| Login |
2013/05/26
雨ばかり降るので、天気予報が気になってきた」で、フランスのおふざけ天気予報の動画を入れながら、そこに映っているフランス語圏ベルギーの作家Amelie Nothombの存在を思い出しました。

彼女が東京の新宿にある大手企業で1年間働いた体験をもとにして書いた小説『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』の映画化されたものを、テレビで見たことがあるのですが、その後は全く無視していたのです。

日本との関係が深い人気作家の作品だから、と勧められて映画を見たのですが、日本の会社にある体質を茶化している、と不快感を持ったくらいしか覚えていません。

フランスにいると、時々会うのです。日本にほんの少し滞在しただけで、「日本は、こうなんだ」と日本人の私がいる前で演説する人たち。

友人たちから後で、「なんで、あんな高飛車な人にしゃべらせていたのか」と責められるのですが、あんなに確信を持って言われるとバカバカしくて反論する気にもならない...。

フランスのことを読みかじったとか、団体旅行で回ったとかの経験がある日本人からも「フランスは、こうなんだ」と言われるのも聞き流している私だし...。


Amelie Nothomb 14 mars 2009そもそも黒い服と大きな帽子という彼女のいでたちと、楽しくない顔を見ると、私は好きになれない。

それでも、久しぶりに彼女の姿を見たら、彼女と日本の関係がどういうものなのかを知りたくなりました。

本を買って読む気にはならないので、インターネットに動画として入っているたくさんの彼女のインタビューの中から、日本について語っているものを見ました。

それから、映画『畏れ慄いて』の動画をつなぎ合わせて鑑賞。さらに、また彼女が語っていることを聞く... を繰り返しをしました。

日本社会の歪みを面白おかしく描いているだけと思っていた『畏れ慄いて』が、全く別のものに見えてきました。

もっと奥深いものがある。根無し草のような育ち方をさせられた彼女の苦しみ、そこから生まれた自分の母国は日本にあると信じたい思い、その葛藤が形成した彼女の個性...。

共感さえ覚えてきました。


Amelie Nothomb

 
本名は Fabienne Nothomb 。

1967年8月13日、神戸に生まれる。
※Wikipediaの記載とは異なるのですが、こちらの方が正しいように思う。

ペンネームにしたAmelie Nothombは、彼女の作品が日本語に翻訳されたときの表記で、アメリー・ノートンとされるのが日本では一般化されていました。

フランス語の発音規則によればアメリー・ノトンになります。

でも、語尾の子音を発音するか否かは、地名や人名には例外もある。本人が自分の名前を言うときはアメリー・ノトンブと言っており、それを尊重しているためか、フランス人でもそう発音する人たちがいました。

彼女が日本語でサインするときには、「雨里」と書いていました。

17歳のときから小説を書始め、20代半ばで『Hygiene de l'assassin(殺人者の健康法)』で文壇にデビュー(1992年)。

小説を年に平均3.7本書くのが彼女のリズムで、そのうち1冊を公開する計算になる、と本人が語っていました。

フランスでも大変な人気作家で、文学賞も数々受けています。ただし、作品を絶賛する人と、変わった主張をするのは売名行為だと批判する人とに大きく分かれている作家のようです。

日本での評判は、日本企業で働いた経験を描いた『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』が日本を貶すものだ、として批判する人が多いようでした。

この小説を映画にした作品の方は、日本では映画祭などでは上映されたものの、一般公開もされていないし、日本語版のDVDも作られていません。

とはいえ、インターネット上ではかなり話題になっていました。

好きか嫌いかは別にして、個性が強いために騒がれる作家のようです。

若くして『悲しみよこんにちは』でデビューしたフランソワーズ・サガン、奇抜さが話題を呼ぶ点からはサルバドール・ダリを私は連想しました。

でも、彼女の発言を聞いていると、ゴーストライターを10人も雇って小説を書いているような人気作家とは全く違う。彼女は、根無し草の苦しみをを乗り越えるために小説を書いている、としか思えない...。


アメリー・ノートンと日本との関係

ベルギー人の外交官の娘として神戸に生まれ、5歳まで日本で育ちました。

西尾さんという名の日本人の乳母に育てられています。

幼いアメリーは、西尾さんとおしゃべりできるようになっていたのに、両親の方はまだ娘は話しができないと思っていたのだそう。この日記の最後に入れる動画に、別れた後に初めてアメリーが再会した西尾さんが映っているのですが、美しくて穏やかな人柄を思わせる女性でした。

幼いアメリーは、自分の世話をしてくれる西尾さんを母親として慕って暮らしたのでしょう。アメリーが「ずっと自分は日本人だったと思っていた」と言うのも納得できます。

幼稚園時代、体の全部が白いのかを確かめるために公園で裸にされて身体検査されたこともあったそうですが、日本では幸せな子ども時代を過ごした、とアメリーは懐かしんでいます。

外交官だった父親の経歴を見ると、彼女が幼少期を過ごしたときには大阪の領事。

アメリー・ノートンは、こんなエピソードを語っていました。

能を鑑賞した感想を聞かれた父親は、能のことなど分からないのでトンチンカンは返事をする。通訳がそれでは返事にならないと言って、適当な答えを相手に伝えてくれた。すると、人間国宝の能役者は、言葉も分らないベルギー人が能の神髄をくみ取ったのは素晴らしいと感激して、弟子にしてくれてしまったのだそう。

