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2012/10/21

シリーズ記事 【山小屋に滞在したサヴォワ地方の旅行記】 目次へ
その11


アヌシーの町を後にして、そこからほど近いところにあるトラン城に行きました。


トラン城Château de Thorens

まず、城に入るところに跳ね橋が残っているのが気に入りました。



跳ね橋にカメラを向けていたら、そこから出てこようとした女性があわてました。

「あぁ~、申しわけございません...」
そう言って、扉のかげに隠れようとなさったのだけれど、姿が少し見えている間にシャッターを切りました。

感じからいって、お城の持ち主の家族だろうと思いました。観光客がお宅にお邪魔しようとしているのですから、申し訳ないなどとおっしゃっていただいたら、こちらが恐縮してしまいますよ~!


門を通って城内に入ってみると、もっと中世の姿を残しながら保存してくれたら良かったのに... という姿。



古い部分は12世紀の建築。その後、改修が進んできたようです。とんがり帽子の塔がたくさんある建物は美しいのですが、私は味気ないと感じる19世紀の雰囲気のところがかなり多く感じました。

城の内部の見学は、私の想像をはるかに上回って、価値があるものでした。個人が住む城を見学できる場合、たいした部分を見せてもらえないことも多いのですが、ここでは見学スペースが大きくなっていたのです。


聖フランシスコ・サレジオ

トラン城が知られているのは、聖フランシスコ・サレジオ(1567~1622年)の家系の貴族が今でも住んでいるかも知れません。

フランス語ではFrançois de Sales(フランソワ・ド・サル)、イタリア語でFrancesco di Salesと呼ばれる聖人。

日本語の呼び名からは何も連想されないのですが、フランス語の名前の方は、どこかで、確かに、聞いたことがある名前。ブログでも書いたことがあったような気がしたので探してみたのですが、見つかりませんでした。

ジュネーブ司教だった聖フランシスコ・サレジオは聖ジャンヌ・ド・シャンタル(Jeanne de Chantal)と出会い、二人で聖母訪問会(Ordre de la Visitation)を創設しています(1641年)。その聖ジャンヌ・ド・シャンタルの方はディジョン生まれのブルゴーニュの女性なので、その関係で聖フランシスコ・サレジオの名前を覚えたのかもしれない...。



トラン城には聖フランシスコ・サレジオの遺品もたくさん残っていて、この聖人に親しみを持っている人が見たら感激するだろうな...。私などに見せていただいては申し訳ない、とさえ思ってしまいました。

聖フランシスコ・サレジオは柔和な人柄だったのだそう。

今でも世界中で愛されていることを示す陳列では、日本の「マンガ」もあると、右にいれた書籍も入っていました。

「漫画」ではなくて、子どもに優しい心を持たせるための「絵本」と呼ぶべき本だろうと思ったのですが、ガイドさん(城主の一族の人のようにも思った)が説明しているのに口をはさむのは遠慮しました。


私が特に素晴らしいと思ったのは、広間を覆っていたルネサンス期のフランドルのタペストリー。色彩が見事に残っているのですが、その逸話も面白かったです。

フランス革命後に城が略奪されたとき、このタペストリーを持ちだした農家が納屋に積んだ藁にかぶせる布として使っていたのだそう! 貴重な文化財が農家で粗末に扱われて台無しにされたのは、よくある話しではあります。

城主が後に買い戻したとき、タペストリーの色は見事に残っていました。藁から出る成分がタペストリーの色を保護する結果となって、変色しなかったのだそうです。 何が幸いするか分からないものですね。

その部屋では撮影禁止だったので、動画を入れておきます。




聖フランシスコ・サレジオのチャペル



トラン城の窓からの眺めです。

美しいとも思えない山が目の前にある。こんな風景を見ながら聖フランシスコ・サレジオが幼い日を過ごしたのかな... と思ったのですが、そうではなかったのでした。

聖フランシスコ・サレジオが生まれたのは、私が見学したトラン城から数百メートルのところにあったサル城(Château de Sales)の方でした。

ルイ13世の時代には、諸国の貴族の勢力を制するために、あちこちの要塞が破壊されたのですが、フランスがサヴォワ公国が侵入した際にサル城も壊されたのでした。

その城跡に、聖フランシスコ・サレジオを祭るチャペルがある、と聞いたので行ってみました。



聖フランシスコ・サレジオの寝室があった位置に建てられているのだそうです。17世紀のバロック様式の祭壇画が美しいらしいのですが、内部には入れませんでした。近くにある十字架は、彼が聖母訪問会を創設するようにと神からお告げを受けた位置に立てられたのだそう。


