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2013/07/19
前回の日記「ブルゴーニュワインの買い出しに同行する」に書いた日は、昼前からワインとソーセージなどを食べていたので、私はもう昼食をとる気分ではありませんでした。でも、「私は行かない」というわけにもいかないのでレストランへ。


カエル料理を注文

私は、好物のカエル料理だけをとることにしました。

このレストランの名物料理なのですが、久しく行っていなかった。というのも、前回に行ったときにいつものようには美味しくなかったので、もう行かないことにしていたのです。

でも、前回がたままた良くなかっただけみたい。グラタン皿にバターをたっぷり入れて泡がたった状態で運んできてくれました。



ブルゴーニュ風にエスカルゴを食べるのとよく似た調理法です。つまり、バターたぷり。それに、ニンニクとパセリ。



美味しい。実は、前回に来たときに味が変わってしまったので来てなかったのだ、とお給仕をしてくれたマダムに言ってしまいました。シェフが変わったのかと思っていたと言ったら、同じなのだそう。

そういうこと、言ってしまったのは悪かったかな?... そう思って、トイレに立ったときにマダムがいたので、カエルが素晴らしく美味しい、と並べたてました。マダムは嬉しそうな顔をして、「シェフに伝えますね」とおっしゃる。


食欲は食べながらやって来る

ランチョンマットに、美食に関する格言が色々書いてりました。その一番初めのがこれ。



― 食欲は食べているとわいてくる。喉の渇きは飲んでいるうちに消えていく。

有名な格言なのですが、フランソワ・ラブレー(François Rabelais)の言葉でしたか。

この日の私は、まさにこれでした。レストランに入ったときは何も食べる気がしなかったのに食欲が出てきて、みんながとった料理を突っつきました。

このレストランではマコネの山羊チーズがおいしいので、それを取るように促して、私も少しつまむ。



カエル料理を注文することにしたときには、「2回にわけて出てくるから、みんな手伝ってね」と言って、みんなに味見させたのですが、一人で平らげられてしまったと思う...。


カエルは高級食材

カエル料理を食べたのは久しぶり。
前回に食べてから半年もたっているかもしれない。

フレッシュなカエルを使っていないと美味しくないのですが、冷凍でないカエルを使ったレストランはかなり限られるのです。

フランスでは環境破壊によって蛙が激減したので、捕獲は厳しく制限されています。従って食材はほとんど東欧などからの輸入もの。

カエルが特産だった地域のレストランでは、伝統を守るために、特別にフレッシュなものを仕入れています。だから、そういう地域に行かないと食べられない。

そんなわけで、ワイン農家には頻繁に行くけれど、カエルを食べるというのは珍しいことになる。この日帰り旅行でも、ワインの試飲をしたことよりも、美味しいカエル料理に出会えたことの方が嬉しかった日になりました。

特に、フランス・コンテ地方で春先だけに食べられる、とれたての地元産カエルを食べてからは、どのカエルを食べても味が落ちると思ってしまうようになっていたので、それを比較しても美味しいと思える料理に出会えてのは嬉しかったのです。

今年もフランシュ・コンテ地方に行って食べようと思っていました。ところが、春が異常に寒かったので、蛙の解禁になってから1ヵ月くらいで終わってしまっていたので、今年は食べ損なっていたのが残念だったのでした。

ブログ内リンク:
フランシュ・コンテ地方を旅行して、貴重なカエルを食べる 2012/03/30
★ 目次: カエル料理について書いた記事
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
☆ フランス語のことわざ: L'appétit vient en mangeant.


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コメント
この記事へのコメント
もしや、と思って調べてみましたらやっぱりカエル料理について書いていらしたんですね。
ニンニクにバターにパセリ!思わずごくりと唾を飲みこんでしまいました(笑) 私は数えるほどしかカエルを食べたことがないのですが、いずれも中華風の味付けで、チキンより柔らかい感じはしましたが、残念なことに、とりたてておいしいと感じたことはありません。
きっとカエルの種類も違うのでしょうね。
日本でも食用ガエルという言葉があるのですから、カエルを食べる文化もあったと思うのですが、和食料理でカエルにお目にかかったことはありません。
2015/04/16 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

>とりたてておいしいと感じたことはありません。

⇒ エスカルゴと同様に、カエルも素材で味がほぼ決まると思います。エスカルゴは白ワインや野菜と煮て下味を付けた状態で保存できますが、カエルはそれができない。皮をむいて冷凍したカエルで料理すると、どうやっても美味しくはなりません。ミルクに浸すというテクニックはありますが。

