| Login |
2010/04/19

シリーズ記事【シャンパーニュ地方旅行記(目次】 その5
ランスの街


旅行していると、ふと気になることがでてきたりします。


ランス市の不思議

シャンパンの産地として有名なランス市(Reims)は、フランスの歴史の中で重要な位置を占めていた町です。

フランスがローマ支配下となっていたガリアの時代から重要な都市だったのですが、その後、ランスは国王の戴冠式が行われる大聖堂がある町となりました。

戴冠式の衣装
戴冠式の衣装
ランスの博物館(Palais du tau)



5世紀末、メロヴィング朝フランク王国のクロヴィス1世が、ランスで戴冠式を行ったというのが事のおこり。

ここで聖別された戴冠式を行ってしまえば正式なフランス国王になれる、というのは、ジャンヌ・ダルクがシャルル7世を戴冠させたときのお話しにも登場していますね。

ランスの大聖堂
ノートルダム大聖堂の前にあるジャンヌ・ダルク像(ランス市)


フランスに国王はいなくなった今日でも、ランスの町は「Cité des sacres戴冠式の都市)」という華々しい愛称で呼ばれています。

今日でも、ランスは大きな町です。フランスの行政区分には地域圏(州のようなもの)があるのですが、ランス市は属しているシャンパーニュ・アルデンヌ地域圏(Champagne-Ardenne)の中で最大の人口を誇っています。

それなのに、ランス市は県庁所在地にはなっていません。
ましてや、シャンパーニュ・アルデンヌ地域圏の行政中心地でもありません。

シャンパーニュ・アルデンヌ地域圏の行政中心地も、ランス市があるマルヌ県の県庁所在地も、シャロン・アン・シャンパーニュ市(Châlons-en-Champagne)となっています。

でも、シャロン・アン・シャンパーニュ市は人口5万人にも満たない町なのです。いくら人口が少ないフランスとはいえ、それでは小さすぎます! ランス市の人口と比べたら、4分の1に過ぎません。

普通だったら、歴史的にも重要な都市であり、今でも繁栄しているランス市が、少なくとも県庁所在地になっていて当然なのですが、そうではない!

なぜ、そうではないかというと、はっきりした歴史的な理由があるのです。

ランス市には、歴代の国王たちの戴冠式が行われたノートルダム大聖堂があります。キリスト教と貴族階級を目の敵にしたフランス革命が成功した後には、戴冠式の町などをおとしめたいのは当然なのでした!


県庁所在地も不思議…

ランス市の栄光の場を奪って(というよりは、便宜的に行政中心地とされた)シャロン・アン・シャンパーニュ市の名前は、10年くらい前に改名されてできたものです。

その前は、シャロン・アン・マルヌというのが町の名前でした。マルヌというのは川の名前。でも、シャンパンをイメージする「シャンパーニュ」にした方が耳障りが良いではありませんか。



イメージを良くするために地名を変えたいというのは、どこでも考えることです。でも、そう簡単には実現しません。

もちろん反対する人がいて当然。それから、地名を変えたら、それに関係する道路標識や何かを全部作り替えなければならないので、お金がかかりすぎる。

普通、地名を変えたいと主張しても、おいそれと認められません。

このシャロンの場合、改名しなければならないような重大な理由があったわけでもないのに、どうして改名できてしまったのか不思議です…。


地名を変えるのは難しい

ブルゴーニュ地方の中を例にとれば、地名を変えたいと動いているところには、こんなのがあります。

まず、「ソーヌ・レ・ロワール県(Saône et Loire)」を「南ブルゴーニュ県(Bourgogne du Sud)」にして欲しい、というもの。

*ソーヌとロワールは県内を流れている河川の名前で、それを「エ(and)」でつないでいる県名です。ナポレオン時代に県区分ができたのですが、それまで国王が統治していた地方色を消すために、県名はそこに流れている河川の名前から作った例が多いです。

ロワール河はフランスで一番長い河川なので、あちこちを流れています。ロワールと聞けば、あの城巡りで有名なロワール地方を思い浮かべてしまわれるので、「ソーヌ・エ・ロワール県」と聞いてもブルゴーニュにあるとはイメージされにくい。それで「南のブルゴーニュ(Bourgogne du Sud)」という県名にして欲しいという動きがあるのです。

「ブルゴーニュ」という言葉は、世界的にワインの産地として知られていて、美食の地だという定評もあるので魅力があります。それを県名に入れたい。さらに、「南」というのはアトラクティブです。

日本に例えれば中国地方くらいの大きさがあるブルゴーニュ地方の中で、ソーヌ・エ・ロワール県は温暖な地域です。同じ地方の中でも、寒い地域と比べれば、春が来るのは2週間や3週間は早いです。北の方の暗い地方と比べれば、住民のメンタリティーもかなり違います。

また、ソーヌ・エ・ロワール県内から南仏プロヴァンス文化の影響が出始めているのですから(プロヴァンス地方独特の屋根瓦など)、いい加減な主張ではありません。

でも、許可されない!

