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2014/03/28
前回の日記「日本から故郷に帰ったギュスターヴ・クールベの木」に書いたクールベ美術館では、クールベと親しかった風景画家の作品を展示する特別展をしていました。

この風景画家が気に入ったのでカタログを買おうと思ったのですが、表紙以外は写真の質が悪すぎるので断念。画家の名前を忘れないようにカタログの表紙を撮影しておきました。



画家の名前はHector Hanoteau(1823~1890年)。エクトール・アノトーと表記すれば良いでしょうか? 日本語情報は全く出てこなかったので、日本で定着しているカタカナ表記が分かりませんでした。

正式の名前はやたらに長くて、Hector Charles Auguste Octave Constance Hanoteau。ファーストネームが5つも並んでいます。

彼はブルゴーニュ地方のニエーヴル県の画家、ということでも親しみを覚えたのでした。私が好きなコロー(Jean-Baptiste Camille Corot)を思わせる作風でもありました。ちなみに、コローも父方はブルゴーニュの人。


特別展の名前は「エクトール・アノトー - 風景画家、クールベの友人」。

年も近かった2人はパリ時代に親しく付き合っており、互いに肖像画を描きあっただけではなく、共同で描いた作品も残していました。 それが、この作品「Baigneuses dit aussi Deux femmes nues(1858年)」。オルセー美術館の所蔵品ですが、特別展に出展されていました。

http://www.musees-franchecomte.com/index.php?p=973
Exposition Hector Hanoteau, un paysagiste ami de Courbet - Musée Gustave Courbet à Ornans - Doubs (25) - Franche-Comté

展示の説明では、家の壁に収めるために切り取られてしまったキャンバスだとありました。私有物だからしたのでしょけれど、なんと酷いことを...。

説明がなかったら、ギュスターヴ・クールベの作品に見えてしまいませんか?

気の合った仲間と絵画を仕上げるのも、ピアノの連弾のように楽しいのかも知れない...。

エクトール・アノトーは、余り有名な画家ではないようです。インターネットで検索したら、クールベ美術館での特別展の紹介がずらりとトップに並んでしまいました。他には、競売に出た絵画について。

クールベに引き合いに出されるだけしか名前を残せなかったのだとしたら可愛そう。経歴を見ると、かなり輝かしいし、パリのオルセー美術館にも何点か彼の作品が入っているのに...。

特別展で展示されていたエクトール・アノトーの作品の中に、Wikipediaのフリー画像になっていたものがあったので入れておきます。

Hector Hanoteau, 1874, Les grenouilles
Les grenouilles, Musée d'Orsay (Paris)

「蛙」と題されていて、森の中の池だか沼だかにカエルたちの姿があります。実は、私の今回の旅行は春先だけにしか食べられないこの地方の蛙Grenouille rousse(ヨーロッパアカガエル)を食べるのも目的だったのでした。

この品種の蛙は「森のカエル」 とも呼ばれるので、なんだか不思議な気がしました。このたびの旅行でも、去年は食べそこなったし、来年までは食べられないとばかりに3回の食事で食べてしまった後に美術館にいったのです。ごめん...。

ヨーロッパアカガエルの話しは、すでに書いているので省略:
フランシュ・コンテ地方を旅行して、貴重なカエルを食べる 2012/03/30


他にも、Wikipediaはエクトール・アノトーの作品の画像を提供していましたが、これも、どうして? と思ってしまうほど画質が良くない...。

Hector Hanoteau, Bergère et son troupeau au bord du ruisseau 
Bergère et son troupeau au bord du ruisseau

実物の魅力が見えません。写真にできない作品なのか、有名ではないから質の高い写真をとってもらっていないのか?...

彼の作品は、故郷のニエーヴル県のヌヴェール市営ミュージアム(Musée de la Faïence/ Musée municipal Frédéric Blandin)にも何点か入っているようなので(こちら)、行く機会があったら探そうと思います。

妙に気に入った絵も、このミュージアムの所蔵品になっていました。

http://www.culture.gouv.fr/Wave/image/joconde/0494/m015586_0004618_p.jpg

この絵の題は「La victime du réveillon」。
レヴェイヨン(クリスマスや大晦日の夜食)の犠牲者(いけにえ)、という意味。農家で、家畜がご馳走になろうとしている図です。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って

外部リンク
☆ Wikipédia: Hector Hanoteau
Hector Hanoteau, un paysagiste ami de Courbet
☆ Joconde ⇒ 「Hector Hanoteau」で検索


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2014/03/27
今回の旅行目的の1つは、日本にあったギュスターヴクールベの作品『フラジェの樫の木』が、クールベの故郷にあるクールベ美術館に戻ったので見に行くことでした。本当は、戻ってすぐの昨年に行こうと思っていたのに機会を逃してしまっていたのです。

目的地は、フランシュ・コンテ地方ドゥー県にあるオルナン町(Ornans)。

県名になっているドゥー川(Doubs)に流れ込む支流のほとりに家々が並ぶ、独特の雰囲気がある町です。



「フランシュ・コンテ地方の小さなヴェネチア」とも呼ばれるオルナン。人口4,000人余りのこじんまりした町なのですが、この町で生まれた画家ギュスターヴ・クールベGustave Courbet: 1819~1877年)の作品を飾るクールベ美術館(Musée Courbet)を最近改築して、所蔵品も充実させてきています。

有名な絵画はパリに行かないと見れない傾向があるので、○○美術館といっても大した作品はないことが多いフランスなのですが、ここは見応えがある作品を上手に展示しています。そこに、また目玉となる作品を入れたのでした。


フラジェの樫の木

八王子にある村内美術館から買い取った『フラジェの樫の木Le Chêne de Flagey)』。ようやく樫の木が故郷に根を張れるようになった、と地元では大きな話題になりました。

地元というとき、我がブルゴーニュ地方も入ってしまいます。テレビの地方放送局は、ブルゴーニュとフランシュ・コンテが一緒になっているので。

フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベGustave Courbet: 1819~1877年)が、1864年に描いた作品です。


Le Chêne de Flagey appelé Chêne de Vercingétorix, camp de César près d’Alésia, Franche-Comté

フラジェとは村の名前で、クールベの父方の家があります。大地主だったのを思わせる立派な家が残っており、これも最近になって県が買い取って、展示場として使うほか、クールベの小さな寝室を残しながら、B&B民宿の部屋も作っています。

絵のモデルとなった樫の木はすでに残っていないということもあるし、ただの樹木ではないので、この作品を取り戻したいという地元の人たちの熱意は大変なものでした。

そのことについては、すでに書いているので省略:
画家ギュスターヴ・クールベとアレシアの戦いの関係 2011/08/25 


この絵の存在を知ってから、日本で見に行こうかとも思ったのですが、やはり故郷に帰った姿を見たいと思って待っていたのでした。

ありました♪

小さな絵を想像していたのですが、かなりの大きさ。160 cm × 110 cm のキャンバスなのだそう。



作品の右に台があって、布(だったかな?)でできたノートが置いてある。この絵画を買い取るための寄付に協力した企業や人の名前が書いてありました。

村内美術館の売値は450万ユーロで、その6割は地元企業や民間人の寄付によるものでした(企業メセナが250万ユーロ)。行政機関が出した資金は、残りの130万ユーロ(65万ユーロを国が、県議会と地方圏議会が30万ユーロずつ負担)。

この絵を故郷に戻すことに関して、地元ではかなり盛り上がっていました。オルナン町に近いブザンソン市に住む友人は絶対に寄付しただろうと思う。ページを繰って探してみようかとも思ったのですが、おそらく彼は自分の会社の名前で寄付しただろうし、彼の会社の名前なんか知らないので止めました。

この絵画についての日本での報道記事を検索してみたら、複製画がたくさん出てきたので驚きました:
「フラジェの樫の木」を楽天市場で検索

日本人受けする絵画なのでしょうね。とすると、日本では見れなくなったのを残念に思う人も多いはず...。フランシュ・コンテ地方の人たちには特別な思いがある絵なので、許してあげてください!


