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2016/12/22
シリーズ記事目次 【栗のマロンには不思議がいっぱい!目次へ
その9


マロングラッセの発祥に関して、日本では奇妙に思えることが定着しているようだ、と書きました:
日本で言われるマロングラッセのお話しは、フランス的な冗談では?

平凡社 世界大百科事典の「セイヨウトチノキ」のところに、こう記載されているそうなのです:
マロニエという名称はマロン(クリ)に由来し、
マロングラッセも古くはマロニエの実が使われたという。


ここのところ栗の実について書いているのですが、フランスのサイトはどこでも、栗の木シャテニエ)とマロニエを混同しないように、としつこいくらい書いてありました。毒性があるというマロニエの実を間違えて食べてしまって事故をおこされては困るからでしょう。

百科事典に書いてあれば信頼します。マロニエの実で作った本物のマロングラッセを食べたいという人までありました。日本のトチノキからはお菓子が作られますから、セイヨウトチノキも食べられると思っても不思議はありません。


今回は、百科事典に書いてあったことが本当なのかを調べたことを書きます。

フランスでは、マロンマロニエと言う言葉が、ヨーロッパグリセイヨウトチノキの両方で使われるので、非常にややっこしいです。このページでは、マーカーで区別することにしました。

ヨーロッパグリ
châtaignier
(marronnier d'Inde)
  • マロニエ(セイヨウトチノキ)の実はマロンと呼ばれるが、これは食用にはならない。
  • シャテニエ(栗の木)の実は、シャテーニュと呼ばれる。しかし、品質が優れている栗をマロンと呼び、そういうマロンがなる木はマロニエと呼ばれる。

マロニエからは薬が作られ、葉も皮も実も使われるそうです。あく抜きをすれば食べられないことはないのかと思って調べてみましたが、マロニエの実をどうすれば食べられるかという情報は全く出てきませんでした。苦いのだと書いてあるので、食べてみようとした人はいたのかもしれませんけれど。

次にひっかかるのは、近世になってヨーロッパに入った樹木をマロニエと名付けたのは、栗のマロンから来ているという点ですが、これはあり得そうな気はします。

マロニエが入ったとき、すでにマロングラッセなるお菓子が存在していたのだとしたら、昔はマロニエの実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは成り立たないことになります。


Paradoxe de l'œuf et de la poule

マロニエはいつフランスに入ったのか? そもそも、マロングラッセはいつ、どこで考案されたのか?

それを知りたくて調べてみたのですが、どの情報を信じて良いのか分からない。分からないことをブログに書くべきではないとは思ったのですが、拾い出した情報をメモしておきます。正確な事をお知りになりたい方は、専門書の文献で確認してくださるようにお願いいたします!


マロングラッセは、いつ生まれたのか?


 マロングラッセMarron glacéとは何か?

「glacé(グラッセ)」はglacerの過去分詞で、「グラッセした」となる。

グラッセは「凍った」という意味もありますが、料理で使うときは、艶を持たせるときに使われます。野菜の艶煮、バター煮、肉や魚の料理でするり焼き、ゼリーや濃縮汁をかけて表面に艶をだす、シロップ漬け果実の糖衣コーティングなど。

菓子では、糖衣を着た、粉砂糖がかかったということになる。もちろん、フリーザーで凍らせたものもグラッセ。アイスコーヒーも、café glacé(カフェ・グラッセ)と呼ばれます。

マロングラッセには独特の艶があって、それが「グラッセ」なわけです。最後に行われる艶出しの行程がglaçage(グラサージュ)と呼ばれていました。

艶がなかったら、マロンのコンフィと呼ぶべきでしょうね。ところが、マロン・コンフィのレシピを探しても殆ど出てきません。あったのは、こちら(Marrons confits)。グラサージュはしていないし、写真でも艶のないマロンが見えます。

