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2016/02/27
パリにあったワイン市場のことを書きながら情報を探していたら、フランス人がワインを飲まなくなってきているというデータが出てきていたのでメモしておきます。

シリーズ記事目次 【フランスのワイン産地】 目次へ
その23

パリでは、17世紀前半に作られたワイン市場では狭くなってきたので、19世紀半ばにはもう1つのワイン市場が作られたという話しを書いてきました。フランス人は19世紀にワインを非常に飲むようになっていました。

1955年には、1年間に平均143リットル飲んでいたとのこと。1年を365日として割ると、1日0.4リットルくらいですか。お酒を飲まない人もいたでしょうから、飲む人はかなり飲んでいたということでしょうね。


フランス人はワインを飲まなくなっている

20世紀後半からワインの消費は減少して、1996年には67リットルにまで下がったとありました。およそ40年の間に、ワインの消費は半分以下になったということですね。

下は、1961年から2014年までのアルコール飲料の消費を示したグラフです。


Alcool : évolution des quantités consommées par habitant - OFDT

スピリッツ(Spiritueux)とビール(Bières)は殆ど変化していません。ワイン(Vins)が激減しているので、全体(Ensemble)と同じ下降線を表しています。

赤いラインがワインの消費量。3分の1くらいにまでに落ち込んでいますね。

フランス人たちのお酒を飲む量が激減したのは、酒飲み運転の規制が厳しくなってからだと思っていたのですが、そういう風にはグラフからは見えませんでした。むしろ、ここ15年くらいは横ばいに近い状態になっています。飲まなくなったと私が感じたのは、彼らが外出しているときの姿なので、全体にはひびかないのかもしれない。

この統計では、15歳以上を対象として、アルコール飲料を1人が1年間にどのくらい消費しているかを示しています。純粋アルコールをリットルで表していると説明してあるのですが、度数で換算したということなのかな?...



下のグラフは、どのくらいの頻度でフランス人たちがワインを飲んでいるかを示しています。


La consommation de vin en France en 2015

色が濃い部分が、いつも飲んでいる人(2015年で16%)。毎日か、ほぼ毎日という飲み方。
最も薄い色の部分が全く飲まない人の割合(2015年に33%)。
中間に位置するのは、時々飲む人(2015年に51%)。

1980年からずっと、全体的に飲まない傾向に移動したわけですね。1980年には、ほぼ半数が毎日のように飲んでいたのに、今では半数は「時々飲む」となっている。

いつもワインを飲む人の割合は、平均すると16%しかいませんが、年齢によって高くなっていました。50~64歳で23%、65歳以上だと38%。

ワインをたくさん飲むのは、やはり男性の方ですね。1980年には、男性の8割が毎日のようにワインを飲んでいましたが、女性は37%。2015年には男女差が縮まって、男性で23%、女性で11%に減少しています。



年間に何リットルのワインが販売されたかを示すデータがありました。15歳以上を対象にしたアンケート調査結果です。

http://www.mon-viti.com/sites/default/files/images/conso_france_1960-2015.png
Les Français et le vin : bientôt l’abstinence ? 15/10/2015

1人当たりのワイン消費量をグラスの大きさ示しています。

1960年には、ワインの消費量は4,600万ヘクトリットルで、一人あたりに年に100リットル。

2015年には、全体で2,720万ヘクトリットルとなり、一人あたりは年に42リットル。ボトルにすると56.4本。計算に弱いので書かない方が良いのだけれど、1週間でボトル1本を飲むという計算かな?... 全くワインを飲まない大人がいるわけですから、そんなに少なくはないのかもしれない...。


バック・イン・ボックスでワインを飲むようになった?

2015年のワイン雑誌サイトの記事に、こんな図が入っていました。フランス人ひとりあたりを示しています。


spiritueux magazine: Infographie, Les chiffres de la consommation du vin en France 17/10/2015

1人あたり、平均すると年にワイン代として2万円くらいをかけてているということですね。

計算すると、ボトル1本300円? そんなに安いワインを飲んでいるのかな?...

ブルゴーニュにいると美味しいワインを安く買えますが、水代わりに飲むワインだって、1本千円くらいはするけど...

でも、最近の傾向として、ボトル詰めではなくて、カートンに入ったワインを買う人が増えているのだそう。

フランスでも英語で「Bag-in-boxBIB)」と呼ぶもの。

http://nemesis-fc.fr/les-bib/
Les BIB | Fabrice Chaudier

これは2014年の記事。Bag-in-boxで買われるワインの割合は35%になっていますが、もっと最近の記事だと40%という数字が出てきています。

ワインの梱包方法による分類では、売り上げが伸びているのはバッグ・イン・ボックスだけです。

カートンの中にはビニール袋に入ったワインがあって、飲んでいっても真空状態で保存できます。

保存期間は3カ月くらい。

袋に入っているワインを水道の蛇口から出すようにして、好きなときに、好きなだけグラスにつぐことができます。

ワインをあけても飲み切らない人だったら便利でしょうね。この売り上げが伸びたのも、ワインを余り飲まない人が増えたからかもしれません。

そして、ボトル詰めではなくて、こういうのをフランス人が多く買っているのだとしたら、ワイン代が安いのは納得できます。


BIBが多くなったというので情報が出ているのでメモ。

このシステムは、1955年に発明されたのだそう。

Bag-in-boxというのは商標登録されているので、フランス語で言うならfontaine à vin。フランスに普及したのは1990年代の後半なのだそうです。

瓶詰ではないので日本に持ち帰るのに便利だと喜んだころに書いたブログは2005年でした。

持ち運び便利なワインを買う 2005/03/16

ワイン農協で、シャブリの10リットル入りが80ユーロ(約11,000円)だったと書いていますね。

10年前にブログを書いたときには、日本ではバッグ・イン・ボックスがほとんど売られていなかったのですが、今調べてみたら、かなり出てきました。日本にも流行が移ったのかな?...

バック イン ボックスを楽天市場で検索

その後は、ワイン農家で買えるようになったので、シャブリの農協で買うことはなくなりました。

私はフランスで水を飲むとお腹を壊してしまうので、常に冷蔵庫に白ワインのバッグ・イン・ボックスを入れておくようになりました。

ワイン農家は幾つかあるのですが、いつも軽くてフルーティなマコネの村の名前がついた白ワイン。

例えば、右に入れたサン・ヴェラン。

私は幾らで買っているかな?... 大量にワインを買うので、お得意さん価格にしてくれるのですが、ボトル1本に換算したら600円くらいかな...。

でも、さっきの統計にあったボトル換算で1本300円にはならないです。

ワイン産地に住んでいない人たちは、たぶんスーパーで買うのだろうと思います。すると、かなり質の悪い、AOCなどは取っていないワインが並んでいるのです。そういうのを買っているとしたら、そのくらい安い予算でワインが飲めてしまっているかもしれない。

ともかく、バッグ・イン・ボックスの売り上げが伸びていると聞いて納得できました。以前はワイン農家の人たちは作りたがらないので、日本に買える少し前には予約したりして確保していたのですが、最近は比較的簡単に手に入りますので。

BIBを話題にしたニュースもありました。


RTBF LA UNE bibovino

上質ワインを入れたBIBを扱う店も登場したと言っていました。それは賢いと思う。上質のワインを入れれば、ボトル詰めとそう違わないのですから。

フランスでは頻繁にある20人以上、50人以上集まるパーティーでも、10リットル入りのカートンはとても便利なのです。

セルフサービスのワイン(下)
 


フランス人は世界で一番ワインを飲む国民

フランス人のワイン消費は激減したということは、飲まなくなっているということではないようです。外国での消費と比較すれば、フランスは相変わらずトップレベルでワインを飲んでいました。

下は国別のワイン消費量を示した図(2013年)。

http://www.primus-soft.fr/uploads/filemngr/consommation%20vin%20france%20erp.jpg
Les Français boivent moins souvent du vin, mais l'apprécient plus 14/10/2015

消費量は、フランス人がトップで1人当たり年間42.7リットルを飲んでいる。日本人は2.7リットルなので、フランス人の16分の1ですか。そんな差ではないと感じるのですけれど...。

緑色の矢印は2010年と2013年を比較した消費量。アルゼンチン、日本、中国が伸びています。

ところで、住民一人あたりのワインの消費量が最も多いのは、実はバチカン市国なのそう。税制が異なるのでランキングには入らないだけとか。別のソースでは、フランス人は一人年間44リットルだけれど、バチカンでは73リットルと報道していました。

カトリックの総本山があるので、ミサでワインが使用されるから多いのかと思ってしまいますが、そうではない。バチカン市国の人口は800人しかいないけれど、健康客が多いので単純に割り算するとそうなってしまう。それから、税制が特殊で、バチカンの従業員と退職者はスーパーでアルコール飲料を安く買えるパスがあるのも原因ではないかとみられているそうです。


ワインの消費に関するフランス情報を検索していると無限に出てきてしまうので、データを眺めるのはこのくらいにしておきます。

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その23



ブログ内リンク:
★ 目次: ワインの消費、ビジネス、飲酒規制、歴史など
★ 目次: ワイングッズ、ワインのボトル、グラス、コルクなど
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
Enquête sur la consommation de vin en France en 2015
La consommation de vin en France en 2015
Espace Champagne: Consommation de vin en France en 2015 
Alcool évolution des quantités consommées par habitant
Les Français boivent toujours trop 12/04/2013
Les jeunes Français reprennent goût au vin
Insee: Boissons alcoolisées : 40 ans de baisse de consommation 2004
Les Français au top mondial des buveurs de vin, après le Vatican
Les Français préfèrent boire de l'alcool à la maison
Le Bib prend du volume quand la bouteille prend de la valeur
Les BIB
Le Bag-In-Box® ne connaît pas la crise.
Le « Bib » peut-il remplacer les bouteilles ?
Chiffres clefs de la filière vin
Les stéréotypes du buveur
Bonne et mauvaise ivresse


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フランスのお酒 (ワインなど)



2016/02/16
パリのベルシーにあったワイン市場(Entrepôt de Bercy)が生んだ料理「アントルコート・ベルシー(Entrecôte Bercy)」について前回書きました。

市場で働く人たちが、修理もできなくなった古い酒樽を燃して、アントルコート(肩ロース肉)をバーベキューして食べていたのがパリの郷土料理となっていたのです。

アントルコートと聞くと牛のステーキ肉を思い浮かべるのですが、彼らが食べていたのは馬肉のステーキだったのを知りました。

パリとワインの関係 (3): ベルシー地区にあった酒蔵
パリの郷土料理: アントルコート・ベルシー

今では売っているのも稀にしか見かけない馬肉。それを彼らが食べていたのには何か理由があったのだろうか?...