この日のクールベ美術館では、Hector Hanoteau(1823~1890年)という名の画家の特別展「エクトール・アノトー - 風景画家、クールベの友人」もしていました。

この風景画家の作品がとても気に入ったので、次回に書きます。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って

【樹齢400年の巨木】
ハーブティーにする菩提樹の花を命がけで摘む 2013/07/14

外部リンク
Le Chêne de Flagey retrouve ses racines (Le Monde)
YouTube: Le Chêne de Flagey
さようなら クールベ《フラジェの樫の木》 村内美術館


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2014/03/25
モンベリアールの町のツーリストオフィスから出たら、たくさんの車が数珠つなぎになっているのが見えました。



そこは線路で、新車を乗せた電車がゆっくり走っているのでした。 近くに駅がある様子。

そうか~、モンベリアールはプジョーの工場がある町なのでした。その向こうには、工場地帯のようなところが見えました。


プジョーの工場があるソーショー町

プジョーの工場があるのは、Sochauxソーショー)という地名。モンベリアール市(Montbéliard)の中にある地域の名前なのだろうと思っていたのですが、ソーショーは人口4,000人くらいの独立した町なのでした。

ソーショーが発展したのは20世紀初頭、プジョー社が自動車工場を設置するまでは、長閑な田舎だったようです。ここの自動車工場は、フランスで最大規模なのだそう。

ひところは4万人くらいの従業員が働いていたのだそうです。現在では、プジョーとシトロエンは合併しているので、両方の工場になっているわけですが(PSA Peugeot Citroën)、自動車生産の機械化によって従業員は激減し、現在では125,000人くらいしか働いていないのだそう。

ソーショー町の紋章が面白いので笑ってしまいました。 まるでプジョー社のためのデザインに見えてしまったからです。



ライオンやヒョウは紋章でよく使われる模様です。ソーショー町の紋章にあるのがライオンか豹かは、以前に見分け方を教えてもらっていたので、ライオンだと分ります。

ライオンが入っているのは良いのだけれど、黒いタイヤのようなものが組み込まれているのは行き過ぎではないですか?!

でも、これはタイヤではなくて、歯車なのだそう。ライオンが持っている白いSも文字は、町の名前であるSochaux(ソーショー)の頭文字とのことでした。

気になるのは、ソーショー町の紋章に入っているライオンは、プジョーのロゴから取ったのか? あるいは、町の紋章が先にあって、プジョーはそれを会社のマークにしたのか?

私は後者ではないかと思います。ソーショー町があるのは、フランシュ・コンテ地方のドゥー県。その両方の紋章は同じライオンのデザインになっているからです。

まず、フランシュ・コンテ地方圏の旗は、これです。



ソーショー町があるドゥー県の紋章にも、上の部分に同じライオンのマークが入っています。


プジョーのロゴ

ともかく、プジョーのシンボルマークといえばライオン。そのライオンのデザインが、だんだん穏やかそうな姿になってきたと聞いたのを思い出しました。

道路を暴走するような姿は良くないとか、ライオンが片足で立っている姿は自動車に安定性がないみたいで良くないとか批判されたので、そういうイメージをなくしたのだ、と言われました。

Wikipediaにロゴマークの移り変わりが出ていたので眺めてみました:


☆ Wikipédia: Peugeot ⇒ Identité visuelle : le Lion (logo)

ほんとうだ。今のロゴにはライオンの鋭い爪は見えないし、両足でしっかり地面に立っていますね...。

車がお好きな方だったら、プジョーのロゴの歴史を調べるところでしょうね。私は車には興味がないので、調べる気にはなりません。とは言え、「プジョーのロゴは、プジョー家の拠点であるフランシュ・コンテ地方の紋章から来ているのではないかと思います」とだけ書くのも無責任...。

Wikipediaに入っているプジョーのフランス語ページには、ロゴの歴史について詳しい記述がありました。Wikipediaに書いてあることをそのまま信じるのも問題ではありますが、本当そうに見えるのでメモしておきます。

1810年、プジョー社創業。鉄鋼業、続いて時計製造に使う圧延にも着手。
1832年、ノコギリの刃を製造する会社を設立。
1947年、会社の商標を、フランシュ・コンテの紋章からデザインするようにモンベリアール町の職人に発注し、それをプジョー社の商標として1858年に登録。このロゴは矢の上にライオンがのっているデザインだが、これは同社のノコギリの3つの優れた品質(切断の速度、刃の目の寿命、刃のしやなかさ)を象徴している。

プジョー家のArmand Peugeotが1896年に自動車を製造を始めて会社を発展させました。鋭い歯を持つノコギリにイメージを与えるロゴのデザインが、だんだんおとなしくなって現在の自動車のロゴとなったわけですか...。


Peugeot: Evolución del Logo

プジョー社は、フランシュ・コンテ地方のプジョー家がおこした家族経営企業。ここのところモンベリアール町のことを書きながら、プロテスタントの存在が大きかったことに触れてきたのですが、プジョー家もプロテスタントなのだそうです。


プジョーの存在が大きいモンベリアール

プジョーの工場があるソーショー町は、行政区分としては、ソーショー町はモンベリアール区(Arrondissement de Montbéliard)に入っていました。今回の旅行ではソーショーの方には足を踏み入れなかったのですが、モンベリアールを観光しているときにはプジョー社の存在が目につきました。

例えば、こちら。モンベリアールの博物館に陳列されていたプジョー社製のミシンです。



プジョーがミシンを製造していたのは知らなかった。

プジョーといえば車ですが、現在でも車以外の商品も製造していますね。さすが、もうミシンは製造していないみたいですが。


自転車がなぜそんなに高額なのか分らない。ファンがいるのでしょうか?

私は、塩と胡椒をひくプジョー社製のミールを持っています。性能が良いのだと言われて買ったのでした。単にフランス製だから、フランス人がそう言ったのではないかという気もしたのですが...。


プジョーの博物館には行かなかった

地元の人に観光情報を聞くと、モンベリアールに来て最も見応えがあるのはプジョーの博物館(Musée de l'Aventure Peugeot)だと言われました。でも、私は車には全く興味がないのでパス。

それでも、せっかく行ったのだから博物館に行ってみるべきだったかな... とも思って心残り。

プジョーの博物館の様子を見せる動画があったので入れておきます。


Breve Historia de Peugeot

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次




ブログ内リンク:
★ 目次: 乗り物に関して書いた記事 (自動車、自転車、船など)
ヨーロッパの紋章で、ライオンとヒョウを見分ける方法 2009/12/04

外部リンク:
Musée de l'Aventure Peugeot
☆ Wikipédia: Famille Peugeot
☆ Wikipédia: Histoire des bourses de valeurs ⇒ La très forte croissance des « années folles »


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2014/03/24
先日の日記「モンベリアール町に残っているフランス最古のテンプル」に書いたサン・マルタン教会の内部を見学できなかったので、インターネットで画像を探してみました。

すると、たくさん出てきたのは、クリスマスのイルミネーションの写真。



モンベリアールに関する観光情報には、クリスマスマーケットは有名なのだと書いてありました。確かに賑わっているようで、モンベリアールに関する動画では、クリスマスのイルミネーションのものが最も多くでてきました。 


モンベリアールには、クリスマスシーズンに来るべきだった?

