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2010/07/05

第一次世界大戦下のフランスを舞台にした映画を見て その2


戦争に行って人を殺すとか、自殺するとかいうのは、異常な精神状態にならないとできないことだと思っています。後者の場合は、自分で自分を追い込めてしまうケースが多いと思うのですが、前者の場合は社会が人々を狂気に走らせてしまう…。

前回の日記「mourir (死ぬ) という動詞の活用」に書いたテレビドラマを見たときも、そう感じてしまいました。


テレビドラマ: Allons petits enfants

テレビドラマ

テレビドラマの舞台は第一次世界大戦中の農村。
モモという愛称で呼ばれている男の子(12歳)が主人公です。

モモが通う小学校では、勇敢に戦場に行き、祖国のために死ぬことを美化する教育を行っていました。成績優秀なモモは、その教育をしっかりと身につけています。両親を尊敬していて、父親が戦場に行ったあと、母親の細腕にゆだねられた農業を手伝います。

映画の題名は「Allons petits enfants(いざ、幼い子どもたちよ)」。
2005年の作品。

このテレビドラマの題名は、フランス国歌の出だしにある「Allons enfants de la Patrie」をもじったのではないかと思います。


フランス国歌

「いざ、祖国の子らよ、栄光の日は来た!」で始まるフランス国歌は、フランス革命のときにつくられた歌詞です。どうして今日でもそんな歌詞を残しているのか理解に苦しみます。敵をやっつけろ! という戦争のための歌なのですから...。

フランス国歌の全訳をのせているサイト:
ラ・マルセイエーズ -フランス共和国国歌

フランス国歌の歌詞に意義をとなえる人は多いはずですが、なかなか意見が一致しないらしくて、変更されずにいます。

サルコジ氏が大統領に着任してまもなく、「小学校で国歌をしっかり教えろ」という指示を出したので物議をかもしました。保守派と極右支持者の票を集めて大統領になった人なので、そう言いだしたこと自体には違和感はなかったのですが。

大統領の命令に従うかどうかは教師の意思で決められるとのことだったので、どのくらい徹底したのか知りません。ともかく、こういう残酷な歌詞は幼い子どもたちに口ずさんで欲しくはないです!…


以下にテレビドラマ「Allons petits enfants」のあらすじをメモするのですが、途中から見たし、時々テレビの前から去らなければならなかったので、どんな映画だったかをしっかりとご紹介できません。

教育資料を提供するサイトが、この映画を見る子どもたちにどんなことを教えるかを書いています。フランス語がお分かりになる方はそちらをご覧くださった方が良いと思います。

テレビドラマ「Allons petits enfants」の教育ノート:
 ☆ télédoc / Allons petits enfants (PDF)
 ☆ Allons petits enfants


父親は戦場で銃殺された

ある日、学校で授業を受けていたモモに、父親の死が伝えられました。ところが、それはただの戦死ではなかったために、残されたモモと母親は二重の悲しみを味わうことになります。

モモが尊敬していたお父さんは「栄誉の地(champ d'honneur)」と呼ぶ戦場で死んだのではなく、銃殺された(fusillé)のでした。敵に殺されたのではなく、フランス人に殺されたのです。脱走しようとしたことへの処罰らしい。

このような死に方をした人が出た家族は、まわりの人たちからは冷たい目で見られます。いじわるも受けます。戦死ではないので手当も支給してもらえません。

日本でも国賊とか非国民とかいう言葉がありましたが、そんな迫害なのでしょうね。

モモの学校には、家族の戦死者の名前を書き込んで栄誉を讃える黒板があったのですが、モモは父親の名前を書き込むことを先生から拒否されました。銃殺された兵士は英雄ではないのです。

当時の農業は機械化していなかったので、母親にはきつすぎる重労働にあえいでいました。しかしモモにとっては、尊敬していた父が栄誉の戦死をしなかったことへの恥じの方が大きかったようです。

父親の不名誉を挽回するために、自分が戦争に行くことを決意します。モモは戦地に向かう電車の貨物室にもぐりこみました。行きついた先は、城を利用した軍人病院。

モモは12歳の少年。戦場に行って戦いたいのだと頼んでも、兵士として送ってもらうことはできませんでした。それでも病院の仕事を手伝わせてもらいます。

兵士の衣服を洗濯してあったところから制服を盗んで着てしまい、いっぱしに勇敢な兵士になった気分になります。

テレビドラマ

ひどい怪我で苦しむ人々があふれる病院でした。モモは初めて戦争の現実を知ります。父親のように銃殺される兵士も目撃し、父親は不名誉な死に方をしたのではなかったと分かるのでした。

銃殺は「fusillé pour l'exemple」と呼ばれる処刑でした。
みせしめの銃殺。なんとショッキングなネーミングでしょう!...

