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2013/03/16
外国文化のものを日本語にするのは難しい。初めに使った人の訳語が引き継がれることが多いのでしょうが、途中で訳語を直したくなる場合もあるようです。


ローマ法王か、ローマ教皇か?

ローマ法王が誕生したニュースを日本でどう報道しているかを少し見てみたら、法王と教皇の2つの呼び名が入り乱れているのに気がつきました。

私はいつも「法王」を使っていました。 学校でそう教えられたのだと思います。普通には、やはり「ローマ法王」が浸透しているようにも感じます。

日本にあるヴァチカンの施設の正式名称は「ローマ法王庁大使館」。でも、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会では、「教皇」という言葉で統一したいと願っているようです。

言われてみれば、宗教上のタイトルとしては「教皇」という方が自然な文字に見えますね。

でも、パソコンでタイプすると、この漢字がでてこない。仕方がないので、「教える」と「天皇」をタイプしてから直していたのですが、なんのことはない。

教皇は「きょうこう」と読むのでした!

それが分かったので、先日から書いている日記では「教皇」を使おうかと思ったのですが、「きょうこう」というのは、余り耳障りが良くないように感じる...。「恐慌」みたいではないですか?

でも、今後は「教皇」を使うことにします。


フランチェスコかフランシスコか?

新しいローマ教皇誕生を報道する日本のニュースでは、「フランチェスコ1世」と言う名前で発表されていると受け止めました。

翌日になったら、同じ名を名乗る教皇が現れない限り「1世」は付けない、ということで統一されたらしいのはフランスでも同じ。もともと、ローマ法王庁が、3月13日、全世界のカトリック教徒12億人に新教皇の名前を発表したときには、その名前に「1世(Primum)」を付けてはいなかったのだそう。

さらに日本では、「フランチェスコ」ではなくて「フランシスコ」と呼び名に統一しようとしているようです。

カトリック中央協議会のサイトを見たら、次のように書かれていました:
新教皇の名称は、教皇庁大使館の通知を受けて、今後は「教皇フランシスコ」と呼ばれます。

イタリア語でFrancesco(フランチェスコ)、スペイン語ならFrancisco(フランシスコ)。

新教皇はアルゼンチン人で、この国の公用語はスペイン語。となれば、スペイン語式に「フランシスコ」とするのが自然かもしれません。

フランスでは、フランチェスコかフランシスコかに係らず、迷うことなく「フランソワ(François)」となるファーストネームです。

でも、ニュースで「Pape François」と聞くと、何だか庶民に近づきすぎているように感じてしまう。それに、Françoisだと、Franceを連想してしまって、フランスの教皇みたいな感じにもなってしまう。

前回の日記に書いたように、フランスではフランソワというのはよくある名前なのです。

もともとフランス人のファーストネームは伝統的に聖人の名前をとっているので、教皇の名前と同じ人は多いわけです。日本語(つまりはイタリア語ですか?)で「ヨハネ・パウロ」と言われれば高貴な名前に聞こえますが、フランスではJean-Paul(ジャン=ポール)。ベネディクトは Benoît(ブノワ)。こういう名前の人は私の友人の中にも何人もいるのでした。

でも、「○世」と、後に数字が付けば教皇の名前らしくなる。ただのフランソワでは、何だか普通の人みたい...。でも、そういう名前なのだから仕方ない!




聖職者のタイトルと敬称

クリスチャンでなくても、フランスにいると宗教関係の言葉を知っていないと困ることがあります。 古い建築物が好きで見学することが多いのですが、そういうときにも出てくるからです。

聖職者の名称とランク付け、聖人の名前とシンボルなど、主なものだけでも覚えておきたいと思いながら、色々ありすぎて把握しきれないでいます。 誰か一覧表にしてくれていないかと時々思い立っては探すのですが、見つかりません。

今回の新教皇誕生を機会に、少しおさらいしてみました。

上位の聖職者たちのランキングは、この順番。
日本語
タイトル名
フランス語
タイトル名敬称
教皇、法王PapeSa/Votre Sainteté
枢機卿CardinalSon/Votre Eminence
大主教ArchevêqueMonseigneur
主教Évêque