コンフィというと、甘くしない料理もあるわけで、Le confit de châtaignes aux petits oignons et aux noixというレシピもみつかりました。料理の付け合わせとして、栗、玉ねぎ、クルミなどで作っています。

marron confit(マロン・コンフィ)、châtaigne confite(シャテーニュ・コンフィ)としているレシピ「Marron confit ou plutôt châtaigne confite」では、最後にグラサージュを最後にしていて、普通に家庭でマロングラッセを作るレシピと変わらないように見えました。

初めてお目見えしたマロングラッセは艶がないものだったのではないかと思うので、艶がなくてもマロングラッセと言うのかどうかを確認したかったのですが、よく分かりません。

ともかく、栗を甘く煮た甘いお菓子として食べるレシピがマロングラッセのルーツだ、とは言えると思います。


 マロングラッセ誕生は砂糖の歴史に関係しているはず

マロングラッセが、いつ、どこで生まれたかには諸説があるのですが、フランスで定説になっているのは、次のような歴史です。
  • 16世紀に、フランスイタリアでつくられたであろう。
  • 1664年に発行された書物の中に、マロングラッセと呼べるデザートのレシピが入っていた。
  • 1882年に、マロングラッセは工場生産されるようになり普及した。

16世紀か17世紀にマロングラッセが誕生したという説には理由があります。

コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年。

16世紀になると、ブラジル・カリブ海の島々で大規模なサトウキビ栽培が行われるようになり、生産された砂糖(粗糖)がヨーロッパに輸出されます。

今まではできなかった砂糖をふんだんに使ったスイーツのレシピの開発が進んだと見るのは自然に思えます。

当時のフランスでは、すでに「マロン」と呼ばれる上質の栗が市場で売られていました。

18世紀後半になると、産業革命によって技術革新が起こり、精製度が高く均質な砂糖が大量にできるようになりました。

それによって、これまでの贅沢品で限られた人々しか口にできなかったマロングラッセが工場生産されるようになり、庶民も手に入れられるスイーツとなり、外国へも輸出されるようになります。


 フランス発祥説も、イタリア発祥説も、
   両国の国境にあるサヴォワ地域で、16世紀に生まれたとしている


マロングラッセの最も古い誕生としては、フランス、あるいはイタリアというのがありました。

Wikipediaのフランス語ページでは原産地はフランスと見出しを付けているのに対して、イタリア語ページではフランスとイタリアとなっているのが面白い。でも誕生したのは何処かという記述では、両ページとも同じことを書いていました。


 フランス発祥説
16世紀に、フランス中部のリヨンでマロングラッセが登場した。

リヨンは、現在のフランスで最大の栗の生産地アルデッシュ県(ローヌ・アルプ地方)に近い大都市。


 イタリア発祥説
16世紀、イタリアのピエモンテクーネオ(Cuneo)で生まれた。

こちらも栗の産地で、ヨーロッパ諸国に輸出される栗の集積地であった。

Karl Emmanuel I Savoyen MATEO.jpgクーネオだとする根拠は、サヴォイア公などの称号を持つカルロ・エマヌエーレ1世(1562~1630年)の調理人が考え出し、サヴォワ公国の宮廷でマロングラッセが喜ばれた、というところから来ている。

ルロ・エマヌエーレ1世は、イタリアのピエモンテ州やフランスのローヌ・アルプ地方及びスイスのフランス語圏にまたがるサヴォワ一帯を支配していた家系。


イタリアが発症の地だとする説には、それをフランスにもたらしたのは誰かという仮説もある。

Portrait de Catherine de Médicis (vers 1555).フランス王妃のカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis 1519~1589年)が。故郷のイタリアから嫁いで来たときの荷物にマロングラッセが入っていた、というもの。

1533年9月1日、カトリーヌはイタリアを去り、フランソワ1世の次男オルレアン公アンリ(後のアンリ2世)の妻としてフランスに来ている。

彼女は血なまぐさい歴史で知られるが、進んでいたイタリアの食文化を伝え、今日のフランスの美食を築いた功績者でもあった。

マカロン、ヌガー、パン・デピスフランジパーヌ(アーモンドクリーム)なども、彼女がフランスにもたらしたと言われる。



マロングラッセの発祥地にリヨンが登場しています。リヨン市は、フランス最大の栗の産地であるアルデッシュ県にも近いし、イタリアからもパリに行くより遥かに近いです。

16世紀にはすでにリヨンの市場で取引されていた上質の栗「マロン」は、フランス産とイタリア産の両方だったのではないでしょうか?

