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2016/06/18
最近、『Le Petit Poucet(おやゆびこぞう)』を思い出していました。

シャルル・ペロー(Charles Perrault)が17世紀末に出版した『Les Contes de ma mère l'Oye』に、眠れる森の美女や、赤ずきん、シンデレラの話しなどと一緒に入っている童話で、フランス人なら誰でも知っているはずの童話です。





ペローのLe Petit Poucetおやゆびこぞう)』のストーリー

『おやゆぎこぞう』の主人公は、Petit poucet(プチ・プーセ)と呼ばれている7歳男の子

poucetはpouce(親指)を縮めた単語で、プチ・プーセは年齢も体も小さな子どもにつけるあだ名のようです。それで、日本語の題名は「親指小僧」にしたのでしょうね。

プチ・プーセは7人兄弟の末っ子でした。お金がなくなった両親は、これ以上は子どもたちを養うことはできないと話し合い、彼らを森に捨てることにします。


« Tu vois bien que nous ne pouvons plus nourrir nos enfants. »
【Illustration de Gustave Doré de 1867】


子どもたちはオオカミも出る森に連れて行かれて置き去りにされます。

前の晩に親たちの話しを聞いていたプチ・プーセは、森に連れて行かれるときに白い小石をまいていたので、子どもたちは無事に家に帰ることができました。


« ...en marchant, il avait laissé tomber le long du chemin les petits cailloux blancs qu'il avait dans ses poches. »


プチ・プーセたちは、再び森に捨てられす。

このときもプチ・プーセは親から捨てられると分かっていたのですが、小石を拾えなかった。それで、パン屑を撒きながら歩いたので、小鳥に食べられてしまい、家に帰る道がわからない。

森の中に家があったので入りますが、そこはOgre(人食い鬼)の家だったのでした。しかし、プチ・プーセは人食い鬼から魔法のブーツを奪います。


Le Petit Poucet subtilisant les bottes de sept lieues à l'Ogre.

ひと足で7里を飛べるブーツを履いたプチ・プーセは、人食い鬼の家に行って嘘をつき、財宝を手に入れてしまう。それを持って家に戻り、その後の家族は幸せに過ごしたというハッピーエンド。



したたかな7歳の男の子のお話し。親に怖い森に連れていかれて置き去りにされる。1回目は親元に戻れたけれど、また捨てらる。子どもたちは見つけた家に逃げ込む...。


日本語訳を紹介しているサイトがありました:
☆ お話歳時記: おやゆびこぞう。


子ども向けのフランス語の漫画もインターネットには入っていました:


Le petit poucet - Conte de notre enfance


グリム童話のおやゆびこぞう

同じ話しは、ドイツのグリム兄弟も書いていました。

フランス版のように親に捨てられた話しではありません。最近に北海道で起きた子ども置き去り事件には全く類似点は見えませんでした。

グリム童話では、こういうストーリーなのだそうです。
  • 子供に恵まれない夫婦に男の子が生まれ、可愛がって育てる。
  • その子は親指ほどの大きさだったために、見世物小屋の主人が買いたいと言ってくる。その子は、すぐに戻ってくるのだから、お金儲けのために自分を売るように、と親に言う。
  • 子どもは売られたが、うまく逃げ出し、無事に親元に戻る。


『おやゆびこぞう』という同じ名前が付いているので、これがグリム童話のバージョンなのだろうと思ったのですが、グリム童話では『ヘンゼルとグレーテル』がプチ・プーセのお話しに酷似していました。

こちらでは兄弟は2人。お父さんは同じように木こり。貧しさのゆえに子どもを捨てることを提案したのは母親ですが、父親も協力しています。

森に置き去りにされると2人は知っていましたので、兄のヘンゼルはプチ・プーセと同じ対策をしています。1回目は小石を落として行ったので、無事に家に帰っていますが、2回目に捨てられたときはパン屑を落としていったので失敗。

二人は見つけた家に行きますが、これは魔法使いが住むお菓子の家。

結局、妹のグレーテルは魔法使いをかまどにつき飛ばして殺し、彼らは家から財宝を手に入れて両親のもとに帰る。家族4人は幸せに暮らすというハッピーエンド。

お話しは、こちらに出ていました:
☆ 青空文庫: ヘンゼルとグレーテル グリム兄弟


子どもを追い出す親の行為

シャルル・ペローがプチ・プーセの話しを書いた17世紀には、フランスでは頻繁に飢饉に見舞われていたそうです。ハッピーエンドなしの実話はたくさんあったのでしょうね。

私が気になるのは、プチ・プーセたちは2度も両親に捨てられているのに家に戻り、親孝行までしていること。どこの国でも、子どもは自分の所有物みたいに自分勝手に扱う親がいて、どんなに親に酷いことをされても、子どもは親を慕うものなのかな?...

