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2010/08/01

シリーズ記事 【ブルゴーニュ南部 シャロル旅行記(目次
その1


久しぶりに、ブルゴーニュ南部の牧場が広がる地域にある町に行きました。

シャロルという町。人口3,000人弱の、のどかな町です。

夏は良いですね。町にはお花がいっぱい咲いていました。

Pont de la Planche
Pont de la Planche

政府がバックアップして行っている全国花咲かせコンクールというのがあるのですが、シャロルの町は花のマークを3つ獲得していました(4つが最高)。

シャロル市の観光サイト
ここに入っている町の風景を見せるスライドショーを見たら、赤い鳥居がある花壇(おそらくロータリーの花壇)がありました。どこにあったのか、気がつかなかったな…。


ブルゴーニュ公国時代の名残りを見学

シャロルの町には夕食をとるために立ち寄り、食事の前に少し散歩するという予定でした。そんなに観光している時間がないので、一番の観光スポットに向かう。上の写真で黄色い矢印をつけた場所です。

小高い場所にある城跡。市役所の建物と公園があります。
ここが入り口↓
市役所の入り口

城に入る入口の部分で、右手にある三角帽子の塔はTour de Diamantsと呼ばれるもの。直訳すればダイヤモンド・タワー。大砲が使われるようになった時期の壁面。大砲攻撃に耐えられるように壁面はデコボコに石が飛び出しています。これは14世紀の建築。

目指すは、その向こうにあるこちらの塔↓
シャルル・テメレール塔
Tour Charles le Téméraire

シャロル市を中心とした地域はシャロレー地域と呼ばれるのですが、その昔はシャロレー伯爵領でした。15世紀に生きたブルゴーニュ公、シャロレー伯爵でもあったシャルル・テメレールにちなんで、この城の残された塔はシャルル・テメレール塔と名付けられています。

このシャルル勇胆公の死後(1477年)、男子の後継者がなかったためにブルゴーニュ公国はフランス王国に吸収されてしまったのですが、彼が溺愛した娘のマリー・ド・ブルゴーニュはスペインの王家に嫁いだ関係で、ブルゴーニュ公国の一部がスペインに属すことになります。

スペイン王がシャロレー伯爵となったので、このシャロルの町もスペインだった時代がありました。スペイン王が借金の返済ができなかったのを理由に、シャロレー侯爵領はフランスになりました(1684年)。

日本では、国土の真ん中にある一部の地域が外国だった、などという過去はなかったですから、こういう歴史を聞くと、いつも奇妙に感じます。ビクトール・ユーゴーの有名な詩の出だしに「私はスペインの古都で生まれた」というのがありますが、初めて聞いたときには本当にスペインで生まれたのかと思いました。でも、古都とはフランスの東にあるブザンソンのことなのです。


ラッキーにも塔の内部を見学できた♪

シャルル・テメレールの塔に近づくと、車が止まっていて、ドアが少し開いていました。電気のコードがはっています。翌日の夜にするイベント(ツーリストオフィスが昔の衣装で、馬も登場して、ガイドツアーをするというもの)で、塔を内部から照明するための工事をしているのではないかと思いました。

この塔は、普通は入れないのです。でも、工事の人が入っているなら、入れてくれないか聞いてみてしまおう! そういう風にして見学できたことは何回もあったのです。

1階部分に、配線をしているらしい男性が2名。

控え目に、でも精一杯の笑顔を見せて、「見学させてもらってもいいですか~?」と聞いてみると、OKの返事♪ でも、「時間はかけないで」と言われました。夕方だったので、仕事を終えて帰るところだったのでしょう。

塔の中はクモの巣がたくさんできていましたが、階段もしっかりしているし、とても良い保存状態でした。

塔の室内

一番上まで上がりつめると、下の階の丸天井を作っているパン焼き窯の天井のようなものが床になっていて、天井の梁を見ることができました。

塔の屋根裏部屋

下に降りていくと、工事の人たちはもう外に出ていました。

「とても興味深かった」とお礼を言うと、塔の一番上にある屋根裏部屋は立派だったかなどと聞かれました。彼らは塔に入って仕事したのは始めてではないそうですが、見学などしていないのですって。