3年前には、牛肉を入れているはずだった加工食品に馬肉が混入していたというスキャンダルがあり、盛んに報道されていました。

イギリス人は馬肉は絶対に食べないそうで、大変なスキャンダルになったと言われました。フランスは多少は馬肉を食べるので、このスキャンダルは不法表示が大きな問題だったように思います。おかげで馬肉の存在を思い出したフランス人が食べてみたら美味しいので、馬肉の売り上げが少し上がったとも聞きました。



私はカエルやエスカルゴも好きなのでゲテモノ食いだと思うのですが、馬肉には抵抗を感じます。ペットにする動物を食べてしまうような気分になるからだろうと思います。

でも、フランスで馬肉を食べることについては少し興味もあったのです。

2年前にフランスの戦後の農業史についてブログで書いたとき、馬肉を食べる話しが出てきたからです。戦後のフランスではアメリカからトラクターが入ってきて、それが普及するのに伴って従来は農作業で使っていた作業馬がいらなくなったので食べてしまった、というお話し。

戦後に農業がどのように変わってきたかを見せるドキュメンタリーについて書いたのですが、こんな場面がありました:
  • 戦後、アメリカからトラクターが船で送られてくる
  • 屠畜場におくられた馬は200万頭
  • 町には馬肉専門店ができ、政府も馬肉の消費を奨励する
  • キリスト教の団体が、殺される馬に水をかけて最後の秘跡を授けている


フランスでは、1980年ころから馬肉をあまり食べなくなった

馬肉混入スキャンダルに関する記事に入っていたグラフがありました。過去40年間に馬肉を食べるのは5分の1になったとあります。


Viande chevaline : peu de contrôles et pas de traçabilité 11/02/2013


1980年代に入ってから、目だって馬肉の消費量が減少しているのがグラフに表れています。現在では、フランス人が食べる肉の中で、馬肉が占める割合は0.4%に過ぎないのだそう。

でも、これは1970年からの馬肉の消費を示しているだけ...。

馬肉の生産に関する報告レポートを農業省関係組織が作っていました。こちらには、1956年から2013年までのフランスにおける馬肉の消費を表したグラフが入っています。


La production de viande chevaline en France des années 1950 à aujourd'hui 


馬肉ステーキのレシピを誕生させたパリのベルシー地区にワイン市場が作られたのは1869年。その役割を終えて消えていこうとし始めたのは1960年に入ってから。1980年ころからベルシー地区の再開発が始まり、今ではワイン市場の一角が公園などとして残っているだけ。

戦前の馬肉の消費はグラフでは分からないのですが、少なくとも戦後、ベルシーのワイン市場で働く人たちが大勢いた時代には、馬肉がかなり消費されていた、というのと一致しますね。

名物料理になったアントルコート・ベルシーは、いらなくなった酒樽を燃したわけですから、酒樽が古くなってから食べるようになったはずですから、このグラフで消費量がピークになっていた時代に料理が生まれたのかもしれません。


馬肉を食べることが禁止されていた

ベルシーのワイン市場ができたのは1869年。それとほとんど同じ時期、1866年に馬肉を食べることが法律で認められたのだそうです。つまり、それまでは、馬肉を食べることは禁止されていた。

フランスで馬肉が食べられる歴史を書いたレポートがあったので、斜めに読んでみました。hippophagie(馬肉食)なんていう単語が存在するのですね。

馬ならchevalですが、競馬場はhipodromeだから「イポ」と馬は結びつきます。hippo-という接頭語は古代ギリシャ語で「馬」のこと。

イポという発音を聞いて思い出すのは、hippopotamus(カバ)。
とすると、カバって馬の種類だったの? という疑問を持ってしまったのですが、hippopotamusは古代ギリシャ語の ἱπποπόταμος(hippopótamos)から来ていて、これは「川の馬」という意味だったのだそう。気がつけば、日本語でも、カバは「河馬」と書くのでした...。


フランスがガリアと呼ばれた時代には、人々は馬を神への生贄にしたり、馬肉を食べていたと言われるのですが、キリスト教文化が入ってからは食べなくなっていました。

Image illustrative de l'article Grégoire III732年、ローマ教皇のグレゴリウス3世は、信者に馬肉を食べることを正式に禁止したそうです。

時代が下っても、宗教上の理由だけではなく、人々が馬肉を食べないことには背景があったようです。馬は、他の他の家畜とは違って、貴族にとっては気高い生き物であったこと。さらに、馬肉には衛生上の問題もあるとされていました。

それも18世紀末には崩れてきたようです。

ナポレオンの軍隊は戦場で馬を食べ、革命期には飢えをしのぐために食べられたりしていました。単に馬肉が好きな人たちもいたようで、闇で仕入れて食べているというルートはあったのでした。

気分的に馬肉は食べたくないとか、衛生上の問題があったという理由の他に、肉屋業界が馬肉を扱う不法な行商人を締め出す手段として利用するという圧力があった、という見方もありました。

政府は馬肉を食べることの禁止令を出していました。


フランスで馬肉を食べることが解禁されたのは1866年

馬肉を食べるのは禁止ですから、他の精肉のように衛生検査がなされない闇の馬肉が出回るという問題がありました。19世紀になると、馬肉を食肉の仲間に入れるようにと運動を起こす人たちが現れました。中でも、次の3人が歴史に残っています:
  • 医師 Alexandre Jean-Baptiste Parent-Duchâtelet (1790-1836)
  • 動物学者 Isidore Geoffroy Saint-Hilaire (1805-1861)
  • 軍の獣医 Émile Decroix (1821-1901)

1832年、食用にできない家畜の解体に関するパリ市の報告書の中では(食べられない家畜は肥料や工業用として利用される)、肉を食べられない貧しい人たちが馬肉を食べることを認めるべきだという言及もありました。馬肉食を認めれば、衛生検査をすることになるので、闇市場で不衛生な馬肉を売ることがなくなる。また、馬肉が商品化されるならば、年老いた馬をぞんざいに扱うことが減るはずだ、という主張。

それに賛同する趣旨で、動物愛護団体のSPA(Société Protectrice des Animaux)が創設されたのだそう(1845年)。 SPAは持ち主がいないペットを引き取って里親を探すなどの活動で知られています。全国的に存在する大きなボランティア団体なのですが、馬肉と関係していたとは全く知りませんでした。

馬肉には医学的にも体に良いのだと主張する医師もいました。それに、普通の食肉を食べられない人たちには、馬肉が栄養源を与える。

馬肉解禁に決定的な働きをしたのはÉmile Decroixだったようです。獣医として行ったアルジェで、彼は兵士たちに馬を食べさせる経験をし、フランスに戻ってから馬肉の有効性を訴えて運動を起こしていました。

1866年、馬肉を食べることがフランスで法的に認められます(Ordonnance le 9 juin 1866)。さっそくナンシー、すぐにパリに馬肉専門の精肉店が誕生しました。

それまでの馬は食べない習慣があったので、すぐに人々が馬肉を食べるようにはなりまんでした。フランスで馬肉を食べる習慣ができたきっかけは、1870年に勃発した普仏戦争。食糧難で食肉が不足したのでした。

その後は徐々に馬肉の消費は増えて、1911年にピークを迎える。

馬肉専門店があったのは都市部。特に、ノール・パ・ド・カレ地方(ベルギー寄りの工業地帯がある)、パリで目立ったとのこと。誰が馬肉を喜んで食べていたかというのには異論があったのですが、労働者、社会の中間層である商人や職人が中心だったようです。

フランスで最も多く馬肉が食べられたのは1900年から1960年にかけてだったそうです。

なるほど、ベルシーのワイン市場の全盛期に一致しますね。それと、戦後の農業の近代化で作業馬がつぶされた時期も入ってる。

その後は売られる馬肉は減っていって、1970年には、フランスで消費される食肉に占める馬肉の割合は2%(現在は0.04%)。


馬肉食は特殊...

肉屋の業界の中でも、伝統的な精肉店と馬肉を扱う店とが歴史的に対立した名残りがあるらしい。普通の食肉を扱う肉屋に馬肉の話しをすると、どこかしら馬肉を扱う肉屋に対する偏見を見せるのだそう。

馬肉をよく食べた時代があったとしても、やはり馬肉を食べることに抵抗を持つフランス人は多いようです。

肉屋で売られるときも、馬肉だということは余り感じさせないように売られている。ひき肉が多いのも、その証拠。

そう言われると確かに、そうですね。肉食の国なので平気らしく、牛の巨大な部分が店に吊り下がっているのが見えることがあるし、家畜の頭の部分がショーウインドーに並んでいたりもするのですが、そういう姿の馬は見たことがありません。

とは言っても、馬肉専門の肉屋には、蹄鉄と馬が付いているのがトレードマークになっているのなんかは、私はグロテスクだと思いますけど...。




devanture d'un magasin dont l'enseigne indique « Boucherie hippophagique »
Boucherie chevaline à Paris

フランスで馬肉を専門に売っている肉屋のことは、普通はchevalineと呼びます。普通の肉屋はboucherie。馬肉専門だとboucherie chevalineとなるので、略してchevaline。馬のchevalから来ている単語です。

上に入れたのはWikipediaでパリの店として入っていた画像なのですが、看板ではboucherie(肉屋)にphippophagique(馬肉食に関する)を付けています。難しそうな単語を使って馬だということを遠まわしに表現しているのかな?...

