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2012/06/19

シリーズ記事 【ヴィシー政権下、1942年のユダヤ人一斉検挙】 目次へ
その6


このシリーズを長々と書いているのは、先月、「ヴェル・ディヴの一斉検挙」と呼ばれる事件を扱った映画を2本続けて見たのがきっかけでした。

第二次世界大戦中のフランスで行われたユダヤ人虐待。迷信で固まっていて、魔女狩りなどが行われた中世ならいざしらず、こんな非人道的なことを現代にするとは信じられないではありませんか?

でも、そう思うのは距離を置いて見ているからであって、ただ中にいたら、その時代のこととして、抵抗なく受け入れてしまうのではないか?...

そう思ったのは、ここのところ、世界中がおかしくなっていると感じているからです。

ヴェル・ディブ事件の背景を探ってみたら、今の世の中がどうなっているかが少しは見えてくるのではないか、と思いました。


特定の人を犠牲にするは、いつの時代にも行われるのではないか?

何か、おかしいぞ~ と始めに感じたのは、日本でした。

日本とフランスを頻繁に行ったり来たりしているので、浦島太郎にまではならないのですが、日本に帰ってくると、ずっとそこにいたら見えないであろうことが目につきます。

どのくらい前のことだったか、何か狂っている、と強く感じた時期がありました。

戦争反対と言っている人たちも、どこのテレビ局でも毎日、「いま、日本は戦争をしなければなりません!」と訴えるようになったら、簡単に戦争になってしまうのではないか、と思えたのです。

余りにも気になったので、戦争の経験がある人に、「日本で戦争が始まる前のときは、今みたいな雰囲気だったのではない?」と聞いてみました。

「いや、こんなんじゃないよ。もっと、ずっと、暗かった...」

即座に返事が返ってきました。その言い方には感情がこもっていたので、私にも暗い社会というものが連想できまいました。

今とは違うらしい。そう思って、妙に安心しました。

それから、私の当たらない予感などは忘れていたのですが、また、日本は変だ、と感じるようになりました。

経済発展とかいうことを最も大切なことにすると、それで苦しむ人がいるのなんか、どうでも良いということになるらしい。普通に考えたら、これからの世の中を生きていく子どもたちに、ほんの少しでも危険がないように守ってあげようとするのが自然な感情だと思うのだけれど、「だいじょうぶ」という名のもとに犠牲にしてしまう...。

国は方針を出せば、それを国民に信じさせて、したいようにできてしまうのではないか? あれは酷かったと思うのは、後で考えて出てくる判断に過ぎないのではないか?...

ヴェル・ディヴ事件の場合は、当時のフランスで、ナチスの傀儡となった政権が警察官を動員したユダヤ人の迫害でした。もちろん、政府がすることに抵抗して、レジスタンス運動をする人たちはいました。でも、今でこそ英雄と称えられる彼らは、テロリストと呼ばれて、抹殺の対象にされたのでした...。

レストランで隣のテーブルに座ったお爺さんとおしゃべりしたことがありました。若いときにはレジスタンス運動を運動をしていたのだそう。

「仲間はみな死んで、私だけが生き残っています。若気のいたりでしたよ。レジスタンスなんかすれば狙われますから、わざわざ死のうとしたようなものです」

そんな話しを初対面の私たちにするところ、よほど頭から離れない過去なのだろうと思いました。

暴力をふるうと明確な事実として歴史にも残りますが、見えない力で犠牲者を生み出す行為は、もっと怖いと思う...。


なぜ、今のフランスで?

ヴェル・ディブの一斉検挙について集めた情報は、多くなりすぎたので1ページにまとめました。
ヴェル・ディーヴの一斉検挙に関する情報 2012/06/15

そこで、まず時代の流れを書き出したのは、いつごろからフランスで、この事件がクローズアップされたのかを見たかったからです。

戦後しばらくの間、フランスは高度成長期で、昔のことなど取り上げる気運はなかったように感じます。それに影が差しだすと、いつの時代でも現れてくる傾向で、反省の時代になります。

1974年、ヴェル・ディヴ事件を主要テーマにした映画が公開されていました。

Les Guichets du Louvre」という作品。

その後、ユダヤ人迫害に反対する人たちの運動は大きくなり、ついに1995年、大統領に就任したシラクは、ナチス占領下のフランスで行われたユダヤ人迫害は政府に責任がある、と認める演説をしています。