普通の人に呼びかけるときには「ムッシュー○○」や「マダム○○」などで良いのですが、貴族、聖職者、尊敬すべき職業についている人たちには、特別な敬称があります。

「教皇に会ったとき、何と呼ぶか知っている?」と友人に言われました。教皇はイタリア語ではパパなのだから「私のお父様(Mon Père)」と答えたら、ハズレ。「それじゃ、司祭(Curé)を呼ぶときになってしまう!」と笑われました。

「教皇のご列席をいただき...」というような場面では、Saintetéの前に「Sa(彼の)」を付ける。教皇様に会って呼びかけるときには「Votre(あなたの)」を付ける。これは王様のときと同じ使い分けですね。

でも、タイトルによって敬称が異なるのですから、ややっこしい! 「Monseigneur」という言葉をよく聞くので覚えてはいたのですが、それは単に、大司教や司教クラスだとテレビなどによく登場するから、ということなのでしょうね。

日本でも皇室では色々あるのでしょうか? 私は、天皇陛下、殿下、閣下、妃殿下くらいしか思い浮かんできません。

書きながら、なぜ「下」などという漢字が使われるのか気になりました。

Wikipediaの記述が正しいとすれば、以下の理由からなのだそう:
高貴な人に直接話しかけることは失礼に当たるとされたことから、高貴な人のいる一定の場所のそばにいる取次ぎの人に間接的に呼びかけることで敬意を表す敬称が発生した。

フランス語で「彼/彼女の」とか「あなたの」と付けるのと同じ感覚なのでしょうね。

日本語にはキリスト教関係で特別な敬称があるのだろうかと調べてみたら、 ローマ教皇に対して使う敬称としては、猊下(げいか)、聖下、台下(日本政府が使用)が出てきました。でも、教皇に次ぐ地位の人たちへの敬称の違いなどは曖昧にしかわかりませんでした。

いずれにしても、私がローマ教皇にお会いして挨拶する機会などはないでしょうから、覚える必要はないのですが。


フランシスコ教皇は主教でもある

聖職者のタイトルをランク付け順に書いてみたのですが、まだ複雑なところがあります。

枢機卿と大主教のタイトルを同時に持っている人がいるのです。例えば、テレビでよく拝見するAndré Vingt-Trois。

「Vingt-Trois」とは「23」なのですから、一度聞けば覚えてしまう名前です。混乱させられるのは、この方のタイトル。パリの大主教なのですが、枢機卿でもあられる。どちらのタイトルで言われても、珍しい名前なので、同一人物だと分かるので救われます。

新教皇となったJorge Mario Bergoglio(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は枢機卿というタイトルが付けられて登場しましたが、初めて民衆の前に現れたときのお話しの中で気になることがありました。

自分のことを言うのに「主教」という言葉を何回も使っていたのです。

前回の日記に入れた動画ではフランス語訳をテロップが入っているので、私の勘違いだったかと聞き直してみました。évêque(主教)の部分をイタリア語で聞き取ると、やはり司教の意味があるVescovoと言っている。

謙遜して「教皇」と言わないまでにも、彼は枢機卿なのです。どうして「主教」という、2つも下のランクを使うのだろう?

フランス人に聞いてみたら、あっさりと答えを教えてくれました。

ローマ教皇は、同時に「Évêque de Rome(ローマ主教)」、「successeur de saint Pierre(聖ペトロの後継者)」となるのだそう。

それでも、フランシスコ教皇が「主教」という言葉を使っていたのは、フランス人たちの耳にも止まったそうで、謙虚さを表すジェスチャーと捉えられたとのことでした。

ローマ教皇であると同時にローマ主教ですか。そういわれてみると、フランシスコ教皇がバルコニーでしたスピーチでは、ローマが美しい街だなどとおっしゃって、ローマ市民に挨拶しているようなな... と感じたのが不思議でなくなりました。