肉屋を表す単語にはcharcuterieというのもあります。こちらは豚肉と豚肉の加工品を売っている店。なぜboucherieと別の単語を作っているのか気になりますが、調べているときりがないので放棄。


馬肉専門店は減少して、2014年の時点では、フランスには750軒を数えるだけなのだそうです。ブルゴーニュ地方でも、最大都市のディジョンでは、朝市に1軒入っているだけになっているというニュースがありました。


蛇足:

パロコンの画面をスクロールさせながら、フランスで1866年に馬肉を食料とすることが認められるに至った話しを斜め読みにしていたら、Émile Decroixという人が目にとまりました。

この人の名前を見て、あれ?... と思ったのは私だけでしょうか?
私は、あのドラクロワ? と思ってしまったのです。

目にとまったのは、「彼がAlgerに滞在していたとき」、「馬を兵士たちに食べさせた」、「19世紀」 という文字。アルジェリアのアルジェ、馬...。

それで、こういう絵画が頭に浮かんできました。
アルジェの女たち
Les Femmes d'Alger dans leur appartement
(1834)
異端者とハッサンの戦い
Combat de Giaour et Hassan
(1826)

有名な「アルジェの女たち」を描いた画家。彼は騎馬の絵画もたくさん描いているではないですか? ドラクロワが馬肉食を広めたのだとしたら面白いと喜んでしまったのですが、私の完全な早とちり!

よく文字を見ればドラクロワのスペルではない。おまけに、ファーストネームはウジェーヌではなくて、この人はエミールだった...。

出来てきたのは、Émile Decroix(1821~1901年)

画家のドラクロワは、Eugène Delacroix(1798~1863年)。

単語の始まりと終わりだけ見ていて、真ん中は全く無視していたわけですね。

文字の一部を見て、それだと思ってしまう癖が私にはあります。車に乗っているとき、歩いているとき、店の看板や道路の名前を探していると、すぐに間違えます。親しい友達などは、私が「あった!♪」と言ったときには、まず関係がないものを見つけたのだろうと思うようになっています!

私の脳は、どこかに足りない部分があるのでしょうね。だから気をつけなければいけない、と自分に言い聞かせるのですが、この癖は、かなり注意していても早とちりしてしまいます!

ひところ、速読術とかいうのが流行っていました。本をパラパラとめくっただけで分厚い本に書いてあることを把握できる能力がもてはやされていました。あの人たちはどうやていたのだろう? 私などだったら、書いてあることの全く正反対をサマリーとして言ってしまうのではないかな?...

ブログ内リンク:
タルタルステーキ: (1) 馬肉 2013/07/21
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
総目次: テーマおよび連続記事ピックアップ

外部リンク:
L'hippophagie en France
La production de viande chevaline en France des années 1950 à aujourd'hui 
☆ Wikipédia: Hippophagie
Les boucheries chevalines
イギリス人はいつから馬肉を食べなくなったのか ~ Horsemeat scandal と関連して
フランスの動物保護協会「SPA」


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カテゴリー: 食材: 肉類 | Comment (11) | Top
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2016/02/14
つい最近までパリのベルシー地区にあったワイン市場のことについて前回に書きながら、市場がなくなろうとしている時期の映像を見ていたら、「Entrecôte Bercy(アントルコート・ベルシー」という言葉が何度も登場していました。

パリとワインの関係 (3): ベルシー地区にあった酒蔵

アントルコートと聞けば牛肉を連想するので、料理のことだとは想像できます。ベルシーのワイン市場で食べていた料理がパリの郷土料理の1つになっているのだそう。

どんな料理なのか調べてみました。

シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その22

ベルシーのワイン市場で生まれた料理

40ヘクタールの広さがあったベルシーのワイン市場では、アルコール飲料をストックしていたのですが、ワインをブレンドして商品化することもしていて、大勢の人たちが働いていました。

修復ができないほど古くなった酒樽があるので、それを燃してバーベキューに使う習慣があり、それが「アントルコート・ベルシー(Entrecôte Bercy)」という名前の料理として広まったのだそうです。

ベルシーのワイン市場があった地域の再開発が始まった1980年の映像を入れます。百年以上の歴史がある市場を文化財として守らなければならないとして、再開発をどのようにすれば良いかの議論が盛んになされた時期でした。

始めのところで、アントルコートをバーベキューしている人が映し出されています。ワインの試飲をした後にステーキを食べる習慣があったのだそう。今でも金曜日にはアントルコートを食べるのだ、と言っていますね。


Reportage Bercy 1980年のニュース


アントルコートは何処にある?

Côtes et entrecôtesこの料理で使うのは「entrecôte(アントルコート)」と呼ぶ、肩ロース肉。

ベルシーにあったワイン市場の名前は「entrepôt de Bercy(アントルポ・ド・ベルシー)」。ベルシーの倉庫という意味です。

肉の方は「entrecôte(アントルコート)」。

「entre(アントル)」が同じだから、洒落てこの肉を食べるというわけでもないでしょうね?

ステーキ肉としては気どりのない部位と言えるかもしれません。カフェ・レストランでオーソドックスな料理として、アントルコートのステーキにフライド・ポテトというのがよくありますから。


肩ロースは、骨付きで切り出すとcôte de bœufと呼ばれる部分。それを肉屋さんでバーベキュー用に1枚切ってもらうと、1.5キロくらいの大きさになります。

entrecôte

Entrecôte charolais
côte de bœuf
côte de bœuf


数人でバーベキューをするなら、私は骨つき肉の方が好きです。でも、焼きあがってから骨を除いて切り分けなければならないので、ワイン市場で働く人たちが仕事の合間に食べるには向かないでしょうね。


本物のアントルコート・ベルシーEntrecôte Bercy)」とは?

ワインツーリズムの専門家が言っていた「本物の」アントルコート・ベルシーの特徴はこうでした。
  1. 馬肉を使う
  2. ソースは、白ワイン、エシャロット、レモンで作る
  3. パセリとクレソンを添える
  4. 修理できなくなった樽でつくる薪で肉を焼く

本来は馬肉のアントルコートだった点に興味をひかれました。今日のフランスでは、食べる食肉に占める馬肉の割合は0.4%程度に過ぎないのですが、ベルシーがワインビジネスで賑わっていたころには、もう少し多く食べていたようなのです。

フランスで馬肉を食べることが許されたのは1866年。最も多く馬肉が食べられた時期は1900年から1960年までだったそうです。しかも、田舎よりパリでの方が食べていた。

馬肉を食べる歴史については長くなるので別の記事にして書きます。


それから、本物というのはバーベキューのやり方にあります。ワイン市場だから使えなくなった古い酒樽があって、それを薪の代わりに燃してバーベキューにしていたわけです。

使い込んだ樽ならワインの香りがしみ込んでいて、その香りがステーキに移るのでしょう。美味しそう...。

剪定のために切り落としたブドウの木でバーベキューをすることもありますが(ボルドーではよくやるらしい)、それほど香りは出ないと思うのですが、ワイン樽だったらいいな...。

ソースのベースは、当然ながらワインですね。赤身の肉なのに白ワインを使うのが面白いと思いました。

昔のフランスで水替わりにワインを飲んでいた時代には、圧倒的に赤ワインを飲んでいたのだそう。とすると、売れ残った白ワインがあったから、それを使ったのではないか、などと思ってしまうのですが、私の当てずっぽうです。


ニュースに登場してアントルコート・ベルシーを懐かしそうに話していた人は、エシャロットの香りがあったのを強調していました。


ワインにエシャロットを入れて肉料理のソースにするものには、ソース・マルシャン・ド・ヴァン(sauce marchand de vin)があります。

こちらは赤ワインで作ります。

このソースの名前になっているマルシャン・ド・ヴァンというのは、普通に訳せばワイン商人なのです。

これもワイン市場と関係があるのではないかと思ってしまうところですが、この名前の由来については調べられませんでした。ボルドーのソースがこれになったということくらいしか出てきませんでした。

ソース・マルシャン・ド・ヴァンの作り方についてはブログですでに書いていました。

sauce marchand de vin
エシャロットを使うソース・マルシャン・ド・ヴァン 2009/03/30


白ワインで作るベルシー・ソースのレシピ

アントルコート・ベルシーと呼ぶ料理はソースにも特徴があるわけで、それはsauce Bercy(ベルシー・ソース)とも呼ばれていました。

日本のサイトにも登場するので、フランス料理のソースの1つとして知られている感じがします。

フランスのサイトではレシピがたくさん出てきたのですが、多少異なっていました。
基本的パターンは2つに分けられるように見えます。
  • フォンドヴォーを入れる
  • 生クリームかモワル(牛の骨髄)を入れてこってりとさせる
とろみがある方が良いのかもしれません。ちょっと邪道ではないかと思いましたが、コーンスターチでとろみをつけているレシピもありました。

http://www.cuisinealafrancaise.com/fr/recettes/viandes-et-volailles/boeuf/entrecote-bercy
Entrecôte Bercy - Recettes - Cuisine française


3種類のレシピをメモしておきます。全てバーベキューではなくて、フライパンで肉を焼いてしまうレシピだったので、肉の焼き方は省略します。


レシピ 1(2人前)
レシピ 2 (4人前)
  • アントルコート2枚
  • 白ワイン 15 cl
  • 濃厚な生クリーム 大さじ3
  • エシャロット 4個
  • レモン 1/2個
  • パセリ 1束
  • クレッソン 1束
  • バター 30 g
  • 塩、コショウ
  • アントルコート2枚(各480 g)
  • 白ワイン 20 cl
  • フォンドヴォー 1O cl
  • バター 40 g
  • エシャロット(大きなサイズ) 5個
  • 刻みパセリ 大さじ1
  • オリーブオイル 大さじ1
  • 塩、コショウ

ソースの作り方:

鍋に白ワインとエシャロットのみじん切りを入れて中火で煮て、3/4にまで煮詰める。

生クリームを加え、塩コショウし、半分にまで煮詰める。

バターをレモンの絞り汁を加える。

軽く泡立て器でかき混ぜ、刻んだパセリを混ぜる。

焼いた肉にクレソンを添え、ソースは別にして好みの量を肉にかける。

ソースの作り方:

20グラムのバターを鍋にいれ、刻んだエシャロットを炒め、白ワインを入れ、半分にまで煮詰めてから塩コショウする。

フォンドヴォーを加えて、さらに10分間煮詰める。

15グラムのバターを加えてゆっくりとかき混ぜ、パセリを加える。

レシピ 3
(6人前)
  • アントルコート2枚(各500 g) 
  • エシャロット 3個
  • 白ワイン 1 dl
  • モワル(牛の骨髄)1個
  • みじん切りのパセリ
  • レモン汁
  • 塩、コショウ
  • バター 100 g



ソースの作り方:

