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2013/05/10
フランスの哲学者メルロー・ポンティ(Maurice Merleau-Ponty)の思想を学んだ中で、妙に記憶に残っているのは自分の身体に対する意識の分析です。

メルロ=ポンティは、知覚の主体である身体を主体と客体の両面をもつものとしてとらえ、世界を人間の身体から柔軟に考察することを唱えた。身体から離れて対象を思考するのではなく、身体から生み出された知覚を手がかりに身体そのものと世界を考察した。

運転をする人は、自分の体の大きさを車体の大きさでとらえている。だから車線からはみ出したりしないように運転できる。

これは、なるほど... と思うのですが、私は異常なのかと思わせる主張があったのです。

人間は3歳になると、自分と他人の区別するようになる。ただし、成人しても、特別に愛情を持っている相手に対しては自他の融合性が残っている。

でも、私は年をとっても他人の身体との区別ができないのです。

怪我をした人の話しを聞くだけでも痛みを感じます。まして、傷を見せられたら、猛烈に痛くてたまらない! テレビをつけたとき、誰かが泣いていると、なぜ泣いているのかもわからないまま涙ぐんでしまう...。

そういう不完全性が私にはあるために嫌いなのではないか、と思うものがあります。


だるま


群馬県 伝統工芸品 高崎張り子 縁起物 達磨 だるま ダルマ 目なし達磨(中)


招き猫について書いた日記に入れていただいたコメントで、日本の縁起物としてはダルマもあったことを思い出しました。
招き猫をフランスで見ると、違和感を覚えてしまう... 2013/05/03

だるま(達磨)は、禅宗開祖の達磨大師をあらわした置物。 この尊いお坊さんは長いこと座禅をしていたために手足が腐ってしまったのだ、と幼い頃に聞いたのを覚えています。

ダルマを見ると、自分の手足がなくなったような感覚を味わってしまうから不快なのだろうと思う...。

しかも、手足がない姿にしているだけでは飽き足らなくて、両目ないし片目もない姿にしているなんて、残酷すぎるではないですか?!

調べてみたら、この達磨大師を描いた絵は、たいてい大きな目で描かれているのでした。例えば、こちら。 そういう目だから、だるまに目を入れるというのができてしまったのかもしれない。

私は、だるまを家の中には飾りたくないし、ましてや達磨さんの絵がついたグッズなんか持ち歩きたくないですけど...。

でも、そんな風にダルマを見る私は変人なのでしょうね。

ダルマは人気があるのだろうと思います。楽天市場で検索してみたら、おびただしいアイテムが出てきましたので。




だるまはフランス人には知られていない?

招き猫についての日記を書きながら、フランスでは招き猫がラッキー・キャットとしてかなりたくさん売られていることを知りました。

それでは、ダルマさんはどうなのだろう?

フランス人は仏教を禅宗に代表させてしまっている人が多いほどZenが好きだから、だるまにも人気があるかもしれない。

でも、七転び八起きなどという教訓は、全く辛抱強くないフランス人には受けないだろうな、とも思ったり...。

だるまは、フランス語でもDarumaのようです。

フランス人に一言でダルマが何であるかを説明するには、この表現が適当かな?
- Figurine à vœux

フランス・アマゾンで「Daruma」を検索してみたら、余りでてきませんでした。 Manekinekoグッズの多さとは比較できないほど、フランスではダルマ・グッズが少ない。



なんとなく変な抽象化されたダルマと、日本でも多く売られているスマートフォンなどのカバーが目立ちました。 でも、ダルマには目が入っているのが多く、デザインとして小さなものを並べている商品も多い。

はりぼてのダルマというのは人気がないのかな? 招き猫とたいして変わらないと思うのだけれど...。


フランスでダルマに人気がないのは、招き猫のように可愛くないから?

フランス人に伝統工芸のダルマの画像を見せて「どう思う?」と聞いたら、「なに、それ?」という反応でした。美しいとは思わないみたい...。

一人の反応で判断するわけにはいかないので、Wikipediaのフランス語ページにある「Daruma」をちらりと読んでみました。

あれ、あれ~! と驚く記述を発見。

Polémique(論戦)という項目があったのです。
1990年代末、目のないダルマは失明者に対する差別だとして、複数の人権保護団体が断罪したのだそう。

確かに、批判されたって仕方ないですよ。
そんなことがあったから、外国ではダルマを売らない?

でも、続きを読むと...
この後、選挙で片目のダルマを見せるのは止めた、とある。そしたら、日本でのことでしょう?