フランシスコ教皇の紋章

フランシスコ教皇の紋章は、こういうものだそうです。

Coat of arms of Jorge Mario Bergoglio
枢機卿の意匠の基本形
COA Cardinal template

上の赤い帽子は枢機卿の帽子。

青い部分の上に入っているIHSのマークは、イエズス会の紋章だそうです。

新しい教皇が誰であるか発表されたとき、イエズス会の人だというのがフランス人には引っかかったようでした。

アルゼンチンから教皇が出たのは初めて、フランシスコという名を使った教皇も初めて、というだけではなく、イエズス会の教皇も初めなのだそうです。

日本に来た宣教師フランシスコ・ザビエルがイエズス会でしたから、私には馴染みがあるし、このイエズス会のマークも歴史の本などでよく見ていたように思います。

でも、フランス人には抵抗があるらしい。

友人から言われたことを確認するために、「jésuite」を仏和辞典でひいてみたら、訳語としては「イエズス会(修道)士」のほかに、「偽善者、陰険な人」と書いてありました。なるほど...。

Wikipediaでは、イエズス会への批判 という項目を設けていて、次のように説明しています:
イエズス会は「より大いなる善」のためならどんなことでもするというイメージをもたれており、そのため教皇や各国元首暗殺、戦争、政府の転覆などあらゆる「陰謀」の犯人とされた。

フランスの作家アレクサンドル・デュマの小説『ダルタニャン物語』でも、陰謀の枢軸がイエズス会にあるとしているので、フランス人には好きではない修道会なのかも知れないですね。

そう聞けば、日本を始めアジアに進出したイエズス会は、宣教活動とともに、植民地を増やす役割も果たしていたと反発も感じてしまう...。でも、今の時代でも、そういう感覚が残っているのだろうか?...

Roma-UdienzaPapa04友人に、「何でも良いけれど、あの車でパレードするのは止めて欲しいなぁ」と言いました。

パパモビル(フランス語でもPapamobile)と呼ばれる教皇の専用車は、強固な弾丸避けが施されているのでしょうけれど、どう見たって滑稽なのですもの。

神様は教皇を守ってくれないの? などと皮肉を言いたくなる。

美しいスイス衛兵のユニホームをデザインしたミケランジェロはいない時代だけれど、もう少し美しいとか、厳かな雰囲気がある車ができなかったのだろうか?...

友達は「フランソワ教皇は、パパモビルには乗らないだろう」と返事しました。

サンピエトロ大聖堂前広場に集まった人たちに祝福を与えるために向かったときも、今までの教皇は専用車で行ったのに、今回は他の人たちと一緒にバスに乗ったのだそうです。

追記:
私のリクエストに応えてくれたような記事に偶然出くわしました。フランシスコ教皇の思いなどは無視した俗物的な内容が気に入れないけれど、リンクを入れておきます。
ローマ法王の豪華な専用車 トラックからリムジンまで CNN.co.jp 2013.03.18


教皇冠

教皇のシンボルであるものとして、「tiare」という言葉を覚えたのでメモしておきます。

教皇紋章
Emblème pontifical
教皇冠 (三重冠)
Tiare papale (Tiare trirègne)
Emblem of the Papacy SE

3段重ねの冠を、フランス語で「Tiare」と呼ぶ。ヴァチカンの国旗にも描かれている教皇の意匠です。

就任式は19日。フランスのテレビでは新教皇に関連したニュースが毎日流れていますが、当分続くのでしょうね。


【追記】
フランシスコ教皇の紋章が、後日Wikipediaにも登場しました。

Insigne Francisci

上にある冠は、三重冠ではなくミトラで、これは先代のベネディクト16世も同様だったのだそうです。

青い盾の部分は枢機卿のときのものと同じですね。

イエズス会のマークの下にあるのは、マリアの象徴としての星、ヨセフの象徴としての甘松(ナルド)だという説明がありました。

右下の果物を、私はブドウかと思ってしまっていました。

Spikenardのことらしいのですが、甘松(かんしょう)の実という人と、花という人があったのですが、どちらなのでしょう?