塩を入れた水を沸騰させ、モワルを入れて20分煮る。

白ワインを強火で火にかけ、塩コショウし、エシャロットを煮る。5分たったら、レモン汁、刻んだパセリ、バターを少しずつ入れて強くかき混ぜる。

モワルを引き上げて中の髄を取り出し、ソースに混ぜる。



レシピとして見つかった動画はフォンドヴォーを入れるレシピでした。ニンニク(最後に取り出す)とタイムで香りづけしています。


sauce bercy


牛肉の髄骨でとろみを出すレシピは美味しそう。でも、l'os à moelle(ロス・ア・モワル)というのは店頭には余り並んでいないので入手しにくいと思います。ポトフを作るときには欲しいので、肉屋さんに言うと奥から出してきてくれるので、いつもあるものなのかもしれませんけれど。


牛の髄骨(os à moelle)の料理 2012/02/13


アントルコート専門レストランの秘密のソース

ベルシーのソースを探していたら、パリで話題になっているらしいアントルコートのステーキ専門のビストロについての記事が幾つか出てきました。創業1959年。その門外不出のソースに人気があって、いつもレストランの前には行列ができているのだそう。

1つの新聞記事に入っていたのは、このステーキ。

http://www.lefigaro.fr/sortir-paris/2010/11/02/03013-20101102ARTFIG00776-10-plats-addictifs-l-entrecote-frites-durelais-de-l-entrecote.php

10 plats addictifs : L'entrecôte-frites duRelais de l'Entrecôte

その長いこと厳格に守られていた幻のアントルコートの特性ソースをどうやって作るのか分かった!、という新聞記事がありました。

行く価値があるかなと思ったのですが、レストランのコメントを読むと酷評している人もいる。むしろ、貶している人の方が多く見える。パリだから繁盛しているレストランの典型に見えてきたので、行く気はなくなりました。ミシュランのサイトにも入っていましたが、お勧めマークは付いていないし...。

幻のソースの作り方が分かったという記事は10年近く前のものでした。その後、レストランの質が落ちたのかな?...

でも、そのソースの作り方をメモしておきます。私には意外なものを使っているので。

材料
  • 鶏のレバー
  • フレッシュなタイム、タイムの花
  • 液体状の生クリーム
  • ディジョンのマスタード(シンプルなタイプ)
  • バター
  • 塩、コショウ
  1. 鶏のレバーとタイムを弱火にかけて軽く色をつけるうける。
  2. 生クリームとマスタードを鍋に入れて弱火で煮詰め、タイムの花で香りをつける。固くなりすぎてしまった場合は、バターと水を加えてのばすこと。
  3. レバーをミキサーにかけ、シノワに移し、生クリーム加えてこす。
  4. 塩コショウで味を調える。

私でも作れそうなレシピですが、レバーをシノワでこすには力がいりそう...。

今でもビストロの前には行列ができているのでしょうか?

おしゃべりなオーナーの奥様に付き合ってあげなかったらお怒りをかって、もう二度と来るなと追い出されてしまったと長々と報告している人のコメントを読んだら、パリがつまったバターというのを思い出してしまった...。

パリが詰まったバターとは? 2013/05/28


ベルシーのワイン市場がなくなる時期の報道で、ベルシーのソースを語る人たちは懐かしさでいっぱいの表情をしていました。やはり、ベルシーのソースの方が美味しそうに思えてくる...。

これを書きながらフランスの馬肉食についての情報が出てきていたので、それをメモしました:
フランスにおける馬肉食の歴史 2016/02/16


シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 その22  目次へ

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タルタルステーキ: (1) 馬肉 2013/07/21
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☆ 歴史とレシピ: Entrecote Bercy
☆ レシピ: Entrecôte Bercy
Recette : Entrecôte Bercy de viande chevaline
☆ レシピ: Entrecotes sauce bercy
Recette : Entrecôte sauce Bercy
Recette entrecôte sauce bercy - Cuisine et Vins de France
☆ レシピ: Entrecôte sautée Bercy classique
若潮牛・ロースのポワレ ソース・ベルシー
Bercy, son entrecôte, ses marchands de vin, le « Paris de la Soif » à jamais englouti…. Est-ce là le goût, la couleur qu’il vous faut, ô ! Cher Client !
Spécialités culinaires de Paris
Spécialités régionales de Paris
Le secret de l'Entrecôte enfin dévoilé


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2016/02/12
パリでは17世紀にワイン市場が作られのですが、拡張して14ヘクタールの敷地になった市場でも手狭になってきました。19世紀後半になると、もう少しパリの中心からは外れたベルシー地区に、パリのアルコール飲料ビジネスのためのスペースが作られます。

前回は、パリに初めて作られたワイン市場(Halle aux vins de Paris)について書きました:
パリとワインの関係 (2): パリ・ワイン市場(サン・ベルナール河岸)

その続きとして、今回は、パリの増大したワイン市場に対応するために19世紀に作られたEntrepôt de Bercy(ベルシーの倉庫)について書きます。

ほんの少し前までパリに存在していたレトロな空間。ベルシーの酒蔵が解体される前に行くこともできたはずなのに、その存在は知らなかったので見学しようと思ったことがなかったのが残念...。

ありし日の風景を探してみました。


L'entrepôt de Bercy, 1908年

シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その21

パリは拡大され、首都でのワイン消費量も増大

パリでのワイン消費量は、1800年には100万ヘクトリットルだったのに、1865年には355万ヘクトリットルとなっていた、と書いてありました。

前回の日記で書きましたが、17世紀末のパリの家庭では1日に1リットルもワインを飲んでしまうのも珍しくなかったようなので、19世紀になったらアルコール飲料の摂取がもっとエスカレートしたのかと思ってしまいます。

でも、19世紀に入ってから、パリの人口は飛躍的に増加していたのでした。人口が3倍になれば、ワインの消費も3倍になっても不思議はありません。

パリの人口の推移を表すグラフです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/fr/timeline/00ce8269cc4690d6e3eb939fde293973.png

1860年のところで人口が飛躍的に増加していますが、それはパリ市の面積が拡大したのが理由です。

パリ拡張の直前、1859年のパリの地図を見てみましょう。



青い線で囲っているのがMur des Fermiers généraux(フェルミエー・ジェネローの壁)のラインで、その中がパリでした。1960年に、赤い線で示されているEnceinte de Thiers(ティエールの城壁)までパリは広がりました。

これに東と西に広い森を加えれば、いまのパリ市の広さになります。

Boulevard périphérique de Paris赤い線で示された城壁は、現在ではpériphériqueと呼ばれるパリ市を囲んだ道路になっています。

この環状道路は、交通量が多いのに車は飛ばすし、パリ独特の慣例的な車の走り方があるので、フランスでは田舎者の私としては怖くて仕方ない場所です!

パリっ子たちは慣れてるので平気なのでしょうけれど、私は車の助手席に座っているだけでも緊張してしまう...。


昔のパリにあった2つのワイン市場

Googleマップを入れてみます、ちゃんと表示されるのでしょうか?

初めに作られたワイン市場 Halle aux vins de Parisは、5区にあるパリ植物園の隣、サン・ベルナール河岸にありました(A地点)。そこでは狭くなったので作られたワイン市場Entrepôt de Bercyは、パリの中心から少し離れた12区のベルシー地区(B地点)。



歩いて30分くらいの距離ですね。両方とも、当時の流通が頼っていたセーヌ河のほとりにあります。

新しく酒蔵がつくられたベルシー地区はパリの外にあったのですが、1959年にパリ市に組み込まれていました。その10年後に、ワインビジネスの場所が造成されたことになります。

パリ市内には酒税が課せられますから、その中にワインビジネスの拠点を作るのにはメリットがあったのでしょう。


ベルシーの酒蔵

1869年にEntrepôt de Bercy(ベルシーの倉庫)という名前で新しいワイン市場が作られたのですが、この地域には、すでに18世紀には小規模なワイン市場が存在していたそうです。

1856年のベルシーの河岸を描いた版画です。


L'entrepôt de Bercy en 1856

これだけ酒樽が並んでいるのを見ると、もうすでに本格的な市場ができていたのではないかと思ってしまいます。

19世紀にベルシーにワイン市場ができたきっかけという逸話がありました。ブルゴーニュに関係して面白いのでメモしておきます。

1704年、ルイ14世はベルシーのノートルダム教会のミサに参列した。そこにいた信者たちは王様に敬意を払って跪いていたのに、一人の男が立ったままでいる。不謹慎である! 衛兵が行ってみると、その男は跪いているのであった。巨人のような体格なのだ。ミサが終わると、興味を持った王が男を呼び寄せて話しを聞く。彼はブルゴーニュ地方のジョワニーのブドウ栽培者だった。

その機会を利用して、男は王に商売には問題が多いことを愚痴った。その話しを面白がった王は、彼が毎年ベルシーの岸辺でワインを販売する許可を与えた。

これが、ベルシーでワインの取引がなされるようになった始まりというわけです。


王様が町中にあるベルシーの教会に行ったのは不自然だとは感じます。よほど立派な教会なのかと思って探してみたら、現在のベルシーにはÉglise Notre-Dame-de-la-Nativité de Bercyという教会がありました。これは17世紀にたてられたNotre-Dame de Bon Secours教会の場所に19世紀に建て替えられた建物なので、ルイ14世とは関係ないですね。

ただし、ベルシーには城や貴族の館がありました。

庭園から歩いていけばセーヌ河に出られそうなベルシー城です。


Vue du château de Bercy depuis la Seine (Gravure, Base Mémoire)

このベルシー城(Château de Bercy)は、このお話しの時期の10年後に完成していました。ルイ14世の財務監督官だった人が所有者だったので、城に行った王様が、そこから2キロくらいのところにある教会に足をむけることも無きにしもあらずという気もします。

お話しには、ブルゴーニュのブドウ栽培者が登場しています。パリのセーヌ河はブルゴーニュからワインを運ぶには非常に便利な水路だったので、その河川を水路として利用していたブルゴーニュが登場するのも筋道は通っている...。

跪いていても立っているように見えたのはジョワニー(Joigny)の人となっています。シャブリから遠くないところ、ヨンヌ川のほとりにある町で、少しパリの方に川を上るとセーヌ河と合流します。ヨンヌ川は、パリに材木やワインを供給する水路として大切な川でした。