⇒ 3地点を結んだ地図を表示


フランスで唯一の栗の原産地呼称AOC/APOを持っているのがアルデッシュ県で、この県にはマロングラッセのメーカーが幾つもあるので、フランス説にしたいという気持ちが働いているのではないかという気がしないでもありません。

フランスかイタリアか、というのは現代の国境を考えているから分けるのであって、あのあたりでマロングラッセが誕生したのだろう、という程度で良いのではないかと思ってしまいます。何か文献に残っているわけでもありませんので。

昔のフランスで栗を売る人の掛け声に「J'ai chastaignes de Lombardie !(ロンバルディアの栗がありますよ!)」というのがありました。大きくて質の良い栗はイタリアからフランスに入ったのかもしれない気もします。イタリアから入った栗を使ってフランス側がマロングラッセを考案したって良いわけではあります。

イタリア発祥説のクーネオがあるピエモンテは、18世紀始めまで国境を跨るサヴォア公国Duché de Savoie) だったので、文化はフランスと共有していたはずです。

1416年から1713年まで存在したサヴォア公国は。現在のイタリア北西部(現ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州)、フランス東部のサヴォワ地方や現アルプ=マリティーム県、スイスのジュネーヴをテリトリーにしていました。首都は、1563年にトリノ(現在はイタリア)に遷都されるまで、現在はフランスになっているシャンベリでした。

16世紀のサヴォワ公国の地図があったので下に入れます。このあたりでマロングラッセが誕生した?

サヴォイア公国の位置
起きな地図にある白線が現在の国境です。


下はサヴォア公国の15世紀の地図ですが、その左上で枠から少し外れたところに赤丸があるのがLyon(リヨン市)です。

クリックすると拡大地図が開きます。
Savoie 15e siecle

地図は、こちらのサイトに入れてくださっているものの方が見やすいかもしれません:
サヴォイア家(サヴォワ家)


マロングラッセの誕生説は、現代に近づいてくると証拠もあって、かなりはっきりしてきます。


 17世紀半ばのフランスでレシピが文献に登場した

ヴェルサイユ宮殿で、ルイ14世の食卓にマロングラッセが登場していた、という説があります。ルイ14世は大変な美食家で、大食漢でもありました。

日本ではよく、ナポレオンに愛されたワインとか食品とか言って宣伝しますが、フランス人には余り宣伝効果はないだろうと思います。食べ物にうつつを抜かしていたら、あんなに戦場ばかりにいて、敵も味方も死なせたりしてはいられませんから。

ルイ14世の時代だったという説の大きな証拠になっている書籍があります。

17世紀半ば、料理人ラ・ヴァレンヌが著した『Traité de confiture ou Le nouveau et parfait confiturier(1667年)』に、栗を砂糖のシロップ煮にして乾いた状態にするレシピが入っているのです。

この本の題名には定訳がないのですが、訳したら『ジャム概論、あるいは最新かつ完璧なジャム製造者』というところでしょうか?



