/10/10


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カテゴリー: 文学、映画 | Comment (9) | Top
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2013/05/24
春の訪れとともに気になる鳥がいます。

声を張り上げていて歌うので、とても目立つ声なのです。

何という鳥なのだろう?... 毎年そう思うのですが、今年は突き止めてみることにしました。

こんな風に華やかな鳴き声をする鳥といえば、まずRossignol(ナイチンゲール)がいます。でも、これは1度だけ聞いているので、違うと確信できる。ナイチンゲールほどにはけたたましくはないのです。

次に思い浮かぶのはMerle(クロウタドリ)。でも、この鳥は少し大型で、真っ黒なのを、いれば見分けられるので、違うと分かります。

小さな鳥らしいので、姿は特定できません。木立に葉が伸びてきたころに登場するので、よく見えないのです。歌い終わると、さっと飛んで行ってしまう。


Chardonneretでもないような...

この鳥が生息しているのは知っています。

ワインのことは全く分らない近所の男性が、ブドウの品種がChardonnay(シャルドネ)という品種のワインだ、と言うべきときに、Chardonneret (シャルドヌレ)と言ったので、みんなで大笑いしたことがあったからです。

彼にはワインより野鳥の方に親しみがあったらしい。私には余り馴染みがないので、それかもしれないと思いました。



Chardonneret élégant(ゴシキヒワ)です。

似ているのですけれど、少し違う。私の鳥は、ひと声歌ったあとに止めるときに特徴があるのです。いったん音程をあげてから、下がって終わり、という鳴き方。


陽気な人の例えに使われるPinson

インターネットには野鳥の鳴き声が色々入っていました。結局、私が探していた鳥はこれだ、と結論しました。

Fringilla coelebs (Chaffinch-Buchfink) 

Wikipediaに入っていたこの鳥、Pinson des arbresの雄。





少し違う感じもするのですが、かなり近い鳴き声です。

第一、フランス語でpinson(パンソン)と呼ばれるこの鳥を使った表現がある。この鳥の鳴き声を聞いたら、そういう例えに使われるのが理解できます。

gai comme un pinson

「パンソンのように陽気だ」というもの。生きていることが楽しくて仕方ないように明るい人に対して使います。

何を例えにしても良かったのにパンソンを持ち出している。この、やたらに目立つ声でさえずっているパンソンだからこそなのでしょう。

天気の良い日などは特に声を張り上げているので、どうしてそんなに賑やかに鳴くの? と聞きたくなってしまう鳥なのです。

日本語ではズアオアトリの呼ぶ鳥のようです。そちらの名前で動画を探してみたら、私の鳥にそっくりなものに出合いました。





この鳥が賑やかに鳴くのは春だけではないかという気がします。夏になると、鳴いているのが気にならなくなるからです。

来年の春になったら、何の鳥だったか忘れてしまうかもしれないのでメモしておきました。


外部リンク:
Les chants et les cris des oiseaux de France
Bruits et chants oiseaux
☆ Cris d'animaux, Chants d'oiseaux
☆ Chants d'Oiseaux en Bourgogne: Moineaux, Fringilles
☆ Oiseaux.net: Chardonneret élégant - Carduelis carduelis - European Goldfinch
☆ Wikipédia: Chardonneret
Le chardonneret élégant (Carduelis carduelis)
☆ Oiseaux.net: Pinson des arbres - Fringilla coelebs - Common Chaffinch
Le pinson des arbres (Fringilla coelebs)
☆ Wikipedia: ズアオアトリ
☆ Wiktionnaire: gai comme un pinson

内部リンク(ナイチンゲールが鳴くのを聞いたときのこと):
お城に到着 2008/05/22


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2013/05/23
テルテル坊主を作って軒先に吊るしたくなるこの頃。

いい加減に晴れてくれないかな... と空を見上げることが多いので、気になってきたものがありました。


置時計の天気マークは何を意味するの?

気になったのは、置時計に出ている天気マークです。


小さくても多機能!一目で時刻、温度、湿度、天気予報が分かる!
IDEA LABEL ウェザー電波LCR100-BK ブラック


示されているのは、いつの天気なのだろう?