蛇足ながら、パリを流れているのはセーヌ川(Seine)と言われますが、本来は合流したときの水量の多さで河川の名前を決めるので、本当はヨンヌ川(Yonne)と呼ばれるべきだったと言われます。2つの川はブルゴーニュに水源があるので、どちらでも良かった、と私は思うのですけれど。

そんなわけで、ベルシーの酒蔵誕生の逸話はよくできているのですけれど、後で作った話しという気持ちは拭い去れません。


ベルシーの酒蔵Entrepôt de Bercy

1869年、ワイン倉庫がベルシー地区に作られました。その前からあったサン・ベルナール河岸のワイン市場は広さが14ヘクタールでしたが、こちらは42ヘクタールの敷地。

ありし日のベルシーの様子をたくさんの写真で見せているのがありました。画像をクリックして開いたページで、右上にあるボタンの左端の矢印が付いたボタンをクリックするとスライドショーで見ることができます。

Au temps des pinardiers - Halle aux vins de Bercy
Au temps des pinardiers - Halle aux vins de Bercy


1972年にはパリで400万リットルのワインがパリで消費された、という記録があるそうです。当時は生活が厳しかったので元気づけに庶民がワインを飲んだ。兵士、肉体労働者、農民など、特に赤ワインが消費されたようです。そうした底辺の人たちのための安いワインだけではなくて、ベルシーの酒蔵では裕福な人たち向けの上質のワインが、ネゴシアンたちによって、特にCour Saint-Emilionと呼ばれた界隈でワインが商品化できるようにしていたそうです。

パリには2カ所のアルコール飲料の市場ができたわけですが、20世紀になるまでは同じくらいの取引量だったようです。

ところが、ベルシーの方が重要になってきます。1930年の時点で、アルコール飲料の30%がサン・ベルナール河岸のワイン市場で、残りの70%がベルシーで扱われるという割合でした。


Entrepôt de Bercy(ベルシーの倉庫)と呼ばれたこの場所で行われていたワイン産業は、一般の人たちはどのようにワインが作られているかは見えないようなものだったようです。ワイン醸造者やネゴシアン(仲買人)などワインビジネスに携わる人たちだけが出入りできたのだそう。ここではフランス各地から集まるワインをブレンドして商品化するので、往々にして質の悪いワインがあった。

1960年代、事情が変わってきます。ボルドーでは「シャトー詰め(mise en bouteilles au château)」というのを考え出した。消費者たちはワインの質を求めるようになりました。例えば、ブルゴーニュワインに、コート・デュ・ローヌやアルジェリア(※)のワインを混ぜて量を多くして売るようなことができなくなってきます。

※ アルジェリアは1830年から1962年までフランス領

次第にワインの仲買人たちが姿を消し、閉鎖される酒蔵も出てくる。ベルシーは、時代の流れの中で役割がなくなってきたようです。

ベルシーのワインビジネスについて知りたいのなら、この本が非常によく書かれているそうです。ご興味のある方はお読みください。

 Bercy, Lionel Mouraux (1983)


ベルシーの再開発


Le petit Bercy, marché public des vins et spiritueux, 1908年

ヨーロッパで最大の規模のワイン市場だったベルシーの酒蔵ですが、1980年頃から地域の再開発が始まりました。

200年も存在していたベルシーの酒蔵。ここはワインのビジネスに関係する全てが集まった村のような雰囲気があったそうで、取り壊すことになると、昔を懐かしむ人たちの姿がニュースで盛んに放映されたようです。


INA: Les entrepôts de Bercy 1993年のニュース

この映像では、始めに分厚い帳簿を開いていますが、1880年からのものなのだそう。

プラタナスの木々があって涼しかった、活気づいた生活があった、ここで働く人たちはみんな幸せだった... なんて、ベルシーの市場がなくなってしまうことを悲しんでいますね...。

時代の流れには逆らえません...。


酒蔵だった歴史を残すベルシー村

ベルシーの酒蔵を取り壊すときには色々な計画があったようですが、プロジェクトが実を結ばなかったり、Palais Omnisports de Paris-Bercy (POPB)と呼ばれた大きな体育館はAccorHotels Arenaに名前が変わったりして、何だかよく分からない。ベルシーという言葉をニュースで聞くときは、ここに引っ越してきた大蔵省の意味であることが多いです。

それでも、酒蔵だった時代の名残を見せる場所は保存されて、ベルシー村(Bercy Village)となっています。パリ12区にあり、場所はこちら



倉庫の建物があったり、石畳には昔には酒樽を運ぶのに使っていた線路も残しているのが面白い。

ここはCour Saint-Émilion。ボルドーワインの産地の名前を付けた場所になっています。




ここでパリのワイン市場のことを書くのは終わりにしようと思ったのですが、このベルシーの酒蔵はパリの郷土料理を生み出していたのでした。

それがどんな料理なのかを書きました:
パリの郷土料理: アントルコート・ベルシー

シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 その20  目次へ




ブログ内リンク:
ワイン樽の製造: 今と昔 2016/01/28
気に入ったパリの縁日博物館 (Musée des Arts forains) 2010/12/18
★ 目次: ワインの消費、ビジネス、飲酒規制、歴史など
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ

外部リンク:
La croissance de Paris - La population parisienne
☆ Wikipédia: Fortifications de Paris aux XIXe et XXe siècles | Mur des Fermiers généraux |  Enceinte de Thiers
☆ YouTube: Paris - la révolution Haussmann 3-4
パリのペリフェリックが 開通して40年になった 2013/06/19
☆ Googlブックス: Léon Biollay, Les anciennes halles de Paris (1877)
Tableau historique et pittoresque de Paris - depuis les Gaulois jusqu' à nos jours (1822)Halle au vin (P.449)
Les Pavillons de Bercy: Histoire de Bercy
Bercy Village:HISTORIQUE » Histoire de Bercy
Histoire du quartier de bercy le quartier de bercy aujourd'hui
Le commerce du vin à Paris
Quand Bercy était la capitale du vin
Wikipédia: Entrepôt de Bercy | Halle aux vins de Paris
Wikipédia: Quartier de Bercy
Bercy - Paris balades
Paris et le vin  Un Jour de plus à Paris
☆ Paris en images: Hall aux vins(ワイン市場)の画像を検索
Château de Bercy
ワイン流通で栄えたベルシー Bercy Village


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フランスのお酒 (ワインなど)



2016/02/09
先日、ワインの樽の作り方が昔はどうだったかということを書いていて、昔のパリで行われていたワインビジネスについて興味を持ちました。

ワイン樽の製造: 今と昔 2016/01/28

パリのセーヌ河のほとりに、遠くから運んできたワインの樽をストックする場所があり、そにワインを売る業者がいたという歴史。樽の作り方で出てきたのはベルシー(Bercy)地区にあった大きな貯蔵所のEntrepôt de Bercyだったのですが、その前にも別の場所に存在していたのでした。

まず、その17世紀に作られたワイン市場について調べてみたことを書きます。

1869年に作られ、つい最近まで存在していたベルシーの酒蔵についてはたくさんの画像や映像が見つかったのですが、古い方のHalle aux vins de Paris(パリのワイン市場)は余り情報が出てこないので、なかばやけになって市場が存在していた痕跡を探してしまったのです。

研究書は出版されているのですが、そこまで調べるほど興味を持ったわけではないので、インターネットで画像を探したにすぎません。

シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その20



パリのワインビジネスが17世紀に本格化する


1637年には、パリの人口が41万2,000から5,000人くらいだったという記録があります。

当時のパリでは年間6,437万リットルのワインが消費されていたので、住民一人あたり1日0.5リットル弱を飲んでいたことになるそうです。

これには男女差も貧富の差もなかったとのこと。

1リットルの半分というと、以前にブログで書いた「chopine(ショピンヌ)」と呼ばれるピッチャーの容量。それから50年くらいたったときには(1692年)、その量を一人1回の食事で消費するような家庭もあったとのこと。

ずいぶんたくさん飲んでいたのですね...。パリは飲み水が不足していたからなのでしょうか?

水道事情が悪かったことについては、パリのガイド付きツアーに参加したときに書いていました:
パリの名物: ヴァラスのフォンテーヌ 2011/11/14


17世紀に作られたパリのワイン市場はどこにある?

ワインは税金をもたらしますから、それまでかなり自由にやっていたワインの商売が17世紀になると統制されるようになりました。

17世紀後半、ワイン取引が行われる市場が、マザラン枢機卿の勧めによってパリ市内につくられます。

セーヌ河のほとりのサン・ベルナール河岸(Quai Saint Bernard)に作られたHalle aux vins de Parisパリのワイン市場)。

そのワイン市場が何処にあったのかを探してみました。

1890年の地図を見ると、セーヌ河の左岸、Jardin des Plantes(パリ植物園)の隣にあったのが分かります。現在ではパリ5区ですね。

1890年の地図(クリックで拡大)

1890年 (Plan de Paris de Guillemin)

左上に「Halle aux vins」の文字が見えます。このワイン市場の敷地内を横切る通りに、コート・ドール通りという名前を付けていたのですね。ブルゴーニュワインを選んでくださって、ありがとう♪

植物園からセーヌ河に沿ってノートルダム大聖堂の方に歩き出したところにありましたか。ひところよく使っていたキッチン付きホテルがある場所があった界隈でした。ですから、このセール河沿いの道路にそって何度も歩いていたのですが、ここに私の興味をひくようなものがあったとは全く気がついていませんでした。

ワイン市場があった場所は、現在では理科系の大学Université Pierre-et-Marie-Curieやアラブ世界研究所(Institut du monde arabe)が建つ、Campus de Jussieuと呼ばれる地域になっていました。
Place Jussieu
ワイン市場の施設は第二次世界大戦のときに爆撃で破壊されて、戦後に再開発開発が進んでいたのでした。

ジュシュー広場にメトロのジュシュー駅があるのですが、1959年まではワイン市場の文字も入って「Jussieu - Halle aux Vins」という名前の駅だったのだそう。

ちなみに、Jussieu(ジュシュー)というのは、17世紀から19世紀にかけて植物学者を何人も出した家系の名前なのだそう。


18世紀のワイン市場

もう少し前の時期、ワイン市場ができてから40年くらいのときは、小さな一角が市場になっていました。

1700年の地図(クリックで拡大)
Carte de Paris Vaugondy-1760 Jardin des plantes abbaye Saint-Victor
Le Jardin du Roy en 1700, plan publié en 1760 par Vaugondy

地図の左上に2棟の建物がありますが、そこにHalle au vinの文字が見えます。vin(ワイン)は単数形になっていますね。

その近くが空き地のようになっていて、Chantiersと書いてあるのが気になる。工事現場と受け取ってしまうのですが、何か建てようとしていたのだろうか?...


