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2013/08/28
ブルゴーニュのディジョン市を少し離れてブドウ畑が広がる地域に、目立つ城があります。



ワインの銘柄としても知られるフィサン村とジュブレ・シャンベルタン町の中間に位置するブロション村。城の名前はChâteau de Brochonブロション城)。夏の間だけ城の見学ができるので行ってみました。

立派な城なのですが、ディジョン都市圏の南部の子どもたちが入学する公立高校として使われています。

といっても、5ヘクタールの敷地には、近代的な、つまり大きなコンクリート造りの味気ない普通の校舎が建っていて、城の建物は高校の付属の建物という感じ。でも、寄宿舎としても城は使われています。

夏にだけ見学できるというのは、学校が休みなので、観光客が入っても大丈夫ということなのでした。

フランスには城はごまんとあります。見学する価値がある城だけでも5万はあると言われていて、どうということのない城を入れたら幾つになるか分りません。

個人が住んでいる城、シャトーホテル、博物館の城などもありますが、大きすぎる城は使い道に困るので、福祉施設としてもよく使われています。老人ホーム、障害者センター、林間学校の施設など...。

でも、城が学校になっているのは珍しい。私立の場合はありえるパターンですが、公立の学校がお城なんていうのは数えるほどしかないのではないでしょうか。


ブロション城の見学

19世紀末に建てられた城です。地元の人たちは「パティスリーの城」と呼ぶのだそう。本当に、デコレーションケーキみたいな城です。



外見だけが立派なネオ・ゴシック様式の、張りぼてみたいな城なのだろうとたかをくくっていたのですが、内部も立派。期待以上に充実した見学ができました。ガイドしてくれた女性もも楽しい人でしたので。



19世紀の城を案内するから、19世紀の服装をしています、と自己紹介。かなりの美人。本職は俳優さんではないかと思うくらい、メリハリがあって、台詞たっぷりのガイドでした。

もっとも、歴史には造形が深いわけではないので、ちょっとおかしな説明もありました。 この城を建てた人が、ナポレオン3世と王政を心から支持していたと繰り返していたのですが、それはありえないので、ナポレオン3世だけだと思う...。

でも、中世の城の見学とちがって、たった百年前くらいのこととなるとエピソードもたくさん残っているので、聞いていて面白かったです。

入口がある城の正面です ↓



ブルゴーニュに欠けているタイプの城を建てたいということで、城巡りで有名なロワール河流域地方にある城を真似たのだそう。こちらの側面はアゼ・ル・リドー城風、ここはシュノンソー城風と、ロワールの有名な城の名前が飛び出していました。

ブルゴーニュの城は重厚さがある石灰石で建てられていることが多いので、ロワール河流域の城が使っている軟らかくて白い石(tuffeau)を使った城は珍しいです。それもケーキみたいな城、と茶化される理由なのでした。

1895年に建築を始めてから、建物の骨格は3年で完成してしまったのだそう。工事終了は1955年。なぜそんなに短期間に建築されてしまったかには理由がありました。

当時は、フランスのブドウ畑がフィロキセラによって壊滅状態になっていたので、仕事を失った労働者を築城のために入手するのは簡単だったからでした。


Liegeardステファン・リエジャール

ブロション城は、フランスの作家・詩人であるStéphen Liégeard(1830~1925年)が建設しました。

それで、この城がある高校の名前もLycée Stéphen-Liégeard。

ディジョンにある両親が所有していた非常に美しい館Hôtel Aubriotで生まれています。

彼はブロション城をゆだねるべき子どもたちに先立たれてしまったので、それでは困ると遠縁の後継者を探し出したのですが、その人は自分の城があるからいらないと断ってしまった。

