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2016/01/03

シリーズ記事目次 【フランスのワイン産地】 目次へ
その6


もう10年近く前になりますが、リヨンという町に数日滞在することになったときには張り切りました。ブルゴーニュ地方から南仏に行くときにはリヨンを通るのですが、ちゃんと町を観光するのはその時が初めてだったように思います。

なぜ張り切ったかと言うと、リヨンが美食の町だと聞いていたからです。

そういう町らしい料理を食べたいと言っら連れていってもらったレストランで出てきた料理を見て、ギャフンとしました。


ブションと呼ばれるレストラン



こういう料理を「美食」と言うとは思っていなかったのです! 美味しかったし、庶民的なレストランは和気あいあいとした雰囲気で楽しかったのですけど...。

その後にも、やっぱり同じ感じの料理を食べました。これでは高速道路のカフェテリアとか、大学の学食で出てくるような料理ではないですか?... つまり、お腹をいっぱいにするために食べる料理だと私は思うのです。いくら味が良くても、ガストロノミーと呼ぶ気にはならない。

ブルゴーニュも昔は胃の負担が大きい料理だったのですが、この頃にはずいぶん見た目がおいしそうで、消化も良い料理になってきていたので、美食の町と言われるところでまだ伝統的なフランス料理が出るのは腑に落ちない。

リヨンは美食の町と言われるくらいなのだから、もっと洗練された、いわゆる、「わぁ~、フランス料理♪」と叫ぶようなのかないの?... そう言ったら、こういうのがリヨンの郷土料理で、そういう料理を出すレストランを「bouchon(ブション)」と呼んで、それがリヨンならではの食事なのだと言われました。

前回の日記で、リヨンの町はボージョレーで潤されていると書いたのですが(「リヨンには3つの川が流れている」と言ったのは誰?)、ボージョレーはガストロノミーというときには持ち出さないワインなので、リヨンに行って食べたものを思い出してしまったのです。

ブションの料理にはボージョレーが本当に良く合う! 上に入れた写真でも、ボージョレーのテーブルワインを飲んでいたのが分かります。


リヨンが美食の町だと言ったのはキュルノンスキー

なぜリヨンが美食の町なの? という疑問を持ちました。この言い方は日本で覚えたので、日本人がそう言っているのかと思いました。日本でフランスのシェフといえば、リヨンにレストランを持つポール・ボキューズが有名ですから。

でも、フランスでも言われるのでした:
Lyon est la capitale mondiale de la gastronomie.

だいぶ後になって、このフレーズを言ったのはキュルノンスキー(Curnonsky1872~1956年)だと知りました。本名はMaurice Edmond Sailland。

「スキー」で終わっている名前だとロシア人かと思ってしまうのですが、これはジャーナリストとしてデビューしたときに考えられたペンネームでした。「キュルノン」の部分はラテン語で「Cur non」で、フランス語にすると「Pourquoi pas(英語でWhy not)」の意味。それにスキーを付けて、「スキーでどうかね?」という感じになる。当時は、露仏同盟が終結し、パリではロシアバレーが流行っていたので、ロシア風のペンネームが流行っていたのだそう。それで、○○スキーという名前にするよりは、こんなふざけた名前にした。


彼は「Prince des gastronomes(美食家のプリンス)」と呼ばれています。雑誌Le Bon Gîte et la Bonne Tableが主催したコンクールで、食の専門家たちによる投票でそのタイトルを与えられたのだそう(1927年)。

なぜか日本では、王子ではなくて王様で、「食通の王」とされているようです。

プリンスだと、もっと上がいそうな印象を感じになってしまうからでしょうか? 逆に、どうしてプリンスだったのかなとも思ってしまう。

プリンスと言えば『星の王子さま(Le Petit Prince)』。それを書いたサン=テグジュペリはリヨン生まれの人で、リヨン空港の名前にもなっています(Aéroport de Lyon-Saint-Exupéry)。