1730年の地図(クリックで拡大)

Le jardin du roi en 1730, plan de Paris de Roussel

パリのワイン市場の土地は、サン・ヴィクトール修道院(Abbaye Saint-Victor de Paris)から土地を購入して作っていたのでした。

修道院は12世紀に建設されたのですが、衰退の道を歩んだようです。でも、この時期には、まだ修道院の建物と庭園があったのが見えます。

1655年に描かれたサン・ヴィクトワール修道院の姿です。

gravure de l'église en 1655
L'Église Saint-Victor en 1655 (Gravure de Merian)

今では全く姿を見れない修道院...。

現在では植物園になっている場所には、王立薬草園(Jardin royal des Plantes médicinales)がありました。ここが造園されたのは1635年。

ワイン市場の建設は、その少し後ですね。市場を建設するために修道院から土地購入したのは1663年か1644年だったようです。機能を果たすようになったのは1665年。


1734年の地図
Saint-Victor & Halles aux Vins - Plan Félibien 1734
Abbaye Saint-Victor et halle aux vins en 1734

工事現場なのだろうかと思った空き地のような場所に、なにやら並んでいます。これはWikipediaに入っている画像なのですが、小さくてよく見えない。でも「Bois flotté(流木)」の文字が読み取れます。なので、ここはセーヌ河で運んできた材木をストックしておく場所だったのだろうと推察しました。

昔は水路が重要な輸送路だったのですよね。ブルゴーニュ地方には筏を組んでパリに薪を供給していた歴史があったことをブログに書いていました:
フランスの筏(いかだ)師 2008/01/21

Plan de Paris dit plan Turgo
1734-1739
パリの古い地図の図版を持っている友人がいます。

18世紀半ばに作られた版画の地図の複製版です。

そんなものの何が面白いのかと思っていたのですが、詳細に眺めてみると退屈しないのでした...。

さきほどの地図よりほんの少しあと、1739年当時のワイン市場が描かれていました。

セーヌ河の上流から流してきた材木をストックしたのではないだろうかと思った場所に、積み重ねた材木らしきものが描かれtいます。

川岸にはワインを下すための港ができています。

1739年の地図

1739年(Plan de Turgot)

始めにいれた1890年当時のワイン市場よりはかなり小さいのですが、建物にある窓の数からみて、それほど小さな施設ではなかったように見えます。港のところには建物があるのですが、税関のようなものでしょうか。1樽につき幾らという風に税金が定められていました。


フランス革命後、ワイン市場を拡張

まわりにあった材木置き場は、ワイン市場が拡張して占領してしまったわけですが、材木がどこに置かれることになったかまでは調べません。

一番はじめに入れた1890年の地図では、修道院の敷地の全てがワイン市場になったのが分かります。フランス革命を経ているので、多くの宗教建築物と同じように国家に取り上げたらたからでしょう。修道院は1811年に破壊されたとありました。

2棟しかなかったワイン市場は、1811年から拡大され、1845年には敷地面積は14ヘクタールになりました。

1831年に描かれたワイン市場です。

Halle aux Vins, 1831
Halle aux Vins, 1831


ワイン市場は狭すぎるようになった

17世紀のパリの人たちはワインをたくさん飲んでいたと書いたのですが、さらに19世紀になるとパリのワイン消費量は増大しました。

ワイン市場は12ヘクタールにまで拡大されましたが、それでも追いつかない。1869年、ワイン倉庫をセーヌ河の向こう岸、パリの中心からは少し外れたベルシー地区に、もっと広いワインの貯蔵所を作ることになりました。

しばらく2つのワイン市場が平行して使われました。

今ではパリのワイン市場は見る影もなくなっているのですが、セザンヌの時代には機能していたので、彼は絵に描いていました。

「ワイン市場」と題された1872年の作品です。

Paul Cézanne la halle aux vins 1872 Art museum Portland
La halle aux vins, Paul Cézanne (1872)

セザンヌ(Paul Cézanne 1839~1906年)の絵にしては暗い色調なので、間違いではないかと思って確認してしまいした。彼が22歳のとき、同郷の親友であったエミール・ゾラに勧められ、初めてパリに行ったときに描いていました。

セザンヌは南仏の画家ですが、画家としての人生の半分はパリ首都圏で過ごしていたのだそう。ところが、彼がパリの風景はたったの4枚しか描いていません。そのうちの1枚が、このパリのワイン市場なのでした。


20世紀のワイン市場を撮影した絵葉書です。

Paris La Halle aux vins 1910 Halles aux vins


次回は、新しく作られたワイン市場のEntrepôt de Bercy(ベルシーの倉庫)について書きます:
パリとワインの関係 (3): ベルシー地区にあった酒蔵

シリーズ記事 【フランスのワイン産地】 目次へ
その20




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ワイン関連用語: ショピンヌ chopine 2006/03/25
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Tableau historique et pittoresque de Paris - depuis les Gaulois jusqu' à nos jours (1822)Halle au vin (P.449)
Marchands de vin en gros à Paris au XVIIe siècle
Wikipédia: Halle aux vins de Paris | Négociant en vin
リヨン市立図書館: ; Halle aux vins Paris
Université Pierre et Marie CURIE: Campus Jussieu
De la Halle aux vins …à la Halle aux farines
Cézanne, une passion parisienne


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フランスのお酒 (ワインなど)



2016/02/03
前回の日記で、ガンゲットと呼ぶ社交場だったムーラン・ド・ラ・ガレット(Moulin de la Galette)という名の店について書いたのですが、その「ガレット(galette)」が何を意味するかが気になりました。

パリとワインの関係 (1): パリのブドウ畑とガンゲット

ムーランとは、風か水の力を利用して小麦粉をひく施設。
ムーラン・ド・ラ・ガレットは、パリのモンマルトルにあります。

EugeneCiceriLeMoulinDeLaGalette
Le moulin de la Galette, Eugène Cicéri (1813~1890年), Musée Carnavalet

多くの画家たちは、建物や、そこの雰囲気にインスピレーションを与えられていたのですが、私は風車の名前に気を取られてしまったのでした。

Moulin de la Galette(ガレットの風車)という文字を見たとき、私はgalet(ガレ)と呼ぶ石を真っ先に思い浮かべました。水切りをして遊ぶのに適した平べったい石。ガレットはガレの女性形なので。
Galet du Verdon

Chateauneuf-du-Pape galets


フランスのブドウ畑には、この平べったい石ころがゴロゴロしている畑があるのです。初めて出会ったのはボルドーのブドウ畑でした。右に入れた写真はシャトーヌッフ・ド・パップのブドウ畑。

水はけが良いでしょうけれど、こんなところで植物が育つのかと不思議になる土壌...。

ここのところブログでずっとワインについて書いていて、モンマルトルのブドウ畑を眺めたところだったので、ガレットと聞いてブドウ畑の石を連想してしまったようです。

ひょっとしたら、モンマルトルの丘は、こんな河原のような地面だから付いた名前なのではないか?...

でも、調べてみたら、ガレット風車という名前は、石とは全く関係がないのでした。


なぜガレット?

ガレット・ド・ムーランはパリの歴史に残るくらい有名だったので、色々な記述がありました。でも、年号が合わなかったりして、どの話しが本当なのか分からない。このくらいの程度を書くだけなら、事実と違っていても、そう大した違いではないだろうという当たりだけメモしておきます。

モンマルトルがパリ市ではなくて、旧セーヌ県の村であった1810年の時点で、モンマルトル村には許可を持っているbal(ダンスホール)が16あったのだそう。1806年の人口は636人だったそうですから、お客さんの大半はパリからやって来たということになるでしょうね。

モンマルトルの丘には、昔はたくさんの風車が建っていたそうです。

モンマルトルに住んだ印象派の画家たちが「Moulin de la galette」を描いた時代、ここにはBlute-finとRadetと呼ばれる2つの風車(moulin)があり、その中間に、私が気にしている「ムーラン・ド・ガンゲット」があったのだそうです。

Moulin de la Galette
Moulin de la Galetteの写真(1885年)

ここに風車があったと記載されているのは1622年の文献で、風車の名前はMoulin du palaisとなっていました。その後、建て替えられたりしましたが、Debrayという人が2つの風車を買いました(1809年)。この農家では風車で小麦粉などをひいたのですが、近郊で収穫されたブドウの圧縮もしていたようです。

まだ田舎の長閑さがあったモンマルトル。休日にはパリから散歩にやって来る人たちがいました。そこで、農家ではサイドビジネスを始めることを考えたようです。ライ麦パンとミルクを出す。その後は、ミルクの代わりに地元のワインを出すようになり、ダンスも楽しめるガンゲットとなりました。パリからも登って行きやすい整備された道路に沿った場所にあったことも幸いして、ただちに人気を呼んだようです。

ここで出していたのは、小さく焼いたライ麦のパンで、それがガレット(galette)と呼ばれていました。それを店の名前にしていたでした。


また出てきました。ガレットと呼ぶパン!

1年前、私はやはりガレットが気になってブログで書いていました。赤ずきんちゃんがお婆さんの見舞いに持っていったのは、フランスではガレットと言われるのですが、どんな食べ物だったか調べたのです:

★ シリーズ日記: 赤ずきんちゃんのガレットとは?  2015/01/05

今のフランスで「ガレット」と聞いて思い浮かべる食べ物は色々あるので疑問を持ったわけなのでした。

結局、赤ずきんちゃんはガレットと呼ばれるパンを持っていったのだと結論したのですが、モンマルトルの歴史に残ったガンゲットの名前になった「ガレット」も、同じようなパンだったのかもしれません。

赤ずきんちゃんのガレットは抱えるくらいに大きかったようなのですが、モンマルトルのは「小さなパン」と書いてあるので、1人1個でおやつになるくらいの大きさだったのかな?...

