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2016/10/12
友人仲間でブルゴーニュ南部の1泊旅行をしました。ワインと山羊のチーズを買って、ついでに観光もするというスケジュール。

宿泊することにしたのは中世のお城のB&B民宿でした。よく利用している人が電話で予約を入れてくれたのですが、民宿の経営者から、もしも自分がいなかったら、よく知っているのだから予約した部屋に入っていてください、と言われたのだそう。


中世の城が私好み

この城のB&B民宿を私が利用するのは3回目かな。写真アルバムで確認したら、前回に行ったのは、もう10年くらい前だったようです。

その時に撮っていた、城の全景写真です ↓



中世の要塞として建てられて、18世紀に大きな窓にしたりする改造をして住み心地を良くしたというタイプのお城です。

到着すると、誰もいない...。



入り口のドアは、どこも鍵がかかっていませんでした。この民宿をよく知っている友人が予約した部屋に案内して、どの部屋を選ぶかと添乗員役をしていました。

方向音痴の私などは、ずっと住んでいても迷子になりそうな広い建物。どこのドアから入ったら、その部屋に行ける階段があるかなど、複雑なのです。

泊まる部屋を割り当てて荷物を運び込んでから、城の中をみんなで見学しました。

民宿のキッチンを使わせてくれるということだったので、夕食は民宿ですることにしていました。お昼は素晴らしく美味しいレストランでとったので、私は食前酒とおつまみくらいでたくさんだと思っていたのですが、ここに来る前に観光した町で、友人たちは食べ物を調達していました。

城主はいないのだから、どこで食べて良いのか分からない。宿泊客がプライベートで使えるダイニングキッチンがあったのですが、狭い部屋なので、朝食のためのミニキッチン付きのダイニングキッチンで夕食をとることにしました。翌朝の朝食のためのテーブルがしつらえてありましたが、その横に大きなテーブルがあったので。

何時に集合ということに決めてから、それぞれの部屋に入り、ほんの少し休憩。


中世の帽子を友達にかぶせてしまう

少し前にいただいたコメントで、私は中世風の帽子を持っていたことを思い出したので、それを夕食のときにかぶろうかと思って持っていっていました。そんなものを持ち出す機会はめったにないので、中世のお城で夕食するなら相応しいかと思ったからです。

その帽子を買ったときに書いた日記は、こちら ↓

帽子
カーニバルで買った帽子 2010/03/17

この帽子は、本来は男性用なのです。私は変装するのは気恥ずかしいと思うタチなので、誰かにかぶせてしまおうと思っていました。

それでも、この帽子をかぶってもおかしくない色合いの服を着て、帽子をかぶってダイニングルームに登場♪

褒めてもらったら、ただちに帽子をぬいで、「ブルゴーニュ公になって」と言って一人の男性を選んで帽子を勧めました。

抵抗なく、かぶってくれました。よく似合っている。やっぱり男性用の帽子だったのだな...。

記念写真を撮ろうと言って窓際に立たせると、中世風のポーズまでしてくれました。



腕組みして、真面目な表情をするのが中世風なの? 全身の写真をとったのですが、下はジーンズだったので、上半身だけ切り出しました。

この目付きは、Philippe le Bon(善良公フィリップ)と呼ばれるブルゴーニュ公の真似だったのかな?...


Philippe le Bon et son fils Charles reçoivent l'hommage de l'auteur des Chroniques du Hainault


帽子をかぶってくれた彼がとった部屋は、下の写真で向かいに見える四角い塔の最上階。



だだっぴろい部屋で、寝室には大きな窓が3つあり、彼ら好みの18世紀風。宿泊料金は安いので、豪華なシャトーではありませんが、なかなか雰囲気がある。



それで、夜は夫婦でおふざけをするのではないかと思って、帽子は翌朝に返してくれれば良いからと言いました。気に入ったのか、夕食の間ずっとかぶっていました。私を喜ばせるためにかぶっていたのかもしれないけど。

似合っていると褒めたら、自分はメガネをかけていないから、と言う。「中世風に変装して、メガネをかけて、携帯電話を持っていたら最悪だよ」と笑う。

最近のフランスは中世祭りブームなので、中世の恰好をした人をよく見るのですが、彼が言ったように不釣り合いな人もいるのですよね。写真アルバムで「愉快」のカテゴリーに入れていたのに、こんな写真が入っていました。

アルザスの中世祭り

クリスマスシーズンにアルザス地方に行ったとき、美しい町で中世風の衣装を来た地元の人たちがいて盛大なお祭りで撮った写真です。メガネと携帯電話が雰囲気をだいなしにする、と感じるのは私だけではなかったのだ...。


お城を乗っ取って夕食

まずシャンパンで乾杯して、おつまみを食べる。食器洗い機はなかったので、お皿を洗う手間をはぶくために、肉屋さんが包んでくれた包装紙のままで並べてしまいました。




そのうち、民宿の経営者が挨拶に現れるだろうと思っていたのですが、全く来ない!