現在のマロングラッセと同じものではないでしょうが、それのルーツと言えるレシピが文献に現れたものとしては、これが最も古いと言われます。

著者のフランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(François Pierre (de) La Varenne 1618~1678年)はブルゴーニュのディジョン生まれの人で、ブルゴーニュ南部を統治していたデュクセル侯爵(Marquis d’Uxelles)の料理人として10年間ほど働きました。

マッシュルーム・ペーストの「duxelles(デュクセル)」も彼が考案して侯爵の名前が付けられたレシピでした。

彼がデュクセル侯爵家に使えていた1651年に出した『フランスの料理人(Le Cuisinier françois』は、大成功をおさめ、再販を続けました。イタリア語にも翻訳されています。今日でも、中世的な料理を現代的なフランスのガストロノミーにまで高めたという記念碑的な料理の本だと言われています。

この中では、今日よく知られているベシャメルソース、ブーケ・ガルニなどのような用語も色々と使われており、ミルフィーユのようなレシピもあるとのこと。

その後、ラ・ヴァレンヌはルイ14世の大臣だったルーヴォワ候の料理人になっています。ということで、ルイ14世も彼のマロングラッセを食べただろう、ということのようです。


 1827年、グラサージュをほどこしたマロングラッセがパリに登場

おそらくド・ラ・ヴァレンヌのレシピでは、現在あるような艶のあるマロングラッセではなかっただろうと思うのは、マロンの艶出しを考案したという人物がいるからです。

糖菓製造者のBélissaire Boissierが、glaçage(グラサージュ)と呼ぶ艶のあるマロングラッセの製造法を作り出したとされています。

彼の会社は現在もパリの高級住宅地16区に美しいブティックを構えています。

ボワシエ社のサイトを読むと、ド・ラ・ヴァレンヌの著書から150年たったとき、ベリセール・ボワシエが今日のマロングラッセの製造法を発明したとして、簡単な説明があるだけでした。

ド・ラ・ヴァレンヌの著書が発表されたのは1667年ですから、その150年後だったら、1817年に発明したということですよね? ボワシエ氏の会社が創設されたのは1827年でした。ずれている...。でも、それは気にしないことにします。



少し奇妙な感じがしました。マロングラッセの歴史の中には、ほとんどボワシエ社のことは書かれていなかったのです。出てくるのは、ボワシエ社が発信している情報か、この会社を紹介している記事くらいなのです。

日本の情報では「マロングラッセの発祥の店」と書いてある記事が多かったのですが、フランスでは製造法を確立したと言うだけではマロングラッセを誕生させたとまでは言わないのかな?... もちろん、フランス情報でも「マロングラッセの初めてのレシピを産んだ」というような紹介もあったのですが、内々だから書いているような気もしました。

ボワシエ社の方では、マロングラッセの歴史に残る店であると宣伝する気持ちはないのかも知れません。サイトでは商品が美しく紹介されているのですが、歴史のところはほんの少し書かれているだけで、栗のグラサージュを発明した人の写真も、昔の店や商品など見せる写真も全くありません。店には何も昔の記録がないのかな...。

店の宣伝としては、文豪ヴィクトール・ユーゴー(1802~1885年)のお気に入りの店だったということの方が誇らしく思っているようでした。

ユーゴーが飴をほめるポエムのフレーズをよく使っています。彼がお気に入りだったのは「Bonbons « boule »」というキャンディー(こういうのだそうです)。今ではよくありそうな飴玉ですが、これもボワシエの考案だったのだそう。


あと10年くらいで操業200年になる老舗のボワシエとは違って、フランス情報のマロングラッセの歴史には必ず登場する会社があります。


 マロングラッセが工場生産で普及するようになったのは、1882年のフランス

マロングラッセの歴史の中で、これだけが確定的なこと、という感じで紹介されています。

初めて工場生産して販売したのはフランスで、それは1882年だった。

logo de Clément Faugier (société)土木技師だったClément Faugier(クレマン・フォジエ)が、1882年、栗の産地として名高いアルデッシュ県でマロングラッセを工場生産を始めたのです。

