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2015/04/14
Gy(ジー)という短すぎる名前の村に、ブザンソン大司教の所有となっていて、歴代の大司教が別荘のように使っていた城が残っています。近くを通るので、見学できるかどうかは分からないけれど立ち寄ってみることにしました。

ブザンソンはフランシュ・コンテ地方の行政中心地。そこの大司教の館となればさぞかし立派なのだろうと想像したからです。

シリーズ記事目次 【フランシュ・コンテへの小旅行(2015年4月)】 目次へ
その3



Château de Gy

フランス革命が勃発するまでの700年間、ここはブザンソン大司教の館として使われていました。門に掲げられている大司教の紋章が、それを示しています。



大きな門は閉ざされている。入り口にある案内を見ると、復活祭が過ぎるとオープンしているけれど、夏になるまでは週末と祭日だけ見学できる、と書いてあります。

やっぱりね、と思って、写真だけとって帰ろうとしました。すると、そこにいた男性が、「1人5ユーロ払えば見学できますよ。写真も好きなだけとれます」などとおっしゃる。

有名な観光スポットではないし、観光シーズンが始まったばかりなので、見学客が来たのが嬉しかったのだろうか? のっけから見学料のことを言うのは変だと思いましたが、迷うことなく見学させていただくことにしました。


シャトー・ド・ジーの見学

中庭に入ると、立派な建物。見学できるのはラッキー、と嬉しくなりました。



城はソーヌ川を見下ろす小高い丘の上にあります。現在残る建物は、15世紀から18世紀の建築。そこにあった2つの古城を壊して建てたようです。中央のフラマン様式の立派な8角形の塔は16世紀の建築。

18世紀半ばにブザンソン大司教となったシュワズール枢機卿(Antoine-Clériade de Choiseul-Beaupré)が豪華な館に改修しました。

Antoine-Clériade de Choiseul-Beaupré  

門に掲げられていた紋章は、この人の紋章でしょうね。運が良い人だったのかもしれない。フランス革命が勃発するわずか数年前に他界していました。

城の中は、その時代を再現しているようです。寝室、立派なダイニングルームなど...。

城はフランス革命のときに没収されて売りにでました。19世紀半ばに学校として使われるようになり、1974年まで中学校として使われていたのだそう。

見学できると言った男性が、この城のオーナーなのか、城の管理人なのか分からなかったのですが、話しているうちに後者だと分かりました。

城の中はどこでも見学して良いのだそう。オーナーはここを夏の別荘に使っているというわけではないようです。個人が所有している建物では、その一部、極端なところになると庭しか歩けないということもあるので、あちこち見学できるのは嬉しい。

管理人さんは「ガイドはしない」と言って出ていきました。案内されずに自由に歩き回るのも良いものです。



どのくらい忠実に18世紀を再現したのか分かりませんが、ここは大司教の寝室でしょうね。放置されていた時代も長かったでしょうが、みごとに修復されています。

現在のオーナーはディジョン市にある大きな館を所有しているお金持ちだそうですが、この城をいつ入手して修復を始めたのか、聞くのを忘れていました。



コレクションの量がすごい。これだけ買い集めてしまうと、それを入れる城も買う必要があるでしょうね...。



コレクションを眺めているうちに、ここは大司教が別荘のように使っていた館だということを忘れてしまっていたのですが、このダイニングルームに続く小さな部屋には、聖職者に関するコレクションが陳列されていました。

たくさんの衣装のうち、私が気に入ったのは、下の写真の中央に写っている濃い緑色のマント。... と言ってみても、プレゼントしてもらえるわけではないのですが!