彼女の表現によると、「美の国」日本から、「醜の国」中国に移り住みます。中国の文化大革命(1966~1977年)の時期ですね。日本でのびやかに過ごした子ども時代から、監視付きの窮屈な生活になったわけですから、カルチャーショックは大きかったはず。

その後も、父親の転勤によって、ニューヨーク、ラオス、バングラデシュ、ビルマを転々とします。

アメリーは、バングラデシュでの思い出を語っていました。

キリストが海の上を歩いたという話しが頭に焼き付いていたのは、海を見ると足を踏み入れたくなったのだそう。ある日、海で泳いでいたら、いつの間にか男性たちが近づいてきたらしい。12歳のときだったのですが、イスラム教徒の男性たちには水着でいる女性だった...。

男たちの姿は見えず、体に触ったり、水着を剥がそうとする無数の手の触覚があるだけ。これが、後に「自分の体内に宿る敵」という恐怖を形成した、と語っています。彼女がキリストの真似をして海に入るのは、このときが最後でした。

文化が違う国を転々とすることによって、どんな精神的ダメージを子どもが受けるかを考えてくれない親が多い...。幼少期に身に着けた日本の文化に憧れながらも、両親から植えつけられたキリスト教が染みついているアメリーが、エキセントリックになったのは理解できてきます。

アメリーが祖国ベルギーに住むようになったのは17歳の時(1984年)。初めて会った祖母(母方)から、こう言われたそうでうです。
「あなたは頭が良いといいわね。こんなに醜いんだから」

これは大変なショックだったけれど、小説家になってから様々な批判を受けても立ち向かえることに役立った、と語っています。祖母から言われたことに比べれば、なんでもないから。

大きな黒い帽子をトレードマークにして人前に現れるのは、怖れから逃れるため、とエミリーは語っています。美しい顔でもないのに作品の表紙に自分の写真を入れたり、やたらに赤い口紅をつけて美人でなくしているのも、貶されたことを逆手にとる抵抗と見えてきます。

祖国であるはずのベルギーで、エメリーはベルギー人とは違うことを痛感させられます。幼少期を過ごした日本へのノスタルジーと憧れは膨らんでいったはず。

ブリュッセルの大学を卒業してから、長年の夢だった日本へ行くことになります。日本の大手企業に、1年契約の通訳として採用されたのです。

東京で働いた体験をもとにして『Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)』を発表し(1999年)、権威あるアカデミー・フランセーズ文学大賞を獲得。この作品で彼女の作家としての地位は確立され、2003年に映画化されました。

 
翌2000年には、日本で過ごした幼少期のことを書いた『Metaphysique des tubes(チューブな形而上学)』を上梓。

内容紹介、書評:
「わたし、呑み込んではまた空になるチューブなの」。 ヨーロッパの人気No1の女性作家による、日本での0~3歳の自伝小説。日本で生まれ育った記憶を、抱腹絶倒、奇想天外に描いた傑作小説! 欧米で大ベストセラー!

「わたしは、パパが駐日ベルギー大使だったので、日本の神戸で生まれた。そして、自分は日本人だと固く信じていた……」。 現在、ヨーロッパで人気ナンバー1の作家アメリー・ノートンの原点は、日本にあった。自分を日本人だと信じていた彼女の幼い青い目に映った、日本の言葉、水、季節、時間、家政婦さん、庭での幸せな時間、池の鯉……。それは、どれも魅力的であり、面白おかしく、奇妙奇天烈なものばかりだった。そして……

アメリーは日本生まれ育ったが、3歳にして、その人生はすでに小説だった!(L'Express)

赤ん坊の脳内に焼き付けられた日本の記憶を、面白おかしく、しかも詩的に表現した、驚くべき小説。(New York Times)


私は、幼児期の記憶など、断片的なものしか残っていません。幼稚園でバカバカしい遊び(つまりは子どもじみた遊び)をさせられて不愉快だったとか...。でも、アメリーは驚くほどの記憶力がある人なのだそうです。パリの書籍展では、一度会っただけのファンのことを名前などもしっかり覚えているので、関係者を驚かせたことが話題になっていました。


Stupeur et tremblements(畏れ慄いて)

 
Stupeur et tremblements
私が興味を持ったのは、日本企業で働いた体験を描いたくアメリーの作品です。

「Stupeur et tremblements」とは奇妙な題名...。

tremblement de terre(地震)は日本のイメージですから、それから取ったのかと思ってしまうではないですか?

日本語では「畏れ慄いて(おそれおののいて)」と訳されています。

天皇に謁見を許された者は「畏れ慄いて」地にひれ伏すことになっていることから付けられた題名だ、という説明を聞くと納得。

主人公アメリーは、日本の会社で上司たちにひれ伏す生活を送ることになったのでした。




アメリーは通訳として日本の商社に入ったのですが、母国語であるフランス語の他に、英語や日本語もできる能力を活かす仕事は与えられず、上司たちから叱られているばかりの無能なOLとなりました。

まともな仕事は与えてくれない。お茶くみ、コピーとりなどをやらされる。

これは、日本の会社を経験した私からみると、ごく自然。アメリーがやったように、お茶を配る人たちの好みを覚えるというのは、私もやったものでした。私が学生時代にアルバイトで入った会社では、あからさまに「仕事なんかしなくて良いから、みんなとおしゃべりしたりしなさい」と言われました。若い私が入ってきたことで、みんなは楽しくなることを期待していたのだそう。当時の私は内気で、男性たちを相手に芸者役なんかできないのに...。

