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2014/09/25
日本の出版社で編集長をしている友人に、聞いてみたことがありました。

差別用語

私にはロマンチックなイメージがあって好きな単語が差別用語だと聞いたので、代わりに何と言ったら良いのかを聞いたのです。

そうしたら、「ノマッド」と言えば良い、と答えられました。もう1つ挙げていたのですあ、「ジタン」だったかな?...

フランス語にしただけじゃない! と思いました。書きながら調べたら、片仮名表記は「ノマド」でした。これは昔の話しなので、今なら「ロマ」と言われただろうと思います。

同じ意味を持つ外国語を使えば差別用語でなくなる、というのはフランスでもあります。例えば、黒人のことは「ブラック」と英語で言うべきなのですって。

Les Roulottes, Campement de Bohémiens, Vincent van Gogh, 1888私には幌馬車で移動しながら生活するマンチックなイメージがある言葉。

フランスにいるとよく出会います。

現代ではキャンピングカーなので味気ないのですが、日本で差別用語の「ジ...」はフランスでは使わないので、私にはやはりロマンチックなイメージと結びついているのです。

差別用語にすると、かえって差別する意識を根付かせてしまう場合もあるのではないかという気もします。

普通に使う単語なのに、なぜ差別用語なのかを調べて分かったら、そういう言葉で差別するということ自体が見えて、なんだか差別に加担したような気分になってしまった気分になったこともありました。

編集長の友人に聞いてみました。
何をもって差別用語にするのか?

友人の答えは簡潔でした。

それが差別用語だと反対する単語が差別用語になる。誰も反対する人がいなければ、差別用語にはならない。

なるほどね...。

そういうものなら、これを差別用語にしたら良いのに、と思ってしまうほど嫌いな言葉があります。


限界集落

「限界集落」に対応するフランス語を知りません。そういう風に呼ぶのは日本だけのようです。

限界集落の明確な定義はないそうですが、一般的に言われるのは次のようになっていました。
65 歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落
(大野晃、2005年)

これに私はひどく抵抗を感じるのです。

第1の理由:
農村で畑仕事をしてきた人たちは、病気持ちでない限り、70歳を過ぎても元気に力仕事をしているだろうと思うのです。それを、65歳過ぎたら何もできない人、あるいは、もうじき死ぬ人のように扱うのは酷くありませんか?  平均寿命だって長くなっているのですから。

ちなみに、フランスで高齢化した市町村というときには、75歳にボーダーラインを引いていました。働けなくて役にたたないと言うためのボーダーラインを引くなら、そのくらいの年齢にしてもらいたい。80歳を過ぎても、こちらがタジタジになってしまうほど元気な人たちはたくさんいますが。

第2の理由:
地域住民の生活が困難な集落だと言ったら、そこに引っ越して住もうかと思った人の足を引っ張ることになるはずです。

村を一度出たけれど、やはり村に戻ろうかと若者が思った場合だって、故郷が限界集落になっているなんて言われたら、Uターンするのに尻込みしてしまうのでは?

それに、限界集落とされている村に魅力を感じても、高齢者が移住するのは遠慮したくなるではないですか? フランスでは、仕事の機会が多い都市に住んでいて、老齢年金生活ができるようになったら田舎に移り住む人が多いです。高齢者は長くは生きられなし、やはり自律できなくなったら都市に引っ越しするケースがありますが、そういう人たちが代わる代わるに入ってくれば、小さな村が消滅することはありません。

第3の理由:
困った集落だという以前に、高齢化した人たちだけでも生活が維持できるように行政が動くべきではないですか?

フランスでは、道路の清掃、共有スペースの植物の手入れ、道路の整備などは自治体がやりますし、高齢者サービスは郡単位、県単位、地方単位で行政が考えます。全員が高齢者の村では、若者がいないのが気分的に寂しいだけで、高齢者しかいない村だから困っているという話しは全く聞きません。

第4の理由:
限界集落の定義では、高齢人口が高い集落には、若者が入り込まないかのように前提しているようなのが気になる。現在は高齢化しているといっても、将来は変わることがあるではないですか?

限界集落の区分では、一番安泰なのは「存続集落」で、55歳未満が人口の半分以上のケースとなっていました(Wikipediaの記述)。住民の年齢をクローズアップした理論なのですから、それは納得。

でも、驚いたのは存続集落の説明! 「跡継ぎが確保されており、共同体の機能を次世代に受け継いでいける状態」、とある。はあ、跡継ぎがない高齢化した集落を問題にしているわけなのですね。つまり、集落が魅力的だからと余所から入ってくる人たちがいるのは問題外にしていらっしゃるわけだ...。 

これで限界集落というのを問題にする焦点が見えた気がしました。つまり、この理論では、集落に住んでいた人たちの「」が存続することに意味があるのであって、集落に人がいなくなって消滅してしまうことを心配しているわけではないのだと発見!

