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2014/08/08
この春にテレビで見て良いドキュメンタリーだと思ったテレビ番組を思い出し、再びYouTubeに入っていた動画を見直しました。

Adieu paysans』と題されていました。

Adieuとは、永遠の別れのときに言う「さようなら」。
Paysans(ペイザン)とは、農民、百姓(お百姓さん)。

普通に「農業者」を指す言葉としてはagriculteurなどがありますが、「ペイザン」という言葉には、昔のフランスにたくさんいた多品目栽培の小規模農家のイメージがあります。この番組が『お百姓さん、永遠にさようなら』とも訳せる題名にしたのは、何千年もの間フランスの文化を支えてきた昔ながらのペイザンが、戦後に消滅していく過程を見せるドキュメンタリーだったからです。

小規模経営の農業者ペイザンが消えていったのは、第二次再選後の近代化の波によったものでした。それが、わずか一世代で転換した。その歴史を昔の映像で見せています。

終戦直後の食糧難の時代から始まります。戦後、農業の近代化と大規模経営が推し進められたことによって、農民の生活は変わり、農村が昔の姿を失っていった経緯が語られます。1980年代に入って、昔のフランスの良さを取り戻そうという動きがでてきたところで終わっています。


ドキュメンタリーの最後の言葉は、「私たち全てはペイザンなのだ」。

「フランス人のルーツは農民」とは、フランスでよく耳にする表現です。日本だって、江戸時代くらいまでは農民の割合が非常に高かったと思うのですが、日本人がそういう言い方をするのは聞いたことがありません。


私が知ったフランスは、この番組が描いた後の時代からでした。話しには聞いていた色々なことを、昔の映像で見ることができたので、とても興味深かったです。今の私が見ている農業者は、この激動期を生き残ってきた人たちなのでした。

今のフランスの農業者を見ると、家が一軒買えてしまえるほど高額なトラクターを何台も持っている大規模経営農家が目立ち、補助金で優遇された職業と思ってしまうのですが、それはフランス政府が戦後にした意図的な農業政策の結果だと知ることができました。

その政策が進行する中で、昔ながらに牛や馬を使って、自給自足の生活をしながら余った農産物を売るというような、貧しいけれど人間らしい生き方をしていたペイザンたちは淘汰されていったのでした...。

喉を詰まらせて、涙をこらえながらインタビューに答えているお百姓さんが痛ましかったです。機械化・近代化を進められてやってきたけれど、それがない時代に農業をしていた父親の方がよほど良い暮らしをしていた。機械を買うための借金、農薬や化学肥料を買う費用で苦しくなり、結局、働く時間は同じで、収入が増えるわけでもなかった。他の仕事をやれと言われたって、この年では無理だ...。

農家の数は激減し、昔の農業に必要だった鍛冶屋などの職業も農村からは消える。職を求めて都会に出ていく人たち...。


世の中を良くするためには何が良いのかを考えさせられます...。

ドキュメンタリーは1980年代に入ったところで終わっていますが、その後も農業者の苦悩は終わったわけではないのは、最近のニュースでも話題になっています。戦後のフランスは大規模経営にする農業政策や農作物の相場で翻弄されたのですが、今では大量に農産物を仕入れる巨大スーパー企業が価格を牛耳っていますから...。

時代の流れには逆らえないということでしょうか?...

それでも、番組の最後で描いた明るい兆しは育っている感じはします。減農薬や有機農業の必要性が注目され、小規模農家を支援する消費者運動も活発になってきています。フランス人は、政治を批判したり、時代の流れに逆らう反骨精神が、少なくとも日本人以上にはあると感じます。


ドキュメンタリー番組 Adieu paysans

フランス語がお分かりにならない方にも興味深い映像ではないでしょうか? 100年もたっていない時代なのに、今日のフランスからは想像できない光景がでてきます。

フランス人の顔つきも違うのです。厳しい生活に刻まれた皺があるにしても、めったに見られなくなった純粋で素朴な表情にしても...。


Adieu paysans

農村から都市に働きに出ていく人々を映し出す場面で、バックに流れるシャンソンが気になったので調べてみました。農村から都市への人口流出は日本にもあるのですが、このシャンソンの日本語の歌詞と比較すると、日本とフランスの違いが見えるので面白かったからです。