会社で役にたちたいと燃えているアメリーは、カレンダーの日めくり、郵便配りなど、頼まれもしないことを始めますが、それで怒鳴られる。一生懸命努力しても、仕事のできが悪いと拒否される。

ベルギーはどうか知りませんが、フランスでは高度な教育を受けたエリートが会社に就職すると、いきなり管理職になります。実際のアメリーは大学でアグレジェ(教授資格者)をとっているのですから、プライドが傷つきそうなのに、めげる様子はなく、つまらない仕事もこなしていました。

アメリーの直接の上司は、能面のような顔をしたモリ・フブキという名の女性。初めて会ったときから彼女はその美しさに見惚れています。男性の上司たち怒鳴られる毎日の中、吹雪だけは自分の味方だと思っていました。 ところが、アメリーが能力を発揮できる仕事をしてしまったために、彼女からも苛めを受けるようになりました。

電卓なんか使えないのに経理をやらされ、アメリーの無能ぶりは頂点へ押し上げられました。そして、知恵遅れの彼女に適した仕事だといって、トイレ掃除係りにされてしまいます。実際のアメリーは、働いた最後の7か月間をトイレ掃除人として過ごしたそうです。

日本の会社の体質を誇張してしまっているけれど、そういう話しはあり得るだろうな... とは思う。この映画をは初めて見たとき不愉快になったのは、ありえるな... と思いながら、日本の企業の体質を思い出したからでもあります。

作者アメリーは、このストーリーは名前などを変えているだけで、すべて実話だと言っています。でも、実際の彼女の体験をもとにして再構成している、としか思えない。奇妙に感じる点が多いのです。

映画を見ただけで、小説の方は読んでいないので、この作品について感想を書くのは間違っていますが、気になったことを書きだしてみます。


アメリーは、なぜ日本の会社で虐めにあったのか?

主人公アメリーは、出勤した初日から、上司のサイトウ氏(課長?)から嫌がらせを受けます。

ゴルフのコンペに参加するという返事を英語で書くように指示されたのですが、何度書き直してもOKはもらえません。そもそも、どんな関係の相手なのかによって手紙の書き方は異なるのですが、相手が誰であるかは教えてくれないのです。

ダメと拒否された彼女は、何度も手紙を書きなおして持っていきます。
私だったら、親しい関係にある人なら、この文章、大事なお得意さんなら、この文章、という風に一覧にして、その中から選んでください、というのを作りますけど...。

結局のところ、サイトウ氏は何を書いたって拒否しようと腹をくくっていたらしい。後には、アメリーは分厚い書類(私的な書類)のコピーをさせられるのですが、印刷が曲がっていると言われて何度もやりなおしさせられています。

つまりは、アメリーは始めから虐めの対象になっている。ストーリーの途中から、日本人には嫌われることをやってしまったために叱られ始められるのではありますが、出社した日からいびられるのは奇妙です。

作者が日本に来た時期を調べると、彼女の父親はベルギー大使を務めていたはず (1988~1997年) 。この小説『畏れ慄いて(1999年)』は日本の会社を批判しているので、父親の立場が悪くならないように任期が済んでから発表したそうです。

そういうコネでアメリーを押しつけられたことを、商社の人たちは不快だったから虐めたのだろうか?

でも、そういうお嬢さんだったら、気に入らなくても、うわべだけは丁重に扱うのが自然だと思うのです。ぞんざいに扱われたと告げ口されたら、自分の立場が危うくなりますから。日本の大手企業に勤める友人は、天皇の親族が会社に就職してくる風習があって、そういう人を部下に持たされると扱いにくくて困るのだ、と話していました。そうだろうと思う。

まして、アメリーが勤めたのは商社。ベルギーとの取引もあるでしょうから、大使のお嬢さんにトイレ掃除なんかさせたら大事件ではないですか? 奇妙...。


(1) 外国人らしからぬ外人だったから嫌われた?

実際のアメリーも、この小説を書いているからにはイジメにあったのだと思います。まず決定的に大きな問題があった、と私は思いました。不自然だと思うのは、初日から嫌がらせを受けているという点だけ。

映画の冒頭で、日本に来ることができたアメリーの喜びが語られます。「私は本当の日本人になる!」とはりきっています。これが日本で彼女が受け入れられなかった最大の原因ではないでしょうか? 

日本人は、外国人、特に白人には非常に親切です。でも、外国人らしくしているときは好かれるけれど、日本人になろうとすると認めてくれない、と、日本に住む外国人からよく聞かされます。

日本語を流暢に話して、私は日本人なんだなどと思っている態度をする白人がいたら、拒絶反応を示される確率の方が高いのではないでしょうか?

