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2016/08/17
たまたま見たテレビのドキュメンタリー番組のタイトルが不思議でした。

「世界で最も幸せな人」と題されていたのです。

私が人から「幸せね」と言われたら、バカにされたと思います。人から助らることが多いので運が良いとは感じますが、自分が幸福な星のもとに生まれたとは全く思っていません。この世に生まれて良かったとか、まして生んでくれた親に感謝するなんてことを思ったことはありません。

そんな捻くれた思いは抱かずに、自分が幸せだと感じている人はいるとは思います。でも、地球上に70誰人もいる中で、誰が最も幸せかなんて決められるものではないのですから、奇妙ではないですか?


世界で最も幸せな人だと言われるマチウ・リカールとは?

ドキュメンタリーで取材されていたのは、チベット仏教僧となったフランス人、Matthieu Ricard(マチウ・リカール)でした。

その番組のビデオは、インターネットでも見ることができます:
Matthieu Ricard, l’homme le plus heureux du monde 14/08/2016

Matthieu Ricard 2008彼は1946年生まれなので、今年70歳。

父親は哲学者のJean-François Revel(ジャン=フランソワ・ルヴェル)で、母親は画家のYahne Le Toumelin。

パストゥール研究所のフランソワ・ジャコブ教授(ノーベル医学賞受賞者)の指導のもとに分子生物学で博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の道に入ったのだそう。

番組に映し出されていた彼は、元気で、本当に幸せそう。

笑顔が印象的でした。地震の被災地を訪れた場面でも、彼は笑顔でいるのでした。

でも、偽善的な印象は全く与えません。

日本で田舎に行けば、同じような笑顔を見せる人はたくさんいます。でも、こういう、くったくのない笑顔をするフランス人は非常に稀なのです! フランス人たちは文句を言ってばかりいるので、おしゃべりをしていてウンザリすることが多いのです。

番組を見ていて、彼は幸せなんだろうなと思いました。

僧侶となって、本もたくさん出版し、そういうところにいるのを利用して写真家でもあり、マスコミからも引っ張りだこ。つまり、選んだ道で、ちゃんと生計の道もたてているわけで、好きなことをしながらの生き方を実践できるわけです。映像を見ていて、非常に頭脳明晰な方なのだろうなと感じました。

マチウ・リカールが「世界一幸せな人」と言われるかというと、彼がフランス人だから、フランスでそう言っているだけなのだろうと思ったのですが、そうではなかった。

彼の脳波を測定したら、幸せや肯定的情緒を表すとして知られている左前頭葉が非常に活発だった。他のチベットの修道僧たちも似たような数値だったけれど、マチウ・リカールが最初の実験対象であったために世界初で最も幸せな人と公認されたようです。


幸福学?

マチウ・リカールは、日本でもかなり知られている方のようでした。著書の日本語訳が何冊も出ているのでした。

マチウ・リカールの著書を検索


マチウ・リカールは「幸福学の研究者」だという紹介もありました。

そんな学問があるとは知らなかった。不穏な空気が広がっている21世紀なので、幸福だと感じようとするのが最近は流行っているのでしょうか?


「幸せ」について知っておきたい5つのこと NHK「幸福学」白熱教室


私は「幸せだ」と感じるのは錯覚を持つことだと思っているので、どうやったら幸せになるかなんて勉強したいとは思いませんけど...。

マチウ・リカール氏が英語でした講演に、日本語字幕が入っている動画も見つかりました:
マチュー リシャール 幸せの習慣


同じ講演を文字での解説を入れているページもあります ↓


幸福とは何かについてマチュー・リシャール氏が語る


こういうのを先に見ていたら、彼がどんな生活をしているかを紹介するドキュメンタリーを見る気にはならなかったと思います。

それにしても、彼は流暢に英語を話しますね。と言えるほど私には英語能力がありませんが、少なくともフランス人が英語をしゃべっていると分かるフランス訛りが全く感じられません。

例えば、世界的に活躍している経済学者のトマ・ピケティの英語はフランス人が喋っているというのが丸だしで可愛いのですけど、それとは全然違う。

ところで、上にリンクした日本語字幕入りの講演を紹介する記事では、「マチュー・リシャール」という名前の表記になっていました。インターネットで検索すると、「マチウ・リカール」と「マチュー・リシャール」の両方でヒットしました。

Matthieu Ricardの「Matthieu」というファーストネームをカタカナ表記するなら、「マチウ」よりは「「マチュー」の方が近いと私は思います。

でも、 Ricardを「リシャール」にしたのはなぜなのかな?