日本の農村というものは、そういうところですか...。東京育ちの私には、住むのは怖い! フランスの農村には、何の抵抗もなく入れましたけど。

第5の理由:
日本では、こういう集落を維持するように住民が努力すべきだと言う外部の人たちがいるのですが(ツーリズム活動やイベントをして人を呼び込めとか、地域の価値を高める特産品を作れとか)、集落は住んでいる人たちのものなのだから、傍から何か言うのは変だと思う。

たとえ集落が消滅することになっても、いま住んでいる人たちには、自分たちが好きなように生きる権利があると思う。収入を増やす必要がないなら、なにも無理して地域活性化のために努力する必要はないと思うのですけど...。

でも、家を守ることがこの世に生を受けた目的だとされるなら、集落を守るために努力しなければいけないということになるのでしょうね。そのために生きなければならないとなると、辛いですね...。


◆ 『幸せに暮らす集落 ― 鹿児島県土喰(つちくれ)集落の人々と共に

「限界集落」という日本独特の表現が気になったのは、友人が最近読んでいるという本の名を知らせてきたからです。

彼女自身、限界集落と呼ばれるような条件の集落に住んでいるのですが、「暮らしてい る人が何か困っている様子や苦しんでいる様子は感じていません」と言っていました。

傍から見るから限界集落といって絶滅する運命にあるように言われるわけで、そんなレッテルを張られることは住んでいる人たちには迷惑なのではないでしょうか?

本の題名から検索してみたら、この本でした。

幸せに暮らす集落―鹿児島県土喰(つちくれ)集落の人々と共に―

アメリカ人ジャーナリストが小さな集落に住みついて、そこの人たちは明るく生きていることを見せる本のようです。

「土喰(つちくれ)」という集落の名前がすごい! でも、鹿児島県にある集落だったら、雪が多くて気候が厳しい地方に比べて住みやすいでしょうから、幸せに生きているのは想像できます。

気になったのは、こういう村に入った人のことを特別扱いすること。それ自体は日本は異常なのを示していると思います。フランスでは、小さな農村に移り住み、廃屋を修復して住むようになったなどという話しはごくありふれていて、美談として取り上げられることはありません。

この土喰集落の人口は27人で、20世帯。そのくらいの規模の村はフランスにはたくさんあるので、どうということはない。なにしろ、フランスの市町村のうち、人口が50人未満は全体の3%近くを占めています。村というのはパリ市などと同列に並ぶ行政区分上の単位のことで、集落は村の中にあるわけですから、20世帯もある集落なんて、フランスの感覚からいったら立派な規模だと思ってしまいます。

でも、山間部に孤立して存在していると推測される土喰集落では、集落の住民が27人もいるのに、平均年齢は80歳近く、高齢化率は84%というから特殊な例ですね。

集落には小組合長というのがあって、著者もその役割をしていたようです。小組合長の役割を担う人の条件は、目がよく見えて耳がはっきり聞こえることだけなのだそうですが、その条件を満たす人は集落に3人しかいないので、1年ごとに交代して勤める、というのもすごい。

日本では、こういうところに移住したら、高齢者たちを助けなければいけないのだろうと想像するから美談になるのも頷けます。

本は手にできないでいるのですが、著者のジェフリー・S・アイリッシュ さんは、集落の人々が最後まで自分らしく生きられることが最も大切なことだとし、村が消滅することも静かに優しくみまもるという姿勢でいるようなので好感を持ちました。

人々が幸せに暮らす土喰集落とはどんなところなのか知りたくなって、映像を探し出しました。


ジェフリー・アイリッシュさん(2013年2月6日放送)

「世の中が大丈夫というのを、ここで感じられる」という言葉に重みがあると思いました。この頃の私は、日本も、フランスも、世界のあちこちも、このままいったら飛んでもないことになるのだろうという気分になっています。

フランスの作家マルグリット・デュラスは、冷戦時代に、「世界が破滅に向かっていると考えると、かえって気が楽になる」と言ったのだそう。そういう諦めに達した安らかさもあるけれど、やは「大丈夫」と感じていたいものです。こういう集落に住んでいたら、、自分と仲間しかいないわけですから、世界が狂っているなんて意識しないで「大丈夫」という境地になるだろうな...。

映し出されているのは美しい農村ですね。登場していらっしゃる集落の方々も、本当に良いお顔をしていらっしゃいます。それに、生活維持が困難な高齢者ばかりだからと、村や家の中がほったらかしにされてはいるようには見えません。