なんともったいないこと! 私だったら、仕事なんかそっちのけで、ゆっくり見学してしまいます。こういう中世の建築が大好きなのです。

犬を連れていたので、名前を聞いたら「カルラ」というメス犬でした。サルコジ大統領の奥さんのファーストネームなのです。ブルドックみたいな犬で、白くて毛並みは良かったですが、美しいという感じでない。このワンちゃんの写真を撮っておきたかった...。

立ち去っていく彼らが乗ったのは、「シャルル・テメレール」という名前のケーキ屋さんの車でした。電気工事をしていた友達を車で迎えに来ていたのかもしれない。

その後に町を散歩したら、カフェでも、不動産屋でも、通りの名前でも、「シャルル・テメレール」の文字が目に飛び込んできました。この町のシンボルはシャルル・テメレールなんですね。

ブルゴーニュ公国の宮殿が残っているのはディジョン市なのですが、シャロル町ほどにはブルゴーニュ公の名前は目につかない感じがします。


この日記を書いていたら、つまらないことが気になりました。


シャロレーの綴りには2通りある

今まで気にしてみたことがなかったのですが、シャルルの町のあたりを指す単語「シャロレー」はCharolaisと綴るのか、Charollaisと綴るのか気になりました。つまり、Lが1つの場合と、2つの場合があるのです。発音は同じなので、書いてみないと気にならないことです。

シャロル市の住民のことは、Charollais (女性はCharollaise)と、Lが2つが正しいそうです。ということは、「シャロル市の」という形容詞にしたときもLが2つになるのでしょうね。

Charolles(シャロル市)を中心とした地域は「シャロレー地域」と呼び、Charolaisと綴ります。昔にあったシャロレー伯爵領(Comté de Charolais)も、Lが1つ。

ところが、市町村名に「en-○○」として「シャロレー地域の」というときには、Lが2つのしかないような…。次の3つの村の名前が出てきました。
●Collonge-en-Charollais
●Saint-Aubin-en-Charollais
●Vitry-en-Charollais

シャロル市は川が流れていて橋がたくさんあるので、ヴェニスに喩えることがあります。それを何というかとインターネットで調べてみたら、Venise Charollaise、Petite Venise Charolaise、petite Venise du Charolaisなどとマチマチです。

インターネットは間違った綴りで書いている人があれば、検索したときにそれもヒットするので辞書代わりにはならない!

次の2つの食材名はよく使う単語なのですが、これはLが一つで間違いないようです。
●シャロレー種の牛: Race bovine charolaise / Vache Charolaise / Boeuf Charolais
●ヤギのAOCチーズ: Fromage Charolais

ところが、シャロレー種の鶏と羊は、Lが2つの綴りなのだそうです。
●シャロレー種の鶏: Poule Charollaise
●シャロレー種の羊: Mouton Charollais

なんだか分からないです。発音してしまえば同じなので気にしなければ良いのですけど…。

Wikipédiaの説明によれば、誰でも混乱するのだそう。Charolaisというのは地理的にシャロレー地域からきていて、Charollaisというのはシャロル市(Charolles)からきている、とありました。だから、牛のシャロレー(Charolais)は、シャロル市で飼育されていたらcharollaisとなるとのこと。それで全部説明できるのかな?...


ついでに...
シャロレー地域の方言では、シャロルはツァロル、シャロレーはツァロレーと発音するのだそうです。

シャロル町にある民俗芸能グループの名前はLes Gâs du Tsarollais(Groupe d'Art et Traditions Populaires)となっていました。
Gâsとは、普通の仏語なら「gars(男たち)」のことです。


シャルル・テメレールについて過去に書いた関連記事:
★ スイス旅行: シャルル・テメレール展 2008/09/01
★ スイス旅行: モラ or ムルテン 2008/09/03
★ ベルギー旅行: マリー・ド・ブルゴーニュとブルージュ 2009/05/20

情報リンク:
☆ ヨーロッパの歴史風景 中世編: 西暦1477年、シャルル突進公が戦死し、ブルゴーニュ公家が断絶した。

↓この本、欲しいなと思ったのですが、高い…。


シャロル町に行ったときには食べたいものがあります。

続く


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