フランス人の名前として「リシャール」は存在していて、「Richard」と綴ります。

Ricardはフランスの有名な酒造メーカーの名前でもあり、こちらは日本でもフランス語の発音通りに「リール」となっています。

哲学者として知られているマチウ・リカールの父親の苗字はルヴェルなのですが、もともとの名前はリカールだったのだそう。

お酒のリカールと言えばパスティス。パスティスといえばマルセイユなのですが、リカール氏の父親はマルセイユ生まれでした。そんなことで面白がってはいけない!

「リカール」を「リシャール」にしたのには何か理由があったのかな?...

でも、そんなことは大きな問題ではないと思う。理由を探してみる気にはならないので放置。

気になったのは、こちらです。


フランス人にとっての仏教とはチベット仏教なのだろうか?

ダライ・ラマ14世(2012年10月)マチウ・リカールはダライ・ラマ14世の通訳者なのだそう。

ダライ・ラマはフランスではよく知られた人で、彼はパリの名誉市民にもなっています。

フランス人たちには判官びいきの傾向があるので、中国から弾圧されているチベットの肩を持つのかなとも思いました。

でも、ダライ・ラマのフランスでの人気は、マチウ・リカールによるところが大きいのかも知れない。

ダライ・ラマ14世のお顔は、私には人間くさ過ぎるように見えてしまいます。なんとなく麻原彰晃を思い出させるとまではいわないけれど。

右の写真をWikipediaからお借りしながら記事を読んだら、嘘か本当かは知らないけれど、この二人には関係があるという記述がありました。なんとなく、ありえそうな気もする...。

ー ダライ・ラマ14世は、オウム真理教から布施の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都で宗教法人格を取得した際には、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援した。


それはともかく、フランスには仏教徒がかなりいるのだそうです。

フランス仏教徒連合(Union bouddhiste de France)の発表では、フランスにいる仏教徒の数は約80万人(1986年)。フランスの人口は日本の半分くらいなので、この数からいくと、人口の1%が仏教徒というので意外でした。私の知人の中に仏教徒は一人もいないので。

人口の1%といえば、フランスのユダヤ教信者の割合になります。ユダヤ教の方は、パリではよく見かけるし、テロで狙われたりするニュースを聞くので、かなり目立つのですけれど。

仏教に好感を持っているフランス人は500万人くらいいる、と言った社会学区者もあったそうです。

これはあり得るかな。Zenはフランス語になっていて、禅に好意をもっているフランス人はとても多いと感じますので。Taisen Deshimaru

フランスに禅を広めたのは曹洞宗の僧侶Taisen Deshimaru(弟子丸泰仙 1914~1982年)で、彼は1967年に渡仏して布教していました。


フランス人にとっての「禅」は、宗教というより、精神のあり方としてとらえているのではないかという気がします。フランス語のZenは、座禅を離れて、「冷静」という感じの意味でも使われていますので。

禅は日本の文化として捉えられ、仏教といえば、フランス人にはチベット仏教のイメージが大きいのではないかな?...

ブルゴーニュ南部にも、仏教の施設があります。近くを通ったときに友達が立ち寄ろうと言いました。

私を喜ばせようと思って連れていってくれたわけですが、懐かしくなるような気にはなりませんでした。むしろ、違和感でいっぱい...。

私が日本で見慣れているお寺とは全く違う。ともかく、カラフルなのです!


Temple des mille Bouddhas / Dashang Kagyu Ling

Googleマップで見ると、こちら

ここには2回立ち寄っていますが、中に入ったことはありません。名前が「千の仏陀の寺院」となっているので、そんなにたくさん仏様の像があるということなのかな?...