それで、城は学校教育をつかさどる機関に寄贈されたのでした。

私は19世紀の城は好きではありませんが、この城だったらいただきますけど~!  庭園も、当時はさぞ美しかったでしょうし。


ステファン・リエジャールに関する愉快な逸話を、以前から聞いていました。

1894年、彼は『Les Grands cœurs』でアカデミー・フランセーズ賞を獲得。

アカデミー・フランセーズから賞をもらった文学者は、名誉あるアカデミー・フランセーズの会員になることが多いのです。それで、彼も会員になることを期待したらしい。

アカデミー・フランセーズ会員たちに、シャンベルタンという超高級ワインを1ケース(12本入り)ずつ送った。

おいそれとは飲めない特級ランクの赤ワインです。彼の城がある地域で最高ワインといったら、これでしょうね。

私が聞いていた話しでは、ステファン・リエジャールがシャンベルタンのブドウ畑を所有しているからという話しだったのですが、ガイドさんは彼はブドウ畑を持っていなかったと言っていました。

ともかく、「よろしく」というか、賄賂というかのジェスチャー。

でも、人柄が良い人だったそうなので、自然な気持ちで自分の土地の特産品をプレゼントしていたのかもしれません。

ところが、1891年に立候補したときはピエール・ロティが選ばれ、1901年の立候補でもエドモン・ロスタンに負けています。

何年たっても、彼はアカデミー・フランセーズ会員にしてもらえない。

ある日、なぜ会員にしてくれないのかと聞いてみたら、あなたが会員になったら、もうシャンベルタンをプレゼントがもらえなくなってしまうから、と返事されたのだそう!

結局、彼は死ぬまでアカデミー・フランセーズの会員になれませんでした。バカバカしくなって、途中でシャんベルタンのプレゼントを止めてしまったのかどうかは知りません。


ステファン・リエジャールが知れれているのは、もう1つのことからかも知れません。

フランス南部にコート・ダジュールがありますが、この名を付けたのは彼でした。1871年に出版された彼の作品『La Côte d’Azur(ラ・コート・ダジュール)』 からです。

彼が住んでいたのはコート・ドール(黄金の丘)、それで地中海に面した地域には「コード・ダジュール(紺碧の丘)」という名を与えたのでした。 黄金はブドウ畑の秋の色。紺碧は地中海の色。コート・ダジュールという名は、そう苦労せずに見つけたかもしれない...。

日本ではコート・ダジュールという名の方が有名なので、ワイン産地のコード・ドールの名は後からできた名前かと思われるかもしれませんが、逆です!

フランス革命の後、ほとんどの県の名前はそこを流れている河川の名前を使った味気ない命名にされています。黄金の丘(コート・ドール)県などという美しい名前を持つ県は例外的にしか存在しません。

見学したブロション城の外壁にも、「Côte d’Azur」の文字が刻まれていました。



これがあるのは、北側にある城主夫人の寝室の窓の下だったと思います。

ガイドさんは、城の中でご主人の寝室は南側で、奥様の寝室を北側に作っていたことを気にしていました。夫人にそんな冷遇をしたのは、彼らが政略結婚だった証拠だ、と。さらに、夫妻の寝室は廊下を通らないと通えないことも挙げていました。でも、夫婦なのですから、お互いの部屋を行ったり来たりするのに人目をはばかる必要はなかったと思う。

そもそも、昔から、こういう屋敷を持っている人は、夏は城で過ごし、寒い冬は街中にある館で過ごすのが普通でした。調べてみたら、彼らは妻が1875年に相続した館をカンヌに持っていて、冬はそこで過ごしていました。 つまり、城が建築される前から、南仏のカンヌで冬を過ごしていたわけです。

だとすると、夏の暑さをしのげる北側に夫人の部屋を作ったのは、むしろ思いやりではありませんか?