この植物の根からエッセンシャルオイルが作られ、マグダラのマリアがイエスの足に塗った香油らしい。でも、それがなぜヨセフの象徴となるのか、私には分らないのですけど...。

モットーの「Miserando atque eligendo」の文字は小さくなっています。
「憐れみ、そして選ばれた」という意味なのだ、という解説がありました。

外部リンク:
☆ カトリック中央協議会: 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?
Héraldique ecclésiastique: Eglise Catholique Romaine
☆ Wikipédia: Héraldique ecclésiastique
☆ Wikipedia: 敬称
☆ Wikipédia: Titre de civilité
教皇フランシスコ1世と『薔薇の名前』
☆ Wikipedia: イエズス会 ⇒ イエズス会への批判
☆ Wikipedia: 教皇冠
パパ様の紋章とモットー、着座式ミサについて
L'origine de la devise du Pape François : "Miserando atque eligendo"
ナード (スパイクナード)

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コメント
この記事へのコメント
おひさしぶりです
こんにちは。とてもおひさしぶりです。
このたびは私のずっと疑問だったコトについて触れられていたので、思わずコメントをぽちりと。
敬称問題というのは今の日本皇室でもセンシティブな問題だと思います。直系が少ないこともあるのでしょうが、陛下、殿下で現在はほぼ統一できます。内親王(うちのひめみこ)であっても殿下です。
法王とはかつて院政を敷いた上皇との関係があるので、扱いとしては難しいことと思います。今回は久々の生前退位だった教皇ですが、以前の日本も天皇が生前退位し上皇(出家して法王)となり実権を握るやり方が長く主流でした。日本にはローマ教皇のような概念はありませんから…。強いて言えば「座主」なのかもしれませんが、彼らは一宗派の主に過ぎませんし、任免権は国が持っていました。
私が寡聞にして及ばないだけかも知れませんが、「教皇」という役職は日本史の中では出てこないように思います。日本人としては「教え」は「法」すなわち仏法です。神道ではないのが滑稽ですが、キリスト教のために用いられる語であると感じます。猊下という単語も、おそらく現在のなかでは「宗教の意識」ということはないと思いますし、使う人もいないのかと思います。翻訳物などではお目にかかれますが。
今回の交代劇は国内ではさして話題となっておりません。けれど、日本の天台宗真言宗などのトップの交代はもっと話題にならないのです。
日本人は信心深いといいますが、その信心とはなんなのであろうと思ってしまいます…
2013/03/17 | URL | ふみ  [ 編集 ]
Re: おひさしぶりです
v-22 ふみさんへ

お久しぶりのコメント、どうもありがとうございます。愚かなことを書いているブログですが、見放されていなかったと知って嬉しいです♪ 書いてくださったこと1つ1つ、なるほど… と、興味深く読ませていただきました。

>陛下、殿下で現在はほぼ統一できます。
⇒ それは分かりやすくて良いですね。

>以前の日本も天皇が生前退位し上皇(出家して法王)となり実権を握るやり方が長く主流でした。
⇒ すっかり忘れていましたが、そうでしたね(明治時代までかしら?)。天皇も引退できるようにしてあげると良いと思いながら教皇の引退ニュースを聞いたのでした。上皇が引退したら、法王ではなくて法皇だったのではないかと思うのですが、どうなのでしょう?…

法王と教皇のどちらが良いか私には全く判断できないのですが、「皇」の文字を見ると日本の皇族の称号に結び付けてしまうので、何か全く別な単語を作れば良かったのに… と思ったのでした。特に明治時代にはキリスト教に「皇」の文字は使わせたくなかっただろうな、とも思いました。中国語ではどうなのかと思ったら、教皇のようでした。仏仏辞典では、何年からその言葉が文献に現れたのかを示しているので便利なのですが、日本語ではそういう辞書を持っていないのが残念です。


>日本人としては「教え」は「法」すなわち仏法です。
⇒ 「仏法」という言葉も忘れておりました。「法王」という言葉を作った人も、それを意識していたのでしょうね。それにしても、漢字には背後のものがあるので訳語を作るのは難しいと思います。

>今回の交代劇は国内ではさして話題となっておりません。けれど、日本の天台宗真言宗などのトップの交代はもっと話題にならないのです。
⇒ 興味深いご指摘です。フランス人の友人たちを思い浮かべてみると、日曜日毎にミサに通うような敬虔なクリスチャンは、30人か50人に1人いるだろうかという程度なので、新教皇のニュースが連日流れているのは驚きです。文化のルーツを尊重する空気があるからなのか、世界の政治や法律も含めた文化改革に関係するからなのか?…