しかし、この事件を一般の人々が注目するようになったのは、2007年ころではないかという気がします。

2007年3月に出版された小説『サラの鍵』はベストセラーになりました。

同じ年の春、パリ市庁舎では「フランスから強制収容所に送られた11,400人の子どもたち」展を開いています。
※犠牲になった18才未満の子どもたちのうち、6,100人はパリに住んでいた子どもたちでした。

2010年、広報活動に力を入れた映画『黄色い星の子供たち』が公開され、同じ年には『サラの鍵』も映画化されています。

このあたりで、フランス人たちのヴェル・ディヴ事件への関心は、一挙に高まったのではないでしょうか? それ以前にこの事件をテーマにして出されていた出版物や映画は、どれも再販されているのです。アマゾンを覗いてみると、ほとんどの作品が高い評価を得ていました。

鶏が先か、卵が先かの話しでしょう。でも私は、2007年から現在にいたるまでの時期のフランスで、一斉検挙というものが他人事ではないという感覚がフランス人たちに生まれてきていたからではないか、という気がしました。


一斉検挙(rafle)が好きなサルコジ大統領

ベストセラーになった『サラの鍵』が出版されたのは2007年だと知って、あれっと思いました。

サルコジが大統領になったのが2007年の春なのです。5年の任期が満了したのは今年の春で、大統領選に立候補したものの再選することはできませんでした。

彼はユダヤ系ハンガリー人の移民2世です。ユダヤ人迫害を逃れてフランスに来たというよりは、ハンガリーでナチスに加担したこと明るみに出ていずらくなったために国外脱出をした、と言う情報もあります。彼自身が移民なわけなのですが、移民を目の敵にするということにかけては異常なものを感じました。

大統領に就任した当初から非難を浴びることをたくさんしていて、その後もアンチ・サルコジのアレルギー症状は高まっていたので、僅かの差で敗れたのは非常に意外でした。 ヴィシー政権も、今のフランスでは歴史上の汚点という見方がされていましたが、当時は熱狂的な支持者も多かったのですよね...。

大統領に当選できたのは極右支持者たちの票を集めたおかげだったので、大統領に就任してからは治安維持のためと称して警察の権力を増大させました。

彼が言うところの、社会の「クズ」を一掃するのに生きがいを見出したようです。

登場した彼のイメージは、ケルヒャー(仏語ではKärcher: カシェール)で表現されました。彼自身が、貧民街のグレた若者たちを一掃するには、これが良いと言ったから流行語になったのです。

ケルヒャーとは、ドイツのメーカーの名前です。

石壁などをきれいにしたりするのに重宝なので、フランスでは自宅で持っている人も珍しくはない、おなじみの道具。

この高圧洗浄機がどんなに威力があるかは、こちらのビデオ(sarkozy au karcher)をご覧ください。サルコジをケルヒャーで抹殺しい人が作った動画だと思います。

大統領になる前、サルコジが務めていた役職の中で目立つのは内務大臣(2002/05/07~2004/03/30、2005/06/02~2007/03/02)。警察を動員して治安整備をする腕は鍛えられていました。

移民の中でも標的にされたのはアラブ系の人たち。アラブ諸国がテロリストを送り込んでこないのが不思議なほど、ひどいことをしていました。

さらに、ロマの国外追放を強行したときには、完全にヒットラーのイメージになったと思いました。こういうときこそ欧州連合が威力を発揮してブレーキをかけてくれるのを期待したのですが、なんとなくEUの反対は消えていきました。


パリ警視庁前に勢ぞろいしていた警備車両

大統領となってバックで守ってくれるというので、警察は目に見えて横暴になりました。

私は田舎にいるので、地方警察官の中には酷い人種差別をする人がいると聞く程度でしたが、パリに行くと警察官やパトカーがやたらに目立つので異様でした。

パリでは、下のような騒ぎが珍しくないのです。
こんな感じ ↓ パトカーの音がうるさくてたまらないので、すぐに動画を止めてくださいね。



これは、パリ市内の学校に孫を迎えに来た中国系の男性(不法滞在者)を逮捕しに来た事件。

マフィアでもない中国人男性を捕まえる警察のやり方が余りにも酷いので、みんなが行動をおこして騒ぎになったようです。出迎えに来ていた父兄や子どもたちがいるのに、警察は催涙弾を投げたり、暴力をふるったりしたことが問題になりました。