このお寺の動画があったので入れておきます。


Dashang Kagyu Ling -Temple des Mille Bouddhas - Plaige La Boulaye 71 - GMP


ネパールに行ったときの仏教建築物は、この雰囲気だったかな?... でも、こんなにケバケバしい色は使っていなかったように記憶しているのですけど。


不思議な魅力があったネパール

マチウ・リカール氏は、ネパールにある修道院で生活しているとのこと。そこで生活していると言っても、マスコミに頻繁に登場するくらいですから、頻繁にフランスには帰ってきているだろうし、世界中を旅行しているのではないかと思います。

ネパールは日本からの団体旅行で1週間ほど滞在しただけですが、不思議な魅力を感じました。ヒマラヤ山脈が、ヨーロッパのアルプス山脈にはない神々しさを感じたのです。

それに、西洋とアジアの文化の接点になっているような雰囲気も感じられるので興味深い。

リカール僧侶が瞑想しながら心の平安が得られるというのも、ヒッピーが集まったのも理解できる気がします。

発展途上国に行くと、金持ちは先進国より裕福な生活をしているのが目についてしまうのですが、ネパールは誰もが貧しいという感じで、貧富の差が目立たないことにも好感を持ちました。

王様さえお金持ちではないように感じて、平和な国というイメージを持ったのでした。旅行から何年もたったとき、ネパールで王族の殺人事件があったとニュースで聞き、短い旅行しかしなかった私は甘ちょろい感想を持ったのだろうなと思いました。


ネパールで私の目に付いたのは、洗濯物を干すようにあちちこちにあった旗でした。これは祈祷旗で、タルチョーと呼ぶのですね。

 

フランスの友達の娘さん夫婦がヒマラヤに行ったとき、旗をお土産に買ってきて家に飾っていました。



娘さんは仏教が気に入ったそうで、文字が特に気に入ったと言う。日本から筆で書いた文字がある額でも買ってきてプレゼンントしてあげようかと思ったのですが、日本的で地味な白黒の書画をイメージしているのではないような気がしたので止めました。



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外部リンク:
☆ Wikipédia: Matthieu Ricard
Matthieu Ricard : halte au “zoocide” !
慈悲の瞑想の神経科学15~慈悲の修行を積めば自分で悩まず相手の苦に対処できる
Matthieu Ricard: How to let altruism be your guide マチウ・リカール: 愛他性に導かれる生き方
☆ NAVER まとめ: 幸福学のまとめ
☆ Wikipédia: Bouddhisme en France
Trouver un centre bouddhiste en France.
チベット仏教の歴史と特色
行く前にこれだけは知っておきたい「チベット仏教」
色と思想について
フランス人がzenというときの意味


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コメント
この記事へのコメント
人間の幸せとは 何ぞや♪
それは
この世に 生まれてこないこと なのだ ♪

仏教ですか、、
はたして 釈迦は万民を救済しようと
意図しておられたのかしら??

仏教とは 小乗仏教 合理的な思想
哲学と ぼくは考えています。

というわけで 禅
悟りについては 井筒俊彦さんが
『意識と本質』で述べられている説に
ぼくは 与するものです。
http://kyodatsu.hatenablog.com/entry/2016/04/26/001558

マスコミに登場なさる 学者も僧侶も
すべて 胡散臭くて 苦手です。。。

ちなみに ぼくの 幸せとは、、
なにかの 問題を解いている時
「69」という数字に拘って調べてますけど
69の二乗は 4761
69の三乗は 325809
0から9までの数字が 一つずつ♪

このような性質を有する数は 69だけだそうですけど、、、

今は 離散数学の お勉強で世界一幸せ♫

たとえば
「同じ形の 爪楊枝 10本を 8人に分配する方法は
何通りあるか?? 一本も分配されない人がいてもよい」

なんて 問題を解いて幸せな気分に浸っています。

>娘さんは仏教が気に入ったそうで、文字が特に気に入ったと言う。

梵字でしょうかしら?
見た目は たしかに 面白い形ですね
エジプトのヒエログリフも ぼくは
好きです。
2016/08/17 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: 人間の幸せとは 何ぞや♪
v-22 たかゆきさんへ

>この世に 生まれてこないこと なのだ ♪

私も、そう思います。生まれてきてしまったからには、それで良かったと思いたくなるわけですが、だからといって「自分は幸せなんだ」と思い込もうとするのを見るのは辛いです。

生まれてきてしまった苦悩が大きければ大きいほど、そして努力して、さらに才能があれば、後世の人に感動を与えることができたという生きたことによる価値を作り出すケースもある。でも、そんなのは自分が幸せだと思うこととは無関係...。

>悟りについては 井筒俊彦さんが 『意識と本質』で述べられている説に ぼくは 与するものです。

リンクしてくださったページを読んだだけですが、現象学でいうLebensweltを思わせるので、あれっ… と思いました。神様の存在とか主義とかに拘束されないで真理を追究したら、到達する方向があるだろうと思います。

