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2010/11/07

フランスとドイツの友好関係を考える その2目次


日本の友達や仕事の関係者から話しを聞いていると、日本は大きな金額を外国に出しているのだなと驚くことが時々あります。敗戦に関わる賠償、低開発国への援助など…。

それだけ出していても、外国から感謝されているようにも見えない。日本がお金を出しても、お金持ちなのだから出すのが当然、という程度ではないのでしょうか?

それに、低開発国への経済援助などは、どの先進国がしても、どうせその国の権力者たちに吸い上げられてしまう。貧しい国に限って大金持ちがいるのも、そういうところにも原因があると思います。本当に困っている人のところには行かないことが多いのだから、むなしい支出ではないですか?

日本は何でもお金を払えば解決する、と思っているのではないかと思ってしまうこともあります。


フランス人が持つドイツへの憎しみ

戦争中に日本軍が東南アジアの国々でしたことは、未だに許されていない。フランスにいて興味を持ったのは、同じ敗戦国で、世界から非難を浴びたナチズムがあった国ドイツはどうしたのかという点でした。

フランスとドイツのいがみ合いの歴史は長いはずです。アルザス・ロネーヌ地方をフランスから奪う結果になった普仏戦争(1870~71年)にまで遡らなくても、世界大戦のときにはドイツを強く憎むことになる体験をした人たちはたくさんいるはず。

フランスでは至る所で世界大戦の犠牲になった人々の名を刻んだ慰霊碑を目にします。下は、シャンパンの産地の町で見かけて戦争慰霊碑です。何があったのかと思ってしまうほど強烈な憎しみを現しているので驚きました!



「1944年8月に野蛮なヒットラー主義者たちによって虐殺された犠牲者と死傷者たちへ」と書かれてあるのですから過激ではないですか?!

慰霊碑はたくさん見ましたが、ヒットラーの名前まで出しているのは例外的です。しかも「野蛮な」という形容詞までつけていたのでした。よほど憎らしかったのでしょうね...。


フランスとドイツを和解させた手段

世界大戦が終わった当時、フランス人のドイツに対する憎しみは生々しかったのではないかと思います。それなのに、普通のフランス人がドイツ人に対して悪感情を持っているようには感じません。

不思議に思ってフランス人に聞いてみたとき、明快な返事をしてくれた人がいました。

根強かったドイツ人への憎しみを解消するのは、戦後にフランスとドイツで姉妹都市関係をたくさん作ったことが大きな役割を果たしたのだそうです。

市町村の入り口に建てられている市町村の名を記した標識には、姉妹都市の名前が書かれていることがあります。気をつけてみると、確かにドイツの市町村名が書かれていることが多いのでした。

この日記を書きながら調べてみたら、フランスとドイツで結ばれている姉妹都市関係の地図が見つかりました。

☆ 姉妹都市数を示す地図: Les jumelages communaux Franco-Allemands
  赤丸で囲まれた数字: 地域の独仏姉妹都市数
  %: 地域内の全市町村のうち、独仏姉妹都市を持つ市町村の割合


本当におびただしいほど姉妹都市関係になっているのですね。この他にも、県レベル、地方レベルでも姉妹関係を結んでいます。

姉妹都市関係を結んだ町や村では、互いに招待し合って住民たちの交流をするのだそうです。敵国への憎しみも、相手国の人たちと個人的に付き合って親しみを持つと消えていきますよね?

お金で解決するよりも遥かに効果的な方法のはず。とても賢い方法だったと感心しました。


仏独協力条約 (エリゼ条約)

フランスとドイツの間で姉妹都市関係を作ろうということになった直接のきっかけは、仏独協力条約(エリゼ条約、1963年)だったそうです。

この条約が成立したのは、フランスはドゴール大統領と、ドイツはアデナウアー首相の働きが大きいそうです。

こういう場合、ドイツ側がアイディアを持ったのかと思ったら、仏独協力条約の第一歩はドゴール大統領がアデナウアー氏を自宅に招待した(1958年)とのこと。


ドゴール大統領(左)とアデナウアー首相(右)

仏独協力条約は、両国で多くの戦死者を出した戦いにピリオドを打つ役割を果たしたのでした。このフランスとドイツの協力関係は欧州連合へと発展していくのですから、単に両国の国民を仲良くさせようというものではなく政治的な意図も強かったのでしょう。それでも、この条約をきっかけにして民間レベルで活発な交流が始まっているのでした。


【追記】

この仏独協力条約に先立ってドゴール大統領とアデナウアー首相がミサに参加した後に握手したことが記されているのを見たので記事にしました:
ランスのノートルダム大聖堂 2012/12/03


姉妹都市は住民レベルでの交流

姉妹都市関係にあることは、フランス語ではjumelage(動詞はjumeler)。日本語では、なぜ兄弟ではなくて姉妹なのか、なぜ都市に限定するのだろうか?… 「姉妹」は「友好」と置き換えられますが、「都市」の方は適当な単語がないかも知れませんね。