ところで、日本の親が子どものお仕置きをするときには、「出て行きなさい」というのは普通にやるのではないかと思います。私も、叱られて家に入れてもらえなかった経験があります。闇が迫ってきている夕方。ガンガンとドアを叩いて「入れて~!」とやるのですが、近所の人というのは助けてくれないものなのですよね。「煩くてたまらないから、やめさせろ」とでも言いに来てくれても良いのに!

学校でも、先生は生徒のお仕置きとして教室から出るように言うのでした。小学校の始めの3年間は少し田舎が残っているところにいたのですが、先生が教室を出なさいと言われた生徒は謝って、出ていかなくても良い許可をもらうというパターンでした。ところが、その後に東京の小学校に移ったら、みんな、さっさと教室を出ていくので驚きました。さすが、東京の子はすれているな、と感心した思い出です。

でも、あれは、田舎の子と東京の子の違いではなくて、先生の違いだったかもしれない。

小学校低学年のときの担任は女性で、とても良い先生でした。私が白紙答案なんかを出したときには、放課後に家に飛んできて、何か問題があるのではないかと母親に聞いていたし。葉はの方は「印刷がよく見えなかったそうで」などとでっちあげの返事をしていましたけれど。

学年の途中から入った東京の小学校では、男性の先生でした。変な先生。一人の男の子を目の敵にして虐めていたのです。何かあると、彼がやったことにして、教壇に呼んで、どつきまわす。私たちは彼がやったのではないと知っていた時でも、怖くて震え上がっていたので何も言いませんでした。自分たちは卑怯だったな... と、いまだに忘れられません。何だか知らないけれど、先生が嫌っていただけで、仲間をいじめたりするような不良では全くなくて、とても良い子だったのです...。


フランスの親が子どもにお仕置きをするときには、ご飯を食べさせないか、部屋に閉じ込めるものなのだそうです。子どもを叱ったときに外に出したら、友達の家に行ったりして遊んでしまうので、全くお仕置きにならないから、と友人は説明していました。

でも、私が家から閉め出されたときには、友達の家に遊びに行くなんていう気持ちの余裕はなかったように思います。そもそも、親に折檻されているなんていう恥は他人には見せたくないですから。


むかし、アメリカでおきた事件も思い出しました。日本人の母親が親子心中をしようとしたら、子どもだけ死んで、彼女は生き残ってしまった、という事件。

アメリカの法律によって、この日本人女性は殺人罪として判決されたので、日本人たちが反対運動をおこしたのでした。子どもの私は殺人以外の何物でもないと思いました。でも、日本人にとって、親が生きていきたくなくなったら子どもを殺す権利があると考えるものらしい、と感じたのでした。

このとき、日本には普通の殺人より罪が尊属殺人罪があるというのがあると知ったように思います。弁護士の人たちは、親を殺すような子どもの状況には悲惨な例が多いのだとして反対していました。異常な状況というのは想像できます。親は子どもを簡単に殺せますが、子どもの方が親を殺すというのは、よほどのことがないと実行できないと思う。

ようやく1995年、尊属殺人罪をはじめとする尊属加重規定は、日本の刑法から削除されたそうですね。






ブログ内リンク:
謎が多い『赤ずきんちゃん』のお話し 2015/02/12
★ 目次: 文学者・哲学者、映画・テレビ番組
★ 目次: フランスに結婚に関する風習、夫婦・家族関係、生き方