赤ずきんちゃんのガレットはレシピを考えて紹介したりしていたのですが、ムーラン・ド・ラ・ガレットで出されていたガレットの方は誰も作ってみていないようでした。

そんなわけで、どんなパンなのか分からないのですが、「ガレット」と呼んでいるということは、丸くて平べったいパンなのだろうと想像します。例えば、こちらのレシピにあるパン。そば粉で作っていますが、「Galette de pain(パンのガレット)」という名がつけられています。


店のポスターが何枚もインターネットに載っていました。でも、この店のトレードマークはやはり風車のようで、名物だったはずのガレットの絵は見つかりませんでした。

 

左側のは、イラストレーターAuguste Roedel(1859~1900年)の手になる店の宣伝ポスター。1896年の作のようです。一番下に「素晴らしい見晴らし」というのは良いのですけど、店の名前Moulin de la galetteの下に「創立1295年」なんて書いてある!

この店がいつできたのかの記載がまちまちで分からないのですが、ガンゲットとしてオープンしたのは1934年に思えました。ただし、店の名前を正式に「Moulin de la galette(ムーラン・ド・ラ・ガレット)」としたのは1895年だという記述が多かったです。いずれにしても、そのちょうど600年前、ここには風車さえもなかったかもしれないと思うのですけどね...。

フランスでは古いポスターのコレクションをする人がたくさんいるそうで、とても高い値段で売買されるのだと聞いていました。この誇大広告ポスターはそれほど有名ではないからか、日本円にして2万円から5万円くらいでネットで売っていました。

右側のポスターについての情報はなかったのですが、誇大広告ポスターより後ではないかと思います。左のには、bal(ダンス)は日曜と祭日のマチネーがあると書いてあります。ダンスホールは、初めのうちは日曜と祭日のオープンだけ許可されていたようなのです。

右のには、木曜、土曜、日曜、祭日に昼の部と夜の部があると書いてあります。さらに、オーケストラも入って本格化している様子。

有名なキャバレーのムーラン・ルージュ(Moulin-Rouge)ができたのは1889年で、オープンしてすぐに人気をよんだようです。このあたりから、モンマルトルは歓楽街として栄えていったのでしょうね。


20世紀初頭のガンゲット

ジャン・ギャバンが主演した映画『 La Belle Équipe(我等の仲間)』は、宝くじで大金を当てた5人の仲間が、川のほとりにガンゲットをつくるというお話しでした。

白黒映画時代はフランスも良い作品を作っていた、と思われる秀作だと思います。

1936年の映画ですから、印象派の画家たちが描いたガンゲットよりは数十年後になりますね。

ルノワールの絵画はブルジョワ階級の人たちが踊っているガンゲットですが、映画の方は庶民階級のためのガンゲット。

今のフランスに伝わっているガンゲットのイメージは、映画の方の雰囲気なので、みんなで踊っているシーンを入れておきます。


Jean GABIN - La Belle Equipe (1936) - ''Quand On Se Promene Au Bord de l'Eau''


現代のガンゲット

フランスでは、18世紀半ばから人々が郊外に行って息抜きすることを楽しむようになりました。これがガンゲットの始まり。

1906年には、フランスは世界で最も早く週休2日制を確立しています。

ガンゲットの流行の最盛期は1880年から1938年と言われています。しかし、人々の楽しみ方も変化し、1960年ころにはガンゲットは忘れ去られるようになりました。

ところが、10年くらい前から各地にガンゲットが復活してきて、人気は徐々にあがってきているようです。

現代にガンゲットに行く人たちは、昔を懐かしむ高齢者が多いように感じます。田舎に住む知人が、ご近所の人たちとバスをチャーターしてパリの近くにあるガンゲットに行ったと話しをしていました。大規模なダンスホールだったらしい。

どんなところなのか映像を探してみたら、たくさんでてきました。昔にガンゲットがたくさんあったというマルヌ川沿いにある町のガンゲットの様子を見せる動画を入れます。


THÉ DANSANT PAR LA GUINGUETTE J. DE LA FONTAINE

この動画には「thé dansant」と書いてあります。ガンゲットの流行が復活してきたころからのように思うのですが、この耳慣れない言葉を見かけるようになりました。「ダンスパーティーがあります」という感じの張り紙があるのを目にするわけなのですが、どうも気になる言葉。

「thé dansant」とは、英語にすればdancing tea。紅茶とダンスが楽しめる集まりなのだろうと想像できます。たぶん、イギリスのアフタヌーン・ティーの風習のような感じで、早めに始めるというダンスパーティーなのかもしれません。

紅茶という文字を入れているということは、こういうお楽しみには付きもののお酒は飲まない、という決まりなの? こういう催し物に行くのは平均年齢70歳くらいだろうと思うので、早く始まって、早めに帰れるというのは好まれるのかもしれない。でも、お年寄りだってお酒は飲みますけどね...。

Wikipediaには項目ができていませんでした。英語ページでは「Tea dance」といいうのがあり、フランスのと同じもののようです。でも、フランスのがどんなのか知りたい。

検索してみたら、パリのお話しで、「土曜の午後、thé dansantに行ってテストしてきました」という感じで、女性が詳しく報告している記事がありました。下の「外部リンク」の最後にに入れておきますので、よろしかったらお読みください。面白いのです。でも、お忙しいのに読んでいただくほどの価値はないか...。

想像していた通りのダンスパーティーのようです。集まっているのは高齢者ばかり。女性たちは厚化粧してハイヒールを履いてドレスアップ。男性も蝶ネクタイ姿。女性が行くときは誰かがダンスに誘ってくれるのを長いこと待つことになるので、お相手を連れていった方が良いとアドバイスしていますね。女性4人に対して、男性1人という感じなのだそう。

私の関心事は飲み物でした。美味しいthé(紅茶)を飲みたい人にはお勧めしません、とある。「踊る紅茶」という名前にしておきながら、紅茶は全くなかったのだそうです。アルコール飲料もなし。従って、喉が渇いたら水かジュースを飲むしかない。変なの...。



シリーズ記事目次 【フランスのワイン産地】 目次へ
その19

ブログ内リンク:
パリとワインの関係 (1): パリのブドウ畑とガンゲット 2016/02/01
「ガンゲット」と呼ばれるレストラン 2005/09/07
パリ首都圏の町にある田舎風景とは? 2010/12/27
★ 目次: ワインの消費、ビジネス、飲酒規制、歴史など

外部リンク:
L'Histoire par l'image: Le Moulin de la Galette | Le bal, une pratique sociale
YouTube: Le Moulin de la Galette
YouTube: Montmartre - Le Moulin de la Galette.wmv
Montmartre. Moulin de la Galette. Histoire. peintres.
Les moulins de Montmartre
Sous les Toits de Paris: Le MOULIN de la GALETTE
La Belle Epoque.. Le moulin de la Galette
Waltz Around a Tea Table
J'ai testé la fièvre du samedi après-midi au thé dansant de l'Olympiade


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フランスのお酒 (ワインなど)



2016/02/01
犬も歩けば棒にあたる。「ワイン樽の製造: 今と昔」を書いていたら、知りたいと思っていたことに出会いました。

最近になって再開発されたけれど、かってはヨーロッパ最大規模だったというベルシーの酒蔵。ベルシー村と名付けられた界隈に行ったときから、昔はどんな姿だったのか見たいと思っていたのですが、映像や写真がたくさん見つかりました。

それだけではなくて、情報を読んでいたら、19世紀から酒蔵があった時代までのパリとワインの関係も見えてきました。

まず、パリとワインの関係からメモしておきます。


モンマルトルのブドウ畑

パリ首都圏でのブドウ栽培は18世紀に最盛期を迎え、ブドウ畑は42,000ヘクタール。当時は、ボルドーやブルゴーニュを抜いてフランス最大のワイン産地だったとのこと。人口が多いからそうかなとも思いますが、本当だったのだろうか?

でも、パリにもブドウ畑があったというのは聞いていました。

モンマルトルには、昔あったブドウ畑を復活した「Clos-Montmartre」と呼ばれる小さなブドウ畑があります。

パリの観光スポットの1つ、モンマルトル(18区)。有名なサクレ・クール寺院やテルトル広場はいかにも観光地なので好きではないのですが、このあたりを散歩したらすっかり気に入りました。パリに住むとしたら、この静かな住宅街が良いな、と思ったほど。

そのとき撮った写真はブログに入れていましたが、ブドウ畑のことは何も書いていませんでした。



特別なときでないと畑の中には入れてくれないのでつまらない。でも、都会の中にブドウ畑があるというのは良いものです。


この場所にブドウ畑があったことは、944年の記録に残っているのだそうです。

パリは次第に拡大していったのですが、この界隈がパリ市に組み込まれたのは1860年。開発によってブドウ畑は無くなっていき、1929年には完全に消滅しまいました。マンションが建つはずだったのですが、昔を懐かしむ住民たちの運動によって、パリ市はブドウ畑を復活させたのだそうです。

1933年のこと。畑の広さは0.15ヘクタールとか、2,000㎡とか言われていました。当初2,000本のブドウの木を植えて、今は1,762本残っているのだとか。

パリ市の職員である醸造技術者がブドウ畑について説明している動画がありました。


Les vignes de Montmartre

1860年くらいまで、つまり、ブドウに壊滅的な被害を出した外周フィロキセラが発生してブドウに壊滅的な被害を与える前、そしてパリが都市化してしまう前、パリのブドウ畑は900万リットルものワインを作り出しtいたのだそう。

モンマルトルの歴史を話してくださったので、おさらい。

パリで最も高い丘にあるモンマルトル(Montmartre)という地名は、ラテン語でMons Martyrum、フランス語でMont des Martyrsから来ていて、「殉教者の丘」の意味。この丘でキリスト教徒が殉教させられたのですが、その中に初代パリ司教がいた。後に聖人とされたサン・ドニ(Saint Denis)。西暦258年から272年ころだった、と言われています。

サン・ドニは首を落とされた後、自分で首を持ってしばらく歩いたと言われています。それで、教会で見かける彼の像は、いつも首を持っているという奇妙な姿で描かれています。

サン・ドニと呼ばれる聖人は何人もいますが、これはパリのドニ(Denis de Paris)と呼ばれている聖人です。

ドニ(Denis)というのは、ギリシャ神話のDionysos(ディオニューソス)に相当するフランスの呼び名。ディオニューソスはバッコスとも呼ばれ、ブドウ酒と酩酊の神。

それでモンマルトルのブドウ畑では、秋にブドウ収穫祭をするのですが、サン・ドニ聖人の日である10月9日のあたりに行っているのだそう。ブドウの収穫祭にしては遅すぎる時期だと思ったのですが、そういう経緯だったのですね。

サン・ドニ像
ノートルダム大聖堂(パリ)
ブルゴーニュワイン

モレ・セン・ドニ
サン・ドニ大聖堂
Façade de la basilique de Saint-Denis
サン・ドニ市

サン・ドニがバッカスにゆかりがあったとは知りませんでした。

ブルゴーニュのコート・ド・ニュイのワインに「モレ・セン・ドニ(Morey-Saint-Denis)」というのがあったのを思い出しました。ワイン村にしては良い名前だったのだと感心。この村のサイトを見たら、公民館の名前が「Cellier de Dionysos(ディオニューソスのワイン貯蔵庫)」という名前になっていました!