フランスで行われるクリスマスマーケットといったら、アルザス地方のものが有名で、そこが本場だと私は思っていました。ただし、最近のフランスでは、大きな町ならどこでもクリスマスマーケットをやるようになってきました。それで、モンベリアールでクリスマスマーケットと聞いて、そういう風にやりだした町の1つなのだろうと思ってしまったのです。

モンベリアール伯領は、ドイツのヴュルテンベルク家に支配されていた時代があって(15~18世紀)、それで町の人は全てプロテスタントだった。そういう歴史を知ると、ここで行われるクリスマスマーケットは本格的なのだろうと想像できます。

なにしろ、クリスマスマーケットの歴史は14世紀にドイツで生まれ、16世紀に宗教改革者マルティン・ルターが浸透させたのだそうですから。

ちなみに、フランスの3大クリスマスマーケットとは、アルザス地方にあるストラスブール市(Strasbourg)とコルマール市(Colmar)、そしてフランシュ・コンテ地方のモンベリアール市(Montbéliard) なのだそう。

クリスマスマーケットという商売っ気を感じるイベントは好きではありませんが、クリスマスシーズンにアルザスを旅行したときには気に入りました。クリスマスマーケットだけではなくて、色々なアトラクションもあるので、暗くなってからも観光を続けられるからです。

真冬に旅行したいときには、何処に行くか迷うのです。午後5時ともなれば真っ暗になってしまって、観光はできなくなる。ところが、レストランに入って夕食がとれるのは、せいぜい7時ころ。その2時間を何をして時間つぶすかというのが頭を痛めるところなのです。

南仏には冬でも太陽があるので魅力なのですが、夏の間には観光客がごった返すような観光地でさえ、冬にはゴーストタウンのようになってしまって、開いているホテルがないという問題があります。

ストラスブールのクリスマスマーケットは巨大になりすぎてしまっていて、つまらないものしか売っていないし、本来の伝統が見えないので魅力を感じませんでした。コルマールも大きな町なので、小さなアルザスの村々のような魅力はありませんでしたが、ストラスブールよりはずっとアットホームな雰囲気があって気に入りました。

モンベリアールも賑やかで楽しそうです。クリスマスマーケットの時期には40万人も訪れるのだそう。アドベントの1カ月間に40万ということは、1日に1万人強ですか。プロテスタント教会や市役所がある広い広場を使うようなので、ごった返してしまうということはないのでしょう。

ちなみに、アルザス地方でのクリスマスマーケットの訪問者は推定260万人で、そのうち170人万人はストラスブールだそうです。

ブルゴーニュからは、アルザスに行くより、モンベリアールの方がずっと近い。いつか機会があったら行ってみたいと思いました。


Lumières de Noël - Montbéliard - 2011

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次




ブログ内リンク:
★ 目次: フランスの祭日・年中行事について書いた日記

外部リンク:
☆ YouTube:
Lumières et Marché de Noël à Montbéliard 2010
☆ Wikipédia:
Marché de Noël de Montbéliard
Les visiteurs des marchés de Noël en Alsace


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カテゴリー: 季節の行事 | Comment (0) | Top
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2014/03/23
モンベリアール市にある民族博物館(Musée d'Art et d'Histoire - Hôtel Beurnier-Rossel)で、変わった帽子を見ました。



美しい刺繍がほどこされた小さな帽子です。

1つ1つ異なる帽子がたくさん陳列されていたのですが、ガラスの向こうなので良く見えない。

この帽子がネットショップで売られており、商品を拡大して眺めることができます。250ユーロで売られているので、骨董品としての価値があるのでしょうね。

☆ eBay: COIFFE ANCIENNE diairi de diaichotte montbeliard


Diaichotte、Diairiと呼ばれる帽子

モンベリアール町の周辺地域で、19世紀に登場したというシニョンを包む帽子でした。

Diaichotte、あるいは、câle à Diairiとも呼ばれるのだそう。
  • câle: (12世紀末から15世紀に用いられた)頭巾、縁なし帽。(17世紀に下女や田舎の娘がかぶった)白月ん。
  • diairi: シニョン(chignon)
刺繍に使われるモチーフは植物なのだそう。

帽子が陳列してある横に、この絵があったので、どんな風にかぶるのかがわかりました。

Diaichotte 
Diaichotte (Montbéliarder Trachtenkostüm)

どこかフランス人的ではないように見えませんか?

この帽子は、プロテスタントのシンボルだったと聞いて納得できました。この時代のモンベリアールは、プロテスタントの町だったのです。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


外部リンク:
la cale a diairi - Tourisme en Franche-Comte

ブログ内リンク:
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事


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2014/03/22
モンベリアール町(Montbéliard)は、ドイツやスイスに近いフランシュ・コンテ地方にあります。モンベリアール伯領だったのですが、婚姻関係によって、15世紀から18世紀末までドイツのヴュルテンベルク家によって支配されていました。

宗教改革運動はドイツに始まったわけで、当時のヴュルテンベルク公もプロテスタント。モンベリアールの町に住む人たちも、ほぼ100%がプロテスタントだったようです。

プロテスタントの弾圧があった時代には、前回の日記「モンベリアール町に残っているフランス最古のテンプル」に書いたサン・マルタン教会はプロテスタントたちの駆け込み寺のような存在だったようです。ところが、この町には大きなカトリック教会もあるとのことなので見に行ってみました。


プロテスタント vs カトリック

カトリック教会がある場所にある駐車場に車を止めると、まず目に飛び込んできたのは、この小さな愛らしい教会でした。

Temple St-Georges Montbliard 01 
Temple Saint-Georges de Montbéliard

プロテスタントのサン・ジョルジュ教会Temple Saint-Georges)でした。現在では宗教的な役割は果たさず、講演会などをする公共施設として使われているようです。こちらも閉まっていて入ることができませんでした...。


プロテスタントが保護されていたモンベリアールの町には、フランスのプロテスタントの信者たちを逃れてきたようです。それで1607年に完成したサン・マルタン教会では狭くなったため、町外れに2つ目のプロテスタント教会として、このサン・ジョルジュ教会が建てられたのでした。建築が始まったのは1674年。

全体の姿を撮影できなかったので、上に入れたのはオープンソースとしてWikipediaに入っていた写真です。この写真を撮ったのは、ここから斜面を上がったところにそびえるカトリック教会に続く階段の上からだったはず。

サン・マンブッフ教会(Église Saint-Maimbœuf) という名のカトリック教会には度肝を抜かれました。

モンベリアール城にあった教会をここに移すことにしたのが19世紀半ば。プロテスタントのメッカのようになっていた町に、カトリック教会の偉大な姿を見せようとして建てたのだろうという意図が、何も説明されなくても分ります。

なにしろ、地形的にいってプロテスタントのサン・ジョルジュ教会を威圧する丘の上に立っている。プロテスタントの教会があるところからは、大きな階段を上がっていきます。

これでもか?! というくらい威圧的な建物でした!