>マスコミに登場なさる 学者も僧侶も すべて 胡散臭くて 苦手です。。。

私も胡散くさいと感じてしまう方です。

浮世を離れて瞑想生活をしている僧侶が登場してトツトツと話したら、話しが下手でも感動があるだろうと思うのですが、このピカール氏は講演が上手すぎる。適度に笑わせて聞いている人を退屈させないというアメリカ的なスピーチ・テクニックが鼻につきました。しかも、聴衆が笑っている部分の翻訳には「笑い」なんて文字まで入っている。小学校のときにNHKの番組がやってきたとき、「こういう風に手をグルグル回したら拍手してください」と言って練習させられ、舞台の袖でそれをやる係りの人がいたのを思い出して不愉快になりました。みんな素直にやっていましたが、へそ曲がりの私は絶対に拍手しなかった。

>このような性質を有する数は 69だけだそうですけど

フランス人にとっての69はアラビア数字の形だけを見ているわけですが、たかゆきさんにかかると深い意味が出てくるのだ…。

>梵字でしょうかしら?

梵字ってどんなだったっけ? と画像検索して眺めたのですが、非常に美しいですね…。アラビア文字みたいと思ったのですが、「2500年前にアラビア文字から派生した」と出てきました。

>エジプトのヒエログリフも ぼくは 好きです。

梵字ほどに洗練されていると私には見えませんが、興味深い文字ですね。フランスからのツアーでエジプト3週間の旅に行ったときには、フランス語を流暢に話すエジプト人のガイドさんがヒエログリフの読み方について非常に詳しく説明していました。せっかくエジプトに行ったのだからと、日陰で長々と行われる講義は無視して勝手に見学していた私は何も覚えなかった。でも、最後にガイドさんがテストというのをやったときには、メモまでとって熱心に聞いていた人たちも正解を出せなかったので、聞かないでいたのも悪くなかったのではないかと思ってしまいました。

それにしても、私が美しくないと思う世界の文字のトップはタイプしたアルファベットで、無理に作ってしまったハングル文字も美しいとは感じない…。

古い文字は美しいのだと思ったのですが、検索したらオガム文字というのが出てきた。これは、つまらない…。
http://www.geocities.jp/p451640/moji/skm/23/skm_23.html
2016/08/17 | URL | Otium  [ 編集 ]
この世に生まれてこなかった事が
幸せ、、、

きのう我が家の  カーポートの軒先に アシナガバチが
巣を作っていて
夫と殺虫剤と キュー(玉突きの棒)をつかい
落として 蜂を殺したときに
ふと、、自分は 蜂に生まれてこなくてよかった、、と 何気なく思った事を
思いましたよ、、
でも 蜂は 奇麗な花から 蜜を集め、、子供を育てる事に 幸せ、、をかんじていたかも、、
(感じた、、??)

生まれた以上は 小さな事にも
幸せ、、と感じられる 感性をもちたいわ〜

それにしてもブルゴーニュの お寺は
チベット仏教のお寺ですね、、
カラフルな籏もひるがえってるし、、
日本のわびさびが感じられる 貧相な(と 見える)
古びた木造のお寺とは 真逆の 印象です〜
2016/08/18 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>自分は 蜂に生まれてこなくてよかった、、と 何気なく思った

そういう捉え方をしたことがない私には少しショッキングなお言葉でした。幸せだとか、不幸だとかで判断するのは、文明を築いてしまった人間が背負ってしまった不幸ではないかと感じるのです。

家にやって来る野良猫は、飼い猫たちを横目で見て「自分は不幸だ」とやっかんでいるわけではない。家にいる猫たちも、食べ物をもらいにくる野良猫を見て「自分は彼らより幸せなんだ♪」と優越感に浸っているとは思いません。可愛がっていた猫の死に何度も立ち合いましたが、彼らは病気で苦しんでいるのを嘆くでもなく、もうすぐ死ぬのを恐れるわけでもなく、静かに死を受け入れて旅立っていきました。こういう風に尊厳な死を迎えるのは人間では悟りの境地を得ない限りできないことだな… と考えてこんでしまいます。

あるがままの人生を受け入れて、自分は不幸だなどと嘆かず、自分は幸せなのだと優越感に浸ったりせず、自分の一生をまっとうするように導くのが本来の宗教ではないかと思っているのですが、どうなのでしょう?…