でも、『星の王子さま』が書かれたのは1943年で、キュルノンスキーが称号をもらったのよりずっと後なので、それにあやかったという可能性はゼロ。

「食通の王様」と言われるより王子の方がイメージが良いからだったのかな...。でも、有名なシェフのオーギュスト・エスコフィエは「roi des cuisiniers(料理人の王)」と呼ばれているので、王様と呼ぶと滑稽になるわけでもないらしい。わからん...。

 キュルノンスキー著 美食の歓び (中公文庫BIBLIO)


ともかく、美食家として名を遺したキュルノンスキー。ミシュランのガイドブックが1926年に創刊されたのにも携わっていたのだそうです。

母親に死なれ、父親に捨てられた彼はおばあさんに育てられたとのこと。パリに出てジャーナリストになったのですが、毎年冬にリヨンに数週間滞在していたそうです。

どんな時代だったかというと、1929年のウォール街大暴落に始まった世界大恐慌。1939年には第二次世界大戦が勃発していますから、50歳を過ぎたキュルノンスキーが生きた世界は暗かったと思う。


キュルノンスキーに世界一と言わせたのは、どんな料理は?

キュルノンスキーが「リヨンが美食の町だ」と言ったのは、1934年のある日、リヨンにあるMarius Vettardのレストランで夕食を終えたときだったそうです。
  • リヨンはガストロノミーにおいて世界の首都だ。フランスとナバラ(スペイン東北部の地方)にあるレストランはほとんど全部行ったけれど、リヨンよりも堪能したところはなかった。
そこまで言い切ってしまいますか。何を食べて言ったのかが気になります。私がリヨンで食べたブションの料理? それとも、洗練された料理?

このときキュルノンスキーさんが召し上がった料理は、カワカマスのクネル(こんなの?)、ザリガニのグラタン(こんな料理かな...)、ローヌ河の川ハゼの小魚唐揚げ(これですね)とありました。

なるほど...。地元だから手に入るという食材を使った庶民的な料理ですが、おいしく調理したら感激しそう。

クネル(quenelle)という料理も、ホームメイドだったら美味しいですが、普通にスーパーなどで売っているのは食べない方が良いほどの料理だと思います。ザリガニでソースを作った「Quenelle de brochet sauce Nantua」というのがリヨン料理として私でも知っているくらい有名ですが、これを美味しく作るのは難しいだろうと思います。

それをリヨンのブションで作っているのを見せている動画がありました。


Quenelle de Brochet Sauce Nantua - Recette

今は,、ザリガニも川ハゼの小魚もなかなか手に入らない食材ですね...。

キュルノンスキーは上品なフランス料理を評価したわけではないのは確かそう。彼が名言を残したときに食べた料理はこれしか紹介されていなかったのですが、その後には肉料理が出たのではないでしょうか。それから、当然ながらチーズとデザートはあったはず。キュルノンスキーさんは食欲旺盛だったのだろうな...。

彼は、身長1メートル85、体重は120キロという巨体だったそうです!

彼が「リヨンが世界で最も美食の町だ」と言った言葉にもニュアンスがあるのではないかな?... 彼は、あちこちで食べたけれどと言ってから「Je n'ai jamais mieux mangé qu'à Lyon」と言ったそうなのです。リヨンのレストランの料理が一番洗練されているとか、最も美味しいと言っていたわけではないのですよね。食べた後で満足する度合では、リヨンほど満足するところは他にはなかった、というニュアンスの言葉だと思うのです。大食漢のフランス人にとっての食後の満足感というのは、おいしかった+お腹がいっぱいになって心地良いなのだろうと思うの思うのです。

日本人が料理をほめるときに「美味しい」という以外のバリエーションが少なすぎて不満だとブログに書いたことがあるのですが、食事を終えた食通のフランスの友達が「ボリュームがあった」と言うのも気に入らなくている私です。「美味しい」のと「ボリュームがあった」というのはイコールにはならないのだから、レストランを出ながら「copieuxだった」と言うのは止めて欲しいと言ったことがあるのですが、フランス人はお腹もいっぱいにならないと「美味しい」にはならないのだろうと思います。