気にしていなかったときは、今の天気を示しているのだろうと思っていました。でも、観察してみると、晴れマークが出ていても、外は雨だったり、その逆だったりと、全くいい加減。

それなら、猫たちの方がよっぽど天気を察知しています。

雨が降っていて寒い日には、彼らはベッドの上で丸まって寝ている。何時の間にかいなくなったと思うと、外には青空が広がっている。探してみると、彼らは庭で日向ぼっこ。

猫が耳の後ろを前足でかいていると雨が降る。これはかなり当たるのだけれど、どの猫でも天気予報ができる能力があるわけではないらしい。


何時の天気予報?

考えてみれば、置時計が今の天気を示すはずはないですよね。外を見れば天気が分かるですから! でも、家の中の状態で天気予報をしてしまっているのだろうか?...

自分の置時計の説明書はどこかに行ってしまっているので、売られている商品の説明を見てみました。

上に入れた置時計の場合は、お天気マークは天気予報だと書いてある。

でも、いつの天気予報なの?
少し後の天気? 6時間後? 12時間後? 明日の天気?

機能としては、次のことだけ書いてありました:
電波受信(40/60kHz自動切換)、12/24時間表示、カレンダー表示、電子音アラーム、温度計、湿度計、天気予測表示、快適度マーク表示

それでは何時の天気予報なのか全くわからないですよ~!

幾つか眺めてみたら、そういう時計が多かったのですが(予報なのかさえ分からないのもあったけれど)、もう少し正確に書いてあるものもありました。

 LCDウェザーステーションクロック LCA085-WH

「気圧の推移によって12~24時間後の天気予測を行います」、と説明がある。

でも、12時間から24時間後というのは曖昧すぎるではないですか?! 外出するときに傘を持とうかどうかと迷うときなどには、何の役にもたたない!

私の置時計で確認してみました。

昨日の朝、天気マークが出ていました。1日中雨だったのですが、午後8時くらいに青空が広がりました。12時間後の天気予報だとすると当たっていますね。

午後の天気はどうなるのかなどと知りたいときには、インターネットで天気予報を調べるのですから、時計に天気予報があったって何の意味もない。

それなのに、置時計を買うとき、温度や天気マークが付いているのを選んでしまう私がバカなんだろうな...。でも、たぶん、天気マークなしのを買えば安上がり、というわけでもないだろうと思う。


どの天気予報が当てになるか?

今日は、朝から曇天。置時計を見ると、天気マークは雨。

今いる場所を特定できるiPhoneの天気予報アプリ「天気+ - International Travel Weather Calculator」では、、3時間後から夜まで、ずっと雨マーク。背景は木立が揺れていて、雨がふっている。

午後になると、さっと青空が出たりするときがあって、雨は降っていません。 iPhoneアプリは3時間ごとの天気予報が出るのに、知らん顔して雨マークのまま。でも、木立が揺れているのは当たっている。かなり強い風が吹いていますから。

iPhoneにはもう1つ天気予報のアプリを入れていたことを思い出しました。フランスの気象庁のアプリで、Météo-Franceicon。 こちらも自分のいる場所を探知してくれる無料アプリ。操作が2つ3つ多いのだけれど、この方が正確ですね。

午後は、晴れと雲と雨が入ったマークになっていますが、雨はまれに降るとしています。風は夜にかけてだんだん弱まっていくのだそう。

午後の猫天気予報はどうかというと、若い子たちはちょっと外出。お年寄りはイスの上で昼寝。

小鳥たちは、曇天の朝も鳴いていたのですが、青空が広がったつかの間には声を高めてさえずりました。でも、空が曇りかける直前から、ぴたりと鳴くのをやめる。

やっぱり、動物は敏感なのだろうな...。



ドイツの天気予報のようです。

フランスの天気予報は、セックスアピールする服装をした女性が多いのですけどね。どうせ当たらないのだから、それをやっている女性を見て楽しんでくださいという感じ。



これはCanal+チャンネルの番組で、「Miss Météo(ミス天気予報)」と呼ばれる可愛い子ちゃんの一人。彼女たちは、いずれは俳優さんの道を歩むシナリオらしい。

この日は、日本で働いた体験を小説がヒットしたベルギー人の作家Amélie Nothomb(アメリー・ノートン)が番組のゲストだったので、それに合わせて日本から伝わったファッションで登場して天気予報をしていました。 

この動画を見てアメリー・ノートンの存在を思い出し、彼女がどのように日本を描いたかを書きました:
★ 『畏れ慄いて』は日本を侮辱する作品なのか?

