| Login |
2008/02/08

昨年の秋、ジュール・ルナール(Jules Renard 1864年~1910年)が幼少期を過ごした村に行ってみました。

「郷土資産の日」のための旅行でした。この日には、普段は入れない所も見学できるからです。

★ 郷土資産の日については、過去の日記でご紹介しました:
フランス式「文化の日」 (2007/09/24)



◆ Chitry-les-Mines 村

最近になってたてられたというジュール・ルナールの銅像を、村の広場で見つけました。



ルナールは、晩年にはこの村の村長をしていました。彼にとって愛着のある土地だったようです。

村の名前は Chitry-les-Mines(シトリー・レ・ミーヌ)。
ブルゴーニュ地方にあります。

「mines(鉱山)」という語が付いているところ、昔は鉱山があったのでしょうか?
なんとなく、暗い地名に感じました・・・。


◆ にんじんの家

ジュール・ルナールという名前は、日本では知られているでしょうか?
でも、彼が書いた『にんじん』という本の題名をご存じない方はないと思います。

      

『にんじん』は、自伝的な小説だそうです。

とすると、ルナールが幼少期を過ごした家は、その舞台。

その家が今も残っていると聞いていました。「郷土遺産の日」なので、そこに入れることを期待して行ったのです。

でも、家の前はひっそりとしています。一般開放はされていないのでした。

道路から見たルナールの家です。



ここにルナールは愛着を感じていたのが不思議になるくらい、普通の家・・・。

なぜか、寂しくなるくらいに普通の家だと感じました・・・。


◆ 日本では、『にんじん』を何歳くらいで読むのでしょうか?

子どもに読ませたい世界の名著』にも、『にんじん』はリストアップされていました。



子どもって、小学生を指すのでしょうか?

私は、その頃に読んだ気がします。ただし、全文ではなくて、ストーリーがわかる程度の内容だったように思います。

フランスの友人に「ちゃんと読んでいないと思う」と言ったら、本を貸してくれました。ルナールの文章は美しいから読むように、と。

古めかしい本でした。挿絵も入っていましたが、子ども向きの絵ではないです。思っていたより長くて、童話のようにスラスラと読める本ではありませんでした。

フランスでは、『にんじん』は中学生の教科書に出てくるそうです。つまり、余りに幼すぎては理解できない内容とのこと。


◆ 役場が展示会はしていた

ルナールが暮らしていた家には入れませんでしたが、村役場では、村の歴史と、ルナールに関する資料を展示していました。

そこにいらした村の方たちと、少しおしゃべりをしました。

ルナールの研究会があるそうで、日本人も2、3人メンバーになっているのだ、と話していました。

それで、フランス語の原題は『Poil de carotte(人参の毛)』と題された本が、日本では『にんじん』という題になっているのも知っていらっしゃいました。

どうして「にんじん」という翻訳にしたのだろう? と言われてしまいました。確かに、それでは意味が通らない!


◆ ニンジン色の毛

『にんじん』の主人公は、家族からも、髪の毛の色が赤いことから付けられたあだ名でしか呼ばれていませんでした。それが、彼の不幸を象徴しています。

近くに行ったから立ち寄ったルナールの家でしたが、その後は、今まで気にしたこともなかった「赤毛」というものに興味を持ちました。

フランスの友人に聞いてみると、赤毛の子どものことを「人参の毛(poil de carotte)」と呼ぶのは、ひと昔前のフランスではよくあった、と返事されました。

別に侮辱しているわけではなかくて、赤毛の友達には普通に言っていた、とのこと。

でも、今では「ニンジンの毛」という表現はすっかり使われなくなったそうです。

色々な色に髪の毛を染めるようになったので、変わった色でも目立たないから、と、友人は笑って説明してくれました。

本当に赤い髪の毛に染めてしまっている女性も、私の知り合いの中にいます。かなり年配の女性。すごいな・・・ と会うたびに思ってしまっています。ほんとうに血がしたたるような「赤」なのですから!

でも、彼女の毛は赤いのであって、poil de carotteと呼べる色ではありません。

フランス語では、『にんじん』の主人公のような髪の色は、roux(赤褐色)であって、rouge(赤)とは言いません。


◆ 赤毛とは、どんな色?

フランス人の赤毛(Rousseur)の割合は5%なのだそうです。
多いのは、スコットランド(14%)。次に、アイルランド(10%)。

5%もいるにしては、私は赤毛なるものを見たことがないような気がしていました。

ところが、にんじんの家を見てからほんの数日後、「これは本当に人参の色だ!」と思う人に出会いました。

男性のお髭の部分です。高名な大学教授だし、親しい間がらでもないので、それとなく見ただけです。

それでも、「こういうのをニンジンの毛というの?」と、一緒にいた別のフランス人に確かめてしまいした。

私が子どもみたいな質問をするのには慣れている友達です。「そうだ」と教えてくれました。

その大学教授には以前に何回も会っていたのですが、その色には全く注目していませんでした。

オレンジ色と表現した方が良いような、光を放つ色です!