Église Saint-Maimbœuf de Montbéliard

もちろん、中もご立派です。
近代の建築なので、惚れ惚れする美しさはありませんが...。



このサン・マンブッフ教会の建設は1850年に始まって、1975年に完成。

これだけ大きな教会を建てようということになったということは、19世紀半ばには、フランスでのカトリックが絶対的な地位になったということなのでしょうね。


宗教戦争

フランスはカトリックの国と言われますが、宗教改革に始まるカトリックとプロテスタントが激しく対立した時代があったことを思い出しました。

フランスではGuerres de religion(宗教戦争)と呼ばれますが、日本ではユグノー戦争と呼ぶ方が一般的でしょうか。休戦の時期も挟んで、1562年から1598年まで続いていました。カトリックとプロテスタントの対立が生んだフランスの宗教戦争は、1598年のナントの勅令で終わったことになっていますが、それで終止符が打たれたわけではなかった。

学校でもフランスの宗教戦争のことが歴史の授業に出てきて、穴埋め問題の解答にする文字は覚えていますが、どんなだったのかはすっかり忘れてしまっています。モンベリアールの町にプロテスタントの教会が建てられた時代背景を、フランス語の単語も確認しながらメモして、宗教改革があった時代を復習してみました。

1517年マルティン・ルター(Martin Luther)らにより、カトリック教会の改革を求める宗教改革運動(Réforme protestante)がおきる
1520年頃マルティン・ルターの書物によって宗教改革がフランスに伝えられる
1524/25年
モンベリアールを統治していたドイツのヴュルテンベルク家は、フランスの宗教改革者ギョーム・ファレル(Guillaume Farel)を招いてプロテスタントを広める
1534年檄文事件(Affaire des Placards)を機に、フランスでのプロテスタント弾圧が始める。
ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)はフランスからスイスに亡命したが、1536年にラテン語で『キリスト教綱要』を出版。フランス語訳(Institution de la religion chrétienne)は1541年出版
16世紀後半アンリ2世(在位: 1547年 - 1559年):
カトリックとプロテスタントの間の緊張感が高まる
1562年宗教戦争(ユグノー戦争)勃発
1572年サン・バルテルミの虐殺(Massacre de la Saint-Barthélemy)。カトリックがユグノー数千人を虐殺する
1598年ナントの勅令(Édit de Nantes)。
宗教戦争に終止符がうたれ、プロテスタントの信仰の自由を保障し、一定地域に限って礼拝が認める
1607年モンベリアール公フリードリヒ1世(Frédéric Ier de Wurtemberg)がプロテスタントの教会として築いたサン・マルタン教会が完成。
モンベリアールは、19世紀まで、フランスのプロテスタントたちが逃れる地となる
1610年ナントの勅令を発したアンリ4世は、狂信的なカトリック信者により暗殺される
1627/28年ラ・ロシェル包囲戦。ユグノーはルイ13世とカトリックに敗北
1674年モンベリアールで、2つ目のプロテスタント教会の建設が始まる
1685年ルイ14世は、ナントの勅令を破棄するフォンテーヌブローの勅令(Édit de Fontainebleau、Révocation de l'édit de Nantes)に署名する
1793年モンベリアール伯領はフランス領土となる


現代のフランス人の宗教心は?

フランスはカトリックの国と言われますが、欠かさずミサに通うような敬虔な信者は非常に少なくなってきています。それでも、フランス人が持つ宗教に関する統計ではカトリック信者の割合が高くなっています。

フランス人の宗教に関する統計は、調査によってまちまちの結果がでているのですが、Wikipediaに出ていた統計の中から、データが最も詳しかったCASのアンケート調査結果を一例として載せてみます。

信仰する宗教比率 (CASアンケート結果)
2006年1994年
カトリック敬虔な信者27 %67 %
神の存在に疑問を持っている信者15 %
神を信じてはいないが、伝統的に信者 9 %
カトリック信者 合計 51 %
プロテスタント3 %3 %
キリスト教 (宗派の特定なし) 4 %分類項目なし
キリスト教徒 合計58 %70 %
イスラム教4 %2 %
ユダヤ教1 %1 %
宗教なし31 %23 %
意見なし6 %-

アンケート調査によって数値が異なるわけですが、カトリック信者は45%~65%、プロテスタント信者は2~4%、イスラム教徒は3~8%が現状という感じでした。

プロテスタンティズムの最盛期のフランスでは、人口の10%(約200万人)がプロテスタントだったのに、宗教戦争後には5%程度までに減少したとのこと。その後のフランスではカトリックが絶対的な優勢を誇ったわけですが、近年の宗教離れはカトリック信者の減少が大きく影響しているように見えました。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
★ 目次: 戦争に触れて書いた日記

外部リンク:
☆ Wikipedia: ユグノー戦争
フランスの宗教 - ダニエル・エルヴェ=レジェ
☆ Wikipédia: Religion en France
☆ 社会実情データ図録: ▽世界各国の宗教


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カテゴリー: 歴史 | Comment (0) | Top
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2014/03/21
今回の旅行ではモンベリアールの町(Montbéliard)に行ってみたのですが、有名な観光地ではないので大したものはないだろうと思っていました。それで、ガイドブックも読まずに出発。


ガロ・ロマン時代の遺跡

モンベリアール市の近くに古代の劇場が残っているとのことでした。Epomanduodurumという古代都市があったところで、現在はMandeure市。

訪れる人は少ないらしく、観光案内の標識は近くまで行かないと出ていませんでした。探し出すのに苦労しましたが、ようやく発見♪


Théâtre gallo-romain de Mandeure

古代ローマ帝国に支配されていたフランスが、ガリアと呼ばれていた時代の遺跡は、フランス各地に点在しています。この劇場が建設されたのは1世紀のこと。

立派な大きさの野外劇場なのですが、ここにあった石は後世に再利用されてしまったので、観客席があったことが分かる程度にしか残っていません。ここからの出土品はモンベリアールの博物館に少し陳列されていました。


モンベリアール町にあるフランス最古のタンプル

モンベリアールの町には、フランスで最も古い「temple(テンプル)」がある、と聞いていましたので、それを見学するのを楽しみにしていました。

そのTemple Saint Martinは、モンベリアール市のど真ん中にありました。


Temple Saint-Martin de Montbéliard

「タンプル(英語式に発音したらテンプル」と聞いたら、ギリシャ神殿や仏教の寺院、つまりキリスト教ではない宗教建築物を私は思い浮かます。

それで、モンベリアールにあるタンプルも、古代ローマ時代の神殿か、それを改造して教会にした建物なのだろうと想像していました。

近くに古代劇場があるのですから、古代の神殿が残っていてもおかしくないではないですか?

古代ローマ時代の神殿はフランスにも残っています。 例えば、南仏のニーム市には、La Maison Carréeと呼ばれる神殿があります(右の写真)。


モンベリアールのタンプルはドアは閉ざされていて中に入れません。
仕方なないので、建物の周りをぐるりと歩いてみました。



あまり神殿らしくないけどな... と思いながら、建物を眺めてみる。
窓の上に三角の飾りが神殿風かな?...

でも、私は大きな勘違いをしていたのでした!


プロテスタントの教会は「テンプル」と呼ぶ

フランスでは、一般的な教会(つまり、カテドラルやバシリカなどではない普通の教会)は、「église(エグリーズ)」と呼びます。でも、それはカトリック教会にだけ与えられる名称であり、プロテスタント教会は「templeタンプル)」と呼ぶのでした。

この聖マルタンの名を掲げたタンプルであるTemple Saint-Martinは、始めからキリスト教の教会として建てられていたのです。

宗教改革がドイツでおこり、フランスでもプロテスタントが勢いを持った時代には、たくさんプロテスタントの教会が建てられたそうですが、ほとんど破壊されてしまったとのこと。

このモンベリアールのサン・マルタン教会は、フランスに現存する最も古く、最も大きなプロテスタントの教会で、1601年に建設が始まって、1607年に完成したのだそうです。

このプロテスタント教会の名前は、ただTempleとなっていたのですが、この教会の説明では、宗派はProtestant luthérien、教会のタイプとしてはÉglise évangélique luthérienne、となっていました。

つまり、マルティン・ルター(Martin Luther)の教えに従ったルター派の教会ということですよね。それで、日本では「ルーテル教会」と呼べるものなのだろうと推測します。

日本語だったら、このタンプルはサン・マルタン教会としておけば良いのではないですか? 詳しく言うなら、サン・マルタン・ルーテル教会とか...。


英語だったら、カトリックでもプロテスタントでも「Church(チャーチ)」で、「Temple(テンプル)」といったら日本と同じようにギリシャの神殿や仏教の寺を指すときに使うのではないかと思います。 モルモン教では、ChurchではなくTempleを使うようですが。