ここまでいい加減な天気予報はこの番組くらいですが、セクシーというより悪趣味ではないかと思ってしまう服装で登場して天気予報をする年配の女性もいます。調べてみたら、もう20年余りも続けている人でした。

どうしてそんな服を着て出てくるのかと驚くのは私だけではないからなのか、あるいは逆にファンがいるのか、彼女の服装の七変化をずらりと並べた動画がありました:
Fabienne Amiach like a pink candy

フランスに比べたら、日本の天気予報はかなり当たると思います。

数年前、日本の友達が「最近の天気予報はぴたりと当たるようになったので、薄気味悪いほどだ」と言っていました。気をつけてみると、本当! 「午後2時から雨が降ります」と言われたら、本当にその時間になったら降ってくる! フランスの天気予報は、なぜあんなにいい加減なのかな?...

フランスで正確な天気予報を欲しかったら、有料で契約をする必要があるそうです。確かに正確な天気予報が存在すると知ったのは、パリで行われた野外コンサート。

始まって間もなくしたら雨が降ってきたので演奏は中止。主催者が、楽器が濡れてしまうと困るのでご理解ください、と挨拶。さらに、天気予報によれば2時間後に雨が止むということなので、そしたら再開します、と付け加えました。

どしゃぶりの雨。2時間たったてどうしようもないよ... と思いながらも待っていたら、本当に雨は止んで、演奏者たちは舞台に戻り、コンサートは再開したのでした。

日本でも有料の天気予報が存在していました。天気がビジネスに大きく関係する人は投資するでしょうけど、私はお天気を変えてくれるわけではない有料サービスには興味がありません...。


テレビの天気予報では、明日の朝はところによって霜が降りるので注意と言っていました。
太陽がたりないのでトマトの実が育たない、というニュースが流れていました。

でも暖房を切れない日が続いているので、消費者の方は、シチューなどのように体が温まる冬の料理を食べたくなり、夏の野菜のトマトなんか食べる気にならない。

それで、普通なら品不足で値上がりするはずのトマトは、むしろ値下がりしているのだそうです。

外部リンク:
猫が顔を洗うと雨が降る

内部りんんく


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2013/05/21

シリーズ記事目次 【ブドウ畑散歩とディジョン市のイベント】 目次へ
ディジョン市のイベント: その2


前々から見たいと思っていたものを、ディジョンの町のイベントで見ることができました。

Course de garçons de caféと呼ぶもの。プレートに飲み物をのせたウエーターたちが走って早さを競います。英語にするとWaiters' race。


「Garçon(ギャルソン)」とは男の子の意味ですが、カフェでお給仕する人に対しても用いられる単語です。

私が昔にフランス語を勉強したころには、「Garçon ! Un café, s'il vous plaît !」という文章が教科書にのっていました。

今では消えているのではないでしょうか?

カフェで「ギャルソン、コーヒー1杯お願いします」とウエーターさんに呼びかけるという便利な表現。でも、ギャルソンと呼ぶのは失礼にあたるから、このフレーズは言わない方が良いと教えてもらったのを覚えています。

確かに、気をつけてみると、フランス人たちは「ギャルソン」と呼びつけてはいませんね。でも、カフェ、バー、ブラスリーで働く給仕人に対する職業の名前としての「garçons de café」は残っているようです。

昔は男性の仕事だったから「カフェのギャルソン(男の子)」で良かったのでしょうが、今では女性も働いています。彼女たちのことは、ウェーター(serveur)の女性系でserveuse(ウェイトレス)という職業名しかないらしい。