この村で生まれた子どもたちは、どうして出ていってしまったのでしょう?... なんと、もったいないこと...。


限界集落と呼ばれても、実際に消滅するケースは少ない

問題を取り上げて状況を改善するという姿勢には賛成しますが、そこに住む人たちのために、何かもっと前向きな呼び名を付けて欲しかった、と私は思うのですけれど...。

でも、「限界集落」という名のレッテルを張ることに抵抗を感じるのは、私だけではないようです。

総務省、国土交通省、農林水産省の最近の公式文書では、「基礎的条件の厳しい集落」、「維持が困難な集落」といった表現が使われているのだそう。自治体では別の名称も考えているようです。

そもそも、そういう集落に住む高齢の住民たちに、高齢者率が高いから消滅の危機にあるのだと言うのは酷ではありませんか?... 「あなたたちは近い将来死ぬのだから...」と言っているのと同じになってしまうのですから。

逆にして、若年層が少ないことが問題なのだとか、やんわりと表現することもできるのではないかと思うのですが、それでは同じことにはならなくなるのでしょうか?

高齢者が多いからといって、集落が消滅することとイコールではないのだと主張する本も出版されていました。

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

「BOOK」データベースより:
高齢化が進み、いずれ消滅に至るとされる「限界集落」。だが危機を煽る報道がなされているのに、実際に消滅したむらはほとんどない。そこには逆に「限界集落」という名付けをしたことによる自己予言成就―ありもしない危機が実際に起きる―という罠すら潜んでいる。カネの次元、ハードをいかに整備するかに問題を矮小化してきた、これまでの過疎対策の責任は重い。ソフトの問題、とりわけ世代間継承や家族の問題を見据え、真に持続可能な豊かな日本の地域社会を構想する。

この本も入手できないので、読んだ方の報告を読みました:
限界集落の真実 「過疎の村は消えない!」


フランスは工業国ではないため、日本以上に農村には仕事がないので都市に住む傾向がありますが、年金生活ができるようになったら農村に移り住む人が多いです。 従って、フランスの小さな村々は、日本なら限界集落と呼ばれてしまうようなところがたくさんあるのではないかと思ってデータを調べてみました。

一概にそうとも言えないような...。過疎地の農村でも、かなり子どもが多いのです。

限界集落の概念では、子育て世代がいるかどうかは無視しているようです。高齢者が多くても、子どもたちが大勢いれば村の将来は変わると思うのですが、日本の若者たちは、全員、村を出ていくものなのでしょうか?...

調べたフランス事情について、次の日記に書いてみます。
フランスの小さな村は高齢化しているわけでもない? 2014/09/27


追記:

『幸せに暮らす集落』という書籍を教えてくれた友人が、この日記を読んでメールを送ってくれたのですが、驚くことを報告してきました。

限界集落と呼ばれるような山の中に住んでいる彼女は、地元の新聞記者にインタビューされたことがあったそうなのです。そのとき言われたのは、それってないだろうと思う発言!

「中山間地を残す意味があるのか?」というニュアンスで、いろいろと聞いてきたのだそうです。それで、合併して大きな市に入った彼女の集落が「お荷物」になっているのだと意識したのだそう。

「限界集落」というレッテルだけでもショックだと私は思っていたのですが、そこで生活している人たちがいる集落をそんな風に捉えるなんて酷いではないですか?! !!!

それを聞いて思い出しました。東京で友人仲間が集まったとき、大手雑誌社で記者をしている人が、限界集落が困窮状態になっていることを記事にするために僻地に取材しに行ったという話しです。

遥々と時間をかけて行ってみたら、事情は全く違っていた。住民たちは助け合って生きていて、暗いイメージは全くない。仕方がないので、限界集落といっても人々は明るく生きている、という内容で彼女は記事を書きました。ところが、その記事は編集長からボツにされたのだそう。

限界集落を未来のない場所とする風潮があった中で、『幸せに暮らす集落』という本が出版されたのは一歩前進だと思いました。

幸せって、なんだろう?...

時代の流れにも身を任せず、我が道を歩いた男性のドキュメンタリー映画についても書きました:
北フランスで昔ながらの農業を続けていたポールさんの生き方

シリーズ記事: 限界集落

   目次:
    1. 「限界集落」という言葉が気に入らない
    2. 
フランスの小さな村は高齢化しているわけでもない?