若い方がご存じかどうか知りませんが、フランス人のタレント、フランソワーズ・モレシャンはガイジンらしさを出す知恵がある人だったと思います。強い外国人訛りで日本語を流暢に話すのですが、あれはフランス人が日本語を話すときの訛りとは全く違うのです。

一度だけ、彼女が日本について書いた本を出版したとき、フランスのお堅い番組に出演してインタビューを受けているのをテレビで見たことがありました。日本語をしゃべるときと同じ抑揚でフランス語を話すので、とても奇妙。だから、あれは訛りというものではなくて、彼女が自分のために築いたキャラクターの表現なのだと思う。

日本はこうすべきなのだという例を挙げたとき、「あなた、ちょっとネクタイが曲がっておりますわよ~」などと言って、相手に触ったりしていました。そうしてもらえたら、日本人男性は鼻の下をのばすでしょうけど、フランスでそれを見ると、ぞっとしてしまいました。フランス人だって驚いたと思う。彼女は、フランス人であることの特権を最大限に活かせる人だと思いました。

作家アメリー・ノートンは、いくら日本人になりたいと思っても、自分のアイデンティティーを捨てることはできなかった...。

商社で働くアメリーは、数々の虐待を受けながら耐え、自分にできることがないかと見つけ出したりして、明るく振舞おうとします。仕事をくれないので、皆の日めくりカレンダーを直したり、郵便を配ったりすると、余計なことはするな、と叱られる。

会議室でお茶を出すときに「どうぞ」などと余計なことを言うので顰蹙をかう。日本語を話すな、と言われています。ここで彼女は、日本人にはなろうとしたら嫌われるということを悟ったのだろうか?...


(2) 実際のアメリーは可愛い女の子ではなかったから?

映画に出演しているアメリーは愛らしい女の子なのですが、現実のアメリーの方は、頭が良くて、個性もひと一倍強いし、美人ではない。オフィスにいて、皆から可愛がられるタイプではないと思うのです。

映画のアメリーによく似た感じのフランス人の友達が日本に長期滞在していたことがありました。片言の日本語を話し、美人ではないのですが、小柄で、ひょうきんなところがあるのが可愛くて、誰からも好かれていました。フランスだったら絶対にしないヒッチハイクまでして、東京から北海道まで行ってしまいました。車が止まって行先を告げると、Uターンしてまで連れていってくれたことが何度もあったのだそう。

しかし、ストーリーの中にはお茶くみやコピー焼きをやらされているアメリーに同情して、彼女の能力を与える男性が登場しています。それがアメリーの直接の上司であるモリ・フブキ女史の怒りをかうことになってしまったのですけれど。

映画のアメリーを見ていて不思議だったのは、会社の中だけの話しなこと。日本のフランス語圏の人たちのコミュニティーに入ることを拒否していた可能性はある。でも、父親の関係で、面倒をみてくれる日本人がいたと思うのですけど、そんなのは全く出てこない。

実際のアメリーは、この期間にルックスの良い日本人の青年と同棲していたのですけれど、小説の方では出てくるのでしょうか? あるいは、私は映画を途切れ途切れに見たので登場しないだけだったのか?

いずれにしても『畏れ慄いて』では、日本企業の話しをテーマにしているので、脱線はしなかったと思います。

ストーリーを追っていると、日本のことを全く知らないフランス人でも、日本の社会はこんな風になっていると分かるように描かれています。不自然だと思ったのは、登場する日本人が意思表示を言葉で出していることでした。日本人が意地悪をするとしたら、もっと陰険にやると思う。

叱ってなんかくれないですよ。現実のアメリーは、日本にいるフランス語圏の人たちや、紹介されて面倒をみてくれた日本人たちから、自分がどんなヘマをしたのかを教えてもらって理解したのではないでしょうか? でも、そうすると小説が長くなってしまうし、面白くもない。 ノンフィクションではないのですから、それはどうでも良いことではあります。

たぶん、イジメは陰湿なだけに心を傷つけられるものだったのではないかと想像します。おそらく、彼女がしたことがなぜ会社で咎められたのかを説明してくれた親しい人もいたはず。

ただし、舞台が商社(あるいは大企業の輸出入部門?)なので、そこにいる日本人たちは外国語ができて、そういう影響を受けた、つまり生粋の日本人ではない人も多かったかな、という気はします。 特に、アメリーが美しさに憧れた、直接の上司の女性。こんなに外国人と言い合いができるような日本人は珍しいと思うけれど、日本の外資系企業ではよくいるタイプではあります!




ところで、実際のアメリーが同棲していた日本人男性からは、結婚を申し込まれています。「結婚はしたくなかった」というアメリー。日本人にはなりきれないと悟っていたのか? その男性は夫にしたくなかったのか? ずるずると答えを引き延ばせなくなったとき、ベルギーに蒸発するという手段をとりました。「また来るから」と言って立ち去っりながら、二度と会っていないようです。

本当の日本人になりたいなら、会社勤めなんかをするより、日本人男性と結婚した方が簡単だったと思うのですが、彼女は強い意志の女性なのでしょうね。


(3) 殉教者になる欲求?

