| Login |
2012/02/26

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その2


前回の日記で書いたレストランから、窓の向こうに見えるブルー王立修道院(Monastère royal de Brou)の建物をしげしげと眺めたのですが、そのとき気がついたことがありました。


ブルゴーニュ公国のマーク「聖アンデレの十字架」

修道院の教会の部分。美しい入口の部分にある彫刻に目が行ったのです。

ブルゴーニュ公国の旗のマークがあるではありませんか。しかも、見えただけでも2カ所もあります!

ブルー王立修道院の正面 

ブルー王立修道院の正面から見て、中央にあるのは聖アンデレ像ですが、屋根の左上にもX型の十字架を持ったライオンの彫刻がありました。

アンデレはキリストに選ばれた12人の使徒の1人。X字型の十字架で処刑されて殉教したために、このバツ印のような十字がシンボルになっています。

アンデレというのが日本語表記らしいので、そう書きましたが、フランス語ではアンドレという名前。少し年配のフランス男性にはアンドレという名前が多いです。私は耳障りが良くて好きな名前なのですが、そう言ったら友人から「??」と反応されました。アンドレ(André)は良いのだけれど、あだ名のデデ(Dédé)で呼ばれるので美しくないのだそう。
Croix de saint André
Croix de Saint André(聖アンデレの十字架)は、ブルゴーニュ公国のシンボルです。

ブルゴーニュ公国の旗のマークは右のもので、Croix de Bourgogne(ブルゴーニュの十字)と呼ばれます。ただのⅩ型ではなく、バツ印にギザギザがついています。

聖アンデレの像が正面に掲げられている教会堂なのですが、この教会の名前はÉglise Saint-Nicolas-de-Tolentin de Brou。つまり、別の聖人であるSaint Nicolas de Tolentino(トレンティーノの聖ニコラス)の名前がついていました。

教会の正面は最近修復が行われた様子で、きれいになっていました。入口の木のドアが白く塗られていることが気になりました。でも、歴史的建造物に指定されている建物ですから、気まぐれにしたはずはない。以前の状態はどうなっていたのか調べてみたら、やはり普通のドアのように茶色でした(修復前の写真はこちら)。


マルグリット・ドートリッシュ

ブルー王立修道院(Monastère royal de Brou)は、ブールカン・ブレス町(Bourg-en-Bresse)にあります。

マルグリット・ドートリッシュが、亡き夫サヴォイア公フィリベール2世を葬るために、16世紀全般に建築されました。

マルグリット・ドートリッシュMarguerite d'Autriche)は、ブルゴーニュ公国最後の後継者マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne)と神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の間に生まれた第2子です。

つまり、ブルゴーニュ公国のプリンセスだったのです。教会の正面にブルゴーニュ公国のシンボルだった聖アンデレの十字を付けたのも、それを強調したかったからではないでしょうか?

もちろん、上に入れた写真に見えるように、屋根は「toit bourguignon(ブルゴーニュの屋根)」と呼ばれる色タイルの屋根です。
 
追記:
聖アンデレの十字が気になるのでさらに調べていたら、この十字マークはマルグリット・ドートリッシュの家系が統治したネーデルラント17州のマークでもありました。ブルゴーニュ公国から引き継いだ領地なのでマークも同じにしたのでしょう。ただし、十字に付けているギザギザの数がブルゴーニュの十字と同じなのかどうかは分かりませんでした。


マルグリット・ドートリッシュは、小説や映画になる価値があるくらいに波乱な人生を送った人でしょうね。


マルグリット・ドートリッシュの肖像画
※左はブルー王立修道院のステンドグラス。右はJean Heyの作品(1490年)。


Marguerite d'Autricheの「Autriche」はオーストリアのこと。従って、彼女の名前は「オーストリアのマルグリット」となります。

今まで気に留めたこともなかったのですが、マルグリット・ドートリッシュ(1480-1530年)がどんな人だったのかを少し調べてみました。

この時代の歴史は複雑で、理解するのが難しい! まず、国の区分で混乱します。国というよりは、支配者の家系が所有する領土で区分すべきなのですが、政略結婚によってさらに複雑になる...。さらに、人の名前も複雑。同じ人でも、色々変わるし、領主であることを示す名前を幾つも持っている。さらに、言語が違う諸国が統治されているので、同じ人に色々な言語で名前がついています。こうなると、日本語情報で調べるのはお手上げ状態になります。