それについては、次の日記で書きました:
ジャン・フェラのシャンソン「ふるさとの山」に見る日仏文化の違い


ドキュメンタリーで語られていること

ドキュメンタリーで語られていたことのアウトラインを書きだしてみたので入れます。


動画を流しながら簡単にメモしただけです。聞き違いがあったかもしれませんし、当然ながら私が興味を持った部分をピックアップしています。自分のために書き出してみただけで、後で読み直して変だと思ったら、動画を見直せば良いと思って書いた程度のメモですのでご了承ください。もしも、フランスの農業史に関する情報を得ようとしてこのページを開いてしまった方がありましたら、無視なさってくださるようにお願いいたします。


ドキュメンタリーでは区切りなく展開されているのですが、私なりに転換期のタイトルをつけてみました。

 戦後の食糧難:
  • 1947年、パリのパン屋の前で行列をつくる人々。
  • 農民は戦時中から戦後の闇市で富を得たとして反感を持たれた。
  • 行政は闇市を厳しく取り締まる。

戦後の経済振興と農業の近代化:
トラクターの登場
  • アメリカから数百台のトラクターが輸入される(1948年)。港に到着したアメリカ製のトラクターを迎える農林大臣。
  • トラクターは高額なため、農業組合で購入して共同使用されるようになる。 農民の個人主義が崩壊した第一歩となる。
  • 農業の機械化によって、農村の産業であった鍛冶屋なども消えていく。
  • 不要になった農作業に使われていた大量の牛や馬が食肉として売られる。屠畜場におくられた馬は200万頭。町には馬肉専門店ができ、政府も馬肉の消費を奨励する。
  • 近代化の波によって農村のキリスト教文化が消滅しないように、若者のカトリック信者たちは農村の近代化で大きな役割を果たすようになる。3世代同居が普通だった農村の若者の行き方も改善していく。
モネ・プラン
  • 第2次世界大戦で疲弊したフランス経済復興のため立案されたモネ・プランにより工業化が図られ、国土の破壊が始まる。
  • ダム建設のために水没したTignes村の例 (ダム完成は1952年)
※ Plan Monnet: 1946~50年
近代化を図られる農民たち
  • 農民が融資を受けて農業の近代化を図ることが奨励される。 農業信用金庫クレディ・アグリコルは特製の車で農村にのりこむ。
  • 若者は収入を増やす生産性向上を実現できる近代化に賛同したが、年寄りは機械や農薬に金がかかることに懐疑的であった。政府は高齢者が老齢年金生活に入るように奨励し、若者がフランス国立農学研究所(INRA: Institut national de la recherche agronomique )の指導に従って近代的な農業をするように勧める。
  • トラクターが通れるように、畑の生け垣は取り除かれ、農村の景観を変えて道路が拡張され、昔ながらの農村の景観が乱れる。
  • 耕地の区画整理も進められる(1億5,000万区画)。先祖代々の土地を手放すことを拒んだり、交換を提案された畑に不満を主張する老人たち...。
  • 機械化、融資、区画整理は進む。農薬使用も多くなるが、その弊害を農業者自身が知るようになるのは後のことである。
※ 1945~73年: 高度成長期 Trente Glorieuses(栄光の30年間)