カフェのギャルソン・レース

20世紀初頭にパリ、ロンドン、ベルリンなどで行われた記録が残っているそうですが、いちおう起源はフランスだとするのが通説のようです。

ディジョンでは、2005年にレースが行われたのを最後に途絶えていたのだそう。それを、このたびの大通りを歩行者天国にしたのを祝うイベントで再開されました。

普通の競技では、ウエーターが一斉にスタートして速さを競うのですが、この日はストップウオッチで正確にカウントするためか、順番に出発していました。



カフェで実際に働いている人たちだけが参加できたもよう。

でも、見ていると、うまい、下手が歴然としているので面白い。指でプレートを支えている彼が優勝するのではないかと見ていたのですが...。

女性の参加者たちも多かったです。



小さな町のことなので、知り合いが出場しているというのもたくさんあったようで、応援が飛びます。

中でも声援が多かったのは、最高年齢のギャルソンのつわもの。



傍で見ていた人が、彼は79歳なのだと教えてくれました。

名誉出場者だからハンディキャップをつけてもらったのでしょう。他の人の比べると、グラスはプレートにのっていませんでした。



レースは歩行者天国になった大通りで行われました。なので、意外にみんな早く戻ってくる。

この79歳の男性は、若い頃を思い出すために出場したのだそう。昔のコースは4キロあったので、今回のはお笑い程度の軽いレースだ、と取材で語っていたとのこと。

レースの最後の頃から雨が降り出してきてしまいました。それで、誰が優勝したかは見ずに、表彰台だけを眺めました。





このギャルソンのレースを見たいと思ったのは、パリにある博物館で、これをゲームにしたものを見てからのことでした。

そのことを書いた日記:
気に入ったパリの縁日博物館 (Musée des Arts forains) 2010/12/18

インターネットに入っている動画を入れておきます。



カフェの多いパリのこと。競争は厳しいらしくて、走っています。ディジョンのはリラックスしていて、はや足で歩いているだけだったのですけど。


市役所の中庭にできた仮設カフェ

ブルゴーニュ公国時代の宮殿は、今では市役所と美術館として使われています。

美術館の入口があるのはCour de Barと呼ばれる中庭。そこにカフェを作るという計画があるのですが、このイベントでは1日だけオープンするカフェが作られました。


Bar éphémère de la cour, Cour de Bar

ブルゴーニュは陽気。知らない人たちともおしゃべりしたりして、楽しい1日を過ごしました。

情報リンク:
☆ Wikipédia: Course de garçons de café
La course des garçons de café remise au goût du jour
DIJON : Retour gagnant pour la course des garçons de café
Les métiers de la salle: garçon de café/serveuse
Garçon, un café à un euro s'il vous plaît!
La cour de Bar du Palais Ducal de Dijon, victime d’Yves Lion

内部リンク:
★ シリーズ記事目次: フランスのカフェの特徴 2006/08/12


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2013/05/20

シリーズ記事目次 【ブドウ畑散歩とディジョン市のイベント】 目次へ
ディジョン市のイベント: その1


学生時代、そして都内のフランス企業に就職してからも、毎年フランスに行って、親代わりの人が住んでいたディジョンで休暇を過ごしていました。

「Capitale des ducs de Bourgogne(ブルゴーニュ公たちの首都)」と呼ばれるディジョン(Dijon)の町。何年たっても何も変わらない古都だったのですが、社会党の市長になってからの数年で、見違えるほど変化してきました。

歩行者天国が多くなったこと、市電が走るようになったこと、など。ディジョンはブルジョワ的な街で、夜8時ともなると静まり返ってしまったのに、最近は若者の姿が目立つようになり、活気づいてきました。


大通りに設置された3つの彫刻

旧市街を突き抜ける目抜き通りです。大きな通りが歩行者天国になったのは、なんだか奇妙な感じがしますが、楽しい。



写真は小さくて見えないと思いますが、右手にあるのは観光スポットにもなっているであろうマスタードの老舗マイユ(Maille)。その左にある通りの2軒目にあるのがマクドナルド。

昔は、この店ができるのが静かな街の大ニュースだったのを懐かしく思い出されます。大通りにある有名なケーキ屋さんだったのがマクドナルドになってしまうんだって、というもの。まさか~! という反応だったのですが、マクドナルドになってしまいました。景観保護地域ですから、トレードマークのMの文字は非常に控えめにしてくれましたが。

このマスタードの店は、昔のマスタードの壺が並んでいて、店構えでも美しい写真になったのですが、最近は現代風のショーウインドーになってしまったのが残念。


LV 38 - DIJON - Coin du Miroir 
1910年当時のディジョン
大通りには市電が通っていた
この通りは、ブルゴーニュを統治していたコンデ公(Prince de Condé)の名をとって「コンデ通り(rue Condé)」と呼ばれていました。

中世のごちゃごちゃになっていたところを大通りにしたのがコンデ公なので。

でも、フランス革命の後にはは平凡に「自由通り(Rue de la Liberté)」という名になっています。

自由通りというのは、フランスの殆どの町にもあるのではないかな?...