外部リンク:
☆ 仏語テキスト: Le Petit Poucet de Charles Perrault
☆ お話歳時記: おやゆびこぞう。 (ペロー版テキスト)
☆ Wikipédia: Le Petit Poucet
 ☆ Analyse du "Petit poucet"
☆ グリム童話: おやゆびこぞう - グリム兄弟
☆ Wikipedia: おやゆびこぞう(グリム童話)
「出ていきなさい!」と叱る日本人の親と欧米人教育の違い
男児置き去り、なぜ日本人は「置いて帰るよ」と言って叱るのか?
その時歴史が動いた~昭和48年4月4日、尊属殺人罪が消えた日
☆ Wikipedia: 尊属殺法定刑違憲事件
【閲覧注意】尊属殺人罪(刑法200条・親殺し)が消えた理由
☆ L'Obs: JAPON. Comment l'enfant puni par ses parents a survécu 6 jours en forêt
☆ Le Monde: De l’abandon comme technique éducative au Japon
Japon abandonné en forêt, Yamato pardonne à son bon papa


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コメント
この記事へのコメント
北海道の置き去り事件は  人通りがある場所なら
いざ知らず 深い森のなかで 車でとおざかる、、と
いうおきざりなので ちょっと いきすぎだと
思いましたよ〜
かくれてみている、、というのなら まだわかりますが、、
でも あれだけ生き延びたのだから
きっとあの子も そうとう たくましいやんちゃな
子供なのでしょう〜
こどものときは 遊びに夢中で
クラくなって「ご飯よ〜』と呼ばれても
帰らなかったので
よく門をしめられました〜
小さい家だけど 木の門はおおきくて
かんぬきで締める門でしたよ、、
父が 帰りがよく遅くて これも閉め出しを食らっていて 門をよじ上ってるのに 警官にみとがめられて 母があやまったこともあり、、 あはは、、(^^)
日本では 親子心中よくありますね、、
子供だけのこして 不憫におもうのでしょうが
子供は親の所有物でないから これは
殺人です、、
でも ヨーロッパの子供をすてるはなしも
恐い物があります〜
赤ずきんちゃんも こわいし 3匹のこぶたも
オオカミのおなかをさいて 助ける
(違ったかな?) チョット残酷な点が
よくあると 感じます〜
2016/06/18 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>ちょっと いきすぎだと 思いましたよ〜

私は「ちょっと」どころではないと思いました。この事件についてはインターネットに入っている記事を読んだだけなのですが、色々な面からとても奇妙な話しだと思いました。

こんなことをしたら大怪我をするか、死んでしまう可能性も十分にあったのに、保護責任者遺棄罪にならなかったのは日本独特の配慮(?)かな?... ニュースで親の行為を正当化するような「しつけのため」という言葉が使われていたのも気に入りませんでした。親が過激なことをすればするほど、子どもの自衛本能を発達させて、手におえない子にしてしまうのが普通なので、こんなのは躾とは呼べないと思うのですけど…。

>父が 帰りがよく遅くて これも閉め出しを食らっていて 門をよじ上ってるのに 警官にみとがめられて 母があやまったこともあり

あら、まぁ~! わけ隔てのない素晴らしいお母さまですね~♪ 私の父は、家族で唯一の働き手だったからでしょうが、特別扱いされていました。フランスの友人たちとの会話で、夕飯では父親だけ一皿多かったと話したら、「ボクの家も同じだった」という人がいました。穀倉地帯の農家で育った人で、チーズは貴重品なので父親だけが食べていたと聞いて驚きました。

それで、警官のお咎めを受けた後のお母さまは、締め出しするのを止められたのかしら、と気になります。

>日本では 親子心中よくありますね、、 子供だけのこして 不憫におもうのでしょうが 子供は親の所有物でないから これは 殺人です、、

不憫に思うからなのでしょうかね?… 親がいなくても立派に育つ子どもはいるのですから、自分ひとりで死ぬ勇気がないから道ずれにするのだ、と私は受け取ります。本当に我が子を不憫に思うなら、頑張って死にもの狂いで生きるか、「自分にもしものことがあったら、よろしく」と言って面倒をみてくれる人を探してから自殺すべきだと思う。

男女が互いに同意して心中するのとは違って、死にたいとは思ってもいない子どもを道ずれにするのは殺人以外の何物でもないと思うのですけど、そういう行為を美化するような「心中」という言葉が日本には存在するのですよね…。

フランスの教会で子どもの洗礼ミサをするときには代父母をつけますが、その子の親が死んだときには代父母が親の代わりになる責任を担っているのだと聞きました。良いシステムだと思います。そうなっていたら、親子心中というのはしないでしょうね。