ところで、有名な「Lyon est la capitale mondiale de la gastronomie」というフレーズをキュルノンスキーが発したのは1935年だという記述もあったのですが、その年、彼は『Lyon, capitale mondiale de la gastronomie』と題した書籍をMarcel E. Grancherと共著で出版しているので、そちらを歴史として取ったのだろうと思います。


リヨンの美食文化を築いた「メール」たち

リヨンで初めて郷土料理を食べた私は、こういう料理を「美食」とは呼んで欲しくないと思ってしまったのですが、今回リヨンの美食の歴史を少し調べてみたら面白い。フランス料理の神髄が見えてきそうなので、ちゃんと勉強してみたいと思いました。


Gourmandises ! : Histoire de la gastronomie à Lyon

リヨンの美食の歴史は、ローマの古代都市時代に遡るのだそう。フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル物語』は1532年にリヨンで発行されていて、リヨンの郷土料理になっているものがゾロゾロ出てくるようです。ラブレーの世界の食べ物がリヨン料理の前進だったら、私がリヨンで食べたブションの料理も納得ができます。

リヨン料理の評判が定着したのは18世紀。キュルノンスキーがリヨンは世界一だと言う前に、作家などいろいろな人たちがここの料理を絶賛していました。

キュルノンスキーの時代のリヨンでは、母親を意味する「Mères(メール)」と呼ばれる女性シェフたちが活躍していました。1933年のミシュランガイドでは、Mère Brazierと呼ばれたEugénie Brazierと、Mère Bourgeoisと呼ばれたMarie Bourgeoisを、女性で初めての3つ星シェフに選んでいました。

リヨンのメールという言い方は友人の会話に出てきていました。3つ星レストランのジョルジュ・ブランに行ったとき、彼の母親はメールだったとか、ブルゴーニュの田舎でカフェレストランをしている素晴らしく美味しい料理を作る女性が以前はリヨンでメールだったのだ、とか。母親が母親だったというのは変な表現。でも、その言い方から特別な意味があるとは思ったものの調べてみたことがなかったのでした。

リヨンは絹織物産業で栄えた町で、貧しい家庭の女性たちがブルジョワ階級の家に調理人として働き、その後に庶民が行けるレストランを始めたというパターンが多かったようです。つまり、お金持ちの料理と庶民の料理の融合を生み出した。

キュルノンスキーの時代は、リヨンの絹織物産業は衰退していたでしょうから、やはり庶民的なレストランに需要があっただろうと思います。なぜリヨンの絹織物産業はだめになったのかと聞いたら、日本に市場を奪われたのだと返事されたっけ...。でも、昔の話なので、リヨンの人から恨みがましい感じでは言われなかったので救われました。

リヨンは地方都市で、周辺から良い食材が入ったというのも美食文化が育つのを助けただろうと思います。当時のリヨン市長も美食の町にすることに熱心だったようです。

ブションには気取らない雰囲気があって、上出来の家庭料理を出してくれる調理人がメール。「お母さん」と呼ぶに相応しかったのでしよね。

メールと呼ばれた調理人の中に、一風変わった女性がいました。Mère Bizolonと呼ばれたClotilde Bizolon(1871~1940年)。「Maman des poilus(ポワリュたちのママ)」とも呼ばれたそうです。ポワリュというのは第一次世界大戦のときの兵隊さんに対する親しみをこめた呼び名です。ビゾロン母さんは彼らに無料で食事をふるまうという慈善事業をしていたからでした。

彼女は夫に死なれた後、息子がの第一次世界大戦で戦死されて一人ぼっちになりました。フランスは勝てると楽天的に戦争を始めて、大量の死者を出したのです。ビゾロン母さんは兵隊さんたちを他人とは思えなかったのでしょうね。