アメリーが数々の嫌がらせに耐えているのを見て、働かなければ食べていけないわけでもないのに、なんでそんなに頑張ってしまったのか不思議でした。

日本人には我慢強いという美徳があるので、彼女もそうしたのかもしれない。でも、学校のいじめも同じだと思うけれど、いじめられて耐えていたら、ますます虐められるものだと思うのです。

虐待はエスカレートしていくのですが、アメリーはがんぱっている...。

まず、彼女がベルギー人であることを感じさせられました。素朴で、お人よしで、優しいと感じるフランス語圏ベルギー人。そういうベルギー人気質を、フランス人たちは「私たちの友達、ベルギー人」と言いながら(同じようにフランス語を話すから)、ちゃかすのです。

でも、それだけではないらしい。

作家アメリーの対談では、宗教の話しがよく出てきます。カトリックの教育を受けたので、その思想は根強く持っている。でも、キリスト教に浸透しているわけではなくて、神が一人であることに抵抗を感じている。日本では、神は一人ではなく、人間のひとり一人が神、という思想なのが好きなのだと言っていました。

キリスト教と、幼少期に植えつけられた日本文化への憧れが葛藤しているのを感じます。

耐えることによって殉教者になると同時に、禅の修行だとも感じる...。

日本に憧れていて、本当の日本人になりたかったアメリーには可愛そうな結末でした...。 でも、祖母から醜い女の子だと言われたのを逆手にとったように、彼女が一段と強い人格を持てる結果にもなったと考えられます。


アメリーは日本社会の特殊性の中から何をくみ取ったのか?

(1) 階級制度

これは冒頭から語られます。

― ハネダ氏はオーモチ氏の上司で、オーモチ氏はサイトー氏の上司で、サイトー氏はモリさんの上司で、モリさんは私の上司だった。そして私は誰の上司でもなかった。

でも、これは日本独特の企業体質ではないと思います。私の経験から、トップダウンで決定するフランスに比べれば、日本は平社員でも重要な役割を担えます。

日本の企業では、末端が頑張って仕事をしていて、トップはゴルフのことなんかを考えている。フランスの場合は、平社員は時間になったらさっさと退社してしまうので、ちゃんと仕事をしようと思うトップが残業をして仕事をこなしています。

アメリーが勤めることになった会社の上下関係を冒頭で語られることから、これが大きな主張かと見えるのですが、そうではないと思う。
 
実際、日本を去ったアメリーは、作家になることを目指し始めました。彼女は、日本社会に馴染めないと悟っただけではなくて、企業のようなところでは働けない人間なのだと自覚したのだと思う。


(2) 日本社会の構造は、「出る釘は打たれる」にある

虐めがエスカレートしていく節目になったのは、いつも彼女が出すぎたことをしたからでした。

何とか会社の役に立ちたいと、アメリーは指示されない仕事を自分で考えだしてやってしまいます。カレンダーの日めくり、ゴミ収集、お愛想を言いながら会議室でコーヒーを出すなど。さらに、苦手な経理の仕事を任されたときには、徹夜までしてしまう。

働きすぎるのは、日本の企業では調和を乱すのでするべきではない、と私の会社勤め経験で痛感しました。アメリーに共感を覚えるのですが、私も働くのが好き。でも、浮いてしまうのはいけないのですよね。フリーで働くようになったのは、それが理由でした。フリーで働く限りは、いくら頑張っても、時給に換算して考えたら微々たるものだというだけで、それは自分の問題として満足できるのですから。

日本でフランス語を勉強していたころ、フランス人の先生から出された宿題を絶賛されたことがありました。

何かのテーマについて書けというものだったので、たまたま思いついた「出る釘は打たれる」という日本の諺について書いたのです。先生が、つたない私のフランス語の文章に高い評価をくれたのが不思議だったのですが、「ずっと疑問だったことが理解できた」と感謝されたのでした。

小柄で、控えめで、優しさがあふれた若いフランス人女性。大和撫子でも、こんなに愛らしい人はいないと思うような女性。日本人と結婚していました。日本社会に溶け込もうとしても、何かうまくいかないところがあったのだろうと想像しました。

そんな日本でも、突拍子もなく飛び出た釘になったら、カナヅチに変身できる社会だと思うのだけれど...。


(3) 日本の会社で女性が良い仕事につけるのは難しい

これは、作者が最も強調したかった点ではないでしょうか?

アメリーは、おそらく彼女に同情した男性から、彼女の能力を発揮できる仕事を任されて、はりきって仕事をして成果をあげたことを喜びます。

私はまともに日本の企業で働いたことがないので、立派に仕事をしている女性の友人たちを尊敬しています。

日本の大手企業で重要なポストについていた女性の友達が、能力や努力よりも、能力を見せるチャンスが到来するというのが、女性が成功できる かどうかの最も大きなポイントなのだ、と言っていたのを思い出しました。彼女の場合は、ラッキーにもその機会があったのだそう。


でも、アメリーが実力を発揮した仕事は、彼女の面倒を見ていた女性の上司の反感をかってしまいました。

彼女は、大変な努力をして今の地位についた女性。その立場をアメリーが奪ってしまうと嫉妬したわけです。アメリーは彼女の気持ちを理解して、和解を試みますがうまくいかない。徹底的ないじめを受けることになりました。

でも、アメリーは、日本でなくても同じ体験をしたかもしれないと思います。日本の会社の体制は確かに変なところがたくさんありますが、フランス人の上司だって陰湿ないじめをやりますから。

私が勤めていた在日フランスのグループ企業では、トップの秘書をしていた女性がフランス人社長から追い出し作戦をかけられていました。

名門の家柄の家庭で育ち、若いときには大勢の人の中でも目立つほどだったろうなと思う美人。まだ大学に行く女性は少なかった時代の人なのですが、有名なお嬢様学校の英文科を卒業していました。でも、彼女を先代の社長から引き継いだフランス人は、煙ったくて嫌だったらしい。優秀な人なのに、郵便係りにさせられてたのですが、独身の彼女は生活がかかっているので退職しません。そんな無理をしていると病気になってしまうと思っていたら、本当に癌になってしまった...。