実際、見学した日はブルゴーニュ独特の暑い日で、夫人の寝室はひんやりしていて良かったのですが、主人の寝室はムンムンしていました。見学した人たちも、おどろおどろしいムッシューの寝室より、天使がまどろんでいる天井画があるマダムの寝室の方が好きだと言っていました。


贅を尽くしたブロション城

細部にわたって、こだわりが見えました。

ドアに付けられていたノッカーの1つ ↓


Heurtoir

この人間の部分が動かせるようになっていて、後ろのブドウの葉の彫刻がある部分を叩いてノックの音を出すわけです。ドア・ノッカーは少し前の時代まで使われていたのでよく見るのですが、こんなに立派なのは珍しい。

玄関を入ると、立派な階段がある大きな広間。



城主はライオンがお気に入りで、あちこちにありました。

この反対側には女性の裸体像。



ところが、この像は城の調理人に余りにもよく似ていると騒がれ、恥ずかしくなった彼女は、城が完成すると同時に辞職したのだそう。

さすがワインの産地だけに、ワインをテーマにした天井画で飾られた部屋もありました。

ブドウを収穫する天使たち ↓



イタリアを思わせる美しい絵でした。

職員会議があったところなので、ちらかっていますが... と、通された部屋 ↓



生徒たちの寄宿舎として使っている部屋もあります。ただし、城に入舎できるのは女生徒に限り、男生徒の方は近代的な建物の寄宿舎なのだそう。男の子たちだと、悪さをして城を痛めてしまう危険が高いからではないでしょうかね。

城を寄宿舎として使うといっても、つまらない部屋を解放しているのだろうと思ったのですが、そうではなかった。城主夫妻の2つの寝室を見学しました。

城主のご主人の方の寝室だった部屋 ↓



ムッシューの部屋は、使っている木材も大理石も贅をつくしていました。

城が寄宿舎と聞いて羨ましく思ったのですが、見学した2部屋はそれぞれ6人でシェアーしていました。大きな部屋なのでゆったりはしていますが、プライバシーはないですね。周りとはそぐわない、質素な机とシングルベッドとロッカーで寄宿生のためのセット。

高校のサイトに寄宿舎紹介ページがあったので覗いてみたら、食事つきの年間費用は1,460.17ユーロ(20万円弱)と書いてありました。これが高いのか安いのか、私にはわかりません。フランスのことなので、貧しい家庭の子どもには補助もあるでしょう。

フランスで寄宿舎の見学をしたのは初めてでした。自己主張が強いフランス人が、よく6人で共同生活できるなと感心したのですが、フランスの学校の寄宿舎は皆そんなのだそうです。 まさしく寝起きを共にし、同じ釜のメシを食べるので、生涯つき合う親友ができるので楽しいのだそう。

羨ましいな。しかも、お城で生活していた思い出話しをするなんて...。

城の庭園は5ヘクタール。大きな樹木もある公園という感じで、あちこちの木陰に生徒たちがくつろげるテーブルやイスが置いてありました。塀の向こうを覗くとブドウ畑、

なんと恵まれた高校生活! 私なんか、東京だったので、ずっとコンクリートの小さな校庭ばかりでした...。

ところで、生産力再建大臣のArnaud Montebourg(アルノー・モントブール)は、このブロション城で寄宿舎生活をしていたのだそう。

見るからにルゴーニュの人という人の好さそうな顔をしている男性なのですが、いつもブレス地方(ブルゴーニュ地方ですが、上質の若鶏の産地として知られる地域)の人と言われています。なぜディジョン市の学校に入ったのか気になったのでWkipediaで確認してみたら、彼の選挙区がブレスなのであって、生まれたのはフィサン村でした。

前回の日記「今年のブドウ畑は哀れな姿なので胸が傷んだ」で、この日の私の足取りを書いたのですが、期せずして私はモントブール氏にまつわるところを歩いてしまったわけだったのでした。それは気にしないことにする!


私は古い建築物が好きで、フランス革命以降の建築物には価値を与えないのですが、ブロション城には嫌悪感は全く感じないで見学を楽しみました。


Château Stéphen Liégeard par TV-NET

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
プレ・フィロキセラのブドウ畑 2011/07/31

外部リンク:
☆ Wikipédia: Stéphen Liégeard
☆ Wikipedia: コート・ダジュール
☆ 高校のサイト:  Lycée Stephen Liégeard (城に関するページあり)


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