ニンジン色の髪の毛について質問した友達が、赤毛の友達をそう呼んでいたけれど、侮辱する意味合いはなかった、と言っていたのが分かるような気がしました。

むしろ特徴として長所になるかも知れない、と思いました。実際、赤毛の人は芸術作品でも多く取り扱われたようです。

フランスでも絶大な人気がある『タンタン』というベルギーの漫画があるのですが、その主人公タンタンも、ニンジン色の髪の毛とされていました。

 タンタンの冒険旅行 DVD

私は、タンタンは金髪だとばかり思っていましたけれど・・・!

こんなことを書いているので、赤毛とはどんな色なのかお見せしなければなりません。

ウィキペディアに、赤毛の色を入れているページがありました:
☆ Wikipedia: Red hair

でも、写真だと、あの火山が爆発したのを思わせる鮮やかさに欠けています!



ニンジンに例えられる赤毛については、また書きました:
★ ニンジンとオレンジの関係 2017/03/10




ブログ内リンク:
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビ番組

外部リンク(仏語サイト):
☆ 「にんじん」の原作(全文): Poil de Carotte
Pour Jules Renard
Biographie Jules Renard
Ville de Nevers - Jules Renard


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


コメント
この記事へのコメント
赤毛
と聞くと、「赤髪連盟」(もちろん、シャーロック・ホームズ)、「赤毛のアン」などが思い浮かびます。

それに、昨日、ちょうど娘達と見ていた映画が赤毛の子どもの映画でした。「息子を持つ母親には必見よ!」とわたしがDVDを借りてきた、アメリカ映画、ピーター・ボグダノヴィッチの1985年作品「マスク」。実話をもとにした、奇病の少年とその母(「ぶっとんだ」としか言えないシングルマザーです)の物語です。上の娘二人はそれぞれ二人の男児の母。未婚の末娘も入れて、四人で見て、全員涙、という、オバカな家族のウィークエンドでした。

で、この「にんじん」も、たしか、ジュリアン・デュヴィヴィエの映画があったように思います。中学生のころ、テレビで見たかすかな記憶があります。その頃はエロール・フリンの出る時代劇の方が圧倒的に好きだったので、「にんじん」については、モノクロの画面のわずかな印象しかありませんが、たぶんNHKの放映だったでしょう。
2008/02/09 | URL | Saule  [ 編集 ]
私が子どもみたいな質問をするのには慣れている友達
ここの一説が好きです…ちゃんとご自分を客観的にみて…友人も文化のすり合わせと理解して…些細な事ですが文化の壁は感じる時多々…赤毛が卑下されていなかったってこちらではなかなか理解出来ませんよね♪
2008/02/09 | URL | ひでわくさん  [ 編集 ]
【Re】Sauleさんへ / 赤毛
>赤毛と聞くと、「赤髪連盟」(もちろん、シャーロック・ホームズ)、「赤毛のアン」などが思い浮かびます。



⇒ ふと気になって『赤毛のアン』の原題を調べてみたら、「赤毛」というのは入っていないらしいので驚きました。Anne of green gables 。フランス語訳でも同じで、「緑の切妻屋根のアン」となっていました。

2008/02/10 | URL | ブルゴニッシモ  [ 編集 ]
【Re】ひでわくさんさんへ / 私が子どもみたいな質問をするのには慣れている友達
>ここの一説が好きです…ちゃんとご自分を客観的にみて…友人も文化のすり合わせと理解して…些細な事ですが文化の壁は感じる時多々…



⇒ 生まれ育つと自然に理解することなのでしょうけれど、疑問は次々とわいてきます。



>赤毛が卑下されていなかったってこちらではなかなか理解出来ませんよね♪



⇒ 私は逆に、卑下される方が不思議なのです。「赤毛」と言われてしまうと突拍子もない色のように感じてしまいますが、ほとんど金髪の色で、色が鮮やかすぎるという程度ですから。魅力になったりもする髪の毛の色だと思いました。

2008/02/10 | URL | ブルゴニッシモ  [ 編集 ]
にんじん
「にんじん」は小学校の時のクラスメイトの愛読書でした。彼女はとても賢くて優しく、かわいくてスポーツ万能で欠点を見つけるのに苦労する人気者でしたが、ニンジンが大嫌いで給食の時には配膳係は気をつけて彼女のお皿にはニンジンを入れないように気をつけていました。(笑)

当時は「給食を残さず食べましょう!」という教育だったので、ニンジンが食べられない彼女が昼休みも残したニンジンを目の前に…=彼女とは遊べない!=つまんない!というのがクラスメイト全員の選択です!(笑)

あまりにも賢い彼女が読んでいる本だったので、私には無理だ。。と避けていましたが、私だってもう大人!(笑)作者がフランスの人、しかもブルゴーニュの人ということで、これをきっかけに読んでみようかな~。

