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2012/07/07

シリーズ記事 【わらぶき屋根のアイリスの花を見て】 目次へ
その4


少し前に書いた日記「茅葺き屋根の上につくる芝棟」にコメントをいただいて、フランスに残っている茅葺き屋根について、もう一つの視点が見えてきました。

ノルマンディー地方を旅行したとき茅葺き屋根をたくさん見たのですが、なぜノルマンディーに残ったのか? と書いたらコメントをくださったのです

また情報を探していたら、茅葺き屋根の歴史を簡潔に紹介しているページに出合いました。
Toit de chaume

これはEkopediaというサイトで、エコロジーに焦点をあてたwikiタイプの百科事典でした。従って、書いてあることが本当かどうかは分からないのですが、なぜか私が茅葺き屋根について疑問に思っていたことに触れているのでした。

フランス語で書かれてはいるものの、フランスの茅葺き屋根の歴史なのか、ヨーロッパ全体のことなのかは不明瞭です。ノルマンディー地方を引き出していること、かやぶきが屋根瓦とスレート瓦に変わったと書いているので、フランスの歴史なのではないかという気はします。


ここに書いてあったことと、別に見つけた情報を合わせて、興味深かったことをメモしておきます。

茅葺屋根の歴史

1. 中世末から産業革命期まで

15世紀になると、人口過密都市では壊滅的な火災がおこるために、茅葺屋根が徐々に禁止されるようになった。

しかし代わりとなる屋根瓦やスレート瓦は、高価で輸送も容易ではない建材なために、城、教会、修道院などでしか使われていなかったが、少しずつは町や田舎の裕福層に広がっていった。そのため、「chaumière(茅ぶき家屋)」という言葉は貧しさと結びつき、しまいには「masure(あばら屋)」の意味を持つようになった。


2. 19世紀から20世紀半ばまで

フランスの産業革命は1830年から1870年にかけて進んだ。

この時期、農村社会は変化する。大農場経営者は金持ちになり、農村の働き手は労働者として町に働きに出てしまう。

茅葺き屋根の終焉である。 農家は安価な価格で手に入るようになったレンガや屋根瓦で建て替えられ、放置された茅葺き屋根の建物は次々に崩壊していく。

茅葺き屋根が残ったのは工業化から取り残された幾つかの貧しい地方で残ったくらいで、これがまた「chaumière(茅ぶき家屋)」の惨めなイメージを強めることになった。

山岳部で貧しかったマシーフ・サントラル地方では、20世紀初頭でも、住民の75%はライ麦でふいた屋根の家に住んでいた。


3. 1950年から現代まで

町に住むブルジョワ階級は、汚染された人口過密の町からの逃げ出して、田舎に憧れをもつようになる。 町の中心から数キロの場所や海岸沿いなどである。

まだ茅葺き屋根の修復にはいたらない。ノルマンディー風のヴィラと呼ぶ屋敷ができたが、これは伝統的な質素な茅ぶき家屋ではないのだ。

ライ麦は小麦にとって替わられたし、穀物の収穫は機械化して茎を機械で短く刈られるようになったため、カヤの材料にできるライ麦が手に入らなくなる。茅葺き屋根のヴィラは、ライ麦よりも質が落ちるアシでふかれるようになった。伝統的にアシを使わなかった地方でも同様であった。

※ノルマンディー風ヴィラの写真: Villa Normande


4. 新たな需要

家屋の新築ないし修復をする場合に、かやぶき屋根は1つの選択肢となり、茅葺き家屋数は増加する。屋根瓦やスレート瓦が普及してから150年たったころ時期に訪れた変化である。

茅葺き屋根は熱や音の遮断効果が高いために、エコロジー住宅としても評価もされている。

カヤの素材としてはアシが過度に使用されている傾向があり、中国からも輸入されている。しかし、オーガニック農業のおかげで昔のライ麦の品種が知られるようになり、東ヨーロッパ諸国も伝統的な生産者としてカヤを供給できる。


ついでに、フランスの茅葺き屋根について、他にも気になる情報も見つけたので、このシリーズの日記を続けます。

― 続き:
フランスの茅葺き屋根の宝庫はブリエール地方自然公園だった ―


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