兵士の士気を高めるために、上官の命令に従わない兵士を選んで銃殺するという手段。多くの戦死者を出し、泥沼的な戦争になった第一次世界大戦では、特にこの「みせしめの銃殺」が多かったようです。


ハッピーエンド?...

モモは学校に戻ります。
彼のクラスには新しい教師がやってきました。

先生は、平和主義者ジャン・ジョレスの演説の一節を子どもたちに読んで聞かせます。そして、モモに「フランスのために死す」と書かれた黒板に父親の名前を書くように促します。

父親が戦死であることを初めて認めてもらったモモ。黒板に父親の名前を書きおえた彼の嬉しそうな顔をアップして、映画は終わりとなりました。


この映画で「みせしめの銃殺」というものがあったことを知りました。戦争の暗い一面として隠されていて、それが批判されるようになったのは戦後何年もたってからのことだったそうです。

この銃殺が何なのか少し調べてみたので、次回はそれについてのメモを書きます:
みせしめの銃殺

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カテゴリー: 文学、映画 | Comment (4) | Top
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コメント
この記事へのコメント
こんばんは! 本当にそうですね。 イタリアに来て、どの町にもその町出身の戦没者の慰霊碑があり、毎年の式典がありますし、今も国連軍として行き、戦死した方の棺が戻って来ると、たとえ夜中といえども国家元首か大統領が空港で迎えます。 そして国葬です。
こういうのを見て、少し日本での考えと変わりました。国の兵士として送り出す、我らの兵士なのですね、国を守る兵士なのです。 それに対して礼を尽くすのは当たり前だという感覚、それを学んだと思います。

「西部戦線異状なし」というドイツ側からの作品、映画もありましたが、やはり日本と同じく、国を守る、と子供達を教育し戦争に送り出し、・・、フランスも同じだったのだろうと思います。
今経済的に豊かになり、過去を振り返り判断する気持ちの余裕が出来たのは有難いことだと思います。 しっかり肝に銘じておく事は大事ですよね。
2010/07/07 | URL | shinkai  [ 編集 ]
v-22shinkaiさんへ

フランスで戦没者慰霊碑が目につき始めたころ、戦争に勝った国はそうするのだろうな、と思ったのですが、ヨーロッパ各地を見ていると、戦争に負けた国でも、やはり戦死した兵士には敬意をはらっているのだと知りました。

日本にいたときとは考え方が変わりますよね。戦争があったこと、それがどんなに悲惨だったかを忘れないことは大切だと思います。特に、いやおうなしに戦場にかりだされた民間人には、せめて「祖国を守るために戦ってくれた」という敬意を示してあげなければ可哀そうすぎると思う...。

日本でドイツ人たちと食事をしたとき、お酒もまわっていたせいもあって、私に向かって「この次はイタリアなしでやろうや♪」などと悪い冗談を言ったドイツ人がいました。でも、ラテン民族の陽気さ、つまり、おいしいものを食べることを大騒ぎして喜んで、べったりと家族と一緒にいある生活を大切にしている、という生活をしている人たちを見ると、どうしてこういう人たちが戦争できたのだろう?... と思ってしまいませんか?
2010/07/08 | URL | Otium  [ 編集 ]
こんばんは! 「次はイタリアなしでやろう」と云うのは、多分ドイツ人の一般的な常套句なんだろう、と今回知りました。 というのも、別の状態でそう聞いた、というのを聞いていましたから。 となると、ドイツ人は懲りてはいませんね!
イタリア人は、自国民でも、最低の兵士、と考えているらしい、です。 まぁこれもどのあたりまでかも分かりませんが。
第一次大戦の時は、多分、オーストリアからのイタリアの独立をかけて戦い、 第ニ次大戦の時は、ムッソリーニに乗せられて、でもこの辺りは世界中の情勢だったと思います。 なので、イタリア人にとっては、第一次大戦の時の方が、自分の国の為という意識が強かったのではないかと、思います。
2010/07/09 | URL | shinkai  [ 編集 ]
v-22shinkaiさんへ

>となると、ドイツ人は懲りてはいませんね!
⇒ ドイツ人は日本人のように真面目に働く国民だろうと思うのですが、日本人よりはユーモアのセンスがあると感じています。「この次はイタリアなしで」というのは、そういうユーモアの常套句なのではないかな?...

イラク戦争のときだったか、アメリカがドイツや日本に出兵を要請したとき、ドイツの首相は「みなさまは、またドイツ軍の強さをご覧になりたいのですか?」と言って出兵を拒否してしまったことがありましたね。ニュースを見ながら、日本だって同じことを言ったって良いじゃないか、と笑ってしまいました。

>イタリア人にとっては、第一次大戦の時の方が、自分の国の為という意識が強かったのではないかと、思います。
⇒ そうなのでしょうね...。
2010/07/10 | URL | Otium  [ 編集 ]
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