『畏れ慄いて』は、私も嫌なタイプの男性上司を茶化して描いています。でも、アメリーが最も心を痛めたのは、会社における女性の地位ではないでしょうか?  バカな男性の上司は馬鹿にしていれば良いだけ。でも、最も酷いいじめをしたモリ・フブキ女史に対しては、彼女の立場が分かるのでそういう気持ちにはなれません。

少し前に知り合った日本のビジネスで成功した人に、話しを聞いたときに聞いた言葉が印象に残っています。
― 私たち世代は、男性の100倍頑張って、ようやく一人前として認められました。

美しい40代の女性なのですが、性格の良さが顔に現れていて愛らしく、初めて会った時から誰でも好感をもってしまうような人。なので、苦労なんかしていないと思ったので、意外な答えでした。
 


根無し草の辛さ

アメリー・ノートンは、生まれてから5歳までを過ごした日本を離れてから、ずっと日本文化への憧れをはぐくんできたのだろうと想像します。

『畏れ慄いて』の映画を改めて見てた後は、日本人社会への恨みを書いたのではないと思いました。映画では漫画のような上司たちが登場していますから。

そんな日本での辛い思いをした後でも、彼女の心の中では自分の考え方の根底には日本があると思い続けています。 アメリー・ノートンが、日本ではなくてフランスに生まれていたら、フランスで生まれたという理由だけでフランス国籍を取得できたのに、お気の毒...。ベルギーもフランスと同様に2重国籍を持てるのかは知らないのですが。

外交官の父を持ったおかげで世界の各地に住めたことは幸せそうにみえるけれど、感受性の強い子どもだったら辛いでしょうね。言葉も文化も全く違う国に次々と放り込まれるのですから。

17歳で母国ベルギーに初めて足を踏み入れて住むことになったけれど、彼女はベルギー人らしくないと周りから見られてしまう。日本で「帰国子女」と呼ばれる子どもたちも、同じような苦しみを味わっているのでしょうね。


パリ症候群も、逆手に取れば克服できる

アメリーは幼い時に別れた日本に憧れていて、成人してから日本社会に溶け込もうとしたのですが、そうはいかなかった。

日本人が陥るパリ症候群を想起させますが、全く違う。

フランスに憧れてやって来た日本人は、ろくにフランス語ができなくてフランス人から受け入れてもらえないのでパリ症候群になる。でも、アメリーは言葉ができても、というより日本語を話せてしまったために、日本では受け入れてもらえなかった...。

それでも、彼女は挫折したようには見えません。痛めつけられれば、ダルマのように起き上がる人なのでしょう。ただ起き上がるだけではなくて、さらに強くなっていく...。

アメリーが久しぶりに日本を訪問したときの映像を入れたドキュメンタリーがテレビで放映されていました。2012年、東北大震災の1年後の春のことです。

神戸の幼稚園、働いた会社があった新宿、被災地、母として慕った乳母の西尾さんとの再会などを映し出しながら、アメリーは日本への熱い思いを語っています。

※ 入れていた動画が削除されていたので、それと同じと思われる動画を入れなおします。


Reportage Amélie Nothomb, une vie entre deux eaux Saison 6

乳母の西尾さんとの出会いの場面は40分くらい経過したところで出てきます。

ドキュメンタリーの最後で、アメリーは語っています。
「書いていることは全部でっちあげだ!」という痛烈な批判をたくさんもらうので、自分の頭の中でも記憶が現実なのか分からなくなってきていた。日本を再び訪れて、自分の昔が確かに存在したことを確認できて嬉しかった。

彼女は朝4時に起床して、4時間は執筆するのを日課にしているそうです。空腹に苦いお茶を注ぎ込む。この習慣は、日本で働いていたときにできたと言います。出勤するために午前8時に家を出るので、4時に起きる。ということは、こんな苛めにあった会社に通っていた時代にも、出勤前に小説を書いていた、ということ?!

毎日おびただしい数の読者から手紙が届くのを、彼女は全部読み、全てに返事を書くことにしているのだそうです。ファンの嬉しい手紙もあるでしょうが、痛烈な批判もあるでしょうに...。

つくづく、強い意志を持った女性だと感じました。

インターネットで拾ったことを書いてしまいましたが、彼女の作品を読んでみたいと思います。日本への彼女の思いよりも、彼女の考え方について知りたいからです。



Amélie Nothomb - La nostalgie heureuse



Testimonial of Ayahuasca Retreat at Temple - Amélie Nothomb

外部リンク:
☆ Wikipedia: アメリー・ノートン
『畏れ慄いて 』アメリー・ノートン著、藤田真利子訳
Amelie Nothomb : Stupeur et Tremblements (日本人のブログ)
畏れ慄いて:フランス製国辱映画?
故アラン・コルノー監督の手によるフランス製国辱映画!?『畏れ慄いて』
【映画】外国人が見た日本 「畏れ慄いて」日本語字幕 (ほぼ全編が動画で見える)
☆ YouTube: Stupeur et tremblements
☆ YouTube : Ame?lie le tube !
Amelie Nothomb et la culture japonaise, le 28 janvier 2010 a paris 3eme
Interview Amelie Nothomb (Ardisson - 25/03/2000)
Who is talking about Amelie Nothomb on YOUTUBE
Amélie Nothomb Stupeur et tremblement
L’ironie de l’impuissance dans Stupeur et tremblements : une satire de l’entreprise japonaise
作家アメリー・ノートンの日本探訪
☆ 地球の反対側で愛をつぶやく: 畏れ慄いて
☆ YouTube: Travailler avec les Japonais

