| Login |
2014/03/22
モンベリアール町(Montbéliard)は、ドイツやスイスに近いフランシュ・コンテ地方にあります。モンベリアール伯領だったのですが、婚姻関係によって、15世紀から18世紀末までドイツのヴュルテンベルク家によって支配されていました。

宗教改革運動はドイツに始まったわけで、当時のヴュルテンベルク公もプロテスタント。モンベリアールの町に住む人たちも、ほぼ100%がプロテスタントだったようです。

プロテスタントの弾圧があった時代には、前回の日記「モンベリアール町に残っているフランス最古のテンプル」に書いたサン・マルタン教会はプロテスタントたちの駆け込み寺のような存在だったようです。ところが、この町には大きなカトリック教会もあるとのことなので見に行ってみました。


プロテスタント vs カトリック

カトリック教会がある場所にある駐車場に車を止めると、まず目に飛び込んできたのは、この小さな愛らしい教会でした。

Temple St-Georges Montbliard 01 
Temple Saint-Georges de Montbéliard

プロテスタントのサン・ジョルジュ教会Temple Saint-Georges)でした。現在では宗教的な役割は果たさず、講演会などをする公共施設として使われているようです。こちらも閉まっていて入ることができませんでした...。


プロテスタントが保護されていたモンベリアールの町には、フランスのプロテスタントの信者たちを逃れてきたようです。それで1607年に完成したサン・マルタン教会では狭くなったため、町外れに2つ目のプロテスタント教会として、このサン・ジョルジュ教会が建てられたのでした。建築が始まったのは1674年。

全体の姿を撮影できなかったので、上に入れたのはオープンソースとしてWikipediaに入っていた写真です。この写真を撮ったのは、ここから斜面を上がったところにそびえるカトリック教会に続く階段の上からだったはず。

サン・マンブッフ教会(Église Saint-Maimbœuf) という名のカトリック教会には度肝を抜かれました。

モンベリアール城にあった教会をここに移すことにしたのが19世紀半ば。プロテスタントのメッカのようになっていた町に、カトリック教会の偉大な姿を見せようとして建てたのだろうという意図が、何も説明されなくても分ります。

なにしろ、地形的にいってプロテスタントのサン・ジョルジュ教会を威圧する丘の上に立っている。プロテスタントの教会があるところからは、大きな階段を上がっていきます。

これでもか?! というくらい威圧的な建物でした!


Église Saint-Maimbœuf de Montbéliard

もちろん、中もご立派です。
近代の建築なので、惚れ惚れする美しさはありませんが...。



このサン・マンブッフ教会の建設は1850年に始まって、1975年に完成。

これだけ大きな教会を建てようということになったということは、19世紀半ばには、フランスでのカトリックが絶対的な地位になったということなのでしょうね。


宗教戦争

フランスはカトリックの国と言われますが、宗教改革に始まるカトリックとプロテスタントが激しく対立した時代があったことを思い出しました。

フランスではGuerres de religion(宗教戦争)と呼ばれますが、日本ではユグノー戦争と呼ぶ方が一般的でしょうか。休戦の時期も挟んで、1562年から1598年まで続いていました。カトリックとプロテスタントの対立が生んだフランスの宗教戦争は、1598年のナントの勅令で終わったことになっていますが、それで終止符が打たれたわけではなかった。

学校でもフランスの宗教戦争のことが歴史の授業に出てきて、穴埋め問題の解答にする文字は覚えていますが、どんなだったのかはすっかり忘れてしまっています。モンベリアールの町にプロテスタントの教会が建てられた時代背景を、フランス語の単語も確認しながらメモして、宗教改革があった時代を復習してみました。

1517年マルティン・ルター(Martin Luther)らにより、カトリック教会の改革を求める宗教改革運動(Réforme protestante)がおきる
1520年頃マルティン・ルターの書物によって宗教改革がフランスに伝えられる
1524/25年
モンベリアールを統治していたドイツのヴュルテンベルク家は、フランスの宗教改革者ギョーム・ファレル(Guillaume Farel)を招いてプロテスタントを広める
1534年檄文事件(Affaire des Placards)を機に、フランスでのプロテスタント弾圧が始める。
ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)はフランスからスイスに亡命したが、1536年にラテン語で『キリスト教綱要』を出版。フランス語訳(Institution de la religion chrétienne)は1541年出版
16世紀後半アンリ2世(在位: 1547年 - 1559年):
カトリックとプロテスタントの間の緊張感が高まる
1562年宗教戦争(ユグノー戦争)勃発
1572年サン・バルテルミの虐殺(Massacre de la Saint-Barthélemy)。カトリックがユグノー数千人を虐殺する
1598年ナントの勅令(Édit de Nantes)。
宗教戦争に終止符がうたれ、プロテスタントの信仰の自由を保障し、一定地域に限って礼拝が認める
1607年モンベリアール公フリードリヒ1世(Frédéric Ier de Wurtemberg)がプロテスタントの教会として築いたサン・マルタン教会が完成。
モンベリアールは、19世紀まで、フランスのプロテスタントたちが逃れる地となる
1610年ナントの勅令を発したアンリ4世は、狂信的なカトリック信者により暗殺される
1627/28年ラ・ロシェル包囲戦。ユグノーはルイ13世とカトリックに敗北
1674年モンベリアールで、2つ目のプロテスタント教会の建設が始まる
1685年ルイ14世は、ナントの勅令を破棄するフォンテーヌブローの勅令(Édit de Fontainebleau、Révocation de l'édit de Nantes)に署名する
1793年モンベリアール伯領はフランス領土となる


現代のフランス人の宗教心は?

フランスはカトリックの国と言われますが、欠かさずミサに通うような敬虔な信者は非常に少なくなってきています。それでも、フランス人が持つ宗教に関する統計ではカトリック信者の割合が高くなっています。

フランス人の宗教に関する統計は、調査によってまちまちの結果がでているのですが、Wikipediaに出ていた統計の中から、データが最も詳しかったCASのアンケート調査結果を一例として載せてみます。

信仰する宗教比率 (CASアンケート結果)
2006年1994年
カトリック敬虔な信者27 %67 %
神の存在に疑問を持っている信者15 %
神を信じてはいないが、伝統的に信者 9 %
カトリック信者 合計 51 %
プロテスタント3 %3 %
キリスト教 (宗派の特定なし) 4 %分類項目なし
キリスト教徒 合計58 %70 %
イスラム教4 %2 %
ユダヤ教1 %1 %
宗教なし31 %23 %
意見なし6 %-

アンケート調査によって数値が異なるわけですが、カトリック信者は45%~65%、プロテスタント信者は2~4%、イスラム教徒は3~8%が現状という感じでした。

プロテスタンティズムの最盛期のフランスでは、人口の10%(約200万人)がプロテスタントだったのに、宗教戦争後には5%程度までに減少したとのこと。その後のフランスではカトリックが絶対的な優勢を誇ったわけですが、近年の宗教離れはカトリック信者の減少が大きく影響しているように見えました。

 シリーズ記事: フランシュ・コンテ旅行記 (2014年3月)  目次


ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランスで感じるキリスト教文化
★ 目次: 戦争に触れて書いた日記

外部リンク:
☆ Wikipedia: ユグノー戦争
フランスの宗教 - ダニエル・エルヴェ=レジェ
☆ Wikipédia: Religion en France
☆ 社会実情データ図録: ▽世界各国の宗教


にほんブログ村 旅行ブログ フランス旅行へ
にほんブログ村


カテゴリー: 歴史 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する