いてくれなくて困ることもないので、私たちは大いにリラックスして騒ぎました。これだけ広いスペースの建物なのに、他には誰もいないのですから楽しい♪

夜も9時ころだったか、中庭に車が入って来た気配。この民宿をよく知っている人が部屋を出ていって応対していました。

なかなか戻ってこない。シャンパンを飲んでいたと言ったら「あら、ま~!♪」という反応をされたのだけれど、「ちょうど飲み終えてしまたところだ」と言ったのだそう。その人たちが到着するのがもう少し早かったら、あがってきて乾杯になっていたのだろうな。とても感じが良い人たちで、おしゃべりが弾んでいたらしい。彼らは南フランスから来た常連で、行くべき部屋は知っていたとのこと。


城には私たちだけではなくなったわけですけれど、彼らはかなり離れた部屋に入ったので、気配は全く感じない。私たちはお城を占領している気分を続けました。

メインディッシュは、肉屋さんで買ったブッフ・ブルギニョンを温めました。牛肉の赤ワイン煮というブルゴーニュの郷土料理です。白ワインも飲み終えたので、赤ワインにチェンジ。



ブルゴーニュ公のポーズをとっていた彼も、鍋を持っている姿はしまらないな...。

こういうピクニック風の食事をするときは、張り切って色々持って行くのが普通な私なのですが、今回は横着。持っていったのは、残り物のチーズ、シャンパンとワインと食後酒、日本の百円ショップで買ったよく切れるナイフだけでした。

でも、買った3種類のパンも、お惣菜も美味しかったので、楽しい食事になりました。なにしろ、広い部屋で気兼ねなく食事できたのが嬉しい。夏だったら、中庭のテラスか最上階にあるテラスにあるテーブルで、野外の食事をするのも楽しかっただろうと思うけれど。


盗難にあわないのだろうか?

デザートが終わっておしゃべりしながら、部屋にあるものを眺めたりしました。シンプルだけれで趣味が良いし、掃除もいきとどいているということで全員の意見が一致。

ここの現在の城主は、よくあるパターンで、フランス革命の後に貴族から没収した城を買った一族の子孫です。それから200年くらい同じ家系なので、古いものがゴロゴロある。骨董品に詳しい友人が、色々と説明してくれました。

この家具はシンプルだけれど、田舎風の家具として価値があるのだというのを開けてみたら、手作りジャムがぎっしりとストックされていました。



1つ2ついただいたって、民宿の経営者は気がつかないだろうと思う。家具の方は、車にトレーラーを付けて来なかったから持ち帰りはできないね、なんて冗談を言う私たち。

結局、最後まで城主は現れませんでした。

こんな風に宿泊客に開放していて、何か持っていかれることはないのかな?... それに、私たちが夜明け前に出発してしまったら、無賃で泊まれたことになるではないですか?...


翌朝...

庭に出て散歩していたとき、自転車でやって来た男性が城主さま。城の敷地の外、ほんの少し離れたところにある家に住んでいらっしゃるのでした。

こんなお城を持っていたら、私なら普通の民家には住まないですけれど。でも、狭い家なら暖房もしやすいし、階段を登ったり下りたりしないで済むので、住むには快適なのかもしれない。

以前に来たときには肉牛を飼育している農家だったのですが、最近は、ブドウ栽培をしてワインをつくるのに切り替えたのだそう。肉牛飼育は収入が少ないし、ここはブルゴーニュワインのAOC/AOP(原産地呼称)を取れる産地でしょうから賢い選択だったと思う。でも、ワインを作っているという話しぶりでは、そんなに美味しいのができていないのだろうと感じました。たぶん、自分では醸造せずに、ワイン農協に任せているのではないかな...。

昨夜に夕食をしたのは、下の写真で手前に写っているテーブル。この部屋で朝食をとりました。



前日に到着したときには、宿泊客が自由に出入りして良い部屋を見学したのですが、夕方で薄暗くなっていたのでよく見えませんでした。それで、朝食の後に再び見学。



屋根裏部屋にはミニ博物館があったのを覚えていたのですが、がらんとした大きな部屋に出ました。その小さな部屋の方に先祖代々持っていたらしき農作業の道具などが並べられていました。




レセプションのために城を貸し切る料金は?