フランスのプロテスタントは、教会を「タンプル」と呼ぶのに抵抗がないのでしょうか? カトリックと同じ呼び名を使いたくなかったのは分る。でも、ギリシャの神殿や仏教寺院などと混同されない全く別の単語を作り出さなかった理由が分かりません...。

フランスのプロテスタント関係のサイトの説明をみたら、「タンプル」と呼ぶ理由がつけられていました。

タンプル(temple)の語源は、ラテン語のtemplum。これには「神の家」という意味があるのだそう。キリスト教のルーツに戻ろうとした宗教改革では、新約聖書にもある 「temple de Dieu(神の家)」という表現を使ったのだそうです。となれば、タンプルでも違和感はないのでしょうね。

同じキリスト教の建築物なのですから、外から見ただけでは大きな違いが見えません。カトリックかプロテスタントかの見分けがつかなかったら、一般的な単語になっている「église(エグリーズ)」を使って呼んでしまうのではないかな?...  正教会の教会堂は、フランスでも「église orthodoxe」と呼ぶのが普通だと思います。


Wikipediaにフランスにあるプロテスタント教会のリストが入っていたので眺めてみました:
CatégorieTemple protestant en France

名称は色々なのですね。教会堂の名前は、Templeだけではなくて、Temple protestantという名称になっているところもありました。観光ガイドなどではそう表記してくれれば、私は混乱しなくて助かるのですけれど...。

ところが、リストの中には、Églises(エグリーズ)となっているプロテスタント教会もありました。

カトリック教会がプロテスタント教会になったのか、あるいはその逆なのかと思いながら確認してみると、Église réformée(改革派教会)から来ているようです。

このréforméeの文字がついているのは、カルヴァン派ではないかと勝手に推測。ところが、さらにフランスのプロテスタント教会のリストを眺めると、Temple réforméという名称の教会もある。

ややっこしいのでお手上げ...。気にするのは止めることにしました!


日本語になった呼び名も色々...

フランスで見かけるカトリックの宗教建築物には色々な名があります。

カテドラル(Cathédraleというのは司教座がある教会。巡礼地の重要な教会であるなどの理由でランクが教会より上のものは、バシリカ(Basilique)として教会(Églises)より上のランクにされる。そのほか、参事会教会と訳すべきCollégialeもあります。修道院関係は、また別にあるので複雑...。

プロテスタントやロシア正教の方では独自の決まりに従った呼び名が異なるものの、カトリックの場合と同じようなランク付けがあるように見えます。

ブログに訪問した宗教建築物の日本語を書くときには、日本での呼び名がどうなっているのかを調べなければならないのですが、日本語の定番になっている名称で見ると、そういうランク付けの区分は無視している訳語があります。

日本にあるキリスト教の施設には「寺院」という語は用いないのではないかと思うのですが、ヨーロッパの建築物には与えているのですが、何を寺院にするかは決まっていないようです。

日本語で定訳ができているような有名な宗教建築物を拾ってみました。

種類仏語名称/日本での通称/場所建物外観
カテドラル
(旧教)
Cathédrale Notre-Dame

ノートルダム大聖堂
ノートルダム寺院


場所: パリ
カテドラル
(ロシア正教)
Cathédrale Saint-Basile-le-Bienheureux
英語: Saint Basil's Cathedral

聖ワシリイ大聖堂


場所: モスクワ(ロシア)
バシリカ
(旧教)
Basilique du Sacré-Cœur

サクレ・クール寺院

場所: モンマルトル(パリ)
バシリカ
(旧教)
Basilique Sainte-Marie-Madeleine

サント=マドレーヌ大聖堂

場所: ヴェズレー(フランス)
バシリカ
(旧教)
Basilique Saint-Pierre
伊語: Basilica di San Pietro


サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ寺院


場所: ローマ(バチカン)
大修道院
(イングランド
国教会)
Abbaye de Westminster
英語: Westminster Abbey

※教会部分は仏語でéglise、英語でchurch。

ウェストミンスター寺院

場所: ロンドン(イギリス)
カテドラル
(旧教)
Cathédrale de Westminster
英語: Westminster Cathedral

ウェストミンスター大聖堂


場所: ロンドン(イギリス)
大修道院
(旧教)
Abbaye du Mont-Saint-Michel

モン・サン=ミシェル修道院


場所: モン・サン=ミシェル
教会
(旧教)
Église de la Madeleine

マドレーヌ寺院


場所: パリ
教会
(旧教)
Église Saint-Sulpice

サン=シュルピス教会


場所: パリ
教会
(新教)
Temple du Marais

パリ・プロテスタント日本語キリスト教会
※日本語でも礼拝が行われる

場所: パリ
神殿Temple de Jérusalem
英語: Temple in Jerusalem、Holy Temple

エルサレム神殿


場所: イスラエル

(仏教)
Temple de la Mahabodhi
英語: Mahabodhi Temple

ブッダガヤの大菩提
マハーボーディ


場所: インド


何か見えてくるかなと思って並べてみたのですが、眺めてみても法則は見つけられませんでした。

一番初めに使った日本語の名称が残るのかもしれない。でも、建物の外観の雰囲気から大聖堂とするか寺院とするかを決めたのではないか、という気がしてしまう命名もありました。


フランスには、カトリック教会ばかりがあるのではない

ともかく、フランスで「タンプルがある」と言われたら、プロテスタント教会のことなのだろうというのを1番始めに考えてみるべきなのでしょうね。

歩いていてプロテスタントの教会だと言われたときがあったのを思い出すので、前にもタンプルという単語の1つの意味を覚えたのかも知れない。でも、フランス語が母国語ではない私に「タンプル」と言っても通じないだろうと思って、「プロテスタントの教会だ」と言ってくれたような気もします。

フランスには45,000くらいのカトリック教会があるのに対して、プロテスタントの施設は3,000くらいしかない、という記述がありました。 ちなみに、フランスにあるイスラム教の礼拝堂は2,400、ユダヤ教のは280、仏教関係の施設は150とありました(2011年現在)。

教会めぐりをするとして、カトリック教会が15に対して、プロテスタント教会が1つという割合ですか。

観光していて、そんなに頻繁にプロテスタント教会には出会わないので、なんとなく腑に落ちません。でも、教会を見学すると、装飾を鑑賞するにはカトリック教会の方なので、プロテスタントの教会があっても観光ガイドブックなどには出てこないからだろうとも思います。


フランス最古のプロテスタント教会の中は?

地元で出会った人の誰もが、サン・マルタン教会の中に入ることができると答えます。でも、私が教会の前を何回通ってみても、入口の門は閉ざされたまま...。

プロテスタント教会は装飾が簡素でしょうから、見られなかったのはそれほど残念ではありませんでした。それでも、フランスで観光する価値があるプロテスタント教会は少ないので、入れなかったのは心残りではあります。それで、インターネットで内部の様子を見せる画像や動画を探してみました。

Wikipediaに入っている「Temple Saint-Martin de Montbéliard」には写真が何枚も入っていました。

Temple SaintMartin Montbliard 02 

確かに質素ですが、おごそかですね。さすがに17世紀初頭の建築物だけに趣があります。パイプオルガンは18世紀半ばのもので、歴史的建造物に指定されているのだそう。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
☆ 動画: TEMPLE ST-MARTIN MONTBELIARD - 400e anniversaire de son élévation
Paroisse Protestante Montbéliard
Valeurs des temples protestants en France - Observatoire du Patrimoine Religieux
Temple : définition (Les temples protestants de France)


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2014/03/20
フランシュ・コンテ地方には時々行きますが、まだ観光したことがないモンベリアールMontbéliard)に行ってみました。


モンベリアール城

この町の観光スポットの1つは、お城。


Château de Montbéliard, Château des ducs de Wurtemberg

13世紀の城と言われますが、丸い塔についている四角い大きな建物に面白みがない...。

19世紀になって建物を大きくするために付け足したのかと思ったのですが、そうでもないらしい。18世紀当時のモンベリアール城も、こんな姿だったようです。

88 Württemberg und Mömpelgard Schloss Mömpelgard

下は19世紀半ばの銅版画。この方が、もっと前の姿に見えてしまう...。

Gravure du château de Montbéliard
Gravure représentant le château de Montbéliard(1840年)


塔の角度から城を見て、四角い建物が見えないようにするのが最も美しい角度になりそう。


限定レア美品ピンズ◆モンベリアルお城ピンバッジフランス


観光客は行かない町だったの?