というわけで、フランスでダルマが売れないのは、差別のイメージがあるから、というわけではないようです。


やっぱり、だるまは好きではない

「だるまさん」と「さん」を付けるのは、人々に親しまれているからでしょうね。善光寺の住職さんから話しを聞いたとき、善光寺は「善光寺さん」と呼ばれると指摘されていたのです。

同じ縁起物でも、「招き猫さん」とは誰も言わない!

だるまさんを飾るのは、達磨大師の辛抱強さにあやかろうと、自分を勇気づける行為。

日本人の美徳に数えなければいけないのだとは思うのです。

でも、手足のない形を「だるま」と呼ぶのが気に入らない。

私が手足がない人間になったら、「だるま」と言う言葉を聞くだけでめげると思う。

「だるま」がついた言葉はいくつもあります。
雪だるま、火だるま、だるまストーブ、だるま転がし...。

「だるま」が障碍者に対する差別だと攻撃されるのは、今のところ日本では「目を入れる」行為に限定されているようでした。

でも、ダルマの多くは目が入っていない状態で売られているようでしたが...。これを自分で入れたくてする買うわけなので、始めから入っていたら面白くないだろうとは思います。


昔の映画ですが、見ているのが耐え難いほど辛いけれど、非常に感動的な映画を思い出しました。

ジョニーは戦場へ行った』 と題された1971年のアメリカ映画。

戦争で、手足だけではなく、ほとんどの知覚までも失ったジョニーの痛ましいお話しです。

昔は良い映画があったな...。


Johnny Got His Gun 1971 complete full movie in English

英語の原題は『Johnny got his gun』。フランスでは『Johnny s'en va-t-en guerre』という題名で公開されていました。

フランス語のタイトルが奇妙に見えました。

va-t-en-guerreは、兵隊、戦争好き、喧嘩をふっかける人の意味がある。でも、それと映画のタイトルの関係は分からない...。

英語の原題は、第一次世界大戦時に志願兵募集で使われた歌『Over There』の始まりの歌詞、「Johnny get your gun, get your gun, get your gun」をもじって皮肉にしたタイトルであるという記述がありました。

とすると、フランス語の方の題名は、18世紀に作詞されたフランスの歌『Malbrough s'en va-t-en guerre」からなのかな?... これは、フランス人の子どもたちにはよく知られいる歌なのだそうです。



聞いてみると、どこかで聞いたメロディー。クラッシック音楽でも使われていたのでした。

フランスの作曲家ビゼーも、同名でオペレッタ『Malbrough s'en va-t-en-guerre』をつくっているそうですが(合作)、映画の題名に選んだのは、誰でも知っている童謡の歌だからということではないかと思います。

なお、この曲と映画『ジョニーは戦場に行った』のフランス語のタイトルの関係については、どこかに書いてあったのを読んだわけではなくて、私が勝手に想像しただけのことですので、悪しからず!

それにしても、アメリカの若者を戦争に駆り出す『Over There』の歌も、こちらのフランスの歌も、人を不幸のどん底に落ちこます戦争をリズミカルに軽く歌ってしまっているのが凄い...。


だるまから脱線しましたが、さらに「雪だるま」が気になったので続きを書きました:
ところ変われば... ダルマのイメージはどうなる?


外部リンク:
M・メルロ=ポンティ,『眼と精神』「幼児の対人関係」
吉野裕子 ダルマの民俗学
☆ Movie Walker: ジョニーは戦場へ行った
☆ YouTube: Henry Burr and the Peerless Quartet - Over There (1917)
☆ 原語で歌う海外曲: MALBROUGH S'EN VA-T-EN GUERRE マルブルーは戦争へ行ってしまう
☆ Wikipédia: Malbrough s'en va-t-en guerre (Mort et convoi de l'invincible Malbrough)
☆ Wikipedia: ウェリントンの勝利(ベートーヴェン作曲)

ブログ内リンク:
ところ変われば... ダルマのイメージはどうなる? 2013/05/11
招き猫をフランスで見ると、違和感を覚えてしまう... 2013/05/03
★ 目次: 縁起物や迷信について書いた記事 (フランスを中心に)
★ 目次: 戦争に触れて書いた日記


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カテゴリー: 日仏の比較 | Comment (9) | Top
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コメント
この記事へのコメント
zenと達磨とジョニー 、、さん
とても 興味深い 命題です。

まずzen、、日本の zen master(あえて 小文字)のうち
何人が禅の本質を理解しているのでしょか??