正式名称はどうであれ、勝手に名乗るのは自由なので、ソーヌ・エ・ロワール県の観光PRでは「南ブルゴーニュ」で押し通してしまっています


このソーヌ・エ・ロワール県内で地名をかえて欲しいと主張している町には、モンソー・レ・ミーヌ(Montceau-les-mines)もあります。

「ミーヌ」というのは炭鉱のこと。昔は石炭の炭鉱があったので地名となったのですが、「炭鉱の町」と聞いたら、休暇をここで過ごそうなどと思う人はいないではないですか? 炭鉱には暗いイメージがありますから、不利な地名です。それほど昔から炭鉱があったわけではないのですから、炭鉱が無くなったら、その文字を取り去っても自然です。

こちらはモンソー・レ・ミーヌのツーリストオフィスのサイト。「レ・ミーヌ」の文字は小さくしていますね。市役所のサイトでは、もっと小さくなっています

モンソー・レ・ミーヌは「Montceau-en-Bourgogne(モンソー・アン・ブルゴーニュ)」などのような名前に変えたいと動いているらしいですが、町の改名は実現していません。

それを思うと、シャロン・アン・シャンパーニュ市がシャロン・シュール・マルヌから改名を成し遂げることができたのか不思議です。マルヌ(これも河川の名前)は別に悪くはないのですから。単純に、政治力でしょうか?…


フランス革命期につくられた変な地名

昔だったら地名の変更はもっと簡単だったかも知れません。フランス革命の後には、地名の変更が行われて、変な名前の市町村がたくさんできましたが、革命期が過ぎたら元に戻ったところが多いようです。

革命期には、キリスト教を想起させる「SaintあるいはSainte(聖)」とか、王様(roi、royalなど)とか、貴族の称号の文字が入っている市町村は、その部分を変更されたりしました。

それから、革命に反対だった地方では報復するために変更させられました。

例えば、マルセイユ(Marseille)は「名無し町(Ville-sans-Nom)」なんて変な名前! 王様が住んでいたヴェルサイユ(Versailles)が「自由の揺りかご(Berceau-de-la-Liberté)」になったのは可愛いです。革命に反対して反乱を起こしたヴァンデ県(Vendée)が「Vengé(報復)県」になったのはゴロ合わせの遊び的…。

☆ フランス革命期の改名の一部: Nom des villes françaises sous la Révolution

フランス革命暦の月名の方は季節から作っているので、悪くなかったと思うのですが、これもなくなりましたね。


日本でも同じ?

日本でも、同じようなことが明治政府のもとで行われたという説があったのを思い出しました。

明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト宮武外骨氏が書いた『府藩県制史 (1941年)』にある説。

全国47都道府県の中で、県名と県庁所在地の名前が異なっているところが18県あるのは、明治新政府による戊辰戦争の復讐・処罰である、とする説です。

明治政府内の「永久不滅の賞罰的県名」として、早い段階から官軍側についた「忠勤藩」の藩名は県名にされ、官軍側につかなかったか「朝敵藩」、つくのが遅かった「曖昧藩」の藩名は県名にされなかったというものです。つまり、薩長軍だったところは都市名を県名にされ、薩長軍でなかった所は郡名を県名にされている、と分析しています。

この説には異論もあるようですが、いずれにしてもフランス革命政府の地名変更のようには露骨ではありませんね!