見惚れるほど美しい城だとは思わなかったのですが、城壁から見上げる角度を変えて眺めたり、写真を撮ったりしました。

ベンチのところにたむろしていた男の子たちがいて、私に声をかけてきました。
「立派な城でしょう? 公爵さまが建てたんだよ。もちろん、むかしの公爵だけどね」

こういう場合、どう反応して良いのか分からない。高校生くらいの男の子たちなので、ちょっと怖い気もするので。適当に相槌を打って離れました。

そのあと、銀行のATMでお金をおろそうとしたら、カードが入らない。誰もいないから使おうとしたのですが、それは銀行口座にお金を入れるときに使う機械なのだ、と隣りの機械で操作していた人が教えてくれました。

ちょっと冗談を言っておしゃべり。モンベリアールの観光に来たと言うと、笑顔で答えられました。
「えぇ~、モンベリアールに観光客?!」

そうか...。この町にはほとんど観光客が来ないらしい。城の説明をしてくれたさっきの男の子たちも、観光客が珍しいから声をかけてきたのでしょうね。

気がつけば、町を歩いていても観光客らしき人が見えない。まして、バスで来たような団体さんの姿はない。確かに、観光を終えても、ここに来て良かったと感動するほどのものには出会いませんでした。モンベリアールは歴史が残る町に与えられる「Villes et Pays d'art et d'histoire」となっていて、これに入っている町は魅力的なのが普通なのですけど。

それでも、フランスの普通の町とはどこか違う雰囲気がある町なので、行ってみたのには価値があったと思いました。

クリスマスマーケットはフランスでは有数の大きな規模のが開かれるのだそう。考えてみると、クリスマスマーケットというのはドイツで盛んな風習だものな...。


ドイツだったことがあった町

何も下調べしないで行ってしまったので、この日記を書きながらモンベリアールの歴史を少し調べてみます。

モンベリアールの町は、モンベリアール伯領(Principauté de Montbéliard)が成立した1042年から、フランスに併合された1793年まで、神聖ローマ帝国(Saint-Empire romain germanique)に入っていた。 15世紀、女子相続人のアンリエットは、嫁ぎ先のヴュルテンベルク伯家(ドイツ)に、モンベリアル伯領を始めとするドイツ国境の広い領主権もたらした。

モンベリアール城が「ヴュルテンベルク公たちの城」と呼ばれるのも、それが理由でした。

フランスになってからも県がコロコロ変わったりして、複雑な歴史を持った町でした。ともかく、この町はドイツの影響が強いのだというのを頭に入れておかないと理解できないことがありました。




ジョルジュ・キュヴィエが生まれた町

城の外観もさほど美しくないと思ったのですが、内部の観光も少しがっかり。古い建物を眺めるのが好きなのに、内部はきれいに改造されたミュージアムになっていて、城がどんなだったかがほとんど見れない。あったのは台所だけ。

絵画も地元の画家たちのもので、感動を与える作品がない...。

おまけに、私は動物の剥製が嫌いなのに、それがたくさん陳列してある。

この展示は、モンベリアールで生まれたジョルジュ・キュヴィエにちなんでいたのでしょうか?

キュヴィエ(Georges Cuvier: 1769~1832年)は博物学者・解剖学者・比較解剖学者。

とはいえ、私はこの分野には全く知識がなく、パリの国立自然史博物館(Muséum national d'histoire naturelle)で彼の名前を覚えたのではなかったかという気がします。

でも、彼が唱えた天変地異説(Catastrophisme)は、どこかで聞いています。マンモスがなぜ地球上から消えたかというお話しでしょう? キュヴィエの名前も学校で習っていたのかもしれない。

http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%A4%89%E5%9C%B0%E7%95%B0%E8%AA%AC


キュヴィエはフランスが誇る学者なのですが、彼が生まれたときにはモンベリアール町はドイツで、町の名前もメンペルガル(Mömpelgard)だった...。

市役所前の広場にはキュヴィエの銅像が建っていました。



彼が生まれた家だと示すプレートを掲げた家もありました。



Maison natale彼が生まれた18世紀後半。

こんな建物だったというのは信じられない気がする...。

Wikipediaに彼の生家を描いた絵がありました(右の絵)。

これだと、感慨にふけれそうですよね。
味気なく改装してしまっているのは残念...。

でも、見比べてみると、現在の建物は昔の姿より1フロワー多いです。屋根裏部屋を大きな窓をつけたフロワーにしたのか、建物そのものを全く新しくしてしまったのか?...

せっかくなのだからキュヴィエについて調べてみれば良いのに、つまらないことを気にしてしまった...。

彼が唱えた天変地異説(Catastrophisme)などは、とても面白そうに見えます。でも、こういう分野は本当に苦手...。

 
化石の記憶―古生物学の歴史をさかのぼる (Natural History)

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ

外部リンク:
☆ Wikipedia: モンベリアル伯領
☆ Wikipedia: ヴュルテンベルク
パリ自然史博物館・古生物学比較解剖学展示館
キュビエ
☆ Les Villes et Pays d'art et d'histoire: 地図(フランス全土167の町)


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2014/03/18
旅行したフランシュ・コンテ地方では酪農が盛んです。まだ牛を放牧するには早すぎるかもしれないけれど、5月の陽気などと言われるこの頃なので、もう出てきているのではないかと期待しました。

いました、いました♪
この地方の牛、モンベリアルド(Montbéliarde)という種類の乳牛です。



この品種の牛から作った乳製品が私は一番好き。美味しいだけではなくて、姿も可愛いと思います。

フランシュ・コンテが産地のチーズとしてまず思い浮かぶのは、コンテ。それから、モルビエ。

でも、季節限定のチーズ、モンドールがあります。今年は1回もモンドールを食べなかったのに、もうそろそろ販売しなくなる。 買って帰ることにしました。


シーズンが終わりが近づいたモンドール

地元に住む人から薦められていたのはナピオ社(Napiot)のモンドールなので、それを買おうと思ったのですが出会いませんでした。それで、旅行の最後に立ち寄った店にあったバドーズ社(Badoz)のものを買ったのですが、これが非常に美味しかったのでした。

調べてみると、Badozは1830年創業で、自分のところでチーズの熟成をしている家族経営会社。良いメーカーのようです。

バドーズという名前とパッケージを覚えておこうっと。



バドーズのモンドールのパッケージの画像を入れようと思って、楽天市場で売られてモンドールを眺めたのですが、1つ発見。

日本ではメーカーは余り気にしないようですね。トップはナピオ社のものになっていて、それに続く説明のところの画像がバドーズ社になっている、というのがかなりありました。ナピオのはモン・ドールの産地に住む友人のお勧めだと教えてくれたメーカー。 バドーズは、今回見つけて満足したメーカーなので、どちらでも良いのですけど。