眠くなったので 寝る♪
続きはとても長くなるから、、、また書きます。

おやすみなさい♪
2015/09/17 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
おはようございます♪
どなたも いらっしゃらないようなので
コメント欄拝借♪

色即是空 空即是色 という言葉がありますが、、

色(1)即是 空(2) 空(3)即是 色(4)として

色(1)は いわゆる悟りを開いていない人が感じる世界(現世)
空(2)は 悟りを開いた状態
空(3)は 空(2)から現世に戻る状態
色(4)は 悟りを開いた人が感じる世界

悟りを開いた後の人にとっては 色(1)と色(2)は
まったく 違った景色に見えるはず 
それが 色即是空 空即是色の 真意と
ボクは認識してますけど、、
禅寺で覚悟なさったと言われる偉い人達からは
すんなりとくる
色即是空 空即是色の説明を聞いたことがありません。

ちなみに 悟りとは、、
全ての本質が混ざりあい 浸透しあっていると感じられる
一種の 精神的なトランス状態

偉いzen masterの方々は たぶん
空(2)のままの トランス状態で
向こうに行ったまま こちらに戻られてないのでは??と
愚考しております。

2015/09/18 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: zenと達磨とジョニー 、、さん / おはようございます♪
v-22 たかゆきさんへ

続きを入れてくださってありがとうございます♪

zen masterなんて凄い称号ですが、そういうのがあるのですね。

>色即是空 空即是色 という言葉がありますが、、
⇒ なるほど、4段階ですか。私は2までで良いのかと思っておりました。フランス人は2の段階までも行かないくせに軽々しく「zen」と言っているので、なんとなく面白くなく思っていたのですが、もっと奥が深いのでしたか...。
2015/09/22 | URL | Otium  [ 編集 ]
起き上がり小法師(ダルマ)
>怪我をした人の話しを聞くだけでも痛みを感じます。まして、傷を見せられたら、猛烈に痛くてたまらない!

Otiumさんのように 他者の痛みを自分の痛みとして感じられる
感覚はとても素敵なことと思います。

ダルマの姿は たしかに
一部の方には 不快に感じらると思います、、
でも

陰陽五行の思想を具現化して広めるには
あの姿しか 考えられない必然の姿と
ぼくは 考えます。
(他の方法もあったでしょうけれどダルマとして
 日本の文化に深く根ざしてしまいました)

ダルマの姿は 「火気」の象を現しています。
詳しくは 『ダルマの民俗学』にありますので
そちらを参照なさってくだされ♪

例えば 目 視ることは 「火気」に還元されますし
お正月行事の 「にらみ鯛」や「おにらみ」も
なぜ 正月でなければならないかも陰陽五行の観点から
説明がつくようです。

>「だるま」が障碍者に対する差別だと攻撃されるのは、今のところ日本では「目を入れる」行為に限定されているようでした。

一部の方々に不快な思いをさせるからといって
伝統的な行事や 習慣 あるいは文化を
なくしてしまっては いけないのでは??と
ぼくは 考えています。

難しい問題ですけれど
障碍者による 健常者への逆差別などが広がらぬよう
祈っております。

2015/09/24 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: 起き上がり小法師(ダルマ)
v-22 たかゆきさんへ

ダルマの意味については、後で勉強することにします。余りにも俗化しすぎてしまっていて、私のような俗物には本来の意味を考えてもみないのが問題なのだろうと思いました。

>一部の方々に不快な思いをさせるからといって 伝統的な行事や 習慣 あるいは文化を なくしてしまっては いけないのでは??と ぼくは 考えています。
⇒ 私もそう思います。これは差別だと言うと、かえって差別を助長することになってしまうケースもあると思います。
2015/09/24 | URL | Otium  [ 編集 ]
ジョニー
『ジョニーは戦場へ行った』、、
ぼくも テレビで観たことあります。

被弾して四肢を奪われ 意識は正常だけれど
五感のうち たしか
触感だけが 機能している状態になったんですよね。
そして わずかに動く首を使った
モールス信号で 自分の意思を伝える。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b977b2fdd2117fca2015ac5694ef04bc

さて、、達磨
壁面九年という説があります(真偽は不明)
壁面九年の間 達磨は死を選択しようと思ったか??
まず ないでしょうね。

達磨とジョニーの違いはどこにあるのか、、、
達磨は いわゆる 空(1)や 空(2)の状態になれたが
ジョニーは その状態になれなかった と
ぼくは 思っているのだ。