この自由通り、私が初めていった時にはバスや車が走っていたのですが、バスとタクシーだけしか入れなくなったのを経て、ついに歩行者天国になりました。

それを記念する祭りが、この週末に開かれました。

上にいれたパノラマ写真の左に写っている円柱は、歩行者天国になったと同時にできたモニュメント。白いけど、幹のようなものになっていました。立っているだけではなくて、回転するのでした。

こういう芸術作品の良さは理解できない私...。

そこから進んでいくと、また、この日にお披露目をしたモニュメントがありました。



こちらは、木の葉が人の頭の形になっています。

みんな幹に触っていました。ディジョンには撫でると願いがかなうフクロウの彫刻があるので、それの影響かもしれない。ニュースでは、フクロウとともにディジョンの名物になるのではないかと言っていました。

美しい旧市街なのですから、何も現代美術の作品を飾る必要はなかった、と私は思うけど...。


このまま先に進むと、ブルゴーニュ公国時代の宮殿に行きつきます。今は市役所と美術館として使われている見事な建物。

Lallemand-Place Royale de Dijon en 1781 mg 1778
Jean-Baptiste Lallemand, La place Royale en 1781


でも、もう1つモニュメントができたと聞いたので、そちらに行ってみました。



Porte Guillaume(ギヨーム門)をくぐった先に目的のモニュメントはあります。

ディジョンの自由通りは、パリで例えればシャンゼリゼのようなものなのですが、この門はパリの凱旋門の真似したとは思わないでくださいね。こちらの方が古いですので。町が要塞で囲まれていた中世の出入り口だった門の跡地に建てられたもので、建築は18世紀。ちなみに、パリの凱旋門ができたのはそのあと、19世紀前半です。

こちらも昔は「コンデ門(Porte de Condé)」と呼ばれていたのですが、なぜギヨームなのだろう? 書きながら調べてみたら、この近くにあるAbbaye Saint-Bénigne(サン・ベニーニュ修道院)の聖職者だったGuillaume de Volpianoにちなんでいたのでした。聖人にも列せられている人で、その祭日は偶然にも私の誕生日と同じ日。

少し雑然とした一角だったのですが、ここも歩行者天国の美しい広場になっていました。

このたび設置されたのが、蛙の泉。下に蛙が3匹いて、それを3人の子どもが肩を寄せ合って眺めている、という彫刻。


Fontaine aux grenouilles

アール・ヌーヴォーの彫刻家Max Blondat(1872~1925年)の作品。この像はもともとここにあったのに、地下に駐車場をつくったときに取り外されていたそう。馴染みの泉がなくなったのを惜しむディジョンっ子たちの声で、またもとの場所に戻されたようです。


歩行者天国オープンのアトラクション

市長のテープカットなどのオープニングセレモニーは、旧市街の各所で行われました。大勢の人たちが集まったので、会場をあちこちにしたのは良かったと思う。日本人の感覚ではディジョンは小さな町ですが、周辺を集めれば人口25万人くらいになる、ブルゴーニュでは最大規模の都市ですから。

出し物の中で、私が気に入ったのは、これ。



フラミンゴみたいなのが大通りから、この旧ブルゴーニュ宮殿前の広場まで歩いていました。

先頭を務めるのは、オートバイを改造したように見える奇怪な乗り物。



よくできていて、花火のような装置で煙や火を出したりもしていました。

広場から出ていくとき、さっきまでカッコよくポーズをとっていた人は、やわら下にもぐり込んで、ねじ回しを出して調整を始めました。

細い道に入るために翼をたたむ必要があったのか? アクシデントで翼の1つが落ちてしまったのか?... 日本でのことだったら前者だと思うけれど、フランスのことなので後者が理由だろうと思いました。