このお城では結婚披露宴などで使えるホールも持っています。宿泊料金が安いので、貸しホールも安いのだろうと思って調べてみたら、お城ごと週末に1晩借りると30万くらいのお値段でした。フランスの結婚披露宴といったら明け方まで続くので、2日間独占する感じになるのですが、質素なお城を借りるのにそんなに高いとは思っていなかった。

お金がない若い友人カップルがお城を借り切った披露宴に行ったとき、彼らが払った料金は10万円くらいなのだろうと思っていたのです。今回泊まったところよりも小さくて、もっと質素な城ではありましたが。

ブルゴーニュで、プレゼントしてくれると言われたら躊躇なく喜ぶお城が幾つかあります。「プレゼントしてくれたら」というのは、自分で買えるはずがないからの発想。なにしろ維持費が膨大なので、いくら安く売っていても買おうなんて思いません。

今回宿泊したところから遠くない場所に、理想的と思える城があります(ピエールクロ城)。こちらは歴史的建造物に認定されていて、国宝級のステータスがある城です。

Château de Pierreclos

丘の上にあって、見渡すかぎりブドウ畑。敷地内にはチャペルの建物の一部も残っています。

今回泊まった城は建物としては好きですが、大きな町に近いので、外に入れば騒音は聞こえてくるし、周りの風景は美しくはないのです。つまり、城としての価値には雲泥の差がある。

このピエールクロ城に初めて見学したとき、今は亡き女性のオーナーとおしゃべりしていたら売りたがっていて、日本で買い手がいないかなどと言われたのですけど、私が手を挙げるわけにはいかなかった!

遺産相続をする娘さんが事故で亡くなってしまったので城を手放したいという話しだったと思うのですが、譲り受けた人がいたらしくて、最近は観光に力を入れている様子。B&B民宿もできましたが、今回私たちが泊まった城のB&B料金の4倍近いお値段でした。二人で一部屋に泊まったとして、部屋代は朝食付きで3万円近い。いくら気に入った城でも、そんな宿泊料金は私は払いません。

先代のオーナーだった時代ですが、日本人のグループを受け入れて、この城で夕食をしたことがありました。ケータリングで料理を出してもらって、大広間で食事。レストランで食べるのと全く変わらない料金だったのでアレンジしたのでした。日本ではできないことだから喜ばれるだろうと思ってやったわけですが、日本人の方はだだっ広さに物怖じしてしまったのか、お城を占領したことに感激している様子は余り見えませんでした。変わったことをしたという思い出は残してくれていたら嬉しいけど...。

いまピエールクロ城でレセプションをするために貸切る料金はどのくらいなのかと調べたら、45万円くらいでした。私たちが泊まった素朴な城の料金との差が少なすぎるので奇妙。なんかかんかでプラス料金が加わるのかもしれませんけれど。私たちが泊まった城でその料金を付けているということは、それでも利用者はいるということなのでしょうね。

ブログ内リンク:
★ 目次: 城について書いた記事ピックアップ
★ 目次: ピクニック、飲食店での軽食
億万長者がフランスですること・・・ 2006/02/07 城での結婚披露宴
★ 目次: アンティーク、蚤の市などについて書いた記事


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カテゴリー: 建築物 | Comment (11) | Top
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コメント
この記事へのコメント
いつもながら、素敵な旅行ですね!!
生活したいとは思いませんが(寒そうだし不便そう・笑)、祖父母の家や実家だったらとても嬉しいかもしれません。(笑)

フランスは、中世祭りブームなんですか。フランスの中世って、いつ頃までなのでしょうか?
歴史上の定義はともかく、日本では、なんとなく??近世の服装なども中世と表現なさる方が多いように思うのですが・・どうなのでしょう?? 
古い時代のものはほとんど、中世みたい・・と表現してしまうように思いますが、(その次の時代の)近世みたい・・とはほとんど聞いたことないように感じます。