例えようのない穏やかさがあった伯爵夫人

この夜に行ったレストランを経営している女性から、トラン城に住む家族についてお話しを聞いたのですが、城主が少し前になくなったとき(Wikipediaによれば1999年)、子どもは女性2人しかいなかったのだそう。

オーナーは2人の伯爵夫人と呼んでいたのですが、貴族の称号を受け継げたのは1人のはず。城で出会ったどちらが後継ぎなのか分からないのですが、この方だろうなと思う若い女性と少しお話しをしました。城の跳ね橋の写真を撮ろうとしたとき、邪魔をしないように、さっと身を引いた女性です。

彼女の優しさには心を打たれました。

なんと穏やかな話し方...。優しさが体からあふれてくる、という女性でした。彼女のように「申し訳ございません」と「ありがとうございます」を連発するフランス人に、今まであったことがありません。

村人たちにも好かれている様子は、レストランで聞いた話しからもうかがわれました。亡くなった伯爵のことを「彼女たちのパパ」と、「父親」という言葉を使わずに呼んでいたのも印象的でした。

「あんな城を受け継ぐのは、プレゼントなんかじゃありませんよ」、と言っていました。膨大な修復維持にはお金が膨大にかかるので大変、というのは、財力のある城でない限りはどこでも聞く話し。

そんなことを書いた過去の日記:
フランスの古城をプレゼントされるのは不幸? 2009/12/06

残っている財産を売ってしまえば、悠々自適の生活ができるのに、それはしないのですよね。 トラン城も、城の見学を楽しめるようにと、家族の人たちがパネルを作ったりして工夫しているのを感じました。

聖人の始祖ということで、信仰心の厚い家族なのでしょうが、伯爵夫人の健気さは、フランシスコ・サレジオという聖人の人柄を垣間見た思いがしました。

城を見学したり、城のB&B民宿を利用するのが好きなので、貴族の称号を持つマダムと話す機会は多いのですが、たいてい一族を統率しているマダムという貫禄のある女性ばかりでした。

ところが彼女は、両親の愛情もたっぷり浴びて育ちながら、しっかり躾もされて礼儀正しい女の子が、そのまま大人になっているという雰囲気。

大学時代のフランス文学の先生が言っていたことを思い出しました。
「僕はシンデレラ物語が好きじゃないのです」

先生いわく:
あれは、ありえないお話しですよ。良い家庭で育った子が、心も清く、美しくなるのであって、シンデレラのような環境にあったら、意地悪な子に育つのが普通です。

確かにね...。母親や兄弟からいじめられ、女中のような働かされていたら、いくら容姿が素晴らしくたって、王子様が一目ぼれするような女性に育つはずがない...。

トラン城をついだお嬢様は、良い家庭で育ったからこそあふれ出る優しさがあったのではないかな、と思ったのでした。でも、適齢期、というか、こういう一族だと結婚しなければならない年齢は、少し過ぎていた感じがしました。

難しいだろうな...。こんな聖女みたいな女性だと、男性がしり込みしてしまうのではないだろうか?... ただ袖を触れ合っただけの女性なのに、幸せな一生を過ごして欲しいな... などと思ってしまいました。


城を出るとき、門の前に飾ってあった馬車で猫が眠っていました。



野良猫たちがたくさん来る城のよう。あちこちに餌を入れる容器が置いてありました。ここでも、また、なんと優しい人たち... と思ってしまった私です。


最後に、ご紹介しきれなかったトラン城を見せる動画を入れておきます。




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情報リンク:
☆ Wikipédia: Château de Thorens
☆ オフィシャルサイト: Château de Thorens
☆ Wikipédia: Château de Sales (Thorens-Glières)
☆ Wikipédia: Félix-Léonard de Roussy de Sales
☆ Wikipedia: フランシスコ・サレジオ
☆ Wikipédia:  Ordre de la Visitation
☆ Wikipedia: ジャンヌ・ド・シャンタル
☆ サレジオ会 日本管区: 聖フランシスコ・サレジオ司教


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