自分の名前を付けた会社を設立して、この会社は現在も続いています。

それまではごく限られた人々しか口にすることがでなかったマロングラッセを、庶民でも食べられるスイーツにした功績が評価されるのでしょう。

同社の成功は、同じようにマロングラッセのメーカーを生み出します。

1896年、前回の記事(マロングラッセを作るのには20日間もかかる)に入れた動画で製造を見せていたコルスィグリア社(Corsiglia)が、南仏マルセイユでマロングラッセを作り始めています。マロングラッセ製造の特許獲得は1931年にしたとのこと。

クレマン・フォルジェ社と同じアルデッシュ県でも、マロングラッセを作る会社が創設されています。1907年にサバトン社( Sabaton)、1920年にアンベール社(Imbert)。


栗の産地アルデッシュでは、マロングラッセの揺り籠はここ、という感じで活動している感じがしました。そのアルデッシュのマロングラッセを取材した映像を入れておきます。

マロングラッセの歴史にも触れていて、ランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌの名前を出しているのですが、別の著書とチャンポンにしていますね...。


Marrons glacés d'Ardèche (Aubenas)

工場見学で登場していたのはサバトン社でした。マロングラッセの歴史のお話しでクレマン・フォルジェを出しておきながら、なぜそこを見学しなかったのかな?...


先ほどのボワシエのマロングラッセに比べると、随分お安いのですね。といっても、こんなのを私は買えませんけど...。やはり、プレゼントでいただきたい!


フランス情報に、ほんの少しイタリア情報を眺めながら長々と書いてしまいましたが、マロニエの実(マロン)でマロングラッセを作っていた、というお話しは微塵も出てこなかったことはお分かりいただけたかと思います。

マロングラッセがいつ登場したのかを書いた後、第2の検証として、いつから栗がマロンと呼ばれていたのか、いつマロニエがヨーロッパに入ったのか、を書いていたのですが、長くなってしまったので、ここで区切っておきます。


寄り道した続き:
フランス絵画の題名でも、栗の木とマロニエは混同されている


★ シリーズ記事目次: 栗のマロンには不思議がいっぱい!




外部リンク:
【報道機関の情報】
☆ Le Figaro Madame: Glacés, les marrons, glacés ! 
☆ Libération: Confit devant le marron glacé
☆ L'Express Styles: Tout ce qu'il faut savoir sur le marron glacé

【栗業界、マロングラッセのメーカー情報】
☆ Comité Interprofessionnel de la Chataîgne d'Ardèch: L'HISTOIRE DU MARRON GLACÉ
☆ CLEMENT FAUGIER: Marrons Glacés une Histoire de Plaisir et de Gourmandise
☆ Maison Boissier: Confiseries
☆Terra Gourma: Marrons glacés Boissier
☆ Maison Corsiglia: Vos questions

【その他のソース】
☆ JACQUES BERTHOMEAU: Autrefois les marrons glacés étaient de Privas, et maintenant d’où viennent-ils
☆ Keldelice: Le marron glacé
☆ Provence 7: Marron Glacé en Provence
☆ Italien Pasta.com: Marrons glacés
☆ dedélices.com: Quelle est l’origine des marrons glacés
☆ Livres Cuisine Recettes Histoire: François Pierre La Varenne 1618 - 1678
☆ anecdotrip.com: Louis XIV
☆ Wikipedia: Marron glacé » マロングラッセ

【フランス以外の情報】
☆ Université de Liège - Catherine de Médicis à la base de la gastronomie française (ベルギー)
Continental Cookery
☆ Wikipediaイタリア語: Marron glacé
Le fruit merveilleux de «l’arbre à pain» (ロシア)
☆ cibo360: Marron glaces(イタリア)
マロングラッセはかつて本当にセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたのか
☆ 世界の料理研究家たち...その条件と能力: フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ氏
☆ ケーキの寺子屋: アントナン・カレーム
☆ University of Chicago: Français ou italien   l'histoire du marron glacé
☆ 納豆学会: 納豆と甘納豆について 甘納豆が誕生したのは1857年