マルグリットの悲劇は、絶世の美女だった母親マリー・ド・ブルゴーニュの突然の死(1482年)から始まります。この時、彼女は2歳。

ブルゴーニュ公国はベルギーやオランダまでを領土としていたのですが、唯一の直系だったマリー・ド・ブルゴーニュの死が利用されて、ブルゴーニュ公国は解体され、ブルゴーニュ地方をはじめとするフランスの領土はフランス王国に横取りされてしまいます。

それでも、フランス王国はブルゴーニュ公国を完全に飲み込むために、血縁関係を作ろうとしたのでしょう。マルグリットはベルギーに住んでいたのですが、3歳のときにフランスに連れ出され、フランス王妃となるべく教育をほどこされます。

マルグリット10歳のとき、婚約者とされていたフランス王シャルル8世(1470年~1498年)の妻にされます。

マルグリットより10歳年上のシャルル。女性に愛でる文化があるフランス王朝ですから、優しく扱ってくれるシャルルに、マルグリットは優しいお兄さんという感情を抱いたのではないでしょうか?...

ところが、政略結婚の時代でした。フランス王朝にとっては、ブルゴーニュ公国よりもブルターニュ公国を手中に収める方が将来性があると判断したようです。シャルル8世はマルグリットを離縁し、ブルターニュ公国の継承権を持つアンヌ・ド・ブルターニュと結婚してしまいます(1491年)。

実は、このとき、マルグリットの父親マクシミリアン1世はアンヌ・ド・ブルターニュと婚約していたのに、シャルル8世に横取りされたのです。マルグリットには2重の屈辱!

※私が訪問記を書こうとしているブルー王立修道院は、国王が建てさせたのではないのに「王立」の文字がついているのが不思議だったのですが、この修道院を建設したマルグリットは短い期間とはいえフランス王妃だったので「王立」と呼ばれるのでした。

1497年、マルグリットはスペインのアストゥリアス公フアン (1478~1497年)と結婚します。幸せな結婚になるかに見えたのですが、夫は半年後に急死してしまいます。そのときマルグリットは第1子を懐妊していたのですが、その男子を死産します。

1501年、マルグリットはサヴォイア公フィリベール2世(Philibert II de Savoie, dit le Beau: 1480~1504年)と結婚します。

フィリベール2世は「美男フィリベール」という俗称も付いていた人。ここでも夫婦仲は良かったようですが、結婚の3年後、夫は24歳の急死してしまいます。狩猟の際に飲んだ生水が原因でした。彼女の両親も仲が良かったのに、母親マリー・ド・ブルゴーニュが落馬事故で亡くなったのと、どこか似ています。


別の人生を歩んだマルグリット・ドートリッシュ

フィリベール2世との死別の後、マルグリットは生まれ故郷のベルギーに戻ります。後期ゴチック建築の傑作とされる教会堂の建設は1513年に開始。彼女の領土であるオランダから最高レベルの建築家を送り込んで建設させています。

3回の結婚でつまずいたマルグリットは、再婚を拒否し、死ぬまでの25年間を喪に服し、独身を貫いたそうです。

とはいえ、結婚運は悪いから、結婚は避けると考えた彼女は懸命だったのではないでしょうか? その後の彼女は自らの能力を発揮して、充実した生活を送ったように感じます。

マルグリットはベルギーに戻り、甥や姪の教育を熱心におこない、父親から受けた領土を統治して政治的手腕を見せました。

また、膨大な財産を受けたことを利用して、芸術や工芸のメセナとしても功績しています。

彼女が1530年に死んだときには、ヨーロッパは偉大な政治家の一人を失ったと言われます。彼女の統治力もさるものながら、何かで人間同士の衝突がおきたときに介在して解決する能力にも優れていたからでした。

3度の結婚は不幸な結果に終わっていますが、3人の夫には愛されたそうなので(それだけに別れは辛かったのだろうと想像しますが)、マルグリットは美貌と才気に恵まれていただけではなく、心の優しさもあった女性なのではないかと想像します。


話しが脱線してしまいました。
次回の日記は、マルグリットが最後の夫フィリベール2世を祭るために建てたブルー王立修道院の見学記を書きます。

― 続く ―


ブログ内の関連記事:
マリー・ド・ブルゴーニュとブルージュ 2009/05/20
★ 目次: ブルゴーニュの歴史
病院となったオスピス(施療院)を見学 2011/08/27  聖アンデレ十字

Wikipedia情報
アンデレ
Croix de saint André
Croix de Bourgogne
Nicolas de Tolentino
Marguerite d'Autriche (1480-1530)
Charles VIII de France


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村



カテゴリー: 歴史 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する