- 続く -


外部リンク:
☆ 歴史教育者協議会: 県庁所在地はどうきめられたか
一か八かの廃藩置県~県名の由来は戊辰戦争の復讐?
☆ Wikipedia > 都道府県 > 名称


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
にほんブログ村

コメント
この記事へのコメント
地名を変えるのは難しいについて
 今月(2010年4月7日)、102国目の訪問国、パキスタン北部(旧フンザ王国)を旅行したのですが、最終日の出来事が、その通過地の州名の変更に起因する、住民間の衝突で、、イスラマバードへの道路が500mおき位に、岩や、樹で通行止めされ、、予定のスケジュールがこなせず立ち往生させられ、、でも、最悪の状況には追い込まれず、、最後の観光予定や休憩、食事をカットして、何とか、小型バスの運転手が猛ダッシュの危険極まりないが、上手な運転をしてくれたので、、私達一行は無事予定の飛行機に乗れましたが、、、帰国して、新聞記事で、12日には、死傷者まで出る闘争に発展したとか、、書いてあり、ビックリしました。
  夫共々、、「私達は、、やはり、天気運も(7000m級のカラコルム山脈の白嶺もみれた!)、、災難運も、、良いほうね、、」と寸でのところで、巻き込まれそうになった、113回目の海外旅行にして、初体験を興奮冷めやらず話してます!
  最近日本でも、市町村の統合がなされ、新しい名が付けられた所も多いのに、、そこまでは発展しないで、収まってるのは、、やはり、民族単一?国家と言う事?
2010/04/21 | URL | トモコ・タニグチ  [ 編集 ]
Re: 地名を変えるのは難しいについて
v-22トモコ・タニグチさんへ

州名の変更でそんな騒動になることもあるのですね。

どんな理由があったのかと思って調べてみたら、回答が見つかりました:
http://blogs.yahoo.co.jp/kimagure_obahan/60970215.html
なるほど...。こういう国だと暴動の引火点になってしまっても仕方ないかもしれない。

フランスの県名のように、味気ないけれど河川の名前なんかを付けておくのも無難かも知れませんね。思い出せば、フランスでは「上」と「下」が地方があって、「下」はいやだというのもありました。

それにしても、騒動に巻き込まれなくて良かったですね。100カ国以上もご旅行なさっていたら、危ない目に遭われたことも多かったのでは?
2010/04/21 | URL | Otium  [ 編集 ]
山奥への道
返コメント有難うございます。実は私は、かなり運がよくて、、、
  危ない目というのは、、殆どなくて、、今回が初めての体験です。 とくに、ホームページを紹介くださった、パキスタンで活動されている女性のおっしゃる様に、奥地へ通じる唯一の陸路、カラコルム・ハイ・ウエーは名ばかりの、ハイ=高い所を通る、道で、岩が上から降って来そう、、路肩は崩れている、、大型で積載量オーバー(日本の4倍程の高さに積んでいる!)のISUZUトラックが何台もすれ違うという、想像を遥かに超える深い谷の絶壁がズーと続く、凸凹道をギルギットまで、1日17時間ほども小さなバスでゆられる、、苦行の旅でした。  旅行社は「杏の花が咲きカラコルムの白い峰峰が美しい桃源郷、スカルドウとフンザ」としか、、その道路は、悪路も、、とは書いてあっても、、ズーと悪路が17時間も、、途中橋が壊れていて、多くの車が渋滞、、もある等、、悪い情報はカットしているので、、山登りが目的でないフツーの観光客の私達には、、「高いお金を出して少し騙されたみたい!」と感じない気もしませんでしたが、、「そんな断崖にも、段々畑を耕し山羊や羊を飼い暮らしている人々がいる」国を「パキスタンはどんな国?と一見に来た」のですから、、観念して、1ッポン道の安全通行を祈るのみでした。パキスタン在住の女性のおっしゃる様に、空路は高山の間なので、非常に天候に左右され、運が悪ければ、何日も待機させられるようです。 とにかく、大変な所で、、「死ぬ思い」を何度も感じた初めての旅でした!
2010/04/22 | URL | トモコ・タニグチ  [ 編集 ]
Re: 山奥への道
v-22トモコ・タニグチさんへ

普通では行けないところを訪れた方が感動が大きいので、カラコルム・ハイ・ウエーのお話しを聞くと、体力がある若いうちに行ってみたかったな~ と思ってしまいました。でも、実際には死の恐怖を味わってしまうような「苦行」なのでしょうね...。私も会社勤めしていた頃はよくツアーで旅行していたので、一人では行けない発展途上国に行って大変な思いをしたことが何度かありましたが、そこまでの苦行はしたことがありません。

エレベーターに乗ると「手すりにおつかまりください」というおせっかいな言葉が聞こえてくる日本なのに、そんなツアーを強行してしまう旅行会社もあるとは驚きです。でも、強行軍であることは予めしっかりと書いておくべきではありますね。そういうのが好きな人もいるのだから、マイナスばかりとは言えないだろうし。
2010/04/23 | URL | Otium  [ 編集 ]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する