昔、フォークなどを調べたのですが、ヨーロッパにフォークを持ち込んだのは、11世紀のビザンティン帝国のコンスタンティノス10世ドゥーカスと、2度目の皇后エウドキア・マクレンボリティサの娘、『皇女テオドラ・ドゥーカイナ・コムネ(1058〜1083年)』で、1071年に、ヴェネツィアの元首ドメニコ・セルヴォと結婚したテオドラが、嫁入り道具として持ってきたんだとか。

当時のフォークは、『先が2本の金のフォーク』。従者が、テオドラの料理を切り分け、金のフォークで口に運ぶという異邦人の流儀に、同席者はショックを受け動転。司教は、テオドラのマナーを傲慢だと評したそう。

あまりにも東洋的(欧州から見て)、という理由で、ヴェネツィア人のあいだで、スキャンダルに。神学者のピエール・ダミアーニは、『悪魔の道具』と呼んで罵ったそう。
・・・続きます。
2016/10/15 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
テオドラは、東ローマ風の贅沢として、突き出し燭台につけたローソク・フォーク・フィンガーボール・ナプキンを使用したそうです。

西洋人が手づかみで食すのは、宗教上の意味がありましたが、詳しくは忘れました。また調べておきます。

その後、1533年にカテリーナ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)が、フランスに持ち込んだ『先が3本のフォーク(紋章??が入ったシルバー)を、息子のアンリ3世が母に倣って使用していましたが、『キザっぽい』と、人々の冷やかしの対象になっていたんだそう。

1605年の風刺小冊子の中では、『宮廷の人々は、フォークで肉を口に運ぶ。愉快なのは、グリーンピースを食べるシーンだ。皿やテーブルに落ちるほうが多く、まったく無用だ』・・・と。1611年、イギリスの小説家トーマス・コライヤットが、イタリアからイギリスに持ち込んだ時も皆にからかわれ、嘆いたとか。

現在のような、先が4本のフォークは、1768年に、ナポリ王フェルナンド4世の武武官が、考案したそうです。この年、ハプスブルグ家のマリア・カロリーナと王の結婚披露宴でスパゲティーが供されることになり、試行錯誤したんだそうです。

でも、王はダダをこね嫌がったんだそうな。当時、スパゲティーは、顔を上げて手づかみで食していましたからね〜〜!! 当時の絵画があります。 

フランスの庶民がカトラリーを使用するようになったのは、フランス革命後でしたよね。日本や中国などは昔々からお箸を使っていましが、宣教師さんもびっくりだったでしょうか???(アジアですでに知っていたでしょうが)。

なんだか偉そうな(笑)西洋のマナーも、紆余曲折だったのでした。(汗)
2016/10/15 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

フォークの歴史、どうもありがとうございます♪ フランスにはイタリアから嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだ、ということくらいしか知りませんでした。

>当時のフォークは、『先が2本の金のフォーク』。

少し前、日本でヒメフウロと呼ぶ植物(学名 Geranium robertianum)が、フランスで呼ばれる名前の中に「fourchette du diable(悪魔のフォーク)」というが入っていたのを知ったところところでした。実がなったときの形からなのですが、2本なので不思議だったのでした。初めは2本だったのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒメフウロ


>『宮廷の人々は、フォークで肉を口に運ぶ。愉快なのは、グリーンピースを食べるシーンだ。皿やテーブルに落ちるほうが多く、まったく無用だ』

フランス映画でイギリス人を茶化すのに、気取った彼らが西洋アザミをフォークとナイフで切っている場面があったのを思い出します。丸ごと茹でてマヨネーズをつけて食べるとき、葉をはがすにはフランス人は手で食べますから。

日本のお行儀で、ご飯が出るとフォークの背に乗せて食べる癖がついてしまっていて困っております。ベタベタの米なら、その芸当ができますが、パラパラのご飯だとフォークの背に乗らせるのは難しい。背に乗せて食べ始めてしばらくしてから、そうだ、皆のようにフォークですくって食べよう… ということになります。

むかしフィリピンに行ったときは、ナイフがなくて、スプーンで切っていました。植民地時代にナイフが禁止されていたからでと説明されましたが、本当かどうかは分からない。でも、両手にスプーンとナイフを持って食べるのは、なかなか便利だなと思いました。


>フランスの中世って、いつ頃までなのでしょうか?