1年前の冬にディジョンで行われたサン・ヴァンサン・トゥルナントの祭りでのアトラクションに比べると、ずいぶん節約したな、と思ってしまう。でも、あのときは市のお金を使い過ぎたという市長への批判があったそうなので、今回は控えめにしたのでしょう。

昨年見たイベントについて:
ワイン祭りでのディジョン市のアトラクション 2012/02/02


もう1つ楽しいアトラクションがあったので、その話しを次回に書きます:
カフェのギャルソン・レース

外部リンク:
☆ フランス政府観光局: ディジョン
ふくろうが案内するディジョンの町 Dijon
Office de Tourisme de Dijon
☆ Mascottes Automobile: MAX BLONDAT
☆ Infos Dijon: DIJON : La rue de la Liberté, propriété des piétons
☆ France 3 Bourgogne: Dijon retrouve sa Liberté, deux jours de fête au programme

ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの歴史
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って


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2013/05/19

シリーズ記事目次 【ブドウ畑散歩とディジョン市のイベント】 目次へ
コート・ド・ニュイのブドウ畑散歩: その3


最近は、ブドウ畑の変化を見るには同じ畑を眺めるとよく見えるだろうと思って、ロマネ・コンティの畑に行くことにしています。ここだと、場所を間違えようがないので!

ひと昔は、ここに来ても誰にも会わないことが多かったのですが、最近は観光客が増えてきたと感じます。 特によく出会うのは日本人を乗せたマイクロバス。

観光コースになっているのかな?... 畑の前でさっと説明をしてから写真タイム。だから、それほど長く留まってはいないはず。

それなのに、これだけ日本人ツアーに出会うというのは、よほど頻繁に来ているからなのだろうな... などと計算してしまう!

この日も、立ち去る日本人のマイクロバスとすれ違ってから、どこか外国から来た人たちの乗用車でのツアーらしき人たちがいました。

ワインに興味がない人でも、高いワインとしてロマネ・コンティの名前だけは知っているかもしれない。

やはりロマネ・コンティの畑を見るのは、外国人に人気があるのかもしれない。

去年の秋には、ここがロマネ・コンティの畑だとは知らないで休憩していたフランス人のグループに出会ったりもていました。

フランスの有名ブランドは、そんなのは買えない庶民たちは興味も示しません。ワインが好きなフランス人たちはロマネ・コンティに憧れますが、そうでなかったら無視、ではないでしょうか?

フランス人をブルゴーニュに案内するツアーで、奥まったところにあるロマネ・コンティの畑にわざわざ連れて行くことがあるのかな?...

美術に興味がなかったら、美術館なんかには行かない。クラシック音楽に興味がなかったら、コンサートなんかには行かない。ワインに興味がなかったら、わざわざ高級ワインが作られる畑を見に行くことなんかしない。

そんなことにお金をかけるなら、本当に自分が好きなことで支出しようとするフランス人たち。

でも、日本人は世間で評価されるものなら何でも見ようとする。これが日本人の知的レベルをあげるのに貢献しているのかな?... などと、日ごろ考えたりしている私です...。


ロマネ・コンティの畑は見事な手入れ!

この日はコート・ド・ニュイの高級ワインができる畑を回って散歩したのですが、やはり、ロマネ・コンティの畑の手入れの良さは群を抜いていると見えました。



1か月ほど前に行ったときには眠ったような畑だったのに、元気に葉が出ていました。

馬で耕したことが一目でわかる土。春になったから1回か2回やった、なんていう程度ではないように見える...。土がホクホクになっていて、根をはっている雑草などは1本も残っていないのです。



最近のはやりで、もちろんロマネ・コンティの畑にも雑草が生えます。春には古い雑草は全部とってしまって、ブドウの木に優しい雑草の種をまくのでしょうね。

前回の日記(我が子を愛おしむようなブドウの手入れ)に書いたエシェゾーの畑の手入れを見たときにも思ったけれど、同じようにワインを作っていても、高く売れるワインができるブドウ畑の手入れは張り合いがあると思う。大変な手間をかけたって、その努力はむくわれるのですから!