珍しいものがあったのでメモ。下の写真で赤い矢印をつけた道具です。



ミサの聖体拝受に使うホスチア(聖体)を焼く道具だそうです。暖炉にくべてゴーフルを焼く昔の道具に似ていると思いましたが。鋏のようになっている2枚の鉄に挟んで焼くというシステム。ただし、ゴーフルのような模様ではなくて、何か宗教的な柄が彫り込まれているようです。ガラス戸越しなので、よく見えなかったのが残念。

インターネットで探してみたら、これと同じようなホステアの道具が出てきました。カルメル会のリジューのテレーズの時代のものだそうです。

http://www.archives-carmel-lisieux.fr/carmel/index.php/au-carmel/le-style-de-vie/le-travail/le-pain-d-autel
Le pain d'autel

なかなか美しい模様ですね。それにしても、こんな道具で1つ1つ(2つずつでしょうが)ホステアを作っていたら、かなり時間がかかったでしょうね...。


見学の最後は、地下のセラー。これは完全に城のオーナーの趣味のコレクションだろうと思います。おびただしいほど色々なものが陳列されていました。






大きなブドウ圧縮機が幾つも入っていました。個人でこんなのをコレクションしてしまうのですか...。

下は、アルザス式のブドウ圧縮器なのだそう。




見学を終えてから、庭に出て城の周りを歩いてみました。昔はもっと広い土地があったのだろうと思います。庭園も美しかったのでしょうが、ほとんど放置状態。



管理人さんは、セラーに入る前に私たちが中庭に出たとき、奥さんを迎えにいかなければならないのだと声をかけてきました。追い出されてしまうかと思ったら、城を出るときはしっかり門の扉を閉めておいてくださいと言って、本当に出かけてしまっていた。

こんなに盗めるものがたくさんあるのに、初めて来た観光客だけ残して外出してしまうなんて、危険ではないですか?! しばしおしゃべりもした私たちを信じてくれたのでしょうけれど、泥棒とか詐欺師とかは人が好さそうに見える人である場合も多いのですけどね...。

管理人さんは南仏訛りがある話し方だったし、途中で顔を出した娘さんが使っていた単語から、マルセイユの人だと推測しました。南仏からやって来てフランシュ・コンテ地方に住み着いたのは、なんだか不思議...。

いかにも南仏の人らしく、庭園の芝刈りも適当にやっているらしい。草は生やしておいた方が地面の水分が蒸発しなくて良いなどと言って、見学客が歩ける道だけ芝刈り機をかけるのだそう。

こんな城の管理人の仕事って良いですね。城の管理人というと、普通は入り口のあたりにある小さな家に住むのに、ここではコの字形になっている城の1つの辺の部分らしく、かなり大きな家として使っているようでした。管理人さんは高齢なので近々引退するけれど、ここの仕事は娘さんが引き継ぐのですって。そうでしょうね。こんな良い仕事を逃すのはもったいないですよん。


◆ 見学を終えて

見学を始める前に、私たちは管理人さんに良いレストランを教えて欲しいと聞いていました。城がある村の中には2軒あり、美味しい料理を出すので、村の中で食事したら良いと勧められました。

人口1,000人くらいの村なのに、レストランが2つもあるなんて信じられない。でも、丘の上の城から降りて、集落がありそうな場所に行くと、びっくりするくらい立派な役場がありました。

村の役場は「Mairie」と書いてあるのが普通なのですが、ここは「Hôtel de ville」と壁に書かれていました。確かに、村(village)ではなくて「町(Ville)」と呼ばないと不釣り合いな建物ではあります。



日本の農村でやたらに立派な役場の建物を見ると、原発の補助金がたくさん入るところなのだろうなと想像するのですがここはそんなはずはない。

気になったので調べてみたら、この役場が建築された19世紀半ば。当時は人口が今の3倍で、3,000人くらいいたのだそう。ネオ・クラシックの建物は美しいとは思わなかったのですが、設計したのは地元では名を残した建築家Alphonse Delacroixでした。

管理人さんが推薦してくれた方のレストランで食事をしました。安いのに美味しい料理を堪能できたので満足。その話しも後で書こうと思います。

シリーズ記事: フランシュ・コンテ地方への小旅行 2015年4月  目次


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キリスト教にとってのパンとワイン 2013/09/30
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外部リンク:
Site classé : château de Gy
Château de Gy
☆ Wikipédia: Liste des évêques et archevêques de Besançon
Je fabrique mes hosties
Patrimoine local - Site officiel de la Ville de GY (70700)


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