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2013/11/11
前回の日記「昔のフランスにあった穀物倉って、どんな建物?」で書いたように、昔の穀物倉はどんな建物だったのかを調べていたら、穀物倉の断面図を見せて説明しているサイトを見つけました。

ここまで工夫を凝らして作る必要があったのか、と不思議に思ってしまう建物...。


地下の小麦倉: Les Poires

「レ・ポワール(Les Poires)」と呼ばれる、16世紀に建てられた小麦の貯蔵庫です。フランス北部のベルギーと国境を接するノール・パ・ド・カレ地方のアルドル市(Ardres)にあります。

建物の断面図:


POIRES page 1

地下が穀物を補完する部分(A)で、Bが建物の1階。Cは3フロアーになった屋根裏部分。

このリンク付きでキャプチャした画像が入っているページには説明があるのですが、もう少し大きな画像だけが入っているページは、こちら


機能的な内部構造

さらに、内部を見せる写真を入れたページもありました。石やレンガで立派につくられているのが分かります。

こちらのページでは、地下の部分がどうなっているのか説明していました。 左の絵は、Wikipediaに入っていた図。

 
右の図が入っているページ(Poires page 2 )では、内部を撮影した写真も入っています。

小麦を蓄えるサイロの部分
F: ポワールと呼ぶ、小麦を蓄えるサイロ。
直径5.5m、高さ7m。 3つずつ3列、合計9つのサイロがある。上部には煙突のような通気孔がある。


サイロの下の部分
E:地下道
D:に貯蔵している小麦を取り出すのは、ここから。蓋か何かをしてあるのでしょうが、開けたら、ど~っと小麦が落ちてきて、もう蓋を閉められなくなってしまうのではないかと心配するのですが...。
この部分は、trémieという単語が使われていました。何と訳すのだろう? 訳語としては、ホッパー、通風口、鉱出し口などが並んでいました。取り出し口であり、痛風口の役割もしていたのかもしれない。
C:3つの地下道をつなぐ廊下。にもつながっている。


取り出した小麦を地上に運ぶ道
B:井戸穴(立坑)  
A:地上に通じる階段
から取り出した小麦は、の立坑を使って引き上げるか、Aの階段の斜面を登って運ばれた。


11,000ヘクトリットルの小麦を貯蔵する能力があり、それは500人が1年間食べられる量に相当するとのこと。 この建物の隣には要塞があるので、籠城するときのために大量の小麦を備えていたのだろうと思います。


なぜ「ポワール(Poires)」と呼ばれるのか?

この小麦倉は「Les poires d'Ardres(アルドルのグルニエ)」と呼ばれていました。
poires(ポワール)というのは場所の名前か何かなのだろうと思ったのですが、違っていました。

ここで小麦を貯蔵するサイロの形が、ポワール、つまり洋ナシ(poire)の形に似ているから、そう呼ばれるのだそう。

なあんだ...。
梨に似ているといえば、似ていますけれど...。

日本では、果物の輪郭線を描けば、リンゴもナシも同じになってしまって面白くない。フランス人にとって、梨の形(もちろん西洋ナシ型)は例えに使いたくなるものなのかな?...

19世紀のフランス王だったルイ・フィリップの顔も梨に描かれました。有名なのは、風刺版画家ドーミエが描いた「Gargantua」。ラブレーの『ガルガンチュワ物語』の主人公を使って比喩した絵です。


現存するのは地下の部分

図解してくれるのは嬉しいのですが、実際にどんな建造物なのか見たい...。

インターネットに画像が入っていました:
La façe cachée du patrimoine

このページの中ほどにある「Ardres la souterraine/Les poires, quelle histoire !」という項目。下の写真の次に入っている画像は、カーソルを動かして現存している地下の部分を隅々まで見ることができます。