 戦後の近代化がもたらしたもの:
生産過剰
  • 生産過剰のミルクを飲むように奨励する大々的なキャンペーン。
  • 農業は大きく変化し、大量生産、工場生産により農業の大量生産、機械の導入と農薬使用が進む。
  • 1950年代には40万の中小農家が消滅し、若者は町に流れる。大規模経営農家が残り、農業者の格差が拡大する。
  • インタビューに泣き顔で答える農民。機械や肥料を買い、仕事は楽にはならず、稼ぐ金も増えたわけではない。父親は自分と同じように9人の子どもを持っていたが、彼の方が良い生活をしていた。この年では職業を変えることもできない。
農民の反抗、農村から都市への人口流出
  • Pierre Poujade(ピエール・プジャード)の登場
  • 農村の学校が閉鎖し、農村には別荘が多くなる。
  • 1962年、EUのCAP(共通農業政策)の実施。以降、農業者はブリュッセルの方針に従うことになる。
  • ドゴール首相はフランスの強さを強調するが、全国の農民たちは激しいデモをおこす。
  • 農業者はメディアを利用して主張を訴えることが有効だと発見する。ジャン・ギャバン訴訟(1962年)とデモ。
  • CAPは農民の生活を助けることはできず、農村住民の都市への流動が加速化する。
  • 農村を離れた農家出身者たちは、仕事を求めて都会に出てきたが、パリの生活は農村を懐かしがっている。出てきた理由は、農家では働いていても親から小遣いをもらうようにしか報酬を得られないからだと語る。
  • 1964年、パリで第1回農業見本市が開かれる。農村を身近に感じられるイベントは大きな人気を呼ぶ。政治家は見本市に顔を出す習慣ができる。
  • 都市住民は農民の姿を正しくとらえていたわけではなかったが、1960年半ばから、真の農民の姿を伝える映画が登場し始める。
農家の生活の変化
  • 若夫婦は親と別に住むことを望むようになる。平均寿命が長くなったために、同居期間も長くなったからでもある。母屋に近いところに家を建てて住む若夫婦の例。
  • 核家族化したために農家の主婦の仕事は大変になり、両親と夫に従う生活をしている母親は、娘に農家に嫁ぐなと言うようになる。エージェントを通して発展途上国から嫁を迎えた農民例。
農業問題
  • 1976年、1人の農業者は26人分の食料を提供する(1947年には5人分であった) 。
  • フランスの農業は輸出と輸入の均衡がとれるようになるが、農産物の価格は下落する。
  • 農業は生産過剰になり、EUはクオータ制度をとる。
  • 農民の自殺がかってなかったほど発生する(サラリーマン管理職の3倍)。
  • EUは不耕作地を強要。農民は窮地に落ち込まれ、農業は流通機構にのった大量生産が牛耳るようになる。
  • 農業者数は、終戦時の4分の1に減少している。
  • 小規模農業を続ける農民は親の時代より楽になったわけではない。天候に左右されるのではなく、農作物の相場に左右されるのだ。
  • さらに、国境を越えた競争にもさらされるようになる。ラングドック・ルシヨン地方での死者も出た大規模デモ。
※ 1968年: 5月革命
※1973~78年: オイルショック

 農村への回帰志向:
  • 1970年代に入ると、失われた農村や伝統的な農民へのノスタルジーがおこり、農民文学が注目を浴びる。昔の農業を見せるテレビ連続ドラマやイベントが観光客に人気を呼ぶ。
  • ノスタルジックで非現実的な農村と農民の姿を利用するコマーシャルが多くなるが、ほとんどは工場生産の加工食品のコマーシャルである。洗濯機のコマーシャルで洗濯女を演じるお婆さんMère Denisは、昔ながらの農村世界を体現した人物として1970年代に人気を集める。
新しい時代の到来
  • 軍事基地拡大のために農地を奪われるラルザック高原(Larzac)の農業者たちが行った平和的な反対運動は、都市の若者も共感して大きな集会をする。ラザック闘争の勝利。
  • 持続可能な開発、有機農業、公正な商業活動が都市と農村の共立を築くという認識が生まれる。
  • 農村風景を背景にした選挙ポスターを使ったミッテラン大統領が再選される(1988年)。
  • 農業者たちは、パリのシャンゼリゼ大通りを農地にしてしまうデモンストレーションを行う(1990年)。
※ ラザック闘争: 1971~81年
※ ミッテラン政権:1981~95年


続きへ:
ジャン・フェラのシャンソン「ふるさとの山」に見る日仏文化の違い

 シリーズ記事: 戦後のフランスにおける農業と農村




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★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビドラマ

外部リンク:
Adieu paysans - 18-03-2014 - France 2
En juillet 62, la première grande affaire agrico-médiatique
☆ Wikipédia: Lutte du Larzac
映画「ラルザックの羊たち」
☆ Wikipédia: Tous au Larzac
「世界は売り物ではない!」グローバリゼーションに抵抗
Mère Denisが流行らせた「C'est vrai ça !」


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