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2012/02/27

シリーズ記事 【ブルー王立修道院の訪問記】 目次へ
その3


先日から書き出して、なかなか本題には入れないでいるブルー王立修道院はブールカン・ブレス(Bourg-en-Bresse)という町にあります。町の名前を見ると、ブレスにあるBourgとなります。


ブレス地方とは?

ブールカン・ブレス町はブルゴーニュ地方の南部にある大きな町マコン(Mâcon)から40キロくらいのところにあるので、私にとってはブルゴーニュ地方の中にあるような気がします。そもそも、ブレス(Bresse)と呼ばれる地域がブルゴーニュにあるので、そういう気分になるのです。

ところが、このブレス地方、ややっこしい!

歴史的に「ブレス」と呼ばれた地域が存在するのですが、現在の行政区分では3つの地域圏(州のようなもの)にまたがっていています。ブルゴーニュ地域圏、ローヌ・アルプ地域圏、フランシュ・コンテ地域圏。県でいえば、ソーヌ・エ・ロワール県(ブルゴーニュ)、アン県(ローヌ・アルプ)、ジュラ県(フランシュ・コンテ)。

ブレス地方では世界一美味しいといわれるAOC(原産地統制呼称)の品質保証付きのブレスの若鶏が生産されているのですが、その生産地も、この3つにまたがっています。

ブレスの若鶏はブルゴーニュ特産と私は感じているのですが、ローヌ・アルプの人たちは本場は自分たちの地域だと思っているのでしょうね。

普通の地図を見たって、Bresse(ブレス)という地域の堺が書いてあるわけではありません。Wikipediaでは線を引いているかなと思ってみたら、こんないい加減な位置表示でした

歴史的に同じ文化を持っている地域なら、行政区分でも同じにしてあげた方が郷土文化の保存運動などには便利だと思うのですが、一度作ってしまった行政区分を壊すのは困難なようです。

ブレスのように歴史的に文化を同じくする地方を「Pay(ペイ)」と呼んで区分しようという動きがあったのですが、行政区分が違ってしまうと各自治体の出資金配分の問題などで計画が進みにくいらしくて、最近ではほとんどペイという言葉が聞かれなくなりました。


ブールカン・ブレス町はブルゴーニュ公国に入っていなかった

修道院を見学するために久しぶりに行ったブールカン・ブレス町。現在はローヌ・アルプ地域圏アン県に位置するといっても、中世にはブルゴーニュ公国の中に入っていたのだろうと思っていたのですが、調べてみたら、ブルゴーニュ公国だった時代はなかったのでした。

Wikipediaに1477年のフランス地図があったので見てみると、ブルゴーニュ公国の領土は、なぜかブールカン・ブレスのところでくびれていて、サヴォア公国の領土だったのでした。
※東部にある黄色の部分がブルゴーニュ公国の領土。1477年は、シャルル突進公が亡くなり、ブルゴーニュ公国の解体が始まった年です。

この日記を書きながらの発見でした。


サヴォワ公国

サヴォワ(Savoie)という名前は、フランスのローヌ=アルプ地域圏の県の名前でもあるので馴染みはあります。でも、こころのとろ、サヴォワ公国Duché de Savoie)が気になってきました。

まず、昨年秋の旅行で行ったイタリアのピエモンテ州。ここはサヴォア公国だった、と知りました。

地元のツーリストオフィスの人は、イタリア人にはフランスなんだかイタリアなんだか分からない地方なのだと冗談を言っていました。建物や街の様子は完全にイタリアに見えたのですが、料理が私がイメージしているイタリアとは少し違う...。

そして、前回の日記を書いていたら、またサヴォア公国が登場しました。今回の旅行シリーズで書こうと思っているブルー王立修道院は、マルグリット・ドートリッシュが亡き夫であるサヴォイア公フィリベール2世のために建てたのでした。つまり、ここはサヴォア公国だったから修道院を建てた...。

サヴォア公国について調べてみたら、サヴォワ公国の領土(16~18世紀)の地図がありました。

サヴォア公国というのは、フランスよりもイタリアに広がっていた国なのですね。フランス語ではサヴォア公国(Duché de Savoie)と呼ぶのですが、イタリア語ではサヴォイア公国(Ducato di Savoia)。日本語の記述でも、この2つの呼び名が使われているようです。

思い出せば、2008年の秋に、ブルゴーニュ公国のシャルル突進公が大敗したグランソンの戦いがあったところに行ったのですが、この戦いもサヴォア公を助ける応援の戦いだったのでした。

そのときの日記:
スイス旅行: モラ or ムルテン 2008/09/03


イタリア王国の国旗には、サヴォアの紋章が入っていた

歴史に詳しい友達に、ここのところ書いていることに間違いがないかを確認しながら、サヴォア公国のことを聞いてみました。

すると、こう言われました。

ブルゴーニュ公国よりサヴォア公国の方が成功したと言えるだろうね。
だって、現在のイタリアの前身であるイタリア王国の旗にはサヴォワのマークが入っているから。

へえ、知らなかった!
イタリア王国の旗の画像を探してみたら、本当に、変な(と私には思える)国旗がありました。



「知らないの?」とバカにされてしまったけれど、私が生まれる前に存在していたイタリアだもの。こんな国旗を見たことがなくて当然ですよ~(いい訳!)。

それにしても、なぜサヴォアがイタリアを統治してしまったかのような旗になっているの?...

イタリア統一運動で中核となったのがサルデーニャ王国(仏語でRoyaume de Sardaigne)で、この王国はサヴォワ公(サヴォイア公)の家系なのでした。

サルデーニャ(私はサルディニアと呼んでいたのですが、こちらの表記が一般的らしい)とは、コルシカ島の南にある島でしょう? ピエモンテからかなり離れていますよ...。

18世紀のサルデーニャ王国の地図

なぜ、そうなっていたの? と思ってしまうのですが、フランスの歴史だって把握できないでいるのだから、イタリアのことまで気にするのは止めておきます!


ブログを書いていると、色々と調べる機会になって、それをメモできるので良いのですが、脱線しているきりがない...。

次回こそは、本来書こうとしているブルー王立修道院を見学したときのことを書きます。

― 続く ―


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