レジオンドヌール勲章を受賞したメール・ビソロン(1925年)

第一次世界大戦中、兵士たちに食事をふるまう

第二次世界大戦が始まったときも、ビゾロン母さんは兵隊さんたちへの慈善事業を再開したそうです。でも、彼女は何が原因だったのか暗殺されてしまっているのでした...。


リヨンのメールというのは、「肝っ玉母さん」という感じなのではないかと思います。私が出会ったリヨンでメールをやっていたという女性は、そんな感じでした。とっても優しいのだけれど、意思表示は強くて、気に入らない男性客なんかとは喧嘩してしまうという人。

彼女の料理は何度も食べに行きました。ご主人が捕まえてきたエスカルゴの生クリーム料理が素晴らしくおいしくて、大量には食べられない私でもエスカルゴを30個くらい前菜で食べてしまったのを思い出します。男性たちはその倍は食べていましたけど。

彼女が亡くなってしまったのは残念。ああいう風に、母さんの料理というのを出す調理人は減っていますね。それは、フランスでも、日本でも同じですけど...。

リヨンのメールの伝統を持つブションと呼ばれる庶民的なレストランも偽物が多くなってきたので、本物を残そうという運動もあるようです。ああいう家庭的な料理をレトルトなどを温めただけで出されたらたまらないだろうな...。

ブションの魅力は、アットホームな雰囲気にもあるのだろうと思います。私がリヨンのブションで何回か食事したときは、観光客がリヨンらしいレストランだから来ているという雰囲気はなくて、地元の人たちがこういう料理を好きだから来ているという風に見えました。

ブションの雰囲気を伝えている動画を入れておきます。


Un Bouchon de Lyon

ついでに、リヨンの有名な郷土料理を作るのを次々と見せているレストランの動画も。リヨンの朝市の施設内にあるブションだそうです。


Bouchon Lyonnais .Restaurant .à Lyon le Resto Halles.à voir absolument

リヨンのブションで初めて食事した私は、なぜこういうのをフランスの美食と言うのかと不満に思ってしまったのですが、調べたりして書きながら、こういうのがフランス料理の根底を築いているのだという認識を改めました。つまり、おいしい料理というのは、お母さんが心を込めて作ってくれる料理。素朴だし、ありふれているし、安い材料も使っている。でも、何度食べても美味しいと感じさせる料理。それが本物かもしれないな...。

私の場合は、そういう料理を堪能するためには胃袋を丈夫にしないといけない! 最近の先端のフレンチは、見た目が美しくて、お皿の上にはどっさりとは乗っていない料理になっているので、私には助かるのですけど。

でも、見た目だけ気取っている料理は、素朴な家庭料理の下にランクしているのだけは事実です!

★ シリーズ記事目次: フランスのワイン産地

ブログ内リンク:
「リヨンには3つの川が流れている」と言ったのは誰? 2015/12/26
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★ 目次: フランスで食べる郷土料理、地方特産食品、外国料理
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ

外部リンク:
☆ Wikipédia: Cuisine lyonnaise » Mère (restauration)
La Gastronomie Lyonnaise
Cuisine des Gones
Les “véritables” bouchons lyonnais sont-ils amenés à disparaître
美食の町-リヨンの歴史1 | リヨンの歴史2 | リヨンの郷土料理
美食の町 リヨンを旅する
レ・メールの事
リヨンの郷土料理ってどんなの??
美食の街、リヨンで食べたいリヨンの伝統料理
☆ Wikipédia: Histoire de la soierie à Lyon
Maurice Edmond Saillant dit Curnonsky
☆ Wikipédia: Curnonsky
Lyon People Juin 2012 by lyonpeople (page 91)
Gourmandises ! Histoire de la gastronomie à Lyon - exposition aux musées Gadagne
キュルノンスキーとは
キュルノンスキー氏について


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