>赤ずきんちゃんも こわいし 3匹のこぶたも オオカミのおなかをさいて 助ける (違ったかな?) チョット残酷な点が よくあると 感じます〜

子どものときの私は意識していなかったはずですが、童話にはかなり残酷な面があるので興味深いと思うようになりました。幼い頃には、追いかけられて怖い思いをする遊びに快感を覚えていたのを記憶しているので、子どもに受ける話しはそういうものなのかな?…。オオカミのお腹を割いて助ける話しは、赤ずきんちゃんのグリム童話バージョンで、三匹の子ブタは、豚がオオカミに食べられてしまうだけのお話しだったと思いますが、違ったかな?…
2016/06/18 | URL | Otium  [ 編集 ]
我家も父には お酒のさかなが なにか
一皿余分についていたような、、

父の閉め出しの件
そのごも 閉め出したかそれとも 母は
モウ辞めたか、、
父が その後は早く帰ってきた、、というのは
無い、、と 思います〜  (**)

おなかを咲いた話は
赤ずきんちゃんの いろいろバージョンの
ひとつなのですね、、
いい加減な記憶で、、

そういえば 日本でも
悪さをした狸を 狸汁にした、、という
はなしもありましたね、、
おお こわ〜 です、、
2016/06/19 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

閉め出されてしまうことがあっても、やはり食事では優遇されていたわけですか。事件(?)になっても何も変わらなかった?♪

そう、タヌキ汁なんてのもありましたね~。そんなものは食べないと思っていたのですが、調べてみると、存在する料理らしい。

あれは「かちかち山」だったかなと思って調べたら、キャ~。狸がお婆さんを食べちゃったのだ~!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%A1%E5%B1%B1

2016/06/19 | URL | Otium  [ 編集 ]
カチカチ山、狸汁の前におばあさんを杵でつぶして「狸汁」と偽っておじいさんに食べさせた、という結末でしたっけ・・・
お爺さんはそれと知らずにお婆さんを食べちゃったわけで、これは相当怖いお話だと思います。

日本の昔ばなしではなぜか悪者役の狸、そしてどこか間が抜けている。
カチカチ山に限って言うなら、ウサギもかなり怖いキャラクターだと思います。お婆さんの敵を取るためとは言いながら、ウサギのやることは、信じられないほど残虐です。

グリムの「白雪姫」も、悪い継母は釘をいっぱい打ちつけた樽の中に入れられて、咲かの上から転がり落とされて死んだはず。
釘を打ちつけた樽の中って、針先がそのまま樽の内側につき抜けているわけで、その樽の中に入れられて転がされたということは・・・・
これも考えるだに恐ろしい結末ですね。

子供の読み聞かせるグリムや昔話は残酷なシーンを抜かしてしまうことがほとんどです。子供たちにこうした残酷な場面を読ませたくないということらしいのですが、結論を出すのは難しいですね。ただ言えることは、かつて昔話(民話)は子供たちだけのものではなかったということ。大人も子供も一緒になって同じお話を楽しんだという事実かしら。。
2016/06/19 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

>お爺さんはそれと知らずにお婆さんを食べちゃったわけで、これは相当怖いお話だと思います。

これは民話の定番の1つなのでしょうかね。赤ずきんのフランス・バージョンを調べてブログに書いたときも、オオカミがお婆さんを料理にしたのを赤ずきんちゃんが食べてしまうということにしている民話があるので驚きました。

何年前だったか、パリに住んでいた日本人男性がフランス人のガールフレンドを殺して料理して食べたというショッキングな事件があり、そういう欲望を持ってしまう病気が紹介されていたのですが、何という病名だったか思い出しません。ひょっとすると、人間の潜在本能にあるのかな?…

>かつて昔話(民話)は子供たちだけのものではなかったということ。大人も子供も一緒になって同じお話を楽しんだという事実かしら。。

子どもは純真無垢なのだから、残酷ではない話を聞かせるべきだというのは、現代の感覚ではないかと私は思うのですけれど...。自分の子ども時代のことを思い出すと、大人になっている今と変わらない感覚を持っていて、社会の不条理もそのままキャッチしていました。高度成長期になる前の農村では、貧しい家庭では10歳にもなれば立派な働き手としてこき使われていたはず。その少し前の年齢の子どもに社会の悪い面は見せないと配慮するのは、限られた裕福な家庭でのことだったと思うのですけど…。それにフランスでは、母性愛は自然に生まれるものではないという主張があります。ボーヴォワールの『第二の性』もそうだし、バダンテールの『母性という神話』もそうだし…。