私は15世紀の終わりまでと思っていたのですが、15世紀の半ばから16世紀の始めまでの間で区切る学説が幾つかあるようですね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Fin_du_Moyen_%C3%82ge


>古い時代のものはほとんど、中世みたい・・と表現してしまうように思いますが、(その次の時代の)近世みたい・・とはほとんど聞いたことないように感じます。

フランスだと、ルイ14世の時代(偉大な世紀)とか、ルイ16世とか、アンシャンレジーム期とか、17世紀風・18世紀風と言うかな…。アンチーク家具は時代で呼びますね。

中世は長いわけですけど、骨董品を売っているときには、世紀でいうこともあるけれど、一括して「中世」と呼ぶことが多いような気がします。プロは前半と後半に分けるのかな?… でも、少なくとも「中世祭り」では、いつの時代かは全く気にしていないですね。

ヴォー・ル・ヴィコント城で有名な仮装イベントでは、ルイ14世の時代であることを示す「Grand Siècle(偉大な世紀)」をイベント名にしています。ルイ16世の時代の衣装が入っても構わないと思うのだけれど、イベントの名前としてはそれが派手で相応しいかな。

https://youtu.be/WYTqJnp7368
2016/10/15 | URL | Otium  [ 編集 ]
お返事くださり、ありがとうございます!!
素敵な帽子をかぶり、ブッフ・ブルギニヨンをお鍋からよそってあるのを見て、ふと当時の手づかみを思い出したのでした。
フランスではなにげないハムやチーズなのでしょうけれど、日本で同じものを写真に撮っても、何かが違う気がします。なんなのでしょう・・。本当に、美味しそうです!!

日本では、百年戦争の1453年が中世の終わりのようなので、ラファエロ(フォルナリーナの絵)などが活躍したイタリアのルネサンスの時期は、中世ではないのですよね。フランスの〇〇風などという表現は、わかりやすいですね!!

フィリップ・ル・ボンの絵画を見ていて、どこかで 似たような雰囲気の・・???と思って検索しましたら、ヤン・ファン・エイクの、『宰相ロランの聖母(1435年・ルーブル)』でした。フランドル派の絵画は、とても苦手で好きになれませんけれど。

今日のコメント、最初は、フランスの『ノイリー・プラット(白ワイン・ハーブ入り・日持ちする)』を使われてお料理なさったことがおありかな〜〜と、お尋ねしようと思ったのでしたが、違う方向に行ってしまったのでした。(笑)

ノイリー・・は、魚料理に使用するとプロの味になるそうなので、今度購入しようか・・と考えています。
2016/10/15 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
フィリップ・ルボンの絵画の作者を探しましたら、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンでした。 当時は、ヤン・ファン・エイクより、人気があったそうですが、ファン・エイクの方が・・・。(汗)

あ、そうでした。ご飯をフォークの背にのせて食べるやり方!!
若い頃、そのようなマナーでしたね〜!!  マジ(笑)、実行したものでした。

今でも、イギリスのアッパークラスで習得なさったマナーの先生は、絶対にフォークの背!!と言われます。皇室も、イギリスのマナーをお手本になさっていたので、日本人が迷うのも仕方ないですよね。

しかし、フランスではそのようなことはなく(ですよね)、単に、お国柄ということがわかり、な〜〜んだ、ということになりましたね。
イギリスとフランスのカトラリーのマナーは、真逆が多いですよね。百年戦争のせいでしょうか・・ね??(笑)

韓国と日本では、お箸や食器の持ち方なども、マナーが違いますので、韓国と日本の区別がつかない諸外国の方は、同じように迷われているかもしれません。
日本人は、韓国の食事のマナーは取り入れませんので、英・仏も同じような感じかもしれませんね??