モンドール・チーズを楽天市場で検索

モンドールは、簡単にできてしまうチーズフォンデューのようにして食べるのが好き。作り方は、チーズについてきたバドーズ社のレシピに従って作りました。それが良かったから美味しかったのかもしれないのでメモしておきます。
  • モンドールチーズは、1人あたり200グラムとする。
  • 箱を開けたら、チーズの中央に直径3センチの穴をあける。そこにジュラの白ワインを入れて穴を埋め、ニンニクと胡椒を入れる。
  • 箱をアルミホイルで包み、オーブンに入れる。温度は7のポジション。20分焼いて表面に焦げ目をつける。チーズをトロリとさせたいなら、焼いている間にかき混ぜる。
  • 茹でたジャガイモ、ハム・ソーセージ類と一緒に食べる。

ニンニクは中の芯を取り除くために半分に切ったままで差し込んだのですが、食べるときにはすっかり溶けていました。


レシピは当然ながら地元のワインを薦めていました。でも、私はジュラのワイン、特にサヴァニャンという品種のブドウから作ったワインが好きではありません。

それで、普通に、ブルゴーニュ白ワインを使いました。

いつもより美味しく感じたのは、癖が強いジュラのワインは使わなかったせいかもしれない。


濃くがあって美味しそう
 コンテとモンドールで作るチーズフォンデュー


チーズについてきたレシピには、モンドールとコンテを使ったチーズフォンデューの作り方も書いてありました。これもいつか作ってみたいのでメモ。

材料:
コンテ 700g、モンドール 300g、辛口白ワイン 50cl、ニンニク、胡椒

作り方:
  • 鍋の底にニンニクをこすりつける。
  • コンテチーズを鍋に入れて熱し、白ワインを加えてかき混ぜ続ける。
  • コンテが溶けたらモンドールを加えてかき混ぜる。
  • 胡椒を加えてできあがり。

実はフランシュ・コンテ地方を旅行したときにレストランで食べたチーズフォンデューが余りにも美味しかったので、あれはどうやって作ったのかと気になっているのです。

これが、その忘れられないフォンデュー:


一番好きなチーズ・フォンデュはコントワーズ 2012/12/29

モンドールがほんの少し入っていたのではないかと思ったのですが、違うかな?...


モンドール・チーズにはフランス産とスイス産がある

モンドールは年に1回か2回くらいしか食べないので、私には身近なチーズではありません。

Mont d'Or」と綴るのですが、スイスでも似たようなのを作っていて、スイスの場合は「Mont-d'Or」とハイフンを入れたスペルになるのだそう。

フランスのとスイスのとの違いを比較してみます。
 フランス産スイス産
名称Mont d'Or
あるいは
Vacherin du Haut-Doubs
Vacherin Mont-d’Or
あるいは
Vacherin
ミルク生乳加熱処理乳
牛の種類montbéliarde
あるいは
simmental française
特定なし
生産地の標高700 m特定なし
生産時期8月15日~3月15日8月15日~3月31日
販売時期9月10日~5月10日9月~4月

日本に輸入されているモンドールにも、スイス産のはないように見えました:
モンドール・チーズを楽天市場で検索

フランスのサイトでスイス産のモンドールを検索しても、売っているのは全く見えない...。

こうなったら、やけになる。しつこく探してみたら、日本で扱っているショップを見つけました。フランス産がクリーム色なのに対して、スイス産は少しオレンジがかった色をしているのだそうです。

こちらのショップが、その色の違いを写真で見せてくれています:
モンドールチーズ ~言葉を失うおいしさ~

この日本のサイトでは両方扱っていて(両方とも在庫切れですが)、500グラムのモンドールが、フランス産は3,220円、スイス産は4,620円となっていました。

現地価格を比較できないので分りませんが、仕入れ値で決めているのでしょうから、スイス産の方が高額なのだろうと推測します。スイスは物価が高いので、フランス産より規制が厳しくなくて作れるとしても売値が高いのは納得できます。となると、フランスのネットショップでは、安い国産品しか扱わないのも無理はないと思いました。

ルモンド紙に、フランス産とスイス産のモンドールについての記事があったのですが、記事の最後はこう結ばれていました。
― もしもあなたがパリでmont-d'or(スイス産)を探そうとするなら、頑張ってくださいね。私はmont d'or(フランス産)しか見つけることができませんでした。


フランス産とスイス産のモンドールの製造法の違いを比べてみると、私はAOC/AOP(原産地呼称統制)を持っているフランス産のモンドールの方が美味しそうに見えました。

第1の理由は、フランス産のモン・ドールはモンベリアルド種かシマンタール種の牛のミルクしか使っていないこと。この地方を旅行すると、牧場にはモンベリアール種の牛の姿ばかりみるので、シマンタールは少ないと思う。もしもホルシュタインのミルクで作っていたら、同じ名前のチーズでも、味は180度変わると思います。

第2は、スイス産のモンドールは低温加熱処理をしているそうなので(57度~68度で20秒間)、ミルクの本来の味が落ちてしまっているのではないかと懸念すること。

最近のフランスのチーズメーカーでも、危険を避けるために低温殺菌をすることが多くなっています。例えば、カマンベールでも、大手メーカーは低温加熱殺菌をするようになってことが多くなって、カマンベールの味が落ちたというのがカマンベール・ファンの間では話題になっています。加熱したらAOC/AOP付きのカマンベールとしては売れませんが、大手メーカーでは売れるのだから気にしない!

スイスのモンドールは、1987年にリステリア菌の混入問題があったのだそう(死者34名)。真っ先に言われたのは、殺菌をしていない生乳を使っていたからだろう、ということ。でも、すでにスイスのモンドールは、1985年にサルモネラ菌混入問題があった後、低温殺菌のミルクしか使っていようになっていたのでした。

近代的な設備でチーズを作ると清潔そうに見えますが、私は昔ながらの製法の方が好きです...。


追記:

バドーズ社のモンドールは初めてではなかった

写真アルバムを眺めていたら、バドーズ社のモンドールの写真が入っていたことに気がつきました。このメーカーのは美味しいからパッケージデザインを覚えておこうと日記に書いたわけですが、なあんだ、初めて食べたわけではなかったのだ...。



フォンデューにするのに便利なように、ジュラのワインの小瓶が付いているというタイプのもの。冬になるとスーパーで山積みして売る特売品のモンドールだったのではないかな?...

このときは、オーブンで焼いた写真もとっていました。



美味しかったように記憶してはいるのですが、感激してブログにしたりはしていませんでした。今回のが格別に美味しく感じたのは、産地で買ったために、冷蔵庫などには保管されていなかったからなのではないか、とも思います。 チーズは生き物なのですよね...。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 乳製品(チーズ、バター、生クリーム)に関して書いた日記
   ⇒ フランシュ・コンテ(ジュラ)地方のチーズ
★ 目次: レシピ、調理法、テーブルウエアについて書いた記事

外部リンク:
☆ Le Monde: Il y a mont d'or et mont-d'or
LE MONT D'OR - L'authentique fromage de montagne du Haut-Doubs


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2014/03/17
もう花の時期は過ぎてしまったのですが、Perce-neige(ペルス・ネージュ)という花があります。日本での呼び名はスノードロップ。

perceはpercer(突き刺す)から来ているのでしょう。それに続く「neige」は雪。まさに雪の中から尖った細い葉をのばしてきて白い花を咲かせます。

2009年2月16日撮影
★ この写真を入れた日記: 寒さの中で咲く花 2009/02/17

スノードロップはよく庭先に咲いているのを見る花なのですが、この野生種があると聞いていました。「野生の方がずっと美しい」と、知り合ったフランスの植物学者が言っていたので、写真を探し出して眺めながら、どんな花なのかと想像していました。

どこか特殊なところに咲くのでしょうから、私が見る機会はこないだろう、と思っていました。

ところが、出会ったのです!