頻繁に飢饉があった時代や、戦争が絶えなかった時代の戦場では、普通の感覚ではできない非人道的なこともしていたはず。そんな生活をしていた時代には、もっと恐ろしい話しもあるということで残酷な民話が好まれたではないかという気もします。

>子供の読み聞かせるグリムや昔話は残酷なシーンを抜かしてしまうことがほとんどです。

グリム童話集は19世紀に出されているので、現代的な感覚で民話の残虐性や性の面などを書き換えていたのだろうと思います。でも、残虐性は完全には抹消してはいませんね。ペローの『おやゆびこぞう』は、グリム童話なら『ヘンゼルとグレーテル』だと気が付いたので書き足しました。こちらのバージョンでは、お菓子の家の魔女をカマドに入れて殺しているので、ペロー版より残酷なストーリーだと思いました。

だんだん恐ろしくなっていった グリム童話:
http://www.kyokyo-u.ac.jp/outline/kankobutsu/kouhou/pdf/120_kenkyu.pdf

19世紀も明るい時代ではありませんね。悪者を征伐する話しに仕立てるといういうのは、ナチスや帝国主義を生み出す土壌になるかとも思ってしまう…。
2016/06/19 | URL | Otium  [ 編集 ]
思い出しました!
白雪姫の継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、たるの中に押し込められたんじゃなかったかしら??
これでもか!というほどの「おしおき」ですよね。

>子どもは純真無垢なのだから、残酷ではない話を聞かせるべきだというのは、現代の感覚ではないかと私は思うのですけれど...。

私も全面的にそう思います。
現実世界ではもっと恐ろしいことが起きていて、テレビでは微に入り細に入りの報道がなされていることを考えると、物語の世界だけ目隠しするという感覚はアンバランスだとおもいます。
そもそも「子どもは純真無垢」だというのは錯覚ですよね。
子供はOtiumさんがおっしゃるように、極めて冷静かつ残酷な一面を持っています。
社会性が未熟な故の残酷さというのもありますが、ウィリアム・ゴールディング 「蠅の王」にしても、コクトーの「恐るべき子供たち」にしても、邪悪かつ魅力的な少年たちが登場します。彼らは悪を為すことに関して、立派に「大人」です。

それにしても、赤ずきんちゃんがおばあさんを(騙されて)食べてしまうというバージョンがあったとは知りませんでした。
赤ずきんちゃんに関しては、いろいろな昔から精神分析的な解釈がされているようですが、私は昔話(民話)を分析する、という手法に疑問を感じます。
不条理は不条理のままでよいではありませんか。
だって人生なんて不条理の連続ですもの。
昔話の「闇」は必要な闇、何にでも説明をつけてわかった気になるというのは、一種の現代病かもしれません。
2016/06/19 | URL | aosta  [ 編集 ]
ふと挿絵が気になってよお~く眺めてみました。
エッチングはドレの作品なんですね!
2016/06/20 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

>白雪姫の継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて、たるの中に押し込められたんじゃなかったかしら??

実は、私は白雪姫にそんな怖い話しが入っていたとは全く記憶になかったのです。色々なバージョンがあって、私が読んだかディズニー映画で見たかのストーリーでは、その部分を省略していたのではないかと思います。

真っ赤に焼けた靴を履かされて、死ぬまで踊らされた、というバージョンもありますね。この発想はものすごいと思いました…:
http://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/42308_17916.html

グリム童話のバージョンでは、実母の話しだったのに継母にしたりしていたらしい。実母なら子どもを可愛がり、継母は子どもを虐待するという単純な図式にはならないと思うのですけど…。

>現実世界ではもっと恐ろしいことが起きていて、テレビでは微に入り細に入りの報道がなされていることを考えると、物語の世界だけ目隠しするという感覚はアンバランスだとおもいます。
>彼らは悪を為すことに関して、立派に「大人」です。


そうですよね…。現代では人をどんどん殺してしまうバーチャルゲームもある。子どもを健全に育てるのは難しいけど、子どもは親の背中を見て育つ。「こうあるべきだ」と童話などで教え込もうとするよりは、親が日常生活の中で清い生き方を見せる方が大事だと思うのですけど、そうはできない親たちもいるのですよね…。

>昔話の「闇」は必要な闇、何にでも説明をつけてわかった気になるというのは、一種の現代病かもしれません。

研究テーマとしては、とても面白いだろうとは思うのです。でも、考古学もそうだけれど、結論を見つけたと思っても間違っている確率が高い学問は空しいと私は思ってしまう…。
2016/06/20 | URL | Otium  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

>ふと挿絵が気になってよお~く眺めてみました。 エッチングはドレの作品なんですね!