【砂糖の歴史】
☆ 農畜産業振興機構: 砂糖の歴史(インドから西方へ)
☆ 三井製糖: こうして砂糖は広まった~世界一周、砂糖の旅~

ブログ内リンク:
にんじんのグラッセはフランス人には珍しい? 2010/02/25
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ


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コメント
この記事へのコメント
今回も、大変なリポートですね! ありがとうございます!
昨日、ジョヴァンニ・ガッリのマロングラッセと、ふるさと納税の(笑)シャンパン2本が届きました。

マロンG、10年ほど前は1€、今は2€ほどだとか。(笑) 
美味しいという感想が多かったですが、
『とっても柔らかい、甘納豆(栗ではなく豆類の)』という感じでした。
食感がとても柔らかいので、しっかりめのこしあんのよう??でもあります。
それに、とても崩れやすい。崩れたマロンGを1個にまとめたようだ・・という方もおられました。
来年の楽しみにしなくて、よかったです。(笑)

サヴォワ公国といえば、リチャード・ジノリの『サヴォイア家の森の果実』という、金を使用したシンプルなデザインの食器があります。ウンベルト1世の注文で1880年頃にデザインされたとか。亡命していたサヴォイア家の方々、今でも人生色々のよう。

今年は、イタリアのお品にはお世話になりました。
ジノリの、パエザッジョ(風景画)シリーズの、ポルポラ色(ポォールポラ・赤紫の意・大昔は高貴な色だった)の、手書きのディナー皿5枚や、セピア色のパエザッジョ(2年前の新作)カップ&ソーサー2客・デザート皿2枚(計定価180万??・未使用?)を、タダのような値段で落札できましたので、楽しんでます。

では、
0tiumさん、今年も大変お世話になりました!
素敵なクリスマスを、お過ごしくださいませ〜!!
2016/12/24 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
訂正・・手描き

ニワトリの画像の左横に、東京凮月堂のマロングラッセの画像があったのでポチッとしたら、レビューが1件ありました(イタリア産の栗)。

『・・・気品のある、甘納豆のデカバージョンといった感じ。』だそうです。ふむふむ。
イタリアの栗って、そういうふうに仕上がるのかな・・。こちらのも、フタバ食品の外注品??
2016/12/24 | URL | フォルナリーナ  [ 編集 ]
ん? ジノリのポルポラ色、、とは
ワタシが絵付けで使う  マイセンのバラの
ピンク色(絵の具の粉の色は 赤紫色)みたいなのかしら、、
ポルポラとは パープルの イタリア語??
ちなみに この絵の具は ワタシの教室では
マロンとよんでいましたよ〜

いつもながらの しっかりと 調査をした
考察ですね〜
ことしは 栗ごはんを1度しかたかなかったのですが 残念なことしました〜
渋皮煮も やればよかった、、

このところ 甘栗を 食後にチョットつまむのが
夕食後の楽しみです〜
2016/12/24 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 フォルナリーナさんへ

>ジョヴァンニ・ガッリのマロングラッセと、ふるさと納税の(笑)シャンパン2本が届きました。

わぁ~、クリスマス前に届いて良かったですね~♪ と読み始めたのですけど…

>甘納豆

面白い例えですね~♪ おいしくなかった時のマロングラッセの味を思い出すと、その表現がぴったりだと思いました!

>サヴォイア家の森の果実

画像検索して眺めましたが、美しいですね~。

コメントで色々勉強させてくださり、楽しんだりさせていただき、どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします! 良いお年をお迎えくださいますように♪
2016/12/25 | URL | Otium  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>ポルポラとは パープルの イタリア語?? ちなみに この絵の具は ワタシの教室では マロンとよんでいましたよ〜


フランス語でパープルを意味するpourpre(プープル)をイタリア語にすると、porporaと出てきますね:

http://www.larousse.fr/dictionnaires/francais-italien/pourpre/56208

赤味がかった紫色というと、司教の帽子の色を思い浮かべて、それでフォルナリーナさんが「高貴な色だった」と書かれたのだろうと思ったのですが、どうなのでしょう?