... などと思ってしまうのは、仕事に費やした時間から時給がどのくらいになっているかなんて計算しちゃいけないぞ~ と自分に言い聞かせている私の僻みなんだろうな...。


ロマネ・コンティのお隣さんはどうなった?

ロマネ・コンティの畑と道路を挟んですぐのところにあるブドウ畑が気になっていました。ブドウの株を抜いて更地にしてしまったのを目撃して以来のこと。

高級ブルゴーニュワインができるブドウ畑にあった空地 2012/02/05

しばらく更地のまま放置されていて、株が植えられたのに気がついていた区画。葉がいっせいに出て、可愛らしく元気な赤ちゃんブドウの木たち♪



ロマネ・サン・ヴィヴァンの畑だと特定した場所です。さすが良家のお坊ちゃん(?)たち。背が低いながらも、しっかりした株でした。


もう一カ所、ブドウの株を抜いてしまった区画があったので眺めてみました。

それを見たときの日記:
高級ブルゴーニュワインのブドウ畑で植替え作業が進んでいる? 2012/02/10

こちらは、まだブドウを植えていなくて、芝生のように見える場所になっていました。



芝生に見える区画は、ロマネ・コンティと道路を隔てた向かいにあるグランド・リュから少し斜面を上がった場所にあります。ラ・ターシュかなと思ったのですが、そうでもないような...。




ひどい畑は目立ってしまう

大雨が降って河川の水位が異常にあがってしまった時期の後だったのですが、さすがブドウ畑は水はけの良い場所にできているらしくて、地面は湿っているという程度でした。

散歩の最後、ロマネ・コンティのあたりの畑を散歩した後、帰路につくために国道に出ました。

あれ、あれ、と思ってしまった畑を発見。

高級ワインは勾配がある丘の斜面に広がっている畑だったのですが、ここは平地の部分です。



除草剤をまいてしまったことが分かる枯れた雑草。そして、畝には水がたまっている。最悪ではないですか?!

低いランクのワインができる畑なのでしょうね。知らないで飲んでしまう方が幸せ!

この少し前にテレビで見た南フランスの水害状況のニュースでは、完全に水につかっているブドウ畑が映っていましたから、それよりはマシですが..。


いつになったら、からりとした晴天の日になるのか?... 長期天気予報を見ていたら、6月に入ったらお天気マークだったのに、近づくにつれて雨マークばかりになってしまいました。




ブログ内リンク:
★ 目次: ロマネ・コンティのブドウ畑ウオッチング
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
Vosne-Romanée ブドウ畑区画地図
ディジョン市の天気


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フランスのお酒 (ワインなど)



2013/05/18

シリーズ記事目次 【ブドウ畑散歩とディジョン市のイベント】 目次へ
コート・ド・ニュイのブドウ畑散歩: その2


大雨が降って水害の被害もあった後だったのですが、さすがブドウ畑は水はけの良い場所にできているらしくて、地面は湿っているという程度でした。

今の時期、ブドウ畑の仕事は多いのかな?... あちこちの畑で作業している人たちがいるのが目にとまりました。

クロー・ド・ヴジョーの近くで車を降りてみました。



ブドウ収穫期の賑わいほどではないけれど、畑で働いている人たちがたくさんいる。剪定はとうの昔に終わっているはずだし、くい打ちなどの作業も終わっているはずなのに。

何の作業をしているのだろう?

畑で働いている人に声をかけてみました。


セルペット・ナイフ



剪定をした後でも、余分な芽が出てくる。それを1つ1つ落としたり、余分な雑草をとったりしているのだそう。

余分な芽を落とすのには、こんなナイフを使っていました。



ブルゴーニュではおなじみの、Serpetteと呼ぶナイフです。


ブドウ剪定道具の進化 2008/01/14

手作業をしていた時代の道具で、アンティークショップなどで見かけるのですが、今でも使っているのですね。 私もこの形をした台所用のパティーナイフを持っているのですが、なかなか便利です。

すぐ近くで働いている人たちがいたので、同じ農家のチームかと思ったのですが、違うのでした。そちらでは杭を打ちなおしたり、針金の張り方を直したりしていました。ここは、そんな作業は2カ月も前に終えてしまった、とちょっと自慢げ。


