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2017/05/02
中世に栄えたブルゴーニュ公国時代に都だったディジョン市(Dijon)には、昔にタイムスリップした感覚になる美しい旧市街が残っています。

路地に入り込んだりして散策すると楽しいのですが、主な観光スポットだけ見ることにした場合に見るのは、ブルゴーニュ公国時代の宮殿(Palais des ducs de Bourgogne)と、そこに近いところにあるノートルダム教会(Église Notre-Dame de Dijon)のあたりでしょうね。

宮殿の塔の上からディジョン市の北側を見た眺め。中央に高くそびえているのはノートルダム教会の尖塔です。

Panorama du nord de Dijon vu depuis la Tour Philippe le Bon, avec en premier plan l'église Notre-Dame de Dijon.


ノートルダム教会に祭られているマリア像がおこした奇跡

昔のディジョンには、教会の鐘楼が百もあったと言われます。今ではそんなにたくさんは教会が残ってはいないのですが、見学する価値が最もあるのはノートルダム教会かもしれません。少なくとも、ガイドさんは話すことには事欠かない。

この教会の正面に立つと、本来は雨どいのはずのガーゴイルがたくさん付いているので目をひかれます。それについては、ブログですでに書いていました:
クイズ: なぜガーゴイルがたくさんあるのか? 2006/10/23


ノートルダムとは、我らの婦人の意味で、つまり聖母マリアを祭っている教会です。このノートルダム教会に祭られているのはマリア様なのですが、少し変わっています。

Notre-Dame Dijon Vierge noire
La statue de Notre-Dame de Bon-Espoir

11世紀か12世紀に作られた像で、フランスにあるマリア像の中でも最も古いものに数えられるそうです。

もともとは幼子のイエスを抱いたマリア像でした。18世紀にマリアの両腕は無くなってしまい、フランス革命のときにイエスも消えてしまいました。それで衣を着せたりもしているわけです。

マリアの顔は、ほぼ完全に昔のままで残っているのだそうです。もっとも、始めは普通の肌色だったのに、16世紀か17世紀に黒く塗られました。20世紀になってから顔色を元に戻しています。それでも少し色の黒い顔なのですが、「Vierge noire(黒い聖母)」とは呼べないのだそう。

ここの聖母マリアは「Notre-Dame de Bon-Espoir」と呼ばれます。良き希望のノートルダム、とでも訳しますか?

ディジョンに住む人たちは、このマリア像に思い入れがあると感じていました。ディジョンの町が敵から解放された奇跡が2度起こした、というお話しからなのかもしれません。

1回目は、1513年スイス軍に包囲されて絶望的な状態になったとき(Siège de Dijon)。9月11日、ディジョンの人々がマリア像を掲げた礼拝行進したら、その2日後にスイス軍たちは何だか分からないけれど引き上げて行ったそうです。

2回目は、第二次大戦中の1944年。ドイツ軍に占領されていたディジョンを守ってくれるようにと、9月10日のミサでディジョン司教がマリア様に祈ったら、その日の夜から翌日(つまり、1513年に礼拝行列をした日)にかけてドイツ軍が出て行った。

つまり、ディジョンにとって9月11日は縁起の良い日? なぜ2度とも9月だったのかな?... この時期はブドウの収穫の準備で大切な時期、という関連くらいしか私には思いつかない...。


こういう話しには興味をひかれない観光客も多いかもしれません。私も昔に聞いたことがあったのでしょうが、すっかり忘れていたので書き出してみました。

ここには誰もが喜ぶ観光スポットがあります!


ノートルダム教会の外壁にあるフクロウの彫刻

歴史的なことよりも、ちょっと面白い逸話があったりするとツーリストに喜んでもらえるので良いわけなのですが、ここにはそれがあるのです。

教会の祭壇はメッカの方向、つまり東を向いていますから、観光スポットは教会の北側に回る道にあります。そこにあるフクロウの彫刻に左手をかざして願いごとをすると叶う、と言われるのです。



ガイドさんつきのツアーでは、必ずここに行くでしょうね。でも、地元の人たちも昔からフクロウを撫ぜています。それで石壁に彫られているフクロウは、ツルツルになっています。


シュエット通り

フクロウはフランス語でシュエット。フクロウの彫刻がある通りだから、ここは「シュエット通り」という名前になっています。

Dijon - rue de la Chouette

でも、通りの名前は、ずっと同じだったわけではないのでした。

始めはフクロウにちなんで「Rue de la chouette(シュエット通り)」だったのですが、ノートルダム教会の横の道なのだからというので、「Rue Notre-Dame(ノートルダム通り)」になりました。

その後の通りの名前は、革命家のグラキュース・バブーフ(Gracchus Babeuf 1760~97年)の名前を付けられたり、パリ・コミューンに参加して革命歌『インターナショナル』を作詞した詩人ウジェーヌ・ポティエの名前が付けられたりしていました。

1957年から「シュエット通り」に戻ったのだそうです。

フクロウは、フランス語でシュエット(chouette)。この細い石畳の道が「シュエット通り(Rue de la Chouette)」と呼ばれるのは、これに由来しています。


21世紀になったら...

