| Login |
2015/07/07
シャブリでブドウ畑を見た後は、そこから20キロくらいのところにあるポンティニー村に向かいました。そこにある修道院が集合場所だったのです。

その途中でピンクニックするに適した場所を見つけようという予定でした。川沿いの涼しげなところと思ったのに、適当な場所がありません。暑い日だったので、木陰でないと食事などはできないので条件が厳しくなるのでした。

仕方がないので、ポンティニー修道院の前にある駐車場のピクニックスペースで簡単に食事をしてしまうことにしました。


どんなに空腹でも、食べ物の選り好みをするの?

ピクニックを済ませて修道院の前にある駐車場に行くと、メンバーの人たちの姿が見えました。一人の女性が、村議会の集まりがあった足で来たのでお昼を食べそこなったと言います。修道院がある村に唯一あるカフェで食事しようと思っていたのに、その日は閉店日だったのだそう。

かなり太った女性なので、お腹がすいているのは気の毒だと思って、ピクニックの残りの食べ物があるからと提案してみました。

すると、「何を持っているの?」と、お聞きになる。

豚飼育農家が作った美味しいフロマージュ・ド・テット、シャブリ町で一番美味しいパン屋さんで買ったパン、コンテチーズ、サクランボが残っていると告げました。

コンテ
特にコンテチーズに惹かれた様子。
食べる、食べる、とおっしゃる。

駐車場のはずれにピクニックテーブルがあるので、そこに行くように薦めたのですが、座っている石垣の上で食べると返事。集合時間も迫っていましたから。

それで、冷たいおしぼりを差し上げて、木のお盆を石垣の上に置いて、食器と食べ物を並べる。

その場にいた数人が、私のピクニックの準備の良さに感心していました。本格的にピクニックをするときは重箱に食べ物を入れて行くので、この時もそれをやっていたら、もっと驚かれただろうな...。

よほどお腹がすいていらしたみたい。「美味しい」を繰り返しながら、もりもりとお食べになりました。それなのに、ちゃんと何を食べさせられるかを確認していたのだから愉快♪ 有名な文学者の娘さんなのですけれど、気さくな方...。

コンテチーズは、よほどお好きなようでした。固い皮を捨てないでコンテを食べてしまうフランス人を見たのは初めて! 残っていたチーズの塊を平らげてしまったわけではなかったので、足りないから皮も食べたわけでもないのです。


ポンティニー修道院

ポンティニー修道院(Abbaye de Pontigny)は1114年に創設されたシトー会の修道院。ここもフランス革命で破壊されましたが、大きな教会部分は見事に残っています。現存するシトー会の教会としては最大規模なのだそう。

今回の訪問で、なぜか気に入ったのは、庭にあった一枚岩の受水盤でした。猛暑のときに訪れたからかな?...



直径3.4メートル。もともとは、修道院に水を供給する水源がある回廊の近くにあったようです。水盤には31の穴があり、僧侶たちがミサに行く前に手を洗うことができたのだそう。今は水はなくて、ただのテーブルに見えてしまう...。


現在では、ポンティニー修道院にあった教会はポンティニー村の所有物となっています。その他の部分はブルゴーニュ地域圏が購入したのですが(2003年)、お金がかかって仕方ないと判断したせいか売りにだされました。でも、買い手はいなかった...。

こういう、どうしようもなく大きな文化財は行政が維持して欲しいです。

ポンティニー村の人口は800人足らず。こんなに大きな教会を維持するのは大変でしょうね...。住民のボランティアたちがコンサートを開いたりしています。音響効果が良すぎるくらいに素晴らしい教会です。私も何回かコンサートに行ったことがありました。

ポンティニー修道院の写真はたくさん撮ったのですが、動画があったので入れておきます。


Tous unis pour les 900 ans de notre Abbaye !


ポンティニー修道院でのレクチャー

この日の目的は修道院の中で行われたレクチャーを聞くことでした。

テーマは3つありました:
  1. シャブリのワインとポンティニー修道院の関係
  2. ポンティニー修道院について
  3. ポンティニー修道院を購入したポール・デジャルダン: 文化人が集まって開かれた「ポンティニー旬日懇話会」、大きな修道院を維持するための経済的な苦労話など
3番目のレクチャーが最も興味深かった。

ポンティニー修道院のような文化財を個人が持ってしまおうと思うのには驚きます。

教師の収入しかなかったポール・デジャルダン(Paul Desjardins: 1859~1940年)が購入してしまったわけですが、1年でほとんど破産状態に陥ったのだそう。

それでも、そこを拠点にして、歴史に功績を残す文化活動を行ったわけなのでした。

文化人が集まる「ポンティニー旬日懇話会(Décades de Pontigny)」は、毎年、10日間(décades)、開かれました。1910年から1914年、それから戦争を挟んで1922年に再会し、第二次世界大戦が勃発する1939年まで続いています。

この時代のフランスには優れた文学者たちがいたのですね。ポンティニーに集まった人々の中には、アンドレ・ジッド、サン=テグジュペリ、アンドレ・マルロー、サルトルなど、良く知られた文学者の名が並んでいました。

大きな修道院を維持するのは経済的に大変だったとはいえ、デジャルダンの奥さんはノルマンティー地方の城を相続したりしていたくらいなので、財産はあったのだろうとは思います。

彼女はノルマンディー出身なので、ブルゴーニュにあるこの修道院でノルマンディーで盛んな農業をして収入を得ようとしたのだそう。ノルマンディー地方の品種の牛を飼って、リンゴも栽培する。ところが、リンゴやイチイの実を食べてしまった牛が死んでしまった、などという失敗があったとのこと。

ノルマンディー地方のイメージは酪農とリンゴ酒なのですが、どうやって共存させているのかな?...

デジャルダンもガーデニングが好きだったとのこと。講師は冗談で言ったわけではなかったようなのですが、Paul Desjardinsという名前を聞くと、Paul des jardins(ガーデンのポール)と聞こえてしまうのです。ここでも、聞いていた私たちは笑ってしまいました。

敷地内で栽培したリンゴは成功したもよう。それを売ったりしているので、近所の人たちはブルジョワの女性がそんなことをして働かなければならないことに驚いていたそうです。でも、おかげでデジャルダンは死ぬまでポンティニーで生活できていました。

1940年にデジャルダンが亡くなった後、妻と娘(Anne Heurgon-Desjardins)はポンティニー修道院を売却して、ノルマンディーの城を修復することにしました。やはり北フランスのノルマンディー地方への思いが強かったのかな...。そのスリジー・ラ・サル城は、1952年から「スリジー・ラ・サル国際文化センター(Centre culturel international de Cerisy-la-Salle)」となり、ポンティニー旬日懇話会の活動を継承しています。

ポール・デジャルダンはフランスでも殆ど知られていない人だと思うのですが、検索してみたら日本語情報が出てきました。日本にも研究者がいらしたとは驚きです。

ブログ内リンク:
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: フランス人の古民家を修復する情熱、建築技術
フランス人って、どうしてこんなに食べられるのだろう?...【2】2006/05/28

外部リンク:
☆ Wikipédia: Décades de Pontigny
100 年に及ぶポンティニーからスリジーまでの歴史
1922年のポンティニー旬日懇話会 : ジッドのポール・デジャルダン宛未刊書簡
ポンティニー修道院バーチェル・ヴィジット: Abbaye de Pontigny II.


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村


カテゴリー: 建築物 | Comment (0) | Top
この記事のURL | Rédiger
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する