レンガを積み上げて、すごい建物です。穀物を貯蔵する目的のために、ここまでしなくても良いだろうと思ってしまう...。

こんなに立派な建物ですが、何か構造上の問題があったのかもしれません。17世紀初めには使われなくなってしまったと推定されていました。

1つの欠陥は、このタイプだと貯蔵している小麦の状態を確認できないことらしい。酸素がなくても生きられる嫌気性生物というのが危険だとありました。これは、多くは細菌で、人体に非常に危険な毒素を出すのだそう。1度でもそれがおこっていたとしたら、使うのは止めたでしょうね。

1737年に施設が破壊されたと推定されているとありましたが、地下部分は残ったようです。こんな風な建物は、軍事施設として再利用したくなるのは当然でしょう。小麦の代わりに、大砲の火薬を貯蔵するのに適している、と考えた人もあったようです。

何度か再利用が試みられ、第2次世界大戦のときには、フランスの北半分を占領したドイツ軍はここを貯蔵庫として利用しようとしたそうですが、朽ち果てていったそうです。つい最近になって、地元の住民たちにも忘れられていた建物を発見して修復したのだそう。

今は見学できるとのことですが、階段部分から地下へ11.5メールル降りていかなければならない。それに、当然ながら広大な穴倉のような所に入り込むわけなので、私は怖いな...。


ところで、人口5,000人たらずのアルドルとは、こんな町でした。穀物倉の映像も、ほんの少し入っています。




似たような地下穀物倉はアンワーズにもある

フランスで地下に穀物を貯蔵するという新技術が生まれたのが16世紀? 似たような小麦倉(グルニエ)が、アンボワーズ(Amboise)にもありました。こういうタイプは、フランスには2つしか残っていないようです。

アンボワーズの方は、「Greniers de César(カエサルのグルニエ)」という名がついています。

古城巡りで知られるロワール河流域地方。アンボワーズは、フランソワ1世に招かれたレオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした館がある町です。

アンボワーズの穀物倉は、建物や道路をつくるために石を切り出したためにできていた洞窟を利用したものでした。

この辺りにあるtuffeauと呼ばれる白い石は軟らかいので切り出しやすいし、城もたくさん建てられた地方なので、穴倉ができたところはたくさんあります。洞窟が住居になったりもしています。

掘り出しやすい石だけれど、空気に触れると堅固になるという便利な石材なのだ、と聞きました。 私は観光名所になっているロワール河の古城はコンクリート造りみたいに見えて、余り美しい石ではないと感じるのですけど。

ともかく、石切り場を利用するのなら、地下の小麦貯蔵庫もつくりやすかっただろうと思います。でも、レンガを積み上げていたりもしていました。 湿気から守るために、河でたくさん取れる砂や、レンガで壁を分厚く保護していたとのこと。そうか。地下は涼しくて良さそうと思ったけれど、湿気の問題がありますね。 


A la découverte des Greniers de César (Amboise)

こちらも16世紀、フランソワ1世の時代の建築物。フランス革命がおこるまでは、dîme(十分の一税)や、王家の税金を納めるための穀物を保管したのだそう。

この小麦倉は現在ではデラックス・ホテルHôtel Le Choiseulの所有地になっていて、地下セラーのように立派な貯蔵庫はレセプションルームとして使われていました。カクテルパーティーで250人、着席で150人の収容能力があるホールだと宣伝しています。夏の間は一般の人も見学できるとのことでした。


始めに書いたレ・ポワールと呼ばれる梨型の小麦貯蔵倉の構造を説明しているサイトでは、貯蔵部分を「サイロ」と呼んでいました。それで、サイロとは何かが気になってきたので続きを書きました:
サイロって、なに?

 シリーズ記事: この建物は、鳩小屋? 穀物倉? 【目次


外部リンク
☆ Wikipédia: Stockage des céréales » Les poires d'Ardres et silos d'Amboise
☆ Wikipédia: Ardres
Les structures de conservation des céréales en méditerranée nord-occidentale au premier millénaire avant J.-C.: innovations techniques et rôle économique
Les Greniers de César
☆ Wikipédia: Grange dîmière

内部リンク
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