内部リンク:
ジャン・フェラのシャンソン「ふるさとの山」に見る日仏文化の違い 2014/08/10
北フランスで昔ながらの農業を続けていたポールさんの生き方 2014/09/30
★ 目次: フランスに結婚に関する風習、夫婦・家族関係、生き方

外部リンク:
ジェフリー・S・アイリッシュ  sotokoto interview
幸せってなんなんだろう。滅びゆく集落「土喰集落」と、そこに暮らす一人の外国人。
限界集落論への疑問
☆ Wikipedia: 限界集落
老人は日本の国民か? 武田邦彦 (中部大学)


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この記事へのコメント
日本人は新しいものが好きです。
古いものを大切に修理しながら使うことが尊いと思われた時代は、すでに過去の物語になったかのように、家を建て替え、住まい方も変えることが進歩だと考えている人が多いのではないかしら。
前回のコメントに続いて、ここでも八ヶ岳山麓の話になりますが、最近私には若い友人がたくさんできました。みな県外から移住してきた人ばかりです。古民家を再生することを仕事にしている人がいます。再生に際して萱葺き屋根の吹き直しを専門にしている人がいます。壊される古民家や土蔵から粗大ごみ同然に廃棄された家具や古道具に手を入れ再び命を吹き込む人がいます。空き家を利用してギャラリーやカフェを始める人もいます。独りよがりの自然農法を振りかざして自滅する人もいれば、地元の農家に弟子入りして一から野菜作りやコメ作りを学んでいる若い夫婦もいます。
田舎とはいえ、この辺りがもともと元気な村だったこともあるのでしょうが、この地域には若い人を受け入れようとする懐の深さがあります。教えること、世話を焼くのが好きなお年よりが多いのです。そしてこの場所が気に行った若者たちのネットワークがさらに新しい人を迎え入れる魅力になっています。すべてがうまくいっているわけではないにしても、ここにはたくさんの笑顔があります。昨年の大雪の時も雪の中に何日も閉じ込められた高齢者の家までスコップを担いで雪かきに行った若者や、リュックサックに食料を入れて一戸一戸歩いて配達して廻った若者の話を聞いています。小さな共同体には、都会にはない親身なつながりがあります。かつてそれを疎ましいと感じた時代があったことも確かですが、今必要とされているのも、こうした親身な人間関係ではないかと思います。
世に言われる「限界集落」ではないにせよ、はたから田舎と思われている村にもこんなに多くの可能性があるのです。限界集落などという一種の差別用語で一括りにしてもらいたくないですよね。

アイリッシュさんの動画に出てくるおばあちゃんたちの笑顔のチャーミングなこと!
それにしても「取り残された村」という言い方にメディアの一方的な価値観の押しつけを感じます。
♪いいじゃないの、幸せならば~
ってOtiumさん、お分かりになるかしら(^^;)
2014/11/13 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
>すべてがうまくいっているわけではないにしても、ここにはたくさんの笑顔があります。
⇒ 良いお話しを聞かせていただきました。悲壮にならないで、ギスギスしないで、みんなが自然に行動したら、良い雰囲気ができあがって当然だと思うのです。外から人がたくさん入っているというのも、新しい空気が自然に流れることになるでしょうね。これからどんどん田舎に移住する人たちが増えてきたら、限界集落などという特別扱いをすることもしなくなるかもしれないですね。

東京などは人が多すぎます。雑踏の中で泣き出したくなったことがあり、幼い子どもが「お母さん、助けて~!」と叫ぶときの心境はこんななのだろうと思いました。東京は、生態系から見たら、都民は1人25グラムである必要があると言った学者さんがいたそうですが、そうだろうな… と思います。

>「取り残された村」という言い方にメディアの一方的な価値観の押しつけを感じます。
⇒ メディアは、一般受けするだろうというシナリオを初めに作って、それに沿った報道にする傾向があるのだろうと思います。二十歳になったときにラジオ局のスタジオでインタビューを受けたのですが、まるで誘導尋問だと感じました。当時の私は内気で口数も少なかったので、「私はそんな風には思っていません」と反発できなかったことが、この年になっても口悔しく思い出しています。

>おばあちゃんたちの笑顔のチャーミングなこと!
⇒ 私も思いました。こういう笑顔は、取材されるからと無理に作れるものではありません。

>♪いいじゃないの、幸せならば~
ってOtiumさん、お分かりになるかしら(^^;)

⇒ 流行歌にはトンと弱いので、YouTubeで探してみました。ありましたね~、この歌。本当にそうですよね。限界集落の問題も、傍の人たちが何だかんだ言うのが気に入らないのです。

1969年のヒット曲ですか。そういう時代でしたかね。フランス人の生活は1968年の5月革命で大きく線が引かれるので、この時期に興味があるのです。
2014/11/14 | URL | Otium  [ 編集 ]
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