なんだか好きな「司教帽」と呼ばれる植物について、ブログで書いていました:

http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1437.html?all

でも、パープルもマロン色ですか♪ よほど先生は「マロン」という言葉がお好きなのでは?

フォルナリーナさんが出された「サヴォイア家の森の果実」のトーンは、フランスで「シャテーニュ(栗の木)」から作られた単語のシャタン色を思わせるな… と思って眺めたのでした。
2016/12/25 | URL | Otium  [ 編集 ]
高貴な色、、というのは たいがいは
むかし 高かったから
ふつうには使えなかったというのでは、、
青い聖衣 などというのも 絵にかくには宝石の
ラピスラズリを 砕いたものだったり、、
この赤紫の 「マロン」も 金がはいっているので
とても高価だし、、
と いい加減な考察の 素人は
思っているのですよ〜
2016/12/27 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

>高貴な色、、というのは たいがいは むかし 高かったから ふつうには使えなかったというのでは

「高い」というとブルジョワ階級がのして来た後の感覚だろうと思うのですが、出しにくい色が「貴重」とされたのはあったでしょうね。

キリスト教文化での紫は高貴な色とされていますが(受難の色だから?)、日本でも冠位十二階で最高ランクなのは興味深いと思います。

>青い聖衣 などというのも 絵にかくには宝石の ラピスラズリを 砕いたものだったり、、

青が空の色として尊重されるようになるまでのヨーロッパでは青が無視されていたのは面白いと思います。冠位十二階には青が入っているのに。

マリアに青い衣を着させるようになり、フランス国王も青をシンボルにするわけですが、火付け役は12世紀にサン・ドニ大聖堂を再建したシュジェールと言われていますね。

イスラム教では緑が貴重な色になっているのは分かる気がします。オアシスに飢えていたからだろうと。でも、日本文化では緑が存在しなかった名残りがあって、信号の緑色も「青」と呼んでしまう!

色のことは、調べたら文化との関係で非常に面白いだろうと思いながらも、奥が深すぎそうで、不勉強の私...。
2016/12/27 | URL | Otium  [ 編集 ]
日本の「青」については
イギリス人の英語の先生に
信号の「青」は どうみても 緑なのに
なぜ 青というのか、、と聴かれ、、
わたしも調べた事があります〜
古代日本には 色は 赤、黒、白、そして
青しか存在しなかったという説が有り
緑も青に 含まれていた〜
東南アジアの国々でも 青と緑は
おなじ 青と表現されることも 多く
言語学者は あわせて grue(green blue)
と 読んだりする、、
中国の青磁も 青からグリーンのいろまで
含まれる鉄分の量によりいずれも 
青磁、、となる〜
日本でも
青葉
青春  青二才など ういういしい 若葉の緑から
連想する言葉があり、、
と 興味深い 青にまつわるはなしを
したことが あります〜

色の表現は 日本はとてもうつくしい、、と
思います〜
わたしも色については  もっと調べたい事が
多くあります〜
2016/12/28 | URL | katananke 05  [ 編集 ]
Re:
v-22 katananke 05さんへ

日本の「青」は不思議ですよね。緑=青だと私が気がついたきっかけを私は思い出せないのですが(信号の色だったのは確か)、気にしないでいたときは全く自然に受け入れていたのでした。

それでも、なぜか、最近に流行りの「青汁」は、その名前を聞いただけで食欲減退してしまうのです。インドネシアの食品では青い香料がよく使われるのだと言った友達がいたのですが、青い色をした食べ物を口に入れるのには拒絶反応が出る人が多いのではないでしょうか?

>色の表現は 日本はとてもうつくしい、、と 思います〜

そうですね~! 漢字の意味も考えないといけないので、余計に奥深くて、私には入り込みにくいけど。
2016/12/28 | URL | Otium  [ 編集 ]
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