ドレだと注目してくださって嬉しいです♪ 童話の話しをブログに入れるときには、挿入できる画像を探すためにWikipediaの公開画像を見比べて、どれを使わせてもらおうかと眺めるのですが、ギュスターヴ・ドレの挿絵は卓越していると思うので、それがある場合には優先して選んでおりました。

少し前に教えていただいてブログにメモした童話『キスなんか だいきらい』の作家トミー・ウンゲラーは、ドレと同じにストラスブールの人。このタッチは、ドレの雰囲気を出そうとしたのではないかな… と思っておりました。
2016/06/20 | URL | Otium  [ 編集 ]
両論客の 素晴らしいやり取りに
わたくしは 観客席で やんやの 拍手です〜

子供は純真無垢な者、、というのは
間違いで、、
ワタシモ同感、、自分の事を鑑みても
幼稚園のころに かんじた 思いは
いまと ちっとも 変わらず、、で
そこに もすこし すれた ずるさや すこしは 加わった 深慮や 知識 忍耐等が  衣をきせて
大人っぽくみせていった、、ということでしょうか
しら、、
小学校4年くらいからの 感性は
まったく いまと 同じといっても
いいすぎではないような、、

父が買ってきてくれた「不思議の国のアリス」の
おとなっぽい すこしこわい エッチングの?
挿絵もおなじ 画家かとおもったら
調べたら
これはジョン テニヨルという画家でした、、

日本の民話にでてくる
鬼は 遭難して流れ着いた異国人
カッパは 間引きで すてられた 子供たち、、と
言う説もあります、、
童話も 悪い者がかならずしも 最後はこらしめられる、、ということではないので
これは 「世の中 良き人ばかり、、いいことばかりでは ないいんだよj」という
教訓も こめてるのかしらん??
2016/06/21 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>小学校4年くらいからの 感性は まったく いまと 同じといっても いいすぎではないような、、

そうですよね。親は矯正しようとするけれど、子どもの感性は変わらない。子どもの欠点を良い方向で花開かせるようにするのが、理想的な親のすることだと思っています。そうしてもらえなかった個人的な妬みですけど(笑)!

>「不思議の国のアリス」の おとなっぽい すこしこわい エッチングの? 挿絵もおなじ 画家かとおもったら 調べたら これはジョン テニヨルという画家でした、、

「不思議の国のアリス」は、なんだかアレルギー症状があるので、大人になってからも話しの筋さえ追ってみたことがありません。ジョン・テニヨルも誰だか知らないので画像を調べたら、すごく不気味。ギュスターヴ・ドレとほぼ同時代の人なのですね。ドレの方には、気候が悪いからではないかと思っているイギリス独特の陰気さはないように思うのですけど…。

>日本の民話にでてくる 鬼は 遭難して流れ着いた異国人 カッパは 間引きで すてられた 子供たち、、と 言う説もあります、、

カッパは間引きで捨てられた子どもというのが面白いと思いました。なんだかイメージがつながります。

>「世の中 良き人ばかり、、いいことばかりでは ないいんだよj」という 教訓も こめてるのかしらん??

私がひねくれているのでしょうけど、童話のハッピーエンドというのはバカバカしくて好きではありません。いくら相手が悪者でも、殺したり、残酷な殺され方をしたと聞いたら、人間として後味の悪さが残るのが普通だと思うし。

フランス映画では、その後はどうなったのか分からないところでポツリと終わらせるのが定番になっているので、終わりの場面になると「またか~!」と思うのですが、その後にどっちに転ぶかはケースによるのが現実かもしれないな…。
2016/06/21 | URL | Otium  [ 編集 ]
↑ 間違いました
カッパは間引きされた子供なのですが
漂着した異邦人は 
私が聞いてるのは 「鬼」でなく
天狗です〜
赤い顔や 鼻が長いところから 想像は
容易ではありまする〜
2016/06/21 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