ん~、フランス語で読みたいところですが、、、まずは日本語で読もう!っと。(笑)

2008/02/10 | URL | pepe犬  [ 編集 ]
【Re】pepe犬さんへ / にんじん
>彼女はとても賢くて優しく、かわいくてスポーツ万能で欠点を見つけるのに苦労する人気者でしたが、ニンジンが大嫌いで給食の時には配膳係は気をつけて彼女のお皿にはニンジンを入れないように気をつけていました。(笑)



⇒ 優しい思いやり。クラスはみんな仲良しだったのですね。その彼女の愛読書が『にんじん』というのも面白いですね。



子どものときに読んだ本は、大人になって読み直してみるのも面白いな、と思います。全く無視していたところが見えてきたりして・・・。

2008/02/10 | URL | ブルゴニッシモ  [ 編集 ]
赤毛のアン
そうですね、でも、わたしはこのタイトル、好きです。ひたむきで情熱的な「赤毛」と、質素な「アン」という名前を併せ持つ少女の話、というイメージがあって。

「グリーンゲイブルスのアン」だったら、ここまで日本で読まれたでしょうか。

「星の王子さま」についても、タイトルが原題どおりだったら、どうだったか、と考えます。

どちらも、訳者が原作に入れ込んで考えた邦題のような気がしますね。
2008/02/13 | URL | Saule  [ 編集 ]
【Re】Sauleさんへ / 赤毛のアン
>どちらも、訳者が原作に入れ込んで考えた邦題のような気がしますね。



⇒ 私も定番の訳語がないフランス語の訳語を作るときに苦労します。まして文学作品を、文化の全く違う国の言葉に翻訳するのって、気が遠くなるくらい大変な仕事だと思います。言葉で置き換えられても、その言葉からイメージするものも違うのですから。それに、言葉の坐りが悪いのもある・・・。



映画の題名などは、わりあい気楽に原題を変えてしまっているのではないかな、と感じます。



「赤毛のアン」も「星の王子様」も、非常によくできた日本語ですね。後者はフランス語の題名もとっても良いと思いますけれど、日本語で置き換えたら通用しませんね。

2008/02/14 | URL | ブルゴニッシモ  [ 編集 ]
Re:『にんじん』の作者ルナールの家。そして、赤毛とは?(02/08)
こんばんは。

久しぶりにお邪魔させていただきます。

ルナールの「博物誌」の確かな観察眼に支えられた文章や、諧謔に富んだ比喩を読むと、「にんじん」に見られる突き放したような文章が不思議に思えました。

最後に父親とは和解した、というふうに覚えていますが、なぜか「めでたしめでたし」にはならない。何か苦いものがいつまでも心に残る小説でした。赤毛、というとアイリッシュのイメージがあります。モーリン・オハラ(笑)

海峡を渡ったフランスにおける赤毛のイメージは今まで考えることがなかったのですが、「にんじん」と言うあだ名が、彼の不幸を象徴しているという言葉に、思わずうなりました。

それにしても救いがない小説、救いのない少年期だと思います。後年ルナールが故郷の村で村長をした、というくだりに、背反するルナールの想いを垣間見たような気がしました。
2011/07/04 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re
友達から借りた「にんじん」は読まないで返してしまったのですが、aostaさんのブログを拝見してから読みたくなりました。ざっと目を通そうとしたら長い! 途中を飛ばして、最後から逆に読んでみました。



「諧謔に富んだ」と聞いて、ルナールは自殺願望を持つタイプなのだろうと感じました。フランスは日本より自殺者が多いと実感しているのですが、こんなに冗談を飛ばす明るい人が?! という友人たちが自殺してしまうのです。無理をしているのだと思う…。



フランス映画で「にんじん」を見ました。最後に父親がにんじんを「フランソワ」と呼んだことで救われる思いがしたのですが、そんなことで深い傷が癒されることはないのに… と、腑に落ちない結末。原作では、お父さんも母親が嫌いだということで救いを見いだされる場面はあるのですが、にんじんを本名で読んだというくだりがありませんでした。その後にはエピローグ風の文章が長々と続いていて、これはパスカルの「パンセ」のように短い文章の羅列。aostaさんのような方に解読していただかないと、私には理解できません…。



写真で入れた家はルナールがにんじんのような辛い少年時代を過ごした家のはずなので、自立できるようになれば記憶から抹殺したいと思うのが普通だと思うのですが、なぜか愛着を持っていたようです。この家を所有することはできないので、近くで見つけた似たような家(司祭館だった建物らしい)に住んだりしています。子ども時代の楽しい思い出もあった家だったのかもしれませんが、長いこと村長を務めたこととあわせて、自分の傷に正面から立ち向かって克服しようとする強い意志を持っていた人のような気がしました。

2011/07/06 | URL | ブルゴニッシモ  [ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する