2001年1月5日に事件がおきました。

ディジョンっ子たちが愛しているフクロウが、何者かによってハンマーで傷つけられたのが発見されたのです。地元の新聞では1面に大きく取り上げて大騒ぎ。お正月気分が抜けていない静かな朝、ニュースに驚いた記憶がまだ生々しいのですが、もう10数年も前のことでした。

そのことを書いた記事:
ディジョンの名物フクロウ 2012/09/08

フクロウに願いごとをしたのに聞き届けられなかった人が腹いせにやったのでしょうか? 結局、犯人は見つからず。でも、フクロウの彫刻は忠実に復元されました。


つい最近、2014年のこと。またまた地元で騒がれたニュースが飛び出しました。

chouette(シュエット)、つまりフクロウとして昔から親しまれていたのですが、実はミミズクだった、というもの。

ハンマーで叩かれる前に撮影されていた絵葉書の画像を入れます。



耳があるように見えますよね? こんな風に耳のように見える羽が頭にあるフクロウは世界中に存在しないそうで、この特徴からミミズクの彫刻だと判定できるのだそうです。

その時のことを書いた記事:
ディジョン名物はフクロウだと思っていたら、ミミズクだった? 2014/08/18


このニュースは、地元の新聞社にとってはスクープだったのでしょうが、住民たちは無視した感じもあります。いまさらミミズクと言われたって、というところでしょうか?

ミミズクなら「hibou(イブー)」と呼ばなければいけないのですが、通りの名前も変わらないし、みんなも相変わらず「シュエット」と呼んでいます。

ミミズクやフクロウの絵は紋章にも使われるのですが、この2つは昔から混同されることが多かったようです。

それに、ブルゴーニュの人たちにとって、ミミズクでも良いではないか、という気持ちもあるのかもしれません。

ブルゴーニュ公たちのことをDucと呼ぶのですが、それにgrand(偉大な)と加えた名前がついたミミズクがいるのです。


Hibou grand-duc(学名 Bubo bubo)

ブルゴーニュでは絶滅の危機になっている貴重なミミズクの種類なのですが、日本語ではワシミミズクと呼ぶようです。とすると、「大公」ということで同じだ、という理屈にはなりませんね。


なぜ、そこにフクロウがいる?

フクロウの彫刻には地元の人たちの思い入れが強いので、なぜフクロウがいるのかには数々の推測がなされています。

フクロウは、愛される鳥ではなかったはずなのです。迷信深かった昔は、フクロウは凶兆のシンボルとされていて、悪運払いのために納屋のドアに釘打ちされていたそうです。

ところで、このノートルダム教会がある辺りは、中世には庶民たちの家が建っている地域でした。当時の庶民の家の壁は木で出来ていたので、頻繁に大火事がおこったようです。フクロウは屋根裏部屋に住んでいたので、夜に火がおこると危険を知らせた、とも言われます。

1137年6月には、ディジョンの町が全焼する大火が起こっていました。ノートルダム教会が建てられたのは、その百年後ですが、まだ大火の記憶は残っていたでしょうね。


ここにフクロウがいる理由には、こんなものがあります。

フクロウは夜の鳥。そして、この彫刻のフクロウは教会の北側の壁を支える柱にあります。北側、夜、ということで、このフクロウはキリスト教徒にとって闇の存在であるユダヤ人のシンボルだったとする説があります。

教会のあたりには市が立ったので、中世には金銭の商売をすることだけが許されていたユダヤ人たちがここに店を開いた?...

そうかと思えば、このフクロウはキリストを象徴しているとする人もいます。神は暗闇にいる人間も愛したから、というわけ。

さらにキリスト教以前のパガニスムを持ち出して、ギリシア神話に登場する知恵の女神アテナのシンボルだという説もあります。ゴシック様式のこの教会が建設される間、女神様が守ってくれた、というわけ。

そういえば、アテナは梟(グラウクス)に関連づけられていましたね。


アテナ-フクロウとアテナ-ペガサス 2 の硬貨、ギリシャの神および女神コイン コレクション


地元ディジョンの歴史家Eugène Fyot(1866-1937年)は、この教会の設計監督者の一人がChouetとという名前だったから、自分のサイン代わりにフクロウ(chouette)を彫った、という仮説を出したのだそう。

中世に建てられた建物には、人物や動物など色々と不可解な彫刻が施されているので、それが何の意味を持つのかを考えていたらきりがありません。


シャンベラン家の礼拝堂の外壁にフクロウがいる?