ジョニーが 色(4)の世界を認識できていたら
また 違った選択をしていたかも知れませんね。


2015/09/25 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: ジョニー
v-22 たかゆきさんへ

>モールス信号で 自分の意思を伝える。
⇒ 自分の意志を伝えたのは「私を殺してくれ」なのですよね...。私だって、同じように考えます。死にたいと思っても自らの力ではどうにもならない状態というのは壮絶な苦しみだと思います。

戦争の悲惨さを訴えた映画でした。アメリカは悪いこともたくさんしていますが、自らの過ちを認めた主張をすることを許される土壌がある点で評価しています。

>達磨とジョニーの違いはどこにあるのか、、、
⇒ まだ達磨のことは勉強していないので何も言えませんが、大きな違いは、ジョニーは悟りを開こうとしてダルマになったわけではないことにあると思うのですけど...。
2015/09/25 | URL | Otium  [ 編集 ]
神は赦し賜うか?
>自らの過ちを認めた主張をすることを許される土壌がある点

それこそが アメリカの大いなる虚構 欺瞞ではないかと
ぼくは 思っています。
アメリカは こんなにも 開かれた国家であると宣伝しつつ
いつまでも 悪い事をし続ける。。。
神は赦すかもしれませんが ぼくは絶対に赦すつもりはありません。

「神が人間を救うのではなく 神こそが人間に救われている」
という シオランの考えに
ぼくは 与するものです。

>ジョニーは悟りを開こうとしてダルマになったわけではないことにあると思うのですけど...。

確かにそうです。

ならば 問う
ジョニーは 己の意思でこの世に 生を受けしや?
(禅問答風に なって しまった)
人間の誕生それ自体が ある意味不条理ですので
その後の 病老死苦すべての 不条理を
甘んじて受け入れ 神の過ちを救済してあげるのが
人間の努めであると ぼくは考えています。

そして 己の意思とは関係なくとも
ジョニーのような状態になったら どうなるか?

達磨は壁面九年 己の感覚を遮断するために
苦労なさいましたが、、、
ジョニーは幸いにも(失礼)労せずして 感覚を
遮断された状態になれました。

そのような状態になったら
人間は空(1)の状態に誘導され
すべての苦しみから解放されうる と
達磨が証明なさってます。

いずれにせよ 神を救済してあげるためにも
人間は決して 自死など選択せずに
どのような状況でも 生き抜く道を
探し出すべきではないのかな、、 と
考えているのだ♪

2015/09/26 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: 神は赦し賜うか?
v-22 たかゆきさんへ

>それこそが アメリカの大いなる虚構 欺瞞ではないかと ぼくは 思っています。 アメリカは こんなにも 開かれた国家であると宣伝しつつ いつまでも 悪い事をし続ける。。。 神は赦すかもしれませんが ぼくは絶対に赦すつもりはありません。

⇒ 私が言いたかったのは、真実をあばくドキュメンタリーが公開できる自由が認められているということでした。日本では外国のメディアでも、その国の政府や政治家の悪を見せるような報道を余りしないと感じています(フランスのケースを考えてですが)。つい最近も、アメリカの報道規制をされたジャーナリストのドキュメンタリーをテレビで見ました。こういう告発は、アメリカを赦すどころか、とんでもないことをしている国であることを広く知らしめるだけでしかないと思います。ただ、それさえも許されない国が多いので、アメリカでは万難を排して努力すれば報道できる国なので、まだマシだと思うだけです。

>「神が人間を救うのではなく 神こそが人間に救われている」 という シオランの考え

⇒ 個人の中に神と呼ぶ存在が形成されると私は思っており、絶対的な神の存在は信じていないので、こういう見方ができません。つまり、良い人間の中には良い神が形成されるけれど、悪い人間の中には邪悪な神がつくられていると思ってしまうわけです。従って、やはり救済すべきは自分自身だと思うのです。死は、誰にでも公平に与えられる救済だと受け取っています。

athéeは、神の存在を信じない人と言う風に単純に受け取ってはならない言葉なのが興味深いです。キリスト教の文化がある土地で育った人は、それに対立して無神論を形成するわけで、私のように漠然と信仰は持っていないというのとは全く別物なのですね。シオランは彼の母親のようにathéeではなくて、神に理想的な姿を求めてしまったために苦しんだのではないでしょうか?

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2011/855.html
2015/09/30 | URL | Otium  [ 編集 ]
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