スノーフレークの花畑

フランシュ・コンテ地方を旅行していたときのこと。Saint-Hippolyte(サンティポリット)という村で立ち寄った観光案内所の人が、少し山を上がったところにロマネスク教会があって、壁画も残っている、と言いました。

それでは見てみたいと思って山を上がっていくと、車の窓から白い花が群生しているのが見えました。この時期の森の地面を埋めて咲く「森のアネモネ」という花だろうと思いました。

森のアネモネというのは、こんな花 ↓
anémone des bois (森のアネモネ)
フランスの森に咲くアネモネ 2005/04/14

でも、道路端にある株をみると、森のアネモネではないように見える。
車を止めて、咲いていたところまで歩いて戻ってみました。



道路から1メートルくらい足を踏み入れた場所に1株あったので、どんな花なのかが見えました。

森のアネモネとは全く違う!

これは長年見たいと思っていたスノーフレークという花だろうと思いました。

下の方に大きな花畑ができているのですが、急勾配なので下りてみることができません。友達の姪御さんが、スイスでエーデルワイスの花を見て喜んで近づこうとしたら崖から転落して死んでしまった、なんていう話しをしていたのを思い出しました。



私には幻の花のように思っていたのに、こんなにたくさん咲いているとは...。でも、こういう人が近づけない場所だからたくさん咲いているのでしょうね...。たまたま通りかかって見つけたのは本当にラッキー。

この花の名前は、フランス語ではNivéole de printempsです。

「nivéole」とはラテン語のniveus(雪の)から来ていて、それに「printemps(春)」が付いている。つまり、この花の名前は「春雪」という感じでしょうか?

日本では、英語でスノーフレークと呼ぶそうです。snowflakeとは、雪片。

スズランにも似ていますが、みごとな花です。花弁の先に模様がついているのも美しい。下を向いているので写真をとるのがままなりませんでしたが、どうにか撮影してみました。



花弁の先の模様は、黄色いのと緑色のとがあるようです。私は両方見たように思います。始めは緑色の点で、開花すると黄色くなるのではないか、という気もするのですが...。

花のアップを何枚も写真にとったのに、みんなピンボケ。Wikipediaにコピーライトがない写真が入っていたのでお借りします。

Leucoium vernum 411-36

スノードロップのように背が低い姿を想像していたのですが、今の時期に咲く黄水仙と同じか、それより少し背が高かったです。


教会にも...

いつまでも花に見惚れているわけにはいかないので、目的地のロマネスク教会に向かいました。


Eglise Saint Léger des Terres-de-Chaux

言われたように壁画が残っていました。

でも、私の目を釘付けにしてしまったのは、祭壇の上にあった花瓶。



あの崖から落ちるのを覚悟しないと摘めない花が、黄水仙と一緒に飾ってあるではありませんか?!

保護植物ではないの?...
書きながら調べてみると、摘んではいけないという県もあるのですが、ここドゥー県では禁止されていませんでした。

ともかく、信者さんが摘んできて飾っているということは、さきほど見たような崖っぷちではないところにも咲いているのだろうと思いました。

それで、教会を後にしてドライブを続けてからは、注意深く周囲を観察しました。


そんなに咲いていると、希少価値が薄れてしまう...

びっくり。この辺りでは、道端に、いくらでもスノーフレークが咲いているのでした!



あっちにも、こっちにも... という感じ。



少し森に入る土地だと、地面を覆い尽くしています。これほどたくさん咲いているとなると、写真を撮っている気にもならなくなる...。

でも、見ることはできないだろうと思っていた花に出会えたのは感激!


スノーフレークについて調べてみる

群生しているのを見たのは、標高800メートルという土地でした。ある程度の高地でないと育たないのかと思ったのですが、そうでもないようです。

この花が咲いているのが観察された土地を示したフランス地図をみると、アルザス地方に多いように見えました。でも、わがブルゴーニュでも観察されていたのでした。

スノーフレークは園芸用としても販売されていました。庭に球根を植えてみたいな...。だって、スズランのように香りはないものの、可憐な花なのですもの。


市販されているスノーフレークは、私が見たものとよく似ている。それが簡単に園芸店で買えてしまうというのは、ちょっと面白くない...。

日本でスノーフレークと呼ばれている植物には色々あるようで、アジサイなど、全く関係ない花も入っていました:
スノーフレークの苗物を楽天市場で検索



学名から探し出さないといけないのでしょうね:
Leucojumで検索

これで、ほぼ特定できました。

出てきた「秋咲きのスノーフレーク」というのは、全く異なった花に見えますが、学名はLeucojum roseumで、同じファミリーのようです。


スズランを思わせるスノーフレークには2種類あって、市販されているのは「夏の」とついた種類のもののようです。

その方が背が高いのだそう。となると、簡単に球根を手に入れることができる花は、可憐さには欠けるように感じます。

フランスの名称でも、「Nivéole(ニヴェオル)」という花には、「春の」とつくものと、「夏の」とつくものがありました。

夏のニヴェオルは、春のニヴェオルより大型で、40センチから60センチも背の高さがあるのだそう。私が見たのは「春の」の方のはずですが、せいぜい30センチくらいの背の高さでした。
学名仏語名英語名日本語名
GalanthusPerce-neigeSnowdropスノードロップGalanthus elwesii var monostictus 01
Leucojum vernumNivéole de printempsSpring snowflake
鈴蘭水仙

スノーフレーク
Leucojum vernum01
Leucojum aestivumNivéole d'étéSummer snowflakeLeucojum aestivum6
※ 仏語名にあるリンクはWikipediaへ。


追記:
コメントをいただいて、教会にあったフレスコ画が改めて眺めました。


L'église de Terres de Chaux

12世紀のロマネスク教会なのですが、改築が進んだので外からは何でもなさそうに見える教会です。ところが、2005年に修復したとき、偶然にも15世紀に描かれたフレスコ画が出てきたのでした。特別に美しく描かれた壁画だとは私は思わなかったのですが、これだけ見事な保存状態で出てきたらさぞ感激したでしょうね。 ロマネスク教会は建てられた当時はどこも内部の壁面がフレスコ画で覆われていた、というのを彷彿とさせてくれる教会でした。

受胎告知の場面、2人の天使に支えられたSuaire de Turin(トリノの聖骸布)などがはっきり見えます。

聖骸布が気になったので調べてみたら、この教会からほど遠くないところにあるサンティポリット(Saint-Hippolyte)の教会Collégiale Notre-Dame de Saint-Hippolyteでは、1418年から1452年まで聖骸布を保存していて、それがシャンベリー、さらにイタリアのトリノに渡ったということになっているのだそう。

Le Saint Suaire de Notre Seigneur Jésus-Christ envoyé en France à la IVème Croisade et confié au Comte Humbert de la Roche Saint Hippolyte par les chanoines de Lirey en Champagne (Acte du 6 juillet 1418), a été vénéré dans cette chapelle pendant trente quatre ans avant d’être cédé au Duc Louis de Savoie et à son épouse Anne de Chypre par Marguerite de Charny veuve du Comte Humbert.
- Lettres de Chambéry 1452


聖骸布については、真偽のほどに議論があるというのを聞いている程度。こんなところが関係していたなどとは想像もしないで見ていました。


 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 森や野原に咲く春を告げる花々
★ 目次: フランスの田園に咲く野生のラン
★ 目次: 宗教建築物に関する記事

外部リンク:
Leucojum vernum - Nivéole de printemps, Nivéole printanière (Inventaire National du Patrimoine Nature)
Nivéole du printemps (Leucojum vernum) (Photographie)
Leucojum vernum - Nivéole (Fleurs des Hautes-Alpes)
La Nivéole du printemps

Visite de l'église Saint-Léger des Terres de Chaux
Eglise Saint Léger des Terres-de-Chaux
Saint Hippolyte sur le Doubs
Les Mystères du Rosaire
Saint Ferréol et saint Ferjeux


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カテゴリー: 植物 | Comment (10) | Top
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