ブルゴーニュ公国(843年 - 1477年)の都だったディジョンにノートルダム教会が建てられたのは13世紀前半。フクロウの彫刻があるのは、ディジョンの裕福な商人だったシャンベラン家の礼拝室の外壁の部分で、その礼拝室は15世紀に作られたとみられています。

教会の中にあるチャペルの部分なのですが、礼拝堂と言えば良いでしょうか? 教会側廊に作られている個室のような空間です。おそらく、裕福な人たちがプライベートな礼拝空間として持てたのでしょうね。

シャンベラン家では、礼拝堂を作ったのと同じ時期に、ディジョンの中心地にフランボワイアン(火焔式)ゴシック様式の見事な館(Hôtel Chambellan)を住居として建てています。

その館にも面白い彫刻があるのです。



赤枠を入れた部分をご覧ください。螺旋階段になっている塔の入り口に、階段を登ろうとしているエスカルゴが3匹いるかのように彫刻されているのです。



螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます! 館を建てさせたアンリ・シャンベランは1490年から93年までディジョン市長を務めたそうですが、遊び心があったのかな?...

この階段を登りつめたところの天井には、あっと驚くほど見事な彫刻が施されています(Wikipediaに入っている画像)。庭師が背負った籠螺旋階段はエスカルゴ(かたつむり)に例えられます!植物が伸びて天井一面に広がっているという図。


フクロウに左手をかざして願いごとをしなければいけない理由

それについて書きだしたのですが、前置きが長くなってしまいました。

フクロウの近くにある、目立たない小さな彫刻が願いごとを食べてしまわないように左手を使わなければならないと言われるのですが、そこにも謎があるのです。それについて、次回に書きます。


続き:
ディジョンの観光スポット「シュエット通り」の歩き方

シリーズ記事 【これはサラマンダー? あるいはドラゴン? 】目次


ブログ内リンク:
★ 目次: ブルゴーニュの古都ディジョンの観光スポットや特産品など
★ 目次: 右と左の違いが気になる
★ 目次: 縁起物や迷信について書いた記事 (フランスを中心に)
★ 目次: ブルゴーニュの歴史
★ 目次: 宗教建築物に関する記事
★ 目次: エスカルゴについて書いた記事

外部リンク:
Découvrez l'histoire urbaine de Dijon et son évolution
☆ Wikipédia: Ville aux cent clochers
☆ Wikipedia: Duché de Bourgogne » ブルゴーニュ公国
☆ Wikipédia: Église Notre-Dame de Dijon
Thèses et anti-thèses sur la chouette de Dijon
La chouette de Dijon : mythes et légendes
Héraldie: Le hibou et la chouette en héraldique
パリ・コミューンの詩人たち──ウジューヌ・ポティエ
『インタナショナル』日本語訳


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この記事へのコメント
アヴェ・マリア ♪
カソリックの方々は どうして
あんなに
マリアさまが 大好きなのか、、、

疑問に思って調べてみましたが
しっくりとくる 解は なかったのです。。。

ちなみに ぼくは
『アヴェ・マリア100% 』というアルバムが
大好き https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=100%25%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

カソリックの 方々がマリアさまを
大好きなおかげで
罪深いぼくは 日々 癒されているのだ ♪

「左手 フクロウ 願い事」 で 検索しましたら、、
皿万だー に 遭遇してしまったのですけど。。。


2017/05/03 | URL | たかゆき  [ 編集 ]
Re: アヴェ・マリア ♪
v-22 たかゆきさんへ

>カソリックの方々は どうして あんなに マリアさまが 大好きなのか、、、

私にとっても謎です。

子どもにとって、せめて、自分を世に送った確信を持っている母親だけは自分を愛して欲しい、いや愛しているはずだ、という思いからなのかな?... 親が子どもを虐待したり、殺したりするのは現代に始まったことではありませんから。

フランスのことがヨーロッパで共通していたかは知りませんが、幼児の死亡率が高かった時代は、貴族や富裕層では生まれた子どもを田舎の乳母に育てさせ(それで開放されるから、さらに産める♪)、ある程度育ったら引き取って、そうしたら我が子に対する愛情が芽生えたわけで…。

>ぼくは 『アヴェ・マリア100% 』というアルバムが 大好き

私はシューベルトのアヴェ・マリアが好きで、いつ聞いても涙ぐむほど美しいと思います。でも、アヴェ・マリアは1曲聞き終われば十分で、オンパレードで聞くのは… と思ってしまいますけど...。でも、どれも心が休まる曲にできていますよね。

いただいたリンクで開いたアマゾンの商品説明が、非常に面白かったです♪

最後にバッハの曲が入っているので、バッハにアヴェ・マリアがあったかな… と思ったら、グノーの「アヴェ・マリア」の出だしでメロディーを使っているのだと分かりました。この旋律を聞くと、ピアノのお稽古で弾く単調なメロディーが真っ先に浮かんでしまうのですけど。

盗作とかパクリとか言われますが、音楽や絵画では先達に学ぶというのが許されていたらしくて、普通にやっていたわけで…。

>「左手 フクロウ 願い事」 で 検索しましたら、、 皿万だー に 遭遇してしまったのですけど。。。

これについてだけ書くつもりで始めたのですが、そうではないというディジョン育ちの友人が登場したので、余計に長くなってしまっております。
2017/05/03 | URL | Otium  [ 編集 ]
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