こちらは、猛暑のせいで最近まで暑かったのですが、やっと秋めいてきました。今日明日は、歩いて数分の小さな八幡宮で放生会(ほうじょうや)なので、人だかりになります。

たまに芸能人も来ますし、芸能もありますが、昔に比べたら地味になりました。認知症の母も、舞踊で出演していました。60歳で亡くなった義母は、民謡。  懐かしい昔です。

訂正・・武武官→式武官
2016/10/15 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

>フランスではなにげないハムやチーズなのでしょうけれど、日本で同じものを写真に撮っても、何かが違う気がします。

このときは、どうというのでもないものをほんの少ししか買っていなかったのですが、美味しい手作りのものを作っている肉屋さんでは、全部買いたくなってしまうようなものが色々と並んでいます。少し前にホテルのベランダでピクニック風夕食にしたときは豪華だったので、その時の写真を撮っていなかったのが残念。

フランスは肉食文化ですね。東京にいる時はハム・ソーセージ・パテの種類が本当に少ないし、美味しいものもめったにないと痛感します。ひところ、ハムの詰め合わせをお歳暮で毎年送ってきてくれる人があって、あれには参りました。食べられたものではない...。

>『宰相ロランの聖母』

同じブルゴーニュ公国時代(フランドルも領土だった)の絵画なので雰囲気が似ていますね。私もフランドル派の絵画は暗くて余り好きではありません。

>ノイリー・プラット

名前も知りませんでした。ワインとブランデーの類いのストックが色々あるので、それ以上は必要もないと思っていましたが、隠し味として有名らしいですね。ベルモットは好きではないので買う気にはならないですが。でも、東京にいるときに手に入る食材には本来の味がないので、こういうのを使うと良くなりそうだと思いました。料理に気兼ねなく使えるワインのストックもないし。
2016/10/15 | URL | Otium  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

>今でも、イギリスのアッパークラスで習得なさったマナーの先生は、絶対にフォークの背!!と言われます。

へぇ、そうなのですか。やはりイギリス式なのですね。

>イギリスとフランスのカトラリーのマナーは、真逆が多いですよね。百年戦争のせいでしょうか・・ね??(笑)

テーブルセッティングするとき、フォークは背を下にして置くか、その逆が正式なのかとフランス人と話したことがあったのですが、その違いもイギリスとフランスなのかな?…

フォークの背で食べることについてはブログで書いていました:
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1287.html

コメントでイギリス式とフランス式の違いを教えてくださったリンク:
http://www.maroon.dti.ne.jp/schwarze-katz/alacart/tm/tm1.html

近々日本に行くフランス人女性が、「日本ではお茶碗を持って食べても良いのだ」というのを覚えたと言っていました。スープなどはお椀を持ち上げないと食べられないから(日本では「飲む」と言うし)、と答えながら、フランスではこれが最もお行儀の悪い仕草だと気がつきました。韓国ではお茶碗を持ち上げてはいけないというのは驚き。

>歩いて数分の小さな八幡宮で放生会

羨ましいです。日本には昔ながらのお祭りがたくさん残っているので良いですよね…。東京の花火大会でも着物姿で行く人たちがたくさんいる。

フランスでは、国境に近くて独立しても良いような地域でないと住民が民族衣装でやって来るような祭りが見れません。それでは寂しいので、最近は中世祭りなどというのが流行りだしたのかな、と思っています。ルイ14世時代の衣装はお金持ちでないと持てませんが、中世なら比較的簡単に変装できるので。
2016/10/15 | URL | Otium  [ 編集 ]
フォーク一つにも いろいろな歴史や出来事を
ひめて いまにいたっているのですね、、
そのてん お箸の文化は シンプルですね〜

わたしは ご飯を フォークの背にのせてたべられないので いつもこっそりと?? すくってたべておりましたが まあ これでも 良いのだ〜と
思いましたよ、、
他人が見て 見苦しく不快にならない食べ方なら
いいのでは、、とおもう いい加減なわたくしで
ございまする〜

中世の扮装の男性、、よく おにあいですね、、
携帯に眼鏡の男性も
ミスマッチで おもしろいわ〜
2016/10/17 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>フォーク一つにも いろいろな歴史や出来事をひめて いまにいたっているのですね、、

フォークが始めは歯が2本だったというのが面白かったのですが、今でも2本のがあるのだと気がつきました。肉の塊を切り分けるときに使う大きなサービスフォークや、エスカルゴを食べるときの小さなフォークは2本。突き刺すのが主な目的だと2本が便利なのかな…。観察しないタチなのですが、画像を眺めてみたら、普通は歯が4本あるけれど、3本のもある…。