再度の情報提供、ありがとうございます♪ 鬼にそっくりの顔をしている日本人はいるけどな... と、ちらりと思っていたのでした(笑)。

天狗は謎が多くて、それは漂着した異邦人を描いたと言われると、なるほど... と思います。鼻が高くて、下駄で背丈を高くしていて、頭に何かのせているというのは、単に想像で生まれたとも思えませんので。

イスラエルの「失われた十部族」の一人が日本にたどり着いたという説に熱をあげている人たちがいらっしゃいますが、それが天狗の姿で現されているというのは興味深いと思っております。妙に納得してしまう類似点もあるので。
2016/06/21 | URL | Otium  [ 編集 ]
Otiumさん、katanankeさん、おはようございます。
さあ、これで役者が揃いました(*^^)v

話題になっておる「不思議の国のアリス」の挿絵は、初版の際、用いられたものですね。
頭でっかちで不均衡なアリスのも、にやにや笑いだけを残してきえてしまうチェシャ猫も、赤の女王、も確かにみんな不気味で、なんだか悪夢をみているような不安感を覚えることがあります。
多分この挿絵画家は、テニヨルではなくジョン・テニエルではないかと思われますがいかがでしょうか(^^♪
それにしてもテニエルがドレと同じ時代の人だったとは!
Otiumさんに指摘していただくまで、考えもしませんでした。
どちらもモノクロのエッチングですか、雰囲気は全く異なりますね。
大陸とイギリスとの気候の差や文化的風土の違いもあるのでしょうか。
テニエルは少しへそ曲がりというか、シニックな感じ。ドレはより詩的な作家といったら、テニエルファンに怒られるかしら(笑) 


>童話のハッピーエンドというのはバカバカしくて好きではありません。いくら相手が悪者でも、殺したり、残酷な殺され方をしたと聞いたら、人間として後味の悪さが残るのが普通だと思うし。  by Otium

映画の話になりますが、ハリウッドものって、ほとんどが勧善懲悪の、このパターン。物語のその後は、見ている人に預けるというか、余韻のあるエンディングで、私はちょっぴり複雑な思いを残すヨーロッパの映画の方が断然好きです。
国民性もあるでしょうが、ハリウッドものがヒットするという現状は、もしかしたら「曖昧さ」を受容できない時代の、不寛容性の現れかなとも思います。
つまり、大人じゃない。

>漂着した異邦人は  私が聞いてるのは 「鬼」でなく
 天狗です〜  by Katananke

そうそう、これこれ!
先日の能面「武悪」のイメージは私にとって、シルクロード経由の異国人か、もしくは、この漂着した異邦人のイメージなのです。極東の島国という閉ざされた世界に入り込んできた異形の人間、というのは、当時の日本人にとって、ものすごくインパクトがあったのではないでしょうか。それが「武悪」という造形につながって行った・・・・というのがaosta説であります(笑)
しかしながら、ここからイスラエルの「失われた十部族」に話が飛ぶところは、さすがにOtiumさん!
実はこれに関しては、私も前々からとても興味があるのです。
諏訪大社、上社前宮の御神体は守屋山と呼ばれる山なのですが(これ自体は山岳信仰が盛んな日本では珍しくない)、この「もりや」を旧約聖書に出てくるモリヤ山に因んで名付けられたと考える人たちが、研究のためにたびたび諏訪を訪れるのですよ。いわゆる「日猶同祖説」です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96

この話、長くなりそうなので、今回はここまでにします(笑)
2016/06/21 | URL | aosta  [ 編集 ]
Re:
v-22 aostaさんへ

先にお返事させていただきますが、katananke 05さんも登場してくださるかな?...

>挿絵画家は、テニヨルではなくジョン・テニエルではないかと思われますがいかがでしょうか(^^♪

検索したら少ししか出てこなくて奇妙に思ったのですが(同じタイプミスした記事がヒットしわけですね!)、John Tennielが出てきたので、それを眺めていました。カタカナ表記が違うというのには気が付いていませんでした!