ブログ内リンク:
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビドラマに関する記事
夢と現実のギャップから「パリ症候群」は生まれる?  2005/05/09
異文化を感じるとき 2008/10/10


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

カテゴリー: 文学、映画 | Comment (9) | Top
この記事のURL | Rédiger
コメント
この記事へのコメント
感謝
早速アマゾンで買って、あっという間に読んでしまいました。
当時日本にいなかったのでこの本を見逃していました。
とても面白かったですよ。ありがとうございました。

日本人がこの手の話をしたらあっはっはで終わるのですが、
ガイジンに指摘されたから怒る人もいるのでしょうね。
2013/05/31 | URL | 豊栄のぼる  [ 編集 ]
Re: 感謝
v-22 豊栄のぼるさんへ

ブログに感想も入れてくださって、どうもありがとうございます。興味深く読ませていただきました。書き抜かれた部分も、こんなことも書いていたのか、するどい、と感心しました。

日本語版の『畏れ慄いて』には、「ガイジンOL vs オジサン&お局 最終戦争」という帯が付いているのですね。映画を見た限りでは、アメリーは「戦争」というほどの戦いは挑まずに、西洋人としては普通に主張していただけだ、と私は感じたのですが。腹の中を出さないのは相手に失礼という感覚で主張したのだろうと思ったし、お局には同情していて戦う気などないように見えたので。

>日本人がこの手の話をしたらあっはっはで終わるのですが、 ガイジンに指摘されたから怒る人もいるのでしょうね。
⇒ これも興味深いご指摘です。『畏れ慄いて』がもっと早く発表されていたら、けっこう受けたのではないかと私は思いました。ポール・ボネという、どう見ても日本人がフランス人になりすまして書いているとしか思えない『不思議の国ニッポン』シリーズなどが大ヒットしていていた頃の日本人は、必要以上にガイジンに国を批判してもらうのが好きだと感じていました。バブルがはじけた頃から、方向が逆転して、こんどは必要以上に日本は外国より優れているのだ、と主張する風潮になってきたように感じて怖くなっているのです。

「これを笑い飛ばせる度量が日本の社会にほしいですね」と書いていらっしゃいましたが、私もそう思います。日本人はユーモアが苦手なので、笑わせない書き方をしていたら「国辱」などという言葉は使われないで済んだのかな、とも思いました。

豊栄のぼるさんのブログの読書感想ページ:
http://rennais.blog6.fc2.com/blog-entry-947.html
2013/05/31 | URL | Otium  [ 編集 ]
すまじきものは 宮仕え♪
個人の 思考や嗜好 指向について
とやかく言うつもりは ないのだけれど、、、

リクルートスーツという 「軍服」を着用し
採用試験の門前に 列をなすことなど
ぼくには 逆立ちしてもできません。

ヒトサマに顎で使われるのが 苦手ですもの。。。

アメリーさん、、 どうして
あそこまで 頑張れたんでしょうね??
物書きをなさってるそうなので
後々の仕込みのためだったんでしょうか。

外国の方が日本について
誉めてくださっても 貶してくださっても
ぼくにとっては 「あっ そう」てなもんです。
評価について脊髄反射はいたしません。
日本とボクとは1対1の 対応関係にないような
微妙なズレをいつも感じています。
(帰化人ではありません 念のため)

>アメリーは幼い時に別れた日本に憧れていて、成人してから日本社会に溶け込もうとしたのですが、そうはいかなかった。

ぼくなんか 生まれた時から日本にいますけど
いまだに日本社会にとけ込めてませんから
ましてや外国の方は かなり困難でしょうね。

Otiumさんは フランスに溶け込めてますかしら。
2015/10/01 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: すまじきものは 宮仕え♪
v-22 たかゆきさんへ

>ぼくには 逆立ちしてもできません。
⇒ そうですか~♪、と喜んでしまう。男性は、なぜか服装の拘束がやたらに大きいと感じています。未だにネクタイを締めて、ズボンをはいているのが正装なんていうのは異常ですよ~。女性の方は、どんな格好だってできますから。

>アメリーさん、、 どうして あそこまで 頑張れたんでしょうね??
⇒ 本当に。気の毒になります。日本人の乳母を母親だと思って幼い頃を過ごしていたので、日本との絆を確立しないと自分がないというというところに原点があるのかな?... この記事に入れていた乳母との再会場面が入ったドキュメンタリーの動画が削除されていたので、入れなおしました。

>ましてや外国の方は かなり困難でしょうね。
⇒ 面白いなと思うのは、日本に溶け込もうとするとうまくいかないのだと語る在日外国人たちです。白人と限定しないといけないかもしれない。外国人らしくしていると、日本人からチヤホヤされる。でも、外国人扱いをして欲しくはないと行動すると、全くうまくいかないのだそうです。日本は、外国人には閉鎖的な国だと思います。フランスでは、外国人の血が全く入っていない人の方が珍しいくらいなので、外国人だからとチヤホヤしてくれることは全くない代わりに、差別されることも全くありません。これは、非常に居心地が良いです。