BIOワイン

しばし手を休めて、ブドウ畑の仕事を聞かせてくださいました。

無農薬の自然農法でブドウを育てるBIOののブドウ栽培者でした。畑を耕すのは、ブルゴーニュの高級ワインができる産地で今流行りの馬ではなくて、トラクター。なので、今は土が湿っていて入り込めないのだそう。

一緒にいた友達が、BIOでブドウを栽培するのは難しいでしょう、と聞く。

雨が多いときにはトマトが腐って全滅してしまった、などと言います。ここの畑は、エシェゾーという高級ワインになるのだと言っていたのに、そんな素人の家庭菜園の話しなんかもちだしちゃって! でも、ブルゴーニュ人同士だと、和気藹々とおしゃべりできるから許されるんだろうな...。

ワイン農家の人は、有機栽培をするためには、雑草を組み合わせて生やしておくので害虫にやられなくてすむのだと説明。

有機栽培は、ただ農薬を使わないというだけではなくて、色々なテクニックがあるのですよね。そう私が口をはさむと、よくぞ言ってくれましたというような笑顔。

トマト畑にはオルティを生やしておくのが効果的ですよ、などとアドバイスしている。

オルティ(Ortie)というのは、雑草の中でも最も嫌いたがるイラクサ属の草。

シソの葉のように見えるのですが、ちょっとでも触ってしまうと、一日中チクチクと痛いのです。

友人は庭にたくさん生えていたけれど、つい最近全部抜いてしまった、と残念そう。

来年はトマト畑にオルティを生やしてごらんなさい、と言われていました。

実は、この畑ではBourrache(ルリジサ)という、ブドウ畑では見たことがなかった草が花をつけているのが気になっていました。これも何か意味があったのかな?...

でも、余りお邪魔をしては悪いので、挨拶してお別れ。農家の人は黙々と仕事を続けていました。

ブドウの木を1本、1本、まるで我が子の成長を確かめるようにあちこちから眺め、いとおしんでいるかのように手入れしているのが感動的。



この農家では、ここの3列か4列くらいのブドウの木を手入れしているようでした。

でも、高級ワインのエシェゾーですからね。そのくらい持っているだけでも十分です。


どこのドメーヌ?

いつか、このドメーヌに行ってみたいと思いました。穏やかで、ブドウの木に愛情を持っている姿が気に入ったのです。口に入るものを作っている農家の人が性格が良いと、作っているものもおいしい、と感じる私。

ギヨン エシェゾー グラン・クリュ 2007

ギヨン エシェゾー グラン・クリュ 2007
価格:14,308円(税込、送料別)

当然ながら、どこのドメーヌなのかも聞いていました。

調べてみたら、Domaine Guyon(ドメーヌ・ギヨン)だろうと突き止めました。

ボトルにはBIOワインである印のABマークはついていませんね。

同じくブルゴーニュでBIOワインを作っている農家と話したとき、何も自然農法だというのを売り物にする必要はないのだ、と言っていたのですが、それと同じかもしれない。 

良いワインを作っていることで、かなりの定評があるドメーヌ。あの畑での働きぶりをみると、そうだろうなと想像できます。

ドメーヌのサイトにはワインの値段が書かれていないのですが、日本で売っているワインがかなりあったので、お値段の想像はできました。

ドメーヌ・ギヨンのワインを楽天市場で検索

直接ドメーヌを訪問して試飲などさせてもらうからには、ある程度の量を買わないと申し訳ないのですが、ランクの低いワインも作っているので大丈夫そう。

日本に輸出していると聞くと、高い値段で売るドメーヌなのだろうと想像するのですが、良心的な価格らしい。


さらに、グラン・クリュ街道と呼ぶ高級ブドウ畑を作る地域を結ぶ道路を進みました。

続きへ:
ブドウ畑を散歩: ロマネ・コンティの畑はどうなった?

ブログ内リンク:
★ 目次: 今年のミレジムは? (ブルゴーニュ・ワイン)
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ
休閑地を埋めるタンポポ 2004/05/05 オルティについて

外部リンク:
Domaine Guyon
★ Guide Hachette: Earl domaine Guyon


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フランスのお酒 (ワインなど)