>テニエルは少しへそ曲がりというか、シニックな感じ。ドレはより詩的な作家といったら、テニエルファンに怒られるかしら(笑) 

テニエルは風刺漫画作家なのでしょうね。ドレは油絵も美しくて、芸術性が高いと私は思ってしまうのですけど。フランスの風刺画といったら、頭でっかちな絵もよく描いたオノレ・ドーミエを思い浮かべますが、やはりテニエルとはどこかが違うのは国民性かな?…

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Liberal_Wars.jpg#/media/File:Liberal_Wars.jpg


>ハリウッドものがヒットするという現状は、もしかしたら「曖昧さ」を受容できない時代の、不寛容性の現れかなとも思います。 つまり、大人じゃない。

なるほど…。そういえば、フランス人はアメリカ人のことを「大きな子ども」と言うな…。

フランスに出会った頃、ここは大人のための社会が形成されている国だと思いました。子どもたちは早く大人になりたがる。私より背の低い小学生の男の子が、私のスーツケースを持って駅の階段を登ったときには、彼はけなげにも大人の男性がするようにレディファーストをやりたいのだろうなと思いました。

でも、最近の少子化でフランスも変わり、成人しても子供っぽいことをしているのが目につくようになりました。フランス映画も変わるかな。あるいは、もう変わっているのかもしれない。最近のフランス映画はつまらない作品ばかりなので見ないため分からないです。

>先日の能面「武悪」のイメージは私にとって、シルクロード経由の異国人か、もしくは、この漂着した異邦人のイメージなのです。

そうですね。そうするとシラク氏に似てしまっているのも納得できます。鼻の高さはどうだったかと、学芸員が持って動かしている動画を再び眺めたのですが、横に広がっているだけではなくて高さもある。これはカリカチュアにあるユダヤ人の鼻ではないかとも思いました。

今でも日本人の中には、外国人を前にすると平常心がなくなって豹変してしまう人たちさえいるので、昔だったらすごいインパクトだったでしょうね。

神道や相撲に見られるユダヤの特徴。面白いですね~。昔といえども遠い距離を移動できたので、日本にも色々な文化が入ってきていたことは自然だと思います。日本独特の文化だとされている神道が、実は外来文化だったとなると困る人たちもいるのだろうな...。

でも、言われていることのどこまで真実なのかは分からない。日本人がイスラエルを建国して、それから故郷の日本に帰った、なんて言っている人もいるのですから、ちょっと呆れてしまいます。
2016/06/22 | URL | Otium  [ 編集 ]
ぎゃああ〜
ここまで 論議、、わたしなら お話、、と書くところですが 、、すすんでいるとは お二方の
博識ぶりに おどろくばかりです、、

ここに 残してくださっている裏の URL の 説をよめばよむほどに
こんな 説があちこちに いいかわされているとは
驚きです、、
アブラハムの息子の生け贄の
話がそっくりの神事で残っている
守谷山の 神社の話とか、、
ひえ〜ひえ〜
でも ユダヤ人と日本人が DNA が にかよってるとはきいたことないから
何かの事情で ただ 伝わってきた、、ということかではないか、、としか 思えないです〜
アンビリーバーボー、、です〜

ところで otiumさんは 
madame ou monsier ? 謎、、
2016/06/22 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-21 katananke 05さんへ

わぁ、katananke 05さん、ご登場♪

>でも ユダヤ人と日本人が DNA が にかよってるとはきいたことないから 何かの事情で ただ 伝わってきた、、ということかではないか、、としか 思えないです〜 アンビリーバーボー、、です〜

日本に来たというのをDNAからも熱心に証明している人たちがいるのですよ~。アフリカから人類が世界に拡散したという学説を歪めて使っているのではないかと私は思うので、リンクは入れたくないですが。

>ところで otiumさんは  madame ou monsier ? 謎、、

あら~、嬉しいご質問♪ 性別や年齢で「こうあるべきだ」とされるのは嫌いなので、ブログでも曖昧な書き方にしているつもりなのですが、チラリとバレルてしまっているだろうな、と思っておりました。でも、性別に関しては成功していたのだ~♪

私の兄弟は兄だけで、読む本はおさがりなので、男の子が読むような本ばかり読んでおりました。気難しい彼が「こんなのは着たくない」という服も、ノンキな私は着ておりました。それが原因なのか、男性を相手にすると辛辣なことでも言いたいことを言えるリラックスさがあるのに、女性を相手にすると気を使わなければいけないのだろうという緊張感で戸惑いを感じます。というわけで、私はムッシューだと思っていただいた方が居心地が良いのであります。
2016/06/22 | URL | Otium  [ 編集 ]
おお!katanankeさんも(*^^)v

すみません、明後日のコンサートほかで、信じられない忙しさ! 
書き込みしたい気持ちはモリモリです。少しおまちくださいませ。
2016/06/24 | URL | aosta  [ 編集 ]
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