>お箸の文化は シンプルですね〜

そうですね。箸を3本使うこともないでしょうし。でも、以前にいただいたフォルナリーナさんのコメントに「祝い箸」とか「利休箸」とかが出てきて、色々な使い分けがあって複雑なんだなと思いました:

http://temaeitamae.jp/top/t9/Japanese.Tableware/0.Sort/k/001.html

>中世の扮装の男性、、よく おにあいですね、、

でしょう? 彼も気に入ったようなのでプレゼントしてあげたくなったのですが、気に入っているし、また出会えるとも思わないので思いとどまりました。

>携帯に眼鏡の男性も ミスマッチで おもしろいわ〜

ご本人は気にしていなかったのでしょうけどね。面白い場面の写真のコレクションをしております。
2016/10/18 | URL | Otium  [ 編集 ]
文化財 ♪
長文読解は 苦手なので
上記の コメントは拝見してませんので
重複してたら お赦しあれ。

知人が 所有する 重要文化財の 屋敷
保存費用は 拠出されず
規制だけが 厳しく ほとほと 困っております、、、

フランスでは どうなのでしょうか
これだけの 御屋敷だと 維持費用も大変かと。。
それで
御屋敷を 乗っ取らせて あげる??

ぼくの 好みは

城に 窓は 要らぬ
そして 役所は
口を出さずに 金を 出せ 
なのだ ♪

2016/11/13 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: 文化財 ♪
v-22 たかゆきさんへ

>フランスでは どうなのでしょうか
>これだけの 御屋敷だと 維持費用も大変かと。。


フランスには「重要文化財」のようなものに対応する「monuments historiques(歴史的建造物)」がありますが、この城はそれに指定させていません。維持費が大変なので、B&B民宿をしたり、貸しホールにしたりもしているのだというのは明らかです。

>それで 御屋敷を 乗っ取らせて あげる??

この日に泊まったのは、何回も利用した人たちだったので、オーナーは「面倒だから」姿を現さなかっただけで、私たちが乗っ取った気分で楽しんでいたとは考えなかったと思います。このB&B民宿が加盟している民宿連盟の規約では、オーナーは利用客が到着したときには応対するのが義務付けられていますから、むしろ違反行為です。でも、気心が知れた利用客だったので、クレームは付けられないという甘えがあったのでしょう。オーナーにとっては、私たちは泥棒よけの番人だったのでしょうね。

>知人が 所有する 重要文化財の 屋敷
保存費用は 拠出されず
規制だけが 厳しく ほとほと 困っております、、、


重要文化財を持っていると大変だという話しは聞いたことがありますが、制度のことは知らないでいました。全く援助がないのだとしたら酷いですね。

フランスの場合は、歴史的建造物に指定されると税制上の優遇もあります。修復工事費の援助に対する上限はないそうですが(国、地方、県が出す)、平均すると工事費の35%が公的資金で援助されていて、50%以上を獲得するのは難しいようです。

歴史的建造物に関係する仕事をしていたために、どうやって多くの補助金を獲得できるかのノウハウがあるので90%の補助があるだろうと見越して購入した知人がいましたが、自己負担はあるので購入してからは四苦八苦しているようです。歴史的建造物に指定されている建物を工事する場合には、業界トップクラスの指定業者にやってもらわなければならないので、普通に工事するよりずっと高い費用がかかるので、自己負担も大きくなるわけです。そのために、たとえ補助金が出るとしても、厳しい制限を受けずに建物を維持する方が得策だと考えて、歴史的建造物の指定を受けなかったという城の話しも聞いています。

修復のための自己負担金などは全く気にしない大金持ちが購入した、それほど歴史的価値もない城をどんどん補助金で修理しているのを見て、結局は自分の不動産の価値をあげているわけので、おかしいじゃないかと思うこともありました(転売すれば儲かりますから)。先祖からの館を持っている人たちは、家を守るという気持ちでやっているので、別の見方をする傾向が私にはありますが。

それにしても、修復していたらきりがないほどお金がかかるだろう、とため息が出る巨大な城がフランスにはたくさんあります。普通の民家でも、古い建物は、どこかしら具合が悪くなって工事しなければならないことが年中ありますので。

歴史的建造物に指定を受けていて修復維持を怠ると、誰かに売却しなければいけないという法律がフランスにあるのは良いことだと思います。補助金を出しているのは、国の財産だという認識があるわけですから。

歴史的建造物に対する援助について:

http://www.monument-historique.com/conseils-monument-historique.html

http://www.travaux.com/dossier/aides-et-subventions/266/La-subvention-destinee-aux-Monuments-Historiques.html
2016/11/14 | URL | Otium  [ 編集 ]
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