学校を警察官が襲撃するという事件は多発していました。子どもたちがおびえてしまう、と先生たちが怒っています。「一斉検挙(rafle)」という言葉を使って、見たことを動画で報告している人たちがいました。

例えば、こちら(2008年11月):
☆ Dailymotion: Rafle en Sarkozye : comme pendant l'occupation
「サルコジの一斉検挙: まるで占領下」という題をつけています。

これは、職業学校のクラスに、警察犬を連れた地方警察官(ポリスとは違って、こちらは軍人です)がいきなり入ってきて、教室にいた中学生たち全員の身体検査を始めた、と学校の先生が報告しています。

校長が麻薬を持っている生徒がいる、と警察に密告したためにおきたらしい。それにしても、やり方がひどすぎる。教室に入ってきた警察官たちは「ボンジュール」とも言わず、何をしに来たのかも説明せずに始めた、と先生は怒っています。警察官16人と警察犬2匹で、教室の中は騒然となり、子どもたちはおびえたのだそう。

こういうことがあると、フランス人は黙っていませんから、デモもあります。この5年間、パリに住むのは大変だったろうな...。

パリ在住日本人のブログでは、サルコジが大統領をつとめた期間を「警察統治恐怖政治の5年間」と表現していらっしゃいました:
いまさらですが、仏大統領選挙について


フランス人になっている移民家族も抹殺したい?

「パスポートが欲しいなら、あなたが日本人であることを証明しなさい」
そう言われたら、どうしますか?

2、3年前、友達が「まいった、まいった」と途方にくれているので、どうしたのかと聞いたら、役場で何かの手続きをしようとしたとき、「フランス人であることを証明しなさい」と言われたのだそうです。

彼女の両親はイタリアから来た移民なのですが、フランスで生まれたので、そのままフランス国籍を獲得していました。イタリアに行ったのも1回か2回しかないので、フランス人以外の何ものでもないと思って60年生きてきたので、途方にくれたそうです。

フランス人には身分証明書がありますし、出生証明書もあるのですが、それでは十分ではないのだそう。

このシリーズを書きながら、『サラの鍵』の作者(タチアナ・ド・ロネ)について調べていたら、彼女も私の友達と同じ目にあっていたと知って驚きました。

私の友達の場合は田舎の役場なので、法律には詳しくない人が担当しただけのことだろうと思っていたのですが、移民の人たちの中には同じトラブルがおきたケースがたくさん出たのだそうです。
 
ド・ロネは、自分の作品のロケが行われるアメリカに行くので、パスポートを更新するためにパリの市役所に行ったら、国籍の証明を求められたのだそう。

係員の説明は、こうだったそうです。
新しい法律で、フランス人の両親を持ち、フランスで生まれていても、両親が外国で生まれている場合には、本当にフランス人であるかどうか証明しなければならない。

彼女の父はフランス人だけれどモーリシャス島で生まれていて、イギリス人だった母は結婚によってフランス国籍を獲得したのがネック。前回の更新(1996年)では問題がなかったのに、2009年の新法律(Décret n° 2009-561 du 19 mai 2009)で、彼女は今まで「本当のフランス人」ではなかったことになっていたのでした。

パスポートを出してもらうために必要なフランス国籍の証明をとるには、2世代まで遡って記述する膨大な書類を作らなければならないのだそう。それには2カ月くらいかかるので、彼女はアメリカでのロケを見に行くの無理だ、と言っていた時期のニュースを読みました。

それにしても、フランス政府によるユダヤ人迫害を扱った作家が国籍はく奪されるとは、なんと皮肉なこと!

― 続く ―



同一テーマに関する内部リンク:
フランス人の博愛精神は薄れてきている? 2010/11/05
5月革命を連想してしまう最近のフランス 2010/10/20
目次: 戦争に触れて書いた日記

外部リンク:
ロマの人々をトラムに乗せて追放した。思い出すことは・・・
Drogues : faut-il envoyer la police dans les collèges ?
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