私の故郷は東京都なのですが、子どものときに姉妹都市で何かイベントに参加したなどは一度もなかったように思います。東京都の姉妹都市はぞろ~っとあるのですね。私が知っているのは、仕事で少し関係したために知ったパリだけです。

日本でも、東京都のように大きくない町だったら、相手の国の子どもたちをホームステイさせるような交流もしたりして、本当に相手の国に親しみを持つような活動もしているのでしょうね。

フランスで姉妹都市が何であるかというと、まず住民たちが互いに招待しあって行き来する関係のように感じます。

フランスの村長さんが、日本から姉妹都市関係を結ぶことを提案されたけれど断った、と聞いたことがあります。なぜかというと、「日本人はお金持ちだから村に来れるだろうけれど、自分たちの方は日本にまで行けないから」とのこと。

住民レベルで交流できないなら姉妹都市になる意味がない、ということらしいです。

少し前、小さな村がドイツ人の団体を受け入れたときに開いた夕食会に招待されました。



姉妹都市関係のイベントではなかったのですが、国が異なる住民たちの交流はこんな感じで行われるのだと知りました。その日のことを次回に書きます。

続く


参考:
☆ Portail de la coopération franco-allemande:
Jumelages et partenariats locaux
☆ Wikipédia: Amitié franco-allemande
☆ 自治体国際化協会: 姉妹提携情報

内部リンク:
戦争に触れて書いた日記 一覧
日本とフランスの姉妹都市が誕生するとき 2013/04/27


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カテゴリー: 日仏の比較 | Comment (2) | Top
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コメント
この記事へのコメント
Otiumさん、

日本の金だけ外交は確かに????でしょうね。しかし同時にアフリカの紛争地帯にNGOとか言って乗り込んでいく欧米人も私は???な気がしますが。(紛争地帯に武器を売りとばしたり、資源の権益を背後で操ったり。)

でもイラクでは日本は感謝されたようですよ。(あとインド洋の海上自衛隊の補給活動)

http://www.youtube.com/watch?v=nx5-4O6r-8E&feature=fvw

>戦争中に日本軍が東南アジアの国々でしたことは、未だに許されていない。

そうでしょうか?以下の資料をお時間があればご覧ください。

http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/51479005.html

http://www.youtube.com/watch?v=RntUs2gjM3g

http://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M&feature=related

ヨーロッパにお住みになっておられるOtiumさんに意見するのも如何なものかと存じますが、ドイツとフランスの場合、人種的、文化的に比較的近い、また、両国が2度の大戦でその国土を戦場として戦うことの愚かさを共に学んだ、さらには、ヨーロッパの大国同士として和解を演出しなければならないという政治的要求という面もあるのではないでしょうか?(特に冷戦期間中)如何でしょう?

逆に私が不思議なのは、西欧が行った世界規模での植民地化・分割統治政策は許されたのか?彼らが謝罪や、反省、賠償を行ったケースがあるのか疑問です。(少なくとも私は聞いたことがありません。)ご存じとは思いますが、英仏が中東問題の原因を作り、ベルギーがルワンダの虐殺の遠因を作ったりしていますが、それに対する批判はあまり聞こえないように感じますが。

2010/11/10 | URL | 腰抜け外務省  [ 編集 ]
v-22腰抜け外務省さんへ

日本の戦争賠償や経済援助について聞いた話しの中で、私が一番驚いたのは、これによって市場開発ができるというものでした。日本が敗戦から立ち上がって経済大国になれるテコがそんなところにもあったのか、と納得できました。良いことをすることを目的にしているはずのボランティア団体も、裏側では許せないことをしている例も多々ある。お金が世界を動かせる世の中に生きているのだと思うと落ち込むので、考えないようにしております。

リンクされたサイト:
外国にいると、やたらに母国の肩を持ちたくなるものなので、そういう見方もできると救われます。でも、両極端の意見を聞かないと納得できないタチなので、片方の捉え方でみごとに纏められるのは不自然に見えて、少し抵抗を感じました…。

ドイツとフランスの場合は、おっしゃる通りだと思います。特に、政治的な和解演出が原動力でしょうね。日本とアメリカの関係を考えたら、独仏の友好関係は驚くには値いしないと気がつきました。

>西欧が行った世界規模での植民地化・分割統治政策は許されたのか
⇒ どうなのでしょうね? でも、強い国、戦争に勝った国がしたことは、自分で正統化できてしまうのでは?… 「地理上の発見」という言葉は、欧米で使うのは勝手ですが、日本でも使われているのには抵抗を感じます。どこだか忘れてしまいましたが、植民地支配を受けたことがある東南アジアの国では「欧米による世界侵略の時代」というような言葉を使っていると聞いたことがあり、その方がアジアやアフリカからすれば自然だと思いました。
2010/11/11 | URL | Otium  [ 編集 ]
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