>日本人は信心深いといいますが、その信心とはなんなのであろうと思ってしまいます…
⇒ 日本人は、特定の信仰対象を持っていなくても、何かの存在を信じている(神道も仏教も入り混じって)、と私は感じます。日本には泥棒が少ないことからこう思う。後ろめたく感じて悪いことができないのが普通の日本人で、これは良いことであると同時に、大きな重荷だとも思うのです。悪いことをもっともらしく正当化する悪人がいても、簡単に巻かれてしまって逆らわない、という弱みもある…。
2013/03/18 | URL | Otium  [ 編集 ]
おそくなりましたが
先ず私の専門が「平安遷都前後~鎌倉幕府成立まで」くらいだということを前提としてお話します。
天皇(この呼称自体が割と近代的なのかも…ミカドの方がしっくりくるのかな)が退位すると「太上天皇」となり、その家政が院庁という機関になるため「院」と呼ばれます。
そしてそれらが仏門にはいると「法皇」と言われるのですが、あくまでも「太上天皇」のうちに含まれるという解釈を律令でなされます。
たぶん厳密な「法王」というのは奈良時代の道鏡で切れてしまっているのです。それ以降の法王は法皇のことになります。
中国ほど「おおきみ」と「すめらぎ」に区別がないのも絶対系統ではなかった所以なのでしょうか…。

本来律令の下には政務を司る太政官と儀式を司る神祇官があったのですが、日本はご存じの通り神道と仏教の共存がありましたので早くからその体制は崩れます。
ただ面白いのは法皇と呼び習わされても仏教界の頂点ではないと言う点でしょうか。
死ぬまで彼らは弟子の一人なのです。

言葉の初出は常に頭の痛い問題です。
漢文と和文が混ざっているので、一次資料でもわかりづらいのです。
古事類苑などで例を探し、初出にいきつくまでさかのぼるという…
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/
このあたりが充実してくるのを祈ります。
伊勢物語も枕草子も源氏物語も「…?」な部分というのは実はまだずいぶん多いのです。

これだけ仏教徒が多いのに、日本での仏教行事は盆くらいですね。
私は京都住まいなのでいろいろ見る機会はありますが、寺によって違うので余り一体感はありません。
宗派の違うお寺でもお参りするし、知らない神様でもお祈りをする。
進行というひとくくりで生活に取り込んでしまえるのは、侵略の歴史を持たない国だからなのかなと思ってしまいます。
2013/03/31 | URL | ふみ  [ 編集 ]
Re: おそくなりましたが
v-22 ふみさんへ

詳しい説明をくださり、どうもありがとうございます!

>これだけ仏教徒が多いのに、日本での仏教行事は盆くらいですね。
⇒ これも、考えてみなかった興味深いご指摘です。これだけ季節の行事が多い国であることを思うと、なぜなのだろうと考えこんでしまいます。

除夜の鐘を聞く習慣は仏教行事ではないかと思い浮かびましたが、一瞬に過ぎないですね。初詣は神社も入ってくるし、正月となると完全に仏教からは離れているような。

日本における神道と仏教の共存に慣れているので、フランスでの見聞きすることとの違いが気になっています。キリスト教以前の習慣にルーツを持つ行事や習慣も多少は残っているのですが、完全にキリスト教に飲み込まれているような。フランスは政教分離の国だと強調するけれど、祭日の殆どはキリスト教の祭りなので、おかしいではないかと感じてしまいます。

「イスラム教のシンボルであるような服装で子どもたちが学校に来るのを禁止するなら、祭日の名前もキリスト教の祭りの名前でなくすべきだ」とフランス人に言ったら、「昔からの習慣だから」などと言われてしまい、納得できませんでした。

>信仰というひとくくりで生活に取り込んでしまえるのは、侵略の歴史を持たない国だからなのかなと思ってしまいます。
⇒ それが最も大きな理由かもしれないですね。遣隋使の時代から日本は中国から学ばせてもらう、という関係を持てた国であったことも幸運だったと感じます。それと、神道というのは「宗教」の範疇には入らないものだからなのか、日本人は表立って対立する関係を嫌う、それがあると生きていけない社会だからなのか、とも思ったり…。
2013/04/04 | URL | Otium  [ 編集 ]
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