>Otiumさんは フランスに溶け込めてますかしら。
⇒ 私は始めにホームステイした家の人たちと親しくなり、家族同然に扱ってもらって、彼らの親しい人たちが私も友達として扱ってくれるという、非常に恵まれた経緯をとったので、普通の日本人に比べると全く苦労をしていません。人間関係が希薄な大都市パリに入った日本人たちは、私が想像もできないような苦労をしていると思います。

フランス人は日本人のように献身的には働かないので、サービスの悪さは耐え難いですが、それは諦めるしかない。何よりも気に入っているのは、フランスでは変人でも全く引け目を感じることなく、普通の人のように振る舞おうと努力する必要なく生きられることです。

それでも、自分が何を望んでいるのかを相手に伝えなければならないフランスにいると疲れる。年ををとったら、何も言わなくても、こちらの気持ちを察してくれる日本に住むぞ、と決めていました。ところが最近の日本は、そんな甘っちょろい考えをしていたら蹴飛ばされそうな雰囲気になってきたので、もう何処にもいる場がないという悲壮な気分になってきています...。
2015/10/01 | URL | Otium  [ 編集 ]
>(2) 日本社会の構造は、「出る釘は打たれる」にある

Otiumさんの 仰せの通り♪

ぼくは小学一年生のときに
遠近法を用いて 絵を描いて先生に叱られ
小学二年生のときには
数直線を応用した 計算方法
定規を使って 加減計算をして またまた
先生に叱られた 記憶があります。

そのため
小学校の低学年で 授業が大嫌いになってしまった。。。

この国は 異質なものが「体内」に存在したり
入り込もうとすると
徹底的に排除しようとする
傾向があるのではないかと 感じています。

どれも 同じ寸法や材質の「釘」でなければ
許されない。。。

>何よりも気に入っているのは、フランスでは変人でも全く引け目を感じることなく、普通の人のように振る舞おうと努力する必要なく生きられることです。

常識溢れる方々から
「キチガイ」と評価されている ボクとしては
とても 羨ましいかぎりです♪

>もう何処にもいる場がないという悲壮な気分になってきています...。

そう おっしゃらずに、、
外的環境が どうあろうとも 自分の心の中
内的環境さえ 充実していれば
そこは 天国なのだ♪
2015/10/02 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: 釘
v-22 たかゆきさんへ

小学校低学年のときの思い出
その年齢の子どもが相手だと、先生も偉そうなことを言えてしまえるからでしょうね。偉そうなことを言うのは、劣等感の現れ。

私が小学校低学年の担任は女性の先生でした。あの頃の私はまだ上辺だけでも取り繕えるようにはなっていなかったので、かなり変わった子だったのだろうと思います。それを心配したくださったらしく、とても目をかけてくれました。紫色で絵を描くと精神的に問題があるのではないかと心配したり、白紙答案を出すと何か問題があったのではないかなどと、よく家にも来てくれていました。

でも、幼い頃に良い先生に出会ったとしても、それが人生の道を切り開くところまではいかないですね...。私の例だけで判断してはいけないですが!

>「キチガイ」と評価されている ボクとしては とても 羨ましいかぎりです♪
⇒ あら、男性だと変わっていてもかなり許されると思っていましたけど...。

日本の良いところと、フランスの良いところが混じり合った環境が理想ですが、1つを選ばなければならないとしたら、自分の好きなように生きられる環境だろうな...。まあ、日本でも、人から変だと言われても気にしないでいれば問題はないわけで、そうやって生きてきてしまったわけですけど。

>内的環境さえ 充実していれば そこは 天国なのだ♪
⇒ 悟りを開くか...。ある日、知らないうちに、空(1)から空(4)に飛んでいたことに気がついた、なんていうのを期待するのは虫が良すぎるか...。思い浮かんだのが、京都の祇王寺。ああいうところで静かに余生を過ごせたら、まさに天国。もちろん、観光客の受け入れは止めます。
2015/10/02 | URL | Otium  [ 編集 ]
>京都の祇王寺

尼寺ですか、、、オフィーリア??

京都にネグラを持っていたときは(地下鉄鞍馬口駅そば)
御霊神社 相国寺 同志社大学構内 御所 が
ぼくの好みの 散歩コースでした。

京都 しかも 北の方は 素敵です♪

>観光客の受け入れは止めます。

是非 そうなさってください〜〜♪
2015/10/03 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re:
v-22 たかゆきさんへ

>オフィーリア??

「Get thee to a nunnery」の「尼寺」は仏語ではcouventでしょうけれど、ああいうところは宗教心がなかったら住んでも楽しくないだろうと思うので、住みたくはないのです。日本の小さな寺には自然に溶け込める風情があります。

>京都 しかも 北の方は 素敵です♪
⇒ フランス人の同僚を嵯峨野に案内したら、両親が来たときにこちらに連れてくれば良かったと後悔していました。京都は大都会なので、フランス人が美しい写真からイメージしていた古都とは全く違っていたからがっかりしたらしいのです。フランスの古都はタイムスリップした気分にさせる旧市街を残しているのですが、京都で散策を楽しめるのは街の中心から外れた田舎の面影もある地域ではないかと思っています。
2015/10/03 | URL | Otium  [ 編集 ]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2017/08/08 | | -  [ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する