もう1つ有名なサン・ドニは、少し前のパリ同時多発テロの舞台になってしまったサン・ドニ市。もともと治安が悪いことで有名な地域だったのですが、初代パリ司教のサン・ドニを祭ったサン・ドニ大聖堂があります。10世紀からフランス革命が勃発する前までは、歴代の王様の墓所だったという由緒ある教会。

ドニ聖人は、パリ市とセーヌ・サン・ドニ県の守護聖人なのだそう。


モンマルトルで収穫されたブドウは、パリ18区の役場のセラーでボトル詰めされるそうです。年間生産量は500~1,000リットル。50mlという小ぶりなボトルに入れられ、コレクターやパリのお土産として人気があるようです。


Le vin de Montmartre n'est pas une piquette


パリ市がワイン醸造所を持っていて、ちゃんと技術者もいるというのは楽しいですね。しかも、この醸造技術者のFrancis Gourdinさん、南西部訛りの話し方がとても魅力的です。モンペリエのご出身なのだそう。南仏の太陽の光と地中海を感じさせられます。この職務が楽しくてたまらないというのにも好感を感じます。

とても謙虚で正直な人だと感じます。彼が職務についたのは1995年。それまでは、いい加減にワインを作っていたので、飾っておくようなシロモノだったのを何とか飲めるワインにしたのだそうです。そのワインのことを「飲めます」としか言わない! ボン(良い)とか、パ・マル(悪くない)とも言わないで、「buvable(飲むことができる)」としか言わないのです!

気に入ってしまったので、もう1つ彼が登場している動画を入れてしまいます!


Visite guidée des vignes de Montmartre avec Francis Gourdin, œnologue de la Ville de Paris


グルダンさんはモンマルトルのブドウ畑(18区)を担当しているだけではなくて、Bercy(12区)、Belleville(20区)、Clos des Morillons(15区)、la Butte Bergère(19区)のブドウ畑もお仕事の場となっているそうです。もう引退の時期を迎えているかもしれませんけれど、後任者はいるでしょうね。


モンマルトルのブドウ収穫祭(Fête des vendanges de Montmartre)をオーガナイズするのも、彼が責任者となっているようです。大勢の人が来るというこの祭りがどんなものなのかと思って、映像を探してみました。

道端でフレンチカンカンを踊っていたり、ナポレオン時代の軍服を来た人たちなどがいる動画ばかり...。これではモンマルトル祭りとか、日本ではパリ祭と呼ぶ革命記念日の祭りみたいと思ってしまいました。

でも、フランス各地から来たブドウ栽培者たちのパレードがあったので、それを入れておきます。


Défilé - 82ème Fête des vendanges 2015 - Montmartre - Paris



モンマルトルのガンゲット

なぜか気になっているものに、ガンゲットGuinguetteという場所があります。パリの人たちが休日に郊外に出かけ、ワインを飲んだり、ダンスを踊ったりする余暇を私語した場です。パリで流行したことだから、パリっ子訛りで発音して「ギャンゲット」と書くべきなのかもしれない。

日本も、江戸の庶民たちが郊外に行ってお花見を楽しんだのと通じるところがあるのかもしれない。でも、ガンゲットは、パリの外に行くと、酒税の関係で安くお酒を飲めたから、というのがあります。郊外に出てのんびりと息を吸うのを楽しんだというところでは共通しますが、日本のように風情を楽しむというのではない!

ガンゲットの歴史は調べたりしていたのですが、飲んでいるのは何処かから来たワインなのだろうと思っていました。でも、これが流行した時代、パリとその周辺ではちゃんとワインを生産していて、それを彼らは飲んでいたのだと知りました。


ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と題された絵画も、モンマルトルのガンゲットを描いたものでした。

Pierre-Auguste Renoir, Le Moulin de la Galette
Bal du moulin de la Galette, Auguste Renoir (1876年)


モンマルトルをかなり隅々まで歩き回ってみたとき、気になった建物がありました。それが、このルノワールの絵の題名になっている飲食店Moulin de la Galette(ムーラン・ド・ラ・ギャレット)だったのでした。



モンマルトルで有名なのはムーラン・ルージュの赤い風車。そう思っていたのに、別の風車もあるので奇妙...。知っている人は知っているのだろうという、もったいぶった感じがあり、私などは間違っても入れない店に見えました。

気になったので何枚も写真をとっており、店の名前も撮影していたので確認できました。確かに、Moulin de la Galette。

この写真は10年くらい前に撮っているので、今はどうなっているかと調べてみたら、7カ月のリフォームの後にオープンしたというニュースがありました。ビストロ風の店で、ランチなどはお手軽価格の定食があるようです。ただし、風車は別の持ち主の私有地の中にあるので見学はできないようです。昔は裏に庭があって、そこがルノワールの絵に描かれていた場所だったとのこと。


ムーラン・ド・ラ・ギャレットは多くの画家に描かれていました。ゴッホもたくさん描いており、Wikipediaではこの風車を描いたゴッホのページを設けているくらいでした(このページ)。彼は、ルノワールの絵が描かれた10年後、1886年から翌年までモンマルトルに住んでいたのですね。

ゴッホの1886年の作品を並べてみます。

Van Gogh - Le Moulin de la Galette
Le Moulin de la Galette
Le Moulin de la Galette
Vincent van Gogh - Le Moulin de blute-fin(1886)
Le Moulin de blute-fin

遠景から描いた作品だと、周りには緑が広がっていますね。下は、風車を望む菜園。


Jardins potagers à Montmartre : La Butte Montmartre 1887

130年前のモンマルトルは、こんなに長閑だったのですか...。どこにでもブドウ畑があったという時期は過ぎていたようですが。

ゴッホも、モンマルトルで「ガンゲット」と題した絵を描いていました。

Van Gogh -  "La Guinguette"
La Guinguette, Van Gogh (1886年10月)

風車小屋がある店ではないような感じがしますが、モンマルトルのRue des Saulesという名の通りにあったガンゲットだそうで、その通りには現在ブドウ畑があります。


ベルヴィルのガンゲット

パリのガンゲットの歴史にでてきたものの中に、ベルヴィル(Belleville)のブドウ畑もありました。現在はパリ20区に入っています。公園になっており、ここも1992年に小さなブドウ畑を復元されていました。

このあたりには、19世紀まではブドウ畑が広がっていて、ガンゲットがあったそうです。


Paris et le vin | Un Jour de plus à Paris

ここで出されていたのはginguetと呼ばれているワイン。若くてすっぱいけれど安いワインでした。guinguette(ガンゲット)は、このginguet(ジャンゲ)からできた言葉なのだそうです。


フランスのテレビの教養チャンネルがYouTubeにフランス語の教材を入れていて、その中にガンゲットを紹介するものが入っていました。

ガンゲットはモンマルトルやベルヴィルの当たりで始まったのですが、パリ市の中に入ってしまうと、だんだん外に出て行ったというのを絵で見せています。もっと遠くに行くと、川のほとりにガンゲットがあって、人々が川にボートを浮かべて楽しんだというイメージになってきたわけですね。


ARTE: la tradition : la guinguette文字


パリ市内には12カ所くらいのブドウ畑がある

パリを中心とするイル・ド・フランス地方には、現在、ブドウ畑が134カ所あって、そのうち10分の1くらいがパリにあるとのこと。

そう言われてみると思い出しました。

ベルシー公園に行ったとき、パリ市民をガーデニングに親しませえるための施設のそばにもブドウ畑があったのです。



植物園の中にあるブドウ畑だと少しつまらない。これもブドウ畑と数えるのなら、パリ市内には幾つもブドウ畑があると言っても不思議ではないですね。最近のパリは市民を自然に触れさせるように努力していて、あちこちに市民農園も作っているのですから。

ここはベルシーという地区。少し前まで巨大な酒の貯蔵庫があった場所です。
パリにあったワイン市場について、続きとして書こうと思ったのですが、ここで出したムーラン・ド・ラ・ガレットについて補足を書きました:

モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ガレットの「ガレット」とは、なに?


シリーズ記事【フランスのワイン産地】
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その18




ブログ内リンク:
「ガンゲット」と呼ばれるレストラン 2005/09/07
パリ首都圏の町にある田舎風景とは? 2010/12/27
★ 目次: ワインの消費、ビジネス、飲酒規制、歴史など
★ 目次: ワインなどアルコール飲料に関するテーマ
パリには公園が少ない? 2015/10/19
★ 目次: 画家、彫刻家、建築家の足跡を追って
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化

外部リンク:
Paris le top 5 des vignes
L'oenologue de Paris met Montmartre en bouteille
Fête des vendanges : visite guidée de la vigne de Montmartre
Le guide des guinguettes de Paris
Paris et le vin  Un Jour de plus à Paris
☆ レストランのサイト: Moulin de la Galette
☆ Wikipedia: Denis de Paris » パリのディオニュシウス
☆ Wikipedia: Basilique Saint-Denis » サン=ドニ大聖堂
☆ Wikipedia: Moulin de la galette » ムーラン・ド・ラ・ギャレット
☆ Wikipedia: Le Moulin de la Galette (série de Van Gogh)
☆ MMM: モンマルトル~芸術家の集ったパリの丘~


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