>日本のわびさびが感じられる 貧相な(と 見える) 古びた木造のお寺とは 真逆の 印象です〜

あら、まぁ~♪ 「貧相」という言葉を使ってしまいますか?! 日本の仏教建築は千倍も洗練された美しさがある、と私は思っているのですけど(笑)。インドの仏教建築に見る石の彫刻は、フランスで見るロマネスク教会の彫刻を思わせるところを感じて違和感を持たないのですが、こういう原色は…。でも、ネパールで見た人たちの民族衣装の色彩は印象的でした。強烈な原色なのですが、太陽の光線の加減なのか、全くケバケバしい感じが全くしないので不思議なのでした。食べ物も、その土地で食べるのが最高。文化も、それと同じだと思う。別の場所に持ってきてしまうと、私には違和感ばかり…。
2016/08/18 | URL | Otium  [ 編集 ]
↑ 「貧相な」と 思える、、と
括弧をつけたのは そう見る 外の国の方々も
多いのかな、、という  反対サイドから見た 言い方で
わたし自身は とても  シンプルで かえって
そぎおとされた PUREなものを
感じていて 好きなのですよ〜

地上にある物にはみな  そこにある事に
意味がある、、とおもっていますが
玄関先の蜂には ごめん、、と
叩き落としました〜
逆襲をくらい 恐かった、、
2016/08/19 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

「貧相な」の意味はそうでしたか~。

普通のフランス人は、しぶいというか、シックというかの色合いが好きなので、こういうカラフルなチベット仏教の建造物に抵抗を感じないのかな... と不思議に思っております。

イタリアのフィレンツェに行ったとき、陶器を売っている土産物屋さんでフランス人が伝統的なマヨリカ焼きの壺を買いながら、「なんであんなにドギツイ色の陶器も売っているのだ」と店員さんに言ったら、「あれはアメリカ人向けです♪」と答えていたのが印象に残っています。

毒蜂は怖いですよね。家の壁に巣を作ってしまったので消防隊に退治してもらったことがあります(有料)。かなり大がかりな退治作戦でした。
2016/08/19 | URL | Otium  [ 編集 ]
前のコメに「地上にあるものには 皆
そこにある事に 意味がある」と 書いたワタシですが
偶然 今朝の新聞に
南方 熊楠の言葉で
「世界にまるで 不要のものなし」というのが
出ていました〜
南方は 和歌山出身の 粘菌を生涯 研究〜
アカデミズムから はなれ 奇人ともいわれる
破天荒な生き方をした
明治はじめうまれ?の 学者です、、(1867〜)
彼いわく
「多くの菌類や黴菌は、誠にせっかく人の
骨折って拵えた物を腐らせ、にくむべきのはなはだしきだが、これらが全くないと物が腐らず、世界が死んだ物で塞がってニッチもさっちも
ならず」
と書いております〜
エコロジーという思想がまだ確率してなかった時代に 経験から生態系を 守る重要性に
気付いた 希有な学者です〜
2016/08/21 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

南方熊楠はユニークな方ですね。鎮守の森が失われることを危惧して神社合祀令に反対したというのにも同感を覚えます。なくても良いかも知れない雑木林ですが、その土地の人々の心に与えるという不思議な魅力を感じたことがあります。

>「世界にまるで 不要のものなし」

フランスの田舎では牧畜が盛んなせいで蠅が多く、夏に庭で食事しているとおびただしい数の蠅がよってきます。それを追い払いながら「蠅なんかがいるのは、神が存在しないという証拠だ」と怒っている友達に、「ハエは死体を処分するという役割を持っている」と言ったら、矛先はアブに代わりました(笑)。アブが何かの役にたっているのかは知らないので、言わせておきました。

この世に不要なものは生まれないというより、自然に循環できるようなシステムが地球で進化してきたのではないかという気もします。今では自然の中に放置しておいても消えない物質で溢れているので、今後はどうなるのかな?…

百万年以上たたないと消え去らない放射性物質まで作って地球にばらまくようになりましたが、そういうものを食べて消し去ってくれるキノコのようなものが、そのうち生まれてくるのかもしれない。あるいは、地球にいる生命は人間が消滅させて、ただの天体になるときが来るのか?…
2016/08/21 | URL | Otium  [ 編集 ]
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