蛙は環境破壊のバロメーターになるそうで、今のフランスではほとんど輸入ものに頼っています。エスカルゴは田舎ではいまだに捕まえて調理する人がいますが、カエルを釣って食べるという話しは子どもの頃の思い出話しにしか登場しません。この日記に書いたレストランも輸入ものですが、カエルが郷土料理だった地域なので、近郊のレストランで連携して、東欧から生きたカエルをトラックで配達してもらっています。

新鮮な材料を使っても、バターの質にも大きく左右されます。脂っこくなくバターを使って、パセリとニンニクの調理方法が私は一番好きですが、天然のカエルを春先にだけ食べることができるフランシュ・コンテ地方のレストランでは、何も加えないシンブルな料理法でカエル本来の味を楽しめるので好きです。普通のカエルは鶏肉のササミに似ていると感じますが(それで、バターやニンニクがきいていると美味しくなる)、こちらは身がしまっていて、ヘーゼルナッツを思わせる味わいがあり、ササミ肉は連想しません。

>日本でも食用ガエルという言葉があるのですから、カエルを食べる文化もあったと思うのですが、和食料理でカエルにお目にかかったことはありません。

⇒ 日本の食用ガエルはウシガエルという大きな蛙のようですが、姿からいって美味しくないのではないかと思ってしまいます。検索してみたら、日本でもカエルを出す店があることを発見。丸焼きの写真などは、ものすごくグロテスクなので、さっとページを閉じました!
2015/04/16 | URL | Otium  [ 編集 ]
森のカエルとウシガエルとでは、見た眼だけでなくお味もかなり違うのではないかと思います。
小学生の頃、日が落ちると実家まで近くにあったお城のお堀から、ウシガエルの鳴き声が聞こえてきて不気味だったことを思い出します。

余談ですが、カエルといえば、諏訪大社上社で古来から行われてきた「蛙狩神事」に動物愛護団体から非難の声が上がっています。毎年元旦の早朝、冬眠中のカエルを掘り起こし、生きたまま串刺しにして「いけにえ」として神前に捧げるというこの行事は、かつて鹿の頭を捧げた御頭祭と並んで狩猟の神である諏訪大社の伝統的な神事でした。
生贄とは字のごとく、命を捧げることではありますが、むやみにカエルを捕まえ、いたずらに殺すものではありません。捧げものは神聖なものであり、敬意をもって行われているのですが、年々広義の声が高まり、目に余る暴挙もあるようです。御頭祭に関しては、剥製の鹿で代用しています。蛙狩神事が形だけのものになる日もあるのかもしれません。

2015/04/19 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

>ウシガエルの鳴き声が聞こえてきて不気味だったことを思い出します。

⇒ 「不気味」と聞こえる鳴き声なのですね。私の記憶では、蛙の鳴き声は「うるさい」という程度でした。最も近い記憶はトルコで泊まったホテルの近くにある沼から聞こえてきたものですが、思い出しても不気味という感じはありません。蛙の種類が違うのでしょうね。

ひょっとしたら普通の蛙の鳴き声も不気味といえば不気味かなとも思って調べてみたら、ウシガエルの鳴き声の録音が出てきました。牛が唸っているみたい! これが蛙の声だと思って聞いたら、さぞ不気味でしょうね~!

諏訪大社の蛙狩神事は凄まじいですね...。冬眠中の蛙を掘り起こすというのが狂気に感じました。調べてみたら動画もあったのですが、見る勇気はありませんでした。

ウシガエルのフランス語情報を読んでいたら、フランスにもアメリカから入ってきていて、自然界のバランスを壊しているとのこと。巨大に成長してしまうと鶏まで食べてしまうのだそうで、駆除に苦労している地域のことが書いてありました。

http://www.linternaute.com/science/biologie/dossiers/06/0604-especes-invasives/grenouille-taureau.shtml

諏訪大社の蛙狩神事は、ウシガエル駆除なのかもしれないと思ったのですが、別に蛙の種類にはこだわらないみたいですね。

以前に教えていただいた御頭祭といい、こちらといい、不思議。そういうことをするのにこだわりがあるのか、気候が厳しい地域だから興奮する行事が必要だったのか?... 大昔には生贄が普通に行われていたでしょうから、大社の歴史が古くて、さらに昔のしきたりが残る風土があったのかな?...

蛙狩神事も、形だけの風習になって欲しいという個人的には思います。イスラム国の報道がさかんに日本で流されていたとき、イスラム教はキリスト教の法王に相当する立場の人がいなくなっているのが災いしているな、と考えました。地動説を受け入れたり、魔女狩りや十字軍は間違っていた、と法王は認めたりする勇気を示しましたので。イスラム法も時代に合わせて変えないと問題が起こるのではないと...。でも、蛙狩神事は神主さんの一声で形式化するというわけにはいかないのかも知れないですね...。
2015/04/19 | URL | Otium  [ 編集 ]
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